光るみなも白い空 | 2010年03月

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泣かせ鬼

踏み込めないものが誰の心の中にもあって

みんなの心は誰のものでもなくって

ぼくの心もぼくのものではなくなって

悲しくて泣いている人を怒ることなんて

誰もしたくない、ほんとうは怒ってるんじゃなくて

一緒に泣きたいんだ、怒ってるのは

泣いてる人にじゃなくて、泣かせるものを

怒ってるんだ、誰でもないものを怒ってるんだ

踏み込んでしまった時、泣かせたくない人を泣かせてしまう

泣いてる人に拍車をかけて泣かせるんだ

そしてもうなにがなんだかわからなくなって

結局最後は一緒に泣くことしかできないんだ

鬼の顔もずっと続かないのさ、泣いて泣いて

泣き止まないのさ、泣いてる人が泣いてるかぎり

鬼の魂はひどく弱いということさ

家族でも友達でも恋人でなくても、他人かも知れない

でも鬼のように怒る、でも効き目はことごとく裏目にでる

踏み込んではいけないものがあるのさ、鬼はどうしようも

できなくなって、そんな自分にも泣くしかできないのさ

ほんとどうしようもないことがたくさん山ほどあるのさ

それを抱えてみんな生きてる、誰もがぎりぎりの

きれぎれの心でなんとか毎日を過ごして生きてる

わかってるんだ、わかってるさ、ぼくだって、ぼくだって

でも泣かせてしまうことしかできない僕は鬼で

誰も救うことができない鬼の今日が明け暮れる




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なし CALLING YOU


THE BOOM - なし

おいらはあいつが大きらいだった頭はきれるし12等身のスタイル父親はインチキ会社社長

僕にないものたくさん持ってたでもある日風邪で寝込んでたらドアをコツコツノックして
このなし食べて元気出せってこのなし食べて元気出せってね

おいらはあいつの彼女が好きになったあいつさえいなければ人生はバラ色
完全犯罪で奴をころしてあの子を奪いとろうとした部屋にこもって計画練ってたらドアをコツコツノックして
このなし食べて元気出せってこのなし食べて元気出せってね



この曲を当時お兄ちゃんが私の前で、この~なし~♪って
歌ってふたりで笑ってた気がします(笑)


