セックスほど、虚しく、浅ましく、退屈なものはない。

ラムサ 後悔 セックス 悔恨

わたしは最近、ラムサ 愛という名のエリクサー 改訂版』を毎日読み進めている。
此処まで鬱が深い人間が、毎日読み進められる本とは、自分にとって偉大な本だけだ。
そんな本はこの世界にほぼ存在しない。
つまり、一か月以上お風呂に入ることさえできないので毎朝ごっそりと抜け毛が取れるほど鬱症状に苦しんでいるわたしのような人間が情熱的に毎日読み進められるほど面白い本はこの世界に本当にほぼ存在しないのだ。
だから偉大な本である。
わたしにとって、ラムサは偉大な人(存在)である。
この本に、多大な付箋を付けながら読んで来た。
そのすべてを人々に是非知らせたいのだが、ラムサの言葉は全部繋がっていてあまりにも複雑である為、全文記すことが困難だ。
だからといって、かいつまんで此処に載せて、理解できるだろうか。
わたしは「スピリチュアルはわかりやすい答えがある」といった酷い誤解がなくなってほしいと切に願う。
何故なら、ほんとうにほんとうに苦しみつづけた人だけがやっと辿り着けるたったひとつの聖地だからなんだ。
我々が本当の意味で救われることのできる知識が、確かに此処だけにあると言っていい。
素直に、ぼくは何度でも言う。
「ぼくたちは本当に虚しい生き物だ。」
それは我々が神(本当の自分)を忘却しつづけ、イエスが言うように、「屍」の状態で生きているからだ。
シルバーバーチもラムサも、ぼくたちが「死んでいる」状態にあるのだと何度も言ってきたが、それは死体と等しい程に虚しいモノと化しているという意味なんだ。
ぼくたちは生きている。確かにぼくたちは生きている。それは「肉体」としてぼくたちは生きている。
ぼくたちはただ、「肉」として生きて来た。
でもぼくたちの本質は「肉」ではない。
「肉」とは我々の食卓の上に上がり、それをたった数十分かそこら味わった後、消化し、排泄するものだ。
勿論、我々はその「肉」からたくさんの栄養を摂取して来た。
その「栄養」を言い換えるならば、「地獄へと続くカルマ」と言えるだろう。
だから肉とは、我々にとっての「肉」とはすなわち、本当に苦しく、また(まだ)虚しいものを手に入れる為の価値である。
ぼくたち自身が、まさにそれなのだ。
だからあなたは日々生きてゆくなかに「退屈」や「孤独」や「空しさ」といった感情に支配される。

あらゆる感情がいずれ終わる。なぜなら、感情は時間の中で生まれるからだ。
それらは時間の中での寿命を持っており、徐々にすり切れていく。
退屈さは、あなたがそれを体験し尽くしたときに生じる。(P143)

ぼくたちは、色んな場面で退屈さを感じるだろう。
たとえばぼくは外を歩いていてもほぼすべてが退屈なものであり、とにかく苦痛なものがほとんどだ。
だが、鳩や雀や鴉や、空を観るとき、わたしの心は決して退屈ではなく、喜びを感じる。
そして、「セックス」だ。
ラムサはずっとこの本でわたしたちのセックスの浅ましさ、虚しさを延々と説いている。
わたしはこの世界のほとんどは本当に退屈で虚しいが、そのなかでも何よりも虚しいのは、「セックス(すべての真の愛のない性行為)」である。
わたしはそれを、この人生でも嫌というほど経験してきた。
そしてそのすべてが、本当に虚しかった。
愛がなかったからである。
わたしにもなければ、相手にもなかったからである。
もう二度と、わたしは本当にだれひとりとも性行為をしたくはない。
だれとも、性的な関係を持ちたくはない。
たったひとりを除いて。
わたしはわたし(Wes)以外と、決してもうそんな虚しいことをしたくない。
わたしはわたしの中に生きているWes以外と、永久にセックスをしたくはない。
セックスこそが、わたしを地獄の底へと突き落してきてくれた。
セックスこそが、わたしの愛する父を地獄の底に突き落とした。
セックスこそが、わたしを立ち直れないような人間にしてくれた。
セックスこそが、わたしを狂人にしてくれた。
セックスこそが、未だにわたしに真の地獄を見せつけてくれている。
もうたくさんだ。

