ぼくの永遠の少年神Khonnorが、帰ってきたよ。

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人間は何故、音楽を聴いて、感動して涙を流したり、哀しんだり、希望を貰ったり、絶望したり、不快さを感じたり、つまらなさを感じたり、するのだろうか。
ぼくは”音”と、”色”の関係、”音”と”色”と”光”の関係、そして”音”と”色”と”光”と”波(干渉)”の関係について、潜在意識でずっと熟考してきた。
そしてそれらは、”水(液体)”と関係していることに、気づいた。
”音”とは、”言葉”で在り、感情と思考というエネルギー(念)体であることにも気づいた。
それらのすべては、存在のすべてが、生まれる瞬間に生まれたものであり、ぼくらの存在とは、そのすべてであることに、ぼくは気づいた。
でも、ぼくらの本質的なものが音だとしても、ぼくたちは最初から、”音楽”であったわけではない。
言い表すなら、それは無機質な音であり、無機質な言葉であり、無機質な感情と思考であっただろう。
それらが、何を経て、音楽をみずからの内から紡ぎ出し、音楽を奏で始めるようになったのだろうか。
音楽とは、ひとつの物語である。
そのひとつの曲のなかには小さな物語が。作者が渾身を込めて創ったアルバムのなかには、壮大な物語が、隠されている。
一つのアルバムを聴き終わったあとに、言葉にすることのできない胸が苦しいほどの感動のなかで、心が打ち震えたことが、あなたにもあるのではないだろうか。
もしかしたらすべての存在が、そんな物語(生涯)を終えて死ぬのかも知れない。
でも世の中には、糞つまらないなと感じる音楽で溢れ返っている。
何故なのだろう?
何故、こんな聴き続けることが精神的拷問に感じるほどの糞つまらない音楽を沢山の人達が聴き続けて賛美したりしているのだろうか?
今までに、本物の才能を持ったアーティストたちが、ほとんど誰からの注目も浴びることなく、孤独に死んで行っただろう。
それはその作品が、あまりに先を行っていたから、ある次元を超えてしまっていたから、低次元の人々はそこに存在するものの価値が、理解できなかったからだろう。
だがゴッホやピカソやマグリットやアルチュール・ランボオや中原中也や町田康やRadioheadやラース・フォン・トリアーなどの作品の真の価値を、一体どれほどの人間が理解できているのだろうか?
ぼくらはその半分の価値も、理解できてはいないのではないだろうか。

長くなってしまったが、ぼくはぼくの最も愛し続けてきたアーティストの一人としてぼくのなかにずっと存在してきた”彼(Connor Kirby-Long)”の実に15年振りの、死の淵から蘇生した彼のニューアルバムを、言葉で表現することがやはり難しい。
ただ彼の復帰とこのアルバムを知った5日前(6月15日)からずっと、彼のニューアルバムをずっとずっと一日中聴いている。(それは聴けば聴くほどに素晴らしくなってくる!)
全体で37回ほど再生しているのにまだ、このアルバムをどう表現したら良いのか、頭を悩ませていて、そして何度とハッと気付かされる。
それは当然ではないか。
真に優れた音楽とは、真に優れたアルバムとは、”存在”が、生まれた瞬間から今までのその過程のすべての経験を、表現したものであるはずだからである。
そしてそこには、自分と他者という境界が、存在していない次元に存在している音たちの戯れが、物語を奏でているのである。

ぼくは、彼が生きて戻ってきてくれたことが、あまりに嬉しくて、彼の悲しみが、あまりに哀しくて、彼の新しい名義Cclcngの新しいアルバム「Niagara Falls」を聴きながら、すべての存在に対する存在としての根源的な悲しみと孤独を、歓喜を、みずからの内部の底の底の方で、感じつづけないではいられない。


















Cclcng - Niagara Falls (QNR035)(彼のニューアルバムを無料でダウンロードすることができます。)


永いブランク期間に彼の身に起こったことについて、彼がインタビューに答えています。




最後に、ぼくから、人類に向けて言いたい。
彼は本物の天才である!
そして彼は、わたしたちと同じこの地球(次元)に、愛のうちに、生きている!












セクシー

トライセラ和田×バイン田中が語る、ロックバンドの美学(後編)「音楽にはセクシーさがすごく大事」

この対談を数日前に読んで、確かに、と変に納得が行ってからと言うもの、セクシーについて、ぼんやりとずっと私は考えていた。
そして脳髄の中で数々のセクシーな曲を流して検証にあたったところ、ある一つのふんぞり返るような結果が出たので報告するとしよう。

まずは「俺の好きな曲って、ほぼセクシーやんけやんけやんけ」と驚愕したのだ。
そして、そのほぼすべての曲がセクシーかつ、悲しみのある曲だとわかったのであった。
私はもともと、悲しい、切ない曲が好きだ好きだ出す気?いいや抱き巣。
悲しみが深いほど、切なさが深いほど僕は好きだったのである。
そしてその曲たちは、悲しみが深いほど、切なさが深いほどセクシーであるという検証結果がまさか、出てしまった。
それに今まで気づかなかったオラは馬鹿さ。ま、いいさ。今気づいたからいいよ。
ではこれから、たくさんの、そのセクシーな音楽を張っていこうと思うから。
思うから。思ったっていいだろ?いや、実際張っていくんだよ。
聴きたい奴だけ聴けばええのじゃっ。

では、まず、おい、トライセラの和田唱、そんな大口言うのだからあんたさんの音楽はどれほどセクシーかい?
っつっことで、トライセラの曲から張るとしようかの。

TRICERATOPS - GOTHIC RING



98年の曲だ。『松任谷由実が「初めて聴いた時泣いちゃった」と言い、その縁で彼女のラジオ番組に和田が呼ばれ、松井秀喜と共にゲストとして出演した。』んだと。
って松井がなんの関係があんねん、って、まあいい、この曲を和田は当時22歳とかで作ったわけだが、どうだろう?
子栗鼠?と思わせしめるほど小動物系の草食男子系塩顔の22歳がこんなセクシーな切ない曲を作るとは、なかなかなものではないだろか。
ちなみにトライセラは僕が17歳の時ちょうど98年あたりに好きでよく聴いていた。
ベースの林の顔がぼーっと放心しきってるようなところとか兄にかなり似ていて、顔を観たらいつも二人で一緒に笑っていた。

ところで和田唱の曾祖父は「祖先はスコットランド貴族の家系であり、一族にはナポレオンの最初の皇后ジョゼフィーヌがいる。」とされる日本美術史家、法律家のヘンリイ・パイク・ブイというじいちゃんで、若いころはやっぱりブイブイいわせてたんかな?その血が8分の1混じると子孫はtop_photo.jpgこんな顔になるわけかあ、と思った。

