ideal

http://vimeo.com/12884758">ペット、食肉、革、毛皮製品、動物実験、娯楽産業、狩猟、人間たちはあらゆる動物たちを利用し、利益のために虐待、殺戮を繰り返しています。彼らは私たちの知らないところでどのように虐げられ、殺されているのか。真実を撮ったドキュメンタリー映画「アースリングス」をご覧いただけます。http://vimeo.com/12884758



前回に引き続き、ゾンビーの話題であるが
言ってしまえば、私はゾンビーを愛している。
それはゾンビーに限らない話だが、じゃあ何を愛しているかと言うと
僕はいつも、いつまでも弱者の味方であり、また嫌われ者の味方であり
また、そうでありたいと常日頃無意識の内に潜在意識でそうある。

それは、僕自身が弱者であり、また嫌われ者、世間から見て批判されまくる存在であるからだとは思う。
ゾンビー、悪魔、死神、とかいった存在たちもまた悲しくも批判される存在であるだろう。
批判はおろか、恐れられているとは思うが。
恐れられる存在とはこの世で一番悲しい存在であるかもしれない。
それは昆虫類でいうと、ゴキブリのような存在と言えよう。

何一つ、悪さなどしないのに、ゴキブリはあまりに人間から嫌われ惨殺される存在であり
そこにある悲しみは深いだろう。
僕は、ゴキブリはもう殺すつもりもないが
もしゾンビーが目の前に現れ、身の危険を感じた時に
ゾンビーを殺すか、自分が殺されるか、その選択を迫られた時に
人はどうするか、その時になってみないとわからないものだね。

僕は口だけの人間だが、それを踏まえてあえて言う。
僕は、そんな時にも、相手を殺さず自分が殺される身でありたいと願う。
それは相手の為では決してない。
それは個人の為なんかではなく
すべてが自分であることのすべてを愛したいがゆえの行動なだけだ。
それは、ただの、僕の願望、理想なんだな。
理想だけの人間だ、そう嘲笑われる人間が理想を抱いたまま死ぬだろう。




zάmbi dríːm

http://vimeo.com/12884758">ペット、食肉、革、毛皮製品、動物実験、娯楽産業、狩猟、人間たちはあらゆる動物たちを利用し、利益のために虐待、殺戮を繰り返しています。彼らは私たちの知らないところでどのように虐げられ、殺されているのか。真実を撮ったドキュメンタリー映画「アースリングス」をご覧いただけます。http://vimeo.com/12884758



昨日見た夢なんだが、僕はゾンビに追いかけられていた
ゾンビってゆうと人は恐ろしいと感じるね
ゾンビは人間とは違った種類で、姿は人間には似ている
でも違う部分は、気持悪い、ってことなんだね
皮膚がどろけている、なんかどろどろしてそうで気持が悪い
あと、皮膚が青黒い、死体の腐りかけた状態がゾンビなのだろうか
そんな人物に追いかけられたら人は恐怖する
追いかけられるのは、殺されるためだね
ゾンビは僕を殺そうと追いかけてきていたんだ
ゾンビは人の善悪を理解できない世界に生きているように思えた
人を殺すことが悪?何故?why?まったくわかりませーん。そう片言で言いそうなのがゾンビー。ビンゾー。
貧相、ファッキュー、俺はヒンソーじゃねえ、ビンゾーだ、ちゃうわっ、ゾンビーです。
俺はゾンビーでーっす。そうゾンビはわかってたか、そこまではわからなかった。
とにっかく、俺は、お前、殺す、ファックオフ、いや消えるな、消えたら殺されへんやんけ、ドアホ、そう言いたげなゾンビーは僕を殺そうと走ってきた。
僕は必死こいて逃げた、必死+屁をこきながら逃げていたか?そんなこと僕に聞くなっ。
屁をこいたからってなんだ、そうすれば早く逃げられると断言するつもりかい、ファックベイベー。
shit!ビール零した!ゴーストドリームさ、それは、ゾンビはゴーストたちだったはずだ。
ゴーストは、誰なんかい?それは僕たちの将来の姿さ。
僕たちは死んでゴーストになるのさ。そしてある人はゾンビとなる。
何故彼らはゾンビなの?
何故僕を殺そうとするの?
僕はずっとそれを考えていた。
何故彼らは僕らに恨みを抱いているの。
生きている僕らが憎たらしいからかい?
僕を殺そうと目を光らせていた彼と僕はちゃんと話がしたい。
そして、導き出された答えは、僕がゾンビならきっと君を殺しに行く。
ってことだけだった。


