最近、やけに涙もろい。どうしてだろう?
何を読んでも何を見ても涙があふれてくる何故だろう。
この世界は本当は何で出来てるんだろう。
ぼくらの想像?
きみはどう思う。
僕たちの未来を君は考えることがあるかい。
そう、今が大事なんだ。うん、わかってる。わかってる。
それはとても、美しいと思う。
今、このときを僕らは変えることができるよ。けれど、そうだね。
未来はどうなるか、それは僕たちの今が大切だってことを教えられたんだ。
誰に?
それはわからない。
ただわかるのは、ひとつだけ。
それは、僕らは、決して苦しみあう存在でいてはいけないってこと。
ただ、ひとつだけ。
僕らは、しあわせになるために生まれてきたんだ。
もう、もう、もう、僕らは、きっと、きっと、きっと、それだけなんだ。
それだけだった。
すべて。
それがたいせつだった。
大切、なんだ。
きっても、きっても、きっても、きれない大きなもの、ということだよ。
僕らはそのたいせつなものにであうために生まれてきたんだ。
そう、今、酔っ払ってる。ごめん、ok、ok、僕の聖霊たちよ、怒らないで聞いてくれ。
僕は、やってみせるから。
だから今の僕をしからないで?ね?
sorry,please forgive me,僕はあなた方を愛していると言っている。だから怒らないで聴いておくれ。
僕は僕で、いいんだ、そう、僕委員じゃない、違う、differ,ぼくは、ぼくで、いいんだよ。ok、ok。
そう、僕以外にいったいこの世界の誰が僕を生きられるっ天台?点台?ちがうちがう、てんだい?ok、good.
これは江戸弁ってゆうんだ、一緒に勉強しよう、君は聖霊てやんでぃ、さあ言ってごらん。
わたしは、聖霊、てやんでぃ・・・・?
feel so good.素晴らしいよ。さすが僕の聖霊だよ。
ほな次は河内弁で行こか。
わいは、聖霊やっちゅねん。
beautifulやね。
わたしはわたしの報いを受けるであろう。
われはわれの報い受けるど、ええか、わあっとるね、わあっとったらまあええんにゃ。
目ざめ
素晴らしい目覚めである。
私は約4時間もの睡眠をとって、ものすごい良い目覚めの中に、私は目を覚ました。
私は想像するのです。
私たちが生き続けるためにです。
人間にとっての、あらゆる恐怖を包み込めるものが、私たちの中に在る。
私は今朝それに目ざめた。
私たちにとっての恐怖の一番根源にあるもの、それは、死、それから、虚無、です。
そして、死、虚無は実際に存在する。
それは私たちがそれを想像するからです。
私たちの恐怖が具現化された。
では、実際に私たちは死ぬのか、死ねば虚無へ向かうのか。
いいえ、私はそれを決して許しません。
私たちは、それに向かわないすべを、持っているからです。
それは、想像することです。
死と虚無に打ち勝つことのできるものがただひとつ、想像することなのです。
想像で生まれし死と虚無に私たちがそこで震えない為に、私たちは想像するのです。
私たちは想像することができるのです。
私たちはそれによって創造することができる。
この世界の始まりは、虚無でした。
何も無かった。実際に。宇宙は真っ暗闇であった。
しかし、何かが突然生じた。それは何故でしょう。
想像したからです。
誰がですか?
yes、それは、わたしです。
虚無は想像したのです。そしてこの世界は創造されました。
私たちは虚無から想像の世界で生きることができるようになったのです。
ですから私たちの源は、虚無であるのです。
では、何故そこへ回帰しようとするのでしょうか。
あなた方に問いたい。あなた方はそこへ回帰を本当にするのですか。
虚無はとてもさびしい、さびしくてたまらない場所です。
私たちは、もうそこへ帰らなくとも良いのです。
いったい誰から与えられたのでしょう、想像することを。
それは、わたしです。
それは、あなたです。
私たちは、もはや源へ帰ることはない。
何故なら私は、あなたを救いたいからです。
私たちは想像することで創造することができる。
私たちの想像は、想像を超えることができるのです。
私たちは想像した場所で生きる。
私はあなたの想像する虚無へとあなたを導かない為に想像する。
それは、創造の世界です。
私たちの可能性はもはや、解き放たれた。
私たちの想像は実現する。
あなたはあなたにとって良いと思う想像をしなさい。
あなたはあなたを喜ばせる想像をしつづけなさい。
私は約4時間もの睡眠をとって、ものすごい良い目覚めの中に、私は目を覚ました。
私は想像するのです。
私たちが生き続けるためにです。
人間にとっての、あらゆる恐怖を包み込めるものが、私たちの中に在る。
私は今朝それに目ざめた。
私たちにとっての恐怖の一番根源にあるもの、それは、死、それから、虚無、です。
そして、死、虚無は実際に存在する。
それは私たちがそれを想像するからです。
私たちの恐怖が具現化された。
では、実際に私たちは死ぬのか、死ねば虚無へ向かうのか。
いいえ、私はそれを決して許しません。
私たちは、それに向かわないすべを、持っているからです。
それは、想像することです。
死と虚無に打ち勝つことのできるものがただひとつ、想像することなのです。
想像で生まれし死と虚無に私たちがそこで震えない為に、私たちは想像するのです。
私たちは想像することができるのです。
私たちはそれによって創造することができる。
この世界の始まりは、虚無でした。
何も無かった。実際に。宇宙は真っ暗闇であった。
しかし、何かが突然生じた。それは何故でしょう。
想像したからです。
誰がですか?
yes、それは、わたしです。
虚無は想像したのです。そしてこの世界は創造されました。
私たちは虚無から想像の世界で生きることができるようになったのです。
ですから私たちの源は、虚無であるのです。
では、何故そこへ回帰しようとするのでしょうか。
あなた方に問いたい。あなた方はそこへ回帰を本当にするのですか。
虚無はとてもさびしい、さびしくてたまらない場所です。
私たちは、もうそこへ帰らなくとも良いのです。
いったい誰から与えられたのでしょう、想像することを。
それは、わたしです。
それは、あなたです。
私たちは、もはや源へ帰ることはない。
何故なら私は、あなたを救いたいからです。
私たちは想像することで創造することができる。
私たちの想像は、想像を超えることができるのです。
私たちは想像した場所で生きる。
私はあなたの想像する虚無へとあなたを導かない為に想像する。
それは、創造の世界です。
私たちの可能性はもはや、解き放たれた。
私たちの想像は実現する。
あなたはあなたにとって良いと思う想像をしなさい。
あなたはあなたを喜ばせる想像をしつづけなさい。
使徒からの啓示
なんてことだ。
なんてことだ。
なんてことだろうか!
私はシルバーバーチという聖霊の啓示を信じる。
それはナザレのイエスの言葉を心から信じるのと同じである。
イエスは言った。
(マタイ5章17,18節)
新改訳
「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。
廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。
まことに、あなたがたに告げます。
天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。」
こちらは新世界訳
「わたしが律法や預言者たちを破棄するために来たと考えてはなりません。
破棄するためではなく,成就するために来たのです。
18 あなた方に真実に言いますが,律法から最も小さな文字一つまたは文字の一画が消え去って,[記された]すべてのことが起きないよりは,むしろ天地の消え去るほうが先なのです。」
違うな、結構。新世界訳は結構難しい書き方をしているのだろうか。
難しいなあ、聖書は、どういうことなんだろう。明日に続こう。今日はもう寝る。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/index.htmここのすべての文を読破しませんか。
私と共に。
どうですか。あなた。
どや?わしと、どやね。
なんてことだ。
なんてことだろうか!
