✢未来のホロコースト(第三次世界大戦)の情景(今日の私の夢)✢Scenes from the future Holocaust (World War III) (my dream of the day) ✢

処刑 第三次世界大戦 夜と霧 ホロコースト 強制収容所 予知夢 絶望 屠殺 地獄 ヴィーガン

✢今日の僕の夢✢



スクリーンショット (880)

(右上の図)恐らく、人々の恐れていた《第三次世界大戦》が起き、人々はNazis(ナチス)同様、強制収容所に投獄され、迅速に大量に処刑される未来が遣ってきた。
ホロコースト(Holocaust)は効率良く行う必要があり、その為には必ず人々を"騙さねばならない"
「あなたがたのすべてを今から処刑する」などと言うものなら大暴動が起きるだろう。
この処刑法はまだ実験段階なのか、処刑されるのは一度で、《5人》の男だ。
それは牢屋のなかで行われる。
5人の男性が檻の中に入っているが、ここで自分が今から処刑されるとわかっているのは(右上の図)向かって右から4番目の男性Aだけだ。
他の4人は、Aだけを処刑すると告げられている。
だから他の4人はAを慰め、大人しくさせる為にただ利用されていると信じている。
しかし今から行われるのはこの5人全員の処刑である。
Aはとても慈悲深く耐え忍ぶ力のある人で、これから処刑されるのに他の者たちの事を心配している。
Aはおもむろに右隣の男性B(図の向かって右から5番目)に向かって言う。
「日本の関東にも大震災が起きましたね…本当に心配です。」
そう、Bは日本人で、異国のこの収容所にいるのだ。
我が母国よりも、Bの国を心配するAに対して、Bは涙を堪えながら応える。
「うゥ…わたしはなんと言ったら良いか…」
それが精一杯である。
Aは慈悲の表情を浮かべ、Bに「きっと大丈夫」という意味で微笑む。
突然、Bは感極まり、Aをぎゅっと抱き締める。
先に言っておくべきだったが、Aは50代前半で、Bは60代半ば程である。
Bは少し小肥りの体型で髭を生やし、博士のような雰囲気だ。
Aは誠実で清潔な面持ちをしている。
二人ともきっと子どもがいて、さぞかし心配だろう。
すると何を想ったのか、BとAが泣きながら抱き締めあっているその身体を離した瞬間、BはAに想い切り口付け(キス)をし、それだけでは飽き足らず、BはAの汗でぐっしょりと濡れたシャツの上から、半分透けているかのような乳首を下から号泣しながらいやらしく舐め上げる。
Aはつい、感じてしまったのか、「あっ…」という、喘ぎ声が出てしまう。
その様子を、他の3人の男たちは少し後ろから見つめながら、黙っている。
二人とも恥ずかし気で、それ以上の展開は起こらず、彼ら二人のお別れの儀式が終ったようで、元の位置に戻ろうとする時、図の向かって右から2番目の男性Cが、ぼそっと言う。
「なかなか大胆なことをするんだな。」
少し顔がにやけている。
向かって右端の男性Dは頷き、納得している様子だ。
その時、ずっと我慢していたものがはち切れたのであろうか、向かって右から3番目の男性Eが真ん中の少し後ろへ下がり、突如、『サタデー・ナイト・フィーバー』風に、派手な踊りを一人でし始める。
かなり楽し気だ。
完全に馬鹿にされているのだということをAとBは感じていたが、二人とも人格者であった為、彼(E)に対し、最早、何も求めなかった。
私は今から一人の男を処刑する事に精神が堪えられなくて崩壊し、ああなったのだろうかと考えながらそのEのダンスを残りの4人と同じように静かに眺めている。
そしてこの後、この《5人》の男性たちの処刑が完全に行われるのである。
通路を挟んで、向かって左側にも牢屋が続いている。
そこにはこの先、処刑される人たちがたくさん閉じ込められている。
幼い子どももいる。
「Dad... mom... where did you go...?(パパ…ママ…どこに行ったの…?)」
彼は泣いている。
この男の子も、いつの日か、処刑されるであろう。
『過去に起きた全ては、未来に繰り返されるからである。』
何故なのか…?と人々は神に向かって問い掛ける。

そう、実は僕はこのような第三次世界大戦の様子の夢を何度も観たことがある。
2012年には、その夢が切っ掛けでヴィーガンになった。
その当時の夢は今日の夢以上に残酷なものであり、人々が跪かされ、次々に斬首刑に合うというのを目の当たりにし、僕は震えあがった。
そしてこれは、未来に起る《予知夢》であるのだと感じたんだ。
その後、僕は屠殺場》の映像を観て、其処にある《生命の堪え難い地獄》と《人類の真の地獄》がまさに繋がっている(密接な因果関係にある)のだと、覚った。













亡者

地獄

お酒ってのはいいね。嫌なことを平気でできちゃう。シリアルキラーと呼ばれた人だって死体の解体には酒がないときつかった人がいたそうだよ。お酒があればなんだってできる。ずっと好きだった人に告白もできる。ずっと嫌いだった人を殺すこともできる。唾を吐いて地獄に堕ちろと言える。とにかく嫌なことをなんだってできる。酒の力があれば。人から馬鹿にされてばかりで実のところ自分が一番自分を馬鹿にしている。辛いだろう生きるのが、もっと苦しむといい、酒があれば生きていけるさ。なにもかも忘れさせてくれる酒がおまえには必要だ。もっと強い酒を、悪い酒を飲んで寿命を縮めるといい。人間の人生はそんなものだよ。大それたことじゃない。おまえがどんなに苦しもうが、それはまだ、まだこの世界では大それたことじゃない。おまえは胸を時めかせて待っているといい。本当の地獄というものを。どのような肉体的苦痛の拷問をも凌ぐ精神の苦痛がおまえにも必ず訪れるだろう。見たこともないほどの醜い物、それがおまえになる。

俺の知らないところで多くの人が俺を馬鹿にしているんだ。

それがどうした、お前の知らないところでおまえがなんで馬鹿にされるんだ。そいつらは自分の鏡を馬鹿にしているだけだ。可笑しいだろう、みんな自分に向かって馬鹿にしては、嘲笑ってるんだよ。この世は自虐ばかり、自虐地獄だ。自分を殺して苦しまない人がいようか、例え憎き自分であろうとも、それは愛には違わない、愛によって苦しまない人はいようか。みんな苦しみたい奴ばかりだ、一人残らず。だから他者を苦しめたがる、それが自分だからだ。自分の至らなさは他者の中にはより見えてくる。何度でも言ってやろう。おまえは自分しか見てはいない。すべての者が自分だけを見ている。何故他者の中に自分にはないものを気づくことができようか。闇を知る者が何故己れの中にない闇を闇と認識でき得る。

自分の中になければ、どうだっていいことだ。だから平気で他者を甚振る。虐げる。殺すんだ。彼等が純粋でなくて、一体何が純粋というのだろう。

幻想を死ぬまで追い求めるがいい。それはどこにも存在しないものだからだ。

真理も神も本当もそれはどこにも存在しないものだからおまえが息絶え朽ち果てるまで乞い求めるがいい。

親の愛を知らぬ亡者のように。

来世、食肉の家畜になっても…?

