光るみなも白い空 | 2012年02月

人類は霊性の進化と共にその大半が“菜食主義”になってゆく

 屠殺場の映像です。肉を食べるというのはどういう事ですか?肉を食べ続ける人、是非ご覧になってください。It is a video of the slaughter.
Do you continue still eating meat?




わたしは前記事で、愛するハゼをこの身を犠牲にして救おうとしたど、やった、やったぜよ、これでちょっと一安心。
てなことを言っておりましたが、駄目であった。まったくの駄目であった。
何故ならシルバーバーチはこう言っているからである。

「好感を覚える人を愛するのはやさしいことです。そこには徳性も神聖さもありません。好感の持てない人を愛する――これが魂の霊格の高さを示します。あなたに憎しみを抱いている人のもとに赴くこと、あなたの気にくわぬ人のために手を差しのべること、これは容易なことではありません。確かに難しいことです。しかし、あなた方は常に理想を目標としなければなりません。他人にできないことをする、これが奉仕の奉仕たる所以だからです。

可愛そうにと思える人に優しくする、これは別に難しいことではありません。気心のあった人に同情する、これも難しいことではありません。が、敵を愛する、これは実に難しいことです。(中略)愛らしい顔をした子供を治療してあげる、これはやさしいことです。しかし奇形の顔をした気の毒な人、ぞっとするような容貌の人を治療するのは並大抵の心がけではできません。が、それが奉仕です。真の愛は大小優劣の判断を求めません。愛するということ以外に表現の方法がないから愛するまでです。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社) p.142~143


相手を選ばない愛

 
わたしがやったこととは、そこに徳性も神聖さもなかったのである!
そういえば、イエスも同じことを言っておったではないか。

マタイ5章46,7,8節

46 自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。
47 また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。
48 だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。


そう、これはまったく同じことを言ってるね。
シルバーバーチの啓示はイエスとまったく同一のところから発せられているのである。

確かに。
そう思いませんか?
自分の好きな者だけを助けて、愛して、なんになるのだろうか?
そんなものを愛などと呼ばわる人間の愚かさに気付きなさいと言われているのである。
何故なら、それは愛じゃないから。
そんなものは愛でもなんでもない。
そんなものはあっても意味がないものなんだ、だから捨て去るが良い。
わたしたちは特定の者だけを愛するために生まれてきたわけじゃない。
わたしたちは、すべての存在を平等に愛するまでは、そこに愛は微塵たりとも存在し得ないのである。
間違ったすべての観念を排除するんだ。



では次は、肉食、動物虐待についてです。
スピリチュアリズムから見た肉食と動物虐待の問題

シルバーバーチは断固として、肉食、狩猟、動物実験などの動物を苦しめることに反対、批判の態度をとっている。
そして衝撃なる真実。
わたしたち人間は、生物の魂たちが進化した魂であって、最初から人間として生まれてきたわけではないということを知った。
つまり、わたしたちは、最初は昆虫類、爬虫類、魚類、鳥類、哺乳類などあらゆる生物を経て、やっと人間の魂として生まれてきたということである。
動物の死後はどうなるか
ここに詳しくまとめられている。

あらゆる生物の魂は進化している。
そしてもっとも進化を遂げた生物たちの魂の塊であるグループ・スピリット(類魂)から、ぽこんと一個の個体となった魂となり、それがわたしたち人間として地上に生まれてくるのである。
人間の前であった類魂は、大きな動物や、家畜、ペットとして飼われていた動物などが多い。
そこにはだいたい人間と接触をしてきた動物たちが多い。
何故か、それは人間と接触することで動物は魂が発達し、進化するからである。

それはどういうことかというと、家畜たちも、乱暴に扱われていることをわからず、彼らは人間が毎日餌を持ってきてくれることに感謝しているのだろう。
なんて悲しい話なのか・・・・・。感謝をしているんだ家畜たちは皆、人間たちに。
餌を持ってきてくれて、ありがとう、って思ってその日を終えてすやすやと狭く雑菌だらけの汚い小屋の中で眠る。
そして食べ頃まで成長したら、いつもの餌を持ってきてくれる人間がやってきて、粗暴に連れてかれ、無残に生きたまま足を切り落とされ胸元を切り裂かれ、投げ捨てられたり、首を三分の二ほど切られて吊るされたり、頭をねじられてそのままにされたり、残酷という言葉では全然表せないほどの、悪夢のような地獄のような残虐な殺し方をされるのである。

想像してほしい。
なんで悪いことを一つもしない純粋な魂がそんなむごすぎる殺され方をされなくてはならないのか。
そんな残忍非道の人間たちに囲まれて暮らしている彼らも、人間と一緒に生活することで知能が発達し、彼らは人間に似た感情を持つようになる。
殺される前には涙を流し、悲しい表情をするのである。
考えるだけでも胸が苦しくならないか?
彼らは、わたしたちの前世なのである。
わたしたちも家畜を経て、人間として生まれてきたのである。

そのわたしたちが家畜を殺し、食べる、これはどういうことか、わかりますか。
わたしたちは、まるで自分を殺し、食っているのと違わないと思わないか。
自分の前世、自分である者を何故殺して食べなければならないのか?
考えただけでも、ぞっとする話だ。
そして、あまりに悲しくて悲しくてたまらないことである。
それに気付くことが出来ない人は、不幸と言えよう、あまりに不幸である。
自分を殺して美味い美味いと言いながら喰っていることにも気付かずに生きているのだから。
そんな不幸で悲劇なことはないだろう。

霊性が進化した我々が、何故本来守るべき存在である弱い彼らを殺すのか?

これでもよくわからないと言う人に、ではこう言えばわかるかな。
人間より遥かに知能が低い生き物であるから人は肉、魚を食う。
では、そこを種のないものとして見てみると、どうなるか、大人は知能が高いが幼児は知能が低い。
あなた方は幼稚園児を殺して虐殺して、美味いと言いながら食べているのと同じことである。
ぞっと、するとはそういうことだ。
赤ん坊や幼児らと、牛の仔や豚の仔らを見比べてみてください。
両者はあまりに無垢で無抵抗であり、知能は成人よりは低いであろう。
知能が低い牛や豚や鶏、魚たちを食うのは許されていると言うのならば、同じく知能が低い人間の赤子も食っていいということを言っているのと同じことである。

肉食をする人は、それがどんなに恐ろしいことをやっているのかわかっていない。
レストラン、ファミレス、焼肉屋に行って「おお、今日は生まれたての赤ん坊にするか、それとも幼稚園児がいいかしら、奮発して小学低学年にするかの、ははははは」と言いながら人の子を食い散らして、ああ美味かったね、と行って帰って寝る。
あまりに恐ろしくて、吐き気がする。
しかし、あなた方はまったく同じことをやっているんだ。かつてのわたしも同じことをやっていた!
それに気付かなくてはならない!今すぐにでも!一刻も早くに気付いて欲しい!
これは人類にとって、とんでもなく重要で重要で重い重い警告なのである。
わたしが突如菜食になれたのは、シルバーバーチの言葉に出会ったことと、屠殺場の映像を見たこと、この二つがあったからです。

いつからかわからないが、肉や魚を食うことを悪い悪いと思いながら食べるようになった。
悪い悪いと思いながらもなかなかやめられなかった。
わたしはシルバーバーチに出会えたことを心から感謝する。
肉食を断つことは、あなたが考えているよりとても優しいことです。
まず二月だけ、断ってみて下さい。きっともう肉を食べたい、という気持ちから解放される人が多いでしょう。
そしてもう、肉を食べることがおぞましい、気持が悪いと思えてくるでしょう。
肉はただの死肉であったということがやっとわかることができるでしょう。
肉食とは完璧な洗脳です。あなたはその洗脳を解くべきなのです。


イエスの言葉は、シルバーバーチと同じところからの啓示ならば、何故イエスが肉食をちゃんと批判してくれなかったのかと思う人が多いでしょう。
先程の動物の死後はどうなるかに書いてありました。

<イエスと動物>
☆イエスの時代は人類の霊性が、動物の身になって考えるところまで進化していなかった。
・シルバーバーチは次のように述べている。
「イエスはあくまで西欧世界のための使命を担って地上に降りてきたのであって、人類全体のためではありません。
イエスにはイエスの特殊な使命があり、イエス個人としては動物をはじめとする全ての生命に愛情をもっていても、使命達成のために、その教えを出来るだけ制限した。
その使命とは当時の西欧世界を蝕んでいた時代遅れの腐敗した宗教界にくさびを打ち込んで、難解なドグマに代わる単純明快な人の道を説くこと」



つまり、その時代の西欧があまりに酷く悲惨な状態であった為に、まず最も大事なことから教えて行ったが膨大な教えが山ほどあり、時間が足りなくなってしまって、イエスはとうとう肉食のことまで禁じる術を持てなかったと言うことであろう。
しかしイエスの言葉以外に、聖書は「汝、殺すなかれ」と言う言葉や、血を食してはならないという教えがあるのでそれを厳格に守り菜食の人がいるだろう。

すべての生き物が菜食にならない限り、この世に平和は訪れることがないということをわかってほしい。
自分にできることから始めていくんだ。

では、ここで一曲、有名なスミスの名曲ミートイズマーダー(肉食は殺人)を聴いていただけるかね。
もともとの邦題は 「肉食うな」 。町田町蔵風のタイトルだった。最近は「食肉は殺人」という訳になっているようだ。





ニコ動画が見れない方はyoutubeの方をご覧ください。http://www.youtube.com/watch?v=2pB18RcAW8c


Heifer whines could be human cries
人の叫び声のような雌牛の泣き声が聞こえる
Closer comes the screaming knife
彼女にナイフが迫ろうとしている
This beautiful creature must die
美しい彼女に死が迫る
This beautiful creature must die
美しい彼女に死が迫る
A death for no reason
意味のない死を迎える
And death for no reason is murder
そんないわれのない死は殺人だ

And the flesh you so fancifully fry
そしてあなたは気まぐれにお肉を揚げる
Is not succulent, tasty or kind
そんなもの美味しくもなんともない
It's death for no reason
そんなのは意味のない死だ
And death for no reason is murder
そんないわれのない死は殺戮だ

And the calf that you carve with a smile
あなたは笑みを浮かべながら子牛の肉を切り刻む 
Is murder
それは殺人だ
And the turkey you festively slice
祝祭だからと七面鳥を切り刻むあなたは
Is murder
それは殺戮だよ
Do you know how animals die?
どんな風に動物が死ぬのか知ってるかい?

Kitchen aromas aren't very homely
キッチンはとても家庭的とはいえない臭いがするね
It's not "comforting", cheery or kind
そんなところに安らぎはないし陽気も優しさもない
It's sizzling blood and the unholy stench
そこにあるのは焼けた血と罪深い死臭の臭いだ 
Of murder
殺戮なんだよ

It's not "natural", "normal" or kind
それは異常だし普通ではないよ ましてや優しさかなんかでは
The flesh you so fancifully fry
そしてあなたは気まぐれにお肉を揚げる
The meat in your mouth
君の口の中の
As you savour the flavour
Of murder
殺戮の肉の味はどうだい

no, no, no, it'S murder
違う 違う 違う それは殺戮だ
no, no, no, it'S murder
違う、違う、違う、それは殺人だ
Oh ... and who hears when animals cry?
嗚呼...動物たちの鳴き声が聞こえないかい?





モリッシーかっこいいね。
この曲怒って、肉喰うなって歌ってないんだよね、君たちが肉を食べることの残酷さに気付いてくれないことが悲しくってもうたまらない、頼むからどんな悲しいことを平気でやっているのか早く気付いて欲しいって切実に懇願しているような歌なんだ。
そんなモリッシーの悲しみがひしひしと伝わってくるし、僕も毎日同じ思いで過ごすようになった。
一秒でも早く、みんなが殺人を行うことをやめてほしい。
一刻も早く、彼らが殺されない日が訪れることを願い続けてほしい。

犠牲の夕暮れ

 屠殺場の映像です。肉を食べるというのはどういう事ですか?肉を食べ続ける人、是非ご覧になってください。It is a video of the slaughter.
Do you continue still eating meat?