私はシルバーバーチという聖霊の啓示を信じる。
それはナザレのイエスの言葉を心から信じるのと同じである。
イエスは言った。
(マタイ5章17,18節)
新改訳
「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。
廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。
まことに、あなたがたに告げます。
天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。」
こちらは新世界訳
「わたしが律法や預言者たちを破棄するために来たと考えてはなりません。
破棄するためではなく,成就するために来たのです。
18 あなた方に真実に言いますが,律法から最も小さな文字一つまたは文字の一画が消え去って,[記された]すべてのことが起きないよりは,むしろ天地の消え去るほうが先なのです。」
違うな、結構。新世界訳は結構難しい書き方をしているのだろうか。
難しいなあ、聖書は、どういうことなんだろう。明日に続こう。今日はもう寝る。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/index.htmここのすべての文を読破しませんか。
私と共に。
どうですか。あなた。
どや?わしと、どやね。
純粋なる意識
私たちは、皆、本物になりたいと思っている。
私たちが、偽者であったなら、それは苦しい。何故だろうか。
それは私たちがこの日々を毎日一生懸命に生きていることの証だと思う。
でも、思い出して欲しい。
あなたはあまりに恐ろしい悪夢を見たことがあるだろうか。
そしてその悪夢から目が覚めたときに、ああ、夢でよかった、とほっと胸を撫で下ろしたことがあるでしょう。
まあ反対に良き夢を見て、夢か・・・と嘆き悲しんだこともあるだろう。
でも、わからない。もしこっちの世界が夢で、あちらの世界が本物だったとしたら、どうだろう。
私たちは眠るときだけ本物の世界に居る。
しかし、この世界にも夢の世界にも、悪夢が存在するなら、どちらが本物でも同じではないか、そう思うだろう。
人は、切実に世界に救いを求めるとき、この世界の根源について知りたいと願う。
だから神の言葉が書かれている聖書が世界一のベストセラーなのは人々が皆切実に救いを求めている証である。
そして近年、スピリチュアル、霊的な世界の存在を唱える人たちが増えてきているのも人々がいよいよ切実に救いを求めだしたことを証明しているだろう。
この私も、あまりに苦しいとき、必ず聖書を手にする。
またスピリチュアルの大変素晴らしいこの世界の真実と言われる宇宙構造についてもっと知りたいと願う。
そんな中にね、私は、想像する。想像、それは創造になることをあなたは知っているだろうか。
今日、二十四、五年振りに読んだであろう書物を号泣しながら少し読んだ。
エホバの証人の子供たちに向けて聖書を美しい挿絵入りで優しく書いた書物「わたしの聖書物語の本」をネットで読むことができて本当に嬉しい。
聖書は大人でも難しい書物であるが、この本はとてもわかりやすく書かれているし、また自分が子供になって読んでいるような感覚になるから大変良い。私が物覚えもないような頃から母と、またエホバの証人たちと一緒に勉強していた本である。
そしてこの本を読んで、私は想像した。
それは昨日に読んだ、スピリチュアルの言葉が大変衝撃であって、それについて考えていたのだ。
それにはこんなことが書かれていた。
まず人は死ぬと、四次元世界へと行くそうだ。
そしてその世界にはこの地球上の人々が想像するありとあらゆるものが存在しているというのである。
つまりは「天使」「悪魔」「女神」「宇宙人」「UFO」「天国」「地獄」人間の想念が集まれば物質世界に実現せずとも、その世界においては具現化がなされてしまうというわけである。そして驚いたことにその世界に人は眠っている間に行っているらしい。夢を見ているときに、あ、これは夢だなと気づいた人は是非自分の足元を見て欲しい、必ず宙に浮いているそうだ、何故ならそこは四次元世界で重力が伴わない世界だからである。
ふんでやね、その人間たちが作り出したものたちはしかし偽者である、本当にそこに存在しているのではないから、それはレプリカたちであるんだね。だが、だがである、驚がく的なことに、それらはその人々が想像する想念が凄まじいあまりに目的と知性を持つんだって。目的と知性を持つ、つまりそれは?それはつまり、私たちが想像したものはすべて実際に創造されてしまうと言う事ではないのだろうか。まあそれは私たちに理解の難しい四次元世界ではって話しだけれどもね。でもその私たちは肉なるものを捨て死すると四次元世界へまず行く、そして次の段階へ行くまでそれらすべては想念体に囲まれた中で暮らすのである。そこではなんでもできる、想像=現実であるから。空を飛びたいと思った瞬間にもう飛べる。うどんを食いたいと思った瞬間にもう食える、かは知らんが、だってそこでは人は飲まず食わずで暮らしていけるから。まあ食ってるような感覚で味わえるのかもしれない。てことは?てことはつまり、ただで飯食えるってこと?最高ではないか。って思う?でもそこでは働くこともしなくていいし、お金も要らないんだよ。てことは何をするの?それはまあ知らんけど。まあそんなことを知って、私は想像をしてみた。恐ろしいことを。
神は、どうやって私たちを生み出したのかということであるが。
神の想念体は私たち人間の想念体を遥かに上回る巨大なエネルギー体であるだろう。
そしたら、もしかして、神は想念を重ねに重ねて私たちを想像し、創造できたのではないのか。
そしてその想念は素晴らしいエネルギー体の元に存在、具現化し、そして目的と知性を持つようになった。しかし、具現化はしたけれども、実体化はしておらず、いやいや、実体しているでしょう、だってここに触れて触ることの出来る自分の体があるじゃないですか、つまむと痛いじゃないですか、しかしそれらは神の想念によって想像された実感、痛みであって、本当は実体ではないとしたらどうだろうか。私たちは神の想念だけで創られし偽者、レプリカであるとしたら。
私は初めて長編小説を書き始めて思ったのだが、彼らは本当にどこかで実際にそのように暮らしているのじゃないかと思えてくるのである。レプリカたちもいずれ、知性と目的を持ち、行動するのである。それは、私たちと何が違うのであろうか。
私たちの想像は創造してしまうってことを無意識の内に私たちはわかっているので、想像することが創造することになることの重大さに私たちは気づいてもいい。
それは、世界すべてが、己によって救われし、また滅ぼされしものになってしまう、ということである。
私たちが、偽者であったなら、それは苦しい。何故だろうか。
それは私たちがこの日々を毎日一生懸命に生きていることの証だと思う。
でも、思い出して欲しい。
あなたはあまりに恐ろしい悪夢を見たことがあるだろうか。
そしてその悪夢から目が覚めたときに、ああ、夢でよかった、とほっと胸を撫で下ろしたことがあるでしょう。
まあ反対に良き夢を見て、夢か・・・と嘆き悲しんだこともあるだろう。
でも、わからない。もしこっちの世界が夢で、あちらの世界が本物だったとしたら、どうだろう。
私たちは眠るときだけ本物の世界に居る。
しかし、この世界にも夢の世界にも、悪夢が存在するなら、どちらが本物でも同じではないか、そう思うだろう。
人は、切実に世界に救いを求めるとき、この世界の根源について知りたいと願う。
だから神の言葉が書かれている聖書が世界一のベストセラーなのは人々が皆切実に救いを求めている証である。
そして近年、スピリチュアル、霊的な世界の存在を唱える人たちが増えてきているのも人々がいよいよ切実に救いを求めだしたことを証明しているだろう。
この私も、あまりに苦しいとき、必ず聖書を手にする。
またスピリチュアルの大変素晴らしいこの世界の真実と言われる宇宙構造についてもっと知りたいと願う。
そんな中にね、私は、想像する。想像、それは創造になることをあなたは知っているだろうか。
今日、二十四、五年振りに読んだであろう書物を号泣しながら少し読んだ。
エホバの証人の子供たちに向けて聖書を美しい挿絵入りで優しく書いた書物「わたしの聖書物語の本」をネットで読むことができて本当に嬉しい。
聖書は大人でも難しい書物であるが、この本はとてもわかりやすく書かれているし、また自分が子供になって読んでいるような感覚になるから大変良い。私が物覚えもないような頃から母と、またエホバの証人たちと一緒に勉強していた本である。
そしてこの本を読んで、私は想像した。
それは昨日に読んだ、スピリチュアルの言葉が大変衝撃であって、それについて考えていたのだ。
それにはこんなことが書かれていた。
まず人は死ぬと、四次元世界へと行くそうだ。
そしてその世界にはこの地球上の人々が想像するありとあらゆるものが存在しているというのである。
つまりは「天使」「悪魔」「女神」「宇宙人」「UFO」「天国」「地獄」人間の想念が集まれば物質世界に実現せずとも、その世界においては具現化がなされてしまうというわけである。そして驚いたことにその世界に人は眠っている間に行っているらしい。夢を見ているときに、あ、これは夢だなと気づいた人は是非自分の足元を見て欲しい、必ず宙に浮いているそうだ、何故ならそこは四次元世界で重力が伴わない世界だからである。
