✢未来のホロコースト(第三次世界大戦)の情景(今日の私の夢)✢Scenes from the future Holocaust (World War III) (my dream of the day) ✢

処刑 第三次世界大戦 夜と霧 ホロコースト 強制収容所 予知夢 絶望 屠殺 地獄 ヴィーガン

✢今日の僕の夢✢



スクリーンショット (880)

(右上の図)恐らく、人々の恐れていた《第三次世界大戦》が起き、人々はNazis(ナチス)同様、強制収容所に投獄され、迅速に大量に処刑される未来が遣ってきた。
ホロコースト(Holocaust)は効率良く行う必要があり、その為には必ず人々を"騙さねばならない"
「あなたがたのすべてを今から処刑する」などと言うものなら大暴動が起きるだろう。
この処刑法はまだ実験段階なのか、処刑されるのは一度で、《5人》の男だ。
それは牢屋のなかで行われる。
5人の男性が檻の中に入っているが、ここで自分が今から処刑されるとわかっているのは(右上の図)向かって右から4番目の男性Aだけだ。
他の4人は、Aだけを処刑すると告げられている。
だから他の4人はAを慰め、大人しくさせる為にただ利用されていると信じている。
しかし今から行われるのはこの5人全員の処刑である。
Aはとても慈悲深く耐え忍ぶ力のある人で、これから処刑されるのに他の者たちの事を心配している。
Aはおもむろに右隣の男性B(図の向かって右から5番目)に向かって言う。
「日本の関東にも大震災が起きましたね…本当に心配です。」
そう、Bは日本人で、異国のこの収容所にいるのだ。
我が母国よりも、Bの国を心配するAに対して、Bは涙を堪えながら応える。
「うゥ…わたしはなんと言ったら良いか…」
それが精一杯である。
Aは慈悲の表情を浮かべ、Bに「きっと大丈夫」という意味で微笑む。
突然、Bは感極まり、Aをぎゅっと抱き締める。
先に言っておくべきだったが、Aは50代前半で、Bは60代半ば程である。
Bは少し小肥りの体型で髭を生やし、博士のような雰囲気だ。
Aは誠実で清潔な面持ちをしている。
二人ともきっと子どもがいて、さぞかし心配だろう。
すると何を想ったのか、BとAが泣きながら抱き締めあっているその身体を離した瞬間、BはAに想い切り口付け(キス)をし、それだけでは飽き足らず、BはAの汗でぐっしょりと濡れたシャツの上から、半分透けているかのような乳首を下から号泣しながらいやらしく舐め上げる。
Aはつい、感じてしまったのか、「あっ…」という、喘ぎ声が出てしまう。
その様子を、他の3人の男たちは少し後ろから見つめながら、黙っている。
二人とも恥ずかし気で、それ以上の展開は起こらず、彼ら二人のお別れの儀式が終ったようで、元の位置に戻ろうとする時、図の向かって右から2番目の男性Cが、ぼそっと言う。
「なかなか大胆なことをするんだな。」
少し顔がにやけている。
向かって右端の男性Dは頷き、納得している様子だ。
その時、ずっと我慢していたものがはち切れたのであろうか、向かって右から3番目の男性Eが真ん中の少し後ろへ下がり、突如、『サタデー・ナイト・フィーバー』風に、派手な踊りを一人でし始める。
かなり楽し気だ。
完全に馬鹿にされているのだということをAとBは感じていたが、二人とも人格者であった為、彼(E)に対し、最早、何も求めなかった。
私は今から一人の男を処刑する事に精神が堪えられなくて崩壊し、ああなったのだろうかと考えながらそのEのダンスを残りの4人と同じように静かに眺めている。
そしてこの後、この《5人》の男性たちの処刑が完全に行われるのである。
通路を挟んで、向かって左側にも牢屋が続いている。
そこにはこの先、処刑される人たちがたくさん閉じ込められている。
幼い子どももいる。
「Dad... mom... where did you go...?(パパ…ママ…どこに行ったの…?)」
彼は泣いている。
この男の子も、いつの日か、処刑されるであろう。
『過去に起きた全ては、未来に繰り返されるからである。』
何故なのか…?と人々は神に向かって問い掛ける。

そう、実は僕はこのような第三次世界大戦の様子の夢を何度も観たことがある。
2012年には、その夢が切っ掛けでヴィーガンになった。
その当時の夢は今日の夢以上に残酷なものであり、人々が跪かされ、次々に斬首刑に合うというのを目の当たりにし、僕は震えあがった。
そしてこれは、未来に起る《予知夢》であるのだと感じたんだ。
その後、僕は屠殺場》の映像を観て、其処にある《生命の堪え難い地獄》と《人類の真の地獄》がまさに繋がっている(密接な因果関係にある)のだと、覚った。













Albert Fish『私は彼女を犯しませんでした。私が望めばできたことですがね。彼女は処女のまま死にました。』

アルバート・フィッシュ カニバリズム 人肉食 シリアルキラー 屠殺 拷問 夢のお告げ 啓示

yuzae1981

4歳の時に母を亡くしたわたしにとって、父はわたしの母でもありました。わたしは本当に何より父を愛していました。わたしはわたしの表現する作品を通して、人が"自分"をそこに見出せることを願っています。自分のなかに在る愛、悲しみ、苦痛、孤独、怒り、他では決して昇華し得ない感情を。
11-21 18:21

Maternal https://t.co/oqMpripItk2017年に書いた作品です。実はアルバート・フィッシュは私の愛する父に何処か深い部分が似ていると感じるので愛しています。だからこそ私にとって悲しく苦しい事件であって、まるで殺された少女は私のように感じます。"Maternal"とは"母の愛"という意味です。
11-21 18:21

The Smile - Open The Floodgates https://t.co/e46sL9uP3aWe absorb youWe absolve youThrow your rubbish awaySomeone lead me out the darknessOut the darkness僕たちは君の損失を負担する僕たちは君の罪を赦す君のゴミを投げ捨てろ誰か僕を闇から連れて行ってくれ闇から導いてくれ
11-21 16:50

The Smile - Speech Bubbles https://t.co/klI0P9DWea @YouTubeより 新しいバンドを作ってたなんて、知らなかった!トム・ヨークは此の世界で最も素晴らしいアーティストの一人で、僕は16歳(1997年)からずっと愛している。同じこの苦しくてならない時代を生きていることが本当に嬉しいんだ。
11-21 15:46