まあ二度、三度ね、寝したんでほとんど忘れてしもうたんやが、ゆうとね、それはこんなんやったんね。

なんでだか知らぬんが、たっかいたっかい場所におって、下を見下ろせば、ひょー高、ちゅうて金玉も飛び上がるほどの高さゆうんやろか、まあそれくらい高い。
そこにね、いるねんけども、わたしのこれ立ってるこれなんやと思って見た、それは巨大なダムのような人口構造物なんだね。で、一番下、それは川である。
えっらい場所に自分おんのう、おもて、ふっと左を見たんだね。するとそこは土瀝青の斜面で、かれ枯れの水が極めて少ない水がその表面を流れていた、そしてそこに、ハゼがおった。ハゼといっても海におるようなでかめのハゼではない、池や川におる小さいハゼね、それが水がそろそろとしか流れていないその斜面にへばりついておった。
知っておりますやろか、ハゼっちゅうのんはなんでか斜面が好きで、可愛いわ、ほほほ、ほんで懐かしいなと思った。
よく父親と池や川で網でハゼすくてね、池なんかやと絶対土手の斜面にもんのようさんへばりついとるから、そこをずわあっと網ですくたらもう六匹くらいはいっぺんに掬える。小さいハゼやけどね、それは二、三センチとかの、それを家持って帰って大きい水槽入れて飼うんすわ、ごっつい可愛い、口が鱈子唇みたいなんででっかあてね、目は愛嬌のある目をしていてね、水槽コンコン叩いたら寄ってくるんだね、すごく可愛いからハゼは大好きな魚やった。
そこの斜面におったんは、川におるハゼやった、五センチくらいの、ハゼや、おもて見とったのね。水がちょっとしかないことが心配で、大丈夫なんかなぁおもて見てた。
すると、ハゼはちよよん、ぺた、ゆうてわたしのほうへ寄ってくるじゃあーりませんか。
ハゼっちゅうのはね、移動するときに、ちょっと地面から体浮かしてちよよんと離れて、またすぐに地面にぺた、とひっつく行動を見せるんだ、おもしろいよ。
そうやって、ちよよん、ぺた、ちよよん、ぺた、ちよよよよ、ぺた、ん、を繰り返してわたしのほうへ近寄ってきたハゼ。おお、近寄ってきたなあ、ハゼ。とおもて快くそれを眺めていたらば、ハゼは、あほやな、そいつが泳いでいく先には、グレーチングと呼ばれる網、格子状の鉄製溝蓋があり、そこに吸い込まれてゆくかとしているから、わたしは驚いて慌てて助けようとした。
しかし、出す手が遅く、ハゼはグレーチングの網の間に落ちていってしまった。
うわああああっ、とおもた。可愛い愛するハゼが落ちてしまった。
あれ、しかし、この下は川ではないのか、川に落ちたら助かるかもしれんばい、川に落ちてくれ!と心の中でわたしは叫んだ。
祈りながら、グレーチングの隙間から下を覗いた。すると、ハゼはその手前に広がっていた土瀝青の台の上に、べたんっ、と落ちた。
うわああああああああああっ、とまたわたしはおもた。
どないしょ、どないしょ、どないしょ、見ればその台の上にはあらゆる魚が干乾びて死んでおった、このままではハゼが死んでしまうではないか、どうしよう、どうしよう、わたしは見渡した、どうやったらそこに降りることができるかを探そうとした。
見ると、その台のすぐ前に、白い大きな横長の板が斜めとなって相対になっている、そしてその白い板の向かい合った下のところは一メートルほどの隙間が開いている。
その隙間に落ちたらば、わたしの体はこまくちゃとなってしまうことをわたしは知っていた。この川の中にある巨大なダムに似た人口建造物は実は巨大かまぼこ製造機械であったのである。白い板のすきまに魚をほうり込み、身を練り潰し、こねくりまわし、かまぼこを作るという恐ろしい巨大な機械で、白い板に挟まれた間を滑り落ちるともう生きては帰ってこられない恐怖のかまぼこ作りの機具である。
ひいいいいいいいっ、とわたしはおもた。ハゼがおる場所のすぐ前にその恐怖の投入口がある、てことは、ハゼを助けるのを一歩間違えればわたしはこまくちゃのわやや、練って練ってこねくりまわされたあげくにかまぼこにされるのである。
わたしは戦慄した。
そして悩んだ。しかしわたしが助けなければハゼは死んでしまう、いったい私以外に誰がハゼを助けることができようか。少し悩んだが、わたしは、ええい、ままよ!と一刻を争うし、ええわい、俺は自分の身よりもハゼを助けることが先決である、とものすごい判断を己に下し、だーーーーーーー!と心の中で叫んで、ハゼの元へ飛び降りた。結構距離があるのである。だからその飛んでいるときに突風でも吹けば、かまぼこと共に風に去りぬ、みたいなことになるのを承知、しかしわたしは飛んだ。
ハゼよ、ハゼちゃん、今から行くよ、待ってろ、待っとれ!
で、まあ、助かったんすわ、わたしは。かまぼこにならずに済んだのである。
ほっとしたがそれは、しかし、あのハゼはどうなったっけかの、ちょっとそこんとこが思い出せんのです。
どうなったんだろう、どうなったんだっけ、わたしは気付けば川の中に突っ立って巨大建造物を見上げておった。





と、ゆう夢ですわ。今日見たね。怖い夢やったね。
しかし思ったんだね、この夢はまるでわたしを試しているかのような夢だな、と。
つまり、この夢の重要ポイントは、わたしがハゼを無事助けてハーッピーエンドということではなく、わたしが自分を犠牲にしてでも、ハゼを助けるのか、もしくは自分を優先したがために助けようとしなかったのか、そこにあるんじゃないかと思ったんだね。だからそのあとのハゼが助かったか、助からなかったかは重要なことではなかった。助けようとしたか、助けようとしなかったか、が重要なのであって、そこを夢の中でわたしを聖霊たちが、もしくは、自分が、試してみたんじゃないかと思った。
前にもゆうたが、夢には見るパターンが二つあって、恐れることと、願うこと、どちらかを見る。場合が多い。恐れのほうが願う気持より大きくなった場合怖い夢を見てしまう。
反対に願う気持のほうが恐れの気持より増幅すれば良い夢を見る。
今日のこの夢は、両方入っているとも言えるだろう。自分がかまぼこになるかもしれない境地に立たされる、愛するハゼを身を犠牲にしてでも助けるか、助けないかの究極の立場をとらされる、これは恐ろしいことである。しかし、ハゼをとにかく助けたい、たとえ自分がかまぼこになってしまうとしても、ハゼをわたしは助けたい、という思いは願いの想いである。そして、そのどちらかが果たして、勝つのか?そこを聖霊たち、そして自分の潜在意識は冷静にそれを見守っていたと言えよう。

そして、わたしは、成功、した。夢、ではの。
これは、何にも代えがたい喜びなことを、YOUにもわかるかな。
わかってほしい、いつの日かわかるだろう。
わたしたちはそのような犠牲を自ら払うために生まれてきたんだよ。
Oh、それが、ぼくらに一番大事なもん、神、愛、Love、なんだ。






犠牲力を人民へ (異議無シ)

犠牲心を己れへ お願いしますわ

「抗がん剤は毒ガス化学兵器と同じ原料でできている」肉食を断ち、そして笑え人間共

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Do you continue still eating meat?



ガンになったら医者が出す抗がん剤を投与してもらう、もうこれは当たり前の話になっている現今。
抗がん剤を打った事は無いが、とても苦しいものであるのを知っている。
わたしの母も多分抗がん剤を打っていたのだろう、最終的には全身にガンが広がり脳にまで回って朦朧とした状態で息を引き取ったと聞かされた。
抗がん剤はとても高額なものであるらしい。保険には入っていなかった父は大金をつぎ込んで治ることを願い続けたがそれも空しく終わってしまったのである。

今日初めて知った。
世界で最も多く使われている抗がん剤は第一次世界大戦中にドイツ軍が使用して大量に殺戮した毒ガス化学兵器マスタードガスと同じ原料からなるアルキル化剤でできているということを。
シクロホスファミドなどを投与すると体内は発癌物質だらけとなりがん細胞の天国となる。
そして苦しみぬいたあげく、死に至るのである。

ジャーナリスト船瀬俊介の本「抗ガン剤で殺される―抗ガン剤の闇を撃つ」を読んだガンと闘う筑紫哲也は殺人医療に騙されるなとNEWS23で警告を発した。

「人間の体には赤ん坊からお年寄りまで毎日5000個のガン細胞が生まれていると言われています。
 それで、なぜ我々はガンにならないかといいますと我々の体の中にはナチュラルキラー細胞という免疫細胞が毎日体内をパトロールしてガン細胞を殺しているから、そのために我々はガンにならないのです。
 そういうことが最近の研究でわかってきました。
 このナチュラルキラー細胞は、たとえば笑うこと、さらに生きがいを持つ前向きな心を持つことでナチュラルキラー細胞が増えることが分かってきました。
 ですから、最近は、生きがい療法、笑いの療法、そういうものが見直されています。
 (中略)僕は、ガンについて、いかに無知であったかを非常に深く、深く、反省しています。」
(2008年1月21日 筑紫哲也 NEWS23の発言)



1985年、米国立ガン研究所(NCI)のデビュタ所長は議会で衝撃証言を行った。
「抗ガン剤は無力だ・・・・・化学療法で抗がん剤を投与しても、ガン腫瘍は、たちまち自らの遺伝子を変化させて、抗ガン剤に対する耐性を身につけてしまう・・・・・」
アメリカ政府の敗北宣言―ガン3大療法(抗がん剤、放射線、手術)は無力だ。
さらにNICは1988年、衝撃リポートを発表。
「抗がん剤は、強い発癌物質であり、投与すると、他の臓器に新たながんを造ってしまう」
「抗がん剤はガンを治せない」(厚労省) 「……抗がん剤がガンを治せないのは周知の事実です」「抗がん剤は強い発癌物質である」とあっさり認めた。

船瀬俊介いい味出してます。こういう熱血でおもろいおっちゃん好きです。


2時間12分25秒フル動画 http://video.google.com/videoplay?docid=-9190800112080380470&hl=en#
とってもおもしろくてためになります、是非ご覧になってください。

・NK(ナチュラルキラー)細胞を活性化するには・・・
①笑うこと ②何事も前向きに捉えること ③生きがいを持つこと
何故ガンになるのか・・・
①悩み過ぎ ②働き過ぎ ③薬の飲み過ぎ
ガンを治すには・・・
①笑うこと ②食事を改めること ③体を温めること
3時間笑っただけで、NK細胞は6倍に増える。
ガンにならない一番大事なことは食事を改めること。
がん細胞は酸性の環境で繁殖する、肉食は腸内で活性酸素を猛繁殖させ血液を酸性化させて猛毒発がん物質を発生させまくるまさに「肉はガンの大好物」である。



抗がん剤に使われているマスタードガス原料を開発したのがナチス強制収容所で大量虐殺に使われた毒ガス兵器チクロンBであり、サリンである。



まるで寅さん並の叩き売り講演である。おもろすぎる。幼児までばかわらいしている。わろた。




これでおわかりいただけたかと思うが

わたしがみんなに言いたいことは

肉食をやめて、医者には頼らず、この世界に希望があることを信じること、そしてみんなと一緒に笑えばいいんだよ。

ということがまあ言いたかったのです。

走馬灯

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なんか、最近、ごっついしんどいわぁ、霊的心眼開いたらこんなしんどいもんなやろか。
あのな、僕な、部屋がむっさ汚い、聖霊たちが遠ざかってゆくよ、笑えないね、師匠。
生き返るなあ、シルバーバーチとイエスと町田康読むと、嗚呼、うん、生き返れるそうだ。
誰がゆうた、僕ですなあ、家に前からあったミートソースを今から喰うか、お姉さまにあげるか、迷っている。
実際、俺は、もっと吸う掃除機を買うべきなのか、違うだろう、違うやろう、物質が殲滅するとき僕ら永遠。
だからさあ、町田康の「雨の笑顔」って詩が最高すぎてお茶を沸かす途中中断したから、読んでくれへんか?
ここに載せてもええかなあ。駄目かなあ。載せたいな。とりあえず、お茶を沸かしかけてこよう。