屠殺 家畜 残酷 食肉 彼らの苦しみ 拷問 地獄 悲劇 食料飢餓 断末魔




この世界がどのような仕組みで、どのような摂理のもとにできているかを私たちは本当のところ、何も知らない。
だからこそ、私が出したこの設問は、非常に恐ろしく、また残酷なものであると実感しています。

何故なら、私たちが今の生を終えた後、どのようなことが待ち受けているか、何もわかるすべを持たないからです。
このおぞましい設問は、ある一つの可能性として、今ここに存在しています。
どのような可能性も否定し得ることはできない世界だからです。

しかし間違いなく言えることは、肉を食べるあなたが来世、食肉家畜になるのならば、間違いなく私も、そして私の大切な家族もなる、ということです。
それは肉を食べていたからです。

肉を食べていた期間、私は彼らの苦しみを無視していました。
そして都合のいいことに、きっとそれほど苦しいものではないのではないかとどこかで思っていました。
一瞬の痛みだけで素早く屠殺されてるのだろうと何の根拠もなく、何も調べずにただ漠然とどこかで思っているだけでした。

前にも一度同じようなことを訊いたことがあります。
「来世は自分が食肉になっても、食べるのか」と。
その人は「それでも食べる」と言いました。
でもその人は見たら食べられなくなるからと、屠殺の映像を見たことがない人でした。

私は、それはおかしいと思いました。
どうして映像さえも見たことがないのに、そんなことが言えるのだろうと。

来世だろうと前世だろうと、自分が食肉家畜の場合、今食べている肉は自分の肉なのではないか?
他者の肉であると言えるのだろうか。

それとも、そんな来世などきっとないだろうと思うのだろうか?
でもそんなことは誰もわからないのである。

拷問に合って死んだ人を知り、あのような拷問はきっと自分の身には起きないだろうと言えるだろうか?
そんなことは言わないとしても、どこかできっと自分は大丈夫だろうと思ってはいないだろうか?
だから酷い事件や災害に合ったとき、人間は「何故私がこんな目に」ということを思ってしまうのではないか。
それは他者には起きても自分にはまあ起きないだろうと何故か思っている証拠だ。

しかしこの世界を見渡せば、まるで終わりのない地獄のように悲劇は必ずどこかで起きている。
NPO法人国連WFP協会HP 
「現在、栄養不良の人々は世界で約7億9500万人います。
すなわち、世界の9人に1人は健康で活動的な暮らしを営むための十分な食糧を得られないのです。」
「数字が語る世界の飢餓」に、「世界では、5秒に1人の子どもが飢えに関連する病気で命を落としています。」


日本人の自殺者は年間三万人弱としても一日に70人近い人が自殺しているという計算になる。
このような世界で「どうして自分がこのような目にあったのだろう」と思うことは、それは無知だろうか?平和ボケだろうか?それは人間に巣食う重篤な伝染病だろうか?

1秒間に 米俵1,000俵に相当する58.4トンの穀物が生産され…
世界の漁港で、カツオ1,850匹分、3,700kgの魚が水揚げされ…
牛3頭、豚7頭、鶏1,100羽分、計6.9トンが食肉として生産されています。


5分でわかる食糧問題

飢餓が原因で1日に4~5万人(1年間に1500万人以上)の人が亡くなっており(FAOより)、そのうち7割以上が子どもたちです。

世界中には食べ物が足りないの?

「飢餓」になるのは、食糧が十分につくられていないからではありません。穀物は年間 24億トン生産されています。これは世界中の人が生きていくのに必要な量のおよそ2倍になります。

24億トン (年間穀物生産量) ÷ 71億人 (世界の人口)
⇒  338kg (1人当たり)
※1人当たり1年間の標準量は  180kg

それでも食べ物の不足している人がいるのは、どうしてでしょうか?

たくさんの穀物はどこへ

1人当たりの食糧供給量を比較すると、日本では必要なカロリーより 31%も多く、ソマリアでは16%不足しています。
私たちのように食べるものがいつでも十分手にはいるのは、世界のおよそ2割の人だけなのです。

穀物は人間が食べるだけではなく、先進国では穀物の 6割(約4億トン)が、ウシ、ブタ、ニワトリなどの家畜のえさになっています。
牛肉1キロ作るために穀物11キロ、豚肉1キロ作るために穀物7キロ、鶏肉1キロ作るために穀物4キロを消費しています。
結果として、世界の 2割足らずの先進国にすむ私たちが世界の穀物の半分以上消費しているのです。



肉を食べるということは、家畜たちだけでなく、飢餓で死んで行く人たちの命をも奪い取ることだという情報は、なかなか広がっては行かない。

肉を食べるということは、来世、自分が食肉の家畜となり地獄のような拷問を受け、首元を掻っ切られて意識あるうちからから解体され死ぬことを覚悟の上で食べていたならば良い、という問題ではないことを言います。

それらはあらゆる地獄のような死の苦しみに関わっていることだからです。
一秒間の数えきれないほどの断末魔を私たちはこの耳で聞くこともできないし、想像することさえあまりに難しいだろう。

だって一秒なんて、ほんとうにあっというまに過ぎるじゃないか。
この1秒間に牛3頭、豚7頭、鶏1,100羽とカツオ1,850匹分、3,700kgの魚の絶叫と5秒に1人の子供の苦痛の心の叫びがどこかで聞こえてる。

これはたった一度だけ、来世で食肉用の家畜の拷問のような苦しみを経験すればチャラになって返せるという犠牲ではない。
一体どれだけの拷問のような犠牲を自分が肉を食べたいがためだけに彼らに払ってこさしたのだろう。
自分はどれだけの犠牲を、同じほどの拷問のような苦しみで以って彼らに返すことができるだろうか?

