お父さんの最期(20年目の命日に想う。)

お父さんの想いで

2023年12月30日。今日はぼくのお父さんの20回目の命日だ。
お父さんは2003年12月30日の夕方4時半頃に62歳で旅立った。
一週間前から、麻酔で眠らされ、昏睡状態だった。



俺の父親は釣りが一番の趣味だった。
小学生の頃、父親と一緒に海や川や池や湖に行っては俺も釣りをしていた。
ゴカイという餌を、生きたままハサミでジョキジョキ小さく切っていたよ。
シラサエビも生きたまま針に打っ刺して、俺は当時それを残酷だと考えていたのかどうかも思い出せない。
でも中学生の頃から、俺は父親と一緒に釣りに行っても自分だけは釣りに参加しなくなった。
海釣りで防波堤からよくゴンズイが釣れることがあった。
ゴンズイは毒の刺があるから素手で触れない。
針から外すのもタオルで押し付けてペンチで引っこ抜くように乱暴に取り、父親はそのゴンズイを海に逃がすつもりが、よく防波堤の下の段になっているところに失敗して投げてしまい、そのままにしていた。
俺はゴンズイが哀れで下まで降りて海に逃がしてやったりしていた。
釣りが趣味だと言う人は、今から話す俺の父親の最期の状態の話を深刻に聴いて欲しい。
俺の父親は62歳で肺炎で呆気なく死んだ。
死ぬ3ヶ月半前くらいから、苦しそうに咳をし出して、痰が肺に大量に溜まってしょっちゅう痰を吐いていた。
俺は何度と病院に行こうと言ったが、病院が嫌いな父はそれをずっと拒んで行かなかった。
でもとうとう11月末頃には息をまともにできないほど悪化して、救急病棟で入院したいとみずから言った。
投薬治療は一向に良くなる気配もなく、父は約1ヶ月後に容態が急変し、このままでは窒息死すると俺は医者に言われ、父は麻酔を打たれて、その一週間後に目覚めないまま、意識を取り戻さないまま死んだ。
最期に会った父は、酸素マスクをつけてとても息苦しそうに、ゼエゼエと呼吸して、俺と自分の娘や息子たちが来るのを待つ為に耐えていた。
肺に、黴がびっしりと生えていたから、父は窒息するかもしれないほどの、息が苦しくてならない地獄の苦しみに何時間も苦しみ続けた。
それから、麻酔を打たれて眠らされた後も、肺に溜まった痰を取る為に鼻の穴の中から細いチューブを入れられて、その時、必ず苦しんで麻酔から覚めるように身体を動かして、その都度繋げている医療機器が軋んで恐ろしい悲鳴を上げるんだ。
地獄の底から響くような恐ろしい悲鳴だった。
父は意識が眠るなか、地獄の苦しみを経験して死んでいったのかも知れない。
俺は今になって想うんだ。
父のあの死に方はまるで、父に釣られた魚の拷問地獄と同じものだったんじゃないかって。
父は医師が口に上手く酸素チューブを取りつけられなくて、喉に穴を開けて、そこから太いチューブを差し込んで酸素を送られていた。
釣られた魚は喉に針が引っかかっていても、それを無理矢理取られる。
それも水から揚げられ息ができない地獄のなかで。
一体どれほどの苦しみなのか。(2019年6月25日記)



