ウェストリー・アラン・ドッドは、30年前の今日、1月5日の午前12時過ぎに処刑されました。

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yuzae1981


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Westley Allan Dodd (July 3, 1961 - January 5, 1993)
ウェストリー・アラン・ドッド(1961年7月3日 - 1993年1月5日)




WesWestley Allan Dodd)は1992年8月の時点、既にワシントン州立刑務所(Walla Walla州立刑務所とも呼ばれるワシントン州の死刑囚収容所) にいた。

そして10月8日時点、自分の死刑執行が進むというニュースを知った。

一晩中眠れないほど精神が疲弊し、消耗しきっていた。Wesはその頃、頻繁に「tired(疲れた)」と言っていた。

12月22日時点で、Wesは自分の死刑執行が1993年1月5日(火)に行われることを知っていた。

1月5日午前12時2分にWes処刑室に現れ午前12時5分に死刑執行。12時9分、Wesの死が確認された。 https://t.co/6lJBA6ZFmD
01-04 14:24

ワラワラ, ワシントン州, アメリカでの現在時刻https://t.co/3o6BDYv65p

Wes(Westley Allan Dodd)は今から30年前の処刑日前日、この時間をどう過ごしていたのだろう?

恐らく、この日も眠ることができなかったかもしれない。

今から24時間後には、自分は死んでいる。その恐怖に堪えられるだけ、Wesはとても強い人だと想う。

多くの人はWesを最も残忍な殺人者の一人だと言っているが僕の知る中ではWesほどに良心が深く在り、自分のやったことを心から苦しんで後悔している連続殺人者を知らない。

だからこそ、Wesはもう限界に在り、その死(死刑)が彼にとっての救いの一つだったと考えることはできるだろう。

もしかすると恐怖よりも、やっとこの悪夢の連続の人生を終りにできるのだという安堵に包まれていた可能性もある。

だがWesは死後にも命が続くことを信じてもいた。

死んで終りにできることは何もないと覚り、Wesは神に『赦しを請い求めた』

つまり、それは僕らにとっても、人ひとり死刑にしても何も終りにできることもなく、解決することもなく、真の安心も齎されることもないということなんだ。

01-04 17:24



News Report on Westley Allan Dodd Execution 1993 https://t.co/zsrg9lIJNJ



『死刑反対派がwalla walla刑務所の外で祈りを捧げている今夜、数時間後、ワシントンで有罪判決を受けた小児殺人者ウェストリー・アレン・ドッドは絞首刑に処されるワシントン州刑務所の6棟の東側では、この刑務所で最も恐ろしい部屋... この死刑執行室は、ペンキが塗り替えられ準備されている。』

1:00 Wes『people need to knowit's the only thing that will stop meit's necessary it has to be done

みんなに知ってほしい。

それが僕を止める唯一の方法だ。

必要なことなんだ。(やらなければならないことなんだ。)』 

https://t.co/WGXqljfKHB


処刑のために少なくとも14人が執行に立ち会う

1:44 死刑執行の24時間前にドッドはこの階段(ステップ)に護送される

1:50 ドッドは最後の数時間をここで過ごすことになりますここで眠り、絞首台から数フィートのところで最後の食事をします』

『2:13~2:17 赤いボタンが押され、トラップの扉が開く』約2ヶ月前にこの場面を最初に観た時、僕は思わず、咄嗟に口を押さえた。解る人には解ると思うのだが、決して瞬間的速さでこの絞首台が開かれるわけではないんだ。僕は想像していた速さでは全くなく、このゆっくりと開かれる扉に息を呑んだ。

01-04 20:16



ワラワラ, ワシントン州, アメリカでの現在時刻https://t.co/3o6BDYv65p

30年前の今日、あと3時間ちょっと経てばWes(Westley Allan Dodd)は処刑室へと入る。

もう最後の晩餐は終えただろう。

Wesは最後の食事に刑務所の一般人が食べるもの、サーモン、ホタテ入りポテト、ミックスベジタブル、コールスローだけを希望したという。

画像の絞首台から数フィートしか離れていない部屋で、1人で食べたか、もしくは食べられなかったかもしれない。

30年前の今、もしかしたらDarrell Lee弁護士と話をしているかもしれない。この部屋でだろうか?

Wesにとって特別に信頼できる人物だったのだろう。 https://t.co/2Fiu8gxEcK

01-05 13:54


Westley Allan Dodd was executed 30 years ago today, January 5, just after 12 a.m. ウェストリー・アラン・ドッドは、30年前の今日、1月5日の午前12時過ぎに処刑されました。https://t.co/aPxFHgPoJc

redditにWesの死刑執行絞首刑)について詳細に書かれている記事の翻訳を投稿しました。 https://t.co/BEHbay0S4p

01-05 17:15

Westley Allan Dodd was executed 30 years ago today, January 5, just after 12 a.m. ウェストリー・アラン・ドッドは、30年前の今日、1月5日の午前12時過ぎに処刑されました。 #note https://t.co/va7ogo50i9

noteの方にも同じ記事を公開しました。

人一人を死刑にする事は多くの人達に消えないトラウマと深い悲しみを残し続ける事を、私は改めて感じています。私は処刑というものがどれほど残酷でグロテスクなものであるかを、自分自身の感覚で知る為に、公開処刑を誰もが目にするべきであると想います。

Wesのケースは大変、上手く行った例だが、それでもある記者は公開処刑を観た後、ホテルに帰って嘔吐し、Wesの死刑執行の為に誰より力を尽くしたダレル・リー弁護士はもうできれば死刑には関わりたくなかったようです。