The Cloak Ox

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闘牛を誘うマントが真っ赤すぎて

眩しくて何も見えない

人々を幸せに導くのは

思ったよりも難しいようだ

僕の大きな思い過ごしが

アルコールのように蒸発してゆく

彼らには、誰も殺されていない世界が見えるらしい






まるでバキュームカーに吸い取られる糞尿のように彼らの命をなんとも考えていないようだ

彼らが糞尿のように扱われているので、その死体を喰う人たちもまた糞尿と変わりない


言いたいことは唯一つ、僕の主張を聞いてくれ
君が美味いと言って喰っている家畜たちの主張を聞いてくれ





ふざけきったファック野郎ばかりさ、彼らは俺を嘲笑い批判する
最もな言葉を引っ張り出してきてね
美味いから喰うという欲望のままに生きる人間たちに批判される覚えがない





悲しみと寂しさだけが残る
僕の中に
そして空虚な眠りへと就く
その繰り返しさ
僕はまだ

賢者の涙

http://vimeo.com/12884758">ペット、食肉、革、毛皮製品、動物実験、娯楽産業、狩猟、人間たちはあらゆる動物たちを利用し、利益のために虐待、殺戮を繰り返しています。彼らは私たちの知らないところでどのように虐げられ、殺されているのか。真実を撮ったドキュメンタリー映画「アースリングス」をご覧いただけます。http://vimeo.com/12884758



だんだんと、人は孤独になってゆく。

生きるほど。
生きるほど。
生きるほど。

孤独を恐れずに進むよりは
孤独を恐れながら進むのが

美しい。

それは、人間ゆえの、美しさであると
人間で在る私が、その心に響いた。

のは何のことやという。
それは、人間ゆえの永遠がそこに在ったというあまりに美しく悲しい言葉であった。



「チベット永遠の書・宇宙より遥かに深く」からの、賢者の言葉





みなさい。
世界は人間の無明によって、おぞましい喜劇と受難の場と化している。
誰もが自分本位に生きている。
それは、利己主義が自分の幸福にとって必要だ、と誤って考えているためだ。
他人の苦しみを犠牲にして幸福を追い求めることが、この世のすべての苦しみをつくり出しているのだ。
この瞬間にも世界のあちこちから響いてくる苦悩の叫びをすべてきくことができれば、あなたは決してそれに耐えることはできまい。
それほど悲痛な叫びなのだ。
友よ、あなたがこのようなことを知っていれば、何もせずにいられるだろうか?
症状を和らげるのではなく、原因に直接向かうことだ。
あなたの心を変えることだ。
心が変われば、あなたは自分の教えに生き、その生きた実例によって世界に影響を与えることだろう。


「あなたは幸せですか?」とわたしはたずねた。
これに答えている間、涙が彼の頬を伝い落ちた。
「いや、幸せではない。純人間的な観点からすれば、わたしのような人間は胸が張り裂けるほど孤独になることが多いものだ。わたしは人々を愛しているが、それでも彼らにしてあげられることがいかに小さいかがわかるのだ。深い悲しみがここにある。全世界が幸せになるまでわたしは幸せにはなれないのだ。その目標に達するまでには長い苦難が、限りなく長い苦難が前途に横たわっているのだよ」