お父さんは、自分が苦しめた動物達と、同じような苦しみを味わった末に死んだかもしれないと、
今も想う。
ぼくが10,11歳(1991年)の頃、飼っていたゴールデンハムスターが子どもたちを産んだ。
すごく可愛かったけど、残念なことに彼らは頻繁に衣装ケースから脱走していた。
幼いぼくが良かれと想って彼らの巣箱にしていたマーガリンの空き箱の上に載って、彼らは容易に
脱走できる手段を覚えたんだ。
ハムスターは本当に利口だ。でもそれが裏目に出てしまった。
お父さんは、それが絶対的に許せなかった。脱走したハムスターたちが洗濯機の下の隅っこで
頬袋に溜めたヒマワリの種などを吐き出し、そこら中に糞やおしっこをしてしまった為だ。
お父さんはもともと、毛の生えた毛むくじゃら生物が好きではなかった。
ハムスターは家に帰って来てもひとりぽっちなのが寂しかったぼくが勝手にお小遣いを溜めて
無断で買ってきて、押入れのなかで飼っていた。
お父さんにバレたとき、「絶対に逃がさない」という約束で飼わせて貰えることになった。
ところが、当時のぼくはどうしたら彼らが脱走できなくなるか、わからなかった。
脱走したときは必死に探してお父さんが仕事から帰ってくるまでに見つけておうちへ戻していた。
それでも、何度と脱走しているハムスターをお父さんに目撃され、お父さんはいつも、
物凄い剣幕で言った。(お父さんの怒りは本当に凄まじくて恐ろしかった。)
「次に逃がしたら、ほんまに棄ててまうからな!」
でも毎度、お父さんは同じことを言うだけで、棄てられることはなかった。
ぼくは子ども心に想っていた。
お父さんはああは言ってるが、本当にハムスターを棄てたりはしないだろう…
だからぼくは、そのうち気を抜き始めていたんだと想う。
まあ、逃がしても、大丈夫やろう、お父さんはそこまで冷酷で冷血ではない。
ぼくが10歳の頃だと、お父さんはまだ50歳だった。まだ若く、エネルギーに満ちていた。
ある日の、外がもう暗い時間だった。その日、ぼくよりも先に、
お父さんが脱走したまだとても小さな子どものハムスターを見つけ、捕えてしまった。
何を言っていたか憶えていないが、物凄い大声でお父さんは怒鳴り散らして、吃驚してぼくが駆け寄ると
お父さんの右手に、むんずと力強く握り締められているハムスターの姿をぼくは観た。
ぼくは泣きながら必死に訴えた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!もうぜったい逃がさへんから!棄てんといて!」
でもお父さんは、今回ばかりは辛抱切れて、限界だったようで、本気だった。
お父さんは怒鳴りながら、窓を開け、ベランダに出た。
住んでるマンション二階のベランダの、すぐ下に観える狭い真っ暗な溝川に向かって、
お父さんは握り締めていたハムスターを、勢いよく放り投げた。
子どもの目にも、信じられない光景だった。
少し寒い時期だったと想う。
お兄ちゃんも側にいて、お兄ちゃん(当時16,7歳)もお父さんがしたことに青褪めて、怒っていた。
ぼくとお兄ちゃんは、それでもお父さんには歯向かえないことがわかっていたので、泣きながら懐中電灯を持ってマンションの下へ降りて、そこにハムスターが落ちてないか調べに行った。
探しても見つからなかった。
ハムスターが一体、どこに落ちたのか、わからなかった。
もしあの冷たい溝川に落ちていたなら、ハムスターはその凍るような水の真っ暗闇のなか、
ひとりで窒息して死んだだろう。
どんなに苦しかったのか。どんなに冷たく、凍える最期だったのか。
何も、何もわからなかった。
お父さんの最期も。


















17年前と17年後の今

陽が差して来て、陽が陰るのを繰り返す。
そんな安らかで静かな午後の部屋で。
今日はとても風が強いよ、お父さん。
17年前の今日、ぼくはお父さんを喪って泣いていたのに。
17年後の今日、ぼくは大切な存在を喪ったかのように泣いている。
ふたりは、ちいさなちいさな彼らは、ぼくのことをまだよく知らない。
ぼくも、彼らのことをまだよく知らない。
でも彼らを、ぼくはお店から連れて帰って来た。
彼らは他の子たちより、安く売られていた。
ぼくは、一目見て、彼らを買うことを決めた。
彼らは、ちいさなちいさな身を寄せ合い、共に眠っていた。
ぼくは初めて、彼らに触れた。
とてもその身体は、あたたかかった。
柔らかい彼らは怯え、ふるえてぼくの手から離れた。
ぼくは店の者に訊ねた。
彼らは兄弟なのか?
店の者が言うには彼らは血は繋がっていないが、幼いときからとても仲が良くてずっと一緒にいた。
ぼくはふたりをちいさな箱に入れて家に連れ帰った。
帰りは真っ暗で、雨が降って来た。
とても寒い日で、ぼくは傘を持っていなかった。
ぼくは箱のなかの彼らを覗いた。
彼らは身を寄せ合い丸まって眠っていた。
約一時間歩いて、彼らと共に、ぼくは家に帰って来た。
ぼくはひどく疲れきっていたが、ほんとうにホッとした。
その日からまた、ぼくの家は賑やかになった。
ぼくは彼らが、ふたりで共に暮らし、ふたりで共に食べ、ふたりで共に眠る姿を眺めるのがほんとうに好きだった。
ずっとこんな日がつづくことを心から願っていた。

でも、今日、それは終わってしまった。
もう二度と、そんな姿をぼくはもう見れなくなった。
まるでママをパパが殴って、ママとパパの微笑み合う姿を二度と見ることはできなくなった幼い子どものように、目が痺れるほど独りで泣いた。
もう戻れない。
何故こんなに、世界は悲しいの…?お父さん。

肌色のちよっちは、お腹に傷を負い、初めて少し出血した。
黒色のしろっちが噛んだか、引っ掻いたのか、軽めに噛んだつもりが歯が引っ掛かった状態でちよっちが急いで逃げて皮膚が裂けたのか、わからない。
ちよっちはとても元気なのにしろっちは元気がまるでない。
ぼくは彼らを別々にした。

ぼくは彼らを愛している。
でも彼らはもう一緒に暮らせない。
もう二度と、ちよっちとしろっちは、共に眠ることができない。
どんなに寒い日も。どんなにさびしい日も。
あたたかい身を寄せ合って、共に眠りに落ちることもない。
取り戻せない時間は、どこに存在してるの…?お父さん。
どこかに、今も存在しているんだ。
今も、ふたりは、共に眠り、同じ夢を見ている。



