それほど心に大きな傷を残すものだったからではないか。

何十人以上もの人たちが人ひとりを死刑にする事で苦しみ続けるかもしれない。

その事についても深刻に考えるべきだ。

01-05 19:53



1993年1月5日午前12時1分がWes(Westley Allan Dodd)の死刑執行予定時刻だった。

その時間、処刑が行われるワシントン州立刑務所の外で雪が積もるなかに多数の死刑反対派たちが徹夜で祈りを捧げるなか、Wesの死刑を賛美し続ける人たちは予定時刻に爆竹や花火を打ち上げ、歓喜の声を上げていた。 https://t.co/QjjpSYwnrL

01-07 10:31

Wesは1992年10月8日に自分の死刑執行が早まるというニュースを知り、遅くとも12月22日時点、既に自分の死刑執行日を知っていた。

Wesは死刑執行予定時刻の7時間20分前、1月4日午後4時40分にこの階段(ステップ)を上って護衛された。


IMG_6691-1.pngIMG_6693-2.png

ウェストリー・アラン・ドッドは処刑される為にこの階段を上った


Wesは処刑を止めたいようなそぶりは見せなかったと言う。 https://t.co/r6wouyLg7S

そして絞首台からわずか数フィート(1フィートは約30cm)しか離れていないこの集中管理室の独房で最後の時間を過ごし、最後の食事をし、眠った(眠れただろうか?)。


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ウェストリー・アラン・ドッドが最後に過ごした部屋


Wesの死刑執行の希望を叶えるために戦ったDarrell Lee弁護士はWesが最後の数時間に、宗教的信念と後悔を示し、そして赦しを請い求めたが、同時に赦し を期待していないことを明らかにした。https://t.co/N6dmCqwwfz

Wesは最後の殺人で、4歳の男の子をゆっくりと絞殺するという首吊りをさせたので、自分は致死注射ではなく、同じ絞首刑を選択した。

実際の当時のWesによる最後の殺人記録 https://t.co/qQFaJXPn2g

リー弁護士は、Wesが家族、特に父親に対して、自分が成長する過程で愛情が足りなかったと反撃したい気持ちから、このような事件を起こしたのだろうと考えた。

しかしWesを「ワシントン州に存在する最も凶悪な犯罪者だろう。」と言ったリー弁護士は「彼は父親を赦したのだ。」と平和に死を迎えたと語った。

ワシントンでは1963年以来、米国では1965年以来28年振りの初めての絞首刑である。

Wesはワシントン州で74番目に処刑された人物であった。

Wesは1989年11月に3人の男の子を性的暴行後、また拷問後に殺害した罪で逮捕され、死刑に固持し続け、死刑反対派のロビーと激しい戦いを繰り広げ続け、自身の死刑を許可された。

Wesの体重は147ポンド(66.7kg)身長は5フィート7 ½ インチ(約171.5cm)とされ、落下地点は7フィート(約2.1m)とされた。

Wesは午前12時2分、処刑室の一番上の窓から、両手を手首の紐で前に固定され、オレンジ色のボイラースーツ風の囚人服を着た姿で現れた。

そして最後の言葉があるか尋ねられ、公衆放送を通じてこう述べた。


"I was once asked by somebody, I don't remember who, if there was any way sex offenders could be stopped. I said, `No.' I was wrong. I was wrong when I said, `There was no hope, no peace.' There is hope; there is peace. I found both in the Lord Jesus Christ. I urge everyone:

Look to the Lord and you will find peace."

"僕は以前、誰だか忘れたが、性犯罪者を止める方法はないかと訊かれたことがある。

僕は「ない」と答えた。僕は間違っていた。

僕は「希望も平和もない」と言ったが、それは間違いだった。

希望はある、平和もある。

僕はその両方を主イエス・キリストの中に見いだしました。

僕はみんなに勧めます。

主を見よ、そうすれば平和を見いだすことができる。"


その場には少なくとも14人の処刑証人がいて、それを聴いた。

上下の部屋の窓の両方から公開処刑の様子を観ることができる。

Wesが現れた約2分後の午前12時4分、一番上の窓の上にブラインドが下ろされた。

そのブラインドを背にして、目撃者は、一人の死刑執行人がWesの足を縛り、彼の頭に黒いフードを被らせ、もう一人が6巻きの縄を首にかけ、左耳の下(耳下位置)できつく調節しているシルエットを見た。

午前12時5分、赤いボタンが押され、電磁解除装置が作動し、Wesが立っている仕掛け扉が解除された。

彼は下の部屋に落下し、フードを被った彼の身体はロープの先でゆっくりと反時計回りに回転していた。



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ウェストリー・アラン・ドッドは、最後、この仕掛け扉が開いた瞬間、落下し、

死が彼を迎え入れた(抱きかかえた)




目撃者(観察者)たちによる報告「仕掛け扉の音と、そこから飛び込む彼の身体の光景は決して忘れることはないだろう。」https://t.co/REzJ3c9Zyu

「それは(身体は)視界に落ちた瞬間から、生気がないように見えた。ロープの先で踊ることもなく、ぞっとするような見せ物もなかった。」

「激しい動きや目立った痙攣もなかった。」

目撃者の中には、Wesが目の前にぶら下がったとき、体の腹部にほとんど気づかないほどの動きを感じたと思った人もいたが、ほとんどは不随意筋収縮によるもので、そのとき彼に意識があったとは考えられないということで意見が一致した。

午前12時6分、窓の下にカーテンが引かれ、12時9分、医師が聴診器を使っても心音が聞こえないことから、Wesの死が確認された。

01-07 10:31













✢未来のホロコースト(第三次世界大戦)の情景(今日の私の夢)✢Scenes from the future Holocaust (World War III) (my dream of the day) ✢

