「sheep sleep sharp」藤田貴大 インタビュー
藤田 貴大(ふじた たかひろ、1985年(昭和60年)4月27日 - )は、日本の劇作家・演出家。「マームとジプシー」主宰。
こういう若者が居ると、若者って俺の4つ下だが、こういう若者が居ると俺は、嬉しい。とても共感できる良いインタビューだったので好きな箇所を載せる。”言葉”っていうものは、言葉を信用しないほど、面白くなる。そこをわかってしまうと、もう言葉の魔力にとり憑かれてしまう。
以下転載。
最初から変わらず暗い世界で、言葉のなさを想像する
――2014年の『小指の思い出』を皮切りに、2015年には寺山修司原作の『書を捨てよ町へ出よう』を上演して、昨年末には『ロミオとジュリエット』があったわけですよね。三作とも青柳いづみさんは出演していて、そこで彼女は絞首台に立ち、パチンという音とともに自爆し、ティボルトを殺して自らも毒を飲み命を断つというキャラクターを演じています。藤田さんはオリジナル作品でも死というモチーフを扱うことは多いですけど、死っていうことについて他人の言葉を通じて考えて続けてきたということも、今回の新作に繋がっているんじゃないかと思うんです。
藤田 本当に、何でそんなことをずっと描いているのかわからないんですけどね。これは具体的に語るつもりはないんだけど、地元で起きた出来事というのがあって、そのことについてこないだ初めてネットで検索したんです。そのことに目を背けていたところはあって、自分の記憶の中の話としてしか考えないようにしてたんだけど、今度の新作について考えている最中に初めて検索してみたんです。僕の地元で起こったよくない事件がいくつかあって、検索して出てきたこともあったし、出てこなかったこともあって。ニュースっていうのは事実だけを並べ立てるわけですけど、やっぱり結構きつかったんです。僕は自分の記憶の中で「あの人はああいう人だったよな」ってことを追い続けてたんだけど、ニュースはめっちゃ俯瞰して事実だけが並べられていて、短い記事なのに何時間も読んでたんです。そこで改めて思ったのは、僕はやっぱり、死ぬ前に見た暗さみたいなことをやりたいんだなってことで。暗さっていうのはブラックアウトするとかってことではなくて、この世界って本当に暗かったなってことなんです。僕の知り合いの中にも、「この世界ってどんづまりだな」ってことを思った人が何人もいる。その瞬間みたいなことを、どの作品をやっていても考えるんですよね。
その記事を読んだときにもう一つ思ったのは、2017年現在の社会のことで。去年あたりから明るみに出ていることはあって、これからどうなっていくんだろうって不安も年々急速に増してるとは思うんです。でも、そんなことが起こらなくたって最初から暗かったよなと思うんですよね。本当につらいなとか、本当に暗いなってことを感じてた人が身の回りにいる。その人たちが思っていたことがわかりやすい形で明るみに出るときってあるじゃないですか。震災もそうだし、政治のこともそうだと思うんだけど、それをきっかけに明るみに出ただけで、最初から最後まで世界なんて変わりはなくて、どの時代に生まれるかって偶然性があるだけだと思うんです。僕らの親の世代はあからさまに戦争を経験しないかもしれないけど、僕らの世代は経験するかもしれないとか、そういうレベルの違いがあるだけだと思うんです。どこでそれが明るみに出るかって問題があるだけで、最初から変わりない世界を生きているだけなんじゃないか。そんな世界をただ生きているっていうことを、戦争だとかそういうわかりやすいモチーフを入れずにやれたらなってことを思ってます。
――今の話を掘り下げて考えるためにも、もう少し『ロミオとジュリエット』について聞いておきたいと思います。あの作品で印象的だったのは、藤田さんが書き加えた「このことに言葉なんてない」という台詞なんですね。あの一行にすべて集約されているんじゃないかとさえ思ったし、作品全体にも言葉に対する絶望みたいなものを感じたんです。
藤田 やっぱり、「言葉とかじゃないよね」って思うことが年末にあったなと思っていて。言葉を扱ってきたけど、言葉でどうにかできないことって多いなと思ったんですよね。いろんな媒体があって、あいかわらず言葉を発しやすいじゃないですか。そこで皆いろんなことを言葉で形容しようとするけど、言葉がどうとかじゃないなと思ったし、言葉にしてしまった途端にチープになってこぼれてしまう感情がいっぱいあるなと思ったんです。言葉をやってしまっては駄目だっていう気持ちがない人の言葉は聞きたくないなと思ったし、言葉なんてないんだってことが前提にある言葉じゃないと自分は嫌だなと思ったんですよね。