もう目覚めぬ夜の

今日は、父が死んで、16回目の12月30日。
お父さんは、知っているかな。今年の10月11日に、こず恵と共に、11年半もの月日を生きたみちたが死んだ。
父とは22年と4ヶ月、母とは4年と9ヶ月、わたしは共にいた。
みちたはわたしにとって、二番目に、わたしの側で共に長く生きて、わたしより先に死んだ存在だ。
つまりわたしは、わたしを、またも喪った。
わたしはわたし自身を。
どうして耐えられているんだろう?心から、不思議に想う。
自分をもう3人も亡くしたのに、わたしは今でも、時に笑ったりするよお父さん。
わたしは11月9日から、母が通った場所と、同じ場所に通ってる。
エホバの証人の王国会館という場所だ。
今は週に2日、王国会館で行われる集会でエホバの証人たちとの交わりに参加し、週に一度、聖書の研究を姉妹のお家で行っている。
そしてここ何日も、一日中動悸に悩まされていて、胸が痛い。
わたしは…自分に降り懸かる試練を呪ったりはしないけれど、耐え難いものがあるよ。
自分の信念と、母の信念が、本当に違うものなのか?それをわたしは確かめようとしている。
母が信じた神と、わたしの神の、どこが違うのか?そしてそれは違わないということがわかるまで、わたしのこの苦しみは取れないだろう。
こないだ、想いを寄せる長老である兄弟に、直接こう問い掛けた。
だれひとり、滅ぼさないで欲しいとエホバに祈り続けるのならば、その祈りをエホバは聴いてくださるのですか。
兄弟は、エホバへの祈りは、聴き入れられるものと、そうではないものがあると言われた。
エホバ神は、自分を喜ばせる者の祈りだけを、聴き入れられるお方なのである。
自分は、これを知り、がこんっ、と鈍い音のする鈍器で脳髄を思い切り殴られたような衝撃を受けた。
わたしは、スピリチュアルに深く傾倒している人間であり、すべての存在は永久に不滅であると信じている。
だがその確証は、どこにも存在しない。
もし、エホバ神が全宇宙の真の神であられ、この世界は無慈悲にも、エホバに逆らう存在は永久に滅ぼされてしまう世界だとしたらどうする。
その可能性の存在を、深刻に考えるべきである。
わたしは、エホバが真の神である可能性がある限り、エホバへの祈りを、し続ける必要があるのだということに、今更気付いて、胸が張り裂けそうだ。
エホバが求めているものとは、イエスと同じ犠牲である。
その犠牲なくして、どうしてわたしの祈りがエホバに聴き入れられようか?
信じたい神を信じていたらそれで良いなんて、言ってられない。
すべてに可能性がある世界じゃないか。
何が真の真実であるかを確実に見極める力がどこにあるのか。
もうすぐ、年も明けるな。年越し蕎麦には、玉ねぎの掻き揚げでも入れようかしらん。正月の夜にすぐに飲めるために、屠蘇酒を前もって作っておかねばなぁ。その為に味醂も買っておいてある。ははは。俺は準備が良いなあ。などと疲れ切った虚ろな目で考えている人間の何処に?この全宇宙の真理を見極める力が存在していようか?
わたしは人間の能力には限界があると言っているのではない。
すべては無限の力を秘めていると信じている。
だがそう安易にも、本当のことがわかるとは、想っちゃいない。
エホバが真の神ならばどうする?
イエスは終末の様子を、こう述べている。


天と地は過ぎ去りますが,私の言葉は決して過ぎ去りません。
その日と時刻については誰も知りません。
天使たちも子も知らず,父だけが知っています。
人の子の臨在の時はちょうどノアの時代のようになります。
洪水前のその時代,ノアが箱船に入る日まで,人々は食べたり飲んだり,結婚したりしていました。
そして,洪水が来て全ての人を流し去るまで注意しませんでした。
人の子の臨在の時もそのようになります。
その時,2人の男性が畑にいて,一方は連れていかれ,他方は捨てられます。 
2人の女性がひき臼を回していて,一方は連れていかれ,他方は捨てられます。
それで,ずっと見張っていなさい。
主がどの日に来るかを知らないからです。


これは新世界訳(エホバの証人だけの聖書)の今年に改訂された新訳版の、マタイ24章35節から42節の聖句である。
知る人ぞ知るシルバーバーチという聖霊たちのメッセージは、イエス・キリストから来ている。
イエスの預言を、スピリチュアリストは決して軽視することはできない。
終末の時には世の半分の人類は神のもとへ連れてゆかれ、残りの半分は、神のもとではない何処かに、捨てられる。
聖書では終末のあとに千年王国が訪れて、すべての死者は復活させられるが、その神による千年統治の最後には、サタンが世に離されて、最終の審判によって、永遠に生きる存在と、滅びる(永久の滅びに至る)存在とに選別される。
そして神の王国が、真に実現し、その国は、永遠に、存在し続ける。