なるほどなあ、というところで、では次にはバインちゃんの曲は、じゃあどう?セクシーなのか?
音量差には注意しよう。

GRAPEVINE-good bye my world



2003年の曲だ。激しくもセクシーではないか。
2002年にリーダーであるベースの西原誠が楽器を弾くミュージシャンを襲うジストニアという難病にかかり脱退したことからメンバーは解散も考えたようだ。
そのあとに出された曲は今までより悲しげで寂しさの漂う曲が多い。
この曲がセクシーなのは、やはり悲しみが入った曲だからだ。
少し聴いた後ぼーっとしてしまうほど余韻が後を引く曲となっている。
しかしいつまでもぼーっとしていると、先を書けないので、気持ちを入れ替えなくちゃだめなのか?
もう少しぼーっとしていたいかも。ではぼーっとしていよう。

ぼー・………………………………………………………………………………

したした、んじゃ次は「音楽はセクシーさがないと駄目だ」と言いきっていた椎名林檎を張ろう。

Shiina Ringo x Saito Neko - ハツコイ娼女 pv


Shiina Ringo x Saito Neko - ハツコイ娼女 pv 投稿者 utadalove

椎名林檎が一番セクシーな時は僕は平成風俗を出した2007年の時だと思っている。
28歳の時に出したこの曲は他の曲のセクシーさとなんとなく何か違うような気はしないだろうか?
この曲はセクシーかつ神秘的で、そして深い悲しみが入った曲だと思う。
林檎がただ色っぽい歌い方をする歌手なら僕は決して好きになどなっていなかったろう。
林檎の曲はほとんどが、とても深い悲しみを隠している。だから好きなんだ。
でも東京事変のときの林檎が作曲じゃない曲は、なんだかただエロティックなだけでセクシーさに欠ける。
ポップミュージックとして良いのかもしれないが、ポップミュージックは軽くてもいいというわけじゃない。
軽いものが好きな人はそれでいいだろうが、僕は本物のポップとは重みの入ったポップだと感じる。
それならば深い悲しみの入った林檎の作曲の曲と軽いがエロティックな曲のどちらがよりポップかと思うと
やっぱり林檎が作曲した重さのある曲のほうがずっとポップで好きだ。
つまり、“セクシー”と“エロティック”はまったく別のものだと言うことになる。
ただエロティックに歌っても、深みがなければセクシーではない。
僕はセクシーなものが好きでも、エロティックなものには興味さえないのだから。
ここで誤解を生じそうだが、僕の言う“エロティック”と“エロス”もまた別のものだと感じてしまう。
“エロス”とは“タナトス”と対当するほどこの世界に重要なものとして存在している。
その最も重さを持つ“エロス”は“エロティック”ではなく“セクシー”なものなのだと僕は感じた。

じゃあ、次は何行こう、だんだんと深さを増していく音楽にしたいけど難しいな。
んじゃ、そこの君、うんそうだよ、君、キュートだね、君のために選んだこの曲を行ってみよう。
僕の好きなファックポニーっていうインストのエレクトロニカの曲だ。

Fuck Pony - Always Sunday



なかなかセクスイーだと思わないかい?好きなんだファックポニーたん。
でもこの曲だって何故セクスイーンだというかというと、やっぱり悲しいんだね。
悲しみを知らない大人なんて大人じゃないだろう?彼らは皆大人なのさ。
セクスイで悲しい音を奏でられるのは大人な証拠なんだ、というわけなんだ。
僕ももちろん?お・と・な、だからやはし、大人な音に惹かれるっちゅうわけさな。
悲しい悲しいよー!うオー悲しいぜー!ってのを前面に押し出してくるタイプはちょっと、なんだか、違う意味で悲しいよね…。
でもそんな人がこんなセクシンな音楽を作っちゃったら?もうあなたもメロメロなのね?そうでしょ?違うの?そうなんでしょ?
別にそれは音楽じゃなくったっていいんだよね。
そういや、さっきの林檎のPVの煙、妙にセクシーだったじゃなぁい?セクシーな自然物もぼかぁすきだなぁ。
セクシーなものはいろいろなところに隠れているようだ。
煙もそういえば、なんだか悲しげなものだよね。

次は、僕の大好きノルウェーのオイエたんで行こう。

Erlend Øye - The Talk



この曲はセクシーさの中に怒りや焦燥が強く出てるのだけれども
彼は何故怒りと焦燥を抱えてるのだろう?
怒りと焦燥はどこからやってくるのだろう?
僕が怒りと焦燥を持つ時、それは、悲しい時だ。
好きな人からスルーされた時や、好きな人から冷たくあしらわれた時に怒りや焦燥となってイライラとする。
それはいつも悲しくてやりきれないからだ。
この曲がとてもセクシーなのはただただムカついてるからじゃない、愛する人に愛されなくて悲しくてそこに激しい感情があるからだ。


どんどん行こう。次はドイツのヴィクセル・ガーランドにしよう。

Wechsel Garland - Walker



なんて大人な音楽なのだろう?
ただおしゃれな音楽はたくさんあるだろうけども、僕はただおしゃれな音楽は聴きたいと思わない。
おしゃれに共感なんてできないからね。
この曲は寂しいセクシーさがある曲だ。彼の深い孤独こそがセクシーさなんだ。
孤独には悲しみがいつも付き添っている。
でも彼はそれから逃げようとするのではなく、それを作品にしてるのは、孤独を良いものとしているからだろう。
寂しさをネガティブには捉えないからこんなに色っぽい曲が出来上がるんだ。
本当の大人とは悲しみが深く大切なものなんだと知っている人のことなんだろう。

では次はヴェルヴェットティーンを紹介しよう。

The Velvet Teen No Boi



ドラムを病気で亡くし、新ドラムを受け入れて作ったまさに血と涙で作られたような渾身の作品からの一曲だ。
新ドラムは人力トランスとか生エイフェックスツインなんてamazonレビューで言われている通りそのリズムはまじでやヴぁい。
でも僕が好きなのはそこではなく、このアルバムはあまりに強い喪失感で作られたのが聴くとわかるアルバムだからだ。
メンバーを失くした喪失はどれくらい大きなものだったか音楽を聴けば伝わってくる。
そして3枚目のこのアルバムはヴェルヴェットティーンで一番のセクシーな作品だ。
どうして悲しいとセクシーになるんだろう?
これを今からちょっとずつ紐解いてゆく。
何故、人は悲しいのか?
それは、いろいろあるだろうけど、一番悲しいのは、そこには必ず相手がいるんじゃないだろうか?
このヴェルベットティーンは大切なメンバーが死んでしまったことがとても悲しいことだった。
相手を想う気持ちがそこにないなら、悲しくもなかったはずだ。
相手を想う気持ちが強いほど、人は悲しい。
そして悲しいほどにセクシーになる。
何故なんだろう?
悲しいほどセクシーになることに疑いを持ってる人は多くいるかもしれない。
そこにある感情は共感するだけの感情が自分の中にないとわからない。
音楽は共感で聴くものじゃないと言う人もいるだろうけど、僕はどうしても感情で聴いてしまう。
エイフェックスツインのようなどんなに感情が奥へ押し込められている曲でさえ、僕は感情で聴こうとしてしまう。
どんな聴き方をしても自由なのだから、こう聴かなくちゃだめだと言うルールはない。
でもそこにあるものすごく深くて素晴らしい感情を理解できないより、できるほうが喜びであるのは確かだと思う。