その手には、アルバート・フィッシュが死の直前に書き残した数ページの手書きメモが握られていた。今日まで、その調書は一度も公開されたことがない。「誰にも見せることはない」とデンプシーは言った。"それは私が今まで読んだ中で最も汚い卑猥な言葉の羅列であった。"https://t.co/Mv09qKZKG2 https://t.co/45ZKZjmbK3

11-21 13:18


アルバート・ハミルトン・フィッシュ

Hamilton Howard "Albert" Fish (May 19, 1870 – January 16, 1936) 



普通の人と同じように死んだのだ。電流が流れた時、彼の体は波打ち、拳が握られた。しばらくして、当直医が「Sing Sing刑務所で処刑された最高齢の男、フィッシュは死んだ。」と宣告した。老人の死体が解剖室に運び出される間、彼の弁護人が記者団と面会した。
11-21 13:18

入った時、3,000ボルトを超える最初の衝撃で、彼は死にきれなかったという。青い煙が出ただけで、体内に刺さっている針がショートしたのだろうと推測される。そのため、彼の体にはもう1回、長時間にわたって大量の電荷が流され、死刑が執行された--というのが、この話の流れである。実は、フィッシュは
11-21 13:18

に入り、電気椅子まですたすたと歩いた。彼は座席に乗り込み、看守が自分の脚に電極を固定するのを快く手伝った。その場にいた記者や目撃者は、彼の行動に愕然とした。彼は、非業の死を遂げる喜びを抑えるのがやっとだった。伝説によると、フィッシュの死は思ったほど早くは訪れなかった。スイッチが
11-21 13:18

彼は1936年1月16日に死ぬことになった。電気椅子の刑が近づくにつれ、フィッシュは死刑執行を心待ちにしていることを記者団に語った。「私が試さなかった唯一のスリルになるだろう」と彼は言ったと伝えられている。1月16日、フィッシュは最後の食事(ステーキ)を食べ、助けも借りずに死刑執行室
11-21 13:18

きたのだ。しかし、私の知る限りでは、少なくとも100人の子供を犯している」と結論づけた。彼は有罪になり、電気椅子での死刑を宣告された。この判決に対して、フィッシュは「電気椅子で死ぬのは人生最高のスリルだ」とだけ答えた。フィッシュを救うための何十回もの嘆願は却下され、
11-21 13:18

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Wes『僕はこんなに子どもたちを愛しているのに、何故、僕自身がしてきた(残酷な)ことのすべて僕にでき得たのか、理解できない。』

Wes(WestleyAllanDodd) Wes ジョイ・ディヴィジョン イアン・カーティス 動物愛護 屠殺 動物虐待 虐待 破壊願望

yuzae1981




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Westley Allan Dodd (July 3, 1961 - January 5, 1993)
ウェストリー・アラン・ドッド(1961年7月3日 - 1993年1月5日)




自分自身をとにかく完全に終わらせることの凄まじく苦しい欲求衝動へと、みずから転換させた。でも遅くなかった。Wesをこちらへ戻すのに、まだ手遅れではなかったはずだ。Wesには、子どもたちが痛いのや辛いのが、"可哀想"だと感じる感情がまだ残っていた。自分に対する愛が、まだそこにはあった
11-18 21:05

本当に何も期待なんてしなくていい次元に行って、そこで死ぬまで生きられるようになりたかった。自分にも、何も期待する必要もない。何故なら、僕はもうすべて、終わったんだ。(終らせたんだ。)Wesはいつかの時点で、子どもたちへ愛(愛されて、求められること)を欲求することから、
11-18 21:05

ものを完全に破壊するには、それだけのことが必要なんだと彼が潜在意識で感じたからなんだ。Wesは誰からも愛されてはいない憎い自分を投影する子どもたちを痛めつけて殺したかったのではなく、
寧ろ、自分の素晴らしい全てを早く終りにして、完全に消してしまいたかったんだ。そして此の世にもう
11-18 21:05

清らかな純真さを他の何よりも投影できる存在が幼い子どもたちだったからなんだ。だが人は自分が"真に愛されてはいない"のだと覚るとき、自分の良い部分の全てをも憎悪し、破壊し尽くし、消してしまいたくなる。Wesが子どもたちをでき得る限り苦しめて殺す事に執着しだしたのは、自分自身の良い
11-18 21:05

僕にでき得たのか、理解できない。』と言った。此処で、僕は最も重要な事を云う。人は、自分と最も近い存在をしか、殺さないし、殺せないんだ。良い意味でも悪い意味でも、人は自分自身を最も投影する存在をしか、殺したりできない。Wesが子どもたちを何よりも愛し続けて来たのは、勿論、Wesの
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ずっと憧れ続けていた。雄一にとって星野が自分の良い部分を最も投影できる存在でい続けてくれたのは、雄一の星野に対する純真な愛の深さがあったからだし、星野自身が純粋な存在であったからなんだ。Wesは『僕はこんなに子どもたちを愛しているのに、何故、僕自身がしてきた(残酷な)ことのすべて
11-18 21:05

リリイ・シュシュのすべて https://t.co/qPmYEXB7x2僕にとって大切な映画だ。主人公、中学二年の蓮見雄一と星野修介の関係。今日の朝、想ったんだ。この映画の雄一はまるでWes(Westley Allan Dodd)で、星野はWesが何よりも愛着し続け、殺した子どもたちのような関係性だ。雄一は確かに星野に
11-18 21:05

仏陀も、人間の魂が畜生(動物)に転生することを説いている。自分の来世が、彼ら(自分の子を喰らわされて屠殺される一生)かも知れないと想像すると、人々はゾッとしないだろうか?でもこの連鎖は、何かによって完全に断ち切られるまでは、続いてゆくだろう。 https://t.co/FfomqIrIZF
11-18 20:16

RT @earthling_l: 母に同農場で殺してミンチした赤ちゃんを食べさせるという。元記事の中にフルのレポートあります。
11-18 20:11

以前、yahoo知恵袋での質問同僚が屠殺前の鶏をあえて、虐待を目的に生きたまま熱湯に浸けて殺しているのを目撃し、注意したが、彼はそれをやめなかったという。このような虐待はどこでも行われていて、その全ては隠され続けている。だから動物愛護家はその実態を盗撮して訴えなくてはならないんだ。 https://t.co/GHepO8UtZN
11-18 20:06