自分はそのような数えきれない想像することも難しいほどの苦痛を観て見ぬふりしてきた。
これからは自分のこの体で彼らに返す番だと思っている。
それは来世家畜となって自分の死体を彼らに美味しく食べてもらうという地獄の連鎖の返し方より、同じほどの苦痛でもっといい方法で返すことはできないのだろうかと考える。

しかし彼らが死体を食べ続ける苦痛を味わいたいなら、どうしてそれを自分が断ることができるだろう。
断る方法も選択も、私にはない。

屠殺の映像をまだ観てないで、来世は食肉の家畜になってでも食べると誓った君は、映像を観ないよりは、観たほうがいいと私は想う。

屠殺場の現場を隠し撮りした「アースリングス」というドキュメンタリー映画の屠殺の場面だけでも、もし観る気になったなら是非ご覧になってください。




そしてこの映像に耐えられた君は、これをはるかに超えるおぞましく恐ろしい映像を良かったらほんの少しでも観てみてほしい。
レンダリングプラントという、動物性脂肪精製工場の巨大攪拌機の機械に入れられる牛や馬の映像です。
「レンダリング・プラント」(動物性脂肪精製工場)って知っていますか?
食用にできない部分をそのままミンチにできる機械ですが、ここには死んだ牛や馬が丸まま放り込まれることもあります。
そして映像で見る限り、動いているように見える子もいました。
瀕死の状態であるのかもしれませんが、観るに堪えない映像です。
観ようと思う君は、トラウマになる覚悟で観てください。
閲覧厳重注意の動画です。
無理をして観るのは大変危険です。それはやめてください。




家畜たちは、牛も豚も鶏もみな、殺して屠る前に首元を掻っ切って、血を抜きます。
死んでからでは上手く血が抜けず生臭くてまずくなるからです。
牛や豚はその前に意識を失わせるノッキングガンという額に撃って頭蓋骨に直径一センチほどの穴を開ける方法や、電気ショック法や二酸化炭素で気を失わせるという方法などが使われているようです。
しかし一番手っ取り早い方法だからと言ってそれらを行わずに鶏と同じように豚も喉元を切り裂いてそのまま次の段階へと運ぶところもあります。

『いのちの食べかた』 森達也 (理論社)

体をあらわれた牛は、一頭がやっと通れるだけの幅の通路に追い込まれ、先頭の牛から順番にノッキングを受ける。
 この光景は、まるで一頭ずつ、押し当てられたピストルを額で打ち抜かれているように見えるが、額に当てられた銃口から出るのは弾丸ではなく、「ノッキングペン」と呼ばれる細い針だ。
 銃口から飛び出す針の長さは3センチほど。眉間を撃たれると同時に脳震盪を起こした牛は硬直し、つぎの瞬間、通路の側面の鉄板が開かれ、段差にすれば1.5mほど下の床まで、牛は四肢をこわばらせたまま傾斜を滑り落ちる。
 この時点で、眉間を撃たれた牛は、すでに意識を失っているといわれている。
 牛が、斜面を滑り落ちてくると同時に、待ち構えていた数人の男たちが牛を取り囲む。頭に回った一人が、眉間に開けられた穴から金属製のワイヤーを素早く差し込む。
 1mほどの長さのワイヤーが、あっというまに牛の身体に吸い込まれて見えなくなる。
 差し込まれたワイヤーは脊髄を破壊する。つまり全身が麻痺するわけだ。
 牛によってはこの瞬間に、片足を痙攣させるなどの反応を示す場合もあるが、ほとんどの場合は無反応だ。
 このとき、ほぼ同じタイミングでもう一人が、首の下をナイフでざっくりと切る。
 切断された頸動脈から大量に血がほとばしる。
 天上の取り付けられたトロリーコンベア(吊り下げ式のベルトコンベアと考えればよい)から下がる鎖に片足をひっかけて、牛は逆さまに吊りあげられる。(p.51-53)


このような方法で意識のないうちに素早く解体していくと言われていますが、隠し撮りの映像では明らかに逆さに釣り上げられているときに悲痛な鳴き声で鳴いている子も多くいました。
しかしそのような子も皆と同じように意識を持った状態のままで解体されていきます。

大量生産で素早く作業しなくてはいけないので、そのように意識のある状態でも豚は熱湯に入れられる子がたくさんいます。
鶏は吊るされて流れるコンベアベルトの機械の隙間に挟まってもそのままにされ身体の千切れるような痛みにも耐えねばなりません。


家畜たちの苦しみ、飢餓で死んで行く人たちの苦しみ、その短くはない地獄のような時間。
どうしてもっと早く彼らの痛みに向き合って肉食を断てなかったか。
それが私の一番の後悔の苦しみとして、それはずっと死ぬまで消えることはないと思います。

この世界

屠殺 地獄 死ぬまで地獄

俺は別に誰かのために傷つこうと思って傷ついてるわけじゃないよ。
傷つこうと思って傷ついてるんじゃなく、ただたんに苦しんでる誰かを見て自分は苦しいだけだよ。
俺が苦しいのも誰かが苦しいのも俺は別に好きじゃないから、そんな自分に酔ってるとは僕は思わないな。
酔うってのは気持ちいことだと僕は思うし、俺は精神的な苦しみには人は酔うことができると思うが、俺の言う地獄って結構肉体的な苦痛に最近寄ってるんだよね。
他者の肉体的苦痛を思って苦しいのは精神的苦痛でもあるけど同時に肉体的苦痛でもある。
俺は毎日自分の特になんでかわからないが足首が切断される苦痛に苦しめられる、のは屠殺場の映像を見てからなんだけどね。または自分の体が生きたまま機械でミンチにされていくイメージをしてしまう。
君は自分の足首が毎日切断されるイメージの中でその苦しみに酔えるか一度試してみてほしい。
俺は無理だな。毎日のことだけど。
鋭利な刃物で一気に自分の足首が切断されて切り落とされるところをいつも想像しながら足首を風呂で洗いながら酔えるなら君は変態だが、俺はそこまで変態じゃないみたいだ。
俺はただこの世界が公平でないと気がすまないんだよ。
だからすべての存在が同じ苦しみを経験して、同じ喜びを経験するような世界だと信じたいと思ってる。
つまりそれは恐ろしいことこの上ないが、君が肉を食う人であれ、食わない人であれ、牛や豚や鶏たちの苦痛を君自身がいつか経験するという世界ってことだよ。
想像しただけで縮み上がらないか。
でも実際この世界はどういう世界か誰も知らないんだ。
知らない以上、そういう世界かもしれないってことなんだ。
すべてが公平な世界とはそういう世界じゃないかと僕は思ったんだ。
誰かが誰より苦しんでるのは不公平だ。
誰かが誰かより喜んでるのは不公平だ。
いつか必ず誰もが同じ苦しみと喜びを知るならそれは公平だ。
俺はどうしてもみんなが幸せになってほしい。
不公平の中に幸せがあると感じられない。
あの子は僕より苦しんでるけど、僕ら全員幸せなんてありえない。
みんな同じ苦しみを経験するしかないんじゃないのか。
そう思ったら、もう酔うとかの次元ではなくなってくる。
死ぬまで地獄なんだ、みんなが幸福になるために。
僕はおかしいことを言ってると思う?
だとしたら君はこの世界はどうあればいいのか僕に教えてほしい。