処刑 第三次世界大戦 夜と霧 ホロコースト 強制収容所 予知夢 絶望 屠殺 地獄 ヴィーガン

✢今日の僕の夢✢



スクリーンショット (880)

(右上の図)恐らく、人々の恐れていた《第三次世界大戦》が起き、人々はNazis(ナチス)同様、強制収容所に投獄され、迅速に大量に処刑される未来が遣ってきた。
ホロコースト(Holocaust)は効率良く行う必要があり、その為には必ず人々を"騙さねばならない"
「あなたがたのすべてを今から処刑する」などと言うものなら大暴動が起きるだろう。
この処刑法はまだ実験段階なのか、処刑されるのは一度で、《5人》の男だ。
それは牢屋のなかで行われる。
5人の男性が檻の中に入っているが、ここで自分が今から処刑されるとわかっているのは(右上の図)向かって右から4番目の男性Aだけだ。
他の4人は、Aだけを処刑すると告げられている。
だから他の4人はAを慰め、大人しくさせる為にただ利用されていると信じている。
しかし今から行われるのはこの5人全員の処刑である。
Aはとても慈悲深く耐え忍ぶ力のある人で、これから処刑されるのに他の者たちの事を心配している。
Aはおもむろに右隣の男性B(図の向かって右から5番目)に向かって言う。
「日本の関東にも大震災が起きましたね…本当に心配です。」
そう、Bは日本人で、異国のこの収容所にいるのだ。
我が母国よりも、Bの国を心配するAに対して、Bは涙を堪えながら応える。
「うゥ…わたしはなんと言ったら良いか…」
それが精一杯である。
Aは慈悲の表情を浮かべ、Bに「きっと大丈夫」という意味で微笑む。
突然、Bは感極まり、Aをぎゅっと抱き締める。
先に言っておくべきだったが、Aは50代前半で、Bは60代半ば程である。
Bは少し小肥りの体型で髭を生やし、博士のような雰囲気だ。
Aは誠実で清潔な面持ちをしている。
二人ともきっと子どもがいて、さぞかし心配だろう。
すると何を想ったのか、BとAが泣きながら抱き締めあっているその身体を離した瞬間、BはAに想い切り口付け(キス)をし、それだけでは飽き足らず、BはAの汗でぐっしょりと濡れたシャツの上から、半分透けているかのような乳首を下から号泣しながらいやらしく舐め上げる。
Aはつい、感じてしまったのか、「あっ…」という、喘ぎ声が出てしまう。
その様子を、他の3人の男たちは少し後ろから見つめながら、黙っている。
二人とも恥ずかし気で、それ以上の展開は起こらず、彼ら二人のお別れの儀式が終ったようで、元の位置に戻ろうとする時、図の向かって右から2番目の男性Cが、ぼそっと言う。
「なかなか大胆なことをするんだな。」
少し顔がにやけている。
向かって右端の男性Dは頷き、納得している様子だ。
その時、ずっと我慢していたものがはち切れたのであろうか、向かって右から3番目の男性Eが真ん中の少し後ろへ下がり、突如、『サタデー・ナイト・フィーバー』風に、派手な踊りを一人でし始める。
かなり楽し気だ。
完全に馬鹿にされているのだということをAとBは感じていたが、二人とも人格者であった為、彼(E)に対し、最早、何も求めなかった。
私は今から一人の男を処刑する事に精神が堪えられなくて崩壊し、ああなったのだろうかと考えながらそのEのダンスを残りの4人と同じように静かに眺めている。
そしてこの後、この《5人》の男性たちの処刑が完全に行われるのである。
通路を挟んで、向かって左側にも牢屋が続いている。
そこにはこの先、処刑される人たちがたくさん閉じ込められている。
幼い子どももいる。
「Dad... mom... where did you go...?(パパ…ママ…どこに行ったの…?)」
彼は泣いている。
この男の子も、いつの日か、処刑されるであろう。
『過去に起きた全ては、未来に繰り返されるからである。』
何故なのか…?と人々は神に向かって問い掛ける。

そう、実は僕はこのような第三次世界大戦の様子の夢を何度も観たことがある。
2012年には、その夢が切っ掛けでヴィーガンになった。
その当時の夢は今日の夢以上に残酷なものであり、人々が跪かされ、次々に斬首刑に合うというのを目の当たりにし、僕は震えあがった。
そしてこれは、未来に起る《予知夢》であるのだと感じたんだ。
その後、僕は屠殺場》の映像を観て、其処にある《生命の堪え難い地獄》と《人類の真の地獄》がまさに繋がっている(密接な因果関係にある)のだと、覚った。













「僕たちは世界を変えることができない。でも、僕たちは世界を変えたい。」

処刑

「僕たちは世界を変えることができない。But, we wanna build a school in Cambodia.」


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(2012/03/09)
向井理、松坂桃李 他

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という映画を観た。
監督は深作欣二監督の息子「バトル・ロワイアルII 鎮魂歌」の深作健太監督だ。

実際にあった話を基にした映画だ。
「僕たちは探していた、ありきたりな毎日を変えてくれる何かを」
何かが足りない毎日の中、偶然目にした「あなたの150万円の寄付で、カンボジアに屋根のある小学校が建ちます」という海外支援のパンフレットを医大に通う2年生・コータこと田中甲太(向井理)が手にしたことから物語は始まってゆく。
頭の中で何かが弾けたコータは「カンボジアに小学校を建てよう!」と知り合い全員にメールを送信。
ところがコータのもとに集まったのはたったの3人。
いつもの仲間の芝山(柄本佑)と矢野(窪田正孝)、そして合コンで知り合った本田(松坂桃李)だった。
それでもコータは学生サークル“そらまめプロジェクト”を立ち上げ、チャリティーイベントを開催。
パーティを開催して収入を得たり、人集めのために慣れないナンパをしてみたり、地味にビラを配ったり。
カンボジアに小学校を建てるには実際に建設資金150万を自分たちで集めなければならない。