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〈愛してくれる者(容易く愛する事のできる者だけ)を愛したからといって,どんな報い(益)があるというのか。〉

Wes(WestleyAllanDodd) Wes ウェストリー・アラン・ドッド 性的虐待 大量虐殺 屠殺 マタイの福音書 Radiohead デペッシュ・モード 歴代最高のアルバム

yuzae1981

@damned398 チャラ男・ダムドさん、こんばんは🌃この世界は恐らく殆どの人が自分がしでかし続けて来た重大な事に真剣に目を向けることなく死んでゆく人達の方が多いように感じます。でも私は存在が永遠であると確信しているので、何度でもリベンジが可能であり、その点に於いて絶望的になることはないです。
11-17 22:52

酪農産業は牛の赤ちゃんを母親から引き離し、オスを生後間もなく「"veal" (子牛の肉)」として屠殺するため、すべての人が殺されたオスの子牛の代わりに牛乳を飲むことができるのです。 https://t.co/53jKu3WI0v
11-17 22:11


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この言葉は〈敵(自分や自分の愛する者を迫害する者)を憎む(憎み続ける)〉ことで、世界に悪が終らないこと、また、容易に愛することのでき得る存在だけを愛したところで、何一つ自分にも愛する者にも報い(報酬)がないことをイエスは示しました。つまりそれをし続けて救われる者はいないのです
11-17 21:59

〈あなた方は,こう命じられたのを知っている『隣人を愛し,敵を憎め』しかしわたしは言う。敵を愛しつづけ,迫害する人のために祈りつづけなさい。愛してくれる者(容易く愛する事のできる者だけ)を愛したからといって,どんな報い(益)があるというのか。〉マタイの福音書5:43~46
11-17 21:59

「痛みを知る」というのは、強制的に行われる(思わされる)ものではないのです。強制的に痛みを思い知らせようとすることは慈悲ではありません。人は愛を知って、ようやく他者の痛みに気づけるのです。我々は残酷なことをする人ほど、愛を示さねばなりません。それまで、彼らは殺され続けます。 https://t.co/oRpeYVScLp
11-17 21:40

RT @action55194890: こうやって虐待されたり、大量虐殺されながら、我々の口元に運ばれて、「美味しい美味しい」と笑顔になる人間。 https://t.co/VbRvRWLHLk
11-17 21:33

Depeche Mode - Enjoy The Silence (Official Video) https://t.co/g9yKYrIIie @YouTubeより 無情な言葉はまったく必要ない此の世界に害を及ぼすだけ彼らに必要なのは、すべてを赦す愛僕らはいつの日か、それを与えられるだろう僕ら自身に
11-17 21:16

ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高のアルバム」500選 | 2020年改訂版 https://t.co/3dQRFhUGhV 可笑しいよ、このランキング20. Radiohead "Kid A" , 2000 低すぎ211. Joy Divison "Unknown Pleasures" , 1979 Huh?なんでやねんまさかJoy Divison "Closer"入ってすらいないのか...?huh?!
11-17 20:52

くれる女性が一人さえいたならば。Wesは子どもたちを殺し、自分も殺されることを望む道を歩むことはなかっただろう。Wesを一人の人間とは認めず、ただ利己的に使って棄てて来た人たち(社会)が、彼の切実な叫びを聴くこともなく、彼をただの人殺しと化け物扱いして最後は処刑して終わった。
11-17 16:39

性的虐待がやめられず警察から逃げる為、引っ越しを繰り返しながら大切なオルガンを運び込んでまで彼は家で1人で弾いていた。もしWesを諭し、音楽の道へ強引に引っ張り込んでくれる人がいたならば。もしWesにセックスだけ求め利用する不倫の関係を続けるような女性ではなく、彼を本当に愛して
11-17 16:39

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人が愛されない為に破滅してゆくパターン

Wes(WestleyAllanDodd) Wes ウェストリー・アラン・ドッド 人種差別 リル・ピープ 破壊願望 破壊衝動 屠殺 拷問 家畜

yuzae1981

"僕は不倫の関係しか持てなかった"とは、つまりは女性から夫との関係は切れないが「あなたが必要」なのだと騙されてセックスを求められてきたことを意味している。軽い気持ちで男性を誘惑する女性たちに、それは最も最悪な結果へ向かう可能性があることを僕と、僕のなかにいるWesが訴え続けている。
11-09 19:05

Lil Peep - When I Lie (Official Video) https://t.co/3Z3oxvSttM正直で誠実で純真な人ほど他者の嘘と、自分自身の嘘に深く傷つく。Wesは人に嘘を吐くことが嫌いだった。子どもたちを騙し続けて来たのは、それ以外に方法がどうしてもなかったからだ。Wesは関係を持った女性の全てに騙されて来た
11-09 19:05

Lil Peep - Moving On (Official Audio) https://t.co/qdkWG1bHLC切実なほど、人は美しい。美しい人ほど、この世界に破壊され、儚く終る。
11-09 18:29

ワニ革はワニを生きている内にこのような拷問に掛けて生産されています。人々は〖生命の拷問〗にお金を払い、それを自分の悦びとしています。 https://t.co/wkHeKaDchA
11-09 18:20

人類が暖かい場所で暮らしている間に、人類に搾取され続ける動物たちはこのように凍えながら暮らしています。 https://t.co/qwvsJ8aYp6
11-09 18:14

Lil Peep - Awful Things feat. Lil Tracy (Official Video) https://t.co/vDNnnpnatZ彼とWesは訴え方が全く違ったけど、でも訴えてるものは同じなんだ。自分の命に代えてでも訴えようとしていたんだ。
11-09 17:47

『豚は最も多く飼育されている動物のひとつで、彼らは非常に苦しみ、生まれた瞬間から屠殺されるまでの間、拷問を経験します。』 https://t.co/abeVtBBCtp
11-09 17:24

@6_yokochan 私は研究を通して人に訴える事は何もないのでこれ以上何も言えることはありません。
人が自分の悲しみの感情をどれほど他者(動物)達に対して投影できるのかは、人それぞれ勿論違うでしょう。何を感じるか?ということです。人が感じ得ないことに対して私は何も言うつもりは最初からありません。
11-09 17:18

lil peep - benz truck (prod. smokeasac) https://t.co/xNDdyCR7rH人が愛されない為に破滅してゆくパターンは幾通りもあって、一つはリル・ピープのような自身への破壊願望、OD(オーヴァードーズ)を繰り返す、またはWesウェストリー・アラン・ドッド)のように他者への破壊衝動へと向かうんだ。
11-09 17:14


lil peep - benz truck

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来世、食肉の家畜になっても…?