真実を言えば、あなたが同じ体験を繰り返すなら、その体験はどんどんすり切れていくことになる。
あなたはその体験を、「使い古す」のである。
(P142)

ぼくたちは延々と、*同じ(虚しさをもたらす)体験を使い古しつづけてきた。
(*ラムサは二度、まったく同じ体験をすることはできないと言っている。しかし同じ虚しさや退屈をもたらす我々にとって退行となる体験を我々は繰り返しつづけている。)
さて、あなたは、一体いつ、前へ進むのか?

我々は一体いつまで、この肉に、セックスに、支配され続けて虚しく生を終えることを繰り返すのだろう。
「もうたくさんだ。」
本当の本心でそう言うまで、ぼくたちはあらゆるすべての体験を使い古しつづけるだろう。
同じ処を、ただぐるぐるぐるぐると廻り続ける。
そしてその人生のなかでぼくたちは、真の後悔を経験することになる。
もし本当に、あなたに愛があるのであれば、この後悔の苦しみは、永遠にあなたを苦しめ続けるだろう。
あなたの涙はいつまでも流れつづける。
あなたは決して忘れることはできない。
愛する彼らは、本当に地獄の底で息絶えたのだ。
我々が、「退屈」な体験を何度も何度も使い古している間に。


















ラムサの教え『ライオンとワシ――動物界から学べること』

スピリチュアル ラムサ 性愛 動物の愛 セックス

ラムサ という名のエリクサー 改訂版
ラムサ 愛という名のエリクサー 改訂版





第1章 誰もがそれを欲しがり、渴望しているが、それは何なのか?(以下、P36~P43までの転載)


 どんな動物も、どんなバクテリアも、セックスをする。では、セックスは自然なことなのか?
その通り。セックスは悪いことではない。決して悪いことではない。
だが、あなた方は霊的な学校にやって来た。
あなた方が学校に来たのは、巷にいる普通の人々よりも偉大になるためだ。
それこそが、あなた方がこの時間と金、そして人生の一部をつぎ込み、ここで学んでいる理由である。
さて、この学校以外の場所で人々がやっているすべての事柄が真実だと私は言うのだろうか?
もちろん、私はそう言うだろう。というのも、それらは真実だからだ。それらは彼らの真実だ。
しかし、あなた方はここに来て言った。
「人々がこれを信じていることを私は知っている。しかし、私は満足していない。
私はこれらのことをやってきた。私は人々に『している」と言ってきたが、そのあと自分を笑い、
自分の言葉に疑問を抱き、後悔してきた。それでも、私は自分を抑えられなかった。
その人間に対して強い性欲を感じていたからだ。その人間こそが、私をいかせてくれたのだ」
「私はいった」、これよりも露骨な表現があるだろうか?
「私はいった」である。
「私はその人間とセックスがしたかったのだ。しかし、私はその人間とうまくやっていくことができなかった。その人間も私とうまくやっていくことができなかった」
これはもちろん、自然なことだ。つねに自然なことだった。
われわれは決して不自然に作られなかった。これは真実だ。

 セックスをするからといって、われわれが悪人であるわけではない。
セックスはわれわれを悪人にするわけではない。
だが、セックスはわれわれを、信用できない動物的な人間にし、動物界と同じような「優先順位をつけない存在」にしてしまう。
これはどういうことかと言えば、動物は交尾するということだ。
つまり、大きな雄ジカは複数の雌ジカと交尾する。それらの雌ジカは、「私以外の雌と交尾しないで」とは言わない。
それらの雌のすべてが、群れの中の一頭の「種ジカ」によって子供を得るのだ。
しかし、交尾の時期が終わると、雌ジカはみな一緒に住み、自分たちの子供を一緒に育てる。
それは雌ジカ達の群れである。そして、雄ジカはみな群れから去り、雄どうしで一緒に住むのだ。