何故、音楽にはセクシーさが大事なんだろうか?
それは、深い感情だから。
何故、深い感情はセクシーなんだろうか?
それは、誰かを強く想う感情だから。
何故、誰かを強く想う感情はセクシーなんだろうか?
それは……

それじゃここで、僕のずっと愛してやまないアーティストを次は紹介しよう。
Grandmaだ。


 Grandma - Kl




GrandmaはKhonnor(コナー)というアーティストの別名義だ。
86年生まれの彼は、今はもう28歳だけど、この曲を作ったのは2003年とかだから当時17歳ほどだ。
僕は何度聴いても本当に信じられない。
どうしてたった17歳ほどで、このような、これほどまでの強く誰かを想う感情が彼の中にあったのだろう?
彼の音楽は、恋人へ当てた曲かと思えば、歌詞を良く見てみるとママへ当てた歌詞だったりする。
彼はどうやら母親と離れて暮らしているようだ。
母親の手紙をとても嬉しそうに読んでいる映像があった。
僕は思う、彼は本当にママのことが大好きでたまらなくて、ママのことを愛する想いがこんなに悲しい曲を創りだすんだって。
そしてこの曲は同時にあまりにもセクシーだ。
たった17歳で、こんなにセクシーな曲を創れたのも、彼のママへの愛が深くてしょうがないからだろうって思うんだ。
もう言っちゃった。
何故、セクシーさが大事なんだろうか?
それは、セクシーは、愛で構成されてるからなんだ。
これは驚きだ、でもなんで今まで気づかなかったろう。
愛は何よりも、セクシーなんだ。
深い深い愛こそ、深く深くセクシーなんだ。

では今日のところはこれくらいにしといたる、じゃなくて、これくらいにしておいて(まだまだたくさんセクシーな音楽があるから第二弾も書きたいと思っている)
最後は今聴いて、腰が抜けて地べたにヘタンとなるのを必死にこらえてこれ打ってるほどの音楽を創ってくれたTelefon Tel Avivの曲で締めくくりたい。



 Telefon Tel Aviv - At The Edge Of The World You Will Still Float





そいや、言い忘れた言葉があるけども、セクシーなものはどこまでも美しい。
愛だからね、なんせ。
なんて美しいのだろう。
なんて悲しいのだろう。
なんてセクシーなのだろう。
何べん聴いても、美しすぎて悲しすぎて腰が抜けそうになる。
タコかイカみたいに床にへたばってふにゃんとなりそうになる。
2004年1月にリリースされたセカンドアルバム。ちょうど僕の父親が死んだ一ヶ月後あたりに発売されたアルバムだ。
2004年に僕はよく聴いていた。
とても救われた。
深い悲しみを救えるのは深い悲しみしかないということを知った。
だから僕はうんと深い悲しみを知りたい。知り続けていたい。
テレフォン・テル・アヴィヴの片割れチャールズ・クーパーは2009年1月21日に恋人との喧嘩のあと家を飛び出したまま連絡が取れなくなり、26日に発見されたときもうすでに息を引き取っていた。のちに22日には息を引き取っていたことがわかったので4日間も真冬の外のどこかで倒れていたんだと思うと、なんという悲しく孤独な死なのだろう。
31歳の生涯だった。
1月23日には3枚目のニュー・アルバム "Immolate Yourself" がリリースされ、ツアーも予定していた矢先のことだった。
その後7月にクーパーの死は自殺ではなく、睡眠薬とアルコールの併用による事故であると発表された。

どうして天才的な人はとても悲しい死を遂げるのだろうか。
自殺する気で危険な睡眠薬とアルコールの併用をしたとしたなら、と周りはそう思いたくない。
でもチャーリーの悲しみが深ければ深いほど彼は絶望に陥ったはずだ。
恋人と喧嘩しただけで、なんで死ぬかもしれないような行為をするのかと思う人もいるかもしれない。
でも僕はチャーリーの苦しみがものすごいわかる。
彼は僕と同じ恋愛依存が激しくて、恋愛にまさに命をかけて死んでしまった。
命をかけるほどに恋人を愛することのできる人だったから、こんなにも深い愛の音楽を創ることができたんだと思う。
深い悲しみこそが、深い愛を知っているのだから。

