夢ブログ

あのさ、しばくど、われ。自分がだれだれか名乗らんで誰がメール出すのだ?俺は確かにうえだこずえだ。しかし、おまえは一体どこの誰だ。それを言わずしてだなぁ、何を俺に求めるのかね、俺はさっぱりわけわからない、悲しい、こんなことは、俺のブログはコメント公開性にしていないので、仕方なくコメントの返しがあるときはブログで返すようにします。いい加減なコメントはだから書かないで欲しい。俺はそんな何処の誰だかわからない人にメール送ったりはしません。ふざけるなっ。いい加減にし給えっ。腹立つなぁいい加減な人間。人が死んでも笑える人間とか。俺もそういう人間になってしまった。夢、ね。ながぁい夢を確かに見ていたよ。共有しないか?一緒!でも憶えていません。別に憶えていなくとも良いからです。この世界も夢だと思えば、それが明晰夢です。と長尾謙一郎は言った。僕は最近、ショック死しそうだった。あまりもの衝撃度でです。最近、アベノ橋魔法☆商店街を最後までちゃんとyoutubeで観たのですぅ。観終わって、俺は死ぬんちゃうかと思った。こんな衝撃は、町田康の『告白』を読んだ以来の衝撃度だったに違いありません。つまり、世界観が変わると言いますか?それほどのものだったと言って良いでしょう。言ってしまいましょう。あなたが好きです。僕はふんで、これ人にあまりゆうたことないんですけど、寝てて目が覚めて起きてトイレに行くと、おねしょしてしまうっ、あっ、やばいっ、って感覚で用を足してしまうときがままあるのです。僕思ったんです。あ、きっとそのとき、あっちの世界の僕がきっと漏らしてる、いいえ、ちびってるんに違いない、と。こっちの世界も、夢なんちゃうの?どの自分が見てるかは知らん?でも夢なんちゃうの?じゃないとおかしいでしょう、僕がちびらす感覚で用を足すの。僕きっとちびってるんです。あっちの僕がちびってるってことは、こちらの僕もちびってることと同意語、同義です、同等です。僕はだからなんやゆうと、なんや言いますと、僕のこの夢、明晰夢として、操ってやろうじゃん。僕は前々から、夢には、自分の無意識意識中の願望と恐怖が現れ出でる世界やと気付いていました。夢とは所詮そんな世界。此処も夢、確かに、思い返せば、僕の恐れていたことが次々と起こってきた人生だった、願望も叶う時も多かった。なんだ夢韃靼じゃん?韃靼蕎麦茶は美味い。夢、だったん、じゃん?そんな気はしてた。もう此処十年現実感が恐ろしいほどない、ふわふわ浮いて生きてる心地、実感がない。夢でした、そう言われると驚くべき納得。納得しよう。納得しようよ。ほら、ほらほらほらほらほらぁ、出来るだろ?俺は納得するに至った。俺の思うがままに出来るはず、この世界。だって夢なんだもぉん。うふっ。うぐっ。なんだって叶うわ、すべてが叶う。僕がこんなに孤立してるの、それは僕の夢。僕の望んだ結果。他に何の意味もございません。あるわけないでしょう、近頃風景変わったなぁ。だから時間の流れる感覚が一切皆無なのも当然さ。夢なんだから。君、これは、夢なんだよ。愛してる、夢だと思えば何でも出来る、死ぬことだってわけないだろう?これ、読み返すのしんどいなぁ。まぁそんなんで、現実感にあまりにも乏しいからやることなすこと自棄っぱちのぐっしゃ愚者で気違い扱いされてもしかたないぃ?でももし夢の中で繋がれてしまうことがあるなら犯罪や自殺やさつじんをしてしまったひとたちのゆめとつなが、ううん、僕は君と繋がりたい。いや、僕、誰とも、繋がりたくない。
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