悲しみの子

酒鬼薔薇は生後半年頃から母親からの体罰を受けて育ったようだ。
私はこれを知ったとき、言いようのない悲しみに襲われ、悲しみが消えない。
母親を非難する気持はまったくない。
彼が殺人を止める術を持たなかったように母親もまた我が子に体罰を与えるのを止める術を持つことができなかった人間だからだ。
誰が悪いというわけではない。ただただその宿命が悲しみの終わることのないほどすべてが包み込まれているのだと感じて、その底の知れない悲しみに私はなんのなす術も持てない気がした。
彼のような人間を悪として避けることは容易い。しかし彼の悲しみを知れないことがどのように人間の悲しみになるかを思うと、悲しみの連鎖とはほんとうに止まることができないのだろうと感じた。
私は悲しみが悪とは思わない。
子供が一心に母親の愛を求めるのは何故だろう。
母親から体罰を受けても元気に生きていく生き物はいるのだろうか。
小さいときに母ライオンから虐待を受け大きくなっても肉を一切口にせず野菜だけしか食べようとしない傷ついたライオンがいた。
生まれ持つ習性、本能、体のつくりや機能などを変えてしまうくらいの傷なんだと思った。
ライオンは肉を食べるのが当たり前なのに野菜しか食べないライオン。
人間は人間を殺さないのが当たり前なのに人間を殺してしまった彼。
彼は愛を求めていたのに愛は与えられなかった。
愛の代わりに痛い罰を与えられた。
子供はあらゆるものを求める、腹が空けば母乳を求め、ケツの周りが気持悪ければ気持悪いのをどうにか取り除いてくれと求め、暑ければ暑いのをなくしてほしいと求め、寒ければ寒いのをなくしてほしいと求め、何から何まで求めるが、それらすべてを与えられても、それでも子供は泣き叫ぶ、まだなんかあるのかと近づけば顔をくしゃくしゃにして泣いてばかりでわからないからとりあえず抱っこしてみる、すると途端に泣き止んでなんだか嬉しそうな顔でこっちをじっと見ている、ああ抱っこしてほしかったんだなと親は気付く。
愛は子供が生きるために必要不可欠なものなのは、それがなくては苦しくてたまらないからだ。
愛して欲しいと愛の飢餓から泣いていると彼は痛い罰を受けたのだろう。
苦しみにさらなる苦しみを与えられながら育った。
ほんの小さい赤ちゃんの頃から苦しみに耐えながら、けなげにすごく頑張って生きていた。
彼が愛を喪ったのは生後半年の時だった。
私は彼の悲しみに気が遠くなる。
悲しみの種は必ず悲しみの芽を出させ悲しみの花をつけ悲しみの実を実らせる。
まるで、悲しみがいつまでも終わることがないようにと祈るように。
彼は悲しみの子である。
彼の悲しみは彼が殺す生き物たちの悲しみに繋がった、彼の悲しみは彼が殺した子たちとその子を愛する者たちの悲しみになった、彼の悲しみは彼を愛する者たちの悲しみとなった、そしてそれらすべての悲しみは彼の悲しみを深くした。

ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。

人の痛みのみがボクの痛みを和らげる事ができるのである。


彼が当時声明文に書いたこの箇所が、彼の悲しみの魂の叫びだ。
「人の痛みのみがボクの痛みを和らげる事ができるのである。」この「人」の部分を書き換える。
「僕の痛みのみがボクの痛みを和らげる事ができるのである。」
彼は快楽から殺したのではなく自分の痛みを別の自分を殺すことで和らげないでは生きていけないところに達してしまったからだ。
今回の「絶歌」出版もそうでしかないと感じる。
生物が、生物を苦しめなくしては生きていけないということは、決して自己中心的な自己愛だけで語れるものではない。
肉食獣は生きるために草食獣を殺さなくては生きていくことが出来ない。
それは利己的な悪からではない。
生きていかなくてはならないからだ。
私は何匹も発生したコバエはしかたなく殺す。なのにふとコップの水の中にコバエが浮いていたらすぐに助けてやる。
殺しては生かしている。殺し、そして助けている。
彼も犯行の合間に道で拾ったカメを持ち帰り可愛がって育てていたようだ。
でもこれを、大抵の人間はやっている。
可愛いペットは大事にし、家畜は殺されて仕方ないと目を瞑る。
肉を買う人がいなければ、家畜は殺されない。肉を食べる人が家畜を殺していることになる。
害もなく、可愛い者だけは愛するが、愛することの出来ない者は仕方なく殺しているのが我々だ。
生物を殺して生きることは、自己中心的な自己愛だけで語れるものなのだろうか。
殺さなければ生きていけなくなったなら、家族は護り、他人を殺してでも生きようとする、それが戦争だ。
自分の大切な者とまったく知らない他人、どちらかだけを助けてやると言われれば、自分の大切な者が助かって欲しいと祈る、その愛を非難できる者は少ないのではないだろうか。
極限にあった彼は、今の彼は、自分が死ぬか、人を殺してでも生きるか、人を苦しめてでも生きるか究極の選択の中、自分が生きるほうを選んだ。
他人の相手が死ぬか、自分が死ぬか、極限の立場に立たされたとき自分の死を選択する者だけが彼に石を投げよ、とイエスなら言ったのかもしれない。
愛されなかった子が更生するために唯一必要なものは彼を愛することにしかない、これを我々はどれほど重く受け止めることができるだろうか。