Aphex Twin ~ ぼくのドラックス~

んでなんでこんなに美しいんだろうAphex Twinは。
俺の汚れた小さく透明な心臓がなんと癒されることだろ。だろっ。
もし君がまだAphex Twinの美しさに気づけないならちゃんと聴いてないからだと思うんだ。ただ。
でももし良かったら君はAphex Twinの「Drukqs」という二枚組みのアルバムを一日中流して。流して?
まぁ無理、言わないけどさァ、なんて素晴らしいんだろうって今素晴らしいって言ったけど、ほんとにこのアルバムって言葉に表現できない美しさがあるんぢょ。あるんだぢょ。誰なんだ俺は?
ほんとうに俺って誰なんだ?教えてくれよ俺、誰なんだ?
思えば俺の記憶にない喪失は母親だった。
エイフェックス・ツインはそれが自分の双子の兄なんだ。
僕は母の記憶はない、でも僕は覚えている、僕が覚えていないところの僕が絶対覚えてるんだお母さんのことをちゃんと。それがわかるんだ。
僕はそれが僕をあたたかい胎内で十月十日ほど育て一緒にすごした母親だった。
ツインはその同じ間に母親の胎内で一番近くで一緒にすごした兄だった。
いつ死んでしまったのかはわからないけど、もしかしたら母親の胎内でツインは兄の喪失を経験したのかもしれない。
どっちにしたって僕より早い喪失を経験している。
生まれる前にとても大事な存在の喪失を経験してしまったら、もしくは、ずっと一緒だった存在が生まれてきたら消えて居なくなってたら、いったいどんな悲しみがそこにあるんだろう?
いったいどんな気持ちなんだろう?いったいどんな気持ちで生きて来たんだろう、どんな気持ちで生きてるんだろう。
ツインの音楽を聴いてると、そんな思いにならずにはいられない。
僕がツインの何枚かのアルバムを聴いて率直に感じたのは本当に深い悲しみと愛情の深さだ。
最初に聴いたのはAFX名義の「Chosen Lords」というアルバムで最初に聴いたときはなかなか良いと思ったもののそこにあるとんでもなく深い感情を僕は読み取ることができなかった。
でも二回目に聴くとそれはわかった。そして三回目に聴くと、もっとそれはわかった。
それを伝えるだけでこの世界のどこにも希望を見出せない人々が癒される。
それは多くの人じゃなくてたった一人でもいいと思うんだ、そのたった一人からありがとうって気持ちが返ってくる。
自由な表現ほど人を不快にさせることも多いかもしれないが、でも何かに縛られてる場所での表現にきっと人は心から感動できない。
もしかしたら人を強烈に不快にさせる人ほど強烈に人を感動させる人かも知れない。
いや、きっとそうなんだ。
いや、まさしく、そうだ。
それは人間の本能的にあるような理性に向かって、そんなもん、超えてゆこうよって言ってるようなものだ。
それはつまり神のような存在に向かって、ぼくはあなたを超えるために生まれてきたよ、って言ってるようなもんだ。
理性さえ人間の作り出した縛りなのかもしれないと感じるなら、それはきっと縛りなんだろう。
人を不快にさせずに人を感動させることはできないと言えると思うんだ。
縛りがあることは悲しいことだよな。憧れるよ、自由な人。
そりゃ俺だって自由になりたいさ。
奇形児を使って芸術作品を作り世界中の多くの人から大非難されたりとかね。
なんだろな、生理的嫌悪ってのは。
妬みを含む嫌悪とかね。人間って面白いよな。
僕はツインがそんな人だった気がする。
僕は彼の変態性に嫌悪しながら妬んでいたんだ。
なんて自由なやつなんだ!ってどこかで憧れてた。
彼を知ることは、彼を良いと認めてしまうことは僕は不快だったはずだ、悔しかったはずだ。
僕はそうやっておそらく10年近い時を彼を認めようとせず彼を妬み続けて避けてきた。
でもなんということなんだろう、彼の音楽は彼の人間性はこれほど美しかったなんて。
ぼくはほんとに一面しか見ていなかった。
何曲かを視聴しただけで好きではないと遮断していた。
彼の音楽はアルバムで通して聴かなければならない。
それに大体の曲が一度聴いただけではそのよさをわかれない。奥の深い曲ばかりなんだ。
「Drukqs」はまさに全体的にそういうアルバムだと思う。
最初聴いたときはなんてカオスなアルバムなんだって思った。
でも何度も一日中聴いていくほど、なんと味の深いアルバムなんだと感じるようになった。
僕の愛するKhonnorからThe Flashbulbに至るまで、ああそれとnikakoiやrobokonekoに至るまでああみんなツインが大好きなんじゃんってわかった。
僕は本当にAphex Twinを愛しちゃった・・・・・・。
もう悔しいという気持ちはない。妬みは確かにあるが。
俺の今特に一番好きな「ドラックス」のくだりは、一枚目の6曲目のGwely Mernansから7曲目Bbydhyonchordに入るところが一番好きです。
彼の音楽は宇宙でありぼくらすべてにそんざいしているせつなすぎる遠い記憶だ。
どんな奇人天才も影響しあわずには生きて行けないということもわかったよ。

愛情の深さは、絶望の深さでもあるってことなんだ。
君が深い愛情を求めるなら、同時に深い絶望も知ることになる。
求めずにはいられない世界だと僕は思うよ。
だから絶望を避けて生きることはできないけれど、そのかわり誰のもとにも優しい時間が与えられてほしいと思う。

Drukqsは感情を越えた感情のようなものを感じるアルバムかもしれない。
このアルバムで重要な曲であることがわかる何度聴いてもカオスさの残る奥深い曲を今日は貼って記事を終えようと思う。
でもできればみんなには是非アルバムを通して何度も聴いていただきたい。
だからやっぱ貼るのはやめようかなって思ってる。
重要な曲とは二枚目の13曲目だけどね。
じゃあやっぱあえて、始まりのほうの好きな曲にしようかな。
んじゃ、そうしよう。ああ、でもなぁ・・・。難しいところだ。
もろに感情が伝わってくる曲も多いが、そうじゃない曲も多い。
今日はそうじゃないカオスなほうの曲を貼りたいと思うんだ。
だからじゃあやっぱ、う~ん、でもなぁ・・・重要な曲を先に聴かせるっていうのはどうなんだろう・・・。
う~んでもやっぱり聴かせたいっていうのもあるし・・・あ~でもなぁ~どうしようっかな~。
まぁいいっかぁ~俺この曲やっぱ好きだな。
じゃあそのやっぱ重要だと思われる二枚目の13曲目を貼って記事を終えようと思う。


最後に僕は言っちゃいけないようなことを言っちゃうと僕は小説家をまだ今でも目指している人間だが、小説を読めない、書けないほど落ち込んでしまっているときに救ってくれたのは、音楽だった。だから僕は音楽に本当に感謝している。ありがとう。僕の愛する音楽たち。






Aphex Twin - Ziggomatic 17



「やっと再会できたね。おかえり」



Art-School

きりがけだった岩の山の上で夜にお父さんと一緒にお弁当を食べてる。
向こうのほうの遠くに赤や緑に光った乗り物のようなものが飛んでる。
私はそれを一つ向こうの山に飛んで見に行こうとする、その乗り物に見つかると危険だからとお父さんが止めて私はお父さんのいるところに戻る。
崖から上に登って飛び乗れるように散らかったお弁当とかをお父さんがのけて広くする。

実家のお兄ちゃんの部屋にアートスクールの木下が来る。
部屋にはいつのまにかお父さんもいる。お父さんはとてもしんどそうだ。
木下がずっと前に私のことを好きだと言ってたこと、あれは嘘だったのかと、この機を逃さないようにと訊いてみる。
木下は嘘だったよと言う。
私は、そうだよな、好きだったら会いに来るもんな、と言う。
お父さんはお父さんの家にいるとき、死んだおばあちゃんがお父さんにとって大事なことを言いにきたことをしんどそうに話す。
私は部屋の一つ上の段になってるところに木下といて、私は横になってる、私も疲れていた、木下は親切心からガスの火にかけてるものを見てくると言って台所に行ってくれる。
私はお父さんとの別れがとても近いのだと感ずる。
お父さんは寝る部屋に眠りに行った。
私は木下のいない間に木下の財布に入っているメモ類を一つ一つ見ていく。
木下は学校で人気者だったのがメモに残した電話をくれという者の名前の多さからわかる。
電話を誰に何回かけたかわかるように木下は名前の横に数字を書いていた。
私はふと木下が珍しく家にやってきたのはうちにあるお金を盗むためだったのじゃないかと思い、向こうに確かお父さんの財布が置いてあったと思い出して居間に行った。
木下はまだ台所にいた。
お父さんが酷くしんどそうな様子で起きて居間へ来た。
お父さんはラーメンが食べたいと言った。
私はとても心配になりながら、食べれそう?と言って、ラーメンに入れる蕪をお父さんの目の前でチラシを敷いてその上で切り出した。
でも切ってるのは茹でた里芋のようだった。