このアルバムは昔よく聴いてて、この曲が特に好き、懐かしい曲を聴くのってほんとに切なくて愛おしい
音楽を好きになってほんとによかったと、こんなときに実感する

矢野顕子 CALLING YOU

ちいさな家

すきなひとだあれもいない

だからぼくがこの手でつくりだす

ぼくのこどもどこにもいない

だからぼくがこの手でつくりだす

温かくて帰りたい家がないよ

だからぼくがこの手でつくりだす

こんなまよなかにちいさな声で

ひそめうたいながらつくりだすの





ちいさな家をつくったよ、そこで僕ら暮らそう

綿毛の舞い上がる庭で僕の子供が走り回っている

僕が追いかける、子供と同じ顔で笑いながら

あなたは縁側に座りながらそれを見て微笑んでいる


かなしいことがあると、あなたはなにも言わずそっと

僕を抱きしめていつもぼくよりも先に泣いてしまう

僕が泣けなくなってしまって、かなしんでいられなくなると

そんな僕を見てあなたは泣きやんで、ふわりと笑う


お兄ちゃん

お父さんのこと思い出すとすごい悲しくなる、それと同じくらい

思いだすとすごい悲しくなる人がおるんです

それは私のお兄ちゃんです

お父さんのことは書けるのに、お兄ちゃんのことはあんま書かれへん

なんでこんな悲しくなるんやろ

お兄ちゃん生きてるけど、もう二度とあの頃のように戻られん

そう思うからやろな

私がまだ一歳くらいの頃にベランダで桶をプール代わりにして入ってて

私にぞうさんのじょうろで水掛けてる七歳くらいのお兄ちゃんと一緒に

映ってる写真がある、すごいお兄ちゃん楽しそうで、私は水着姿でちょっと

困った顔してる、戻ってみたいな、みんながその時おってくれた

お兄ちゃんが中学生の時は学校から帰ると掃除洗濯を済ましてから

まだ小さかった私が預けられてる知り合いの家までいつも迎えに来てくれてた

うち帰ってお兄ちゃんが特製のマヨネーズ入りのふわふわの卵焼き作ってくれて

すごいおいしかった、また食べたいな

お兄ちゃんとおって、すごい楽しいときたくさんあったし

すごいつらいときもたくさんあった

普段機嫌がええときはいつもあほなことばっか言ったり

変な顔とかしたりして、私は腹抱えて苦しくなるくらい笑ったりしてた

でも怒ったらめちゃくちゃ怖くて危なくて、何べんも殺されると思った

お兄ちゃんの運転する車にふたりで乗ってるときは、いつも変な緊張感があった

兄妹やのに、変に気を使ってしまうねん

恋人を見るような感覚では絶対ないんやけど、兄を見るような感覚とも

なんかちゃう、変な距離がそこにあるように思う

お兄ちゃんのことがいつも心配で、大好きでたまらないのに

メールなんかこっちからしたことほとんどないし、向こうからも来ない

でも一回私が家出してなんの連絡もせんでおったときに

「練炭自殺しようおもてる?」ってメールが来たことがあって

普段はそんな心配は口に出さん人やから

心配してくれてるんやって、思ってすごい嬉しかった

今は一緒に住むことできひんけど、長生きできたら

また一緒に住める時来るかもしれへん、そう思うから

生きてたいって思うよ

この胸のしこりがもしがんやったら、どうなるんやろな

みんなを心配させて悲しませてしまうの、嫌や

生きていたいよ

光の葬

何が悲しいってゆうんやろ

ただ雨の音聞いて布団なか入ってるとどこまでも連れてかれるねん

喪失ってもんがどうゆうもんか幼い私は理解できひん時に

それをどうにかする為に自分の体の奥までも染み込ませたみたいで

それが自分の全部になってしもた気がするねん

母の死で何かを失ったんとちゃう、母の死だけでどうにか

生きて来れた、そんな気がするねん

母の死を記憶の裏側に押し込む一方で母の死は自分にとって

なくてはならんもんなんや、そう無意識の場所でずっと自分に

言い聞かせてた気がするねん

死だけでしか生きて来れんくなってしもた人間は、そこに

もう哀しみしか自分を支えるもんはないんやて、そう自然に

そんな心が出来上がって来るんやと思いました

いつからそんな思いが意識する中で鮮明になって行ったかは

わからんのやけど、意識せん時から私の中にはもうずっとそれが

あったんやと、こんな凍えそうな鎮まった雨が降り頻る日に確信するんです

母の死は私にとって命そのものなんや

まるで母の精魂を私が吸い取ってしもたような罪悪感が根付いてるのに

哀しみはなんでかとても甘美な淡い綺麗な色をしてるんです

それはまるで悪魔の信念のようにびくりとも揺れ動かんものなんです

赦されたい人間はすべてをよいもんに変えてしまうんです

苦しみから逃げず受け入れもせず、ただそれをひっしと逃がさんように

掴んで離さんのです

これがないと生きてかれへんねん、そう中毒者と同じように餓えてるんやて思うと

ますます哀しみしかそこに在らんようなって、そんな世界に浸っては惚れ惚れするんです

そやけど、そんな自分とただ平凡な幸せを望む自分がそこには絶対おるんです

それも思わば哀しみをもっと深くする為の叶わぬ憧憬のように

なくてはならんもんなんやて思うんです

でも最近光が散らつくんです、目の前によう

私をひどく憐れむような光なんです

私の核心を否定するのでも肯定するのでもなく

ただその光は私を柔らかく静かに宥めるんです

いつまでも泣いてる子供に子守唄を唄って寝かせつけるような

そんな安堵の心地良さに身も心も預けてええんやな、そう思えて来たんです

その優しさは、命を葬る喪の心、あの底深いもんとおんなじや、て

苦しい時ほど深く感じさせられて

まるで光に葬られてるような、そんな小弛む気持ちになるんです

THE BOOM & 矢野顕子

THE BOOM & 矢野顕子 - それだけでうれしい

この曲はうちの兄がシングルを持ってて私も当時大好きなった曲です
1992年なんで、兄は17歳とかで、私は11歳とかの時です
すごい懐かしくて、鳥肌立ちまくりました
若いミヤがかわいすぎる!




赤ちゃんのおしり 矢野顕子 パンパースCMソング

これは、もうだいぶまえにお父さんとお姉ちゃんと私が乗ってる車で
私がちょうどそのころ矢野顕子が好きでカセットテープ入れて流してたら
お姉ちゃんが「これ知ってる!お母さんがおまえ赤ちゃんときに聞いてたやつや!」
ってゆうて、そうなんや!って嬉しくなった思い出の曲です
この曲のような優しい気持ちで、お母さんが赤ちゃんの私のおしめ変えたりしとったんやろか
とか思うと泣きそうになります


























この曲は今日初めて聴いたんですけど、聴きながら泣きそうになりました
なんか、あったかいなぁ・・・って


























この曲は、ブームだけの曲知ってて好きな曲なんですが、矢野顕子が加わっても
またいいんですよねぇ、でこの絵すごく可愛いし

























で、これは、当時みんなのうた、でやってたブームの曲です、懐かしい
小学校の机に入れたままの残りのパンがカビて出てくることあったなぁ・・・と
あれは男子に見つかると、必ず、うわー!とか言いふらされるんですよね(笑)
























で、最後に、やっぱブランカ大好き、この南国系のってなんでこんな解放感があって
鳥肌ぞぞぞわわわぁっと来るんでしょうね






漆黒

君の眼が今も瞳孔を広がせて真っ黒にテラテラと照らついてるのかと思うと

僕はいてもたってもいられなかった

僕が初めて自分の瞳孔が開ききった真っ黒な目を鏡で見た時は酷く恐れた

死んだ人の目か人形の眼がそこにあったんだ

僕は死んだんだと思い布団に潜ってぶるぶると震えていた

漆黒の闇がそこにあった

これまで感じたことない死に最も近い重い重い孤独の中にいたよ

君もそんな孤独を何度も感じているんだろうか

体を刻々と蝕ませていきながら、また寂しそうな顔してるのだろうか

あの孤独から解放されたとき、普通のその感覚がやけに幸せに感じたものだよ

君もそれから解放されるとき、そんななんでもない日常を幸せに感じるのだろう

苦しみは毒ではないけれど、快楽は毒だ

苦しみこそが本当の恐ろしい中毒なんだ

だってあんなに苦しくてさびしくてたまらない世界にまた行きたい

そう思った日には、また手を伸ばし、この目をまた黒黒と染めるよ

内臓の悲鳴も無視して、目も潰しそこに融け込むのさ

みんなの涙も無視して、最高の孤独に浸り続けるのさ

怖いことから逃げるのはなにが必要かわかるかい?

それ以上の恐怖だよ

君はこのまま行くとそこに辿り着ける

辿り着いた日には僕もそこで待ってる

漆黒に散瞳どこまでも大きく広がせてね

漆黒の産道を君とゆくんだ、手を取り合い



僕の天使

僕の脳ミソの中をウジ虫が埋め尽くしている

ぞわぞわ言ってるんだ、何かぶつぶつ言ってるよ

ふと気付くと僕のからだじゅうをウジ虫は張っている

僕は気が狂って体中をナイフでつん刺した

痛くても痛くても刺した、血は赤いはずなのに

真っ黒の血が噴き出してきた、ウジ虫は僕の体の中に

侵入して行った、今度ははっきりと声になって聞こえる

殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ、そう言ってる

僕は叫んだ、その声がまるで獣のような声だった

クスリ切れたら人間じゃなくなるって本当だった

僕は人間じゃないんだ、このまま死ぬのかなひとりで

さびしいよ、こわいよ、くるしいよ

気付くと僕は自分の腕に齧り付いてその肉を貪り食ってた

まずい

たすけて・・・


















クスリなんかなくてもさ、生きていけるんだよ?人は

どんなにつらくても生きていける

耐えられないなんてことない、クスリないとだめなんてない

ひとりでやめるのはきっと無理だ

病院に入院して拘束してもらうしかないんだよ?