しかしその前に俺たちカンボジアを全く知らねえじゃんとなって4人の若者は学校で習った知識のほかは何もない状態で現地カンボジアへと向かう。
現地のガイド役ブティさんに案内され、そこで目にしたものとは、
想像を絶する言葉を失うほどの残酷な歴史と悲しい現実の数々。
4人はショックが抜けきらないまま無力感を抱えた状態で日本に帰国する。
日本へ帰ってきてから芝山が言う。
「本気であの国救えるとでも思ってんの?」
「アンコールワットでさ、小さい子供が1ドル値だってきたことあったろ、俺思わず渡しちゃったけどさ、たった1ドルであの子たちの未来変わんのかよ!」
無理だという芝山に「そうかもしれない」と弱音を吐く言い出しっぺのコータに矢野が言う。
「ねえコータ、俺たちのやりたかったことってなんなの?」



「ドキュメンタリータッチで撮りたい」という深作健太監督の意向で、カンボジアでの場面はほとんどがドキュメンタリーのようだった。
主人公のコータ演じる向井理はカンボジアでの撮影はあえて台本を読まず、またこの原作も読まないで感情が固定しないようにしたようだ。

最初にシェムリアップ州立病院へ向かい、エイズ病棟へ4人は案内される。
2005年時点では、カンボジアの15歳~49歳までのHIV感染者は2.6%、HIV総患者数は約17万人、40人に1人が感染していることになる。
そこでどんな撮影をするのかは何も知らされていない。
だからそこでのシーンはドキュメンタリーと同じだ。

次に向かったのはトゥール・スレン虐殺博物館
「ポル・ポト派が政権の座にあった3年8ヶ月の間、トゥール・スレンには2万人もの人々が送り込まれました。そのうち生きてここを出ることができたのはわずか7人。」

その次に訪れるのはキリング・フィールドです。
当時のカンボジアに300ヶ所あったとされる処刑場です。
ここでカンボジアの全人口の3人に1人、総人口800万人足らずのカンボジアで、200万人から300万人近くの人が虐殺されたと言われています。

朝の6時過ぎに映画を観終わってから、いろいろ調べて、今昼前の10時55分だ、つらい。
少し休憩を取りたいと思う。
みんなも真剣に読むほどつらいだろう、少し休憩を取ってでも読みたい人は一緒に読んでほしい。

カンボジアのロケでは長回しでスタートからカットまで4時間という撮影もあり、撮影時間はトータルで200時間にも及んだという。
キリングフィールドではどのようなことが行われていたのだろう。
【大量虐殺地、キリングフィールドへ】- カンボジア
ここに少し詳しく書かれているようだから今から読む。

映画にも出てきたキリングツリー、残酷さを比べることなどできないが、この木は世界で最も悲しい木であるように感じる。

この映画が私たちに投げかけるものとはいったいなんだろう?
それはひとつやふたつじゃない。

この映画は観終わって、いやあほんと良い映画だったな、すごく感動した。では到底終わらせられないものが詰まっている。
何故ならこのテーマはすべての人間にとって本当に大事なことだからだ。
人は、自分に出来ることと、自分のやりたいことがわかっていないと、何もできない。
やりたいこと、多くの人間に共通することだと思うそれは、“一緒に笑いあいたい”ってことじゃないか?
気づいてても気づいてなくても、それが人間の本当の喜びのように思う。
でもそれがわかってても、どうすれば一緒に笑顔になれるのか、そのやり方がわからなくて何もできない。
これをしたらってことがわかっても行動に移すには、本当にそれがやりたいことじゃないとできない。
だから、何か思いついて行動できるってことは、自分の本当にやりたいことと自分に出来ることが合わさった時だ。

みんながそれを探してるんだと思う。
探してるけど、なかなか見つけられないから、自暴自棄になったり、人に当たったりしてしまう。
そうは見つからないし、見つけられないからだ。

主人公のコータは弱い自分を責め続けながら、自分の喜びになることを素直に問い詰めた結果、ある信念を手にする。
誰かのために何かをする喜びというのは、きっと自分のために何かをする喜びよりも強い

強い。ほんとうに強いと私も言える。
自分だけのためにする喜びなんて自分だけ喜んで終わりじゃないか、または自分の家族や友人に喜んでる自分を見せることで終わりじゃないか。
言っとくけど、そんな喜びはほんとにすぐに過ぎ去って跡形も残らないぞ?
あとは過ぎ去った幸福を思い返して、あの頃は良かったな、なんて言うだけじゃないか。