屠殺 家畜 残酷 食肉 彼らの苦しみ 拷問 地獄 悲劇 食料飢餓 断末魔




この世界がどのような仕組みで、どのような摂理のもとにできているかを私たちは本当のところ、何も知らない。
だからこそ、私が出したこの設問は、非常に恐ろしく、また残酷なものであると実感しています。

何故なら、私たちが今の生を終えた後、どのようなことが待ち受けているか、何もわかるすべを持たないからです。
このおぞましい設問は、ある一つの可能性として、今ここに存在しています。
どのような可能性も否定し得ることはできない世界だからです。

しかし間違いなく言えることは、肉を食べるあなたが来世、食肉家畜になるのならば、間違いなく私も、そして私の大切な家族もなる、ということです。
それは肉を食べていたからです。

肉を食べていた期間、私は彼らの苦しみを無視していました。
そして都合のいいことに、きっとそれほど苦しいものではないのではないかとどこかで思っていました。
一瞬の痛みだけで素早く屠殺されてるのだろうと何の根拠もなく、何も調べずにただ漠然とどこかで思っているだけでした。

前にも一度同じようなことを訊いたことがあります。
「来世は自分が食肉になっても、食べるのか」と。
その人は「それでも食べる」と言いました。
でもその人は見たら食べられなくなるからと、屠殺の映像を見たことがない人でした。

私は、それはおかしいと思いました。
どうして映像さえも見たことがないのに、そんなことが言えるのだろうと。

来世だろうと前世だろうと、自分が食肉家畜の場合、今食べている肉は自分の肉なのではないか?
他者の肉であると言えるのだろうか。

それとも、そんな来世などきっとないだろうと思うのだろうか?
でもそんなことは誰もわからないのである。

拷問に合って死んだ人を知り、あのような拷問はきっと自分の身には起きないだろうと言えるだろうか?
そんなことは言わないとしても、どこかできっと自分は大丈夫だろうと思ってはいないだろうか?
だから酷い事件や災害に合ったとき、人間は「何故私がこんな目に」ということを思ってしまうのではないか。
それは他者には起きても自分にはまあ起きないだろうと何故か思っている証拠だ。

しかしこの世界を見渡せば、まるで終わりのない地獄のように悲劇は必ずどこかで起きている。
NPO法人国連WFP協会HP 
「現在、栄養不良の人々は世界で約7億9500万人います。
すなわち、世界の9人に1人は健康で活動的な暮らしを営むための十分な食糧を得られないのです。」
「数字が語る世界の飢餓」に、「世界では、5秒に1人の子どもが飢えに関連する病気で命を落としています。」


日本人の自殺者は年間三万人弱としても一日に70人近い人が自殺しているという計算になる。
このような世界で「どうして自分がこのような目にあったのだろう」と思うことは、それは無知だろうか?平和ボケだろうか?それは人間に巣食う重篤な伝染病だろうか?

1秒間に 米俵1,000俵に相当する58.4トンの穀物が生産され…
世界の漁港で、カツオ1,850匹分、3,700kgの魚が水揚げされ…
牛3頭、豚7頭、鶏1,100羽分、計6.9トンが食肉として生産されています。


5分でわかる食糧問題

飢餓が原因で1日に4~5万人(1年間に1500万人以上)の人が亡くなっており(FAOより)、そのうち7割以上が子どもたちです。

世界中には食べ物が足りないの?

「飢餓」になるのは、食糧が十分につくられていないからではありません。穀物は年間 24億トン生産されています。これは世界中の人が生きていくのに必要な量のおよそ2倍になります。

24億トン (年間穀物生産量) ÷ 71億人 (世界の人口)
⇒  338kg (1人当たり)
※1人当たり1年間の標準量は  180kg

それでも食べ物の不足している人がいるのは、どうしてでしょうか?

たくさんの穀物はどこへ

1人当たりの食糧供給量を比較すると、日本では必要なカロリーより 31%も多く、ソマリアでは16%不足しています。
私たちのように食べるものがいつでも十分手にはいるのは、世界のおよそ2割の人だけなのです。

穀物は人間が食べるだけではなく、先進国では穀物の 6割(約4億トン)が、ウシ、ブタ、ニワトリなどの家畜のえさになっています。
牛肉1キロ作るために穀物11キロ、豚肉1キロ作るために穀物7キロ、鶏肉1キロ作るために穀物4キロを消費しています。
結果として、世界の 2割足らずの先進国にすむ私たちが世界の穀物の半分以上消費しているのです。



肉を食べるということは、家畜たちだけでなく、飢餓で死んで行く人たちの命をも奪い取ることだという情報は、なかなか広がっては行かない。

肉を食べるということは、来世、自分が食肉の家畜となり地獄のような拷問を受け、首元を掻っ切られて意識あるうちからから解体され死ぬことを覚悟の上で食べていたならば良い、という問題ではないことを言います。

それらはあらゆる地獄のような死の苦しみに関わっていることだからです。
一秒間の数えきれないほどの断末魔を私たちはこの耳で聞くこともできないし、想像することさえあまりに難しいだろう。

だって一秒なんて、ほんとうにあっというまに過ぎるじゃないか。
この1秒間に牛3頭、豚7頭、鶏1,100羽とカツオ1,850匹分、3,700kgの魚の絶叫と5秒に1人の子供の苦痛の心の叫びがどこかで聞こえてる。

これはたった一度だけ、来世で食肉用の家畜の拷問のような苦しみを経験すればチャラになって返せるという犠牲ではない。
一体どれだけの拷問のような犠牲を自分が肉を食べたいがためだけに彼らに払ってこさしたのだろう。
自分はどれだけの犠牲を、同じほどの拷問のような苦しみで以って彼らに返すことができるだろうか?