少しの間我慢すれば、必ず中毒から抜け出られる

それしかないよ、それしか生きられる道きっとない

このまま行くと、クスリで死ぬか、自殺するか、殺人犯すか

どれかだ

生きてよ

どんなにつらくて絶望しかなくても生きようよ

一緒に生きてほしいよ

私と

一緒に生きてよ

恍惚の水

こんな夢を見た

私は髪の長い人魚だった

四人の人魚で暗い水の中を泳ぎ何かを運んでいるようだった

そこは広い洞窟の中のようだった

別の洞窟か洞窟の外にその運んだものを流した

少しほっとして私たちは何かを待っているようだった

ふと私は左のほうの洞窟の穴から覘くと

ここよりももっと黒い世界でその中で、まるで祭りかなにかのように

何人かが水の中に入り騒いでいた、人もみな焼け焦げたように黒く

私はそれを見て怯えていた

















場面は変わり

白い部屋に僕はいた

まだ人魚なのかはわからなかったが

そこに一人の少年が入ってきた

まだ少年であるその存在に抵抗できない力を感じた

僕は縛られ監禁されているようだった

その少年から性の愛が僕に降り注がれた

僕は何故かその少年とは交り合ってはならないと強く感じ

抵抗したが少年の柔らかい腕が心地よく

抵抗しながらも、その恍惚とした感覚に酔い痴れていた

そこからは実に奇妙で不思議な交り方をした

僕の肉体も少年の肉体もまるで溶けてしまったように

それをあとで思い出すと、あれは水のようだった

少し瀞みのかかった生温かい水と水が絡み合っていた

恍惚だけを残し、白い世界のその中で溺れていた

残像




窓の向こう黄色いんやけどカメラで撮るとなんでこんな暗いん

点が、残像なんか、映ってるんかわからん、一日中パソコンの画面見よって目が変になりよる

なんで眠くならんのかわからん、嵐の後の黄色い空、ええ空やな、霧がかっとる

どうしたら夢から覚めるか躍起になってるか、なってないよな

そんな言葉で人を動かせると思うか、そんな気持ちで人を動かせるとでも思うな

雲がすごく厚いから光やわらかくて薄橙色に見える、結局優しいもんしかいらんのやろ

こんな色の朝が来ては寝るタイミングを失う、この空気も、ほら、もっとな

現実感が消えて行きよるのや、この心地よさと言ったらない、鳥もほとんど鳴いとらんよ

このまま目瞑って空に浮いて帰ろうおもたら、帰り道忘れたわ、とか言うんやろ

ひとりなことがこわければ、ひとりでないこともこわいんやろ、こわいとめえつむるやろ

そこには残像しかないやろ、そうやって目瞑った場所がここなんやろ、ここが現実のはずもないわな

そうやってまた笑っとけばええやろ

そうやってまた笑っとけばええよな

関心する感心

みんなの感情に囲まれ、ようやく僕がここにいる

みんなの人生に囲まれ、ようやく僕の人生がある

君は答えてくれた、僕に話してくれた

僕が聞いたから、僕が聞いたから

君が関心してくれたことが嬉しくて僕も君に関心したんだ

そして君の話を聞き、君に僕を重ねた

君の人生にひどく感心したんだ

その現実に生きてきた君に

この現実に生きるための勇気をもらった

ただまた余計な無意識の不安が僕を包み込むんだけど

こんなもんは、ほらまた箒で掃いてしまおうぜ、さっさっさっさ

んで、またそれを角に集めそこをベッド代わりにして今日も眠る

ふわっさ

おやすみなさい

安心を持つ人

思い出すと薄暗く寂しい夢であったと思うのに

そこに戻りたい、そこにいたいと望む僕がいる

いつも私のそばにいる人を思い出せない

誰かわからないのに、絶対的に安心を持つ人

寄り掛かれる人、現実には存在しない安心感

冷たい場所でもいい、あんな存在がいる場所へ

行ってはならない、僕の魂のない場所で

僕がいつも安心している、殺風景も気にせずに

ここにも愛する人たちがいます

ただ、そこに絶対的に不安がある

絶望希望的なものは夢ではないでしょうか

現実はその両方も見えはしない、それを感じる心は夢の心です

現実を映した夢の中、夢を映す現実の中に僕等存在する

時が過ぎていくように感じるのも夢ですよ

本当は時間なんてものはないのです

もうこの宇宙の広がり誰にも止められないんだ

暗く冷たい廊下に落ちたみんなの感情を静かに箒で掃いて

角に集めて積もったそこをベッド代わりにして僕は安心して眠った

隣りに

ねぇ、きみは死のつぎにはなにを望む?

ぼくはさ、ぼくはさ、ぼくはさ、ぼくは

君の日記読めなくなってた、mixiを酷く恨んだ

今日はみちたの爪を初めて自分で切ったんだ

タオルで包んでずっと抱っこして切った

みちたすごくあったたかった

その温かさがとてもとても悲しかった

なんで生きてることが悲しいのかわからなかった

ねぇ、きみは生のつぎになにを望む?