わたしは同じ日(28日)に兄弟に、震える声で切実にこうも問い掛けた。
わたしがエホバに背いて、わたしが滅ぼされても、エホバに忠実である母は永遠の楽園で幸福に生きるのですか。
すると兄弟は初めて深刻な顔で言葉に詰まり、じっと俯いて少しの間考えておられた。
そして優しい笑顔をわたしに向けて穏やかにこう訊ねた。
上田さんは、お母さんを喜ばせたいですか?
つまり兄弟は、こう言いたかったのだ。
お母さんを喜ばせたいのであれば、エホバに喜ばれる生き方をするべきなのではありませんか?
そう…兄弟は、わたしのこの問いに、答えることはできなかったのである。
何故ならば、答えがNOである場合、楽園は幻想であるということになり、答えがYESである場合、わたしの母は、我が子が滅びようとも幸福でいるまるで心の死んだ自動人形のようであるからだ。
わたしは、あらゆる意味の悲しみに、打ち拉がれているのに、何故か心は同時に、あたたかくもあるのだった。
それはエホバの証人が、本当に愛の深い人間たちであるという幻想を打ち砕くことが、難しい(容易ではない)ことであることを、わたしが感じているからだった。
お父さんの命日なのに、お父さんのこと全然書いてへんね。
でも今日お父さんが夢に出てきたよ。
お父さんは実家で洗濯物を干していた。
今でもそこに、いるみたいに。
今、失われた時間のなかに、わたしも父も母も兄も姉もみちたもいる。
すべてが失った大切であたたかい時間が、すべての存在に戻る時間。
その世界を、わたしは楽園と呼ぼう。
もうだれも、耐え難い苦しみのなかで死んでゆくこともない。
わたしはその世界を、真の神の国と呼ぼう。
イエスの御声が聴こえる。
夜明けは近いから、目を覚ましつづけていなさい。
もう目覚めぬ夜の、深く静かな処から。

















夜明け前の声

第三次世界大戦 絶望

今日で父が死んでから15年が過ぎた。

毎年、この命日に父に対する想いを綴ってきた。

人間が、最愛の人を喪った悲しみが時間と共に癒えてゆくというのはどうやら嘘であるようだ。

時間が過ぎて、父を喪った日から遠ざかってゆくほど喪失感は深まり、この世界はどんどん悲しい世界として沈んでゆく。

それはわたしがだんだん孤立して孤独になって来ているからかもしれない。

父の死と向き合う余裕さえないほど、日々は悲しく苦しい。

ここ最近毎晩、赤ワインを必ずグラスに6杯以上寝床に倒れ込むまで飲んで寝る。

胃腸の具合も最悪で歯もぼろぼろになって来ている。

こんな状態を続けていたら母の享年44歳までも生きられそうもない。

亡き最愛の父に対して、特に今は言いたいことは何もない。

もし父に再会できないのなら、わたしはまったく生きている意味も価値もない。

もしできることなら、タイムスリップしてこの気持ちを父に伝えて父を悲しませられるならどんなに喜ばしいだろうと想う。

父はわたしの為にもっと悲しむべきだった。

わたしがどれほどお父さんの為に悲しんできたか、それをお父さんは知るべきだ。

今も必ずどこかで生きているはずなのだから。

父は突然容態が急変した死ぬ一週間前に麻酔を打たれて眠らされた。

麻酔が打たれ、集中治療室のドアが開かれて、そこで眠っていた父の姿は、生きている人だとはとても想えなかった。

無理矢理人工呼吸器を喉の奥につける為、歯が何本と折れ、口の周りには血がついていた。

あとで折れた何本かの歯は肺に入ったと半笑いで若い女医から聞かされた。

喉には穴が開けられそこに人工呼吸器が取り付けられ、眼は半開きで髪はぼさぼさの状態でベッドの上に父は寝ていた。

無機質な白い空間のなかで冷たい器具に囲まれ、父は何度もそれから死ぬまでの一週間、肺から痰を吸引する時に鼻から管を通す際、必ず麻酔から少し醒めては苦しそうに呼吸した。

それでも一度も意思疎通はできずにそのまま父はあっけなく死んだ。

その間の父の肉体的苦痛と死を想っては、わたしは精神的な地獄のなかにいた。

もしかしたらあの一週間の間、拷問的な苦痛が父を襲っていたのかもしれない。

でもわたしたちは側にいても何もしてやれなかった。

姉と交代で集中治療室の父の側で眠る日々の絶望的な地獄の時間を想いだす。

父が側で拷問を受けているかもしれないのに、わたしはそれをやめろとも言えなかった。

ただ側で眺めて、苦しんで涙を流すしかできなかった。

一週間後に死ぬことがわかっていたなら、あんな苦しい目に合わせずに済んだと。

後悔してもしきれない。

何のために父があれほど苦しまねばならなかったのか。

何のために母は全身を癌に冒され死んでゆかねばならなかったのか。

今ではそんな疑問も持つことはない。

わたしたち人間のほとんどは、それを与えられるに値する罪びとだとわかってからは。

言い訳をすることすらできない。

いったい神に対してどんな言い訳ができるだろう?