「町田康詩集」 ハルキ文庫から



雨の笑顔


狂ってバイバイ ありうべき事か?
犬の手拍子
陰の恨みがニラミつけている
牢獄で殺した奴等が
おまえの笑顔をの
のぞき窓のカラクリを
こすりつける愛の海辺で
射精して果てる
ああ 雨か








この詩はほんまにいいよ、心が洗われた
死刑囚になってみたいのだろうか、俺は
すべての人間、生物の思いが走馬灯のように
走ってゆくため
走ってゆくため
走ってゆくため
走っても、ええか

WAR IS OVER

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「WAR IS OVER(戦争は終わった)」とはジョン・レノンとオノ・ヨーコが世界中に向けて掲げた平和を示したキーワードだ。

あらゆる言語のWAR IS OVER

そして、僕は今日からヌートピア国民になることを宣言する!
ヌートピア(NUTOPIA)は地球上のいたるところにあり、いたるところにない国。
ジョンがイマジンで想像して創った、領土も国境も紛争も貪欲もない国だ。
すべてを愛したい、すべてに優しくなりたい、この世界に大きな希望を持つこと、そしてベジタリアンになること、それを実行に映そうとがんばる者は誰もがヌートピア国民だ。
PEACEをすべての者たちが掲げる時、この世界にそれは本当に実現するんだよ。

Mind Games

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Mind Games-John Lennon 日本語訳歌詞、good!

ええ曲やなあ、ジョン、ジョンに見習いたい、僕も心の革命をがんばる、がんばるよ。

たたかうんだ、そしてみんなで平和をかちとるのさ、平和は訪れるんだ、信じられる、ジョン。

僕も。

平和は訪れるんだ!

大家族

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マグリットの大家族という絵だよ。ぼくの一番大好きな絵だ。
この鳥は飛び立つことを知っているんだ。
でもぼくたちを置いては決して飛び立たない。
それはぼくたちとともに飛び立つ日を待っているから。
きみが呼ぶとこの鳥は嬉しそうに寄ってくるだろう。
ぼくが呼ぶとこの鳥は喜んで寄って来るから手放せないんだ。
きみもぼくもみんなこの鳥を胸の中に飼っている。









どんなことが起ころうと、何が起きても
いつかみんなで一緒に飛び立つ日を夢見ている。

菜食主義のライオン

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Vegetarian Lioness: Little Tyke

このライオンはこの世に生を受けてまもなく、母親ライオンから暴力で、瀕死の重傷を負います。

その後、動物好きの夫妻に引き取られ、牧場でネコやヒツジ、ウシ達と一緒に暮らし始めます。

授乳期間を終え、固形の肉を与えようとしますが嫌がって食べようとしません。

夫妻が努力して、スープに血をたらしたものを飲まそうとしても、強く拒んだといいます。

夫妻は聖書に書かれたある一節を知り、ついには子ライオンに肉を与えることをあきらめたのです。 (mixiから転載)


その一節とは、これです。

創世記1章30節 

そして,地のあらゆる野獣と,天のあらゆる飛ぶ生き物と,地の上を動き,その内に魂としての命を持つすべてのものに,あらゆる緑の草木を食物として与えた」。そしてそのようになった。

神はすべての生き物に緑の草木を食物として与えた。
でも悲しいことに魂を持つものたちは同じ魂を持つ仲間たちを食べるようになってしまった。

しかしどうでしょう。見てください。この写真を。

tykelamm.jpg

まるで楽園じゃないですか。
まるでエデンの園じゃないですか。
何故?
どうしてなの?
why?
そう思うでしょう。
なんでこのライオンは肉を食べないの?
僕は思ったんだな。
彼女はひどく傷ついたんだ。
お母さんライオンの暴力を受け、その悲しみは本当に深かった。
そして彼女は目覚めた。
それは肉を食べる人間の知能をはるかに超えていた。
だからわかったんだ。
わたしは仲間である者の死体を食べたくない。
おかしい、だって、なんで兄弟の死体の肉をわたしに食べさせるの?
撲るよ?
わたしは植物が食べたい。
そう思って、断固拒否した。
そして、彼女は他のものを食べる前に、1つの条件を持っていた。
彼女のお気に入りの人形が彼女の隣になければなりませんでした!
素晴らしい。
人間だけじゃない、動物もそれに気付くことが出来るんだ。
実現する。
これは実現する。
すべての生き物が仲間を食べないで生きてゆく新世界が実現する。
なんて喜びだろうか。

求めし者

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Do you continue still eating meat?


肉の入ったレシピの写真も、スーパーに並べられた肉も、肉を食べる人も、すべて汚らわしいと思うようになってきた。
見るのが苦しい。おぞましい。
肉は死体だ。
死体を食べるために食卓に並べたり、店に売られたりしていることが汚らわしく思える。
また肉を食べる人は実際に汚らわしいのだから、それは仕方のないことだ。
ほとんどの人が、それに気付かないで生きている。
かつてのわたしのように。
肉を食べる人たちが全員死んでしまえば、もう彼らは殺されずにすむ。
そんなことを考えてしまいそうで、自分が恐ろしい。
いったいどこへ行ってしまったのだろう。平和を望むわたしの心は。
これでは世界が滅んでしまう。わたしの世界は滅ぶ。
これではまるで、自分に逆らう人間をすべて滅ぼした旧約聖書の神だ。
退行している。
あかんではないか。
そう、これでは、あかん、わかっている。
わかっているが、肉を食う人が、どうにも、憎たらしくなってくる。
どうしてもわからない、なんぼゆうても肉を食うという人たちの顳顬に銃を宛てて死んでくれと言って撃ち殺しそうで怖い。
これはどういうことなんだろう。
つまり、これはこういうことだ。
もし、自分の愛する子供たち、または兄弟たち、家族たちが、毎日人々に殺され肉を食われていたら、自分の愛する存在たちの肉を食う人間たちが憎くてたまらない、殺したい、目の前にいたら本当に殺すかもしれない、この感情は極当たり前なのではないか。
ってことは、わたしはおかしい感情を持っているわけではない。
極、普通の人情を持って憎しみを抱いているのであって、それによって自ら苦しめられている。
しかし、殺されている彼らも兄弟だが、殺す食べる彼らも兄弟である。
つまり、ある兄弟たちを愛してしまったがために起こる、それ以外のどうもそこまでは愛せない兄弟に向けての憎悪である。
これは、贔屓だ。
何故なら人間はある者だけを愛し、ある者は愛さない、これでは駄目であるからだ。
まるで、駄目だ。やり直しだ。
それは、愛じゃない。執着みたいなものだ。
つまり、今のわたしのこの憎悪は、殺されて行く可愛い自分の兄弟を殺されたくないがためにそこに執着が生じてしまっている状態であって、執着、愛着を持ってしまったがゆえに起こった苦しみであり、憎悪である。
愛にならなければ、その憎悪は延々と続くであろう。
本質に目を向けなければ、この苦しみは延々と続く。
人々はそこへ向けることができる目がある。
気付こうとすれば、気付くことが出来る意識がある。

そう、それは、求める者には与えられ、求めない者には与えられない。
つまり、わたし次第。
あなた次第なのである。

叫び

屠殺場の映像です。肉を食べるというのはどういう事ですか 肉を食べ続ける人、是非ご覧になってください。It is a video of the slaughter.
Do you continue still eating meat?


やめろ
やめるんだ
今すぐにだ
今すぐにだ
今すぐ殺すのをやめろ
今すぐ彼らを殺すのをやめろ!
あなた方はもう死になさい
そのほうがあなた方にとって幸せだからである
そして清らかな心を持ってまた生まれて来なさい
あなた方は、もう安らかに死になさい
あなた方の罪は許された!
彼らを殺す者たちの安らかな死をわたしは望む!
もう彼らは誰にも殺されはしない
誰にも彼らを最早殺されまい!
彼らには安らかな生を、そして彼らを殺したあなた方には安らかな死を与えよう!
それは叶う
叶うだろう!
最早、死でしか、救えないのなら

imajine

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Do you continue still eating meat?




君はどんな世界に暮らしたい?
イメージすることがすごく、すごく大事なんだ。
僕もイマジンするよ。
ジョン・レノンのイマジンの替え歌から。


想像してごらん、死なんてないんだと

君が試みるならば、それは簡単なことさ

誰ももう地獄のような苦しみを味わわなくていいんだ

ぼくらの空は果てしなく広がってゆく

想像してごらん、みんなが今を生きている

想像してごらん、もう誰も殺されなくなった世界を

そんなに難しくないだろう?

誰一人、殺すことも殺されることもないんだ

宗教も戦争も原発も暴力もないのさ

想像してごらん、ぼくらみんなが

平和な暮らしを送っている姿を

想像してごらん、ぼくらの財産はお金でも目に見えるものでもない

ただひとつ、愛というものさ

君なら出来るさ

そこには貪欲も飢餓もない

人間とすべての生き物たちがみんな兄弟だ

想像してごらん、ぼくらみんなで

この世界のすべてを分かち合っている

君はぼくを夢想家だって言うかな

でもぼくはたったひとりじゃない

いつか君もみんな一緒になってくれると信じてる

そして世界はひとつとなって生きるんだ











元の日本語訳歌詞が載っているページ

ビートルズは全員ベジタリアン!


スピリチュアル理論 正しく理解せよ 重要警告忠告

屠殺場の映像です。肉を食べるというのはどういう事ですか 肉を食べ続ける人、是非ご覧になってください。It is a video of the slaughter.
Do you continue still eating meat?


自分で書いた今日の記事「同じ時間の中で」に自ら非常に苦しんでいる。
眠りたいが眠れない。
頭の中で次に書く文章が次々に溢れて来る。身体は若干重いのだが、わたしは書く。

今、大いに叫ばれているスピリチュアルの理論、観念は古来からあった。
聖書よりも古い時代からあった理論なんだ。
古来グノーシス派、ユダヤ密教のカバラという神秘主義もそうだ。
しかしイエスの言葉の真の理解を無視したキリスト教がのさばり出して、この理論を持つものは異端者と呼ばれ、なかなか世に出られなくなってしまった。

まず、現代のスピリチュアル、スピリチュアリズム、霊的真理、精神世界などと呼ばれるものに、多くの人々は漠然と違和感や偏見を持っているだろう。
そして、俗にスピリチュアリストと呼ばれる人たちも、実に様々な憶測を持っており、統一されているとは言えない。
メディア、本、ネット上にはあらゆる観点でこれぞ、真理である、と自信を持って提唱されている。

しかし、わたしはそれらすべてと言えないが、ほとんどにある危惧がどうしても離れない。
わたしが正真正銘のスピリチュアリストとして生きると決心して、まだとても日が浅い。
しかし、わたしはこの世界の真理と呼ばれる霊的真理理論の基本となる摂理がわかったと言える。

実に単純明快なことだ。
それをわかっていない正確に理解していないスピリチャリストが結構多いのではないかと危ぶんでいる。

だから、ここで簡単に説明したい。
もし、この霊的真理と呼ばれる摂理がこの世界の本物の真理であった場合、大変に重要なこととなる。
みんなよく聴いて欲しい。

難しいことじゃないんだ。
難しく考えなくて良い。
つまり、この世界は実体しているようにまるで人には見えているが
実は、実体がない世界なんだ。

では、何で出来ているかと言うと、それは
本質と呼ばれる「意識」があるだけの世界なんだ。

それって、どいゆうこと?って思う人も多いかもしれないが。
考えてみて欲しい。
僕らはこの世界が実体していると思い込んでいるが
この世界が実体していることを証明できることは何一つないんだ。