悪神の子

小説 地獄

すぐに自棄になって人との縁をぶっちぶち切っていく人格障害者と付き合うのはしんどいよね。
骨が折れるでしょう、僕も同じ気持ちになるもん、僕と似た人と知り合うと。
しんどくって無理だって思うもんね、痛くてしょうがないよね。
そうだよボクも歴とした人格障害者です。
ネット間で忌み嫌われ続けるボダです。この年になってもね。まだ糞元気なボダです。
その上欝も酷くてまともに働くことができません。
もう5年以上働いてません。家にずっと引篭もって暮らしてます。
5年ほど生活保護受給者です。
この世界ではどうしてだかわからないのですが自立して一人前に生きないとまともな生き方とは言ってもらえないみたいですね。
ずっと黙ってましたが、僕は最近もある知らない人から一人前の自立した人間になってくださいと言われたので自棄を起こしてしまって、衝動的な行動に走ってしまいました。
毎日決まった時間に出勤する仕事ができなければ好きな時間と好きな日に仕事ができる風俗業も男性に奉仕するのが大嫌いな僕は到底できそうにありません。
僕と言う人間がかろうじて、自立できるかもしれない方法、それは子供を持つということでした。
ですので、あれから数々の出会い系で知り合った知らない男を家に呼んでは何度も寝ました。
子供を作るためにです。相手は誰でも良かった。
この年でも結構男はわんさか寄ってくるものです。
生でしかも中に出してくださいと募集したからでしょうか。
とにかく種欲しさに一日に3人の男と寝たりもしました。
自分がますます汚れていくことは喜びでもありましたが苦しみでもありました。
そういった毎日を繰り返して、ふと先月の生理が来ていないことに気付き早速ネットで妊娠検査薬を買いました。
結果は陽性でした。
このボクが妊娠したのです。
なんと嬉しいことでしょうか。
僕は喜びのあまり散らかってゴミ屋敷だった部屋を一日中掃除して片付けました。
気力が漲ってしかたなかったのです。
次の日にはアルバイト情報誌をコンビニでもらってきて片っ端からできそうなバイトやパートに電話をかけ、面接に行きまくりました。
そして最初に面接に行った近所のうどん屋さんでパートが決まりました。
父親が誰かはまったくわかりませんでした。
よく女がイくときに子宮口が開き、受精しやすくなると聞きます。
でも私はこれまでイったことすらなければ、セックスで感じることすら皆無だったのです。
セックスで気持ちがいいという性的快楽を覚えたことが今まで一度もありません。
その上、私の子宮は双角子宮という子宮奇形であり、その子宮の人は不妊や流産の可能性が高くなるとも言われています。
そのボクが妊娠したのです。
僕は早速うどん屋に働きに行きました。
世界の景色は変わって見えたのです。
よくわからないのですが、一人一人がすべてそこに存在してるだけで美しいと思えるようになりました。
誰が父親でも本当に構いませんでした。
だからどんなおっさんとも私は寝たのです。
そして奇跡的に妊娠したのです。
我慢して色んな人と寝た甲斐がありました。
私はこれで自立できると思いました。
もう自立してくれとあんなつらいことを誰にも言われなくて済むのです。
可愛い可愛い僕の赤ん坊に早く会いたいと思いました。
ボクを自立させてくれるこの存在に感謝しようと思いました。
思ったので、実際感謝しました毎日毎日。
おなかのふくらみをさすって早く生まれておいでと何度も呼びかけました。
そうして一日中早く会いたい早く会いたいと思い続けたからでしょうか。
まだ全然産む月になってないのに朝起きたら早産していました。
パンツを履いてなかったので、そいつはごろんと私が蹴ったのでしょうか、足元のところらへんにいました。
子犬ほどの大きさでした。
臍の緒で繋がれた血だらけのそれが布団の上で黙って蠢いていました。
私はぎょえーっと大声で叫んで失神しそうでした。
立ち上がると股の間から大量の血や胎盤がぼとぼとと落ちてひいいいいいいぃっっっと思いました。
でもいつまでも驚いていられないので素早くその赤ん坊を抱き上げるとお風呂に湯を溜めて臍の緒で繋がったままじゃぶじゃぶ洗いました。
で、湯船に一緒に浸かりました。
そいちゅは「あぷわぷわぷわぁ」とわけのわからないことを言っていまちた。
こいちゅ頭おかしいんとちゃうかと思って一発殴りまちたが、それでもそいちゅは何が嬉ちいのか気持ち悪い笑顔で「あぷわぷわぷわわぁ」と言い続けていまちた。
こいちゅ、ほんま、アホや、ああ可愛い可愛いなあと言って毎日一緒にお風呂に入りました。
で、そいちゅは小さいくせに元気なんだけども夜泣きが激しかったのです。
ここは隣の人の小便の音が聞こえるほど壁が薄い、そんな部屋で夜泣き、これは迷惑で苦情が来てしまいます。
なのでしかたなく、泣き出したらそいちゅの口にガムテープを張りました。
何度か、鼻水が溜まってか、死にかけましたが、なんとか大丈夫なようでした。
そうしてガムテープを思いっきり外してお風呂に浸かるとまた「あぷわぷわぷわぁ」とご機嫌に喋ってるので、ほんまけったいなやっちゃ、と思いました。
ボクの世界は薔薇色だった。
そういや、そいちゅは、男の子でちた。
小さなちんちんが立派に生えていた。
可愛くてしょうがないので、ボクは思った。
こいちゅさえおったら、もうほかになんもいらん。
こいちゅとボク以外、全員どん底に落ちても構わない。
勝手にどん底に落ちればいいんじゃないか?
ボクとこいちゅだけ幸せだったらそれでもういい。
それだけでいいよ、この世界。
ボクとこいちゅだけ幸せであればいい世界だ、この世界は。
ははは、他のやつら全員死んでも別にいいですよ。
俺とこいちゅだけが生きれるならね。