透明な世界

絶望 酒鬼薔薇 透明な世界 離人症 絶歌

酒鬼薔薇が「透明な存在であり続けるボク」と言ったあの言葉の意味のはじまりは社会全体のことというより、たった一人、母親に自分の苦しみをわかってもらえなかったことだったんじゃないか。
彼は母親にだけ自分の苦しみをわかってもらいたかったんじゃないか。
母親にわかってもらえないという絶望が祖母を失う前からもあって、祖母の死によって〈仮の〉愛情さえも失ったことから、その愛憎と性的な強力なエネルギーが結びついて命を破壊することで自分を破壊していくことで、母親に愛されない自分と自分を映すすべてのものに報復したかったのではないか。
自分を愛してくれない母親への愛憎が、愛されないのは自分がだめだからだという自分自身への愛憎となり、そしてその愛憎が自分が映した鏡であるすべてに向かわれたのではないか。
母親に愛されない自分は価値がない、そう思う彼の心は自分自身で自分は透明であると感じることによって、自分以外のすべてが透明に見えて、自分以外の価値さえ自分と同じように価値を感じられなくなっていったのではないか。
「透明な存在であり続けるボク」という感覚は同時に「透明な世界に透明な存在であるボクがい続ける」という感覚だったのだと感じる。
自分は透明なのに自分以外は透明ではないという感覚はあり得ないからだ。
だから「透明な存在であり続けるボク」は「透明な存在であり続ける世界」と書き換えてもまったく同じ意味を伴っているだろう。
彼は当時と鑑定時に離人症状があったと言われている。これは私が11年前に父を喪ってからずっとある症状で、現実感の欠如、まるで夢の中にいるようにふわふわと浮いているような感覚、もう一人の自分が自分を見ているという感覚、生きているという心地がないという感覚、自分が今ここにいないという感覚などがあって、これが著しい精神的ストレスなどにより酷くなると、おかしな行動に出ることもある。
私の場合は25歳のときに恋人との喧嘩で深夜2時ごろに家を裸足で飛び出し、道路の脇にずっと蹲っていたことがある。いつも以上に現実離れした感覚があり、もうすぐ待っていたら死んだおとうさんが迎えに来てくれると信じてずっと一人で人も通る場所で蹲っていた。普通の感覚だとこんな場所で蹲っていたら恥ずかしい、人を驚かせてしまうと思いやめるのだがそういった現実的な感覚をすべてなくしてしまう状態で、彼も犯行時は同じような〈人間を自分が離れる〉というような感覚に襲われていたのだと感じる。
そしてこの離人症の感覚を知る人なら「透明な存在であり続けるボク」という表現がどれだけこの感覚の的を射た表現であるかわかるのではないだろうか。
まさにそのような感覚だからだ。そして透明なのは自分だけではなく、自分以外のすべてとこの世界に感じる「透明な世界」でしか生きていけなくなった透明な人間の悲しく切実な叫びだったのである。
しかし私が意識的に離人症の感覚に生きていると感じたのは父を喪った22歳のときからだと思っていたが、「透明な存在であり続けるボク」に深く共感したのは15歳のときなので、私はその頃から既に今と比べると浅いものの離人症的な感覚にいたということになる。
絶歌」では彼は自分がどれほどクラスの中で目立たない存在だったかを書いていたが、わたしが思うには彼は誰よりその異質さで目立っていた生徒だったのではないかと思っている。彼が自分は誰にもわかってもらえないと感じるのは、彼が一番にわかってもらいたい母親にわかってもらえないことによる自己喪失感を常に持って生きていたからだろうと感じる。そしてその自己喪失の自分の目に映った者たち全員にも自分に自分が見えないように見えてないんだと感じていたのだろう。自分自身が自分を見えないのに、他者は自分を見えていると感じることはないからだ。
自分を自分の目が追っているという夢を見たことがある人にはわかりやすいだろう。自分が道を歩いている、その自分の姿を少し離れたところから自分の目が見て観察している。この感覚が離人症によく似ている。幽体離脱しているわけではないので自分の意識だけが自分から離れたところにいつもあって、常に他人を観察しているような感じで自分を見ているという感覚だ。
そしてこの離れたところにある意識が同じように他者をも見ているわけだ。見るのはいつでも自分から離れた意識になる。そんな意識が自分も他者も同じように他人のような感覚で見つめている。だから自分が怒っていたら、他人が怒っているのを見るように、ああまた怒っているな。とまるで他人事のように見たりするわけだ。確かに怒っているのは自分であるのには違わないが、自分の意識が離れたところにあるため、言わば自分の感情をいつも冷めた目で自分の意識が見ているということになる。だからこのような人間はどんなに感情的な人間であっても常に冷め切っている。情熱的な感情さえもいつも冷めた目に見られているために、心の底から喜ぶということができない。どんなにいい笑顔を向けてありがとうと人に感謝を述べても離れたところでもう一人の自分が冷めた目で無言で見ている。これは天使と悪魔みたいな両方が自分というものではなく、表れる感情というものを自分が一切認めないというどこまでも冷静な本当の自分の意識を常に自分が感じているという感覚だ。
熟睡して夢も見ていないとき以外この感覚から逃れられないというのは結構たまらなく苦しいものだったりする。
私は今でも彼がこのような感覚に在るような気がする。
もしそのような症状が当時より少し抜けているのだとしたら、彼は夢の中で行った殺人を、朝目覚めて、現実の世界で自分の夢の中で犯した殺人の罪を償い続けている感覚に近いだろうと思っている。
しかし抜けていなければ、彼は夢の中で行った殺人の罪を夢の中で今でも償い続けているのだろう。
そして私も、夢の中を抜け出ることができない。
春には桜が咲き、夏には蝉が鳴き、秋には銀杏の葉を踏み、冬には一年の終わりがやってくる、私はそのことになんの感情も持たない、時間が流れているという感覚がないからだ。
自分の中は時間が止まっているので、季節の移り変わりがただ意味もなく季節の本のページをペラペラめくっている感覚にしかならない。
夢の中では時間の感覚を持てないのと同じだ。
春の桜の色、夏の鮮やかな緑、秋の紅葉の橙、冬の真っ白な雪、それを見てもすべてが透明にしか見えない人間がいる。
自分が透明になってしまった人間はどんな色を見ることも叶わない。
色を映すことのできる自分の目を喪ってしまったからだ。
彼の「絶歌」の風景描写から、そういえば私はなんの色も感じなかった。なんの色彩も思い出すことが出来ない。
でも彼が見た風景は何より美しいと感じた。
それは、光そのものだと思った。
それはそこにある悲しみが、すべての色を喪うほどの悲しみだと感じたからだった。
彼は私よりずっと悲しんでいるとそう感じる証だった。
彼の描く風景描写はそのすべてを物語っていた。
まだ彼は「透明な世界」にいる。そう深く確信できた。
それが私の「絶歌」に対する一番の賛美だ。