この映画は、「おい!そんな喜びよりも強烈に絶対消え去ったりしない喜びがあるんだよ!」って僕らに向かって叫んでいる。
その叫びはわたし自身の叫びであり、わたしも実は同じ考えで生きているのだけれど
主人公は、その誰かの笑顔をすごく直接に求めてすぐに飛んでいけて、
私の場合は、すごっく湾曲して歪んでるように見えて酷いところを歩いてて人から見ると、おいお前後ろ向いて歩いてんぞって言われるくらいのわかりづらいやり方で、誤解を多く避けられない方法によって、誰かの笑顔を、すべての笑顔を求めて、飛ばずにものすごく違う歩き方をしている。
でも求めてるものはまったくの同じものだ。
それは誰かの笑顔であり、誰かの幸福。
そこには自分もいる。
誰かの笑顔が自分を笑顔に出来るし、誰かの幸福が自分を幸福にできるとわかってるからだ。
そして誰かの笑顔しか自分を笑顔に出来ないし、誰かの幸福しか自分を幸福にできないとわかってるからだ。
ただ僕は、今のところ僕のやり方に賛同者を見つけられていないだけだ…。
でも、現にこの映画だって、苦しいことから逃げて、自分の苦痛を避けて通っていたなら、「誰かのために何かをする喜びというのは、きっと自分のために何かをする喜びよりも強い」って考えには至ることはできなかったはずだ。
苦しいことを耐えて、他者の苦しみにしっかり向き合おうと思えたから、本物の喜びが何かに気づくことができた。
でもそれは、他者の幸福よりも自分の幸福を優先してたら、いつまで経っても気づけない。
自分の幸福と他者の幸福が別のものだって思ってるなら、幸福な自分から見た他者の苦しみはきっと邪魔になるだろう。
何故なら、他者の苦しみを見続けるってことは苦しくてたまらないことだからだ。
他者の不幸や苦痛を見続けていたら自分が幸福になれないと思って、避けてしまうだろうからだ。
多くの人は、まず、自分の幸福を追い求め、自分が幸福になった余裕で他者のことまで心が行き届くんだと信じている。
でも、まず、自分を幸福にするためには、他者の苦しみを見て見ぬふりしなければならないから、その幸福とは、他者と自分をまるで違う世界に立たせるかのようにしなくては、自分の幸福は実現することはできなくなってしまう。
それは、他者の涙を見えてはいるのに、決して拭かないということで、今は拭けないけど、ぼくが幸せになったら拭くからね、と言ってるのと同じで、なんだかおかしい。
今は君の涙は拭けないけど、未来にはきっと拭けるから、っていうのは、ただのつらいことの後回しと同じじゃないか。
でも本物の幸福はそんなところにはないんだ。
だって、本当に大事なこととは、今見えていることをしっかりと見るってことだから。
今見ることのできる誰かの涙を見なくちゃ、今泣いている誰かの涙を今拭くことができない。
それは実際拭けるかどうか、じゃなくて、今どこかで必ず流れている涙は、今の君しかその涙を今拭きたいと思うことができない。
今しかできないことがある。
それは自分と自分の周りだけが幸福になってからじゃ、もう遅い。
彼らはもうとっくに、死んでるかも知れない。
誰かの苦しみを見殺しにして手に入れた幸福が、幸福のはずはないよ。