ふふふ、こいちゅがおれば俺は天国、他のやつらは皆地獄に落ちればいい。
ほほほ、だってこいちゅがいたらボクはそれでええもん。
あとの全員死ねばええねん。
なーこいちゅ、と毎日そいちゅに話しかけていた。
いつも、こいつ、こいつ、と思ってたので、名前は鯉津という名前にした。
でも、つい、こいちゅ、と呼んでしまう。
腹立ったときはいつもぶん殴ってたけど、こいちゅは風呂が大好きなようで、風呂に入れたらご機嫌となって「あぷわわわん、あぷわぷわわわん」などと言うから可愛いてしゃあない。
もちろん母乳を乳から与えてましたよ?出ない日は仕方なく粉ミルクでしたけども。
で、乳をいっぱい与えるんやけど、なんでかでっかくなっていかないんだよな。
なんでなんやろな、ずっと子犬サイズで元気なんだけども。
俺はだんだん不安になってった。
得体の知れないものと一緒に暮らしてるみたいな気持ちになってきた。
風呂に入れると相変わらず鯉津は「あぷりゃーしゃあぷらーしゃ」とまたわけのわからん言葉を吐いては楽しんでいる。
俺はそれを眺め眺め、怖くなってきた。
しかもそいつは、いつまで経っても赤い身体で、まさに赤ちゃんなのである。
気味が悪くなってきだした俺は、鯉津、捨てよかな、と思った。
だってこんなんおかしい、どう考えても。
子犬の大きさで生まれて人工的な何も必要とせず元気なんもおかしいし、何度風呂入っても「あ」と「ぷ」の入った言語しか喋らないのもおかしいし、ずっと赤いままなんて、悪魔の子か、もしかして、こいつ、悪魔の子なんちゃうか。
私は身震いをした、そいつを抱いて風呂に入り乳を与えながら。
誰が悪魔だったのかとボクは思い出してみた。
悪魔らしきやつ、一人、おったわ、そういや。
何かこう、ミステリアスな感じで、何考えてんのかわからん変な奴やった。
哲学なんかなんか知らんけどさっぱり意味不明な難しいことばかりずっと一人でしゃべってるようなやつやった。
あいつだ、きっと。
あいつ悪魔だったんだ。
あいつの子か、鯉津。
くっそーくっそーくっそーと俺は三回思った。
まんまと悪魔の子供を孕まされたわけである。
俺としたことが、悪魔に気付かなかった。
何故なら誰でもええと思ってた俺だからであった。
自棄な思いからやったことやんけ、しゃあないんちゃうんけ。
そう思っても、くっそーうと言う悔しさが離れなかった。
悪魔の子とわかれば、こうしてられない、捨てに行こう。
ボクはそいつを捨てに行った。
どこに捨てるのがええか。
どこに捨てても、わからんやろう、俺の子だとは。
だって顔だって今見たらどこが似てるんや、蛙と鴨と鰯と麒麟と蝿とドルフィンとミミズと蛇と鹿と牛と豚と鶏をステゴザウルスで割ったみたいな顔やんか。
俺の血どこに引いてんねん。
人間も猿も入ってへんやん。
あ、でもそういやあの悪魔もどこか蛙と鴨と鰯と麒麟と蝿とドルフィンとミミズと蛇と鹿と牛と豚と鶏をステゴザウルスで割ったみたいな顔やったかもな。
恐ろしいことだな、マジ。
これはもう捨てるしかないだろう。
どう見たって悪魔の子なんだから。
ずっとこのまま一緒におったら俺がどうにかされるに違いない。
捨てるに限る、こんな子は。
ボクはその赤い赤い赤ん坊を捨てる場所を夜中の丑三つ時に探した。
口にはガムテープを張って抱っこしてうろうろと歩いて探した。
赤ん坊の体温はおかしいほど高い、それを感じて可哀相にもなったが。
生かしちゃ俺がやばいだろうから、そうだ、こいちゅはもう、殺したほうがええわけか。
捨てる場所ではなく、殺す場所、そしてこいつを埋める場所を俺は探した。
何を思ったか俺は、近くの神社で殺そうと思った。
そしてそこにある大木、神木の下に埋めようと決めた。
何故かはわからない。でも俺は悪魔が恐ろしくて悪魔の力をここでなら封じてくれるんじゃないかとどこかで思ったからだ。
ゆうたら悪神の子なわけですから?それが死んでその力が消えるとも思い難い、その力を封じるにはどうしても別の、神の力が必要だと思った。
そうと決まれば私は神社の社の前に赤子を置き、金は持ってこなかったので賽銭は無しで鈴を振って手を叩き、どうかこの子を永遠に封じてください、と願を懸けた。
そして一瞬気は引いたが、鯉津の鼻を思い切り抓まんで窒息死させた。
あっけなく鯉津は死んだ。
そしてその側にある推定二千年ほどの御神木ビャクシンの異様な形の木の根元を適当な木が他になかったのでしかたなく御神木の枝を折って、それで掘って死んでまだ温かい鯉津を埋めた。
で、もっかい帰りしなに、どうか赦してください、と願を起こして私は家に帰った。
家に帰って変に汗をかいていて体中がねたねただったので非常に疲れきっていたが風呂に入ろうと思った。
湯船にゆったりと浸かっていた。
すると涙が引っ切り無しに零れてくるのである。
悪魔の子ではあっても可愛い我が子に違いなかったはずである。
それを一時の恐れと覚えた気色悪さから我が子を殺してしまった。
さっき殺したばっかりなのに、今となって鯉津の可愛いあの顔が愛おしくてしょうがなく思えてくるのである。
あの時は確かに気持ち悪くて仕方ない顔に思えたはずだ。
だから私は殺したんだ。
それがなんで、なんで、殺した後には可愛い顔に思えてくるのか。
悪魔の子ではあってもずっと可愛いと思えてたら殺すことも無かったはずだ。
何で今になって、今になって、鯉津を殺したことを後悔するのか。
さっき殺したばかりだった、ほんのさっき。
さっき殺したはずだ、さっき、あの、あの女を。
鯉津は成人した立派な体を起こして湯船から上がると身体を拭いて布団に横たわった。
人間の顔をした鯉津はスマートフォンで新しい母親を探し始めた。


