人生は素晴らしい。人生は輝かしいものだ。

目まいを起こすほどの高みとおぞましい奈落の底との間を人は常に選べる。

何事も相対的であり、確定したものは何もない。

これを悟るなら、あなたは少年のような心で生きることができるだろう。

子どものような心を持って生きるときのみ、人は生きるに値するものとなるのだ。

そうすれば、多くの事柄を知っても優越感を感じなくなる。

わたしは、自分が例外的な人間だとは思ってはいないのだよ。

人類にただ仕えているにすぎないのだ。

わたしは生き、愛している。








賢者とは、悟りを開いた者とは、イエスとは、目覚めし者とは、きっと私たちのような苦しみを離れたがゆえに
私たちの苦しみを超え、安らかな心でいるのではないか、そう人は想像してしまうだろう。

しかし、それはまったくの思い違いであることが、わかっただろう。
彼らは私たちの苦しみを遥かに超えた悲しみと孤独の中に生きている。

彼らは、私たち生物のすべての苦しみを忘れる一瞬というものさえ持たない。
すべての苦しみを自分のものと同じものとして抱いて生きてゆく者、それが賢者であった。

涅槃の門を通りし時、人は他者への愛に生きる為に、耐え難き苦しみと孤独を己れのものとして生きる覚悟をするということである。

自分のことだけの苦しみに苦しめる間はまだ幸せだったと、その時気付くであろう。
欲望に甘え、それに苦しむこともなんて小さい苦しみか。

本物の闇の底へと自ら沈み生きる人とは、賢者であった。
その闇はしかし、溢れんばかりの愛に満ちていることが賢者の孤独を唯一慰めし
私たち未熟な者たちは彼らに愛されていることに気付き給え。

愛、殺戮、エゴ、虚無、それらをいっせいにおおわせ、包みこみ
あなたは導かれている。













me too.

約束

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サンシャインが降り続ける

ぼくらの頭上に

それはとても高いところで

手を伸ばすのは

ぼくらがそれに手を伸ばすのは

それはあたたかいから

あたたかみを手にすると

ぼくらはあたたまるから

太陽に誰もが手を伸ばす

光があたたかいから

それはとても大きな光だ

ぼくらはそれを失っては

それを失うことは

君は優しく葬られ花を手向けられる

君は失わないものを手にしている

温かい光が間近に迫り

凍える影の上に立つだろう

僕らは優しく抱きかかえられ

すべての約束を手向けられる





毛皮の為に殺され続ける動物たち 署名のお願い

http://vimeo.com/12884758">ペット、食肉、革製品、動物実験、娯楽産業、狩猟、人間たちはあらゆる動物たちを利用し、利益のために虐待、殺戮を繰り返しています。彼らは私たちの知らないところでどのように虐げられ、殺されているのか。真実を撮ったドキュメンタリー映画「アースリングス」をご覧いただけます。http://vimeo.com/12884758


毛皮取得のための国内動物飼育施設の閉鎖と禁止を求める署名をお願いします
(携帯からの方 http://www.no-fur.org/campaign/detail/banfurfarming.html)
↓クリックすると署名URLに飛びます。
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<犠牲になる動物達>

・犬
・猫
・キツネ(フォックス)
・タヌキ(ラクーンドッグ)
・ミンク
・アライグマ(ラクーン)
・ウサギ(ラビット)
・チンチラ
・他 野生動物


毛皮は、動物を繁殖させ殺して剥ぎ取ったものが75%で
残りは、野生動物を捕獲し殺害したものである。

賃金の安さ、生産方法の規制の緩さにより、1990年から
生産の中心は中国に移り、現在 日本で売られている毛皮の
多くが、中国産である。

中国などでは犬や猫の毛皮を大量に生産し、日本などに輸出している。
(日本は、動物種の表示がない。)