自分はそのような数えきれない想像することも難しいほどの苦痛を観て見ぬふりしてきた。
これからは自分のこの体で彼らに返す番だと思っている。
それは来世家畜となって自分の死体を彼らに美味しく食べてもらうという地獄の連鎖の返し方より、同じほどの苦痛でもっといい方法で返すことはできないのだろうかと考える。

しかし彼らが死体を食べ続ける苦痛を味わいたいなら、どうしてそれを自分が断ることができるだろう。
断る方法も選択も、私にはない。

屠殺の映像をまだ観てないで、来世は食肉の家畜になってでも食べると誓った君は、映像を観ないよりは、観たほうがいいと私は想う。

屠殺場の現場を隠し撮りした「アースリングス」というドキュメンタリー映画の屠殺の場面だけでも、もし観る気になったなら是非ご覧になってください。




そしてこの映像に耐えられた君は、これをはるかに超えるおぞましく恐ろしい映像を良かったらほんの少しでも観てみてほしい。
レンダリングプラントという、動物性脂肪精製工場の巨大攪拌機の機械に入れられる牛や馬の映像です。
「レンダリング・プラント」(動物性脂肪精製工場)って知っていますか?
食用にできない部分をそのままミンチにできる機械ですが、ここには死んだ牛や馬が丸まま放り込まれることもあります。
そして映像で見る限り、動いているように見える子もいました。
瀕死の状態であるのかもしれませんが、観るに堪えない映像です。
観ようと思う君は、トラウマになる覚悟で観てください。
閲覧厳重注意の動画です。
無理をして観るのは大変危険です。それはやめてください。




家畜たちは、牛も豚も鶏もみな、殺して屠る前に首元を掻っ切って、血を抜きます。
死んでからでは上手く血が抜けず生臭くてまずくなるからです。
牛や豚はその前に意識を失わせるノッキングガンという額に撃って頭蓋骨に直径一センチほどの穴を開ける方法や、電気ショック法や二酸化炭素で気を失わせるという方法などが使われているようです。
しかし一番手っ取り早い方法だからと言ってそれらを行わずに鶏と同じように豚も喉元を切り裂いてそのまま次の段階へと運ぶところもあります。

『いのちの食べかた』 森達也 (理論社)

体をあらわれた牛は、一頭がやっと通れるだけの幅の通路に追い込まれ、先頭の牛から順番にノッキングを受ける。
 この光景は、まるで一頭ずつ、押し当てられたピストルを額で打ち抜かれているように見えるが、額に当てられた銃口から出るのは弾丸ではなく、「ノッキングペン」と呼ばれる細い針だ。
 銃口から飛び出す針の長さは3センチほど。眉間を撃たれると同時に脳震盪を起こした牛は硬直し、つぎの瞬間、通路の側面の鉄板が開かれ、段差にすれば1.5mほど下の床まで、牛は四肢をこわばらせたまま傾斜を滑り落ちる。
 この時点で、眉間を撃たれた牛は、すでに意識を失っているといわれている。
 牛が、斜面を滑り落ちてくると同時に、待ち構えていた数人の男たちが牛を取り囲む。頭に回った一人が、眉間に開けられた穴から金属製のワイヤーを素早く差し込む。
 1mほどの長さのワイヤーが、あっというまに牛の身体に吸い込まれて見えなくなる。
 差し込まれたワイヤーは脊髄を破壊する。つまり全身が麻痺するわけだ。
 牛によってはこの瞬間に、片足を痙攣させるなどの反応を示す場合もあるが、ほとんどの場合は無反応だ。
 このとき、ほぼ同じタイミングでもう一人が、首の下をナイフでざっくりと切る。
 切断された頸動脈から大量に血がほとばしる。
 天上の取り付けられたトロリーコンベア(吊り下げ式のベルトコンベアと考えればよい)から下がる鎖に片足をひっかけて、牛は逆さまに吊りあげられる。(p.51-53)


このような方法で意識のないうちに素早く解体していくと言われていますが、隠し撮りの映像では明らかに逆さに釣り上げられているときに悲痛な鳴き声で鳴いている子も多くいました。
しかしそのような子も皆と同じように意識を持った状態のままで解体されていきます。

大量生産で素早く作業しなくてはいけないので、そのように意識のある状態でも豚は熱湯に入れられる子がたくさんいます。
鶏は吊るされて流れるコンベアベルトの機械の隙間に挟まってもそのままにされ身体の千切れるような痛みにも耐えねばなりません。


家畜たちの苦しみ、飢餓で死んで行く人たちの苦しみ、その短くはない地獄のような時間。
どうしてもっと早く彼らの痛みに向き合って肉食を断てなかったか。
それが私の一番の後悔の苦しみとして、それはずっと死ぬまで消えることはないと思います。

この世界

屠殺 地獄 死ぬまで地獄

俺は別に誰かのために傷つこうと思って傷ついてるわけじゃないよ。
傷つこうと思って傷ついてるんじゃなく、ただたんに苦しんでる誰かを見て自分は苦しいだけだよ。
俺が苦しいのも誰かが苦しいのも俺は別に好きじゃないから、そんな自分に酔ってるとは僕は思わないな。
酔うってのは気持ちいことだと僕は思うし、俺は精神的な苦しみには人は酔うことができると思うが、俺の言う地獄って結構肉体的な苦痛に最近寄ってるんだよね。
他者の肉体的苦痛を思って苦しいのは精神的苦痛でもあるけど同時に肉体的苦痛でもある。
俺は毎日自分の特になんでかわからないが足首が切断される苦痛に苦しめられる、のは屠殺場の映像を見てからなんだけどね。または自分の体が生きたまま機械でミンチにされていくイメージをしてしまう。
君は自分の足首が毎日切断されるイメージの中でその苦しみに酔えるか一度試してみてほしい。
俺は無理だな。毎日のことだけど。
鋭利な刃物で一気に自分の足首が切断されて切り落とされるところをいつも想像しながら足首を風呂で洗いながら酔えるなら君は変態だが、俺はそこまで変態じゃないみたいだ。
俺はただこの世界が公平でないと気がすまないんだよ。
だからすべての存在が同じ苦しみを経験して、同じ喜びを経験するような世界だと信じたいと思ってる。
つまりそれは恐ろしいことこの上ないが、君が肉を食う人であれ、食わない人であれ、牛や豚や鶏たちの苦痛を君自身がいつか経験するという世界ってことだよ。
想像しただけで縮み上がらないか。
でも実際この世界はどういう世界か誰も知らないんだ。
知らない以上、そういう世界かもしれないってことなんだ。
すべてが公平な世界とはそういう世界じゃないかと僕は思ったんだ。
誰かが誰より苦しんでるのは不公平だ。
誰かが誰かより喜んでるのは不公平だ。
いつか必ず誰もが同じ苦しみと喜びを知るならそれは公平だ。
俺はどうしてもみんなが幸せになってほしい。
不公平の中に幸せがあると感じられない。
あの子は僕より苦しんでるけど、僕ら全員幸せなんてありえない。
みんな同じ苦しみを経験するしかないんじゃないのか。
そう思ったら、もう酔うとかの次元ではなくなってくる。
死ぬまで地獄なんだ、みんなが幸福になるために。
僕はおかしいことを言ってると思う?
だとしたら君はこの世界はどうあればいいのか僕に教えてほしい。