超短編映画 「ワニとウサギ」

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だから君がワニの着ぐるみ来て、はい、そこ土手の下前はどぶ川流れてる、その向こう見るようでもない目で、一言、ぼそりと言う、はい。
「俺、わからんねん、だから、俺、わからんめん」
ハーィハイハイハイハイーカットカットー、わからんめん、てなんや、ちゃんとゆうて、はいもっかーい、あとウサギの頭もうちょい深めにかぶってー、はいヨーイ、ッ。

「俺わからんねん」
「そんなことゆうたかて僕もわからへん、僕にいい考えがある」
「どっちやねん」
「ハーハー、この自転車に乗ろうよ」
「乗れんの?それ、川にはまってたからサビサビやん」
「うん、あっ、思ったより乗れる、漕げるわ、ちょっとどこ行くゥ?」
「そやなぁ、あ、俺ちょっとトイレットペーパーが切れてるから」
カーットカットカットォー、こらぁっ、そこ素ゥなってるー、ちゃぁんとセリフ言ってよー、素ゥ出さないー。
あ、すんません。
「そやなぁ、行きたいところとくにないけれども、ちょっと後ろに乗ろうかな」
「あ、そう?僕ほんじゃ前にのさせてもらいまして、じゃあ漕ぐよー」
「うんー」

ここで音楽入れる、と、なんの曲が合うかなー緑のワニとフラッシュピンクのウサギがチャリを二人乗りする一番とも言えるシーンや、一番大切なシーン、目玉シーンやな、やっぱここはこの曲しかないなぁ・・・。 


 Ian Brown - F.E.A.R. (UNKLE remix)


で、音楽が終わりましたー、ここで突然ワニが後ろから大声でウサギに問いかける。
「ちょっと・・・・トイレしたくなってきた、って俺の代りに監督にゆうてくれへン?」
コラコラー、なにをボソボソゆうてんのーセリフにないとこアドリブ入れないーゆうてるでしょー。
へっ、監督ゥ、すんませーん。ハイ、ソコデ大声で言うシーン、ハイヨーイッ。

「あのさーッ、クロコダイル持ってへんー?」
「あー持ってないなぁ、今はボクゥ」
「マジかー、ちょっと俺ヤバイわぁー、どうしよー」
「マジでマジで?どうするぅ?シンナーならあるけど」
「俺シンナーは好きちゃうねーん」
「あっ、ほんまにぃ、困ったなぁー」
あーちゃうちゃうー、そこはちっとも困ってないように見える顔でゆうんだよー馬鹿やろーモッカーイ。
はい、監督・・・・。
「あー、ほんまかー困ったなー」
「なんでもええから錠剤系とかないー?」
「ないなー」
「ないかぁ・・・」

二人はポンコツチャリを乗り捨てて、とぼとぼ歩いていく。
切符を買って各駅停車に乗る。あてもなく・・・。
まばらな乗客。ワニは座って誰に言うでもなくつぶやく。
「たいやき喰いたい・・・」
「マジで?僕持ってるよ、たいやき」
「うッひゃっひゃっひゃっひゃっひゃー、マジかよーすげーじゃん、喰おうぜー」
「うん、喰おー^ω^」
ムッシャムッシャムッシャ、ってちょったんまーマジで美味そうに喰ってどないすんのよ、そこはあくまでこんなんで慰みにもナりゃ死ねェって感じで喰ってくんにゃきゃさぁー。
へっ。。。監督、わーりました。
で、ここは第二の名シーンになる想定だから、ここいっとくかーカぁーこの曲をドンと。



で、深刻さ極まりない感じで二人は電車を降りる。
駅のトイレットに入り連れションをする。
そこ、お二人本当にすっきりしたようなさわやかな顔しないで?怒るよ?監督もう怒っちゃうよ?
スイーヤセン。
ペコリ。
あくまでけだるさマックスを強調、で、ハイ便器の上に書かれた落書きの字を追う、ワニ、ウサギに自分の陰茎一瞬見てから言う。
「ぉ、なんだこれ、クロコダイルぽっきり千円でシホウダイ、詳しくは℡してちょ、09094594594」
「苦地獄地獄死か・・・・」
「どうする」
「どうする?」
「おもしろそうだから掛けてみよう」
「そうしよう」
アッ、イタ、イタタタタタ、すんませーん、監督、ちょっちんこがチャックんとこに引っ掛かっちゃって・・・。
なァにをやっとるんだー君はー、早くしまえー。
ハイッ、しまいます・・・。
で、はい、ワニは自分の携帯をどこからともなく取り出して素早く番号を押す。
はい、繋がったー、相手と交渉。ウサギは静かにそれを見守る、カメラ下がって二人を後姿をちょっと上から覗くように入る。で、ここで次のミュージックスターァッゥ♪



ちょ、チャルメラのおっさん止めてきて、君、真剣なシーン撮影してるから鳴らさないでって言ってきて。
はいっ、監督っ。

「うん、ワニ公園の公衆トイレで待ってたらいいんですね?はい、わかりやしたー。ガチャンツーツー、よっしゃー手に入りそうー」
「よかったねワニ君、僕も一度やってみようかなぁ」
「うんうんやってみなよー、一緒に飛ぼうぜィー」

二人はワニ公園におもむく、ワニはワニの乗り物へ、ウサギはウサギの乗り物にまたがる。
ばねを揺らして二人は子供のように揺れてはしゃいでいる。
ここでワニの追憶シーン。
ワニは小さい頃、お母さんワニに頭をがぶられて8針縫ったトラウマになった記憶を思い出した。
でもワニはお母さ大好きだったにも関わらず、ワニを捨てて行方不明となったお母さん。
ワニは、ふとワニの乗り物にしがみつくように抱きすくめる。
ウサギはなんて声をかけていいかわからず、自動販売機にビールを2本買いに行く。
アサヒドライかエビスかどっちにしようか迷っているウサギ、15分悩んで結局ワニと半分ずつ飲もうと思い、アサヒドライとエビスを一本ずつ買って、ワニのところに戻る。
ワニがいない。便所でも行ってるのかと思い一人でエビスを開けて飲む。プシュュ。
街頭に照らされたウサギの乗り物に乗ってる自分の影を見下ろして、交尾してるみたいだなぁ、と思いトラウマが蘇り、ワニの乗り物に移動する。
おもむろにシンナーを取り出し、吸うウサギ。 