あなた方の人生の中にも、これと同じような部分がある。それは、とても動物的なものだ。
ここで、あなた方は反論し、こう言う。「ラムサ、じゃあ、これが自然であるということが真実なら、結婚は不自然だということになる」と。
あなたの言う通りだ。つまり、結婚は不自然なものである。あなたの言うことは正しい。あなたは正しい。動物界には、生涯つがいでいるような種はいるのだろうか? 
もちろんいる。それは自然なことなのか? 自然なことだ。

 われわれは大きなワシをどのようにみなせばいいのか?
巨大で堂々とした翼を持つ、大きな捕食者だ。雄ワシが恋人を見つけると、彼はその恋人とセックスし、彼女を川のそばまで連れていく。
それは、彼が彼女を養い、彼女をし、彼女とともに巣を作ることができるようにするためだ。
そして、彼らは互いにし合うのだ。
雄ジカと雌ジカとは対照的に、なぜ彼らが愛し合うのかわかるだろうか? 
雄ジカは雌ジカとセックスするだけであって、雌ジカを愛するわけではない。
交尾の時期が終われば、雄ジカは雌ジカをどんな捕食者からも守らない。
雄ジカは雌ジカの命を救わないし、自分の子供の命も救わない。
ここで、雄ライオンと雌ライオンの話だ。雄ライオンはひとつの群れに属している。
地球上で最も偉大なハンターは、男ではなく、女である。
雌ライオンは、最も偉大で、最も獰猛で、最も凶悪で、最も賢いハンターである。
一頭の雄ライオンが雌ライオンの一団と交尾するわけだが、雄は雌たちが発情したときに雌と交尾する。
そして、雌たちが獲物を倒したとき、最初にご馳走を食べるのは雄である。
あなたはまだ、この雄ライオンのことを「百獣の王」などと呼びたいだろうか? 
彼の愛人たちのほうを「百獣の女王」と呼ぶべきだろう。
そして、雌ライオンが群れにやって来ると――ここで「義父症候群」が登場するわけだが――別の血統の子供を連れた雌が自分の群れにやって来ると、雄はそれらの子供を殺してしまう。
では、何人の子供たちが、義父によって虐待されてきただろうか? 
手を挙げなさい。手を挙げるのだ。あなた方の何人が、義父と一緒に住み、義父によって精神的または肉体的に虐待されてきただろうか?手を挙げなさい。
それは「動物界」と呼ばれている。
そして、その第一の目的は、義父が子供たちを殺すか、子供たちを追い払って母親から引き離すことである。
そして、彼女が発情している限り、彼は彼女のもとにとどまるが、彼女が発情しなくなったとたんに、彼は彼女から去って別の女のところに行くのだ。

 動物界では、動物たちは適応することを学んだ。
雌たちは、親友である自分の姉妹のところに戻り、そのまま一緒にとどまる。
年をとった雄たちも、雌をめぐって戦う必要がない限り、一緒にとどまる。
だが、同じ群れの中で、一頭の雌ライオンをめぐって雄ライオンどうしが戦うことがあるのだろうか? もちろんある。
なぜだろうか? なぜだろうか? それは、その雌が発情していて、その雄の子供を産む可能性があるからだ。
雄は、その雌が別の雄との間にもうけた子供を許容することができない。雄は別の雄の子供を殺してしまう。
これは完全な嫉妬心であり、プライドである。別の雄の子供がいることは、傲慢なプライドを傷つけることなのだ。
あなたの子供をあなた以上に愛してくれる人間は誰もいない。