じゃあどうすれば僕らは、やりたいことと、できることの合わさったその大切な何かを見つけだすことができるんだろうか?
既に幸福な誰かを幸福にしたいと思う人間はいない。
いつでもそう思う誰かは、今泣いている誰かだ。
泣いてるのは、苦しいからだ。
その苦しみに寄り添うには、寄り添い続けるには、共に苦しみを感じることがどうしても必要になってくる。
共に苦しみを感じて、その苦しみに一緒に耐えよう、と言えることが必要となってくる。
同じ苦しみに自らを置くこと、その同じ場所に立てば、きっと毎日泣いているだろう。
一緒に泣いているだろう。
毎日ずっと泣いても涙が枯れることのないくらいに、この世界には悲しみと苦しみがたくさんあって、減ってもくれないからだ。
増えて行ってる。
誰かの涙を拭きたいという気持ちを先延ばしにして得た幸福で、どんな喜びを感じることができるんだろう?
ほんとうにその幸福から得た余裕で、誰かの涙を拭くために、苦しみの地に一緒に立てるんだろうか?
今、なにもできないのは、自分が不幸で余裕がないからじゃない。
苦しみに目を背け続けているからじゃないか?
それは他者の苦しみだけじゃない、自分の苦しみにも目を背けている。
自分に訪れる苦しみを受け入れずに、幸せになることばかり夢見ている。
自分の苦しみは、無駄で、要らないものなのだろうか?
誰かの苦しみを見ることは自分の苦しみだ、その苦しみですら、今は、必要のないものなのだろうか?
今、必要なのは、遠い誰かの今の苦しみに目を向けることよりも、未来に幸福になった余裕で誰かを救えるために自分や自分の大切な誰かだけの幸福を追い求めることなのだろうか?
今しか拭けない涙があるのに。
今、寄り添うことができないなら、もうずっと寄り添うことのできない苦しみがどこかに必ずあるのに。
今しかできないことがあるのに、今やりたいことは未来に出来ることをやるために今やるっていうことだろう?
でも幸福になる前に死ぬかもわからないのに。
そしたらほんとに何もできない。
今できることに目をそむけたまま何もできずに死ぬのか?
いつ死ぬかわからないんだよ、いつ電車に乗っててテロに巻き込まれて死ぬかもわからない。
苦しいこと傷つくことを避けて通って自分と自分の大切な誰かだけの幸福を追及すると、今度はその幸福がない時には不安で苦痛でたまらなくなる。
自分と自分の大切な誰かだけの幸福を求めるってことは同時にその幸福がないことの苦痛と不安を求めてるのと同じってことだ。
多くの人は苦しみを求めてたくないと言いながら、苦しみを求めてしまってることに気づかない。
だから余裕がないんだ。
結局その余裕のなさは、どこから来てるのかと言えば、みんなが自分たちのことだけ考えてるからだ。
自分たちの幸福ばかり追い求めてるから余裕がないのに、他者のことまで考えられる余裕を作るために幸福にまずならないといけないって考えはやはりどう考えても僕はおかしいと思ってしまう。
余裕は、自分の苦しみを自分のためと、また誰かのためだと思って全部を受け入れることによって、苦しみを怖れない強さを持つことができるようになって、そこでようやく初めて他者の苦しみに寄り添おうとすることができる余裕ができてくるんだと僕は身を持って感じて来ている。
苦しみを怖れたら、ずっと苦しみに恐怖していかなくてはならない。
そこには他者の苦痛を自分に重ねる余裕など生まれはしない。
この苦しみは自分のためでもあるし、誰かの笑顔に繋がるために必要な苦しみなんだと信じるなら、もう苦しみを恐れなくてもいい。
どんな苦しみがあっても強く生きられる。
それこそが、誰かを救えるようになるために必要な余裕だ。
自分に訪れる様々な苦しみを受け入れることによってすぐに誰かを救う行動に移せるわけじゃない。
でも苦しみを怖れない、どんな苦しみもポジティブに受け入れようとする姿は、苦しんで生きている誰かを勇気づけることがもしかしたらできるかもしれない。
誰もが苦しみを怖れているのに、誰かは自ら苦しみの中突っ込んで行ってたら、最初は、おいあいつ何やってんだ、頭がかなりイカれてんじゃねえか、と言われることもあるだろうが、そうゆう生き方があるんだってことは見せつけることだってできる。
自ら苦しみを望む、それは自虐で自己憎悪の自己嫌悪と罪滅ぼしの贖罪の気持ちの表れだけじゃない。
誰かのためになりたい、誰かの本物の笑顔を見たいからだ。
僕がみんなに苦しんでほしいと言うのは、みんなが僕と同じ喜びを感じて生きて欲しいからだ。
少なくとも僕は、自分らだけの幸福を追い求めて生きている人よりも多くの喜びを感じているように自分で思う。
僕はそこには戻りたくない。
そこには喜びがないからだ。
本当の笑顔がないからだ。
子供たちはいいさ、ただただ純粋で無垢なんだから。
でも大人になったら、苦労を買ってでもしろっていうのは、こういうことなんだ。
お金を払ってでも自分の苦労を買いなさいよ、ね、それがあなたの幸福に繋がるのだし、誰かの幸福にも繋がるからよ。って意味があるんだ。
だから大人になったら、誰もが、自ら苦しみを追い求める生き方を選んでいく、僕はそう思っている。
僕はもう最近誰とも接してないけれど、孤独に自らなるという苦しみを選んでこの苦しみから何かを学ぼうとしている。
どんな苦しみも無駄にはならない。
ただ僕の苦しみには、自分たちだけの喜びを追い求めるところにはない喜びがある。
誰かの涙に自分の幸福を捨てることのできる喜びだってある。
全部喜びだ。
マスターベーションだって嘲笑われてもいい。
この喜びは、自分だけの喜びを捨て去った人にしかわからない。
自分が苦しくてもみんなの笑顔をいつも願うことができる人にしか、この喜びがすごいと言っても伝わらない。
僕はきっと死ぬまでこの存念を変えない。
僕が苦しみを望むのは、みんなの本当にいい笑顔を見たいからだ。
皆に苦しみを望むのは、みんなの本当にいい笑顔を望むことがみんなの本当の喜びだと信じてるからだ。
耐えきれない苦しみさえなくなれば、みんなで一緒に耐えて生きていける。
この世界から耐えきれない苦しみがなくなるように、みんなで一緒に今苦しみの中にいるすべての存在のために僕らができることとやりたいことが一致することを。
僕らすべてが本当の喜びに向かえることを。

僕は信じてる。
マジで信じてるんだ。





僕たちは世界を変えることができない。But, we wanna build a school in Cambodia. (小学館文庫)僕たちは世界を変えることができない。But, we wanna build a school in Cambodia. (小学館文庫)
(2011/07/06)
葉田 甲太

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これ原作の本、文庫版の収入は、カンボジアに建てた小学校の維持費や、発展途上国への寄付にあてられるそうだ。

最後に一つ、“行動がすべてだ”という考えは多くの人が持ってると思う。
しかし僕はそうは思っていない。
マザーテレサも言ったように
大切なのは、私たちがどれだけの行動をするのではなく、それをするのに、どれだけ愛を注いでいるかです。
ということだと僕も思うのです。

だから行動、行動と焦るのではなくて、僕らは愛を注げるように愛を求めたらいいのだと思う。
愛とは何だろう?
僕は一つだけ言える愛がある。
それは僕にとって一番の悲しみであり続ける。
私を生涯苦しみの底に居続けさせるだろう愛とは、私にとって父親です。
愛は決して喜びだけを与えるものじゃない。
愛を求めることとは、喜びと同時に苦しみを求めることだと私はわかった。
わたしたちがほんとうにやりたいことは。
わたしたちにできることは。

愛を求め、愛を注ぐこと。

だから私は願う、今苦しみのない者には愛と言う苦しみが与えられ、その苦しみから生まれた愛がすべての者の耐えがたい苦しみを和らげる日が来ることを。

神に帰依する者たち

処刑

今日の朝に阿呆な頭で私は阿呆なことを書いたが、決して阿呆なことではなかった。
せっかくなので、カナリヤについて調べていたんだ。
これはサウジアラビアの童謡カナリヤ
微笑ましい曲である。これを聴いてサウジアラビアの童たちは歌ったり、眠りに就いたりするのだろうか。
偶然にも、ふと思いついて書いたカナリヤとサウジアラビアという言葉がここで結びついたのである。
次に私はサウジアラビアについて調べた。
サウジアラビア王国はイスラエル、イラク、イラン、エジプト、アフガニスタン、パキスタンなどに囲まれた場所にある、中東、西アジアの国家である。首都リヤドは素晴らしい。Riyadh_city.jpg
ものすごく考えられて作られている街である。こんな街のある国は平和を掲げているのではないだろうか。
計算しつくされた街、掟がそれだけ厳しい国ということである。掟が厳しいと良いもので埋まるだろうか。
サウジアラビアはイスラム教統一国で彼らは、神に帰依する者たち(イスラム教徒)である。