アジア圏だけでなく、欧米、スペイン、ノルウェー、
スエーデン、フィンランドでの繁殖は続いており、
近年その福祉の低さが露呈している。

2010年の調査でも、動物は飢えとストレスにより
共食いをし、怪我を負っても治療されず、死んだ動物も放置されている。


<殺害方法>

肛門と口に電極棒を差し込み乾電させる。

首の骨を手で折る。

水に頭を入れ、溺死させる。

棒で殴る。

尻尾をつかみ、地面にたたきつける。

首元を踏みつけで殺す。

ガスによる窒息、毒殺。

毛皮を剥ぎ取りやすいよう、手足、うさぎの場合は耳を動物が意識のある状態で切り取る。
また、毛皮を剥がす時には意識がある状態で剥ぎ取っているケースも多い。

2010年の調査では、生きたまま
毛皮をはがされている事実が確認されています。








マカロニアンか何か忘れたが、何年か前に12000円位するどえらい高い靴を買ってとてもお気に入りで大事に履いていたのを今日同じメーカーの靴を見て思い出した。
そういえば、これは革ではないのか、そう思って調べたら私が前に履いていた同じ色の靴のところに牛革と書いていた。
悲しかった。
地獄のように虐待された挙句それを越える地獄のような苦しみをもって殺された牛の皮でできた靴をわたしは嬉しそうに履いては喜んでいたのだ。
もう絶対履かないし、絶対そんな会社のもの何一つ買わない。
買う人間がいると、いつまで経っても彼らは殺され続ける。
安楽死のようなものはそこにはない。
中国だけに限ったことかはわからないが、生きたまま彼らは皮を剥がされて、血だらけの顔で狐のような動物は瞬きをしていた。(動物たちの写真、映像があります。http://www.no-fur.org/photomovie/)
そして死体はミンチにされ仲間たちの餌にされる。





もし、「自分で蒔いた種は自分で刈り取らねばならない」という言葉が、もうそのままそっくりそのままの形で刈り取らねばならなかったら、人は、生きたまま皮を剥ぎ取られる覚悟のある人間はいるだろうか、いないだろう。
自分が絶対されたくないことを自分でない者にはする、これは狂気以外の何ものでもない。
そしてそれらを諦めている人間、無関心でいる人間、ただの傍観者、それも狂気でしかない。
狂気、そこに人間の幸せはあると思うか。
ない。
そんなもの、そこには。

わたしたちは、すべての生命は、幸せになる為に生まれてくる。
他者の幸せを奪うことは、自分の幸せを奪っているということだ。
真剣に考えよう。
わたしたち人間は、どう生きるべきなのか。

血と涙

http://vimeo.com/12884758">ペット、食肉、革製品、動物実験、娯楽産業、狩猟、人間たちはあらゆる動物たちを利用し、利益のために虐待、殺戮を繰り返しています。彼らは私たちの知らないところでどのように虐げられ、殺されているのか。真実を撮ったドキュメンタリー映画「アースリングス」をご覧いただけます。http://vimeo.com/12884758


人って生き物がね、この世界に在るものの中に神を見る時

それは、どんな時だろうか

それは、どんなものだろう

マクドナルドで、君と待ち合わせしたんだ

君は美味しそうにハンバーガー喰うとったね

僕は、それを見ていた

僕は、それを見ていた

僕は、それを見ながら

たまらんかったばい

ってっゆうのを、まあ想像したりなんかして

最強な孤独がまだ僕の友だちだ

最高な幸福が実は僕の友だちだ

幸福は、束の間、あるものだから

持続することを求めはしない

現実は君の中にあるが、現実が君にもたらす深度は

そこに光を届かせるのは何の光かい

何が、その心底を見渡すだろう

自分の底面に反射したその光は幻か

幻が闇に消えゆくのは、それを幻は望むためだ

君は君の囲まれたい物たちに囲まれてる

君は君が縛られたい物たちに縛られてる

囲んだ井戸の底を覗いても囲まれた自分が映るだけさ

君は笑えるのかい

君は心の底から笑えるのかい

地上は拷問に荒れ狂う多くの血も涙もその場所にない

君は喜べるかい、何に?