それで、この世界にあるもの、宇宙、たくさんの星たち、地球はどうしてできたか。
それは意識体と呼ばれる電気のような超強力エネルギー体が、想像することで創造した世界なんだ。

そして、本質なる意識はもともと一つであった。
そこから、ポンポンポンポンポーンっつって一つの意識をたっくさんの意識に分けたんだ。
だから、僕らの始まりは一つの意識体だった。
そして、すべての意識は永久不滅なるもの。
そう、つまり、永遠だ。

信じられない。オーマイガー。と思うかもしれないが、
考えてご覧よ、この世界は謎のほうがはるかに多い。
人間が実証できているものは極わずかだ。

つまり、人間の理解を遥かに超えている世界である。
しかし、真理の摂理とは極、単純なものだった。

地上は地上の人間の意識で変化してゆく、ということだ。
みんなのエネルギー体が合わさって集結し、それが大きいものからこの世界に実現(いわゆる人間の思う実体化)されてゆく。

つまり、みんなが全員この地上の滅ぶことを望む、または恐れると、即、地上は滅んでしまうだろう。
みんなの望み、または恐れから作られた目に見えない意識体が、不思議なことに創造されてゆく。

そんな世界に僕たちは暮らしている。
さっきのはわかりやすいように極端な例えを言ったけども、それらのエネルギー体は
目の見えないところでバチバチ火花を放つようにして常に、戦っている状態なんだ。

つまり、僕らの願望エネルギー体vs恐怖エネルギー体の戦いである。
もし、恐怖エネルギー体のほうが増力を増し、巨大になってしまうと、
恐怖エネルギー体の勝ちとなって、それが実現となってしまう。

悪なるエネルギー、それは恐怖だけじゃない、悪の考え、悪の想像、これも恐怖と交じり合うだろう。

どういうことか、わかるかね?
つまり、人々が恐怖することが実際に起きかねない世界ということなんだ。
逆に、人々が願う、祈ることも同じく起きる世界なんだ。

わたしたちが想像することで、まさに、創造する世界なんだ。

だから、わたしは大変に危惧している。
何故スピリチュアリストである彼らが、恐れを人々に持たせるようなことを言うのだろうか、と。
人々に恐れを持たせてはならない。
何故なら、恐れが巨大化して実現されないためである。

必要な恐れも、勿論ある。
それはたとえば、わたしが屠殺場の映像を皆に見せ、恐れを抱かせることで肉食を断ち切らせようとする方法などはそうである。

しかし、明らかに必要と思えない、宇宙生命体、知識生命体と地上の暗黒組織体による悪なる野望、地球征服計画のような想像は今すぐにでも止めるべきである。
わたしはそれを信じない。
そのようなネガティブなことを言い続けることは大変危険である。
まるでそれを願望しているのかと疑う。
そんなことを空想するよりも、超ポジティブな空想を唱え続けよう。

みんな、頼む、恐れを抱くのはやめよう。
それよりも、僕らはユートピア実現に向って声高く理想なる世界を叫ぶんだ。
すれば、僕たちのユートピアは実現するだろう。
光がなければそもそも影はないものだが
幻影に光が負けるはずはないんだ。



と、真理理論をわかりやすく説明したが
スピリチュアリストの中には、「宇宙には実体が無い」と想うのは間違いです。という人がいたので、マジ?って思って興味津々となったが。

「原子や分子、素粒子などをミクロ(微小)に辿ってゆきますと、
実体が無くなるのは、全宇宙の中にある“境目の淵”に到達しただけです。

そこから、反対側へと、向こう側へと突き抜けると、
本当の実体が現れるのです。

地球の新しい時代とは、そこに向かっているのであり、
「この世界」の反対側へと突き抜ける天体現象です。

私たちは、これを、“天地がひっくり返る”現象として、
経験・体験するでしょう。」

と言っている。なかなか、・・・・・・・。
まままままままままままままま、だってわたしが言った世界はつまりわたしの理解範囲の宇宙の話やからね、ままままままままま、怒らんといて聴いてね、嘘を言っている訳ではないと思うよ?だってこの宇宙は無限だから、実体の無いところを超えたら、実体するところに辿り着くってゆうのも、ま、いい想像だと思うなあ。

想像=創造この人の理論が自分と同じであった。

つまり、わたしが一番に言いたかったのは、ただ一つ、これだけなんだ。

「みんな、最高の平和を想像しようよ。」

「そして、何も恐れる必要はない。」

「僕らは、一体だ。」

みことばとなりました。







同じ時間の中で

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これからずっと上の記事を貼り付けていこうと思う。
一人でも多くの方々に見てもらいたい。
一人でも多くの方々に肉を食べない生き方を選んでもらいたい。
一人でも多くの方々にそのことを忘れずに、毎日彼らの為に願い続けてもらいたい。


人々が楽しそうに笑っている時間
人々がすやすやと眠りに就いている時間
人々がショッピングしている時間
恋人たちが睦まじく囁き合う時間
人々が食卓を囲み美味しそうに肉を頬張る時間

同じ時間の中で、同じ時間を暮らす中で、
一秒に3頭の牛たち、
一秒に5頭の豚たち、
一秒に1100羽の鶏たちが、見るも耐えないほどの残虐極まりない殺され方で毎日殺されて行っている。
一日にすると約26万頭の牛が殺されている。
一秒間に、カツオ1,850匹分、3,700kgの魚が水揚げされている。

1秒間に世界最大のハンバーガーチェーンに532人が来店して、肉や魚を食べる。




The time when people laugh happily.
The time when people get a sleep peacefully.
The time when people shop.
The time when lovers whisper it happily.
The time when people eat meat around a dining table with great relish.

Is extreme in brutality as do not endure it if 1,100 cocks watch it for five pigs, one second for three cows, one second for one second while spend the same time in the same time; is killed and is killed in every day.
Approximately 260,000 cows are killed when I do it per day.
For one second, fish of 3,700 kg are landed for 1,850 bonitos.

532 people come to the store to the world's largest hamburger chain for one second and eat meat and a fish.

善なるものたちよ

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朝にコーヒーや紅茶のカフェインをとると、とってもしんどくなる。
なのに、なんでわたしは摂り続けるのか。
人間とは、おかしな生き物である。
え?自分と他人を一緒くたにすな?
しかし、貴方よ、わたしは貴方の中に潜むわたしに言っているのだよ。

アブドル・バハ、またはアブドゥルバハーと呼ばれる人物は、19世紀半ばにイランで一神教バハーイー教を創始したバハーウッラーの長男である。
アブドルバハが、彼の教えを聞こうと熱心に集まって来る人びとに、毎朝簡単に行った「講話」を元に集められたパリ講和集が実に素晴らしい。

そして、わたしは朝一に、図星を大いに食らった。
これ、僕のことやん。そうおもた。

それは、この箇所である。

第一 見知らぬ人や外国の人たちに思いやり深く、親切でなければならない から

「大きな善を行い、それを口にしない人こそ完成の途上にある人です。

小さな善をなし遂げ、それを大げさにいう人はとるに足らぬ人物です。

もし私が皆さんを愛していれば、私の愛について話し続ける必要はありません。言わなくとも皆さんは感じとるでしょう。一方、もし私が皆さんを愛していなければ、それも皆さんは感じることができ、私が皆さんを愛していると何千回言っても、皆さんは私を信じないに違いありません。

世間には、善いことをしたとおおげさに、立派な言葉をならべて口にする人があります。それは彼らが世間的な名声を求め、同輩たちよりももっと偉く、善い人間と見られたいと思っているからです。至高の善を行う人は、それらの行為についてほとんど語りません。

神の子供たちは自慢することなく、神の掟に従って働きます。」



どうです?まさにわたしのことでしょう。と自慢することではない。
いやね、わかっててんよ?だってイエスも言っていたね。

マタイによる福音書6章1~18節

見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報(むく)いをいただけないことになる。

だから、あなたはほどこしをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。

祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らはすでに報いを受けている。

断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。


わたしはすでに、報いを受けている。
そうです、わたすが、偽善者です。
変なおじさん口調で言ってごまかしてみたが、図星もいいところである。
わたしは前々からこれをわかっていたよ?
そして、時に、人のその行為をきつく言って、それについて必死に弁論することもまま、あった。
それがどうです。
見よ、これが偽善者である。
そう、わたしはその手本をあなた方に御見せしたのです。
と、言い訳がましいんじゃ、ぼけ、とか言わないでください。言ってない?
まあ言い訳に聞こえるが、実際良い訳かもだが、わたしはわたしの行い(肉食を止める)を見て、誰か一人でもそれに見習おうとする人がいるかもしれないと思って、ここに載せた理由であるのは、これは本当だが、しかし、それが100%を占めているかというと違うだろう、つまり、残りのやましい思いも確かにあるということをここに認める。
それは、こういうことだ。
さあ、犠牲を払ってまで善なる行いをしようとするわたしをみんな見るが良い。
どうですか、すごいでしょう、あなたにはできないでしょう。
何故なら、あなたはわたしよりちょびっとばかし意識のレベルが低いからであーる。
それが、悔しいなら、やってご覧?できますか?できますか?あなたに、あなたはこの世界を救うために肉食うことやめれますか?

というような、明らかにむかつかれるような思いもわたしの無意識の部分にあることを、認めよう。
しかし、これを見て、なにを!むかつくなあ!やったるやんけ、俺も、肉食うのやめたるやんけ、見よ、この俺を。
と言ってただの反発力でやる人はいるかどうか、まあ知らないが。
それはそれで、いいとは思うよ?
しかし、大事なのは、自らの、本当の思いで行動に移すことなんだ。
言われて、自分はそうは思わないのに、なんだか釣られて、それを行い続けることはよろしくない。

本当に世界を救いたい。

ならば、本当の善とは何か、それをひとりひとりが気付くことが大事なんだ。
一緒に勉強して行こうね。

ミルクパラドックス 牛乳神話、崩壊す

屠殺 肉を食べるというのはどういう事ですか 肉を食べ続ける人、是非ご覧になってください。It is a video of the slaughter.
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昨日、わたしが貼り付けた屠殺場の映像をどれほどの人が見てくれるだろうか。
見た人の中には、肉食をやめたいのだけれども、やはり美味しいのでやめたいのにやめられないという人たちも居るだろう。

わたしは言う。
もし、屠殺場の映像を視た人が100人居たとして、その中の99人が罪悪感を持って、苦しみ、それでも肉食がまだやめられないと苦しんでいる人で、そして後の1人がもう肉を食べないと決心するならば、肉食をやめられない多くの人たちの苦しみの犠牲の上に、やっと、1人を救えたということなんだ。
また反対に肉を食べないと決心した一人の犠牲によって残り99人の人を救うことができるということなんだ。
そして、そのような犠牲を払う者たちと、払われる者たちの複雑な因果因縁の内にこの世界は成り立っているだろう。

わたしは昨日の屠殺場の映像を視て、「わたしはこの30年生きてきて、この映像に少なからず似たものを想像はしていた」と書いたが、少なくとも、の間違いであった。
わたしはあんなに残虐なものを想像はしていなかった。
わたしがあまりに薄くぼんやりとした中に想像していたものは、どこかで聞いたことがある、家畜たちはみな頭を瞬時に落とされるのではないかということだった。
なんて乏しい想像力だっただろう。
まるで違ったんだ。
それをはるかにはるかに超えた残虐極まりないものだった。

朝になって蒲団に入ったが、彼らの苦しみを思うとなかなか寝付けなかった。
かれらと自分との境界がなくなり、まるで自分の手足や頭を切られる感覚に襲われ苦しかった。
-1秒間に牛3頭、豚5頭、鶏1100羽分、計6.9トンが食肉として殺害されている-
「子牛肉のために育てられる子牛は振り向くことさえできないくらい小さく暗い檻の中に繋がれる。
肉を白くするためにほとんど栄養価を持っていない流動食のみが与えられ、子牛は頻繁に貧血、下痢、および肺炎に苦しむ。」