何年か前に見た映像の屠殺された後の牛の血だらけの頭が、父に見えてしまったことは本当なんだ。

何故わたしたち人間は、それを回避できるだろう?

何故わたしたち人間は、安らかな死を許されるだろう?

何故わたしたち家族は、この死ぬ迄消えない苦しみについて、神に対して苦情を申し立てることができるだろう?

わたしたちのほとんどはまるで幼子の様に善悪を分別することすらできていない。

人類に耐え難い苦しみが終らないのは、人類が動物たちに耐え難い苦しみを与え続けているからなんだ。

堪えられる苦痛ならば、自ら命を絶つ必要もない。

堪えられないから自ら命を絶った人たちのすべてがわたしたちの犠牲者なんだ。

何故わたしたちがのうのうと楽に生きて死んでゆくことが許されるだろう?

神が存在するのならば、わたしたちのすべてはすべての存在の為に犠牲となって死ぬ世界であるはずだ。

安楽の人生と安楽の死を求めることをやめてほしい。

きっと求めるほど、罪は重くなり地獄に突き落とされるからだ。

楽園を求める者、弥勒の世を求める者は今すぐ耐え難い者たちを救う為に立ち上がって欲しい。

最早、父の死を悲しんでもいられないほど、深刻な時代だ。

ナチスのホロコーストが、20年以内に日本でも起きるかもしれない。

数10年以内に、肉食という大罪により、人類は第三次世界大戦と世界的な飢餓と水不足と大量殺戮と人肉食と大量絶滅を経験するかもしれない。

人類はいつまでも幼子でいるわけには行かない。

夜明け前はもっとも暗い。

わたしたちはすべて、受難への道を進んでいる。

それがどれほど苦しいことなのか、想像することもできない。

世界の家畜頭数はFAOの2014年データによると、

    世界の人口は73億人
    牛は14.7億頭
    豚は9.9億頭
    羊は12.0億頭
    山羊は10.1億頭
    水牛、馬、ロバ、ラバ、ラクダなど大きな家畜を含めると合計して50.0億頭
    鶏は214.1億羽

世界の人口の4分の1は15歳未満の子供であるので、世界全体で、だいたい大人1人当たり、約1頭家畜を飼っていることとなる。

また鶏は採卵鶏あるいはブロイラー等として214.1億羽飼養されているので、人口1人当たりでは、2.9羽飼っていることとなる。

鶏以外のすべての四肢動物は人間の3歳児ほどの知能があり、同じほどの痛覚を持っているとされている。

3歳児の痛覚と、成人の痛覚はどれほど違うものなのだろうか?

 

すべての人類の罪を、すべての人類によって分けて償ってゆく必要がある。

楽園は存在しない。

でも救いは必ず存在する。

殺されゆくすべての動物たちはわたしの父であり、母である。

夜明け前、わたしは一本の蝋燭に火をつけ、寝椅子に座り目を瞑った。

そして禁じられた夢の最中にわたしの名を呼ぶ大きく響く声で目が醒めた。

『こず恵』

その声はお父さんとお母さんの声の合わさった声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陽光

ずっと幻影を見てきた。
光が見えるという幻影を。
闇のなかでわたしの霊と、話をしてきた。
それがどこまでも、わたしに光を与えてきた。
悲しげな光はわたしに安らぎを与え、それ以外はわたしに翳りを与えた。
夜には凍えたわたしのちいさな足先を、あたたかいお父さんの足先にこすり付けると、
お父さんはびっくりして声をあげた、あの幻影はわたしに翳りを与える。
父の14回忌の今日、わたしの足先はまだ冷たく、わたしに翳りを与える。
あの日の幻影から、遠ざかるほど、父もまた、遠ざかり、翳りに光は増す。
幻は光であり、その影にわたしは不安を覚え、近づける翳りに陽光を見る。
それがどこまでも、わたしに翳りを与えてきた。
闇のなかでわたしの霊と、目を交す。
暖かい光はわたしに不安を与え、それに渇き、追い求めずにはおれなかった。
昼には温もりの手を繋ぎ見上げれば、面を被った顔の見えないお父さんがおり、
わたしはびっくりして声をあげた、あの日の幻影に、わたしは陽光を見る。
でもわたしの内に、哀しくないものはあろうか。
哀しげな光と哀しげな翳りのほかに、あろうか。
闇夜には凍えた陽光が、暖かい翳りに照らされ、眠るわたしとわたしの霊は、
めざめさせられては喪いし日を心做しか遠ざかりしまま夢む。
なにごとかも日を追いし、日没まえにあまさず眠るまま夢む。
今見た光に翳り射し、明日見る翳りに射す光は、顔の見えぬ父の面様の陽光の様。






