 Lamb - Heaven


一時間くらい待ってもワニが帰ってこない。
やれやれ、便所で寝ちまったか、あいつ、我に帰ってウサギは便所の一戸だけ半開きになってるドアを開けて中を見た。
ワニはクロコダイル売人に切り裂かれたのだろう、死んでいた。
ウサギはグチャグチャになった顔のワニにそっとキスをして、持っていたクロコダイルを自分の左腕に打った。
外で虫が涼しげに鳴いていた。



END



エンドロール流れ出す。 



 Danger Mouse & Daniele Luppi - Season's Trees (feat. Norah Jones)






荒れ果てた罪 

悪夢 第三次世界大戦 夜と霧 ホロコースト 強制収容所 斬首刑 絶望 屠殺 地獄 ヴィーガン

まったくもって、恐ろしい夢を見た。

かなり大きくて広い家に住んでいる。
洋館であった。
何人かで一緒に住んでいる、中でも仲の良いと思われる二人は、中学生時の友だち、そして何故か芥川賞作家の円城塔氏であったが、まあ顔が似てるだけで別人かもしれない。
いろいろわけがあってここに暮らしているという風であったが、ある日、それは突如起こる。
私はドアを開けて外に出ようと思ったら、ドアの外に誰かいる気配がする。
気持ち悪い、誰だろう。
私は覗き穴から外を窺う。
すると明らかに怪しい人物がこちらを見ている。
よく銀行強盗をする人たちがこぞって気に入り被る帽子、あれは目出し帽というのだが、あれをかぶっているのであるが、その色が真っ赤な目出し帽であって、気持ちが悪い人物である。
それではあまりに目立ち過ぎるのである。
その男はこのドアを何かで破壊せしめて室内に入り込むのが目的という感じで何かを操作している、銃のようなものか、それとも爆発物を取り付けているのか。
私はどくどくと打つ鼓動の中で一瞬にして思い浮かんだことを実践する。
私は震える声でドアの向こう側にいる男に向かって叫んだ。
「警察を呼びました!」何故敬語なのかと自分で思いながらも何度も叫ぶ。
すると表の男はそれに驚いて応える。
「本当か、本当に呼んだのか、クソっ」とか言いながら慌ててならば仕方ないという風にその場を去る。
しかし男は一度は去ったが必ずまたやってくる、それも極短い時間の間にだ。
その時私たちの命はないだろう、それを確信していた、のは、そう、これはその時がやって来てしまったからであり、いつ来るか、来るか、と怯えていた時が起き始めた、そう私は恐怖に慄き、青褪めた顔で部屋にいるであろう仲間にそれを知らせた。
彼女はそれを知り、震えながらも冷静に、しかし信じられないという顔で即ここを逃げ出す準備に取り掛かった。
私はもう一人の仲間にもそれを知らせた。
彼は妻と子と離れここで暮らしている男だったが、彼は仲間である私たちよりも当然妻と子の身を真っ先に案じ慌てて準備をし出した。
普通、そういう事態なら警察に連絡すれば良いがしかし、それは無駄なことであった。
私が先程確かに警察を呼んだと言えば男は逃げた、しかし彼らは警察の一部と繋がっている組織であり、彼が逃げた後にそれがわかったので、今はもう誰の助けも呼ぶことさえできないのである。
それがどのような事態であるか、あなたはもうおわかりであろう。
ついに現代の日本に、前代未聞の恐ろしい戦争が起きたのである。
それをこの目で実際見たのは、その数分後である。
穏やかな、しかし寂しげでもある農園の中にこの洋館は建っていて、緊迫しながら私は窓の外を見た。
枯れた田畑が広がっていて、その奥にはビニールハウス式の小屋も建っているようなのどかな冬の風景である。
しかしその光景はいつも私たちが見ていたものではなかった。
私の目が見たものは、確かに現実であった。
あなたは夜と霧というナチスによる強制収容所で行われていたことのドキュメンタリィ映画を見たことがあるだろうか。
ちょうどあれがこの現実に起きた実際のことであるのと同じに、その私の目の前の光景もまた現実であった。
その広い風景の中の何箇所かでそれは行われていただろう。
私が見たのはその一つであって、私は最初奇妙な感覚でそれを見ていた。
何故奇妙な感覚だったのか、それは今の日本にこのようなことが本当に起きるとは思えないという気持から、私は奇妙な物事を私は見ているという感覚に落ちながらその一部始終を見ていた。
彼らは、次から次へと並ばされていた、皆は白装束を着せられ並ばされてそして座らされる、膝をついて手は後ろで縛られそして顔は、顔も白い袋を被らされており異様で気味の悪い格好をさせられて順番に座らされている、彼らは皆おとなしい、何が今から始まるのかまったくわかっていないのだろう、彼らはとても従順である。
彼らを並ばせてそして座らせる男たちも数人彼らの後ろに立っていて、それまで私も静かな気持でなんだろうと思って見ている中、一番前に座らされ前屈みになるように男は押さえられている、その左に立っていた男が突然長い柄の鎌を男の頭の部分に振り下ろした。
瞬間に男の首からこれが飛んで頭が落ちて座らされていた男には頭がなかった。
見ていた私の体は震え上がった。はい、次、はい、次、という形で何か黙々と行う流れ作業のような事務的な仕事のよう(システマティック)に、次に並ばされていた男の頭が次には切り落とされるのである。
次、その次の何番目かの人間は私ではないのか、そう思った私は絶望して、部屋中探して見つけた彼女に震える声で「あ、あ、あ、頭、頭がき、切り落とされてた・・・・」と言って、こうしちゃいられない、一刻を争う、私もここを出る準備に取り掛かりだす、しかしそれより先に兄と姉たちに連絡をしてこれを知らせて早く安全な場所へ避難してほしい、そう思うが気が焦りすぎてテンパり過ぎてもう自分で何をやっているのかわからない、部屋をうろうろうろうろして、そしてはっと部屋中見回すと、彼女も彼もいてない、シーンと静まった広い屋敷に私は一人残されていたのであった。
つまり仲間と思っていた彼も彼女も私に一言も告げることはなく我先よとこの屋敷から避難したのである。
ものすごい恐怖であった、一緒に避難できると思っていたのであったから少しは心強かったのが、この絶望と恐怖で恐ろしい世と一変した地に私一人残されたのである。
しかしそうやっていつまでも絶望したまま突っ立っていられない、私は逃げられうる場所を探し出した、まず頭を打ち落としていた場所の方角からは逃げられない、ドアのところからも無理である、私は今にも恐ろしい組織の男たちに窓から侵入されて殺されるのではないか、覗いた窓にはもうそこに男たちが鎌を持って居るのではないかと戦慄しながら赤茶色のカーテンをそっと引いて外を見たら黒い柵の中は長い雑草たちでよく見えない、向こうの方に抜けられる道が覗いている、ここだ!ここからなら見つからず逃げられるかもしれない!そう思い立った私はばたばたばたと階段を駆け上がり、今自分が何故だかズボンを履いておらずレッグウォーマーとパンツ姿であったので、いくらなんでもこの姿で外に行きたくないと二階の洋服ダンスから自分のジーンズを急いでハンガーから外しながら、ボタンをつけていてなかなかすぐに外れてくれない、こんなことなら丁寧にボタンをかけてハンガーに吊るすんじゃなかったと心底後悔した。
そしてその次には私の愛する家族のみちた君である、みちたはもうすでにキャリィバッグに入っていた、そして大切なもの、かばんにいくらかもう詰め込んである、その鞄がやけに重たい、要らないもの、いらないものと焦る手で探す、大切にしていた、CD、本、それらをすべて鞄から出した、こんなもんより命が一番大事や、そう思いながらすべて出して、こんなことしている間に殺されるのではないかと恐れ、みちたの餌も詰めて、ああでも水が、水がないわ・・・・と思いながら、もう出る!はよ出ないかん!と私はもうつんのめりながら足がからまりながら、うわあーと走ってさっきの安全だと踏んでおいた窓から身を乗り出して屋敷を出た。