人々を怯えさすためにわたしは言うのではない。
家畜たちを救いたいのと同時に人々を救いたいためにもわたしは言う。

人は、自分の行いのすべてが、自分の報いとなる。
つまり、いい事も悪いことも、自分のやった分だけがちゃんと自分に帰ってくるということだ。
だから目に見えて苦しそうに殺される生き物たちを知りながら、目をそむけ続け食べ続けることが、どのようにして覚悟がそこに必要か、わたしたちはそれを知るべきなんだ。


では次は、牛乳についての話をしよう。
知らなくてはならない牛乳神話崩壊話
乳製品を摂取し続けると骨折率が高くなり、視力低下、白内障、糖尿病、欠乏性貧血などあらゆる病を呼び寄せやすくするようだ。
と今チーズ☆チーズ☆チーズグラタンというのを食しながらわたしはこれを打っている。
なぜならこれを買ったおとついにはそれを知らなかったからである。
『牛乳には危険がいっぱい?』 Don't Drink Your Milk !
牛の乳のたんぱく質を摂り続ける事で、アレルギーからガンから精神不安定といった様々な疾病にかかる確率が高いと言われている。
乳がん、卵巣がん、前立腺がんの原因のひとつに牛乳、乳製品があげられる。

世界でもっとも乳製品の消費量が多い ノルウェ、オランダ、フィンランド の三カ国は、 世界で最も 骨粗鬆症が多いという。

チーズ☆チーズ☆チーズグラタンを食べていると、なんとも喉が渇いて仕方ないのである。
そして少々下品な話になってしまうが、わたしは昔からかなりの便秘体質であり、今でも朝にミルクコーヒーかミルクティーを飲まずしては、大なる遍がなかなかわたしの体外へ出ようとしてくれない。
つまりうっすらと気付いていたことなのだが、ミルクを入れないと出てくれないということは、うっすらな下痢となってようやく排出されているのではないかと思って生きてきたのである。
明らかに体に合ってないよ、ということである。
それに、健康の問題を別として根本的によく考えてみると、人間は変なのである。何故か。
だって牛の乳は牛の赤ちゃんが飲むべきものじゃないですか。
牛は決して人間が飲むために乳をこさえてないよ。
なのに、なんでその乳を、しかも大の大人、成人、成熟されたる者と呼ばれる人間たちが飲むのだろうか。
人間は明らかにおかしい。狂っている。
そんな狂って何事も常識的に考えられなくなってしまった人たちに神は忠告しているようなものだ。

「ついで神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。」

聖書の創世記の箇所である。神は肉なるものと乳なるものと卵なるものをあなたがたに与えた。と書いていない。

卵について、わたしはあえて調べずに考えてみても、すぐわかった。
卵は鶏さんたちが産みの苦しみを伴いながら必死に産むものである。
それを人間が横から奪い取って自ら食べるとはどういうことなのか。
しかも、ニワトリたちを狭い狭いところに閉じ込めて玉子を産ませる。
明らかに間違っている。

そして、次は蜂蜜である。
これも同じことが言える。
蜂蜜は蜂さんたちのものであって、わたしたち人間が横から奪い捕るものではない。
蜂たちが、一生懸命に、boon,boonと翅を震わせながら運んできて我ら女王蜂の幼虫のために授けるものなのである。
人間は他にもたくさん食べるものがあり、それだけで十分健康に生きられるいうのに、何故他の生き物のものを横取りするようなことをするのだろう。


なので、わたしは最早、肉、魚介類に加え、乳製品と、卵、蜂蜜が入った食物も二度と食さない、とここに誓う。
人間には野菜、果物、穀物、豆類、海草、などだけで十分なのである。
わたしは決心する。
わたしはヴィーガン (Vegan) 純粋菜食者 完全菜食主義者となる。

では、ここで一曲聴いてもらってもいいかね。
かの有名なレディオヘッドのメンバーはベーシストのコリン・グリーンウッドを除いてみんなベジタリアンであるらしい。
素晴らしい。
しかしベジタリアンという言葉は幅が広くてよくわからない。
調べると、「菜食主義で知られるトムくん。他のメンバーも、ジョニーが同じく菜食主義、エドとフィルはほぼ菜食主義、コリンさんは何でもおいしく食べる、というプロフィール。」らしい。
しかしトムの「パンにもっとチーズのせていい?」ってのが名台詞らしいから、当時トムはヴィーガンでないことがわかる。
特にボーカリストのトム・ヨークは人権問題や環境・社会問題にも積極的に取り組んでいることで知られている。


オプティミスティック 歌詞
勘違いされそうだが、オプティミスティック(楽観的)というのはそもそも苦しんでいる者に対し、その苦しみが分からないことではない、どんな不幸がそこにあろうとポジティブな考えを決して忘れない、ということだ。
この曲は前者の意味をトムは皮肉的にも交えそれを歌っているだろう。



注)トムヨークの頭は寝癖ではありません(多分)。

You can try the best you can
If you try the best you can
The best you can is good enough
You can try the best you can
If you try the best you can
The best you can is good enough

最善を尽くせるよ
最善を尽くしたならば
そう、できたなら、充分だよ
最善を尽くせるよ
最善を尽くしたならば
そう、できたなら、充分だよ


今日の朝、なかなか寝付けない間に殺されて行く生き物のことを思うと大変苦しかったので、これでは夢にまで見るのではないかと思いながら、知らず知らず眠りに就いていた。
目覚めると、それは全然違ったんだ。
牛たちや、豚たちや、鶏、ひよこたちらとなんだかとっても楽しそうに一緒に遊んでいたというような夢を見ていたような気がしたんだ。
わたしが、眠る前に何度も、かれらの救いを求めたので、みんなそれを知って僕の夢の中に会いに来てくれたのかなと思った。

知ってるかい?

人は、恐れていることと、願っていることを、夢に見るんだよ。

君は、どんな夢が見たい?

夢がいつか実現することを君は知ってるかい。

僕らの夢はね、ほんとうになるんだ。

だから、君よ、おそれつづけないで、おそれることではなく、君が一番願う世界を夢に見るといい。

君は怖い夢を見た。

けれど、その夢は変えられるんだ。

君が望むなら、もう怖い夢は見ないだろう。

そして、君の夢は叶うだろう。

僕も夢に見るよ。

僕の見る夢はこんな夢。

誰もころされなくていい夢。

誰もが、すべてのものを大切にする夢。

そしてそれは、必ずや叶うだろう。




屠殺 肉を食べるというのはどういう事ですか



It is a video of the slaughter.
Do you continue still eating meat? 
Please look at the person who continues eating meat.
屠殺場、食肉解体処理場の現場の映像です。
まだそれを見たことのない人、見たことがあってもまだ肉を食べ続ける人、是非ご覧になって下さい。

牛は売られてゆく時、育ててくれた農夫に対して涙を流すこともあるそうです。
「牛は処分を察してか悲しい顔をする。涙を流した牛もいた」牛がそんなに感情豊かであることをわたしは知らなかった。

わたしはこの30年生きてきて、この映像に少なからず似たものを想像はしていた。
しかしそれでも、肉を食べ続けてきた。
肉は美味しいからである。肉はとても栄養があるからである。肉を食べなければ元気が出ないのではないか。そんなことを信じ込んで、肉や魚たちを食べ続けてきた。
実際、それはただの思い込みであった。
むしろ肉を食べないほうが人間の体と心にとって健康であるということがわかった。
そんな間違いの元に、毎日、無残に殺されて行く生き物たちに初めてわたしは、やっと今日向かい合うことが出来た。
どうして今までそれがわからなかったんだろう。
どうしてかれらの苦しみを想像しながらも食べ続けてきたんだろう。
どうしてもっと早く向かい合おうとしなかったんだろう。
そうすれば祈り続けることが出来たはずだ。
もうこんなことはやめてほしい。
すべての人が肉や魚たちを食べない日が早く来ますように。とわたしは今日から祈り続ける。
すべての人が生き物を大事に出来る日が早く来ますように。

わたしは自分に対して誓う。
わたしはもう一切、肉と魚介類を口にしない。

卵と牛乳はどうだろうか?
それについて、もう少し考える。




肉を食べることがどのようにしてわたしたちの害となるか、肉はどのような理由でわたしたちに必要ではないか。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/apocalypse-meat.htm
ここに詳しく書かれています。
これがあなたの体を疲れさせている食品だ
「牛肉よりも納豆の方が34%、豆腐の方が55%多くタンパク質が含まれています。」

映像がとらえた屠殺のシーン
「家畜には、私たちが想像していたような安楽死はありません。また私たちの体に肉食は百害あって一利なしなのです。」

菜食主義だった偉人たちの言葉
「彼は 自叙伝の中で肉食を 『 無意識の殺人 』 とよんでいます。」ベンジャミン・フランクリン

トルストイは『 第一歩 』という エッセイの中で

「肉食 は 非道徳、ただそれだけである。
 道徳的な感情と正反対である
 殺すと言う行動をしなければならないからである 」。 

 とかきました。

さらに 殺すことによって
「人は うぬぼれ が すぎるようになり、
自分と同等に生物たち にたいする、
あわれみの情 や 慈悲心 を示すといった
最高の精神的能力 を失う。
そして、自分の感情を無視し、残酷になるのである 」
とくわえます。

作曲家 リヒャルト・ワーグナー は、
あらゆる生命は神聖であると信じていました。

そして、菜食主義 を「自然の食事法 」つまり、
菜食になることによって、人類を凶暴にする傾向から救い
「 長い間 うしなわれていた 楽園 」に帰るのをたすけると考えていました。

ハーバート・ジョージ・ウェルズは未来世界における菜食主義 について、
『 現代世界の理想郷 』をかいています。

「ユートピアの世界はどこにも肉はない。

かつてはあったが。いまでは
屠殺場を思いだすことさえないくらいだ。

そして教育をうけた人々の中で、
死んだ牛や豚を切りきざむような人を見つけるのは、不可能にちかい。

私はいまだにおぼえている
一番最後に残った屠殺場が閉鎖した時の、
少年のころのよろこびを 」

空を生きる

『龍樹論集』(中公文庫)から


『愚者は存在に普遍の実体を考え、あるとかないとかと倒錯する誤りのために煩悩に支配されるから、自らの心によって欺かれる。』

『存在に通じている人たちは、存在は無常であり、欺く性質があり、空虚であり、空であり、したがって寂離であると見る。』

「生じたものであるから「存在」といわれ、「存在」という語は「生成変化するもの」をさしている。

その「存在」はまた一刹那ごとに消滅する性質があるから「諸行無常」である。」

「世界は妄想である」 (『六十頌如理論』)

『あるもの(A)との依存関係によってあるもの(B)が生じた時、BはAから生じたのであって、BはAがなければ生じない。

「存在」と「無存在」、「生成変化するもの」と「生成変化しないもの」は寂静であり、涅槃である。』 ( 『空七十論』)

「存在は自然に生じるのではなく、また時からも、根本原質からも、実体からも、最高神からも、無因からも生じるのではありません。迷い(無明)と渇望とから生じる、と知るべきです。」 (『観誡王頌』)

「大乗は、施し、戒め、忍耐、努力、禅定、知恵、慈悲からなっています。

施しと戒めによって利他を、忍耐と努力によって自利を完成します。

禅定と知恵は解脱のためにあります。これが大乗の要点です。

仏陀の教えは要約すれば、利他と自利と解脱のためにあります。

それは六つの完全なる徳(六波羅蜜)の中に収まります。

それゆえに、これは仏説であります。」 (『宝行王正論』)