祝福

今日であなたが死んで十三年が過ぎました。



お父さん。
わたしは死ぬまで苦しみたいのです。
わたしがあなたを死なせてしまったことを死ぬまで苦しんで悲しんでいたいのです。
だからどうか、わたしの苦しみを悲しまないでください。
わたしは自分でそう選んだのです。
わたしの悲しみと苦しみを、どうか悲観的に思わないでください。
むしろ、わたしが願ったものをわたしが受けつづけていることに共に喜んでください。
わたしは、毎日生きているという実感がありません。
毎日、亡霊のように夢の中を生きているような感覚でずっと生きています。
わたしはもう、此処に生きていないのかも知れません。
ではどこに、生きているのでしょう。
わからないのです。
でもわたしは日々、喜びや悲しみや苦痛を感じて生きていることは確かです。
もうどこにも存在しないのに、存在しない存在として生きているようです。
「わたしを抱きしめてください。天の父よ。」そうどのような顔でわたしは言えますか?
わたしは今でもあなたを変わらず愛しています。
だから苦しみつづけたいのです。
悲しみつづけたいのです。
自分しか愛せない者のように。
わたしを失う人はもうだれもいません。
わたしはすでに失われた者だからです。
わたしはきっと、あなたとは前世で恋人だったときがあったはずです。
あなたは今でもわたしの父であり、わたしの過去の恋人でした。
わたしは常に渇きます。
あなたの愛に。
今でもあなたがわたしを呼ぶ声が聞こえてきます。
「こず恵」
もうすぐあなたが息をしなくなった時間だ。
お父さんが苦しまないようにこず恵は静かにしています。
わたしはきっとあなたの傍へゆくにはあんまりまだ遠い。
時間が過ぎるのが恐ろしいのは時間だけが過ぎてもあなたに会えないことがわかっているからです。
まだまだわたしの苦しみが足りません。
あなたに再会するためのわたしの悲しみがまだぜんぜんたりません。
わたしは今でもあなたに愛されています。
確信できます。
もしあなたが、家畜に生まれていたなら、あなたをわたしは食べてしまったかもしれません。
罪悪のうちにあなたを味わい、あなたを消化し、あなたを排泄したかもしれません。
あなたを知らず知らずに拷問にかけ、あなたをわたしは殺したかもしれません。
わたしの罪は、きりがみえません。
きれめなく、わたしの罪がわたしをくるしめつづけることを望みつづけているからです。
どうかあなたの娘であるわたしと共にそれを喜んでください。
わたしの中にあなたは住んでいてあなたの中にわたしは住んでいます。
わたしは生きるほどに、あなたの記憶が霧の中へ消えていくようです。
わたしはあなたを、追いかけることもできません。
わたしはまだあなたに触れられないからです。
でもあなたはいつでもわたしに触れてください。
わたしを慰めてください。
あなたのおおきなあたたかい手をわたしは憶えています。
わたしが熱をだして寝ているとあなたが仕事から帰ってきて、わたしのおでこに手をあてたのです。
わたしはそれまでとても苦しかったのが嘘のように楽になったことを憶えています。
あなたは子を癒す力がありました。
今でもわたしを癒してください。
わたしはあなたがわたしを癒すことを知っているので好きなだけ苦しみつづけることができます。
もうあなたが静かに息を引きとった時間は過ぎた。
たった13年間でわたしはこんなに変化しました。
わたしの悲しみはますます深まってきています。
共に祝福してください。わたしの最愛であるお父さん。
この悲しみと苦しみはあなたのわたしへの愛の証です。
これからもどうかわたしを愛してください。
わたしがあなたをすっかり忘れてしまったあとも。
お父さん、わたしを愛してください。