屠殺場の恋

屠殺 家畜

誰一人喜ばせられないのだろうか
誰一人希望を持たせられないのだろうか
誰一人悪い習慣を断たせることはできないのだろうか
誰一人わたしの言葉は届かないのだろうか

もし家畜すべての魂が一つの人間の魂となって生まれてきた彼に
僕は会ったなら、彼の前に言わなければならない
「僕は君の死体を美味しいからと言って食べ続けてきたんだ」
彼はきっとこう返すだろう
「・・・・・憶えちゃいないが、憶えているのは、そうだな、こういうこと、こうやって草を踏むこと、草を踏むのが好きみたいだ、あと草を食べること、草の匂いが好きだ、ねえ今からピクニックへでも行かないかい」
「いいね、たくさん行こうよ、君とずっと一緒にいるよ」
「人間って面白いね」
「嵐の中のピクニックになるが、いいかい」
「なに、へっちゃらさ、本当に僕は全然平気だ、みずみずしい草の食べ放題、その中を走り回れるんだ」

そして君は嵐の中で出会った傘も差さず雨に打たれていた少女に恋をするんだ
無口な少女もまるで動物のように馴れ馴れしく話しかけてくる君に恋をする
二人は恋の迷宮に落ちていった
そこは、血の雨が降っていた
彼女は屠殺場で働いていた
彼女は君に言った。
「昔から動物が殺したくてたまらなくなるの、きっと殺せなくなれば気がおかしくなって死んじゃうんじゃないかしら、ここはわたしの天国、だって毎日動物を殺せるんだもの」
血が引いた君の顔はまるで、やわらかな春空のようで透き通って青い。
その表情が一瞬、昨日殺した牛と似てるな、と彼女はそう思った。
心配した彼女は君に言った。
「きっと野菜ばかり食べているから貧血になったのよ、今から自慢の手作り和牛ハンバーグを作るわ、一緒に食べましょう」
「・・・・・なんか、なんもかんがえらんない、ああ空が青い」







食肉と飢餓

屠殺 食料飢餓 畜産業

http://vimeo.com/12884758" target="_blank">ペット、食肉、革製品、動物実験、娯楽産業、狩猟、人間たちはあらゆる動物たちを利用し、利益のために虐待、殺戮を繰り返しています。彼らは私たちの知らないところでどのように虐げられ、殺されているのか。真実を撮ったドキュメンタリー映画「アースリングス」をご覧いただけます。
 


畜 産 と 飢 餓
http://homepage3.nifty.com/kojirotoyuki/kiga1.htmこちらから全文抜粋させていただきました。


 (ピーター・シンガーの『動物の解放』 の中で,現代畜産と飢餓の問題について示唆的な内容が記されておりましたので,以下に一部を引用します。原著は1975年刊行のため少し前のものになりますが,基本的な趣旨は現代にも通じるものと言えるでしょう。)
    

 この瞬間に,世界の多くの地域で,何百万人もの人々が十分に食べ物を得られない状況におかれている。さらにまた何百万人もの人々が,量的には十分な食べ物を得られるが,適正な種類の食べ物を得ることができない。たいていの場合,彼らは十分な蛋白質が得られないのである。問題は豊かな国々で行われている方法による食料の生産が,飢餓の問題の解決に寄与するかどうかということである。

 あらゆる動物は,人間の食用に適すると考えれる大きさ及び体重になるまで成長するために,エサを食べなければならない。例えば,もし仔牛が牧草だけで生育できて,とうもろこしやその他の人間が食べられる穀物を植えることのできない荒れた草地で草を食べるならば,その結果は,人間にとっては蛋白質の正味の獲得であろう。なぜなら成長した仔牛は我々に,少なくとも経済的な形では草から抽出できない蛋白質を提供するからである。しかし,もし我々がその同じ仔牛を放牧するのをやめて,フィードロットやその他の監禁システムの中に入れたならば,事情は違ってくる。今度は仔牛にエサを与えなければならない。この仔牛やその仲間たちがどんなに小さなスペースにおしこまれようとも,とうもろこし,ソルガム(もろこし),大豆あるいは何であれ,仔牛が食べる作物を育てるために土地を使わなければならない。つまり,我々は人間の食物にもなりうるようなエサを,仔牛に食べさせていることになるのである。仔牛はこのエサの大部分を,生きていくうえでの通常の生理的プロセスのために必要とする。仔牛の運動がどんなに厳しく制限されていても,彼の体は生命を維持するためだけにも,食物を体内で燃焼させなければならない。エサはまた仔牛の体の中の食用とならない部分,例えば骨をつくるためにも使われる。これらの必要を満たされた後に残ったエサだけが,牛の肉に変えることができ,従って,人が食べるlことができるのである。

 エサに含まれる蛋白質のどれだけを仔牛が消費し,どれだけを人間が利用できるのであろうか?その答えは驚くべきものである。人間が食べる1ポンドの動物蛋白質を生産するために,21ポンドの蛋白質を仔牛に与える必要があるのだ。我々は投入したもののうち5%以下しか回収できないのである。

 我々はこの問題を別の方面から検討することもできる。我々が1エーカー(約4047㎡)の肥沃な土地をもっていると仮定してみよう。我々はこの土地を,えんどう豆やその他の豆類などの高蛋白の作物を栽培するために使うことができる。もしそうすれば,我々は1エーカーの土地から300ないし500ポンド(135.9~226.5kg)の蛋白質を得ることができるであろう。あるいはまたその1エーカーを使って飼料作物を栽培して家畜に食わせ,それを殺して肉を食べることもできる。その場合は結局1エーカーから40ないし45ポンド(18.1~20.4kg)の蛋白質しか得られないであろう。(中略)