ぼくはさ、ぼくはさ、ぼくはさ、ぼくは

望むことも、もうやめた

それより、僕は同じところに行く

誰にも離させない

誰が何言おうと、僕はその隣りにいる

僕の死

さみしいよ、おとうさん

あの空がどこまでも遠く青いのは、そこにおとうさんがいるからなんだ

怖いよ、ほんとうは、とってもとっても怖いよ

逃げることができないよ

殺されやしないよ、誰も、殺されやしないよ

胸が痛いよ、胸が痛いよ、死を感じるよ

どこまで行っても青いよ、遠いよ、見えないよ

僕の死がどこかで音を立てて待っているよ

とても可愛い音を、僕に聞かせてくれるんだ

早く来い、はやくこーい、まだか、まだか、まだ来ないか

死んだら僕にちょうだい、すべてちょうだいよ

あげるからおいでよって可愛い死が僕に言うんだ

僕の死が転がっている、そこらじゅうに

みんなおまえだ、そう言うんだ、こっち見て言うんだ


胸が痛くないよ、死ぬこと怖くない

痛みも孤独も血も肉もなにもなにも怖くないよ

僕が死んだら君は生きてくれるか

僕の死で誰かは生きてくれるか

本望

胸の表面に丸い何かが痛む

悪いもんではないよ、これは

これが原因で死ぬとしてもね

悪いものではないんだよ

僕にはきっと、どうしようもないものだからね

でも君のもの、どうしようもないものか

それなら同じだけれど

どうにかなるものだったら、どうにかしなさい

いつ死んでも悔いのないように

君にできることをして生きなさい

私もこの丸いしこりを取り除くことがきっとできる

それをしたら、なら、悔いはない

できることやったんだから、あとは死ぬだけ

それでいい、私の人生はそれが本望だけど

君の人生も本望があるのだから

君を苦しませないための本望がちゃんとある

その本望に生きなさい


鈍色の空の下

鈍色の空の下

子らが笑っている

その中に母を知らぬ子

泣いてはおらんか

ひとり膝を抱え泣く子探す

安心が欠けた子ひとり地を走る

暗くなっても走る

時折降る冷雨も感じず

帰る家をなくした子が夜のすきまに一人丸くなり眠る

夢の中の自分に憧れ

目が覚めるとじっとしながら
鈍色の中また走る

すべてをなくしたひとがすべてをてにいれる

そう誰かが呟いた

子は訳もわからずただ鈍色の空を遠い目で見つめた

母の回想録、一

母の記憶がひとつもない私が母との思い出を回想することは

できないのだけれど、聞かされた母の話や写真を思い起こして

書けるだけ書いてみようと思います

(いざ書こうとすると、とても胸が苦しい、しかし私は書かねばならないだろう)




母は40歳という高齢で私を産みました

ひどい難産だったらしく、何度も分娩室に入っては、まだ出てこない

分娩室を出ては入っての繰り返しで

長い時間をかけ、ようやく私は産まれました

逆子で臍の緒が首に巻きついて瀕死の状態で産まれてきたそうです



育児日記に書かれていたので、忘れもしない言葉があります(育児日記が実家にあることがもどかしい)

母は、私の顔が姉兄の赤ちゃんの頃と比べぶちゃっとしていたので

「私たちの子だとは信じたくない」と書いてあったのです

それを初めて読んだ小学生の私は、とてもショックでしたが

母のそんな素直さがとても好きです

そのちょっと後の日記には「日が経つにつれてどんどん可愛くなってゆく」と

書いてあり、最後の子だというのもあって、とても可愛がられ育てられたようです



写真に写る母に抱かれている幼い私を思い出します

写真を思い出しても母のこと何も思い出せないことがとても寂しいです



母はエホバの証人だったので、幼い私を奉仕に毎日連れて行ったそうです

母の人柄は誰にでも愛されるものでした

明るく気さくでほがらか、子供のような純粋さ

でもそんな母は怒るととても怖かったと姉が言っていました

私も母に怒られ泣いたことがあるのだろうか



母は私が二歳のときにがんを発病し亡くなるまでの二年間入退院を繰り返していました

入院している母の前で、私はその頃好きだった松田聖子の

ちゅるりら~ちゅるりら~という歌を、何かにひもを巻きつけたものでマイクを作り

いつも楽しそうに歌っていたのを、母は嬉しそうに聞いていたそうです

母はその頃どのように私を見ていたのだろう

私たちが帰って一人になった瞬間きっと泣いていたに違いない

思い出せない、その頃の私が何を感じていたのか



それ以外の母との話を思い出せない、ほかにも聞いていただろうか

姉に今度聞かなければ



お母さんのことを「お母さん」と、そうもう一度呼んでみたい

うつろ夢む春

親の為だけに生きようとした子が親を亡くしたのです

さて、子はそれはそれは悲しみました

永遠にあの春を失ったのです

子の世はすべて過去と成り果て

失ったものだけの世に子はまだ息づいておりました

そんな世にそれでも子は、春を探そうとしたのです

思いもよらぬ場所に、菜の花咲いているやもしれず

なあ、川のせせらぎ音立てて流れているやもしれず

どこや、桜、散る前に今年こそ見にゆけないものか



僕の春や、僕が見つけなくては

父さんもいつもそう言いよった

僕がなんにもないんや、ゆうと

なら見つけなさい、とゆったんや

僕は見つけてみせます、お父さん

春は向こうから来んのです、僕から見つけに行かなくては

そこで、待っていてくれているのでしょう

だからなんべんもなんべんも、僕にそう言ったんですね

隠れとるね、探さんと、見つからん、春

お父さん、見つからんのは、僕や、僕

僕を見つけんといかんな

やっと、また春を見つけた日には

近くの川で一緒にまた小魚を捕り、芹を摘みに行きましょう

詩人、中原中也

私が生まれて初めて共感した人物が中原中也という詩人だ
私がこれほどまでに親しみを感じる詩人は他にいない
中也を知ったのは私が中三の頃だが、今でも中也が生涯一番に愛した息子文也を
失った悲しみを思うと涙が出る