「貪りなどの煩悩は、本性上からして生成のはたらき(行)の深い森をさまよい、善なる側面のいのちを断ち、謬見などの視覚器官の洞窟を棲家とし、遠い昔から対象の風に愛着する心に付き従っているものである。」(『六十頌如理論』)

「この法を正しく理解しないならば、我意識が起こり、それから善・不善の業(カルマ)が生じ、善・不善の業から善・不善の(輪廻の)生存が生じます。

それゆえに、我意識を止息させる法が正しく理解されないならば、ともかくも、施し、戒め、忍耐の法に専念してください。」

「悪い行いをなす生きとし生けるもの(有情)たちは、等活、黒縄、極熱、衆合、叫喚、阿鼻などの地獄において、つねに苦をうけるでありましょう。」

「ある者は胡麻のように押しつぶされ、ある者は粉末のようにこなごなにされ、ある者はのこぎりで切断され、またある者は鋭い刃のあるぶかっこうな斧で引き裂かれます。」

「またある者は溶けた青銅の熱液に混ぜ合わされ、飲まされます。ある者は灼熱した刺のある鉄のとがった杭につながれます。」

「ある者は鉄牙をもった獰猛な狗に襲われて手を空中にあげ、ある者は力なえて鋭い鉄のくちばしと恐ろしい爪をもった鷹にさらわれます。」

「ある者は虫やかぶと虫、また幾万という蠅や蜂や蚊などの、ふれると耐えがたい大きな傷を与えるもののえじきとなって、ころげまわって苦痛を訴えます。」

「ある者は燃えさかる石炭の塊の上で絶え間なく焼かれて口を大きく開け、ある者は鉄製の釜のなかで、ちょうど実がさかさまになっている瓢箪のように、煮られます。」 (『観誡王頌』)




「愚かな心を持つ人たちは「この世界は空(虚無)である」ととらえ、「この世界が空であるならこの世界に何の必要があろう」といって、かならずなしとげねばならない善の道に進まなくなる。

したがって、この人はまた、たとえば翼がまだはえていない鳥が自らの巣を捨てて飛ぶように、破滅するであろう。」

『寂離の意味を知らず、ただ聞くことだけをおこなって福徳をなさないならば、このような下劣な人びとは破滅する。』
(『六十頌如理論』)

「この法は、正しく理解されないときには、明知のない人を破滅させます。

その人は虚無論(無見)の不浄の中に沈むからです。」
『原因と条件とから生起したものを真実であると妄想すること、』『それが迷いであると、師(仏陀)はいわれる。

それから十二支が生じる。』

『真実を見ることから「存在」は空である、とよく知るならば、迷いは生じない。

それが迷いの滅である。そのことから十二支は滅する』
(『宝行王正論』)








龍樹が説いた空という理論は、頭で考えるとこんがらがってきてわからなくなってきてしまう。
それは人間の知識を超えたところに存在しているからかもしれない。
しかし竜樹は決定的な一事を言っている。

「世界は妄想である」と。

わたしはこれがすべてなのかもしれないとも思っている。
しかしそれが、そう思いたいことなのか、本質の部分でそれを知っているからなのか、それはわからない。
あらゆる情報がはびこりすぎているために、人は不幸にもそれらに操られて生きている部分が大半である。
しかしわたしたちの本質はその情報を超えるところに存在している。
わたしたちの本質は、死と虚無を恐れるのである。
本質が抱く妄想である。
そして、本質が求めるもの、それは死と虚無のない世界である。

わたしはそれがすべてだと思っているのだが。
つまり、この世界は死を望まなかった。だから存在している。それだけなのである。
そして良く生きたいなら良く生きることが出来る。
逆に悪く生きたいなら悪く生きられるのである。
わたしたちは求めるものだけが与えられる。

潮騒

古代中国の仙術・方術

まず気膜とは、生物の身体は常に薄い気の膜で覆われています。
一般にはこれを気膜、あるいはオーラと呼びます。
普通には見えないけれど、強力な気は視覚で確認できることもあります。
また訓練すれば、通常の気を見分けることもできます。
逆に自分の気を絶って相手から姿をくらませる技もあります。「絶気」といい、体術の一つです。

次に気殻とは、道術、それに極めて強い仙力を操る方術の使い手は、自らの気膜を拡張することができます。
ただしとても難しい技で、滅多にできることじゃないけど。
自分の気膜に触れるものがあって、その触れたものを気膜で覆い強化することを「気殻を張る」といいます。
当然形があるものの方が気殻を作りやすいのですが、何も無い所に気殻を作ることを「具現化」といいます。
ここまで来るともう仙人のレベルを超えて、神の領域とも呼ばれま。

続いて具現化とは、恐らく仙術の中で、最も高度で難しいのがこの「具現化」です。
気殻は対象を「自分の気膜に触れるもの」、に限っているけど、具現化は力場の中の空間に、無から対象を生み出す術。
当然作り出すのも維持するのも大変ですが、具現化を極めると遠隔操作すら可能になるし、技のスケールも極限に膨らむのです。
例えば何も無い所に山河を作ったり、世界そのものを複製したり・・・。
古神族が用いていた「神術」は、これに当たります。



なんということだろうか・・・・・。
古代中国のレベル高き古神族は仙術を使って何も無いところに山や河、はたまた世界そのものを複製することが出来たというのだ・・・・・。
まさに神の術である。
それはまさに気であらゆるものを複製できる死後の幽界と呼ばれる世界のようではないか。
それをこの地上で行っていたというのか、なんてこったい、オーマイガー。
古代の人々は神と近かったのだろうな。

仏教の様々な教えを勉強しながら、思ったんだけれどね。
人ってどうしてもそれが実体しているのか、実体していないのかだけに拘っているような気がする。
オカルトと呼ばれる分野のものはすべて、そう、実体しているのを確認するまで信じようとはしない人たちは多い。
そのくせ、見たこともない死を信じ込んで恐怖したりしている。
何故なのかしら。人間って不思議ね。

煩悩〈ぼんのう〉を断〈だん〉ぜずして涅槃〈ねはん〉を得るなり。
この人の見解はシルバーバーチの言っていたことと同じだね。
人は煩悩があるからこそ、それを克服した時、ものすごい喜びに満たされるのである。
つまり煩悩があるからこそ、人は涅槃へと辿り着けるのである。

この最後のところがすごくいいことを言っている。

「釈尊が教えられた通り、私どもは五濁の世に生きなければなりませんが、その自分の身に届けられている信心を喜ぶことによって、その人の煩悩ばかりではなく、すべての人びとの煩悩を飛び越えた「涅槃」が、その人に実現するということになるのではないでしょうか。
 もう少し言葉を換えてみるならば、阿弥陀仏の本願によって往生すること、そのことが「涅槃」の意味であるということになるのです。
煩悩を断ずることができなくても、いや、煩悩を断ずることのできない、愚かで情けない自分であるからこそ、「本願」ともいうべき「涅槃」、「往生」ともいうべき「涅槃」を、私どもは得させてもらうのであると、聖人は教えておられるように思うのです。」

まあさっきの話しとちょっと話が逸れているのだが。
順番を間違えたね。
空の本質すごく難しいが良く考えて読むとわかってくる。

仏教で言う空(くう)と言うのは、固定的実体もしくは「我」の無い事や、実体性を欠いている事を意味する。と言われている。
空とは竜樹(りゅうじゅ、ナーガールジュナ)という僧が説いた理論である。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

それからわたしは調べながらネットサーフをして行き気付くともう6時間ほどは経っている。

すると、左の耳が突然耳鳴りがし出した。あのキイーンと遠くへ連れてかれる音である。
わたしは怯えながらも思った。何か聞こえないだろうか、と。
もしかして霊界から何か伝えようとしているんじゃないかと思ったんだ。
すると、潮騒のような音に耳鳴りは変わった。
それは静かなノイズの音のようだった。びっくりした。
そんな音に耳鳴りが変化したのを多分わたしはこれまで聴いたことがない。
パソコンが重すぎてまるで打てない。数十個のページを出しているからである。

なので、今日は寝るとする。ソーリー。続きは明日に書くよ。
おやすみ、すべての光の仔たちよ。

僕らのエルゴン

まず、トーマス・アルバ・エジソンは晩年に霊界との通信機を研究していたというのを今日知った。

エジソンは、人間の魂もエネルギーであり宇宙のエネルギーの一部であると考えていた。
エネルギーは不変なので、魂というエネルギーは人間の死後も存在し、このエネルギーの蓄積こそが記憶なのだと考えていた。
エジソンの言によれば、自分の頭で発明をしたのではなく、自分自身は自然界のメッセージの受信機で、「宇宙という大きな存在からメッセージを受け取ってそれを記録することで発明としていた」に過ぎないのだという。

そして電話機を発明したアレクサンダー・グラハム・ベルもこんなことを言っている。




「人間の普通の感覚では、その動きを見たり聞いたり触れたりすることはできない。
これらの振動の効果についてはまだ分からないことが非常に多いが、いずれ分かるようになるだろう。
無線通信は、ある範囲の振動によって生ずるものだ。
しかし振動数をもっと増やしていくとどうなるだろうか。
私には、脳が何かを考えているときに出されるものも、高い振動の一つの表れではないかと思う。
 それが正しければ、紫外線を作っている波長よりもずっと高い波長のものになるだろう。
これは私の仮説だが──思考という重要なパワーが、なぜ電気と同じ性質のものとしてみなされるのか、その理由はいくつも挙げることが出来る。脳細胞は電池のような役目を果たしていて、その電池が電流を神経の中に流すものだと仮定してもよい。
だが、それはそこで終わりになるのだろうか。
それは身体の外へ電波のようなものとなって出て行って、私たちの五感に感じ取られないまま地球の周りを漂っているのではないか?
それは丁度、ヘルツ(ドイツの物理学者)やその他の人々がその存在を発見するまで、電波が(人間には)感知されないまま流れていたのとおなじことだ」





さすが発明王と言われたエジソンであり、子供時分からまだ存在しない物の発明を目指して歩んできたベルである。
彼らの発想はとても豊かである。

見えなきものを否定するのは貧しき心だ。
すべての人が自分に対して問いかけてほしい。
私の富とは目に見えるものなのであろうか。


エジソンは妻を亡くした後に霊界通信機の研究を初め、ベルは難聴の母と、それから聾唖者であった妻のために人工的音声を作り出した。
ベルの指導を受けたヘレン・ケラーはその自叙伝をベルに捧げ、その献辞の中で「彼が最も幸福を感じられたのは、幼い聾唖児を両腕に抱き上げられたときであった」と述べている。
ええ話やね。



脳内映像を見事に再現したビデオがスゴイ

これはカリフォルニア大学バークレー校の研究者たちが被験者たちに動画を見せ、その時に脳の視覚皮質を流れる血流を読み取って、脳内映像を見事に再現させたものである。

わたしはこれを見て衝撃のあまり血の気が引いて行き汗がだらだらと垂れた。
つまり、これは、これは、つまり、その、あれっていうことである。はよ言え。はい。これはつまりだよ、あれなんだ。
人間は視覚で世界を認識しているわけじゃないってことと同じ証明ではないか?
では、人は脳で世界を見てる?
そう思いたいでしょう。
そう思う?
どうなの?

はい、では僕は応える。
僕はそれ違うと思う!
だって僕ら、無限のエルゴンだからさ。

また会おう。


http://spiritualismjp.blog.fc2.com/blog-entry-273.html こちらのページから拝借しました。どうもありがとう。



忘却の彼方

忘却の彼方にあなたはいた。

しかしあなたはようやくわたしの右目にきづいた。

あなたはわたしの右目を見て何よりも美しいと思った。

しかしあなたはまだわたしの右目しか見ていない。

わたしからあなたに聴く。

わたしのほかのものはあなたにとってみにくいものであるか。

わたしの左目、鼻、口、喉、胸、手や足、それらはあなたにとってみにくいものですか。

あなたはそのすべてを自由に思い描くだろう。

わたしはあなたの主以外にあなたの世界にあるすべてのものを忘却する者です。


宇宙の恵

昼には私はあなたの光を浴び、そこに影は見当たらなかった。

夜には私はあなたの影を浴び、そこに光を見失いそうになるのです。

何故ですか?