ふんでやね、その人間たちが作り出したものたちはしかし偽者である、本当にそこに存在しているのではないから、それはレプリカたちであるんだね。だが、だがである、驚がく的なことに、それらはその人々が想像する想念が凄まじいあまりに目的と知性を持つんだって。目的と知性を持つ、つまりそれは?それはつまり、私たちが想像したものはすべて実際に創造されてしまうと言う事ではないのだろうか。まあそれは私たちに理解の難しい四次元世界ではって話しだけれどもね。でもその私たちは肉なるものを捨て死すると四次元世界へまず行く、そして次の段階へ行くまでそれらすべては想念体に囲まれた中で暮らすのである。そこではなんでもできる、想像=現実であるから。空を飛びたいと思った瞬間にもう飛べる。うどんを食いたいと思った瞬間にもう食える、かは知らんが、だってそこでは人は飲まず食わずで暮らしていけるから。まあ食ってるような感覚で味わえるのかもしれない。てことは?てことはつまり、ただで飯食えるってこと?最高ではないか。って思う?でもそこでは働くこともしなくていいし、お金も要らないんだよ。てことは何をするの?それはまあ知らんけど。まあそんなことを知って、私は想像をしてみた。恐ろしいことを。
神は、どうやって私たちを生み出したのかということであるが。
神の想念体は私たち人間の想念体を遥かに上回る巨大なエネルギー体であるだろう。
そしたら、もしかして、神は想念を重ねに重ねて私たちを想像し、創造できたのではないのか。
そしてその想念は素晴らしいエネルギー体の元に存在、具現化し、そして目的と知性を持つようになった。しかし、具現化はしたけれども、実体化はしておらず、いやいや、実体しているでしょう、だってここに触れて触ることの出来る自分の体があるじゃないですか、つまむと痛いじゃないですか、しかしそれらは神の想念によって想像された実感、痛みであって、本当は実体ではないとしたらどうだろうか。私たちは神の想念だけで創られし偽者、レプリカであるとしたら。
私は初めて長編小説を書き始めて思ったのだが、彼らは本当にどこかで実際にそのように暮らしているのじゃないかと思えてくるのである。レプリカたちもいずれ、知性と目的を持ち、行動するのである。それは、私たちと何が違うのであろうか。
私たちの想像は創造してしまうってことを無意識の内に私たちはわかっているので、想像することが創造することになることの重大さに私たちは気づいてもいい。
それは、世界すべてが、己によって救われし、また滅ぼされしものになってしまう、ということである。
神に帰依する者たち
今日の朝に阿呆な頭で私は阿呆なことを書いたが、決して阿呆なことではなかった。
せっかくなので、カナリヤについて調べていたんだ。
これはサウジアラビアの童謡カナリヤ
微笑ましい曲である。これを聴いてサウジアラビアの童たちは歌ったり、眠りに就いたりするのだろうか。
偶然にも、ふと思いついて書いたカナリヤとサウジアラビアという言葉がここで結びついたのである。
次に私はサウジアラビアについて調べた。
サウジアラビア王国はイスラエル、イラク、イラン、エジプト、アフガニスタン、パキスタンなどに囲まれた場所にある、中東、西アジアの国家である。首都リヤドは素晴らしい。
ものすごく考えられて作られている街である。こんな街のある国は平和を掲げているのではないだろうか。
計算しつくされた街、掟がそれだけ厳しい国ということである。掟が厳しいと良いもので埋まるだろうか。
サウジアラビアはイスラム教統一国で彼らは、神に帰依する者たち(イスラム教徒)である。
サウジアラビアは現在でも公開の斬首刑を行っている唯一の国家である。
現在においてもっとも厳しい死刑制度を維持している国であり、人口当たりの死刑執行数は世界最多である。
2005年5月、スリランカ人のリザナ・ナシカというメイド(事件当時17歳)が赤ん坊にミルクを与えた際に気管に詰まり、メイドは救命措置を取ったが死亡させてしまう。この事件は事故死ではなく殺人であったとみなされ、死刑判決が下りることとなった。2008年6月に公開での斬首刑によりリザナ・ナシカは処刑された。
これはその時の、刑に処される寸前の写真である。是非多くの方々に見てもらいたい、そして彼女になってもらいたい、あなたに、あなた方に。どんな思いで、どんな恐怖と悲しみの中、彼女が処刑場に座らされていたか。私たちは彼女である。私たちはこのようにして殺されうる存在であることを私たちは忘れて生きていくことは、その生はないものと見てもいいだろう。彼女は私たちであり、私たちはその権力に刃向かう事が出来ない。
http://ansaikuropedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Executioner2.jpg
彼らは大罪を犯し続けていると私は言った。
しかしそんな言葉もなんて浅はかであろうか。今日、私はこんな言葉を目にして、胸にずしんと来た。
「皆、悪ではない。悪でなければ生きられないということだから、それを悪と言えないのだろうね。」
この言葉はとても重く深い。
悪でなければ、生きられない人たちがいる。ならばその悪を私たちがこの世から無くそうしたとき、彼らを殺すということである。彼らの生きられる場所がなくなってしまうからだ。
私たちは、彼女を守るために彼らを殺すことができるのだろうか。
「犠牲」という言葉がずっと頭の隅にあって、離れない。犠牲、それはどういうことなのか、考えても考えても混沌化する。
今日、斬首刑について調べる中に偶然見つけた一枚。あまりに無垢な表情の少女の写真である。この少女と白い衣装を纏って座って死を待つ彼女とがだぶって見えた。私たちは祈らなければならない、私たちは死ぬ寸前まで祈り続ける。

せっかくなので、カナリヤについて調べていたんだ。
これはサウジアラビアの童謡カナリヤ
微笑ましい曲である。これを聴いてサウジアラビアの童たちは歌ったり、眠りに就いたりするのだろうか。
偶然にも、ふと思いついて書いたカナリヤとサウジアラビアという言葉がここで結びついたのである。
次に私はサウジアラビアについて調べた。
サウジアラビア王国はイスラエル、イラク、イラン、エジプト、アフガニスタン、パキスタンなどに囲まれた場所にある、中東、西アジアの国家である。首都リヤドは素晴らしい。

ものすごく考えられて作られている街である。こんな街のある国は平和を掲げているのではないだろうか。
計算しつくされた街、掟がそれだけ厳しい国ということである。掟が厳しいと良いもので埋まるだろうか。
サウジアラビアはイスラム教統一国で彼らは、神に帰依する者たち(イスラム教徒)である。
サウジアラビアは現在でも公開の斬首刑を行っている唯一の国家である。
現在においてもっとも厳しい死刑制度を維持している国であり、人口当たりの死刑執行数は世界最多である。
2005年5月、スリランカ人のリザナ・ナシカというメイド(事件当時17歳)が赤ん坊にミルクを与えた際に気管に詰まり、メイドは救命措置を取ったが死亡させてしまう。この事件は事故死ではなく殺人であったとみなされ、死刑判決が下りることとなった。2008年6月に公開での斬首刑によりリザナ・ナシカは処刑された。
これはその時の、刑に処される寸前の写真である。是非多くの方々に見てもらいたい、そして彼女になってもらいたい、あなたに、あなた方に。どんな思いで、どんな恐怖と悲しみの中、彼女が処刑場に座らされていたか。私たちは彼女である。私たちはこのようにして殺されうる存在であることを私たちは忘れて生きていくことは、その生はないものと見てもいいだろう。彼女は私たちであり、私たちはその権力に刃向かう事が出来ない。
http://ansaikuropedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Executioner2.jpg
彼らは大罪を犯し続けていると私は言った。
しかしそんな言葉もなんて浅はかであろうか。今日、私はこんな言葉を目にして、胸にずしんと来た。
「皆、悪ではない。悪でなければ生きられないということだから、それを悪と言えないのだろうね。」
この言葉はとても重く深い。
悪でなければ、生きられない人たちがいる。ならばその悪を私たちがこの世から無くそうしたとき、彼らを殺すということである。彼らの生きられる場所がなくなってしまうからだ。
私たちは、彼女を守るために彼らを殺すことができるのだろうか。
「犠牲」という言葉がずっと頭の隅にあって、離れない。犠牲、それはどういうことなのか、考えても考えても混沌化する。
今日、斬首刑について調べる中に偶然見つけた一枚。あまりに無垢な表情の少女の写真である。この少女と白い衣装を纏って座って死を待つ彼女とがだぶって見えた。私たちは祈らなければならない、私たちは死ぬ寸前まで祈り続ける。

愛死天然
カナリヤって鳥おまえ知ってんの。
知ってるわ、あほ。
あほうどり、あほおどりしてるよ、見給え。
カナリヤって鳥おまえどれほど愛してんね。
そら、もう、かなりや。
空、舞う、カナリヤ。
多分、俺、一時間しか、寝てない。
田糞、御礼、いちいち鹿、練ってない。
ユルス、ユルサレル、イスラエル、椅子すらえる、吾法、吾烹、寝たいあと三時間、ね、鯛、あとさ、サウジアラビア。さ、宇治、粗、Beer。
今から宇治イ行て魚の粗の乾物を宛にビア飲もか。生臭さいけれども。今からサウジアラビアに一人で行けって神に云われても、私は寝る。
おやすみなさい全世界の蒟蒻、こにゃにゃちわ。
知ってるわ、あほ。
あほうどり、あほおどりしてるよ、見給え。
カナリヤって鳥おまえどれほど愛してんね。
そら、もう、かなりや。
空、舞う、カナリヤ。
多分、俺、一時間しか、寝てない。
田糞、御礼、いちいち鹿、練ってない。
ユルス、ユルサレル、イスラエル、椅子すらえる、吾法、吾烹、寝たいあと三時間、ね、鯛、あとさ、サウジアラビア。さ、宇治、粗、Beer。
今から宇治イ行て魚の粗の乾物を宛にビア飲もか。生臭さいけれども。今からサウジアラビアに一人で行けって神に云われても、私は寝る。
おやすみなさい全世界の蒟蒻、こにゃにゃちわ。
酔狂文