放蕩息子、親不孝者だった世間では、しかし中也は詩を書くことだけで
孝行息子となった
中也には詩が絶対必要であり、詩が中也を生かした
どんな悲しみにあっても詩を書くことができる
詩だけが悲しみを崇高なものへと変えてくれる
だから中也は悲しみのあまり詩を書かねば生きてはゆけなかった
それこそ本当に天から与えられた唯一の生きる為のものだった、それが詩だった

詩だけでいいと、そう思ってたんだ、文也が生まれるまでは
文也が生まれてから、詩は、中也のすべてだった詩は文也のものとなった
その文也が死んで、今までどんな喪失も詩で表すことで自己を支えてきた
あの中也が心を病ませて行った
その悲しみが想像もし難いものだから私は涙が出る
それでも中也は詩を書き、編集をして詩集を出すことを決めた
自分の為なんかでないだろう、文也と、それから母親の為だろう

あの詩がとくに好きとかないんだ、だって中也のすべてが好きなんだ
言葉にもないような、なんだかもう愛おしすぎてたまらない人間なんだ
死ぬまでずっと愛し続けるたった一人の詩人なんだ






私は今は女だが、是非いつか男になって中也と酒を交わし朝まで話しとおしたい
途中ベロンベロンになって屋台でぎんなんを買い二人で頬張りながら
ラアラアと大声で肩を組み唄いながら月下を歩きたい

許された者たち

穢れを知らない生き物が最も哀しく殺されたよ

僕はそれをただ見ているしかできなかった

世界はどんな者にも光を与えてくれる世界

知っているんだ、そこに光を見出すのは見ていた僕

なにもできなかった僕、救うこと誰もわからないだろう

僕が許さないで誰が許すのさ、僕とすべて

僕を許さないで、一体何を許すのさ

僕は間違っていたし、間違っていなかった

僕は何かを憎み続け、そして許そうとした

すべてを許したいのなら、すべて愛したいのなら

その中に僕も入っている、僕もその一部で

許さないわけにはいかないんだ

声はいつも聞こえていたはず

僕が望む声、許されるすべてへの声

その声を聞き続ける、それは苦しみでもなく

縛られるものでなく、すべて抱き抱える声

みんなも聞こえるはず、僕らは許された者たちなのだから

みちたと雨音

みちたの誕生日に撮ったムービーとキセルの雨音という曲を
重ねて作りました

なかなか大変…いい出来に仕上がったとは、ちょっと言いにくいですが…
雨の日のゆううつな感じとか、だる~い感じが出せたかな?

途中みちたにおしりを噛まれ「いーっっ!」って私の声が入ってます(笑)




雨が続いたせいでもないと思いますが、ぐったりな毎日です…

小さな神  

いつも僕の中で泣いているものがいる

僕の中に住む神だ

小さな小さな神

いつも泣きながら僕に言うんだ

(ぼくをひとりにしないで)

泣き虫で弱っちい小さくてさみしがりな神

僕がそんな神は忘れて生きてると、僕の中でひどく泣き必死に僕を振り向かせ言う

(ぼくはきみのかみだぞ、だからきみはぼくをいちばんあいさなくちゃならない)

ほら、抱っこ、高い高い、笑った

僕はまるでこの小さな神を子供のように愛し育てる親だ

一瞬笑ってもすぐ泣き出す やれやれ

僕は言うけど普段は君を一番に愛しているよ 誰もがそうさ

君を尊敬している

君を喜ばせることだけを僕もしたいな

小さな神のカオスさ

僕は君を生かす、そしてすべてが生きる
君は僕を生かす、そしてすべてが微笑む

そこでは誰ひとり殺さないんだ 殺されないんだ

こんな小さな神僕と一緒に死ぬんじゃないか

僕は死んだよ そう、死は無だ







なにしてる?

(作ってる)

なにを?

(世界)

途方も暮れ過ぎる時間を要し小さな神が大きくなって世界を作りあげた

僕をもう一度作ってその世界に住ませた

そして神はまた小さくなり僕の中に住んだ

覚えている、君を

忘れはしないよ

すやすや 僕は小さな神と一緒に眠った

はじまり

なにに絶望していただろう、ぼくたちは

失ったもの、きえゆくもの、思って泣いている

見てごらん、朝日が今日も必ず上るよ

帰るだろう、すべて必ず

その場所がある

信じてもいいんだ、ぼくたちが

そう決めていいんだ

そうだろう?この世界

真実だけが目に見えない

誰かひとりのものじゃない

みんなのものなんだ

だから信じていいんだよ

きみのなみだがぼくのなみだ

ぼくのなみだがきみのなみだだ

みんなのなみだなんだ

信じてもいい、僕らのすべてを

おわらないはじまりにぼくらみんないる

手をつないでいるんだ、目に見えない手を


















今日は、みちたの二歳の誕生日

おめでとう、みちた

ぼくの大切な愛するみちた

生まれて来てくれて本当にありがとう




ぼくのブログを読んでくれるみんな

本当にありがとう

ぼくもきみもなにも失わない

Amen



原題「AMEN」という映画を観ました(アーメンの意味は、まさに然り、その通り、真であるように、等)
邦題は「ホロコースト アドルフ・ヒトラーの洗礼」です(←内容と合ってない変な邦題です)


ナチス親衛隊の中尉、クルト・ゲルシュタインはポーランドの強制収容所でユダヤ人たちが
毒ガスで処刑されているのを覗き窓から見せられ
ショックを受けた彼はどうにかそれを阻止する為、ベルリンにあるカトリック教会の司教に告発し
他の国に知らせるように言います
しかし、司教は聞き入れません
が、それを知った若い修道士リカルドがそれを見逃さず熱心に話を受け止め、リカルドも
ローマ法王に虐殺の真実を伝え、どうにか虐殺を止めようと二人は必死に行動しますが、
教皇は中立に立場を起き、沈黙します