 以上の事実が世界の食料生産にとって意味するところを知れば,人は呆然とするであろう。1974年の終わり頃,インドとバングラデシュに飢餓が拡がりつつあったときに,海外開発審議会のレスター・ブラウンが試算したところでは,もしアメリカ人が年間の肉の消費をわずか10%だけ減らすとしたら,少なくとも1200万トンの穀物を人間の食用として余分に放出できるであろうということである。この量は6000万人分の食事に相当するものであって,ゆうにインドとバングラデシュにおける飢餓を解消するに足るものである。実際,もしアメリカ人が,穀物で飼育した牛の肉を食べるのを全面的にやめたとしたら,そこで浮いてくる穀物の量は6億人のインド全人口を養うのに十分な量なのである。また別の人の試算によると,主として人間の食用にもなる資源から得られる2000万トンの蛋白質が,1968年だけで米国の家畜(乳牛を除く)に与えれているということである。これだけの量を与えられた家畜が生産する蛋白質は,わずか200万トンである。このプロセスで浪費された1800万トンの蛋白質は,世界の蛋白質の不足量の90%に相当する。もし我々がこの数字に他の先進国における同様な浪費の量を加算するとしたら,その量は全世界における蛋白質の不足分の総量を優に超えるであろう。

 蛋白質だけでなくあらゆる種類の食物を考慮して,アメリカ合衆国の前農務長官ドン・パールバーグは,米国における家畜の頭数を半分に減らすだけで,それによって得られる余分の食物のカロリーは,非社会主義発展途上国におけるカロリー不足の総計のほとんど4倍以上に達するであろうと述べた。これらの事実を合わせて考えるならば,我々は,先進諸国で肉の生産によって浪費される食物の量は,もし適正に配分されるならば,世界の飢えあるいは栄養不良にさらされている全人口の必要を満たすに十分なものであるということがわかる。(中略)穀物や豆類の需給が逼迫してインドやバングラデシュやサハラ砂漠以南のアフリカ諸国,あるいはその他の飢餓によくさらされる国々が買えないほど価格が高騰することがあるのは,ひとえに我々がこれらの貴重な食物を家畜に食わせたために供給量が少なくなったということによるのである。

 だから,アニマル・リべレーション(動物解放)の見地からベジタリアンになるべきだとする主張は,世界の食料問題をめぐる事実によって強力に支持される。人間のための配慮と他の動物のための配慮は,まさに同じ方向を指し示しているのである。
    
       
                 






肉は本来、人間の食料として必要不可欠なものではなく、なくても穀物、野菜、豆類、海草、果物などの植物をバランスよく摂っていたなら人は健康に生きることができる。
つまり肉は、酒や煙草のようにただの嗜好品として人々はそれを食べている。
本来人間には不必要なものの為に膨大な数の命は毎日奪い続けられている。
人間が食べる量以上の穀物を屠殺する日まで家畜に与え続け、そして日がきたら殺し、肉は消耗品となる。
食べて美味しいと感じるその快楽の時間は日に長く味わっても約ものの20分かそこらだろう。
命であったものはそのようにして一日の約20分の快楽の為に育て上げられ、殺され続けている。
貧しい国の人たちよりも先進国の飼われているペットの方が良い物を食べているのは薄々みな気付いていることと思うが、貧しい人が食べることのできない、餓死していく人たちに与えられない穀物を一日20分間の味覚を楽しむために育てられる家畜たちにやっているっつうことである。

動物チャリティー団体が一変、牛を貧しい国へ送ったが・・・

動物愛護をしていた団体が一変して寄付されたお金で動物を貧しい国へそのまま資源として贈ったが、動物を育て上げるのに人間以上の穀物、水が必要なのにそんなものはない、自分たちの食べるものがないというのに、どうしたらいいのかと困り果て、牛を返したくて仕方ないと言っている。
押し売り、というものがあるが、これは押し贈り、牛送り、みたいなことになっている。迷惑な贈り物である。
何故、それよりも穀物を贈れないのか?
yes、それは穀物よりも家畜の方が安いからである。
穀物などは高くて贈れないが、今家畜はあまるほどにいる、だから家畜を送る、喜んでいただけただろうか。
NO、必要なのは肉じゃない、胃に体に優しい植物を送るべきだ。
腐ってすぐに虫が湧く様な肉ではなくて、保存もできる穀物を。
穀物が、足りないんだ。
貧しくもない人たちが肉を喰うてるから。
餓死と殺戮の世界から、共存と調和の世界を有望し、一歩前へ踏み出す。
それは、誰がか。
それは、僕たちだ。