私は喜んでこの地上に舞い降りてきた。

それは確かに、私です。

あなたの降らせた光はまるで白い羽たちが柔らかく舞うように、私はその中に包まれたのです。

あなたはすべてを知る者です。

あなたは私を決して孤独の最果てに置き去りにしない。

私はそれを知っています。

私を憐れんでください。

私は、やがて孤独を仔山羊のように飼い馴らし、そして愛でる日々が来るでしょう。

私はそれをあなたに約束しよう。

あなたの名前を知っていますか。

あなたの名前はcosmic blessです。

あなたは宇宙の恵。

私はあなたの名前を呼んでいます。

あなたが目を覚ますまえも、あなたが目を覚ましたあとも、あなたの名を呼び続けます。

隠されたる福音



ユダの福音書というものをあなたは知っていますか。
わたしは昨日、初めて知りました。
感動と衝撃の嵐です。

こちらはもうちょっと長い、そして吹き替えバージョンです。




あなたはこれを見てどう思いますか。
私の心は感激に震えている。
何故ならわたしはそれを信じたかったからです。
わたしはそれまで想像していたのです。ユダはイエスを裏切った訳ではない、ユダは誰よりも一番にイエスを愛していたために、イエスの計画に一躍買ったのだと。
私の想像はほぼ間違いでありませんでした。

ユダはイエスを裏切った自分に対し苦しみ自殺したのではなく、イエスを心から愛し、イエスを心から信じて、そして何より真理に目覚める力を与えられ、犠牲となり石打ちの刑に合い死んだのです。
そしてイエスも非常に苦しい刑を与えられて死にました。
なんて悲しく美しい話なのだろうか。そう思うでしょう。
私もそう思います。彼らの眼は完全に開かれていたが、それでも死の間際の苦しみは凄まじいものだったでしょう。

「シルバーバーチの霊訓―地上人類への最高の福音> 10章 幼児期を過ぎれば、幼稚なオモチャは片づけるものです から「イエスという人物を指さして“ごらんなさい。霊力が豊かに発現した時は、これほどの仕事ができるのですよ”と言える、そういう人物だったと考えればよいのです。信奉者の誰もが見習うことのできる手本なのです。しかもそのイエスは、わたしたちの世界においても今、わたしの知るかぎりでの最高の霊格をそなえた霊であり、自分を映す鏡として、イエスに代わる霊はいないと考えております。」

イエスの霊格はシルバーバーチが知る中では最高のものであるらしい。
しかし、上には上が気の遠くなるほど存在しているのである。
それが、このようなフラクタル(図形の部分と全体が自己相似になっているものなどをいう)だ。
考えてゆくと失神してしまいそうなほどの無限の世界であることを、わたしたちはいつか本当の心で実感する日が訪れる。


で、今日の勉強はここで終わりって感じでいい感じにまとまったのですが、私の宿題はまだまだ山ほどあるのです!
しかし、あれだね、イエスという人は子供のように無邪気で天衣無縫であり、またよく笑う人だったというのは実に幸せな気持になるものだね。決して高圧的な態度で人々に教えを説くことがなかったのである。

はい、では次は、ユダの福音書が見つかりましたが、他にも隠蔽されてしまった福音書があります。
それはマグダラのマリヤの福音書である。
マグダラのマリアによる福音書
ここでは古来から続くグノーシス派(後にキリスト教異端派と呼ばれる)が、正統派と言われてきた私たちの知る聖書からは抜き去られたマグダラのマリヤの福音書を教義として用いていたということから始まり、そしてその福音書の内容を示しあらゆる観点からそれを解析し深く概説されている。


『 救い主(イエス)が言った、「罪というのは存在しない。本性を真似たこと、例えば姦淫をあなたがたが行うと、これが罪と呼ばれるが、存在するのはその罪を犯す人、つまりあなたがたなのである。このゆえにこそ、つまりその本性の根のところへと本性を立て直そうとして、あなたがたの領域のいかなる本性のもののところへも、善そのものが来たのである。」』「マグダラのマリアによる福音書」より

イエスが示す姦淫とは、このページの作者は「「姦淫を行なう。」は比喩(メタファー)で、つまり心が物質的な次元に囚われると罪になるのだ。霊的な本質から浮気して物質界と交わることが姦淫である。」と述べる。
これを読んで、なるほどなあと思った。確かにイエスの言葉にはかなりの回数で姦淫という言葉が出てくる。

聖書箇所:マタイの福音書5章27節~
[27]『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。 [28]しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。

姦淫をそのままわたしたちはとりたがるが、しかし姦淫だけが私たちの悪い行いであるのではないことは私たちにも分かるであろう。そうか、これはすべての物質に囚われてはならないということである、か、なるほどなあ、と言われて気づくのは、聖書はとても例えがほとんどで難しいからである。シルバーバーチはあんなにわかりやすく説明してくれるのに、一体何故だろうと思うでしょう。
しかしユダの福音書のムービーを見てもわかるように、イエスは限られた人たちにだけ、重要なことを話しました。とある。
何故でしょうか?
それはイエスは未来も知る人だったからです。
つまりイエスは自分の語った言葉はどのように捻じ曲げられて民衆の間に広まっていくかをすべて知っていた為、民衆には考えて考え続けた者にだけ、真理を求めに求め続けた者にだけようやくわかるような難しい譬え(たとえ)で話したのです。
しかしもうその必要はない、自らこの世の真理に眼を向けようとするユダ、そしてマグダラのマリヤ、それからトマスにだけ真理をそのままわかりやすく話したのです。
しかしそれ以外の弟子たちには本当の真理を言いませんでした。それはそれ以外の弟子たちの目が濁っていた為である。
ムービーを見てもわかるように、明らかに悪そうな顔で弟子たちはイエスの言葉を聴く耳を初めから持たないということをイエスはわかっていたためです。
だから本当のことは、隠されて良い、しかしその教えは密なる場所で語り継がていくこともイエスはわかっていた。

聖書は間違いだらけであるということがわかった。しかしそこにはイエスの真の言葉がたくさん書かれてあることもわたしたちはその本質で見て、それを知っているのだ。

そう、星の王子さまでもゆうてたね、きつねが「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」

わたしたちがいくらあらゆる真理と言われるものをむさぼり読んでも、わかるのは脳ではなく、心だってことなんだ。
だから私が必死にここに毎日何を書いても、君の心が見ようとしないなら、何もここには書いていないのと同じだ。
そして本当のことは、君が本当に見ようとしないと、何も見えないんだ。

私たちの世界

シルバーバーチとは一体何者なのか、それをわたしは述べるのを忘れていた。


シルバーバーチとは、1920年にイギリスのみじめな貧民層が軒を並べて生活するロンドン東部地区に住むイギリス人青年モーリス・バーバネル(Maurice Barbanell、1902-1981、当時18歳)がある社交クラブの会合でスピリチュアリズムの講演の際に、彼を霊媒として語り、以後60年間に渡ってこの世界の真理の啓示を述べ続けたとされる霊のことである。


シルバーバーチの語る言葉とは、一つの魂のアイディンティティ(人格)から発せられるのではなく、これは自分の教えではなく、自分の所属界よりさらに高い界層から送られたものを自分が中継しているに過ぎないと語っている。

シルバーバーチという霊について分かっていることは、三千年前に地上で生活したことがあるということ、それが地上時代にインディアンだった別の霊を霊界側の霊媒として使用し、そのインディアンの立場で通信を送ってきたということだけである。

つまり高い次元の界層から直接この一番低い次元とされている地上への霊媒が不可能であるために、数々の下にある界層を伝ってようやく送り込まれた世界の摂理をそれを地上へ届けるように使命を受けてシルバーバーチという霊は私たちに語り継いだということである。

シルバーバーチの語った言葉は一人の魂から発せられた訳でなく、この地上のものすごい上にある世界に住むたくさんの聖霊たちから送られてきた聖なる言葉なのである。

英語で語られたその言葉を近藤千雄(翻訳家、作家、スピリチュアリズム研究家)が日本語訳した本を読むことが出来る。
そしてそのすべてが訳されて出版されている数少ない国の中の日本に我々は住んでいる。

シルバーバーチは旧約聖書にある神の行い、復讐に燃え人々を滅ぼすような神が間違いであることに気付きなさいと言い、しかし「ナザレのイエス」と呼ばれた人物を通して顕現した霊は、二千年前に開始した使命を成就すべく今なお地上界へ働きかけていると述べる。イエスのその霊格はその後飛躍的に進化を遂げ、地上時代とは比較にならないほど意識の次元が高くなっていると述べるのである。
つまり、ということは、シルバーバーチの教えは成長したイエスの霊からの啓示であると思いたい人もいるだろう。
しかしそうやってまた一人の人格者のようなものを神として求めるのは間違いであると、それをイエス自信が言っているのと同じなのである。何故なら、神は一つの人格ではないからである。神は世界の果てにあるその一番高い次元にある一つの霊ではないからである。果ては存在してないのである。ひとつの神が存在するということは、そこに果てが在るということである。

違うんだ。
何故なら、すべてのものがすべてのものから吸収して進化し続ける存在だからである。
存在するすべてのものが、永久に留まることはなく変化し続けていく世界が、まさに私たちの世界だからである。
それはあなたの世界である。
それはわたしの世界である。

わたしたちの世界が荒廃するか、飛翔するか、それはわたしたちの意識に係っている。

神と芸術

霊的心眼が開きかけてる。と言っても、おかしいね、夜には寂しい淋しい辛いぼくひとりだけを滅ぼしてほしいと言っては泣いている。部屋中バチパチとラップ音が響くんだよね。Heyヨオってそのラップのほうとちゃうよ。ふんでさっき私はあることに気付いたの。私の名前って、こずえうえだ、ってそこから「う」を取り除くとなんか梢枝って同じ意味の言葉が続いちゃってるんだってことに、あっ、て思ったんだ。三十年生きてて初めてわかった。変なの。言い方変えれば、枝う枝ってなんか、中原中也、町田町蔵と対して変わらないんだっことがちょっと嬉しかった。枝枝、中中、町町、ってゆうね、まあ。あ、芸名は枝宇枝にしようかな。え?おもんない?あーそうかい。

それで今日調べてわかったんだけれどね、私は一月二十八日で中原中也の生きた時間を越しちゃった。だから目覚めなくてはならなかったのかも知れない。
私が中也を知った十五歳の時からさらに十五歳私は年をとった。
中也はどうしているだろうか。中也も神を切実に求める一人であった。








「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」


「私は全ての有機体の上に、無数に溢れる無機的現象を見る。それは私に、如何しても神を信ぜしめなくては置かない所以のものである。
 人間にとつての偶然も神にとつては必然。運命は即ち、その必然の中に握られてあり、吾等の意志の能力は即ちその必然より人間にとつての偶然を取除いた余の、所謂必然、その範囲に於て可能である。

 私が今仮りに神の全てを見知したとする。然し私はそれを表現することは出来ないのだ。何故と云つて神は絶対であり、私の表現は相対的に行はれるのみだからである。茲に於て、人は神の全てを知るとも宿命の軌道を壊つことは不可能である。天才者常に空威張りし、予言者嘆息するはまことに許容すべきのみ。然るに彼も亦神の手になれるもの、常に理想の方向へとのみ盲目なれど強き力もつ衝動と共に生く。
 併し、辛じて詩人は神を感覚の範囲に於て歌ふ術を得るのだ。