君は心の底から喜べるのかい

君のその笑み、すげえ引き攣ってるぜ

君のその幸せ、不幸の匂いがするぜ

今のままの地上に、幸福が存在すると思うなら

それは幻だ、血も涙もない

なんてね、言うんだ

僕って、人間だ

君って、人間だな









食肉と飢餓

屠殺 食料飢餓 畜産業

http://vimeo.com/12884758" target="_blank">ペット、食肉、革製品、動物実験、娯楽産業、狩猟、人間たちはあらゆる動物たちを利用し、利益のために虐待、殺戮を繰り返しています。彼らは私たちの知らないところでどのように虐げられ、殺されているのか。真実を撮ったドキュメンタリー映画「アースリングス」をご覧いただけます。
 


畜 産 と 飢 餓
http://homepage3.nifty.com/kojirotoyuki/kiga1.htmこちらから全文抜粋させていただきました。


 (ピーター・シンガーの『動物の解放』 の中で,現代畜産と飢餓の問題について示唆的な内容が記されておりましたので,以下に一部を引用します。原著は1975年刊行のため少し前のものになりますが,基本的な趣旨は現代にも通じるものと言えるでしょう。)
    

 この瞬間に,世界の多くの地域で,何百万人もの人々が十分に食べ物を得られない状況におかれている。さらにまた何百万人もの人々が,量的には十分な食べ物を得られるが,適正な種類の食べ物を得ることができない。たいていの場合,彼らは十分な蛋白質が得られないのである。問題は豊かな国々で行われている方法による食料の生産が,飢餓の問題の解決に寄与するかどうかということである。

 あらゆる動物は,人間の食用に適すると考えれる大きさ及び体重になるまで成長するために,エサを食べなければならない。例えば,もし仔牛が牧草だけで生育できて,とうもろこしやその他の人間が食べられる穀物を植えることのできない荒れた草地で草を食べるならば,その結果は,人間にとっては蛋白質の正味の獲得であろう。なぜなら成長した仔牛は我々に,少なくとも経済的な形では草から抽出できない蛋白質を提供するからである。しかし,もし我々がその同じ仔牛を放牧するのをやめて,フィードロットやその他の監禁システムの中に入れたならば,事情は違ってくる。今度は仔牛にエサを与えなければならない。この仔牛やその仲間たちがどんなに小さなスペースにおしこまれようとも,とうもろこし,ソルガム(もろこし),大豆あるいは何であれ,仔牛が食べる作物を育てるために土地を使わなければならない。つまり,我々は人間の食物にもなりうるようなエサを,仔牛に食べさせていることになるのである。仔牛はこのエサの大部分を,生きていくうえでの通常の生理的プロセスのために必要とする。仔牛の運動がどんなに厳しく制限されていても,彼の体は生命を維持するためだけにも,食物を体内で燃焼させなければならない。エサはまた仔牛の体の中の食用とならない部分,例えば骨をつくるためにも使われる。これらの必要を満たされた後に残ったエサだけが,牛の肉に変えることができ,従って,人が食べるlことができるのである。

 エサに含まれる蛋白質のどれだけを仔牛が消費し,どれだけを人間が利用できるのであろうか?その答えは驚くべきものである。人間が食べる1ポンドの動物蛋白質を生産するために,21ポンドの蛋白質を仔牛に与える必要があるのだ。我々は投入したもののうち5%以下しか回収できないのである。