英題「Der stellvertreter」は舞台劇「神の代理人」から取っていて
ゲルシュタイン中尉は神のスパイとして親衛隊に入り、後に彼の残した証拠で
ホロコーストの虐殺が証明された実在人物だそうです

ゲルシュタイン役のウルリッヒ・トゥクールは知りませんが、
リカルド役のマチュー・カソヴィッツは「アメリ」でアメリが恋する青年役の人で好きな俳優です
どこまでもしたたかな悪を突っ切る親衛隊准将役のウルリッヒ・ミューエという俳優が、
なんだか気に入ったのですが、2007年に亡くなっていると知り哀しいです


終わり近くまで話がほんとに淡々とただ流れるのですが
(収容所側の残虐なシーンはほとんどありません)
終わり間際、吃驚する哀しい展開が起こります

読んでもいい方は続きをどうぞ…























神父リカルドが何もことを起こさない教皇らに絶望し
ユダヤ人がつけられていた黄色の星型紋様を自ら胸につけ
強制収容所へとゆくのです、その展開が起こるシーンはとてもいいです
自分の命を投げ打ってでもゲルシュタインもリカルドもその正義を全うする以外
生き続けることなどできない人間なのでしょう

そして収容所に着いたリカルドは神父だから役に立つようにと火葬場での労働を強制させられます
最も過酷なその労働を続けるリカルドの元に偽装した書類を彼を助けるために
作り逢いに来たゲルシュタインに、怯えて言葉もすぐに出せないほど憔悴しきっているリカルドが
とても哀しい顔でこう言います

「我が子が焼き尽くされても神は無言だ
その御心を知りたい」

ああ…と泣きたい気持ちになった、イエスでさえあまりの苦しさに神に問うたあの場面が浮かんだ
「神は私を見捨てたのですか?」
それはずっと愛され続けた親に見捨てられたと感じた子供の悲しみと同じなのだ

それでもリカルドはそんな中、神を信じて死んでいったのだろうと思った
そんな人たちが同じ思いでたくさん収容所で死んでいったことを思うと
一番苦しい時にこそ宗教が必要であり、宗教がなければ争いが減るという考えは違うと思う

世の中のあまりに酷い残酷さを目の当たりにした時に、人は神を信じる以外どうにもできない


十字架とナチスの象徴である鉤十字が合わさったポスターは映画ともに大きな論議を起こしたそうです
実際何もことも起さなかった法王もヒトラーとあまり変わらない悪であるようにも思えます
バチカン(カトリック教会の総本山)の暗部はただの賄賂を受け取る政治家のような感じ

見返るミカエル見に帰る身に変える

マタイ6章の4節

あなたの憐れみの施しがひそかに[なされる]ためです。
そうすれば,ひそかに見ておられるあなたの父が報いてくださるでしょう。

とある、これを読んでとても心が幸せに満たされた(しかしまた不安が過ぎる)

14,15節

「あなた方が人の罪過を許すなら,あなた方の天の父もあなた方を許してくださるのです。 
けれども,あなた方が人の罪過を許さないなら,あなた方の父もあなた方の罪過を
許されないでしょう。

人の罪を許すものは許され、人の罪を許さない者は許されないのだな

これらの言葉すべてが神は己自身の中に存在することをイエスは言っているようだ

報いは人々から受けるものでなく、己によって受け与えるものである、それを言っているように思う

34節

それで,次の日のことを決して思い煩ってはなりません。
次の日には[次の日]の思い煩いがあるのです。一日の悪いことはその日だけで十分です。

イエスはこれらを神から教えられ言ったのではなく、イエス自身が正しいと
思ったことなんだろうな

7章1節から

「自分が裁かれないために,[人を]裁くのをやめなさい。
2 あなた方が裁いているその裁きであなた方も裁かれることになるからです。
そして,あなた方が量り出しているその量りで人はあなた方に量り出すでしょう。
3 では,なぜ兄弟の目の中にあるわらを見ながら,自分の目の中にある垂木のことを
考えないのですか。
4 また,どうして兄弟に,『あなたの目からわらを抜き取らせてください』と言えるのですか。
しかも,ご覧なさい,自分の目の中には垂木があるのです。
5 偽善者よ! まず自分の目から垂木を抜き取りなさい。そうすれば,
兄弟の目からわらを抜き取る方法がはっきり分かるでしょう。

他人を裁くのではなく、あなたはあなた自身を裁きなさい、と言っておるのだね

昨日ある知り合いから、君の死に様を見てみたい、生きていると採点がつけられないが
死ぬと採点できるからである、と、こう言われ、僕は大層ショックを受けた
君が幸福だったのか不幸だったのか、この目で見たいと言われ、哀しかった

人の心を量るどころか、人生さえも量ろうとする、そんな心を何故持つのか、と
あまりに哀しく、それでは君も同じくただそうやって量られるだけの人生であるのか、と
それが哀しいだけで、一体何を言えば、愛に近づけるのだろうか、と思った

イエスが、偽善者よ!と、ここでつい感情を露わにしておるのは
きっとイエス自身、自分の中にある偽善と感じるそれに向かって
叱っているようだな、と思った、イエスは誰よりも己に厳しい人間だったのだろう
決して神の子ではなく人間であったイエスが如何に己の中の悪と闘って来たか

己に向けて説いている、のだな

12節

「それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません。

反対に自分がされて嫌なことは人にもするな、と言います
それじゃ自分がされてもいいことなら相手にしてもいいはずだ、これはどうですか?
自分が責め嘲笑われてもいいから、人を責め嘲笑っていい、どんな捻くれた考えだよ、と思うが
自分は殺されてもいいから人を殺してもいいのだ
自分がされてもいいことだから人にしてもいいんだ!
己は気づいているはずだ、それは違う、と