 雄ライオンが自分の縄張りに印をつける方法を知っているだろうか?
雄はあらゆるものに小便をひっかける。だが、雌ライオンはそのようなことはしない。
これは興味深いことではないか?人間の男も(雄ライオンと)同じようにふるまっているし、人間の女も(雌ライオンと)同じように振る舞っている。さて、これが動物の性質である。
だが、大きなワシや、キジバトの仲間のいくつかの種や、もっと小さないくつかの鳥は、伴侶を見つけると、一生つがいでいる。
それらの鳥がひとたび特別な相手を見つけると……われわれはワシについてこのことを知っており、ここで、偉大ですばらしいワシのつがいの話をする。これはDDT(*農業用の化学殺虫剤。米国では1913年以来、使用が禁止されている。)による惨劇が起こっていたときのことだが、あれらの偉大ですばらしいワシのつがいは、小動物を餌にしており、それらの小動物は、DDTを散布された果物や野菜や小麦の類を餌にしていた。
このとき、ワシの卵はひとつも孵化しなかったのだ。
そして、来る年も来る年も、ワシのつがいは雛を育てることができなかった。
このとき、雄ワシは、卵が孵化しないのは雌ワシの責任だと思って雌ワシのもとを去っただろうか?
決して去らなかった。そして今日では、今日では、これはワシの叡智だ。
これはキジバトのいくつかの種の叡智である。これはいくつかの鳥の叡智である。
すべての鳥ではなく、一部の鳥だ。
われわれはそれらの「いくつかの種」を、彼らの遺伝系列の中で最高の種として位置づけるべきだ。
これらの鳥は生涯つがいでいる。雄鳥を殺しても、雌鳥は別の雄と絶対につがいにならない。絶対にだ。
雌鳥を殺しても、雄鳥は――雄は通常、性欲に駆り立てられているものだが――絶対に別の雌とつがいにならない。

 ここで、あなた方にたずねたい。われわれは人間として、自分を動物の仲間とみなすだろうか、それとも、人間の仲間とみなすだろうか? 
われわれは動物界の中を探し、本物の愛や忠誠心や信頼を見つけることができるだろうか、それとも、自分の動物的側面を見て「動物はみな同じだ」とすぐに結論を下してしまうだろうか?

 動物界の中にさえ、愛があるのだ。
私が話している愛は、7つのシールで共鳴する愛だ。われわれはこれについて学ぶことになる。
ワシでさえ、極めて深い情熱的な愛を知っているのだ。
彼らは、絶対的な信頼や、絶対的な依存を知っている。
彼らは、自分の伴侶がかけがえのない存在であることを知っているのだ。
あなた方はワシよりもどれくらい偉大だろうか?
私は大して偉大だとは思わない。大して偉大だとは思わない。
というのも雄ワシは、卵の殻がとても弱くて子供をもうけることができなかったときでも、雌ワシを愛していたからだ。
ここでわれわれは、二人の存在が子供をもうけることができないという古典的症候群を見いだす。
だが、それでも彼らは一緒に住む。雄ワシが一羽だけで飛んでいるのを見るのは珍しいことではない。
彼らはすべて「男やもめ」だ。彼らは女を求めて走り回らない。これは、完全さを見つけた自然の存在であり、その完全さの中では、この存在は春先ごとに子供をつくることを必要とせず、その衝動さえ持っていないのである。
この存在はもはや、交尾したいという衝動さえ持っていないのだ。

 あなた方の多くが、自分の家のリビングルームやダイニングルームの外に出たことがない。
だが、思い切って外に出て、私がやったように自然を観察してみれば――この聴衆の中には既にそれをやった者もいるが――自然の中で最も偉大な性は雌であることに気づくだろう。
というのも、雌は子育ての責任を負っているからだ。雌は最も偉大な性である。
男たちがこの話を嫌っているのはわかっているが、ここでひとつ教えてあげよう。
自然界のすべての生き物は、交尾のあと、子供を育てる責任を負う必要がある。
あなた方はいまや、女がいかにパワフルであるか、そして雌がいかにパワフルであるかを理解できるだろう。
これには例外もある。男の中の女性エネルギーは、男の体を女の体にするためにあるわけではない。
男の中の女性エネルギーは、責任を負い続けるための強さである。責任を負い続けるということは、ほとんどの男が慣れていないことだ。これは真実である。