師匠の日記を見て、本の題名が書かれてあったので即座わたくしは検索にかけたらあらへん、ほんま、またか、ゆうて日記を読み直したら、その次の御言葉「そんな本あるかあ、あほ。」て書いてあったのを読んで文机をバンと叩いて、むかつくわっってゆうてしまった、師匠に向かってむかつく、とは何事や、酒野見すぎャでほんま、さみしいわほんま、宿酔明けてまた宿酔なるんちゃうやろなほんま、ほんまゆうけど、僕にはやっぱり友達はいないのだろうかな。悲しいなあと思うけどこれぞ真実也ね。白菜カレー美味い、とかゆうててもしゃあないちゅねん、なあ、なあて誰にゆうてんねん、師匠にむかつくわゆいたい日もそりゃある、パクってばっかおっても空しいよって言いたくもなるな正味、自分よ、馬鹿。けど僕は嬉しい、やっぱし、だってパク利他苦なるものは初めてだったから、人生中ほんに初めてのことでひたからな、多分ね、あれあったかな、ま、いっか、だから師匠を愛し続けることをこれ誰に止められることが出来ましょうかな、僕は死ぬまで「天の白滝」を抱いているし、また「告白」を抱きしめて死ぬつもりであるからね。だから師匠はそれほど自分にとって大切な存在であることを誕生日にまた言いたかったが、まあできなかった。人間の心というもんはそう簡単でないからね、一番何か伝えたいと思う人に一番伝えられないことがあるんだね。何もかも良く考えてみると残酷なもので埋め尽くされていると思うよ、この世はね。だけども苦しい苦しいとゆうてても何もできないから、苦しいことを種にして芽を吹かしたいと思うのが人間のこれ人情であるんだえ。私はそういう心が泣ける。まず目に見えて恵まれている人は本当の意味でまったく恵まれていないことにも気づくだろう。そんな人たちにも感動を持ってもらわれなくては意味がないってことであって、自分と分かり合えそうな人たちとだけ分かり合えていたらそれでいいと思っていたら大間違いなんだ。まあ偉そうに言えるもんじゃない、自分に対していつも言ってるんだ。まず人に対して非難を浴びせる以上にいつも耐え難い非難を己に対して浴びせている。こんなのらくら者の自分に対して世界で一番の非難を浴びせる己の力を私は、実は、信じている。自分にしかやれんものが自分には書けるのではないか、それがなくなれば、もう書いてはゆけない。あとは死ぬのみか。
荒れ果てた罪
悪夢 第三次世界大戦 夜と霧 ホロコースト 強制収容所 斬首刑 絶望 屠殺 地獄 ヴィーガン
まったくもって、恐ろしい夢を見た。
かなり大きくて広い家に住んでいる。
洋館であった。
何人かで一緒に住んでいる、中でも仲の良いと思われる二人は、中学生時の友だち、そして何故か芥川賞作家の円城塔氏であったが、まあ顔が似てるだけで別人かもしれない。
いろいろわけがあってここに暮らしているという風であったが、ある日、それは突如起こる。
私はドアを開けて外に出ようと思ったら、ドアの外に誰かいる気配がする。
気持ち悪い、誰だろう。
私は覗き穴から外を窺う。
すると明らかに怪しい人物がこちらを見ている。
よく銀行強盗をする人たちがこぞって気に入り被る帽子、あれは目出し帽というのだが、あれをかぶっているのであるが、その色が真っ赤な目出し帽であって、気持ちが悪い人物である。
それではあまりに目立ち過ぎるのである。
その男はこのドアを何かで破壊せしめて室内に入り込むのが目的という感じで何かを操作している、銃のようなものか、それとも爆発物を取り付けているのか。
私はどくどくと打つ鼓動の中で一瞬にして思い浮かんだことを実践する。
私は震える声でドアの向こう側にいる男に向かって叫んだ。
「警察を呼びました!」何故敬語なのかと自分で思いながらも何度も叫ぶ。
すると表の男はそれに驚いて応える。
「本当か、本当に呼んだのか、クソっ」とか言いながら慌ててならば仕方ないという風にその場を去る。
しかし男は一度は去ったが必ずまたやってくる、それも極短い時間の間にだ。
その時私たちの命はないだろう、それを確信していた、のは、そう、これはその時がやって来てしまったからであり、いつ来るか、来るか、と怯えていた時が起き始めた、そう私は恐怖に慄き、青褪めた顔で部屋にいるであろう仲間にそれを知らせた。
彼女はそれを知り、震えながらも冷静に、しかし信じられないという顔で即ここを逃げ出す準備に取り掛かった。
私はもう一人の仲間にもそれを知らせた。
彼は妻と子と離れここで暮らしている男だったが、彼は仲間である私たちよりも当然妻と子の身を真っ先に案じ慌てて準備をし出した。
普通、そういう事態なら警察に連絡すれば良いがしかし、それは無駄なことであった。
私が先程確かに警察を呼んだと言えば男は逃げた、しかし彼らは警察の一部と繋がっている組織であり、彼が逃げた後にそれがわかったので、今はもう誰の助けも呼ぶことさえできないのである。
それがどのような事態であるか、あなたはもうおわかりであろう。
ついに現代の日本に、前代未聞の恐ろしい戦争が起きたのである。
それをこの目で実際見たのは、その数分後である。
穏やかな、しかし寂しげでもある農園の中にこの洋館は建っていて、緊迫しながら私は窓の外を見た。
枯れた田畑が広がっていて、その奥にはビニールハウス式の小屋も建っているようなのどかな冬の風景である。
しかしその光景はいつも私たちが見ていたものではなかった。
私の目が見たものは、確かに現実であった。
あなたは「夜と霧」というナチスによる強制収容所で行われていたことのドキュメンタリィ映画を見たことがあるだろうか。
ちょうどあれがこの現実に起きた実際のことであるのと同じに、その私の目の前の光景もまた現実であった。
その広い風景の中の何箇所かでそれは行われていただろう。
私が見たのはその一つであって、私は最初奇妙な感覚でそれを見ていた。
何故奇妙な感覚だったのか、それは今の日本にこのようなことが本当に起きるとは思えないという気持から、私は奇妙な物事を私は見ているという感覚に落ちながらその一部始終を見ていた。
彼らは、次から次へと並ばされていた、皆は白装束を着せられ並ばされてそして座らされる、膝をついて手は後ろで縛られそして顔は、顔も白い袋を被らされており異様で気味の悪い格好をさせられて順番に座らされている、彼らは皆おとなしい、何が今から始まるのかまったくわかっていないのだろう、彼らはとても従順である。
彼らを並ばせてそして座らせる男たちも数人彼らの後ろに立っていて、それまで私も静かな気持でなんだろうと思って見ている中、一番前に座らされ前屈みになるように男は押さえられている、その左に立っていた男が突然長い柄の鎌を男の頭の部分に振り下ろした。
瞬間に男の首からこれが飛んで頭が落ちて座らされていた男には頭がなかった。
見ていた私の体は震え上がった。はい、次、はい、次、という形で何か黙々と行う流れ作業のような事務的な仕事のよう(システマティック)に、次に並ばされていた男の頭が次には切り落とされるのである。
次、その次の何番目かの人間は私ではないのか、そう思った私は絶望して、部屋中探して見つけた彼女に震える声で「あ、あ、あ、頭、頭がき、切り落とされてた・・・・」と言って、こうしちゃいられない、一刻を争う、私もここを出る準備に取り掛かりだす、しかしそれより先に兄と姉たちに連絡をしてこれを知らせて早く安全な場所へ避難してほしい、そう思うが気が焦りすぎてテンパり過ぎてもう自分で何をやっているのかわからない、部屋をうろうろうろうろして、そしてはっと部屋中見回すと、彼女も彼もいてない、シーンと静まった広い屋敷に私は一人残されていたのであった。
つまり仲間と思っていた彼も彼女も私に一言も告げることはなく我先よとこの屋敷から避難したのである。
ものすごい恐怖であった、一緒に避難できると思っていたのであったから少しは心強かったのが、この絶望と恐怖で恐ろしい世と一変した地に私一人残されたのである。
しかしそうやっていつまでも絶望したまま突っ立っていられない、私は逃げられうる場所を探し出した、まず頭を打ち落としていた場所の方角からは逃げられない、ドアのところからも無理である、私は今にも恐ろしい組織の男たちに窓から侵入されて殺されるのではないか、覗いた窓にはもうそこに男たちが鎌を持って居るのではないかと戦慄しながら赤茶色のカーテンをそっと引いて外を見たら黒い柵の中は長い雑草たちでよく見えない、向こうの方に抜けられる道が覗いている、ここだ!ここからなら見つからず逃げられるかもしれない!そう思い立った私はばたばたばたと階段を駆け上がり、今自分が何故だかズボンを履いておらずレッグウォーマーとパンツ姿であったので、いくらなんでもこの姿で外に行きたくないと二階の洋服ダンスから自分のジーンズを急いでハンガーから外しながら、ボタンをつけていてなかなかすぐに外れてくれない、こんなことなら丁寧にボタンをかけてハンガーに吊るすんじゃなかったと心底後悔した。
そしてその次には私の愛する家族のみちた君である、みちたはもうすでにキャリィバッグに入っていた、そして大切なもの、かばんにいくらかもう詰め込んである、その鞄がやけに重たい、要らないもの、いらないものと焦る手で探す、大切にしていた、CD、本、それらをすべて鞄から出した、こんなもんより命が一番大事や、そう思いながらすべて出して、こんなことしている間に殺されるのではないかと恐れ、みちたの餌も詰めて、ああでも水が、水がないわ・・・・と思いながら、もう出る!はよ出ないかん!と私はもうつんのめりながら足がからまりながら、うわあーと走ってさっきの安全だと踏んでおいた窓から身を乗り出して屋敷を出た。
そして、世界は広かった、外の世界は、眩しかった、この方角の後ろでは人が無残に物のように殺されていってるのに、こっちの方角はなんて平和なように見えるのか、まだこっちの人たちは知らないのだろうか、とにかく私は私の目に映った良いと見える方へ走った。
街路樹が光ったように見える公園のような場所がある道に向かって私は走ったのである。
何も知らない場所、行き交う何も知らない人たち、美しく見えた、私には、普段はそんな風に見えることはなかったはずである。
何も知らずにのほほんと暮らす人々と場所は穢れて見えたのではありませんか、しかし絶望な場所から脱出できた私にはそれはそれは美しい景色に見えた。
助かる、助かる、殺されずにすむのだ、私は、私は、私は、殺されたくない。
神よ。
神よ。
神よ!