そして、世界は広かった、外の世界は、眩しかった、この方角の後ろでは人が無残に物のように殺されていってるのに、こっちの方角はなんて平和なように見えるのか、まだこっちの人たちは知らないのだろうか、とにかく私は私の目に映った良いと見える方へ走った。
街路樹が光ったように見える公園のような場所がある道に向かって私は走ったのである。
何も知らない場所、行き交う何も知らない人たち、美しく見えた、私には、普段はそんな風に見えることはなかったはずである。
何も知らずにのほほんと暮らす人々と場所は穢れて見えたのではありませんか、しかし絶望な場所から脱出できた私にはそれはそれは美しい景色に見えた。
助かる、助かる、殺されずにすむのだ、私は、私は、私は、殺されたくない。
神よ。
神よ。
神よ!

殺されて行く人たちと私は何が違うのか。
彼らは、殺され続けている。







追記:わたしはまさしく、この夢を切っ掛けに、屠殺場の映像を観て、
其処に存在する《地獄》と人類の《地獄》が
完全に繋がっているのだということを覚り、
後にヴィーガン(vegan)となる。















Amen

処刑 ホロコースト 強制収容所 ガス室 絶望 地獄 神父 クリスチャン



原題「AMEN」という映画を観ました(アーメンの意味は、まさに然り、その通り、真であるように、等)
邦題は「ホロコースト アドルフ・ヒトラーの洗礼」です(←内容と合ってない変な邦題です)


ナチス親衛隊の中尉、クルト・ゲルシュタインはポーランドの強制収容所でユダヤ人たちが
毒ガスで処刑されているのを覗き窓から見せられ
ショックを受けた彼はどうにかそれを阻止する為、ベルリンにあるカトリック教会の司教に告発し
他の国に知らせるように言います
しかし、司教は聞き入れません
が、それを知った若い修道士リカルドがそれを見逃さず熱心に話を受け止め、リカルドも
ローマ法王に虐殺の真実を伝え、どうにか虐殺を止めようと二人は必死に行動しますが、
教皇は中立に立場を起き、沈黙します

英題「Der stellvertreter」は舞台劇「の代理人」から取っていて
ゲルシュタイン中尉はのスパイとして親衛隊に入り、後に彼の残した証拠で
ホロコーストの虐殺が証明された実在人物だそうです

ゲルシュタイン役のウルリッヒ・トゥクールは知りませんが、
リカルド役のマチュー・カソヴィッツは「アメリ」でアメリが恋する青年役の人で好きな俳優です
どこまでもしたたかな悪を突っ切る親衛隊准将役のウルリッヒ・ミューエという俳優が、
なんだか気に入ったのですが、2007年に亡くなっていると知り哀しいです


終わり近くまで話がほんとに淡々とただ流れるのですが
(収容所側の残虐なシーンはほとんどありません)
終わり間際、吃驚する哀しい展開が起こります

読んでもいい方は続きをどうぞ…























神父リカルドが何もことを起こさない教皇らに絶望
ユダヤ人がつけられていた黄色の星型紋様を自ら胸につけ
強制収容所へとゆくのです、その展開が起こるシーンはとてもいいです
自分の命を投げ打ってでもゲルシュタインもリカルドもその正義を全うする以外
生き続けることなどできない人間なのでしょう

そして収容所に着いたリカルドは神父だから役に立つようにと火葬場での労働を強制させられます
最も過酷なその労働を続けるリカルドの元に偽装した書類を彼を助けるために
作り逢いに来たゲルシュタインに、怯えて言葉もすぐに出せないほど憔悴しきっているリカルドが
とても哀しい顔でこう言います

「我が子が焼き尽くされてもは無言だ
その御心を知りたい」

ああ…と泣きたい気持ちになった、イエスでさえあまりの苦しさにに問うたあの場面が浮かんだ
「神は私を見捨てたのですか?」
それはずっと愛され続けた親に見捨てられたと感じた子供の悲しみと同じなのだ

それでもリカルドはそんな中、神を信じて死んでいったのだろうと思った
そんな人たちが同じ思いでたくさん収容所で死んでいったことを思うと
一番苦しい時にこそ宗教が必要であり、宗教がなければ争いが減るという考えは違うと思う

世の中のあまりに酷い残酷さを目の当たりにした時に、人は神を信じる以外どうにもできない


十字架とナチスの象徴である鉤十字が合わさったポスターは映画ともに大きな論議を起こしたそうです
実際何もことも起さなかった法王もヒトラーとあまり変わらない悪であるようにも思えます
バチカン(カトリック教会の総本山)の暗部はただの賄賂を受け取る政治家のような感じ