あんまり憶えてないがそのような夢を見た。
お父さんの夢は良く見るし、もうすぐ死んでしまいそうなしんどそうなお父さんの夢もよく見る。
でもそうゆう夢に家族以外の人間が登場することは憶えてる限りなかったので、なんで木下が夢に出てきたのか気になってしまう。
木下理樹と私の共通点は大阪出身であり、木下は2001年に23歳頃で母親を亡くし、私は2003年に22歳で父親を亡くしている、木下は18歳から23歳の約5年間母親から仕送りをしてもらって暮らしていたというが、私はその年頃はろくに働かずほぼ父親のすねをかじって生活していたことと、中原中也がとても好きなこととArt-Schoolの曲を聴けばわかるが親からの愛情の欠如によると思われる恋愛依存をしてしまう傾向があることである。
今、調べて初めて知ったが木下は子供の頃に父親にぼこぼこに殴られて育ったようだ。私の場合は母親との早くの死別が依存体質の原因に思われるが、親からの虐待を受けて育っても依存体質になりやすい。
せっかくなのでもともと音楽はいいと思ったがART-SCHOOLの木下のある発言が嫌になりずっと避けて聴いてこなかったが、2008年の9月から突如聴きだしてはまった経緯を少し書こうかと思う。
それはある大切に思える人との出会いからだった。彼女のことはあるSNSサイトで知った。
日記はどれも痛々しいものが多く、本当にぎりぎりで生きてることが伝わってくるそこにしかない美しさとものすごい魅力があった。私は彼女のことがとても好きになり、日記の最後の記事には腕をたくさん切って、その血の床に手をついている芸術的に美しくも、痛々しくもある写真を載せて完結的なものであった。私は彼女の一番好きな音楽だったART-SCHOOLを聴き倒した、そして大好きになれた。でも何日経っても彼女の日記は更新されず、最後の記事が何ヶ月か前から更新していないことが気になって仕方なく、私は彼女の友人登録をしている人と偶然少し仲良くなったことで、そのことを訊いてみた。言葉を失う事柄をいくつも言われた。一つは彼女のプロフィールには40代とあったが、実際の年齢は23歳であったこと、また彼女は男の子だったこと、それから彼女はあの最後の記事を書いた少しあとに、本当に亡くなってしまっていたこと。
私はそれを知って本当に酷いショックに陥り、耐え切れずにART-SCHOOLを聴きながら鏡に映った自分の姿を見て大声で泣きながら絶叫した。そしてあの時は本当に後を追って死にたいという気持ちになりずっと連絡を取り合ってなかった姉に心配させるメールを送ったり精神薬を求めたりしていた。
そういえば一度彼女は夢の中に出てきたような気がする。でもどんな夢だったか思い出せない。
あんなに大切だと思っていたのに、私は気付くと彼女の大好きなArt-Schoolをもう二年以上は聴いていない気がする。
聴けば彼女の美しさ、純粋さ、優しさを思い出して悲しみに暮れていたのが、ここ二年以上離れてしまっていた。
彼女の生きていた頃のART-SCHOOLのアルバムが好きで、それ以降のARTは好きになれず聴いていない。
でも最近木下の新しいバンドであるkilling Boyの1stを聴くと木下のボーカルはやはり格別にいいものだと思った。
夏になると必ずArtを聴いていた。聴くといつも苦しかった。
でもまた、聴きたい。


彼女の好きな一曲 Art-School - Love / Hate

たかじん

今日、夢に初めてたかじんが間接的に出てきた。
それは
おねえたまとのLINE☆2014,05193

こうゆう変な夢であったが、いろいろ調べていると、既に亡くなっていたことを知ったのである・・・。
テレビも観なければ、ネットでニュースなども、精神に余裕がなく観れない日が多いのでこんなことになってしまうのであるが、調べていくうちに、僕はたかじんが好きになれた。嬉しい。

たかじんの話

で、アップしてもらえたらわかるのですが、一人でチャット部屋でたかじんの話を話しました。
ふんで、あ、そういや、お姉ちゃんが昔働いてた飲み屋にたかじんが来てたってゆうてたような・・・
と思い出し、早速姉にLINEを飛ばしましたらば、こう返って来ました。

おねえたまとのLINE☆2014,0519

おねえたまとのLINE☆2014,0519後半

びっくり、姉はたかじんのマンションにも行ったことあってんて~すごいなあ
と思って、せっかくなので、姉とのLINEを黙ってブログに貼りました。
見つかったら何ゆわれるかわかりませんが・・・ま、大丈夫かな・・・とゆうことで

聴いてください。姉の好きなたかじんの一曲

やしきたかじんで「泣いてもいいか」



ええ曲やなぁ~としみじみわかるようになった俺は、今32歳ですけども
いやぁ、俺も大人の階段を登りゆこうとしてるのでしょうか~嬉しいなぁ、せつないなぁ。
聴いてて、ちょびっと泣きかけましたね。(酒入ってますが・・・)
ちなみに歌詞はこちらでやしきたかじん 泣いてもいいか

Polaris




19:03 Tigerbomb>https://www.youtube.com/watch?v=hEJw_YbEJqg
19:03 Tigerbomb>Polaris / 光と影
19:18 Tigerbomb>初めて聴いたのは、確か2002年の夏です。
19:20 Tigerbomb>で、ライヴ行ったんですよ。真ん前で観ました。フィッシュマンズのベーシストがそこにいた。
19:36 Tigerbomb>実際、どうゆうことがあったか知らないんですけど、このフィッシュマンズのかつてのベーシストでありPolarisのベーシストである柏原譲がフィッシュマンズを脱退して、で、フィッシュマンズのボーカルである佐藤伸治が、メンバーが二人になってしまったことに悲しんで、でそのちょっとあとに、サトちゃんは亡くなってしまったんです。
19:38 Tigerbomb>自分のせいで、って、思ったでしょうね、柏原譲は、もう音楽業界からも離れてたんですけど、でも、その3年後くらいにPolarisとして復活した。
19:39 Tigerbomb>僕は最初にPolarisがラジオから流れてきて、聴いたとき泣きましたね。ああ、フィッシュマンズが戻ってきた・・・・・・!って思ったんです。

20:01 Tigerbomb>
20:01 Tigerbomb>それが、この「季節」という曲でした。

プリンスママ

昨晩は自家製のボアバスターを、失敬、ビアバスターを3杯も飲んで早くも深夜2時に布団に入った頃にはすでに気持ち悪かったがすぐに寝入った。
そして目が覚めたら気持ち悪い、時計は午前5時。起きてパイナップルジュースを水で薄めた奴をコップ一杯半飲んでトイレに行って出てくると、不思議なことにアレだけの気持ち悪さがふっとんで爽快となった僕はまた布団に入って寝ようとしたが、結局朝の9時ごろまで眠れなかった。
なので、僕はその時間数々の妄想を脳内で繰り広げなくてはならなかった。
そして最終的な妄想をここに書き留めることにする。

