2001年にデビューアルバムを出してそれから一体どうしているのかと気になっていた
My Vitriol(マイ・ヴィトリオール)が来年2014年にまさかのセカンドアルバムを発売する予定だという情報は果たして本当なのか、僕は信じられない不安に刈られてるよ。それは不安という草を刈られてるような感情ということであるんだけど。
久しぶりにこのアルバムを聴くとほぼすべての曲のイントロ部分で鳥肌がぞわわと立つという、一体何度鳥肌を立たせられるのだろうかっていうほどのアルバムなんだ。
まず僕の特に好きなこの一曲から聴いて頂くとするかの。
ヴィンセント・ギャロが映画並みに体を張っているPVに仕上がってる。
lastfmサイトからバンドの経緯の説明を拝借すると
バンド名はグラハム・グリーンの「ブライトン・ロック」が由来。物語に登場するピンキーは、自分を脅す人に投げかけられるようにと、常時コートのポケットに硫酸(vitriol)が入った瓶をを入れている。この硫酸(vitriol)は、彼の妄想癖、彼の底意地の悪さ、彼の権力への追求心、彼の安心感の欲求、全てを象徴している。
1998年8月、ロンドンの大学生だったSOMがRAVIに出会う。スタジオ・エンジニアの勉強をしている共通の友人が「課題の一環として」彼らにデモのレコーディングを持ちかけた。そしてその2日後、彼らは5曲入りテープを仕上げることになる。このEPでは、RAVIがドラムを叩きSOMがその他全ての楽器を弾いた。そしてこのデモはmy vitriolの『delusions of grandeur』EPとなる。
翌年このEPを手に入れたBBC/Radio1のSteve Lamacqが彼の番組「Evening Session」で放送したことからマイ・ヴィトリオールの歴史は始まることになる。その後Radio1だけではなく、このEPを手に入れたイギリス、ヨーロッパのラジオ局がこぞって彼らの曲をかけだしたからだ。実際、レコード会社各社のA&Rからのオファーは殺到したが、彼らは学業に専念することを選ぶ。とはいえ、メディアも業界も彼らを放っておくはずがなかった。彼らはインディーから1000枚限定でリリースした一枚のシングル『always: your way』と、たった7本のライブでレコード会社と契約を交わした。2000年、このシングル一曲で彼らは早くも「ベスト・ニュー・バンド・イン・プリテン」と断言される。こういった過剰ともいえる期待の中、メンバーは焦ることなくアルバム制作とツアーを同時進行させ、自分達の立ち位置を確立していく。レコード会社と正式契約後にリリースした『losing tough』、『cemented shoes』そして『Pieces』の3枚のシングルはさらにイギリスを熱狂させるに十分過ぎるものだった。
っつうことなんですな。これは驚きを隠せない、まず、二日で5曲仕上げたてどうゆうこと?って思ってしまうし、神業かっとつっこみをいれずにはおれないし、そのできあがったデビューアルバム「Finelines(ファインラインズ)」を聴いて感動にハート震わせあまりの切なさと激しくそして美しすぎる旋律に最後には中毒に至る、中毒にはならない人がいたらマインド神経が狂ってるのではないかっていうくらいのアルバムを作ってくれて、ありがとう、心から。
ではここで僕の特に好きな二曲目を聴いて頂きたいよ。
次に驚いてしまったのは全曲作詞作曲を手がけているというヴォーカル兼ギターであるSom Wardner(ソム・ウォルドナー)がスリランカ出身っていうことから僕の胸はヒートハートホットしてしまった。意味は僕自身わからない。彼のあまりのエキゾチックなビジュアルにヒートハートホットしてしまった人も多いかもしれないね。

何故ならこういう系統の音楽はもっぱら白人が多いし、またスリランカ出身っていうのはとても稀有なんじゃないかと思うから。
個人的なことになるが僕はスリランカって国と縁があるように思えてならない。
ではこの曲を最後聴いてもらって来年マジでセカンドアルバムが発売されて欲しいとキュンスカ(本当かどうかまだ信じられない不安にあるから)する想いで願わずにはおれない僕の気持ちにセーフしておこう、ってどうゆう意味なのか自分ではよくわからないんだが。
(余談:僕は兄貴の影響で洋楽を16歳あたりからのめりこんでこのMy Vitriolも2001年に兄貴から教えてもらってその後こっそり兄貴のMy Vitriolを拝聴していたが、当時、僕のお兄様がかなりの重いMy Vitriol中毒にはまりこんでいて、「My Vitriolがないと生きていけない」みたいな大袈裟なことを言い出して大爆笑した笑える思い出と共に、僕は一生このアルバムを聴き続けることであるだろう。)