 最初に、神に脳裡に構へられしものは静止せる理想郷のサイ象。それに制約の点ぜられたるより流転現象開始さる。然れば、神の御旨よりは罪悪もなし。されど、人の子の側より考へて罪悪は犯すべからざるものなり。仮りに神の御旨を人の子の側にも当篏めんか、最初に神の脳裡に構へられし静止せる理想郷に逆源するのみ。そは神の御意に非ず。そこに於ては神も亦好奇心のみ。
 然るに神人の子に未来を知るの力を与へ給はず。又、人の子の謂力を与へ給はず。又、人の子の謂ふ奇蹟も容易きことなれど、人の子を遣りたる相対の世界には神自らも相対性以外を行ふとも見せられず。詩人は云ふ。神は絶対の沈黙者なり、情なくまた非情なしと。然り然り。諺にあり「自然は既定の法則を踏まずして一の塵、一の芥をも齎さず」と。






神という言葉が十六回出てくる。中也がどれ程神を求めに求めていたかわかる。神を求める人は美しい。なぜなら、それは、この世で一番の悲しみを知っている人だからである。だから私は神を求める人を心から愛する。

芸術と真理は共存できないのではないかと私も何度も思った。しかしそれは間違っている。何故なら真理こそが芸術であり、芸術こそが真理であるからである。

素晴らしい芸術を知り感動する、または癒されるのと、真理をもう一度読み返して感動する、ほっとするのが私の中で同じだったからである。それは人間の本質が求める唯一のものだからである。

永遠なる模様

シルバーバーチは語る> 5章 絶対的摂理の存在 から

〔苦難の価値について問われて――〕

あらゆる体験があなた方の永遠の人生模様の一部を構成します。その永遠の人生をあなた方はとかくこの世だけの出来事によって判定しようとします。その皮相だけを見て偶発的な出来事の連続のように思うようですが、何回かにわたる地上生活の全てを通して一本の糸が貫かれていることにお気づきになりません。

調和を基本的摂理とするこの大宇宙にあっては、あなた方一人一人が大霊の計画に貢献しているのです。地上生活での出来事は、時には辛さと絶望、痛みと悲惨さに満ちていることもあるでしょうが、その全てが、永遠の旅路に向かうための試練なのです。

暗黒と光、陰と日向といった、まったく対照的なものも、実は一個の統一体の側面の反射に過ぎません。陰なくしては日向も有り得ず、光なくしては暗黒も有り得ません。それと同じ理屈で、困難は魂が向上するための階段です。困難・障害・ハンディキャップ――こうしたものは魂の試練なのです。それを克服した時、魂はより強くなり、より純粋になり、より充実し、かくして進化が得られるのです。

無限の可能性を秘めた魂の潜在的資質が、困難も苦痛もなく、陰も悲しみの体験もなしに発現すると思われますか。発現するはずがありません。

悲哀の極みをなめ尽くして初めて、魂の奥底からの喜びが味わえるのです。生命の階段を低く下りるほど、それだけ高く上がれるのです。地上人生の陰と思える体験を多く味わうほど、それだけ日向の喜びがひとしお身にしみるのです。

全てのことが霊性進化の肥やしになるのです。そのうち皆さんも肉体の束縛から解放されて曇りのない目で地上人生を振り返る時がまいります。その時、紆余曲折した一見取り留めもない出来事の絡み合いの中で、その一つ一つがちゃんとした意味をもち、皆さんの魂を目覚めさせ、その可能性を引き出す上で意義があったことを、つぶさに理解なさるはずです。

人間が体験する苦難の中で、正しく理解し正々堂々と立ち向かって何の益ももたらさないものは一つもありません。一体、困難も試練もない物的世界というものが想像できるでしょうか。そういう世界では何の進化もありません。克服すべきものが何もありません。あるのは堕落のみです。







シルバーバーチの語る言葉は真に確かな言葉である。
一緒に考えよう。
つまりわたしたちの困難と苦痛は魂の成長には不可欠なのである。
しかしこの地上は戦争、飢餓、殺人、などのあらゆる苦痛と困難で滅茶苦茶になっている、それは間違ってる。
戦争、飢餓、殺人、大いにok、何故ならそれによってすべての魂は成長するからである。そんなことは聖霊の誰も言わない。
まずそれらがなくてもわたしたちの苦しみは無限大にある。愛する者を失う悲しみ、孤独、病、それら合わしても足りませんか。それでは私たちの成長は止まりますか、この世の摂理を知ることが出来ませんか、NO、違います、わたしたちに最早戦争、飢餓、殺人などの苦しみはもう沢山です、それは必要ありません、それらがなくともわたしたちは正しいことを知るに十分の苦しみを持っています、では何故貴方がたの目は開かれませんか。では何故私たちの目は開かれませんか。

虹色の星

田中さんが夢に出てきた。悲しい夢だった。
僕の霊眼はまだ開き始めたところだ。夢から覚めたばかりなんだ。
もうあんな夢は見ない、ごめんね、田中さん、もうすぐあなたの本を読むよ。
待っててね。

僕らはみな、虹で出来ている。
太陽と同じ色をしているんだ。

それがどういうことか、きみにもわかるかい。

夜明けは近いぞ。
さあ、恐れをなくし、みんなで手をとり合い、そして進もう。

ちいさな天使

http://www.tamba.ne.jp/blog/shinri/index.php?UID=1305450568

このページを読んで号泣した。
シルバーバーチも言っていた。動物の魂は人間の魂が帰る場所と違うようだ。
動物も人間を選んでその飼い主に飼われると言う。
みちたを買う時、わたしは人懐っこい子で雄が良いと言い店員は二匹の仔兎をケージから出して私の足元へ置いた。
一匹はすぐに私から離れ、タタタタタッと駆けて向こうへ行ってしまった。元気の良い子である。
しかし、もう一匹は私の足元にずっとうずくまってじっとしていた。具合が悪いか、急に外へ出され怖かったのだろうか。
わたしは私から離れていくことのしなかったそのほうの仔兎を家へ連れ帰ってきた。
それが、みちただ。

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これは今日のちょっと前に耳の下をなでなでされて「あー、気色ええわぁ」てゆうてるところのみちた。
さっきは何か言葉を発しながら毛づくろいしていた。最近ほんとよく言葉を発するんだ。寝ているときも、よく寝言を言うようになった。何故だろう。人間に近づいてきているのかもしれない。

誓いの言葉

私は本当に心が震えている。それはとても素晴らしい震えである。

イエスはみずから肉なる苦しみの犠牲の上に立ち、わたしたちを救い出そうとした。
しかしどうでしょう。わたしたちの多くは我欲をむさぼり、みずから苦しみの野に立っている。

そこで現れたシルバーバーチである。シルバーバーチ、そしてホワイトイーグルというイエスと同じ預言者である聖霊たちです。
ほかにもいるのかもしれないが、まだ私は知らない。
ホワイトイーグルの言葉は私はまだ読んでいないが、シルバーバーチとともに私は信じてその啓示を読み進める。
「神への帰還」この本表紙がとても綺麗だね。
「人生に何が起きようと、貴方がそれを創ったのですよ」って書いてるね。
私の霊的なる目覚めの想像は間違っていなかった。
想像が創造する、それがすべてであるのだと、わたしは教えられたのです。

シルバーバーチは言った。「肉なるものはできれば食べないほうが良い」と。
わたしは実際、この半月ほど肉も魚介類も口にしていない。
その理由はあらゆる物質を買いすぎてお金がまるで、ない。という理由からであったが。
わたしはそれによってもこの目覚めを受けることができたのだと信じる。

そしてもうひとつ、わたしを目覚めさせた彼女のことをわたしは知ったからである。
リザナ、あなたはきっと今頃、大天使としてわたしたちを見守ってくれているのではないだろうか。そんな気がするんだ。
リザナ・ナシカの苦しみをわたしは自分の苦しみのように思った。そしてこの世界の救いを心から求めた。

シルバーバーチは言った。霊的真理に人が目覚めるには、大いなる産みの苦しみをともなう。と。
それは人は苦しむことで、救いを知ることが出来るということです。
わたしはそれを知っていた。だからこれを読んでくれる人たちにも、苦しんで欲しかったのです。
リザナという少女の苦しみを、自分のことのように思い苦しんで、そして何かを見出して欲しいと願った。
だからあえてわたしはその写真まで載せたのです。

彼女は、イエスと同じに犠牲の上に私たちを救ってくれる存在だったんだ。

犠牲というものが、どうしても必要であるということなんだ。
わたしたち、すべてのものが救いへと続く道を知るには、それが必要なのです。

わたしにできる犠牲は何か。
わたしはこの世界を良くする為に、良い想像をし、そして良い創造をしたいのです。
それには、自分の中から悪いものをなくさなければならない。
そうでなければ良い想像がしつづけられなくなるからです。
まず心を清くするには、行いを清くしなければならない。
まずシルバーバーチが啓示した「肉はできれば食べないほうが良い」ということをわたしは守ろうと思う。



「シルバーバーチは語る」 5章 絶対的摂理の存在 から

――私はキツネ狩りをしたことがありますが、間違ったことをしたことになるのでしょうか。

すべて生命あるものは神のものです。いかなる形にせよ生命を奪うことは許されません。

――でも、ウチのニワトリを二十羽も食い殺したのですが……

では仮に私がそのキツネに銃を与えて、二十羽もニワトリを食べたあなたを撃ち殺せと命令したらどうなりますか。地上のすべての生命には大霊によって食すべきものが平等に与えられています。人間が飢えに苦しむのはキツネが悪いのではなくて人間自身の考えが間違っているからです。

地上人類がさらに進化すればそうした間違った欲望は消滅するでしょう。キツネやニワトリを人間がこしらえることが出来れば、それを人間が食べても咎める者はいないでしょう。人間がニワトリやキツネを殺してもよいというのが道理であるとしたら、同胞も殺してよいという理屈になります。生命は人間のものではありません。大霊のものです。生命を奪う者はいつかはその責任を取らなくてはなりません。




シルバーバーチの素晴らしいたとえである。
わたしたちは自分が食べた牛や豚や鶏に向って、さあ私をお食べなさい。と言えるであろうか。
しかし、そこでわたしたちは食べられなければならないのです。

今後一切、ということをわたしはここに誓うことがまだできないが、まず一月、わたしは魂なる生物の死体を食することをやめることをここに誓う。しかしシルバーバーチは植物や穀物には魂は供わっていないのでそれを人は食べても良い、と言いました。
そして酒も控える。今月、酒を今家にある一升瓶の酒がなくなれば、もうあとは買わないことをここに誓う。

で、あれやねんけどね、君もよかったら一ヶ月菜食やってみいひん?
それで君の霊眼も開かれるのかってことをさ、僕は知りたいなあ。

わたしは良い想像をしつづけたい。
そしてすべての悪なる想念を滅ぼしたい。
わたしはすべてのものを冷たく暗い死へ決して向わせはしない。






「理屈を言ってはいけません。そう信じればよいのです」――私はそんなことは申しません。反対に「神が与えてくださったもの(知的思考力・理性)を存分にお使いになって私をお試しなさい。しっかり吟味なさってください。そしてもしも私の言うことに卑劣なこと、酷いこと、道徳に反することがあれば、どうぞ拒否なさってください」と申し上げます。

本当にシルバーバーチの言葉は美しい。懐がなんて深いことだろうか。

「いかなる真理も次の真理への踏み石にすぎないのです。」

真理は成長しているんだ。すべては成長してゆく。

月の暦ではもすぐ大晦日やね。


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白空

Author:白空
1981年8月4日生

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カウ(牛)にまつわるコンスピラシー(陰謀) ドキュメンタリー映画『カウスピラシー』
食肉、ペット、毛皮、動物実験の現場ドキュメンタリー映画EARTHLINGS
ナレーション:ホアキン・フェニックス

音楽:Moby

『アースリングス』

肉食と食料問題(飢餓問題)
先進国の5人に一人が肉食をやめると、飢餓が解決すると言われています。
アンゴラ・ウール・フェザー・ダウンの作られ方
毛や羽毛を取るためには残酷な虐待をしなくてはなりません。 そして最後には殺されてしまいます。
犬や猫も生きたまま毛皮をはがされている
残酷な動物実験をしている会社から化粧品、洗剤類を買わないという選択ができる
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