 我々はこの問題を別の方面から検討することもできる。我々が1エーカー(約4047㎡)の肥沃な土地をもっていると仮定してみよう。我々はこの土地を,えんどう豆やその他の豆類などの高蛋白の作物を栽培するために使うことができる。もしそうすれば,我々は1エーカーの土地から300ないし500ポンド(135.9~226.5kg)の蛋白質を得ることができるであろう。あるいはまたその1エーカーを使って飼料作物を栽培して家畜に食わせ,それを殺して肉を食べることもできる。その場合は結局1エーカーから40ないし45ポンド(18.1~20.4kg)の蛋白質しか得られないであろう。(中略)

 以上の事実が世界の食料生産にとって意味するところを知れば,人は呆然とするであろう。1974年の終わり頃,インドとバングラデシュに飢餓が拡がりつつあったときに,海外開発審議会のレスター・ブラウンが試算したところでは,もしアメリカ人が年間の肉の消費をわずか10%だけ減らすとしたら,少なくとも1200万トンの穀物を人間の食用として余分に放出できるであろうということである。この量は6000万人分の食事に相当するものであって,ゆうにインドとバングラデシュにおける飢餓を解消するに足るものである。実際,もしアメリカ人が,穀物で飼育した牛の肉を食べるのを全面的にやめたとしたら,そこで浮いてくる穀物の量は6億人のインド全人口を養うのに十分な量なのである。また別の人の試算によると,主として人間の食用にもなる資源から得られる2000万トンの蛋白質が,1968年だけで米国の家畜(乳牛を除く)に与えれているということである。これだけの量を与えられた家畜が生産する蛋白質は,わずか200万トンである。このプロセスで浪費された1800万トンの蛋白質は,世界の蛋白質の不足量の90%に相当する。もし我々がこの数字に他の先進国における同様な浪費の量を加算するとしたら,その量は全世界における蛋白質の不足分の総量を優に超えるであろう。

 蛋白質だけでなくあらゆる種類の食物を考慮して,アメリカ合衆国の前農務長官ドン・パールバーグは,米国における家畜の頭数を半分に減らすだけで,それによって得られる余分の食物のカロリーは,非社会主義発展途上国におけるカロリー不足の総計のほとんど4倍以上に達するであろうと述べた。これらの事実を合わせて考えるならば,我々は,先進諸国で肉の生産によって浪費される食物の量は,もし適正に配分されるならば,世界の飢えあるいは栄養不良にさらされている全人口の必要を満たすに十分なものであるということがわかる。(中略)穀物や豆類の需給が逼迫してインドやバングラデシュやサハラ砂漠以南のアフリカ諸国,あるいはその他の飢餓によくさらされる国々が買えないほど価格が高騰することがあるのは,ひとえに我々がこれらの貴重な食物を家畜に食わせたために供給量が少なくなったということによるのである。

 だから,アニマル・リべレーション(動物解放)の見地からベジタリアンになるべきだとする主張は,世界の食料問題をめぐる事実によって強力に支持される。人間のための配慮と他の動物のための配慮は,まさに同じ方向を指し示しているのである。
    
       
                 






肉は本来、人間の食料として必要不可欠なものではなく、なくても穀物、野菜、豆類、海草、果物などの植物をバランスよく摂っていたなら人は健康に生きることができる。
つまり肉は、酒や煙草のようにただの嗜好品として人々はそれを食べている。
本来人間には不必要なものの為に膨大な数の命は毎日奪い続けられている。
人間が食べる量以上の穀物を屠殺する日まで家畜に与え続け、そして日がきたら殺し、肉は消耗品となる。
食べて美味しいと感じるその快楽の時間は日に長く味わっても約ものの20分かそこらだろう。
命であったものはそのようにして一日の約20分の快楽の為に育て上げられ、殺され続けている。
貧しい国の人たちよりも先進国の飼われているペットの方が良い物を食べているのは薄々みな気付いていることと思うが、貧しい人が食べることのできない、餓死していく人たちに与えられない穀物を一日20分間の味覚を楽しむために育てられる家畜たちにやっているっつうことである。