酒鬼薔薇聖斗と私

酒鬼薔薇聖斗と私の共通点はどれくらいあるのだろうか。
まず最初に知った酷い共感を覚えたものは彼が声明文に書いた、
「透明な存在であり続けるボク」という言葉だった。
この言葉が何の違和感もなく自分の腹の底にすんと居座り、以後疑う瞬間は来なかった。
私が15歳のときの6月、彼が14歳のときの6月のことだった。
彼は私より一つ下の子で、私は誕生日が8月4日で彼が7月7日だったので、彼が15歳になって同じ歳に並ぶそのひと月の間を惜しむように過ごした。
私は彼に、それから5年間もの月日を彼への大変な片想いに胸を焦がし続ける日が始まった。
私はその5年間、彼の顔も知らなかった。
聡明でほんの少しつりあがった細めの目、それくらいしか知らなかった。
名前も知らなかった。
彼が医療少年院へ移動になったときに彼の青いサンダルを履いたその足が車から降りる瞬間を捉えたニュース映像を録画したのを、家で独りのときになんべんも、なんべんも、繰り返し見ては、切なくため息を吐いていた。
ゆうたら彼の肉体で知ったものはその足先しかなかったのである。
足先フェチであるために、足先さえ見れたらもうそれで十分だ、という意味の切なき溜め息という意味ではなくて、たった足先しか見ることが叶わないというつらさのという意味の溜め息だ。
あの頃、よくこんな幻想をしたものだ。
あれはそういえば一度夢に見たのだった。
彼は今から初めて人を殺すという一線を越えようとして、バス停の前のベンチに静かに座っていた。そこに私は近づいていって、泣きながらしがみついて懇願する。
『あの子を殺さないで!』と。
その夢を見たとき、遺族の方の手記を読んだ後だったか思い出せない。
彼の罪は、彼だけの罪ではないと感じた。
彼の根源的な要素である、「透明な存在であり続けるボク」に深く共感するしかなかった自分自身の罪でもあるような気がしてならなかった。
他人事にはとても思えなかった。自分に関係のない罪だとはどうしても思えなかった。
その頃は全世界的にシリアルキラーブームが巻き起こっていた時代で、兄がちょうど持っていた外国のシリアルキラーの事件を特集して書かれた本を、その後隠れて読み耽ったりしていたが、私は彼以上に魅力を感じる殺人者はいなかった。
またまた兄の持っていた死体写真の載っていた雑誌を隠れて見たとき、私は美しいと感じた写真を二枚覚えている。
一枚は、交通事故で手首の部分から切断されてアスファルトの上に転がっている綺麗な爪の女性の手首の写真だった。
綺麗なカラー写真なので切断面はとても生々しく、その写真を兄と一緒に見たわけではないが、兄はその後、鶏肉を見ると、どうも死体に見える、ということを言っていたのは、たぶんあの写真のその切断面がとても、鶏肉の肉の色と黄色い脂身の部分に酷似していたからだろうと思っている。
もう一枚は、確かにその椅子に座っているのは黒く長い髪の女性であるとはわかるのだが、その髪の部分以外は、もうなにがどうなっているのかわからないくらいに原形を留めていない、たぶん至近距離から威力の強い機関銃のようなもので何度も撃たれて殺害されたと思われる血と肉の色がとても鮮やかな、あまりに酷い写真だった。
その二枚の写真を見たとき、私は美しいと思った。それは今見ても、同じように思うと思う。
見たいとは思わない。でも見てしまったのなら、そう思うと思う。
不謹慎だという思いを、越えてしまう感情を人間は持っている。
それは、人間の闇なのだろうか。
「間」という字のその門の中にある日の上に、いったい、何が立ってなんの音がするのか。
日の上に立とうとするもの、それは自分しかいないんじゃないのか、そしてその音は、何かが砕かれる音なのではないか。
しかし、何が砕かれるのであろうか。
砕かれては為らないものが砕かれ、その音が闇になるのだろうか。