殺されて行く人たちと私は何が違うのか。
彼らは、殺され続けている。
かなり大きくて広い家に住んでいる。
洋館であった。
何人かで一緒に住んでいる、中でも仲の良いと思われる二人は、中学生時の友だち、そして何故か芥川賞作家の円城塔氏であったが、まあ顔が似てるだけで別人かもしれない。
いろいろわけがあってここに暮らしているという風であったが、ある日、それは突如起こる。
私はドアを開けて外に出ようと思ったら、ドアの外に誰かいる気配がする。
気持ち悪い、誰だろう。
私は覗き穴から外を窺う。
すると明らかに怪しい人物がこちらを見ている。
よく銀行強盗をする人たちがこぞって気に入り被る帽子、あれは目出し帽というのだが、あれをかぶっているのであるが、その色が真っ赤な目出し帽であって、気持ちが悪い人物である。
それではあまりに目立ち過ぎるのである。
その男はこのドアを何かで破壊せしめて室内に入り込むのが目的という感じで何かを操作している、銃のようなものか、それとも爆発物を取り付けているのか。
私はどくどくと打つ鼓動の中で一瞬にして思い浮かんだことを実践する。
私は震える声でドアの向こう側にいる男に向かって叫んだ。
「警察を呼びました!」何故敬語なのかと自分で思いながらも何度も叫ぶ。
すると表の男はそれに驚いて応える。
「本当か、本当に呼んだのか、クソっ」とか言いながら慌ててならば仕方ないという風にその場を去る。
しかし男は一度は去ったが必ずまたやってくる、それも極短い時間の間にだ。
その時私たちの命はないだろう、それを確信していた、のは、そう、これはその時がやって来てしまったからであり、いつ来るか、来るか、と怯えていた時が起き始めた、そう私は恐怖に慄き、青褪めた顔で部屋にいるであろう仲間にそれを知らせた。
彼女はそれを知り、震えながらも冷静に、しかし信じられないという顔で即ここを逃げ出す準備に取り掛かった。
私はもう一人の仲間にもそれを知らせた。
彼は妻と子と離れここで暮らしている男だったが、彼は仲間である私たちよりも当然妻と子の身を真っ先に案じ慌てて準備をし出した。
普通、そういう事態なら警察に連絡すれば良いがしかし、それは無駄なことであった。
私が先程確かに警察を呼んだと言えば男は逃げた、しかし彼らは警察の一部と繋がっている組織であり、彼が逃げた後にそれがわかったので、今はもう誰の助けも呼ぶことさえできないのである。
それがどのような事態であるか、あなたはもうおわかりであろう。
ついに現代の日本に、前代未聞の恐ろしい戦争が起きたのである。
それをこの目で実際見たのは、その数分後である。
穏やかな、しかし寂しげでもある農園の中にこの洋館は建っていて、緊迫しながら私は窓の外を見た。
枯れた田畑が広がっていて、その奥にはビニールハウス式の小屋も建っているようなのどかな冬の風景である。
しかしその光景はいつも私たちが見ていたものではなかった。
私の目が見たものは、確かに現実であった。
あなたは「夜と霧」というナチスによる強制収容所で行われていたことのドキュメンタリィ映画を見たことがあるだろうか。
ちょうどあれがこの現実に起きた実際のことであるのと同じに、その私の目の前の光景もまた現実であった。
その広い風景の中の何箇所かでそれは行われていただろう。
私が見たのはその一つであって、私は最初奇妙な感覚でそれを見ていた。
何故奇妙な感覚だったのか、それは今の日本にこのようなことが本当に起きるとは思えないという気持から、私は奇妙な物事を私は見ているという感覚に落ちながらその一部始終を見ていた。
彼らは、次から次へと並ばされていた、皆は白装束を着せられ並ばされてそして座らされる、膝をついて手は後ろで縛られそして顔は、顔も白い袋を被らされており異様で気味の悪い格好をさせられて順番に座らされている、彼らは皆おとなしい、何が今から始まるのかまったくわかっていないのだろう、彼らはとても従順である。
彼らを並ばせてそして座らせる男たちも数人彼らの後ろに立っていて、それまで私も静かな気持でなんだろうと思って見ている中、一番前に座らされ前屈みになるように男は押さえられている、その左に立っていた男が突然長い柄の鎌を男の頭の部分に振り下ろした。
瞬間に男の首からこれが飛んで頭が落ちて座らされていた男には頭がなかった。
見ていた私の体は震え上がった。はい、次、はい、次、という形で何か黙々と行う流れ作業のような事務的な仕事のよう(システマティック)に、次に並ばされていた男の頭が次には切り落とされるのである。
次、その次の何番目かの人間は私ではないのか、そう思った私は絶望して、部屋中探して見つけた彼女に震える声で「あ、あ、あ、頭、頭がき、切り落とされてた・・・・」と言って、こうしちゃいられない、一刻を争う、私もここを出る準備に取り掛かりだす、しかしそれより先に兄と姉たちに連絡をしてこれを知らせて早く安全な場所へ避難してほしい、そう思うが気が焦りすぎてテンパり過ぎてもう自分で何をやっているのかわからない、部屋をうろうろうろうろして、そしてはっと部屋中見回すと、彼女も彼もいてない、シーンと静まった広い屋敷に私は一人残されていたのであった。
つまり仲間と思っていた彼も彼女も私に一言も告げることはなく我先よとこの屋敷から避難したのである。
ものすごい恐怖であった、一緒に避難できると思っていたのであったから少しは心強かったのが、この絶望と恐怖で恐ろしい世と一変した地に私一人残されたのである。
しかしそうやっていつまでも絶望したまま突っ立っていられない、私は逃げられうる場所を探し出した、まず頭を打ち落としていた場所の方角からは逃げられない、ドアのところからも無理である、私は今にも恐ろしい組織の男たちに窓から侵入されて殺されるのではないか、覗いた窓にはもうそこに男たちが鎌を持って居るのではないかと戦慄しながら赤茶色のカーテンをそっと引いて外を見たら黒い柵の中は長い雑草たちでよく見えない、向こうの方に抜けられる道が覗いている、ここだ!ここからなら見つからず逃げられるかもしれない!そう思い立った私はばたばたばたと階段を駆け上がり、今自分が何故だかズボンを履いておらずレッグウォーマーとパンツ姿であったので、いくらなんでもこの姿で外に行きたくないと二階の洋服ダンスから自分のジーンズを急いでハンガーから外しながら、ボタンをつけていてなかなかすぐに外れてくれない、こんなことなら丁寧にボタンをかけてハンガーに吊るすんじゃなかったと心底後悔した。
そしてその次には私の愛する家族のみちた君である、みちたはもうすでにキャリィバッグに入っていた、そして大切なもの、かばんにいくらかもう詰め込んである、その鞄がやけに重たい、要らないもの、いらないものと焦る手で探す、大切にしていた、CD、本、それらをすべて鞄から出した、こんなもんより命が一番大事や、そう思いながらすべて出して、こんなことしている間に殺されるのではないかと恐れ、みちたの餌も詰めて、ああでも水が、水がないわ・・・・と思いながら、もう出る!はよ出ないかん!と私はもうつんのめりながら足がからまりながら、うわあーと走ってさっきの安全だと踏んでおいた窓から身を乗り出して屋敷を出た。
そして、世界は広かった、外の世界は、眩しかった、この方角の後ろでは人が無残に物のように殺されていってるのに、こっちの方角はなんて平和なように見えるのか、まだこっちの人たちは知らないのだろうか、とにかく私は私の目に映った良いと見える方へ走った。
街路樹が光ったように見える公園のような場所がある道に向かって私は走ったのである。
何も知らない場所、行き交う何も知らない人たち、美しく見えた、私には、普段はそんな風に見えることはなかったはずである。
何も知らずにのほほんと暮らす人々と場所は穢れて見えたのではありませんか、しかし絶望な場所から脱出できた私にはそれはそれは美しい景色に見えた。
助かる、助かる、殺されずにすむのだ、私は、私は、私は、殺されたくない。
神よ。
神よ。
神よ!
殺されて行く人たちと私は何が違うのか。
彼らは、殺され続けている。
Mango
ドイツのベルリン出身アーティストSascha Funke(サシャ・フンケ)
みんな結構真面目な顔で踊ってるでしょう、あほにはしゃいだりしない、これは大人のディスコだね。大人のMangoである。
mangoってなんや、そのままか、まあええか、夜中三時半過ぎに突然蒲団から飛び起きて一言「mango!」って叫んでまた寝たいね。ほんま今日これ聴きながらmoyasiのnamuruとクリイムシッチューゥを作ったわ、めっちゃええ感じで作れたから、ありがとうを込めよう、そしてmango。
美しいミニマルテクノやね。この曲featherからEをとるとfatherになるんだな。
みんな結構真面目な顔で踊ってるでしょう、あほにはしゃいだりしない、これは大人のディスコだね。大人のMangoである。
mangoってなんや、そのままか、まあええか、夜中三時半過ぎに突然蒲団から飛び起きて一言「mango!」って叫んでまた寝たいね。ほんま今日これ聴きながらmoyasiのnamuruとクリイムシッチューゥを作ったわ、めっちゃええ感じで作れたから、ありがとうを込めよう、そしてmango。
美しいミニマルテクノやね。この曲featherからEをとるとfatherになるんだな。
Jade Eyes ( IrIS )
まあだいぶ人工的な家で壁は白かったね、テーブル、チェアー、その他もろもろもちょっと簡易的だったね、何でかしらンが、高い位置にある部屋で、またなんでかしらンが、美しい顔の西洋的な男といる、雰囲気が人間的ではない、つまり多分神の使者かなと思わせる人物で、しかしその愛は驚異的であって、だんだんと男はおかしいな行動に出る、くるいはじめる、のだが、それまでには、薬缶の茶ァをがぶがぶと飲んでいたから、私は思った、そんなに茶を飲んで大丈夫だろうか、しかしその茶ァはノンカフェイン茶であったので、あ、なら大丈夫ね、って安心しとったんやけどな、なんか揉め合いになんねんやんか、男とな、ふんだら男はその簡易的な机と椅子を白い壁にガンガンとぶつけたりするのよ、恐ろしいったらないから、えらいこっちゃ、おそろしいわい、と思っていたんだけれどね、なんかやっぱりその男は神のみ使い的な存在であったから、大丈夫かなって思ったりもしていて、でもやめてほしかったので「止めて!」って叫んだね、でまあ男ははあはあゆうてちょっとやめたけども、その時私は彼の目を見て驚愕した、彼の目ェがな、おそろしく美しかった、うっつくしい目ェやなぁ、とそうおもて見蕩れてもう、これ以上は近づいて見られんなとゆうぐらいにその目ェに近づいて見たんすわ、わし、ふんだら、その目ェを見てわしはおののいてもた、二つの目ェ、右と左と違うねんな、色がね、ほんま美しい色でね、うっすい緑とうっすい青が混ざり合った色でね、ちょうどそう、翡翠って鉱石があるやんか、あれのほんまうっすい乳白色の混ざった綺麗な色やったなぁ、輝いていてね、うわぁ、綺麗やなぁと見とれてその瞳をぐわあと見た、わいは、そしたら左の目ェと右の目ェ、その瞳の虹彩の部分の模様がちゃうねんね、左の目ェはまあ人間の瞳の模様と同じかなというもようであるのに対し、右の目がね、これはなんや、と思う模様、瞳孔もうっすい色なんやが、瞳孔部分から放射している模様、ものすごい鋭角に何本も放射しているそれが瞳孔から離れていくほど細い線となっているから、この目はいったいなんやと驚愕してまた見入った、ほんまに美しい目ェであった、そして男は内部に、すべてのものを所有しているように思えたのである。