何かふっと思い出すんだ、お父さんに言ったんだ、ある日
「こず恵は間違って生まれてきてん」と
お父さんはとても悲しそうな顔をして、ただ「ううん」と言い首を横に振った
本当に哀しそうだった
軽はずみに言ってはいけない言葉だった
親には絶対に言ってはいけない言葉だった
そこで思うんだ、親が子に言ってはいけない言葉はないが
子が親に言ってはいけない言葉がある、と

少し脱線したか…
だから、そうだ、私は親に言われて、されて嫌なことはなかったが
私は親に言ってはいけない、してはいけないことをした、そのとてつもない深い後悔が
ずっとずっと私をいだいているわけなんだ

よって、自分がされていいことも相手にしてはいけないことがあるのだ

なんかやっぱ逸れてる気がする…、ま、いいか…

それがとくに愛してもない人だから、僕はしてもいいんだ、やはりこれはおかしい
そんなことを思うよりも己は己の中に在る神を呼び起こすべきなのだ
何が本当に正しいのか、君はわかっているはずだ、本当は、僕はわかっているんだ

13,14節

「狭い門を通って入りなさい。滅びに至る道は広くて大きく,
それを通って入って行く人は多いからです。
14 一方,命に至る門は狭く,その道は狭められており,それを見いだす人は少ないのです。

狭い門は通りづらいし、よく服もひっかかれば、破かれる、皮膚さえも傷を負い、痛い
どっかに頭をぶつけて倒れるやもしれん
一方広くて大きな門はいかにも通りやすく、うわーいっと遊んでふざけてはしゃぎながらも通れる
さあ、君はどっちの門が好きかい?

一方は生の門であり、一方は死の門であるとも知らず、ふふふ、ふははははっと笑っているのは誰?
(はい、僕です←サタン)
それを見いだすのは、神の裁きによる恐れでもなく、己の罪による裁きでもなく
どちらが君にとって好ましいものか、どちらを好むのか
どちらを良いと見るか、だ、その直感で

君の直感で、さあ!選びたまえ!

聖書っておもしろいね、大好きだよ、お母さん、ありがとう
イエスもエホバも僕だあいすき

あ、それとね!イエスは元々は神に天から追放された堕天使のミカエルでありアバドンであるらしいよ!
アバドン(Abaddon)は『ヨハネの黙示録』に登場する奈落の王で、ヘブライ語で「破壊」「奈落の底」
「滅ぼす者」を意味する。日本語では「アバドーン」とも表記される。

5番目の天使がラッパを吹く時に、『馬に似て金の冠をかぶり、翼と蠍の尾を持つ』
蝗の群れを率いる天使として現れ、人々に死さえ許されない5ヶ月間の苦しみを与えるという。
蝗害が神格化されたものだと考えられている。 また奈落の主とも言われ、奈落の鍵を管理していて、
千年の間、サタンを閉じこめていた。 キリスト教などでは堕天使の一人とされ、
ルシファーと同一視されることもある。

一般的には悪魔としてのイメージが強くサタン、サマエルと同一視されることもある。
また悪魔の支配階級としてではなく、底なしの穴、深淵などの同義語として使用されることもある。

ギリシャ語では「破壊者」を意味するアポリュオン(Apollyon、アポリオンApollion)と呼ばれており、
一説ではギリシャ神話におけるアポロン(Apollon)が自ら打ち倒したピュートーンと
同一視されることによって零落した姿とも言われている。

ここで僕はまた思い付いた



イエスはサタンと変わらぬ悪の堕天使であったんだ(いやサタン自身であったかもしれない)
でも誰よりも神を愛してた、ここで悪=深い悲しみでもあると思った
だからイエスは神の側へまた就きたくて、地上に降り
そこで人々に良い教えを説き、最も苦しい刑を受け、神に許されようとしたんだ

しかしイエスは許されなかった、そこまでしても
イエスの罪は想像以上に深かった、それは神をそこまで悲しませるものであったからだ
神もまたイエスをあまりに深く愛していた
だからそれくらいで許すわけにはどうしてもいかなかった
イエスはそれでも己の中にいるサタンを千年閉じ込めた
しかし千年経っても神は許さなかった
そこでイエスは再び地上に降りて来た
イエスは悲しみの怒りに燃えていたんだ、その年に第一世界大戦が勃発したのはその為だ

イエスは今ちょっと疲れて眠っている
でも目を覚ますとまたこの地上に降りて来る、その日は近し
その時にイエスはどう来るか、だ
自棄になりまた滅ぼすのか、それとも、今度は違うやり方で地上を救い出そうとするか、だ
そして、イエスがどう出るかは、僕らの%によってであると、まだ誰も知らないのであった

終末

疾走


疾走、という映画を観ました
原作は読んでないのですが、上下とあり、長い作品を
二時間ほどに収めるのは難しかったのかもしれませんね

元々感受性の強い子が身の回りが崩壊してゆくにつれ絶望を深めてゆき
まさに若さゆえものすごい速さで疾走してゆく、思春期の危うさが破滅的にも
清々しく描かれています


主人公の手越祐也は甥っ子に少し似ていて、目に力がある子だなと思います
エリ役の韓英恵は「誰も知らない」で知ってクールなところが好きです

神父役のトヨエツは、トヨエツが好きになったことのない私が
初めて、好感を持てました、はまり役だと思います

あと、その弟役の加瀬亮も今回はとてもよかったです

やくざの情婦役の中谷美紀は、とても合ってないなと思ったが中谷が好きなのでいいです

主人公のシュウジは本当に家族が好きだったんだなと思い、哀しくなりました
兄を心から心配して、教会まで連れて行ったりして、でも兄は変わろうとはしませんでした

家族がすべてだったのかもしれない、私のように
だからその家庭が壊れてシュウジの絶望は本物だったのだ、まだ15歳とかで


こういった思春期の破滅的な話が昔好きでした
小説で「青の炎」など、あれはとても面白くて、読んだのは16,7歳あたりでしょうか
何か、そういった犯罪的だとか破滅的なことが本当に美しいと感じていた頃でした