猫がまたさびしそうに鳴いている。
私はあの頃ほんとうに影響を受けて、私の精一杯の猟奇的な快楽が、夕食の支度をしているとき、買ってきた秋刀魚のはらわたを出すときのあの甘美で恍惚な感覚だった。
今思い出すと、あれにはぞっとする。今あれをしろと言われたら私は耐えられない。まな板に一滴の血がつくことも嫌で厭で堪らない。
それなのに、「絶歌」を読んで、恐怖を感じることがなかったのはどういうわけだろう。
彼が全くの愛のない状態で行っていたなら、私は間違いなくぞっとしたのではないか。
または、愛が浅いと感じるのなら、私は吐き気も催していたはずだ。
それは、私が彼を愛しているからなのだと、私は自分に言うことも出来る。
私の愛を彼が反射しているに過ぎないのであろうか。
とても眩しい愛だ。そして苦しくてならない愛であり、また歓喜に震え、しかしつらく悲しく虚脱を引き起こす愛でもある。
私はもう恋ではないと言ったが、どうやらまた恋のような想いがぶり返してしまったようだ。
もしかして恋人がいるのではないか、とか、彼に廻り合いたいという想いがふつふつ沸き起こって、もう嫌だなあという思いだ。もっと高潔な想いで想っていたいのに、世俗的な想いになってどうするんだろう。
しかし昔には確かなかった、肉体的に繋がろうとすると近親相姦のような気持になるということは、彼が自分自身により近づいたということになるであろうからこれは喜ばしいことない。
喜ばしいことこの上ないであろう。
もう離れないで欲しい。これが離れると、肉体的つながりばかり求めてしまうのではないか。
彼が味のしない冷凍ピラフを黙々とただ生きるためだけに立ち食いしているときに、海老を焼いて・・・あっにんにくも・・・あとピーマン、たまねぎ、にんじんもコロコロに切って入れたいな、って海老ピラフを作って食べている自分を想像してそれが今材料がないために作れないことに悲しんでいる自分が恥ずかしくてなりません。
しかし私は思うのだけれども、彼はいつかパパになるのではないのか。
私はママになりたい。彼と結婚したいという意味ではなくて、できるならしたいけれども、そういう意味ではなくて、彼がパパになれば、孤独に生き続けるよりも、いっそう苦しめるのではないのか。
彼は何より、子供を見るのが苦しいようだ、それは当然だ、自分が奪った命と重ねあわさずに見れるはずもない、そして家庭というもの、親と子の姿、これを見ることがつらくてならないのだから、彼はパパになったなら、毎日自分が奪ったすべてを見続けなくてはならなくなる。
耐えられるのだろうか。
私は、シングルマザーになりたい。わたしが苦しめた父親の苦しみと悲しみを私は追いたい。
彼に手紙を送るとする。「愛しているので、子種だけでももらえないか」と。
絶対に拒否されるだろう。私が彼ならば、自分の血を引いた子供が離れて暮らしているなど、狂わんばかりに錯綜して恐怖に打ち震え、恐ろしさのあまりに涙を流すだろう。
そういえば彼との共通点を書こうと思っていたのだった。
私は母方の祖母が奄美大島出身で奄美の血を引いているのだが、彼は父親が奄美の離島出身のようだ。
うちの祖母は若い頃に兵庫県の尼崎に出稼ぎに来てそこで結婚したので、こっちに来てなければ母も奄美大島で生まれたのだろう。というのはおかしくないか?父親が違えば母は生まれてないではないか。
奄美大島に私は一度も行ったことがない。父と母はみんなでいつか奄美大島に行きたいと言っていたようだが、それも叶わず母は44歳で癌で他界してしまった。
母親の喪失を私は四歳で体験し、彼は母親以上に母親の愛を感じていた祖母の喪失を小学五年に上がったばかりの十歳の頃に体験している。
そして祖母の可愛がっていた飼い犬のサスケも続けて喪っている。
私は動物を故意に殺したことなどはないのだが、小3のときには故意に友だちを傘立ての上で一緒に遊んでいたときに思い切り突き飛ばして転落させ、膝がぱっくりと割れるほどの大怪我をさせてしまったことがある。泣いている彼女を見てもヘラヘラと笑いを浮かべ、指を指して馬鹿にしていた。
そして小6のときに、以前仲良くしていた子の家が火事になって、それを友だちから教えてもらったときは涙が止め処もなくあふれたが、重態だと先生から朝に告げられたとき、心の中で私は何故か「死んで欲しい」と強く祈り続け、その日の午後に亡くなったことを先生から聞いた瞬間、心の底から歓喜を上げたことがある。その後罪悪感に駆られたが、葬式の日はまったく悲しくなく、泣かなくちゃいけないと無理に泣こうと必死だったのを覚えている。
小6の頃は彼はたくさんの猫を殺していたが、私は友人の死を心から祈っていたのである。それからのちは、そのようなことはない。しかし彼は、止めることができなかった。
止める事の出来た私はそれからも楽しいことはたくさんあったけれども、止める事のできなかった彼はその頃からもう心の底から笑うこともできず真っ暗で寂しい地獄道を突き進むしかなかった。
たったひとりで、11歳の子供がおそろしくさびしい、さびしく苦しい道を歩いてゆくことしかできなかった。多くの子供達が、純粋な笑顔、わんぱくな笑顔、ごく子供らしい純真さで遊び疲れていたその毎日を、彼は両のまだちいさいおててを真っ赤な血で濡らして、激痛をもたらすほどの罪悪感の中で、性を抑える方法もわからずひとりで抱えて泣くこともできないまま生きていた。誰にも気付かれずに、暗黒の世界でしか生きる方法を見つけられずに人間というものを封じ込めて人間ではないもののように暮らしながら、それでも人間でいることしかできなかった。
人間をやめることなど、できるはずがなかった。人間は何をしても人間でしかいられないのだと彼は気付きながら人間のやってはならないことをやることでしか道を歩いてゆくことができなかった。
彼はたくさんの自分を殺すことでしか生きていくことが出来なかった。
彼は自分をなんども、なんども殺すことでしか生きていくことが出来なかった。
自分を何度も殺しても、自分を生かすことができるか、自分を赦すことができるのか、自分を愛することが出来るのか、そう神に挑戦状を彼は何度も送りつけた。
自分の一番大切なものを奪った神に対し、自分が苦しむことによって、自分を苦しめることによって、神に後悔させようとした。
自分自身を何度も殺すということが、一番神を苦しめる方法だとわかっていた。
自分を一番苦しめる方法を、彼は何度も、何度も行った。
自分を一番苦しめる方法が、神を一番苦しめる方法だと知っていた。
神を心から後悔させること、それしか愛を感じる方法は見当たらなかった。
彼は自分を苦しめる方法しか探していなかった。
自分を苦しめることでしか、愛を感じることができなかった。
だから彼は多くの自分を、殺すことしかできなかった。
そして、今心から後悔している者は、彼自身である。