サウジアラビアは現在でも公開の斬首刑を行っている唯一の国家である。
現在においてもっとも厳しい死刑制度を維持している国であり、人口当たりの死刑執行数は世界最多である。

2005年5月、スリランカ人のリザナ・ナシカというメイド(事件当時17歳)が赤ん坊にミルクを与えた際に気管に詰まり、メイドは救命措置を取ったが死亡させてしまう。この事件は事故死ではなく殺人であったとみなされ、死刑判決が下りることとなった。2008年6月に公開での斬首刑によりリザナ・ナシカは処刑された。

これはその時の、刑に処される寸前の写真である。是非多くの方々に見てもらいたい、そして彼女になってもらいたい、あなたに、あなた方に。どんな思いで、どんな恐怖と悲しみの中、彼女が処刑場に座らされていたか。私たちは彼女である。私たちはこのようにして殺されうる存在であることを私たちは忘れて生きていくことは、その生はないものと見てもいいだろう。彼女は私たちであり、私たちはその権力に刃向かう事が出来ない。
http://ansaikuropedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Executioner2.jpg

彼らは大罪を犯し続けていると私は言った。

しかしそんな言葉もなんて浅はかであろうか。今日、私はこんな言葉を目にして、胸にずしんと来た。
「皆、悪ではない。悪でなければ生きられないということだから、それを悪と言えないのだろうね。」
この言葉はとても重く深い。
悪でなければ、生きられない人たちがいる。ならばその悪を私たちがこの世から無くそうしたとき、彼らを殺すということである。彼らの生きられる場所がなくなってしまうからだ。
私たちは、彼女を守るために彼らを殺すことができるのだろうか。

「犠牲」という言葉がずっと頭の隅にあって、離れない。犠牲、それはどういうことなのか、考えても考えても混沌化する。








今日、斬首刑について調べる中に偶然見つけた一枚。あまりに無垢な表情の少女の写真である。この少女と白い衣装を纏って座って死を待つ彼女とがだぶって見えた。私たちは祈らなければならない、私たちは死ぬ寸前まで祈り続ける。
20111004-43_20120129042306.jpg

角砂糖の児

処刑

角砂糖で城造って破壊しようぜ。角砂糖の城燃やしたら焦げていい匂いすんだろな。角砂糖で出来た人間破壊したら楽しいだろな。箸の先で潰そうぜ。黄色いレモン食いすぎると胃がもたれてさあ大変。椅子だけ俺買った。椅子だけある。狭い部屋に置く場所がない。その椅子が電気椅子に見えるんだよね。俺が座るとそうなるのかもって。いいんじゃない?俺毎日死刑台に座って物を書くんだよ、それでこそ物書きって言えるんだぜよ苦祖が。マジ糞の変換できねかったし、糞が、こんだはできるし、どゆこと?はい?阿呆膿んだら面、て俺のこと、アホウウンダラメーンって意味わからないけれどもね、これ俺のことですね、みんな処刑されるべきだと思うんだよねとか思ってもいないことゆうたら駄目なんやろか、みんな思ってもないことばっかゆうて生活してるはずなのに、虚構っちゅうもんが俺大嫌いやのに虚構をどうしてもやってしまうってゆうのはあれやんね、自分守りたいからやろ、嫌われるのが怖いのんとお、傷つけるの怖いからやろ、あほぬかせよお前ほんま、ばか、ばか、どこまで行っても海なら、人は生きる気をなくすのかもしれない、人間はだって水中じゃ生きてゆけない、たとえてみて下さい、その光景を、僕はもう人生そんな感じなのかなって自分に聞いてみるんですわ、そうなの?って、どうなの?って。で、その海って恐ろしいよね、人間が海に対して思う感情とまったく同じであって、僕にとってもこの世界って恐ろしいってか、てか、僕だけじゃないけど、あ、孤独すぎるから、海にたとえてみたのにいつの間にやら違う話になってるってことを今気づいたんですけども、まあこれ読む人ゼロ人やからいいんですがね、とかゆうと読んでくれた人が、ムゥッって怒るから言わないけどね、言ったけどね、言わなかったことにしといてくださいってゆうておくよ。僕はみんなから嫌われるべきなんだろなって思うんだ、だから実際いろんな方々から嫌われてるけどね、ありがたい話だよほんとね、まあ僕も同じだけ嫌ってるけどね、なんて、まあそんなん虚構やから相手しない、信じてないんだよね、僕は、僕自信のこと、だからかな、自分信じてるっし、みたいな人間が阿呆ぬかしやがれ阿呆だらんて思うのかもしれない、ってまあすごく批判的だからこんな自分嫌いだわ、ばか、ばかな僕、僕って馬鹿、っつうて呑んだくれて枕ぬらして眠る、ひとりって楽しいなあ、やっぱひとりが一番やで、あんた、ひとりやろ、あんたも、ゆうて誰かにゆうと、誰かは怒るかな、誰かは面白がるかな、誰かは泣くかな、人間って難しいな、むずいな、僕も僕の変態性欲って題名で日記書いてみたいな、なんかしらんけどやっぱのびのびと成長さした胡瓜ってうまいよね、縛り付けたらまずなるんかなぁ、縛られて生きてきたから俺まずいねん、って言いながら胡瓜が夜道の向こうから歩いてきたらどうする、真面目な話、九里歩こうかな、胡瓜と。終わり。って僕が書くと一行で物語終わってしまうんだよね。その僕が長編書いてるって神様もびっくらこいてふんたまげてるかもしれん。僕、あと二年書きたいって思ってるねんか。別にはよ書かないかんなんて誰が思うこと俺気にしないし、僕の書きたいペースで書こうと思って、これ書いて死んでもいいんだよね僕。みんな馬鹿にするかもしれないけど、いいよ馬鹿にしてなさいよ、糞めが、ゆうて、死ぬときには、キ、キチガイ・・・・・ってゆうて死ぬみたいなんでも僕嬉しいな。僕、何歳で死んでも嬉しいな、僕、結局、僕って嬉しいな、だから、僕、あなたってあなただからあなたはいろいろ考えたらいい、僕も僕は僕でいろいろ考えて死ぬ、時空超えて死ぬ。空間の中で死ぬ。生きることをやめることが死ぬんやなくて、死ぬことをやめてることがただ生きてるってだけなんだよね。僕、子供ができたら教えてあげたいんだ、この世界はどれだけつまらないかを。おまえが把握できることはつまらんと言う。そして子供はぐれる。たはは、たはは、僕もぐれる。明日から毎週宝くじを買って当たったら人工授精で子供を生んで、生まれた子供に世界のくだらなさ、人口全員糞ってことを洗脳させようと思った今日この頃。角砂糖の子供。