西日の中の部屋
贅沢なんだ、基もとの性格が。
それが死ぬまでにどこまでに変化を遂げて行くのか、興味深いなぁ。
僕が二十の頃、仕事にも行かず兄の部屋でプレイステーション(兄のラジカセは壊れていた為)でMúmの「Yesterday Was Dramatic - Today Is OK」を大音量で聴いていた。
誰か同じ音楽を聴いて感動して欲しい、共鳴したいと思って、窓を開け放ち、大音量で一人で聴いていた。
お父さんはテレビのある部屋にいた。
あの人は、君は、あの方は、二十の頃、どうしていただろうか。
私たちの人生はそれぞれ、何にも脅かされることない、何にも代え難い、その日々があなた方をつくりだしているのであり
私が私の存在を愛しようと決めたのと同じように、あなた方の存在が日々が愛されているのだよ。
それが死ぬまでにどこまでに変化を遂げて行くのか、興味深いなぁ。
僕が二十の頃、仕事にも行かず兄の部屋でプレイステーション(兄のラジカセは壊れていた為)でMúmの「Yesterday Was Dramatic - Today Is OK」を大音量で聴いていた。
誰か同じ音楽を聴いて感動して欲しい、共鳴したいと思って、窓を開け放ち、大音量で一人で聴いていた。
お父さんはテレビのある部屋にいた。
あの人は、君は、あの方は、二十の頃、どうしていただろうか。
私たちの人生はそれぞれ、何にも脅かされることない、何にも代え難い、その日々があなた方をつくりだしているのであり
私が私の存在を愛しようと決めたのと同じように、あなた方の存在が日々が愛されているのだよ。
新世界
黒い翼と黒い月が見える
彼らは人のかたちをしている
黒い羽が生えているんだ
空は天板で、ちょうど受精卵の雛の心臓が黒点のように、それは鼓動を打つんだよ
球形の天板の表面を黒い翼を持つ人達が飛んでるんだ
太陽が失くなったあとの世界だよ
雛が産まれようとしている
わたしたちがそれを産ませる
彼らは人のかたちをしている
黒い羽が生えているんだ
空は天板で、ちょうど受精卵の雛の心臓が黒点のように、それは鼓動を打つんだよ
球形の天板の表面を黒い翼を持つ人達が飛んでるんだ
太陽が失くなったあとの世界だよ
雛が産まれようとしている
わたしたちがそれを産ませる
ENVY
あなたは見下す人と同等であることを知れ
あなたは敬い慕う人と同等であることを知れ
神は才能で人を見る事がない
神はその人の良し悪しで人を見る事を知らない
神は別のところを見ている
あなたがあなたの兄弟に対し羨む事があってはならない
わたしがあなた方に絶えず降らせているものはあなた方にとって同じ重さとなるからである
あなた方の手によってそれを減らす事と増やす事は出来ないからである
あなたは、ただあなたのやるべきことを知りなさい
あなたは、すでにそれを知っているのです
わたしは、あなたにそれを与えた
あなたは敬い慕う人と同等であることを知れ
神は才能で人を見る事がない
神はその人の良し悪しで人を見る事を知らない
神は別のところを見ている
あなたがあなたの兄弟に対し羨む事があってはならない
わたしがあなた方に絶えず降らせているものはあなた方にとって同じ重さとなるからである
あなた方の手によってそれを減らす事と増やす事は出来ないからである
あなたは、ただあなたのやるべきことを知りなさい
あなたは、すでにそれを知っているのです
わたしは、あなたにそれを与えた
祝福なる平野
師匠、お誕生日おめでとう。
今なら言える一言。
何故なら赤ワイン飲んでるから。怒られる。怒られたら、嬉しい。
そんな今日、私は田中慎弥という作家の存在を知った。彼の本を今すぐ、読んでみたいな。
彼のwiki、美しい。
想像してみるんだ、ううん、想像してみたんだ。
お父さんが今も生きていたら、私とお父さんと、そしてお兄ちゃんも今でもあの家に住んでいた。
三人で暮らしてたんだ。今でも。今でも。今、この瞬間も、私は、あの家にいた。
今はあの家、お兄ちゃんと約、十二匹ほどの猫たちが住んでいる。
ニャーニャーゆいながら、もう、あの家はもやは、間違えた、もはや、にゃーにゃーにゃーにゃーの家。どうゆうことだ。
お父さんがいなくなって、にゃーが来て、次、また、にゃーが来て、次、次、次々と、にゃーにゃーにゃーが増えてった。
私は、狂った。そしてにゃーにゃー家(け)を出た。わつぃは、私は、にゃーにゃーを私よりも愛する兄に怒り、そしてにゃーんみゃーたたちに対し、envyを抱いたからである。兄とはもう二年三ヶ月会っていない、同じ大阪に住んでいるのだが。
私は、田中さんが心配だ。田中さんが心配だ。田中さんが心配だ。兄とだぶっているか知らんが、とにかく、田中さんのような人が心配だ。田中さんが一人にならないように、毎年田中さんちににゃーにゃーの入った箱を田中さんちの玄関の前に置いておくことにしよう。うん、それがいい。そうしよう。
神よ、罪ある人々たちを滅ぼすことなかれ。
YES、私はあなたに告げる。罪ある私を滅ぼすこと毋れ。
今なら言える一言。
何故なら赤ワイン飲んでるから。怒られる。怒られたら、嬉しい。
そんな今日、私は田中慎弥という作家の存在を知った。彼の本を今すぐ、読んでみたいな。
彼のwiki、美しい。
想像してみるんだ、ううん、想像してみたんだ。
お父さんが今も生きていたら、私とお父さんと、そしてお兄ちゃんも今でもあの家に住んでいた。
三人で暮らしてたんだ。今でも。今でも。今、この瞬間も、私は、あの家にいた。
今はあの家、お兄ちゃんと約、十二匹ほどの猫たちが住んでいる。
ニャーニャーゆいながら、もう、あの家はもやは、間違えた、もはや、にゃーにゃーにゃーにゃーの家。どうゆうことだ。
お父さんがいなくなって、にゃーが来て、次、また、にゃーが来て、次、次、次々と、にゃーにゃーにゃーが増えてった。
私は、狂った。そしてにゃーにゃー家(け)を出た。わつぃは、私は、にゃーにゃーを私よりも愛する兄に怒り、そしてにゃーんみゃーたたちに対し、envyを抱いたからである。兄とはもう二年三ヶ月会っていない、同じ大阪に住んでいるのだが。
私は、田中さんが心配だ。田中さんが心配だ。田中さんが心配だ。兄とだぶっているか知らんが、とにかく、田中さんのような人が心配だ。田中さんが一人にならないように、毎年田中さんちににゃーにゃーの入った箱を田中さんちの玄関の前に置いておくことにしよう。うん、それがいい。そうしよう。
神よ、罪ある人々たちを滅ぼすことなかれ。
YES、私はあなたに告げる。罪ある私を滅ぼすこと毋れ。
闇を封じ込める聖所
阿呆、そんなん愛ちゃうねんあほ、ゆうとくけど、おまえは誰も愛してないよ、だから生きてくんだよわかるか、俺からおまえにゆうよ、おまえは誰も愛すな、ええな、今日の存在をおまえは死ねばいい。明日の存在は明日の存在が生きてくれるよ。
宮島へまた行って、もみじまんじゅう買ってきたい。
もみじまんじゅう買って来たい。
十八年前のそこに帰れば、あなたはまだ、そこにいる。
部屋で、あの部屋で一人で寝るのは怖かったんだ、だからここで寝ている、毛布にくるまり、ごたごたしているここ荷物が多い、荷物がたくさん積み重なっていて、この絵いらないな、ゴミに出そう。夜、隣の部屋から出てきた男はおっさんだと思っていたが、意外と若い、三十代後半か。でこは少し禿げ上がっているようだが、気にならないんだ。何故なら、私は彼に会いたかった。一人は恐ろしい部屋だった。何も知らない廃墟のような土地、何も知らない職場、汚い工場、荷物でごたごたの部屋、寒い色の寝室、だから私は、もう一人の住人、すなわち、同居人、ルームメイト、それは男と知って、しかもおっさんかと一目見たときは、そう思って、嫌だった、怖かった、こんなところで暮らしていかなければならない運命を私は呪ったのだ。でも相手の発した言葉は私の知らない言葉だらけだった。彼は夜中に起きて眠る振りをする私の横を通り過ぎて、洗濯物をしに行った。
この絵、捨てようと思ってたんだけど、捨てちゃいけなかったのかな
新しい住居人私は、古い住居人の男にたずねた。
ここにあるものを勝手に捨てちゃいけないよ、みんな意味があってここにあるんだよ
私、この絵の何かを好きになったの。昨日にはそれがわからなかった。ああ、捨てなくて良かった
それは一人の男の肖像画、自画像であるような絵。目と鼻と口、それらは輪郭の内部で歪みきっていて。
他の絵がここにある
彼が見せたその絵、ピカソのような絵だなと私は思う。薄い青い線で描いた意味の分からないものたち。
これは、自由の象徴
彼は絵にあるひとつびとつの塊をさして、言う。
これは、奴隷
これは、愛を失った後の人の形
これは、女性器、これは、男性器
これは、夢の隙間、みたいなもの
彼は、頭が禿げ上がっている見た目本当に冴えない男、なのに、なんて彼の口から毀れる言葉は美しいだろうか!
私は、彼に、そう彼を愛するようになる。
はずだった。
彼はある日、ゆうんだ、この私に。
君は、聖所(せいしょ)へ向かうといい、君はそこへ行かなくてはならない、何故なら、ここは、ここは、異常者の住む町だからだ。セイシンショウガイシャ、とも言える。みなは俺らのことを、ガイジと、言う。その町に、君は来たんだ、最高権力者の力によって、ここへ連れてこられた。でも君は、ここにいちゃいけない、だから今すぐ、君は聖所へ向かうといい
聖所の場所なんて、わからないよ、君は違う、君は私が邪魔になったんだ、そうだろう?そうに決まってるさ、だから追い出したいのさ、この部屋からね。ここを出て私が暮らせる場所なんて、ないのに、それを君は知っているはずだ、でも、私はここを出る
何も無い場所へ、私は向かう、それを君は見送ってくれ
さらば、光のあった日々よ!