私は兄と姉から「おまえのせいでお父さんは死んだんや」と何度も言われてきた。
11年半が過ぎたが、今でもそう思われていると思っている。
彼と私の共通点は、本当に多い。
彼が命を殺すようになったことに性というものが大きく関係していることは前々からわかってはいた。しかし「絶歌」を読んで、より共感を覚えたのは、彼が自分の性欲に対してものすごい罪悪感を持っていたことを知り、私は酷く喜んだ。
私がマスターベーションを覚えたのは彼より2年早い小3のときだった。
しかし私が自分の性欲に対してのた打ち回って苦しむほど罪悪感を覚えだしたのはもっとあとの中学に入ってからくらいではなかっただろうかと思っているが、よく思い出すことができない。
性欲というものがとてつもなく穢れているものだという感覚は、それを知りだした頃からあった。
中学時代だろうか。よくこんなことがあった。お父さんと楽しく話していて、ああ楽しいなあ、と幸せを感じた瞬間決まって、私が最も汚らわしいと思っている醜いエロマンガのレイプシーンの描写が脳内に浮かんで、絶望する、ということがよくあった。
すべての幸福感を一瞬にして絶望へ変貌させられるほどにそれは汚らわしく醜い自分の欲望だった。私はそんな絶望的なものに何より興奮していた。
自分だけの性欲に絶望的なだけではなかった。
私は父親が失楽園のドラマを見ているだけで気が狂いそうなほど苦しみ、気を落ち着かせるために腕の部分にカミソリで傷をつけたりしていた。
彼は小学六年の頃から自傷行為をしだしたが私はだいぶと遅れて19歳から自傷行為をしだした。
そして極めつけの絶望を私に与えたのは、皮肉にも父が私の欝が治るようにと買ってくれたパソコンだった。
父は驚くほどに私の苦しみに無知で、私に隠れて見ていたことは確かだが、デスクトップ画面に堂々とアダルト動画のアイコンが出ているときもあった。
もしかしたら消す方法もわからなかったのかもしれない。
Windows Media Playerの履歴を偶然見てしまい、そこに自分と年が変わらないくらいの女性が自慰をしている動画を観てしまったこともあった。
私はその頃から、重い鬱で寝たきりになり、60歳で自分から退職した父は釣りに行く以外はいつも家にいたので、家事のひとつもせず起きてこない私と一緒にいることで、父もだんだんと元気を失っていった。
そしてそんな状態のまま、父は62歳で死ぬことはないと医者に言われた肺炎であっけなく死んでしまった。
性欲の嫌悪というもので私は最愛の父を死なせてしまった。
性欲への憎悪さえなければ、私は鬱にならず、父も弱って肺炎で死ぬこともなかったのだと思う。
私のせいで父は死んだ、私が父を殺したようなものだ、それは本当なので、誰が何を言ったとしても、自分は自分をずっと赦すことはできないし、一瞬でも赦すつもりもない。
自分が一番嫌悪するもので、自分が一番興奮してしまうという事実、そして一番興奮してしまう性欲というもので愛する者たちを死ぬまで苦しめ続けるという自分の存在を私と彼は何より憎悪して何より穢い存在だと思っている。
だからすべての者が彼をどんなに非難しようとも彼はむしろそれを喜ぶだろう。彼は自分を苦しめることでしか喜ぶことが最早できない。
彼は自分が最も苦しむ方法しか、探していない、求めていない、望んでいない。
私も同じだから彼がやっていることが何一つ矛盾していないのだということがわかる。
彼が誰一人に非難されなくなっても彼の根源的な苦しみは軽くはならない。
私が兄に赦されても、私が姉に赦されても、私の苦しみは小さくはならない。
ただ今以上に苦しめることしか、望んでいない。彼も私も。
性と死の繋がりが、私にも彼にも在る。それは、自分の死だ。
自分のせいで誰かが死ぬということは、自分の死でしかない。
そのような死はどうやって生きることができるか、もう生き地獄以外を一瞬たりとも望むのはやめようと誓うこと、彼はようやく生きようと思い、生きたいと願うようになった。
そんな彼を知って、私もようやく、「もう一度生きようと思った。」と思った。
今思えば、18年前にこの誓いは既に私と彼の間で交わされていたように感じる。
「生き地獄以外を一瞬たりとも望むのはやめようと誓う」人生を生き抜こうと互いに誓い合ったような気がする。
そのような道しか僕らにはないんだよ、そう彼が心の中からコンタクトを送ってくれたように感じる。
私は君を苦しめられるならどんなことをしてでも苦しめたいが、今こうして肯定の言葉ばかり書いている。
彼の苦しみを信じるのは自分の苦しみを信じたいことに他ならないのだろう。
苦しみに縋るようにしてしか生きていけなくなったのだろう。
いつでもそれが、依存という形であった。
母に依存し、性に依存し、父に依存し、絶望に依存し、苦しみと悲しみに依存することしかできなかった。
命に依存し、死に依存し、美しいものに依存した。この世界のすべてである神に依存し続けた。
私は心から依存を愛する。愛とは依存そのものであると感じている。
彼は自分のやったことを肯定する日は一生来ないだろう。私にも一生来ない。
自分を肯定することをしないのに、自分を映したすべてのものを肯定していくとは、なんという作業だろう、どれほど混乱という苦しみを彼に与えるだろう。
光を感じるほど、彼は苦しみを覚えることができるのだろう。
だから私は彼に光を与えたいと思う。
私も彼も光を求め続けるだろう。
必要なすべてを求め続けるだろう。