橋が架かる

今日で父が死んで12年目になる。
父は肺の病気で2003年の9月ごろから発病して12月ごろに入院して、死ぬような病気ではないと医者からは言われていたのだが、症状は一向に良くならず12月23日に病状が急変して悪化し、その日に麻酔で眠らされ一週間後の2003年12月30日の夕方に意識の戻らぬまま息を引き取った。
父が62歳、私は22歳だった。
12年前の今日の夜ほど悲しかった日がない。
その夜ほど本気で死んだほうが楽だと思えた日がない。
あの夜ほどどんなに泣き続けてのた打ち回ってもほんの少しすら悲しみが和らぐことのなかった日がない。
とにかく人生中で一番悲しい日で本気で自殺をしようと思ったが姉兄のことを思うとそれはしないことにした。
そして時が経っていくほど確かに悲しみは薄れてゆくかと思えば、確かに薄れてはいる。
しかし薄れるというのがなんとなく違和感を感じる表現に思う。
何故なら父が死んで数年の間は父のことはよく想い出して父のことを書くことも結構できてたが、それが時が経つほどできなくなってきた。
数年は喪失と悲しみであったのが、それがだんだんと喪失の深さの深まってゆく恐怖のような感覚になっているように、想い出すことが怖くなって来た。
悲しみは薄れているというよりも、奥へ奥へと押し込んでいるのかもしれない。
それはもしかしたら、奥へ奥へ、底へ底へと押し込まなければ耐え切れないような悲しみに膨れ上がってきているからなのかもしれない。
どうしてかは、わからない。
それは自分がその悲しみから逃げているからだと思うこともできる。
でも逃げるのもまた、耐えきれないからだから、やはり悲しみが深まって来てるように思う。
自分の悲しみを受け入れる皿が弱くなったと考えることもできる。
父を喪って数年間は強くなければ生きていけないという心の強さを持っていたのが、その強さがなくても生きていけるようになった、しかしおかしなことにそれと同時に、その弱さでは受け入れられない悲しみを封じ込めようとして、封じたのはそれは、まだ強くないと耐えきれないのにもう弱くても大丈夫だろうと甘く見て勘違いした自分の心であるかもしれない。
もうずいぶん悲しみは薄まって癒えたに違いない、もう弱い心でも十分耐え得るだろうと自分の心は自分の悲しみを侮った。
ふぅと息をついて、過去の悲しみを、喪失を乗り越えようとした。
しかし、見くびっていた。
自分の喪失は、自分の思ってたより遥かに大きなものであるようだった。
自分はもう十分苦しんだ、もう楽になりたいと思って自分は、この喪失を手放そうとしたのかもしれない。
自分でもわからない。
しかし今急に涙が溢れてきたのは、そういうことなんだろうか。
私はもうお父さんを忘れかけている、これが手放してしまったことの証だと、今わたしは何の違和感もなく感じることができる。
悲しみが薄れたわけではなかった。
悲しみを封じ込めたわけではなかった。
悲しみをわたしは手放してしまったんだと自分の流れた涙がまるで証のようだ。
しかしこんなことを言うと、お父さんはどんなに悲しいんだろう。
娘の私が生きるためだとしても、どこかでいま泣いてなければいいが。
12年目の一つの考え方であるから、これが本当のわけじゃない。
ただこうやって一年ごとにひとつひとつ考えを出してって、自分がどう変わっていくかは楽しみであるし、自分が他人になっていく感覚を感じながら虚しさも同時に膨れていくようだ。

最近こんなことを思った。
地球から一光年離れるたびに、地球の一年前の姿を見ることができるという。
十三光年離れて、地球の地上に暮らす自分の家の中を覗けるなら、そこには元気なお父さんが今も生きていることだろう。
さらに二十光年離れて覗いてみたら、そこにはお母さんも微笑んでいて、小さな私と幼い兄、その傍らには若い父が暮らしている。
不思議なことに自分が幼い頃の自分の姿を眺めることもできる。
三十四光年離れれば私はまだ母の胎内で眠っていることだろう。父も母も兄も姉も私のことをまだ知らない。
もう少し近づいて、私の誕生した夜を覗いてみる。
ぷってぷてのあかてゃんの私は母の隣で眠りこけている。
ふと気づくと私の手は一つのボタン装置を持っていた。
いつ手に入れたか覚えていないが、どうやらこのボタンを押すと、今見ているあかてゃんの自分をこの世界から消滅させることができるらしい。
普通に考えたら見ているこの自分も瞬間に消滅するだろう。
っていうか、どうやったら元の地球へ帰られるか方法を思い出せんが。
とにかく自分を消すか消さないかという選択肢を何故か神はわたしにいま与え賜った。
わたしを消すことができるとすると、わたしが存在したことでのみんなの喜びもなくなってしまうが、同時にわたしが存在したことでの苦しみや悲しみを消すことができうる。
わたしが存在したことでの家族の苦しみ悲しみは、わたしがどうにかできるものではないと感じる。
しかしそれがどうにかできるようになった。
可愛いあかてゃんの私が消えたらば、そりゃみんな悲しむことだろう。
しかしそれ以上の悲しみ苦しみを私はみんなに与えてしまったと思っている。いや、これからも与え続けることになるだろう。
ならば、いっそのこと、このボタンを押して自分を消してしまったほうがいいのではないか。
未来のことを何も知らぬような顔をして眠っておる自分は、じきに悪魔の子のように育つのである。
いったいどれだけの人を悲しませ、苦しめたことだろう。
その感情は、与えた喜びよりも遥かに大きいものだ。
自分の選択に架かっている。一本の橋が架かっている、その橋を渡る渡らないを自分が決められるわけだ。
なんという自由!
橋を渡ればすべては始まる。止まることのない歯車は回りだす。
しかし橋を渡らなければ、なにも始まることもない。私は死ぬのだ。本当の意味で。
私をこの世界から除き、あとのすべての歯車が回りだす。
秩序よく、なんの欠陥もなく、止まることはなく。
いつのまにか母の隣で眠っていたあかてゃんの私は目を覚ましてきょとんとした顔で虚空を何故か見つめていた。
わたしはほんとうにふしぎでならなかった。
あの赤ん坊は確かに自分なのに、まるで自分ではないようだ。
だがその瞬間、言い知れぬ憎悪が自分の世界を真っ暗な闇で覆った。
そしてこの赤ん坊は確かに自分なのだと実感することができた。
わたしはやっと決意した。私の全身の血は私の決意に賛成し、これを神の選択と疑うことなく肯定した。
あんなに強いしがらみも未練も死の腕が伸びてきて一瞬で断ち切らせたようだ。
わたしは宇宙の虚空にふわふわ浮かびながら目を見開いて無心で手の中のボタンを押し込んだ。
その瞬間に、小さな赤ん坊の自分の意識に移ったわたしは目の前の暗く寂しい橋の上を這うようにして渡り始めた。