宮島へまた行って、もみじまんじゅう買ってきたい。
もみじまんじゅう買って来たい。
十八年前のそこに帰れば、あなたはまだ、そこにいる。
部屋で、あの部屋で一人で寝るのは怖かったんだ、だからここで寝ている、毛布にくるまり、ごたごたしているここ荷物が多い、荷物がたくさん積み重なっていて、この絵いらないな、ゴミに出そう。夜、隣の部屋から出てきた男はおっさんだと思っていたが、意外と若い、三十代後半か。でこは少し禿げ上がっているようだが、気にならないんだ。何故なら、私は彼に会いたかった。一人は恐ろしい部屋だった。何も知らない廃墟のような土地、何も知らない職場、汚い工場、荷物でごたごたの部屋、寒い色の寝室、だから私は、もう一人の住人、すなわち、同居人、ルームメイト、それは男と知って、しかもおっさんかと一目見たときは、そう思って、嫌だった、怖かった、こんなところで暮らしていかなければならない運命を私は呪ったのだ。でも相手の発した言葉は私の知らない言葉だらけだった。彼は夜中に起きて眠る振りをする私の横を通り過ぎて、洗濯物をしに行った。
この絵、捨てようと思ってたんだけど、捨てちゃいけなかったのかな
新しい住居人私は、古い住居人の男にたずねた。
ここにあるものを勝手に捨てちゃいけないよ、みんな意味があってここにあるんだよ
私、この絵の何かを好きになったの。昨日にはそれがわからなかった。ああ、捨てなくて良かった
それは一人の男の肖像画、自画像であるような絵。目と鼻と口、それらは輪郭の内部で歪みきっていて。
他の絵がここにある
彼が見せたその絵、ピカソのような絵だなと私は思う。薄い青い線で描いた意味の分からないものたち。
これは、自由の象徴
彼は絵にあるひとつびとつの塊をさして、言う。
これは、奴隷
これは、愛を失った後の人の形
これは、女性器、これは、男性器
これは、夢の隙間、みたいなもの
彼は、頭が禿げ上がっている見た目本当に冴えない男、なのに、なんて彼の口から毀れる言葉は美しいだろうか!
私は、彼に、そう彼を愛するようになる。
はずだった。
彼はある日、ゆうんだ、この私に。
君は、聖所(せいしょ)へ向かうといい、君はそこへ行かなくてはならない、何故なら、ここは、ここは、異常者の住む町だからだ。セイシンショウガイシャ、とも言える。みなは俺らのことを、ガイジと、言う。その町に、君は来たんだ、最高権力者の力によって、ここへ連れてこられた。でも君は、ここにいちゃいけない、だから今すぐ、君は聖所へ向かうといい
聖所の場所なんて、わからないよ、君は違う、君は私が邪魔になったんだ、そうだろう?そうに決まってるさ、だから追い出したいのさ、この部屋からね。ここを出て私が暮らせる場所なんて、ないのに、それを君は知っているはずだ、でも、私はここを出る
何も無い場所へ、私は向かう、それを君は見送ってくれ
さらば、光のあった日々よ!
最後のエバ
あなたの幸せを壊さないが私の幸せも壊さない
私のすべてがあなたのすべてであるのはわかっている
ではあなたのすべては私の幻想であるのをあなたはわかりますか
始まりがアダムとエバであるなら、終わりもアダムとエバであるだろう。
我々はアダムのたった一本の肋骨から作られた生物の果て。アダムは神ではなくエバを愛した為に、私達は生まれたのである。
私達が知りたいことはただ一つ。神は意識が存在するのか、それとも意識は存在しないのか、それだけである。
もし私達の神が最悪なる神であっても、神が神であると知れば私達は神を愛する、これは疑う余地もない。神と一つになることが私達の幸福ではない。神の子でいる間、私達は幸福なのである。
あなたはあまりに美しく、そしてあまりに醜い。
わたしたちは、混乱を極め続ける。
あなたはあまりに醜く、そしてあまりに美しい。
私達は永遠にあなたを知ることはない。私達はただ揺らぎ続ける。
あなたに遠ざかることもなく近づくこともない。ただ揺れ動き続ける。
私達に死が訪れる時、それは私達から死を奪われる時である。
死を奪われてしまえば、人は死を知らないのです。
嗚呼、夢見てた。あのね、お兄ちゃんと台所にいるの、実家の、私が台所の前で危ない目に合って、お兄ちゃんが心配して言うんだ、何があったんや、私は興奮しながら言う、大きな鉄塔に雷が落ちたらものすごい感電が起きてすごく危ないねん!って。場面は変わり、外にいる、私とお兄ちゃん、知らない場所、雪が積もって段々になって落ちてく場所を私は上から見下ろしていた。お兄ちゃんのところに戻り、空間に映し出された映像を一緒に見る、そこには青い車にその感電が起きて一瞬で破壊、中に乗っていた人は放心したように頭から血を流して死んでいる、それを見てお兄ちゃんは怖いなぁ…て怯える、でも何故か私はあれは人形で、これは実験なんだと気づく、そして次の実験台の人形に私は入れ代わる、私はこれは実験だから大丈夫だと安心している、おかしいね自分は人形じゃないはずなのに、そして今に爆発が車の中で起きようとする、私の隣には人形が乗っている、その時お兄ちゃんが窓の外から私を見つけて助けようと近づくのを私は来ちゃダメッて手を振って表す、でもお兄ちゃんはドアを開けてしまう、これではお兄ちゃんが危ない!そう思って私は爆発する一秒前に車の外へ飛び出す、爆風で吹き飛ばされる、さっき見下ろしていた高い崖から雪の積もった段々の一段目に転落する、相当高いから雪が積もっていようと私は死ぬ!と恐怖する、しかし積雪量が多かったからか、落ちても痛みはない、が、勢いがついてそのまま下へ落ちて転がっていく、なんとか止まることができてホッとしているとお兄ちゃんが転がって来た、危ない!私はお兄ちゃんを助けようとするが止めようにも一緒に転がってしまうのではないかと一瞬思い巡らすが、まあなんとか助かったようだ、実験するおっちゃんも転がっていた、私は落ち着いたお兄ちゃんに本当のことを言う、あれは本当は実験で、中におんの人形やってん。なあんや、ってお兄ちゃんホッとしている。
今日ね、エヴァンゲリオンの映画をネットで観たんだ。
http://www.anitube.jp/video/17445/Filme-The-End-of-Evangelion
これ。観たのは多分、七年か、六年ぶりじゃないかな、まだその頃は9,10歳とかだった甥っ子がエヴァを好きになって私と甥っ子とお兄ちゃんもちょっと後ろから観てる、みたいな感じで、この恐ろしい映画を観たの、冷や冷やしたしたね、ほんと、こんなものを子供に見せても良いのだだろうかってね、エヴァは私の世代のアニメでテレビでやっていたのはちょうど主人公たちと同じ14歳の時にいつも見ていたけれど映画を観るのは初めてだった。観終わって、甥っ子は特に意味が分からない・・・・・という感じであったが、兄が言ったんだ「エヴァンゲリオンってこんなアニメやねんな・・・・・すごいアニメやな・・・・・」って、私はなんて返したか覚えていないが、エヴァンゲリオンは本当にすごいアニメである。何がどうすごいのか、それを言う必要があるか知らないが、私は今回泣きながら観た、先に「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」をyoutubeで見た。改めてみて思ったのは、シンジはすっごいすっごいがんばってるんだよね、それでも、ああいう最後になってしまうってのは、とても残酷だけれども、それはこの世界と同じであるんだね。それでも、その後に何か救いがあるのだと、私たちは信じたい。
私のすべてがあなたのすべてであるのはわかっている
ではあなたのすべては私の幻想であるのをあなたはわかりますか
始まりがアダムとエバであるなら、終わりもアダムとエバであるだろう。
我々はアダムのたった一本の肋骨から作られた生物の果て。アダムは神ではなくエバを愛した為に、私達は生まれたのである。
私達が知りたいことはただ一つ。神は意識が存在するのか、それとも意識は存在しないのか、それだけである。
もし私達の神が最悪なる神であっても、神が神であると知れば私達は神を愛する、これは疑う余地もない。神と一つになることが私達の幸福ではない。神の子でいる間、私達は幸福なのである。
あなたはあまりに美しく、そしてあまりに醜い。
わたしたちは、混乱を極め続ける。
あなたはあまりに醜く、そしてあまりに美しい。
私達は永遠にあなたを知ることはない。私達はただ揺らぎ続ける。
あなたに遠ざかることもなく近づくこともない。ただ揺れ動き続ける。
私達に死が訪れる時、それは私達から死を奪われる時である。
死を奪われてしまえば、人は死を知らないのです。
嗚呼、夢見てた。あのね、お兄ちゃんと台所にいるの、実家の、私が台所の前で危ない目に合って、お兄ちゃんが心配して言うんだ、何があったんや、私は興奮しながら言う、大きな鉄塔に雷が落ちたらものすごい感電が起きてすごく危ないねん!って。場面は変わり、外にいる、私とお兄ちゃん、知らない場所、雪が積もって段々になって落ちてく場所を私は上から見下ろしていた。お兄ちゃんのところに戻り、空間に映し出された映像を一緒に見る、そこには青い車にその感電が起きて一瞬で破壊、中に乗っていた人は放心したように頭から血を流して死んでいる、それを見てお兄ちゃんは怖いなぁ…て怯える、でも何故か私はあれは人形で、これは実験なんだと気づく、そして次の実験台の人形に私は入れ代わる、私はこれは実験だから大丈夫だと安心している、おかしいね自分は人形じゃないはずなのに、そして今に爆発が車の中で起きようとする、私の隣には人形が乗っている、その時お兄ちゃんが窓の外から私を見つけて助けようと近づくのを私は来ちゃダメッて手を振って表す、でもお兄ちゃんはドアを開けてしまう、これではお兄ちゃんが危ない!そう思って私は爆発する一秒前に車の外へ飛び出す、爆風で吹き飛ばされる、さっき見下ろしていた高い崖から雪の積もった段々の一段目に転落する、相当高いから雪が積もっていようと私は死ぬ!と恐怖する、しかし積雪量が多かったからか、落ちても痛みはない、が、勢いがついてそのまま下へ落ちて転がっていく、なんとか止まることができてホッとしているとお兄ちゃんが転がって来た、危ない!私はお兄ちゃんを助けようとするが止めようにも一緒に転がってしまうのではないかと一瞬思い巡らすが、まあなんとか助かったようだ、実験するおっちゃんも転がっていた、私は落ち着いたお兄ちゃんに本当のことを言う、あれは本当は実験で、中におんの人形やってん。なあんや、ってお兄ちゃんホッとしている。
今日ね、エヴァンゲリオンの映画をネットで観たんだ。
http://www.anitube.jp/video/17445/Filme-The-End-of-Evangelion
これ。観たのは多分、七年か、六年ぶりじゃないかな、まだその頃は9,10歳とかだった甥っ子がエヴァを好きになって私と甥っ子とお兄ちゃんもちょっと後ろから観てる、みたいな感じで、この恐ろしい映画を観たの、冷や冷やしたしたね、ほんと、こんなものを子供に見せても良いのだだろうかってね、エヴァは私の世代のアニメでテレビでやっていたのはちょうど主人公たちと同じ14歳の時にいつも見ていたけれど映画を観るのは初めてだった。観終わって、甥っ子は特に意味が分からない・・・・・という感じであったが、兄が言ったんだ「エヴァンゲリオンってこんなアニメやねんな・・・・・すごいアニメやな・・・・・」って、私はなんて返したか覚えていないが、エヴァンゲリオンは本当にすごいアニメである。何がどうすごいのか、それを言う必要があるか知らないが、私は今回泣きながら観た、先に「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」をyoutubeで見た。改めてみて思ったのは、シンジはすっごいすっごいがんばってるんだよね、それでも、ああいう最後になってしまうってのは、とても残酷だけれども、それはこの世界と同じであるんだね。それでも、その後に何か救いがあるのだと、私たちは信じたい。
鶴と待つ世知がさね
今日の己のモクシャ(解脱)言葉 「ゴミなんて、見えなかったら、良い」
これは今日わたくしが台所革命を行っている間に一服、鶏皮をあてに日本酒をちょいと嗜んでいる時に色柄の入った敷布団を見て悟りたもうた言葉である。何故か、それは無地の敷布団では芥が付いていた場合大変に目立つからである、あーる、R。神経質なわたくしはごみのひとつでも付いていたら大変気になーる、というのはまあ言いすぎであーるが、しかし言い過ぎでもないんだな、これが、気になることは気になるが、しんどいとそれを見てみぬふりをする癖があるだけである。だから俺ヤァ思ったんだ、ゴミがあろうとなかろうと生死に問題ありますか?あなた、あなたて誰、まあいいんだ、ゴミなんてのはね、見えなかったらそれでいいんだよ、と仏が俺わたくしに舞い降りて言ったのよ。「おまえの今日、いいんじゃなあい?」って言ったと思うか、言ってないよそんなことはね、でも、自分で今日はなんか、まあ、長いな、なんか、どうでもええか、ははは、ぱぱぱぱぱぱあー。
馬鹿、どうでもよくないんだ、これが。何故っておっしゃいます、ええ、わちゃくしは今日、革命を行ったのである!