彼が救われなければ、殺された子たちも、たくさんの生き物たちも救われることは決してないだろう。
殺された子供達の冥福を祈ることは同時に殺した彼の幸福を祈るということだ。
そして彼の幸福とは、彼が何よりも苦しんで罪を償って行きたいと誓うその愛にしかないのだろう。
殺された子供達の冥福は、自分を殺した彼がその愛によって生きることができることにしかないのだろうと私は思う。
だから彼が耐えられ得る限りの苦しみを苦しみ続けられるように私は祈り続ける。
私が彼に似ていると思うところは、元々、彼も私も苦しみでしか生きられなかった人間だったのではないかというところで、何よりそれに私は心の奥底で共感し続けていた気がする。
苦しみを言い換えれば、悲しみという言い方になる。
彼の好きだったユーミンの「砂の惑星」という曲も、あれは悲しい音階の曲だ。
私もそういえば小さい頃から教育テレビで流れていたみんなの歌の谷山浩子が歌う「まっくら森の歌」というとても悲しくて寂しい歌が好きだった。
14歳で生まれて初めて夢中になったゲーム「クロノ・トリガー」というRPGゲームの音楽で一番好きだったのは「風の憧憬」という寂しく悲しげな曲だ。
クロノ・トリガーは95年にリリースされ爆発的な人気を博したゲームだと思っているのだが、彼はクロノ・トリガーをやったりはしていなかったのだろうか。
クロノ・トリガーは世界で一番素晴らしいRPGゲームだと私は思っている。
しかし私はそのあとくらいから不登校になりだし、中三では滅多に行かなくなり、たまに午後から行っては休憩時間に一人で中原中也や宮沢賢治の生涯の本を読んだりしていた。
私が人生で一番最初に深い共感を覚えたのは中三のときに中原中也を知ったときだった。
中也が十五歳の頃に地方新聞に送って入選した八十四首の短歌のなかで、一番印象的な歌がある。