ふと、「プリンスってママみたい・・・!」と僕は思った。
それはプリンスの顔やその動きやファッションがうちの母親に酷似しているというわけではなく、いわゆる母を知らない僕が感じる男性の中に存在している“母性”を深くプリンスに感じた、ということであったが、僕は決まってそれに感ずいた途端、相手がどんなエロオヤジやハゲオヤジであろうとも、ママッと呼んでしまう癖がある。
しかし僕の頭の中に思い浮かぶプリンスママと言えば、必ず
プリンスママ
↑(セカンドアルバム「愛のペガサス」のジャケ)
この姿のプリンスしか考えられない。このふわふわ頭は僕の理想のママにぴったり。そして口髭は絶対あったほうが良い。
で、このプリンスママに着てほしいのは断然、裸にエプロン姿なのであった。
別に変態的な趣味が僕にあるのじゃなく、何故か男性に母性を感じたときに願望するのは裸にエプロンなのである。プリンスママには是非、裸に派手なピンク色の振り振りレースの付いたエプロン姿でキッチンにたって鼻歌(自分の歌)を歌いながら料理を作っていてほしい。
で、エプロンには替えのもう一枚のがあって、それはプリンスママが大好きな紫、tumblr_m6xdf7dgln1r64822o1_500.jpg
パープルエプロンなんだよね、それもいつも裸の上に着てる。でも今日はプリンスママの愛するパパが結婚記念日に買ってきた派手なピンク生地のエプロン。

で、パパはじゃあ誰なんだ、と思って、決まったのは
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↑コナンパパ(Connan Mockasin)

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たまにコナンパパはママに合わせて黒人になる。

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変な趣味のあるコナンパパなのである。

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プリンスママに怒られるとこのようにして固まってしまうという問題がある。

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でも普段はこのように優しい顔のコナンパパ。

プリンスママの尻に若干敷かれてる時もあるパパだがママがとても尊敬していて二人はいつもラヴラヴ。

そうゆう僕はと言うと、ちょっと男勝りなところのある生意気な小学2年生で8歳児の娘。
「ママーお腹すいたよー」とキッチンにいるプリンスママに言うとプリンスママは決まって、「もうすぐできるからパープルレインを観ていなさい」っていうんだ。
「やだよーもう見飽きちゃったよあれ」って僕が言ってもプリンスママはフンフンと鼻歌(自分の歌)を歌いながら晩ごはんを作っている。

そうなると、サミュエル (Late of the PierのSamuel Eastgate)は弟って感じだな。
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まだ5歳児なのにプリンスママの音楽に心酔しているクソガキの可愛い弟サミュエル。
「ねーちゃんねーちゃんもっかいパープルレイン観ようよー」といつもうるさく言ってくる弟を僕は蹴飛ばして「ひとりで観てろっ」ってゆうと、サミュエルはしょぼんと一瞬するが、一瞬後にはパープルレインを見ながら「ビューティフル・ワンズ」を口ずさみ一人で踊っている。

僕が通う小学校の担任の先生は
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シモン先生(Simon Bookish)と言って授業の途中でいつもミュージカルふうに音楽を歌いだす困った先生だ、でも面白いから好き。

僕の右斜め前の席に座ってる転校生の
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ソム(My Vitriol)にはちょっと憧れてる、なんかあいつカッケエなっていつも思ってる。
賢そうで気難しそうな性格でもある。

今日は実は僕の誕生日。
プリンスママはごちそうを作ってくれてる。コナンパパはまだお仕事から帰って来ていない。
プリンスママはベジタリアンなので僕の大好きな豆腐ハンバーグを作ってる、でも失敗して焦がしてしまったみたいで、「oh!ohwaaaaa!」と悲鳴を上げてがり股の格好になって嘆いているとき、一瞬、その後姿の股の間にあるものを見てしまい僕は狼狽する。
(マ、ママにアレがついてる・・・?!まさかな、見間違いかな・・・)
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↑焦がしたショックでへなへなとなってしまったママが面白かったので写真を撮った。
Prince+-+Prince+-+PRESS+PACK-513494.jpgママのお気に入りの写真。prince1979_zpseee76d57.jpgママの普段着はこんな感じ。
Prince-9447278-1-402.jpg寝起きで「あーよく寝たわ」と言ってる寝癖が最高なママ。
x2_f94177.jpg一度犯罪者に間違われたときに撮られたママの写真。6e7aa89c.jpg何故かうちに飾られているママのヌード写真。Prince+mmm.jpg僕の好きなママの笑った写真。



で、プリンスママがもっかい料理を作り直して出来上がった瞬間、コナンパパが帰ってきました。
CONNAN-1024x682.jpg「ただいまぁ。はぁ、今日も疲れた。ほらぁ誕生日プレゼントだよ」
見るとお守りで「快便成全」と書いてあった。便秘で悩んでるとママから聞いたのだろう。
僕が「こんなので効くわけないよっ」とお守りをコナンパパに投げつけると130944653_640.jpgこの顔になって、次にはconnan-mockasin_41s43_300x168_1txmgr.jpgこの顔で硬直しだし、さらに次の瞬間、Connan Mockasin - Forever Dolphin Love (2)この顔になったので、僕はそっとお守りを拾い「コナンパパありがとうっ、ぼく大切にするよっ」と笑いかけると、2012_03_26 (Connan Mockasin) -5 笑ってコナンパパは「お誕生日おめでとう」と言ってくれた。

プリンスママ「さささっ、ご飯ができたわよ~♪」みんなで食卓を囲む。
みんなで美味しく夕食を食べていると突然電気が消えて部屋が真っ暗になり次の瞬間けたたましい音量のテクノな音楽が流れ来ていっせいにライトに照らされたドアが開いた。
そこから登場したのはカールおじさんだった。
Karl-Hyde-of-Underworld-007.jpgカールおじさん(Underworldのカール・ハイド)
実はカールおじさんは僕の秘密な恋人であった。でもママには気付かれてるっぽい。
Karl+Hyde+A391171163637910.jpgカールおじさんはカールを両手に抱えて嬉しそうに僕に向かって「ハーッピバースデイー」と言った。
そしてテーブルの上に乗っかっている料理や酒の瓶すべて床に落とすとテーブルの上に上ってライヴ盤のエヴリシング、エブリシングを踊りながら歌いだした。部屋がはちきれそうなほどの大音量で音楽が鳴っている。
飯と酒を落とされた僕ら一同は一瞬カチンと来たが、ライヴのEVERYTHING, EVERYTHINGに圧倒されみんなで楽しく踊った。



そしてカールおじさんが気持ちよく一時間7分歌い続け、僕らも乗りのりになって踊っていたその時である。1:07:52秒のところ、ちょうど、カールおじさんがEVERYTHING, EVERYTHING,EVERYTHING, EVERYTHING,EVERYTHING, EVERYTHINGのあとの「im invisible(アイム、インヴェージボウ」と歌いだすその、「アイム、インヴェージ・・・」のところで突然プリンスママはテーブルのステージの上に上がってカールおじさんを払いのけてマイクを強引に奪い取ると、自分の歌「When Doves Cry」を熱唱し始めた。

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プリンスママは両手で自分の胸を持ち上げるような仕草が印象的なダンスを踊り、歌の中間あたりで低い体勢になって自分の股間に手を当ててなんかしてる動作にはコナンパパは見ててドギマギした。