 では、移動性の動物(*移動性の動物…渡り鳥などを含む動物。)は愛を持っているのだろうか?
持っている。
彼らは「性的な愛」を持っている。
さて、あなた方の中の純粋主義者たちは、これを「人間的な行為」、「動物人間的な行為」、あるいは「動物的な行為」と呼び、単に「種の繁殖期」と呼ぶことだろう。
だが、実際には、あなた方を含めたどんな生き物も、ホルモンが溢れているときは、「あなたは特別だ」と言うどんな相手に対してもパンツを下ろすのだ。
大きいハンサムな雄ジカと一緒にいる雌ジカの場合、彼女がその日の女王でいられるのは約3日間だ。
雌ライオンが女王でいられるのは10日間くらいである。
雌犬の場合、彼女が発情している限り、彼女は女王だ。
これはまるであなた方の人生のようではないか?あなたが発情している限り、その関係は火がついていて、特別であり、あなたは唯一の存在であり、あなたはかけがえのない存在だった。
あなたは、あなたは、あなたは、あなたは――私は次の言葉を探している――あなたは、あなたは……あなたは何度も誰かと一緒になった。それから、熱が冷め始めると、いざこざが生じた。
これは本当のことだ。女を求めてうろうろしている男たちは動物である。男を求めて駆けずり回っている女たちは、大きな雄ジカを探しており、3日間、4日間、7日間、あるいは4日間の発情期間を求めているのだ。
それから彼女たちは、自分の男が別の女を求めてうろうろしているということを理由に、彼らに対してひどく腹を立てる。そう、彼女たちは動物と結婚してしまったのだ。
彼女たちは動物と寝たのである。あなたは動物に何を期待しているのか?

 一方、あれらの偉大なる特別な生き物たちもいる。私がこのことを話している理由は……私にはわかっている。
あなた方は、自分たちが地球上で最も偉大な知性を持っていると思い込んでいる。
だが、誰にもあなた方人間のことが理解できない。蝶でさえもあなた方のことが理解できない。
これは本当のことだ。私はこれらの事柄を教える必要はないだろう。あなた方はただ自然を観察すればいいだけだ。
そうすれば、動物界にも確実に愛が存在することに気づくだろう。それは、あのような情熱的な愛である。
ここで少し、偉大な猛禽類(*猛禽類……他の鳥類や小動物を捕食する大型の鳥類。ワシタカ類とフクロウ類を総称して猛禽類と呼ぶことが多い。)のことを考えてみてほしい。
ちなみに、このようにふるまうのは2つの猛禽類のうちのひとつであり、他のほとんどの猛禽類はこのようにふるまわない。
だが、偉大なワシの雄と雌は、単なる肉食動物ではない。
それらは雑食動物だが、ワシがベリー(*ベリー……ブラックベリー、ラズベリー、ブルーベリー、イチゴなど。)を摘んでそれを子供に与えるところを見る者はいない。
さて、偉大な雄ワシは、自分の妻が鉄砲で撃たれたり、電線に引っかかって死んだりするのを見ると、死ぬまで独りで生きるが、あなたはこれをどのように説明するだろうか?
ワシ達は何かすばらしいもの、何かすばらしいものを持っているのだ。
それは「愛」と呼ばれている。
片方を失ったそのつがいは、そのパートナーシップにおいて本当に完璧だったので、そのパートナーシップはかけがえのないものである。
これこそが、あなた方全員が探し求めているものだ。
あなた方は、自分の人生においてかけがえのない完璧な女、完璧な男を探しているのである。