11年目

今日でお父さんが死んで11年目になる。
生きてたら73歳。いまでも一緒に暮らしていたはずだ。
私の鬱はお父さんが生きててもなおってなかったろうから、今と変わらず働いていなかったかもしれない。
定年退職した年老いたお父さんと働けない鬱の33歳の娘がどのように暮らしていたのか。
想像しても苦しい暮らしだ。
それでもお父さんとずっと一緒にいられたらよかったと今でも思う。
お父さんもそれを願っていた。
私のことが可愛過ぎて、一人置いて逝くのは心配だから、一緒に連れていきたいと言っていた。
一緒に行きそうになった11年前の今日の夜、一緒に行かなくてやっぱり良かったと今年も思う。
あの時は死んだほうがよっぽど楽だと思ったが、今は生きてるほうがやっぱり楽だと思える。
全部を失ってしまったんだけど、逆に全部を失ったから生きてこられたのかもしれない。
他人として生きてるわけではないが、あの日から離れてゆくほど、どうも他人に近付いているような気がしてならない。
自分というものを構成していると思っていた大切なすべてからつまらないものまで全部少しずつ離れて行って、はなれたところから他人のような目で見つめられているのだろうか。
その上で思う。生きてるほうがやっぱり楽だと。
それでも死にたくなかったと。
どこに向かうかわからないのじゃなく、だんだんと向かいたい場所が定まってきた。
私はこれからほんとうに苦しいところへ向かいたいと思っている。
今までは、生きてるほうが、楽だった。
お父さんを、悲しませたくない。
もう二度と悲しませないために、私は向かいたい場所へ向かっていこうと思う。

十年

今日でお父さんがこの世から消えてしまって十年になる。
十年前の今日、お父さんは死んでしまった。
わたしは十年経ってもまだそれを受け入れられないでいる。
信じたくもないし、受け入れたくもないのかこの十年ずっと逃げてきたのかもしれない。
思い出すことを意識的に避けてきたけれど、夢にはよくお父さんは出てきた。
悲しい夢もあれば良い夢もあった。
この十年、わたしの喪失感と悲しみはちっとも癒えていないのかもしれない。よくわからない。
この十年、わたしの中に時間は一秒も流れていない、生きてる感覚を失ったまま生活をしてきた。
それでもいろいろ笑ったり泣いたり怒ったりしたものだ。
生きている心地がしないのに、いろいろあった。

夢の中を生きているようで、こうしてそれに向き合うことはとても苦しい。
でも、生きてる感覚は忘れてしまった気がする。
どんなふうに生きてきたか、ちょっと思い出せないな。

お父さんが死んだ十年前の今日の夜、本気で死のうという気持ちが強く湧いたが死ななくて良かったと思っている。
生きてる感覚を失っても、生きていくことは大事なのかもしれない。
誰のため自分のためと言うよりかは、何の意味もなく、生きていくことが、死ぬことよりはマシなだけかもしれない。

要は自分が何を望むかなのかもしれない。僕は自分で死ぬことを心から望まなかったので、生きてるだけ。
ただそんな気持ちがいつまで続くかは僕自身わからない。
特に生きようと頑張らずに生きてきたことは確かだよ。
特に自分を責めようとして生きてきた覚えもない。

ただ、意味もなく、生きてきたように思う。
何も感じなくなるまで、もしかしたら生きるのかもしれない。

謝りたいのかもしれない、僕はただ。お父さんに。
たくさんのこと。

八年の別れ

お父さんが今日で、八年もいない。八年間、名前を呼んでもらってない。いつも、こず恵って呼んでいたお父さんとはなればなれになって八年が過ぎた。

お父さんを失ったこず恵は今お父さんのことを思い出すことができるよ。まだ思い出すことができるよ。

こず恵はね、何もかもすべてお父さんだったってことわかったよ。
けれど、いつかそれは消えてしまう、消えることをいつか知るよ。

それでも、一緒にいるよ、お父さん、お母さんも。