Amen

処刑 ホロコースト 強制収容所 ガス室 絶望 地獄 神父 クリスチャン



原題「AMEN」という映画を観ました(アーメンの意味は、まさに然り、その通り、真であるように、等)
邦題は「ホロコースト アドルフ・ヒトラーの洗礼」です(←内容と合ってない変な邦題です)


ナチス親衛隊の中尉、クルト・ゲルシュタインはポーランドの強制収容所でユダヤ人たちが
毒ガスで処刑されているのを覗き窓から見せられ
ショックを受けた彼はどうにかそれを阻止する為、ベルリンにあるカトリック教会の司教に告発し
他の国に知らせるように言います
しかし、司教は聞き入れません
が、それを知った若い修道士リカルドがそれを見逃さず熱心に話を受け止め、リカルドも
ローマ法王に虐殺の真実を伝え、どうにか虐殺を止めようと二人は必死に行動しますが、
教皇は中立に立場を起き、沈黙します

英題「Der stellvertreter」は舞台劇「の代理人」から取っていて
ゲルシュタイン中尉はのスパイとして親衛隊に入り、後に彼の残した証拠で
ホロコーストの虐殺が証明された実在人物だそうです

ゲルシュタイン役のウルリッヒ・トゥクールは知りませんが、
リカルド役のマチュー・カソヴィッツは「アメリ」でアメリが恋する青年役の人で好きな俳優です
どこまでもしたたかな悪を突っ切る親衛隊准将役のウルリッヒ・ミューエという俳優が、
なんだか気に入ったのですが、2007年に亡くなっていると知り哀しいです


終わり近くまで話がほんとに淡々とただ流れるのですが
(収容所側の残虐なシーンはほとんどありません)
終わり間際、吃驚する哀しい展開が起こります

読んでもいい方は続きをどうぞ…























神父リカルドが何もことを起こさない教皇らに絶望
ユダヤ人がつけられていた黄色の星型紋様を自ら胸につけ
強制収容所へとゆくのです、その展開が起こるシーンはとてもいいです
自分の命を投げ打ってでもゲルシュタインもリカルドもその正義を全うする以外
生き続けることなどできない人間なのでしょう

そして収容所に着いたリカルドは神父だから役に立つようにと火葬場での労働を強制させられます
最も過酷なその労働を続けるリカルドの元に偽装した書類を彼を助けるために
作り逢いに来たゲルシュタインに、怯えて言葉もすぐに出せないほど憔悴しきっているリカルドが
とても哀しい顔でこう言います

「我が子が焼き尽くされてもは無言だ
その御心を知りたい」

ああ…と泣きたい気持ちになった、イエスでさえあまりの苦しさにに問うたあの場面が浮かんだ
「神は私を見捨てたのですか?」
それはずっと愛され続けた親に見捨てられたと感じた子供の悲しみと同じなのだ

それでもリカルドはそんな中、神を信じて死んでいったのだろうと思った
そんな人たちが同じ思いでたくさん収容所で死んでいったことを思うと
一番苦しい時にこそ宗教が必要であり、宗教がなければ争いが減るという考えは違うと思う

世の中のあまりに酷い残酷さを目の当たりにした時に、人は神を信じる以外どうにもできない


十字架とナチスの象徴である鉤十字が合わさったポスターは映画ともに大きな論議を起こしたそうです
実際何もことも起さなかった法王もヒトラーとあまり変わらない悪であるようにも思えます
バチカン(カトリック教会の総本山)の暗部はただの賄賂を受け取る政治家のような感じ

なんもねえ

処刑

なんで生まれてきたんだろう

僕のせいでみんな不幸になった

僕がいたら誰も幸せにならない

生まれて来なけりゃよかった

生まれてきてごめんなさい

ごめんなさい

ごめんなさい

早く死にたいとしか思えなくてごめんなさい

もうすぐここに降りてくる

何か

何か

命を誰かにあげたいよ

誰からも愛されない人間です

誰も愛せない人間です

生きてるだけで罪なんだ

誰か処罰を

夢では逃げてばかり

夢は逃げてくばかり

僕を処刑する

あんたら一体誰だよ

関係ないやつらに殺されたくねえ

僕は死ぬ時は自分で死にたいんだ

お前らに殺される前に

死んでやる

みんなを置いて

僕がどこにもいなくなって

それでも地球は回ってる

無視されてる

宇宙は無視だ

なんもねえ

ここにはなんもねえ