動物チャリティー団体が一変、牛を貧しい国へ送ったが・・・

動物愛護をしていた団体が一変して寄付されたお金で動物を貧しい国へそのまま資源として贈ったが、動物を育て上げるのに人間以上の穀物、水が必要なのにそんなものはない、自分たちの食べるものがないというのに、どうしたらいいのかと困り果て、牛を返したくて仕方ないと言っている。
押し売り、というものがあるが、これは押し贈り、牛送り、みたいなことになっている。迷惑な贈り物である。
何故、それよりも穀物を贈れないのか?
yes、それは穀物よりも家畜の方が安いからである。
穀物などは高くて贈れないが、今家畜はあまるほどにいる、だから家畜を送る、喜んでいただけただろうか。
NO、必要なのは肉じゃない、胃に体に優しい植物を送るべきだ。
腐ってすぐに虫が湧く様な肉ではなくて、保存もできる穀物を。
穀物が、足りないんだ。
貧しくもない人たちが肉を喰うてるから。
餓死と殺戮の世界から、共存と調和の世界を有望し、一歩前へ踏み出す。
それは、誰がか。
それは、僕たちだ。

冒険の地

ペット、食肉、革製品、動物実験、娯楽産業、狩猟、人間たちはあらゆる動物たちを利用し、利益のために虐待、殺戮を繰り返しています。彼らは私たちの知らないところでどのように虐げられ、殺されているのか。真実を撮ったドキュメンタリー映画「アースリングス」是非、ご覧ください。


みちたは来世、人間になれるかな。

僕らは来世、家畜になりたいですか?

すべての人に問うことを、空が見下ろしているようだね。

空はだまって、見ている、僕らのことを、ずっと。

そこに時間は存在しないだろう。

僕らの知らない時間が流れている、川に細かな白砂が流れるように。

僕らはパーフェクトを目指している。

そこは、僕らのまだ知らない場所。

そこは、僕らがいた場所。

そう、忘れたものを取り戻しに行くんだ、これは永遠の冒険。

ずっと続くことを望むが為に、僕らがずっといることになった。

理解できない、今の僕らには、到底。

悲しみが、いつまで続くと思う?

この悲しみと、苦しみは、君は必要なのかい。

君を抱きしめることは、僕にできるかい。

僕に力があったなら、権力があったなら。

君の足は切断されない、君の胸元は切り裂かれない。

君が物のように扱われることがなかったのに。

僕に大きな権力があったなら。

もう仲間たちを食べなくてもいいように。

僕が全世界の独裁者であったなら。

君は、ただ鳩のように空を飛べばいい。

君は、ただ鳩のように空を飛べばいい。

君は、僕の空を飛び回る鳥、戻ってきたくなったなら

そのときは、戻っておいで。

牛肉、フォアグラはどのようにしてできるか 署名のお願い



こちらのページの方が見やすいのですが、同じものを貼り付けてわたしも二つ、載せたいと思います。
http://ameblo.jp/vegblog/theme-10009031309.html 
インドネシアの屠殺施設では、牛の尻を骨折させる、足のけんを切る、目をえぐり、ムチを打って、蹴飛ばすなどの残酷で無意味な行為が行われている。
オーストラリアから生きたまま牛をインドネシアへ輸送し、過去30年で輸出された動物は1億6千万頭。
このような輸送を止めるようオーストラリア政府へ要望する署名をお願い致します。 

署名をお願いします

↑ページに飛んだら、左枠からローマ字でフルネーム、Outside Australiaを選択すると空欄に変わるのでjapanと記入、メアド、セキュリティコード(右の青い部分のローマ字を入力する)、チェックボックス2つはずす、送信ボタン、ページ変わりThank youの文字が出たら完了です。