「人をみな殺してみたき我が心 その心我に神を示せり」

私がこの歌に彼を見るのは、前半の部分ではなく、後半の「その心我に神を示せり」という部分だ。
神聖かまってちゃんのアルバム「みんな死ね」が多くの者の共感を呼び馬鹿売れしたように、全員を殺してみたい、全員死んで欲しいと思うことは多くの人があるが、そう思う自分は神を示している。神を示した。と思う人はあんまりいないのかもしれない。
彼は最初に猫を殺したときに、死を自分でコントロールできたことで、僕は死に勝利したのだ。と胸を震わせた。死とは、言い換えれば神である。神に勝利し、自分が神であるのだと神に向かってそれを示したということになる。
中也はしかしのちには二十一歳の頃に「寒い夜の自我像」という詩で


神よ私をお憐(あわ)れみ下さい!

 私は弱いので、
 悲しみに出遇(であ)うごとに自分が支えきれずに、
 生活を言葉に換えてしまいます。
 そして堅くなりすぎるか
 自堕落になりすぎるかしなければ、
 自分を保つすべがないような破目(はめ)になります。



と深く神に赦しを乞うように書いている。
自分の罪の重さを知る者ほど、神に赦しを求めずにはおられない。
自分の愚かさを知る者ほど、この世界において、自分がちっぽけな存在であることを覚えずにはおられない。
彼と中也は似ているように思う。
高慢であるがゆえの愚かさを二人ともよく自分でわかっている人間に思う。
そんな自分に苦しみ、そんな自分がいかにちっぽけであるかをよく知っているのだと思う。
だからどんなにナルシストであれ、自己陶酔的な言葉を書くであれ、そこに書かれた言葉たちは子供のように無垢で純粋で、美しさが止まることのない水滴のように滴りすべてのページを潤わせている。


イエス・キリストは道行く野で死んで腐り果てていた大きな動物の剥き出した歯を見て、使徒たちが怪訝そうな顔をしている中、一人でそれを見た瞬間にこう言ったという。
「なんという白さだろう」
イエスは漂う腐敗臭にもおぞましき姿にも心をゆがめることなく、その歯の白さのあまりの白さに感激したという。
イエスは死を悪いものとして見ないので、その無残な死体を見ても、子供以上に純粋な心で感激したのだろう。
だから私は思ったのだが、これは下手したら、イエスは残虐に殺された人間のその姿を目にしても、同じように「なんという鮮やかな赤さだろう」というように感激するのではないのか、と思い、神は、死さえ美しいと感じるものなのかもしれない、と思うと彼が自分で殺めた子の変わり果てた姿を見て、「美しいと感じた。」のは、あの瞬間人間に理解し得ない神という真理がその時彼の内に降りたのかもしれない。