僕はと言うとカールおじさんのものすごいいいところで、「アイム、インヴェージボウ」の、その最後の「ボウ」がすごく聴きたかったのでとてもがっかりした。
でもプリンスママの音楽を崇拝している5歳児の弟のサミュエルは興奮してテーブルの上のステージに上がるとめちゃくちゃ激しく踊りだした。
そして乗ってきたコナンパパもアコースティックギターを持ってきてステージに上がると自分なりの音のリズムが妙にずれて、でもすごく洗練されたギターアレンジでもって弾き始めた。
僕は一応カールおじさんに「ソーリー」と謝ったが、カールおじさんはとても慈悲深くて優しいおじさんなので「君のママ最高だよ!」と言って自分もステージに上がって一緒に歌いだした。

その様子を見ていると僕もなんだか乗ってきたので一緒にステージに上がり踊りながらみんなで放題「ビートに抱かれて」を熱唱した。

その様子を窓の外から偶然垣間見てしまった担任のシモン先生は涙を流して感動し、またすれ違いでその様子を見てしまったクラスメイトのソムも痛く感動してギターをやりたいと強く心に願うのであった。

調子に乗ったプリンスママとコナンパパとカールおじさんはPrincemamaという名義で“When Doves Cry - Underworld Remix (Connan Mockasin Remix)”として100万枚限定プレスで売り出そう。と提案。

100万枚を作って販売したが、100万枚のうち売れたのはたった二枚だった。(ちなみに買ったのはシモン先生とクラスメイトのソムだった)

その後10年、我が家は借金地獄を楽しく過ごすのであった。




愛でたしめでたし(Don't Cr~y♪)












プリンス王子

1981年(僕の生まれた年)にプリンスは Controversy を発表。同名シングルがインターナショナルチャートにランクインする。この時期に、ローリング・ストーンズの前座としてツアーを行っており、公演によっては、物(キャベツ等)を投げつけられるなどの客からのブーイングを受けた。当時、ストーンズの楽屋を訪れたデヴィッド・ボウイが、トイレで泣いている彼を見掛けたため、以後は自身のツアーに前座をつけることをやめたというエピソードが残っている。




プリンスが23歳くらいのときかな、僕の愛するプリンス王子を泣かせるなよっ、ばかっ。だいたい、コンサート会場に野菜を持ち込むな、キャベツ等ってことは、キャベツ、ニンジン、大根、セロリ、かぼちゃ、白ねぎ、クレソン、ほうれん草、小松菜、カブ、ジャガイモ、たまねぎ、などを持ち込んでいたのであろう、持ち込むなっ、愛するミュージシャンの前座ならどんなものでも黙ってみろ、外道がっ。

ビアバスターうまいなあ。

ずっと心と脳の隅で気になっていたプリンスを愛せて僕は本当に嬉しい。
実はジョイ・ディヴィジョンを愛するちょっと前にプリンスを愛したのだが、ジョイ・ディヴィジョンで深い淵を漂っている魂をプリンスはそのセクシィかつあたかもタバスコのような刺激で持ってハっとさせてはそのHOTなソウルで宥めてくれるのである。

日本では殿下と呼ばれてるみたいだけど、僕は何故かプリンスはプリンス王子って感じだからそう呼ぶことにするよ。王子王子って意味だけどもいいじゃん。いいじゃんかよ。

僕がとっても感銘を受けたのはプリンスが2001年にエホバの証人に改宗したってことだ。
僕の28年前に他界した母親もエホバの証人であったからとても嬉しかった。
僕は今でも月に何度か訪れる決まったエホバの証人とインターフォン越しにいつも数分間の話をしてる。
彼らは世界に存在する宗教の中で一番奉仕をして人々の幸福を願う人たちじゃないかと思う。プリンスも変装をしたりしながら奉仕をしているらしい。
プリンス : エホバの証人として平安を見つけた

かつてはプロテスタント系の宗派である「セブンスデー・アドベンティスト」の信者だったそうだが、ミレニアムの前後に「エホバの証人」に改宗した。
改宗後、人格的に穏やかな一面を見せ、卑猥な歌詞などを歌わなくなってしまった。再改宗を強く望むファンも少なくない。

ということらしいが、これはプロテスタントがゆるいというイメージとエホバの証人は厳格だというイメージがあると思うが、確かにそれはその通りだ、しかし順番がおかしいのではないか、プリンスはエホバの証人になったから卑猥な歌詞を歌わなくなったのか、それとも卑猥な歌詞がもう嫌になる人格に変わって、エホバの証人に改宗したのか、だ。だいたい良い年になってるのに卑猥な歌詞を歌って欲しいと望むファンはちょっとどうかしてるかもしれない。セクシーさは、歌詞ではなく、音のほうにあれば僕はそれで良いと思う、むしろ歌詞にあるとちょっと恥ずかしいし苦手だね。
だからプリンスのかつての歌詞が卑猥であっても僕は絶対歌詞は重要視しない。


プリンスがエホバの証人に改宗したのは、エホバの証人だった母親の遺言に従ったという説が有力。だとも言われてるんだね、だとしたら僕と似ているな、僕の母親も僕にエホバの証人になって欲しいと思って死んだろうから。もしかすると僕もいつの日かエホバの証人になるのかも知れない。

セックスシンボルの地位を捨て、エホバの証人に改宗したプリンス



改宗する3年前に受けた英紙「The Times Magazine」のインタビューで、プリンスは、「迷路のようなこの世で生き抜くには、信仰が必要なんだ」と断言。「天使と悪魔が戦う、常にそんなイメージを持っていたんだ。そう、最後まで戦い抜くっていうね」「地球上にはHIV感染者・エイズ患者が3,000万人以上いるんだ。そのうちの2,100万人はアフリカにいる」「ハエにたかられている彼らを見たことがあるだろう? そのままにしていいのかい? 手助けするべきなんじゃないか」と熱く語っていた。




43歳くらいの時に改宗して、真剣に信仰を必要としたプリンス王子を僕は尊敬して、心から愛敬する。
今すぐ、どうにかできない事態に一番必要なのは、僕も強い信仰だと思ってる。
僕が実際本当に本当の地獄にいたときに手にして取り縋ったのは、まさに、聖書であったし、エホバだったからね。

僕はそんなこと何も知らずに何年間もずっとプリンスが気になっていたのはそういうことかもしれない。

セックスシンボル的な彼が好きだったファンは落胆。僕はむしろ、そんなところだけでプリンスを愛していたファンに落胆だ。

「(ファックとか)人を呪う悪い言葉を使うと、これまで、その言葉が使われた時に引き起こされたすべての怒りが、使った人の身に降りかかってしまうんだ。そんな目に遭いたくないだろう?」