フォアグラに使用されるアヒルとガチョウは彼らにとって自然なことは全て奪われるので、フラストレーションとストレスに苦しみます。
鳥達は小さな小屋か個別のケージに詰め込まれ糞と血にまみれ、結果骨障害や呼吸障害によくなります。
日に何度も喉にパイプを押し込まれて最高2kgの穀物、とうもろこし、脂肪を強制給餌されます。
これは人間に換算するとおおよそ204kgのパスタと同等です。
パイプは時々鳥の喉に穴をあけ、耐えられない痛みで水を飲むことができません。
強制給餌に使うポンプは内臓破裂を引き起こします。
強制給餌から生き残った鳥達の肝臓は通常の10倍もふくれあがります。
数週間のこの拷問のあと屠殺され肝臓はフォアグラとして売られます。

署名をお願いします(Fortnum & Mason)
署名をお願いします(Gelson's Markets)

Fortnum & Mason と Gelson's Markets へ直ちにフォアグラの販売をやめるよう要望してください。
リンク先に飛んだらページ右下赤印のある空欄に、上からローマ字で、なまえ、みょうじ、メアド、チェックをはずす、送信ボタンを押して完了です。



http://ameblo.jp/vegblog/theme3-10009031309.html
まだまだ署名できるものがたくさん載ってあります。(次ページへとどんどん続きます。)
わたしも全部をちゃんと読んで、署名しようと思ったものにして行こうと思います。
この記事は署名だけを促しているものではありません。
現実に起きている残酷な行為を知っていただくための記事でもあります。
まだ、これらを見たことのない人は目を背けずにご覧になって頂きたく思います。
































アースリングス 世界は一つの輪 動物たちの悲鳴があなたにも聞こえますか

2006年にアメリカで劇場公開されたノンフィクションドキュメンタリー映画「アースリングス」の日本語字幕付きがご覧いただけます。(1時間35分)

映画「アースリングス」 http://vimeo.com/12884758

地球上で生きているのは人間だけではないのに、人間だけが支配をし、差別をしています。
今、動物たちに対し人間が行っている現実を知ることができる映画です。
ペット、食べ物、衣服、娯楽産業、動物実験とパートにわかれており、それぞれ細かい紹介があります。是非、ご覧ください。




「アースリングス」をわたしは今日観ました。
人間が毎日行っている動物たちへの虐待、殺戮がどのようなものか、それを知ることができました。
ほとんどの人たちが知らない現実だと思います。
是非、ご覧になって頂きたい。

これらを知らないで、肉や魚を食べる、革、毛皮製品を買う、サーカスを見る、動物実験をする会社の化粧品を買う、無意味な動物実験を繰り返す会社の薬物を買う、それは一体どういうことでしょうか?
何も知らずに、それらを行って暮らすことは喜びでしょうか?それとも悲しいことですか?

現実を知らずに、肉を美味しいと言って食べ、毛皮はあったかいと言って着、革製品でおしゃれをしたり、動物を調教したサーカスはすごいなと感激したり、残酷な動物実験をし続ける会社のシャンプーで頭を洗ってすっきりする。
そんな生き方は幸福でしょうか?
それとも不幸でしょうか?

このような悲劇は、いったいいつまで続くのでしょうか?
この世界の平和とは、いったいどんなものですか?
それは人間だけが幸せに生きる世界でしょうか。
それとも、すべての生命が幸せに生きる世界でしょうか?

生命たちの本当の幸せとは、どのようなものでしょう。
それは、強い生き物が弱い生き物を殺し、食べることでしょうか。
強い生き物が弱い生き物を自分たちの利益のために利用し、虐待することでしょうか。
生命たちは皆、どのように生きたいと願っているのでしょうか?

平和を望むとき、人はどのように生きるべきでしょうか。
わたしたちには、何ができるのでしょうか。
あなたが本当の笑顔になるために、あなたは何をすべきでしょうか。
苦しみ続ける彼らを救うために、わたしたちは何をすべきなのでしょう。

どのように、あなたは生きたいですか?

どのような世界を望みますか?