男は、一度ゆうた言葉を守らねばならんからして、おれは革命した、したかったし、せっかくだな、そう思って、革命の中、戦った。変に長いな、まあええか、ぽぽぽぽん。
何の革命かと言うと、俺は、前代未聞の台所革命をしようと思ったんだ、自分の中でっちゅう話しでね。
台所、それは大なる所である、私はここであらゆることを教わってきたよ、もう、人生のじゅんぶんの九が台所で教わったね、大切なことはすべて台所で起きていた。まあそれは言いすぎだと思うだってェ?ああれ、失礼しちゃうわ、ほんま、馬鹿ね。
まあそれはええとして、見づらいからといって改行するわたくしは、ひゃく、はやく鰤の照焼に取り掛からねばなりません。では、また後ふぉ度、のちふぉど。嗚呼、俺は鰤を焼く、それを焼く時、また一つ、大人になっているのだろう。嗚呼、俺は鰤を焼く。塩を振っていたんだ、ブリに、どれほどの水分が出ていることか、ああ、俺の水分。また水分へゆきたし。
何を血迷うたであらうか、わたくしは一月十一日の午、今日何やらしんどうかったので、御節を作り始めたのです。
そして只今出来上がった、夜の十時過ぎている。ああ、俺はやったった、やったったで、何を?
決まってるじゃあ、ああーりませんか、男は一度ゆうたことを突き通したい、それぞ男の中の男為り。
そう、私は男になりたくって、革命を起こした、台所革命なるものを!
あれ、変に長いね、この日記、まあええか、ぷわわわあん。
はい、でけたど、はじめての、御節、どす。
生まれて初めて御節なるものをわたくしは作った。田作りと黒豆と栗きんとんと数の子以外は全部己で作りたもうた。
やったった、俺はまさに、やったったんや、革命を台所でやったったどー!。疲れたわ。もう当分作りとおない、
あ、ああっ、よかった、なんや、もう一年作らなくていいんだ、もう一年は作りたくないなって思うのが御節だとは実におセンチな話しじゃないのさ、ああ大和って素敵。鶴と待つの目出度き重箱は明治時代のものでして、今月の食事はもうこれだけでいいと思う、後二十五日は持たせようではないか、嗚呼、見るだけでもう十分、お腹満腹や、ちょいとおつまみして酒だけでもう本日は寝ようディ。手家ンDay。
三羽の鶴たちが楽しそうなんだな。そんな夢を見たいなぁ、あ、前に見たわ、けちょちょとーん。
これは今日わたくしが台所革命を行っている間に一服、鶏皮をあてに日本酒をちょいと嗜んでいる時に色柄の入った敷布団を見て悟りたもうた言葉である。何故か、それは無地の敷布団では芥が付いていた場合大変に目立つからである、あーる、R。神経質なわたくしはごみのひとつでも付いていたら大変気になーる、というのはまあ言いすぎであーるが、しかし言い過ぎでもないんだな、これが、気になることは気になるが、しんどいとそれを見てみぬふりをする癖があるだけである。だから俺ヤァ思ったんだ、ゴミがあろうとなかろうと生死に問題ありますか?あなた、あなたて誰、まあいいんだ、ゴミなんてのはね、見えなかったらそれでいいんだよ、と仏が俺わたくしに舞い降りて言ったのよ。「おまえの今日、いいんじゃなあい?」って言ったと思うか、言ってないよそんなことはね、でも、自分で今日はなんか、まあ、長いな、なんか、どうでもええか、ははは、ぱぱぱぱぱぱあー。
馬鹿、どうでもよくないんだ、これが。何故っておっしゃいます、ええ、わちゃくしは今日、革命を行ったのである!
男は、一度ゆうた言葉を守らねばならんからして、おれは革命した、したかったし、せっかくだな、そう思って、革命の中、戦った。変に長いな、まあええか、ぽぽぽぽん。
何の革命かと言うと、俺は、前代未聞の台所革命をしようと思ったんだ、自分の中でっちゅう話しでね。
台所、それは大なる所である、私はここであらゆることを教わってきたよ、もう、人生のじゅんぶんの九が台所で教わったね、大切なことはすべて台所で起きていた。まあそれは言いすぎだと思うだってェ?ああれ、失礼しちゃうわ、ほんま、馬鹿ね。
まあそれはええとして、見づらいからといって改行するわたくしは、ひゃく、はやく鰤の照焼に取り掛からねばなりません。では、また後ふぉ度、のちふぉど。嗚呼、俺は鰤を焼く、それを焼く時、また一つ、大人になっているのだろう。嗚呼、俺は鰤を焼く。塩を振っていたんだ、ブリに、どれほどの水分が出ていることか、ああ、俺の水分。また水分へゆきたし。
何を血迷うたであらうか、わたくしは一月十一日の午、今日何やらしんどうかったので、御節を作り始めたのです。
そして只今出来上がった、夜の十時過ぎている。ああ、俺はやったった、やったったで、何を?
決まってるじゃあ、ああーりませんか、男は一度ゆうたことを突き通したい、それぞ男の中の男為り。
そう、私は男になりたくって、革命を起こした、台所革命なるものを!
あれ、変に長いね、この日記、まあええか、ぷわわわあん。
はい、でけたど、はじめての、御節、どす。

生まれて初めて御節なるものをわたくしは作った。田作りと黒豆と栗きんとんと数の子以外は全部己で作りたもうた。
やったった、俺はまさに、やったったんや、革命を台所でやったったどー!。疲れたわ。もう当分作りとおない、
あ、ああっ、よかった、なんや、もう一年作らなくていいんだ、もう一年は作りたくないなって思うのが御節だとは実におセンチな話しじゃないのさ、ああ大和って素敵。鶴と待つの目出度き重箱は明治時代のものでして、今月の食事はもうこれだけでいいと思う、後二十五日は持たせようではないか、嗚呼、見るだけでもう十分、お腹満腹や、ちょいとおつまみして酒だけでもう本日は寝ようディ。手家ンDay。
三羽の鶴たちが楽しそうなんだな。そんな夢を見たいなぁ、あ、前に見たわ、けちょちょとーん。
おれ等、革命
二次元の夢
幻想と記憶
2004年のたぶんこの辺りだった。
お父さんの体が火葬された日は。
たぶん、三日か、四日か、五日、それくらいの日だった。覚えてないんだ。多分姉兄の誰も覚えていない、そんな日のことは。
だからかなと思ったんだ、あんな夢を見たのは。
私を叱っていたのかもしれないし、ただの脳が見せた虚構だったかもしれない。
夢は忘れてしまってもいいけれど、記憶はどうしても忘れたくないんだよ、幻想だとは思ってないんだよ、幻想じゃないんだよ。
あなたの幻想が、私なのかもしれない。けれど私の過去は、私の幻想ではない。
過去を持たないかもしれないあなたの過去に私は、そこにいます。
私は、あなたを失う時がない。
お父さんの体が火葬された日は。
たぶん、三日か、四日か、五日、それくらいの日だった。覚えてないんだ。多分姉兄の誰も覚えていない、そんな日のことは。
だからかなと思ったんだ、あんな夢を見たのは。
私を叱っていたのかもしれないし、ただの脳が見せた虚構だったかもしれない。
夢は忘れてしまってもいいけれど、記憶はどうしても忘れたくないんだよ、幻想だとは思ってないんだよ、幻想じゃないんだよ。
あなたの幻想が、私なのかもしれない。けれど私の過去は、私の幻想ではない。
過去を持たないかもしれないあなたの過去に私は、そこにいます。
私は、あなたを失う時がない。