僕は良く人に呪いをかけてしまうので、プリンス王子の言葉を胸に刻みたい。



05年、プリンスは両股関節を痛めており、人工股関節手術を必要としていると報じられた。07年と08年には“極秘手術”を受けたと伝えられたが、実際には受けていないと見られている。なぜなら、エホバの証人は「血は神聖なものであり、身体に取り込んではならない」と説いており、この教えに沿い、輸血を受けてもならないと教えられている。つまり、エホバの証人である彼にとって、手術を受けることは輸血する可能性もあることであり、タブーになるからだ。09年、米芸能専門紙「Hollywood Reporter」は、プリンスの股関節の痛みは相当酷いもので、鎮痛剤に頼り切った生活をしていると報道。どんなに痛みが酷くでも彼が手術を拒否し続けているのは、輸血を受けたくないから。それほど信仰心が深いのだ。




輸血の問題で偏見を抱く人は多いと思う。でも癌で手術を拒んだ母親が44歳で他界して、父親は人口の輸血をした次の日に危篤になって、そのまま他界してしまった娘の僕が言いたい、輸血って、考え物だと思う。

とても寂しくなってしまったけれど、ビアバスターってホント美味しいね、タバスコで身体もあったまる気がする、(僕は氷は入れないし、ビールも冷やさない)冬のビールはこれに限るね。ここまで読んでくれたそこの君に言っておく、飲みすぎには注意だぜ。

誰とも口を利かない日々はほんとにやりきれないな。
自分に対する罰は、結局は自分のためなんだろうけど。

僕はかつて才能より素晴らしいのは経験だと言った。
表現と才能以外の価値って僕はあると思うけどね。きっと平穏なんだよ今は僕の。

ってなんかテンションが落ちてきたな、寝る35分前だしな、仕方あるまい。

しょうがないよ、今日だって古い時代の河豚の鍋置をたった十円差で落札されてたしな、我が家に迎えたかったのに。
これな→600x450-2013111100093.jpg

100円だったのに。一目惚れだったのに。悔しい。

と、まあそれは置いといて、どんだけ平常心のときであっても、この曲を聴くと、まさにDOKIのMUNHEMUNEにならずにはおれない心臓を沸き立たせる一曲を君に送るよベイベベイベベイベー!スァフォントゥー!












I Wanna Be Adored

なんか本当にちょっとしたことで深く傷つく。例えば1999年のイアン・ブラウンのライヴは最高だったという記事の次のライターの記事はとても空虚で最悪だったという記事だったりして混乱に落ちて酷く傷つく、実際どっちが正しいのかと思ってとてもブロークンマインドを抱え込む一日と無意識的になってしまう。
僕自身それは考えたらわかることだけど、きっとそれって好きすぎて求めすぎて、期待しすぎてそんなふうなマイナスな捉え方、感じ方しかできなくなってしまったんじゃないか。でもきっとそれは間違ってる。
もしそれで本人もあのライブは駄目だったとか思うならいいと思う。でもその次のインタビューのページではイアン・ブラウンはとても満足気だった。求めすぎちゃ期待しすぎちゃきっと駄目なんだ。
その人が良いと思ったやり方を賞賛できるようになりたい、たとえそこに葛藤があったとしても。

だから殺人者が殺人を良いと思って殺人を行ったならそれはやっぱり賞賛、ってそこは難しいかもしれないが、まあなんでそう飛躍するのかこのファック脳髄は、知らんけども。

ストーン・ローゼズのファーストアルバムを聴くと、おそらく4年前にレオパレスの6畳間でチープ赤ワイン片手にいつも一人で踊っていたときのことを思い出す。
そんななんてことのないたった一人きりの思い出だが(うさぎのみちた君もいたよ)とてもいい思い出として蘇えるから不思議なもんである。
なんだか落ち込んでるときでも聴くと元気の湧いてくるアルバムが数少ないがあって、このストーン・ローゼスのこのセルフタイトルのファーストアルバム「The Stone Roses」もその一枚なんだと思う。
無闇に素晴らしい人に元気を与える、それは活力の源となる稀有な何かを彼らが持っているためだと思ったし、またそれはとても儚いものだった。
たぶん一生に一枚しか作れないようなアルバムだからこそ、その価値が大きいのだと思う。
僕はストーン・ローゼスのフロントマンであるイアン・ブラウンが大好きで心から愛していて、イアンが元気でいてくれたらそれだけで嬉しい。
元気って言うのは僕の中では広くって、その意識をしっかりと持って生きていてくれたらそれだけで嬉しい。悲しみに打ちひしがれながら生きていても嬉しい。
本当に繊細な人だと思うし、ただただ楽観的に生きていくことはできないと思うから。
同じ時代に生きていることだけで、感動的だと思う。






Decades

マザーファッカーなんてゆうたら駄目だよ、このマザファッカ野朗。
どうも文学の神が屁をこいて居眠ってしまった代わりに現れたそこに音楽の神これが32歳と2ヶ月強の僕にジョイ・ディヴィジョンの良さをわかりせしめさせたのかと僕はチープワインを飲んだ頭で思ってる。とても虚脱している。それを知ってから。
僕は32歳で23歳で自殺してしまったイアン・カーティスを心から愛することができた。
これも文学の神がケツを丸出しにして居眠り中のお陰で在るだろう。
そんなことゆうたら駄目だよ、モンキー。
そうだよね、スネイク、僕はどうかしてる。
そうそう今日右太股の外側に約7cmの白くて透明で金色のに近い細くまばゆく今にも切れそうで切れないアホみたいな毛を発見したよ。どうやら福毛ってゆうらしい、これは願い事を叶えるために、叶えてくれるために伸びてゆくものらしいのよ、で、叶えば切れる、あと、幽霊の手がそこに触れるとそこから伸びてくるらしいわ、がんばって100億km伸ばして願い事を叶えようと思うよ、でもこれ人に話すと効果が薄れるねんて、あ、ゆうてもうたのか、俺ってば、モンキーってば、スネイク、おい、スネイクはどこ行った、ルー・リードのCD買いに行った?ああ、そう、僕も今度聴かせて貰おう。
悲しいから人は歌うやんか。
んでそれを聴いて悲しくなるわけやん。
それが僕を苦しくさせるんだ、喪失を増やす、喪失は増えてゆく。
とても苦しくって、それで、ありがとうと心で思ってる。
イアンが生きてくれたこと、生まれてきてくれたこと、音楽を残してくれたこと。
苦しくてしかたない思いで、ありがとうと思ってる。
苦しすぎて聴けなくなる時間にずっとありがとうと思ってる。
それは、こんな苦しくって彼自身を、その音楽を愛することできることがすごい喜びで、そして僕が本当に一人になって絶望しかなくなったとき、僕はきっとジョイ・ディヴィジョンのクローサーか、スパークルホースを聴いて死んで生きていって、生きるために死ぬやろ。

クローサーの最後の曲が終わってしまう一秒前に音楽を止めた、音楽は止めることができるのに、生きてるこの時間は止められないんだな、自殺する一秒前に止まって、5分か10分でも考え直す時間があったら、考え直すためのその一秒間が、どこかに在るんじゃないか、今でも、僕は何も終わりに思うことができない、その一秒間を、探してる。この十年間。