あと小説「テロルの決算」なども好きでした
ただたんに、犯罪に手を染めるのではなく、何かとても強い信念で罪を犯す
そんなものに憧れていたのでしょう、若さの証拠でしょうね
そして、最後は必ず自ら破滅して終わる、というよな完璧なものが美しいと感じていました

この疾走もその頃に知ったなら、感動したかもしれません
どうもそのような気持が抜けきってしまった年を取った私には
あまりに若々しいその気持ちを忘れてしまったような淋しさを感じました

ただ、そんな中でトヨエツ演じる神父の悲しみが少し身に沁みるようでした
あまりに苦しいと、最終的にやはり人は神に頼るしかないのだろうな、と思いました
神に頼る人は弱い人間なのではなく、悲しみが深い人ほど神しか、自分を救えないと
わかるんでしょうね、人はそんなに強いはずもない

聖書の言葉が、神がどんなに自分にとって大きな存在であるかを
物心つかないうちに埋め込まれて来た私は、幸せだと、そう思うべきなのでしょう
そのせいで不幸になった、と考えてもしかたない
その不幸を救うのも、また神しかいないようにも思うからだ

主人公のシュウジも苦しかったから聖書にすがり
それを嘲笑って犯罪に走った兄のシュウイチも、本当に苦しくなった時に聖書を手に取る日が
来るかもしれない、と思いました

自分の中に神を持つ者は、シュウジのような破滅的な人生でも幸せであり
自分の中に神を持たない者は、どんな表面上幸福であろうと、不幸である
自分の為によく生きたいと思う者は不幸であり
誰かの為によく生きたいと思う者は幸せである

外では雨がよく降っていて静かな部屋の中悲しみと静寂はよく似ていると思いました
悲しみは深いほど静寂になろうとするのだろうな
その中で人は神を側に感じ、自ら救われるのだ、と思いました

浅いものはやはり必要ないね、さとるさん
あの神父のように僕もなりたい、とそう思った
自分を罪深いと感じている僕のような人間は浅くなってはいけない
深い場所へと行かなければならない
やはり僕と君は一緒に生きるべきなんだろう

イエスが人間でなければ意味がない

: キリストの復活と私たちの復活は、確かに関連はあるけれど
: 別物でしょ
sirosorajp: キリストの復活と自分の復活は別物ですか?
: はい
: 何で同じなんですか?
: 何か勘違いされているようですが・・・・・
: もしかして、キリストが復活したのはクリスチャンだからとでも?
sirosorajp: ごめんなさい
: だから
sirosorajp: 自分が復活できない宗教は必要ないのかな、と思って
sirosorajp: 聞いてみました
: クリスチャンは皆復活すると?
sirosorajp: うーん
: キリストの復活はキリスト自身が神であるしるしと
: また、キリストを信じるものが永遠の命を持つためであると私は考えています
sirosorajp: 復活を望んで、神を愛するのか
: で
: 聖書には全ての人は一度復活すると書いてあります
: 終わりのときに死んだ人も全て一度復活して
: 神のみ前に立ち
: 裁きを受けるとかいてある
: そして
sirosorajp: でも、生き返っては、なんのために死んだのでしょう
: クリスチャンの人はそのまま天国に行けるが
: ノンクリスチャンは地獄に落とされると書いてあるんです
sirosorajp: だからクリスチャンになるのですか?
: 質問の意味がわからないw
sirosorajp: 滅ぼされるのは嫌だから
: ですよ
: ですよ
sirosorajp: 神を愛していますか?
: 神が世を作られたから信じるんです

: どうでしょう?
: 愛しているといっていいのかわかりません
: そんなに簡単に愛しているといえないと思います
sirosorajp: 愛がなくては何の価値もないですよ
: 愛しているといえますか?
sirosorajp: 言えます
: では、クリスチャンですか?
sirosorajp: 違います
: 教会に息神のみ言葉に従っていますか?
sirosorajp: うちの母はエホバの証人でした
: はい
: いいですか?
sirosorajp: なにがですか?
: 神を愛するというのは
: 私はそんなに誰もが完璧に出来るとは思いません
: パウロですら無理でしたし
: ペテロですら無理でした
: それをあなたは出来るとでも?
: しているとでも?
sirosorajp: 愛はどこかにあるのでなく、自分の中にあるものです
: いや
: そういうことではなくてね
: 私が言う意味は
: 愛しているか?とあなたは聞きましたよね?
: 私は愛しているとはいえないかもしれないと言いました
: それは、私が神に対して罪を犯す存在だからです
sirosorajp: 神とは、良心、正しいこと、それが愛なんだと思います、それが神に対する愛なんだと
: もし、神を私自身より、何より完全に愛しているならば
: 神に対して
: 罪を犯しません
: ですから
: 愛しているとまで言い切ることは出来ません
sirosorajp: 神に対して罪を犯す人はいません
: 神とは何かかたちのないものではなく
: 子人格のある人です
: 人格のある方です
: ですからつみをおかすことができるんですかみにたいしてね
: 貴方も神に罪を犯しています
: 私も犯しています
sirosorajp: 裏切りをしても、愛していることに変わりはないですよ
: 皆神のみ前でつみびとだと聖書は言います
: それは不完全ですよ
: いいですか?
sirosorajp: もし、我らが罪びとであるなら、神も罪びとだ
: 神のみ前で誇りたいならば
: 完全でなければ
: 誇れないんです
sirosorajp: 神は完全ではない

: かんぜんですよ^^
: 神様は完全です
sirosorajp: 完全であるなら、私たちは罪を知らない
: 以上
: 議論はしたくないので終わりにしますね

プロフィール

白空

Author:白空
1981年8月4日生

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ナレーション:ホアキン・フェニックス

音楽:Moby

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