すべての者に役割があるのだと思うと、彼を非難している者たちは非難する役割を持っているのだと思える。
誰も自分のために非難しているとは思えない。非難することはとても苦しいことだからだ。
自分のためだけに人を憎悪し、人を嫌悪する者もいると思えない。
今どうしているだろうか、WIMAXが料金未払いで利用停止中なので、二日間ずっとこれを書いている。ネットが使えないと、とても静かな日々だ。ゴミ屋敷となっていた部屋を片付け、溜まった洗い物を洗った。随分すっきりとした。
私はなぜか、彼は少年医療院を出てからもずっと厚い保護のうちできっと楽目な仕事をして自由のほぼ利かない生活をしているのではないかと勝手に推測していた。
だからネットも使えないだろうし、隔離された生活の中、人々とよき交流を持って、ささやかな生きる喜びを私以上に感じているような気がしていた。
だから「絶歌」を読んで、彼のその後を垣間知ったとき、自分が恥ずかしかったし、また驚いた。
私がごろごろしたりチャットに時間を費やしている間、彼は孤独に暮らしながら肉体労働で汗を流していた。
本当に尊敬するし、感服する。
私が何度もの恋愛をしては恋愛を終わらせているあいだ、彼は誰一人も好きにならないようにと自分を制し続けていた。のだと思っている。
ストイックなのではなく、ストイックならざるを得ない彼の苦しみに憧れている。
空(くう)というこの世界の真理を開いた竜樹という賢者が、もともとはとても残忍非道でまた自分勝手な外道な人であって、しかし愛する友を何人も喪ったことによりそれはそれは苦しみ抜き、えらく悔悟し、そしてやがて真理に目覚めたという話が私は大好きだ。
聖書にもマタイ21章31節の

「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。」

という言葉があるように、「罪人ほど神の国に近い。」「悔い改める者は幸いです。彼は神の国に入るだろう。」というような意味の言葉が何度もある。
重い罪を犯した者ほど深く苦しんで自分の愚かさを反省して聖者に近づくことができるというわけだ。
しかし浅い罪しか犯したことのない者は、浅い苦しみで浅く反省することしかできず、聖人にはまだまだ遠いという意味だ。
「何故、人を殺してはならないの?」という問いに、彼自身が自らの経験により導き出した答えに私はひどく感動を覚えた。
何故、人を殺してはならないか、自分は殺されたくないだろうという答えは最早効かない、自分が生きている意味が何も解らない人たちにはその答えが意味を成さない。
でも彼は、とても素直な答えを言ってくれた。経験者ゆえの重い言葉だ。初めて引用するから緊張してしまう。


大人になった今の僕が、もし十代の少年に「どうして人を殺してはいけないのですか?」と問われたら、ただこうとしか言えない。
「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」



誰かが、ではなく、「自分自身が想像以上に苦しむことになるから」と彼は言った。これ以上に説得力のある言葉はないだろう。自分がどれほどの苦しみに耐えられるかを誰も知らない以上。彼は経験者なので、彼は自分の苦しみを死ぬまでずっと言葉にして人々に知らせなくてはならないと感じる。
彼はそれをやりたいのだと思う。これ以上苦しめたくない人を苦しめてでも、それをやらなくてはならないのだという苦しみも含めて、彼はそのすべての苦しみを伝え聞かせていかなくてはならないのだと、これはまるで神の命令であるかのように、彼はわかっているし、私はそうとしか彼を見て思えない。
神の使命を感じとる者がどのようにそれを逆らうことができようか。
神の任務以外に、どのように私たちが生きることができるのだろう。
神の愛に、底がない。
私は今日、彼の本を後ろに立たせ、その前には彼によって天に召された猫たちに、彼の手の中でひとつの人生を終えたふたりの子どもたちが護られているという世界を創り上げた。
ずっと前にヤフオクで落札した可愛いふたりの子供の置物が、とてもふたりに見えて仕方なかったからだ。
この世界は、私の信じる「神はすべてを祝福している」という世界を象ったものだ。
「神はすべてを祝福している」という世界は、すべての者が、苦しみの分だけの喜びを与えられるという世界だ。
誰かは悪で誰かは善なのではなく、あらゆる者すべてに神の愛が均等に降り注がれているという世界だ。
苦しみが深まるほどに愛が深まってゆくのならば、私たちは深い愛の中に数え切れない苦しみが秘められているのをいつの日か知ることができるだろうか。
誰かを救うためにみずから死を選んだ者の犠牲の愛が、あまりに重い苦しみでできているということをこの目を疑うことなく目の当たりにすることが、喜びになる日を待ち望んでもいいだろうか。
神の夜半の暗闇から冷気を伴う手が、朝の光の中から差し延べられる手とまったく同じだろうか。
今日泣いている者が、明日には笑うことができて、今日笑っている者は、明日には泣くことができる、それを悲しみと呼んでも、喜びと呼んでもいい、悲しみの喜びと呼んでもいい、神はすべてを私たちに任せ、すべてを神の源から行っているのだと夢の中で告げてくれるだろうか。
せめて眠りの中では、母に抱かれて眠る幼子のように苦しみから解き放たれる時間が存在するものすべてに与えられんことを。
幾度、肉体を失おうとも、また生まれたい場所へ生まれてくるように。
またその喜びが、誰かに向けられんことを。
透明な息が、私たちの存在であるということを。
殺されないようにと祈っても、自分が殺しているなにかがあるということが、とても悲しい。
すべてを愛していても、すべてを殺さないことができないことが、とても悲しい。












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