荒れ果てた罪 

悪夢 第三次世界大戦 夜と霧 ホロコースト 強制収容所 斬首刑 絶望 屠殺 地獄 ヴィーガン

まったくもって、恐ろしい夢を見た。

かなり大きくて広い家に住んでいる。
洋館であった。
何人かで一緒に住んでいる、中でも仲の良いと思われる二人は、中学生時の友だち、そして何故か芥川賞作家の円城塔氏であったが、まあ顔が似てるだけで別人かもしれない。
いろいろわけがあってここに暮らしているという風であったが、ある日、それは突如起こる。
私はドアを開けて外に出ようと思ったら、ドアの外に誰かいる気配がする。
気持ち悪い、誰だろう。
私は覗き穴から外を窺う。
すると明らかに怪しい人物がこちらを見ている。
よく銀行強盗をする人たちがこぞって気に入り被る帽子、あれは目出し帽というのだが、あれをかぶっているのであるが、その色が真っ赤な目出し帽であって、気持ちが悪い人物である。
それではあまりに目立ち過ぎるのである。
その男はこのドアを何かで破壊せしめて室内に入り込むのが目的という感じで何かを操作している、銃のようなものか、それとも爆発物を取り付けているのか。
私はどくどくと打つ鼓動の中で一瞬にして思い浮かんだことを実践する。
私は震える声でドアの向こう側にいる男に向かって叫んだ。
「警察を呼びました!」何故敬語なのかと自分で思いながらも何度も叫ぶ。
すると表の男はそれに驚いて応える。
「本当か、本当に呼んだのか、クソっ」とか言いながら慌ててならば仕方ないという風にその場を去る。
しかし男は一度は去ったが必ずまたやってくる、それも極短い時間の間にだ。
その時私たちの命はないだろう、それを確信していた、のは、そう、これはその時がやって来てしまったからであり、いつ来るか、来るか、と怯えていた時が起き始めた、そう私は恐怖に慄き、青褪めた顔で部屋にいるであろう仲間にそれを知らせた。
彼女はそれを知り、震えながらも冷静に、しかし信じられないという顔で即ここを逃げ出す準備に取り掛かった。
私はもう一人の仲間にもそれを知らせた。
彼は妻と子と離れここで暮らしている男だったが、彼は仲間である私たちよりも当然妻と子の身を真っ先に案じ慌てて準備をし出した。
普通、そういう事態なら警察に連絡すれば良いがしかし、それは無駄なことであった。
私が先程確かに警察を呼んだと言えば男は逃げた、しかし彼らは警察の一部と繋がっている組織であり、彼が逃げた後にそれがわかったので、今はもう誰の助けも呼ぶことさえできないのである。
それがどのような事態であるか、あなたはもうおわかりであろう。
ついに現代の日本に、前代未聞の恐ろしい戦争が起きたのである。
それをこの目で実際見たのは、その数分後である。
穏やかな、しかし寂しげでもある農園の中にこの洋館は建っていて、緊迫しながら私は窓の外を見た。
枯れた田畑が広がっていて、その奥にはビニールハウス式の小屋も建っているようなのどかな冬の風景である。
しかしその光景はいつも私たちが見ていたものではなかった。
私の目が見たものは、確かに現実であった。
あなたは夜と霧というナチスによる強制収容所で行われていたことのドキュメンタリィ映画を見たことがあるだろうか。
ちょうどあれがこの現実に起きた実際のことであるのと同じに、その私の目の前の光景もまた現実であった。
その広い風景の中の何箇所かでそれは行われていただろう。
私が見たのはその一つであって、私は最初奇妙な感覚でそれを見ていた。
何故奇妙な感覚だったのか、それは今の日本にこのようなことが本当に起きるとは思えないという気持から、私は奇妙な物事を私は見ているという感覚に落ちながらその一部始終を見ていた。
彼らは、次から次へと並ばされていた、皆は白装束を着せられ並ばされてそして座らされる、膝をついて手は後ろで縛られそして顔は、顔も白い袋を被らされており異様で気味の悪い格好をさせられて順番に座らされている、彼らは皆おとなしい、何が今から始まるのかまったくわかっていないのだろう、彼らはとても従順である。
彼らを並ばせてそして座らせる男たちも数人彼らの後ろに立っていて、それまで私も静かな気持でなんだろうと思って見ている中、一番前に座らされ前屈みになるように男は押さえられている、その左に立っていた男が突然長い柄の鎌を男の頭の部分に振り下ろした。
瞬間に男の首からこれが飛んで頭が落ちて座らされていた男には頭がなかった。
見ていた私の体は震え上がった。はい、次、はい、次、という形で何か黙々と行う流れ作業のような事務的な仕事のよう(システマティック)に、次に並ばされていた男の頭が次には切り落とされるのである。
次、その次の何番目かの人間は私ではないのか、そう思った私は絶望して、部屋中探して見つけた彼女に震える声で「あ、あ、あ、頭、頭がき、切り落とされてた・・・・」と言って、こうしちゃいられない、一刻を争う、私もここを出る準備に取り掛かりだす、しかしそれより先に兄と姉たちに連絡をしてこれを知らせて早く安全な場所へ避難してほしい、そう思うが気が焦りすぎてテンパり過ぎてもう自分で何をやっているのかわからない、部屋をうろうろうろうろして、そしてはっと部屋中見回すと、彼女も彼もいてない、シーンと静まった広い屋敷に私は一人残されていたのであった。
つまり仲間と思っていた彼も彼女も私に一言も告げることはなく我先よとこの屋敷から避難したのである。
ものすごい恐怖であった、一緒に避難できると思っていたのであったから少しは心強かったのが、この絶望と恐怖で恐ろしい世と一変した地に私一人残されたのである。
しかしそうやっていつまでも絶望したまま突っ立っていられない、私は逃げられうる場所を探し出した、まず頭を打ち落としていた場所の方角からは逃げられない、ドアのところからも無理である、私は今にも恐ろしい組織の男たちに窓から侵入されて殺されるのではないか、覗いた窓にはもうそこに男たちが鎌を持って居るのではないかと戦慄しながら赤茶色のカーテンをそっと引いて外を見たら黒い柵の中は長い雑草たちでよく見えない、向こうの方に抜けられる道が覗いている、ここだ!ここからなら見つからず逃げられるかもしれない!そう思い立った私はばたばたばたと階段を駆け上がり、今自分が何故だかズボンを履いておらずレッグウォーマーとパンツ姿であったので、いくらなんでもこの姿で外に行きたくないと二階の洋服ダンスから自分のジーンズを急いでハンガーから外しながら、ボタンをつけていてなかなかすぐに外れてくれない、こんなことなら丁寧にボタンをかけてハンガーに吊るすんじゃなかったと心底後悔した。
そしてその次には私の愛する家族のみちた君である、みちたはもうすでにキャリィバッグに入っていた、そして大切なもの、かばんにいくらかもう詰め込んである、その鞄がやけに重たい、要らないもの、いらないものと焦る手で探す、大切にしていた、CD、本、それらをすべて鞄から出した、こんなもんより命が一番大事や、そう思いながらすべて出して、こんなことしている間に殺されるのではないかと恐れ、みちたの餌も詰めて、ああでも水が、水がないわ・・・・と思いながら、もう出る!はよ出ないかん!と私はもうつんのめりながら足がからまりながら、うわあーと走ってさっきの安全だと踏んでおいた窓から身を乗り出して屋敷を出た。

そして、世界は広かった、外の世界は、眩しかった、この方角の後ろでは人が無残に物のように殺されていってるのに、こっちの方角はなんて平和なように見えるのか、まだこっちの人たちは知らないのだろうか、とにかく私は私の目に映った良いと見える方へ走った。
街路樹が光ったように見える公園のような場所がある道に向かって私は走ったのである。
何も知らない場所、行き交う何も知らない人たち、美しく見えた、私には、普段はそんな風に見えることはなかったはずである。
何も知らずにのほほんと暮らす人々と場所は穢れて見えたのではありませんか、しかし絶望な場所から脱出できた私にはそれはそれは美しい景色に見えた。
助かる、助かる、殺されずにすむのだ、私は、私は、私は、殺されたくない。
神よ。
神よ。
神よ!

殺されて行く人たちと私は何が違うのか。
彼らは、殺され続けている。







追記:わたしはまさしく、この夢を切っ掛けに、屠殺場の映像を観て、
其処に存在する《地獄》と人類の《地獄》が
完全に繋がっているのだということを覚り、
後にヴィーガン(vegan)となる。