電子幻想

俺のことをみんな好きなのはわかるが俺に嫌味をゆうのはやめてくれ。
難聴悪化してきたというのにエイフェックス・ツインを大音量で聴きながら酒をくっと浴びたくなってきたやんけやんけ顕野。
お前の脳みそはぱっぱらぱーだよどうせどうせ背宇土。
せっかく酒をやめて不整脈がなくなってきたとおもてるのにおまえのせいで俺はまた堕落な生活を送る羽目になるのかのかのか過野。
お前の顔を信託してやろうか?吸血貴族に財産を取られただと?知るかっ。チガイ機を運転中に交通したものの自己に見返られたのは知ってるさ。でもお前のギアは死んでるぜ。まあ現生級の重鎮の時期を通り越してまいたけが謝りに来たらしいな、昨日、で、どうやった?どうやったん?
え?ユリカモメの屍骸を研究してる?自由の塔の78階で?あ、そう、お前も結構、やるよな。いちじくのシュルレアリス無、人体模型の海抜、やろ。
僕は最近といえばオランダの有機飛行に興味があってね、実態即発のムニエルに乗り出そうと思ってるんだ。何が起きるかはわからないけど全身立体だけは守るサイドアナルドンキーマジックって会社が保障するって言うからさあ、安心かなっ、て。思ってる、る。よ?
失敬な、俺はしらふだ、白い麩。好きだなあ、おれ、やっぱり白麩が一番超直的で海に近いんだ、だから怖いものはない。
ドルマももう死んだって聞いたし在官の身内だけの葬式がナルシスティックやったらしね。俺それ聞いたとき、もうちょっと死んどきゃよかったって思ってんけどね、道徳を知る横浜音頭が流れてきたから助けられたって、え?ああ、前ゆうたか。
免罪麩もまあ好きだけどあれは海より山に近いかと。知らんけどね。理由はない。ただ、感じるだけだね。お尻みたいに生きれたらなって、でもそれ考えると涙が出るから俺考えないようにしてるのね、うん、わかってくれて嬉しいわ。
噂のジャンクソルジャーたちのルーシーもゆってたけどなめたけの流通を抑えるにはイルージョンソルトってゆうイルカのジョンの脇びれの脇のところに付いた糞みたいなソルトをそのイルカのジョンの下の第四乳歯の先に摺りこむしかないんだって。俺はやろうと思ってる。やるしかないって思ってる、もう。原形に近いし、もう。ガラパゴスのジャリサンより先にせんとな、アムステルダムまいたけの雲海が魔界に入ってしまうから。
やらされてることもしらずに魔界活動は活発に河童を道連れにもう始まったようだ。
くじけてる場合ではない、新奇全命陽熟自火を絶やしてはならずぞ!ええか!
俺を輝かせるすべての火よ、俺を決して赦さない儀龍の陽よ、まばゆい白波に戯れる灯よ。
永遠が逃げていく。
俺の方に。

この世界

屠殺 地獄 死ぬまで地獄

俺は別に誰かのために傷つこうと思って傷ついてるわけじゃないよ。
傷つこうと思って傷ついてるんじゃなく、ただたんに苦しんでる誰かを見て自分は苦しいだけだよ。
俺が苦しいのも誰かが苦しいのも俺は別に好きじゃないから、そんな自分に酔ってるとは僕は思わないな。
酔うってのは気持ちいことだと僕は思うし、俺は精神的な苦しみには人は酔うことができると思うが、俺の言う地獄って結構肉体的な苦痛に最近寄ってるんだよね。
他者の肉体的苦痛を思って苦しいのは精神的苦痛でもあるけど同時に肉体的苦痛でもある。
俺は毎日自分の特になんでかわからないが足首が切断される苦痛に苦しめられる、のは屠殺場の映像を見てからなんだけどね。または自分の体が生きたまま機械でミンチにされていくイメージをしてしまう。
君は自分の足首が毎日切断されるイメージの中でその苦しみに酔えるか一度試してみてほしい。
俺は無理だな。毎日のことだけど。
鋭利な刃物で一気に自分の足首が切断されて切り落とされるところをいつも想像しながら足首を風呂で洗いながら酔えるなら君は変態だが、俺はそこまで変態じゃないみたいだ。
俺はただこの世界が公平でないと気がすまないんだよ。
だからすべての存在が同じ苦しみを経験して、同じ喜びを経験するような世界だと信じたいと思ってる。
つまりそれは恐ろしいことこの上ないが、君が肉を食う人であれ、食わない人であれ、牛や豚や鶏たちの苦痛を君自身がいつか経験するという世界ってことだよ。
想像しただけで縮み上がらないか。
でも実際この世界はどういう世界か誰も知らないんだ。
知らない以上、そういう世界かもしれないってことなんだ。
すべてが公平な世界とはそういう世界じゃないかと僕は思ったんだ。
誰かが誰より苦しんでるのは不公平だ。
誰かが誰かより喜んでるのは不公平だ。
いつか必ず誰もが同じ苦しみと喜びを知るならそれは公平だ。
俺はどうしてもみんなが幸せになってほしい。
不公平の中に幸せがあると感じられない。
あの子は僕より苦しんでるけど、僕ら全員幸せなんてありえない。
みんな同じ苦しみを経験するしかないんじゃないのか。
そう思ったら、もう酔うとかの次元ではなくなってくる。
死ぬまで地獄なんだ、みんなが幸福になるために。
僕はおかしいことを言ってると思う?
だとしたら君はこの世界はどうあればいいのか僕に教えてほしい。

霞のマナ

今日はこんなにくすんだマナが降り積もっているね。
天も地上も白い灰のように。
僕はこんな世界が好きだ。
誰もが地獄の苦しみを知らなくちゃいけない。
僕はこんな世界が好きだ。
あまりに公平すぎる、誰かの地獄はいつかの自分の地獄だ。
同じ世界に僕らは暮らしてる。
愛してる苦しみの終わらないこの世界を。
永遠に苦しみ悲しみの終わらない世界を。
僕たちの悲しみが終わらないこの世界は。
僕たちの喜びがずっと終わらない世界だよ。
なんて苦しい世界なんだろう。
天が与えた僕らの食べ物は白い灰に似ていた。
霞のように消えてゆきそうな灰のよう。
すべてを救いすべてを苦しめる。
美しい悲しみの喜びに降り積もって。
降り積もってゆく美しい恐れの願い。
今にも消えてしまいそうなこの世界に。
消えてしまいそうな時間がどこまでも続いてゆく。
いつも彼らは、泣いていた。

不幸せな恋

片想いほど幸せな恋はないかもしれない。
ぼくはそう思うんだ。
でも彼女はぼくに恋をしてしまった。
不幸せな恋を。
彼女はぼくを不幸せにした。
そのために彼女はぼくに恋をした。
死体、喰った。
彼女がぼくを嫌になるために。
彼女はぼくに恋していた。まだ。
人、殺した。
彼女がぼくを嫌になるために。
彼女はぼくに恋していた。まだ。
他の女と寝た。
彼女がぼくを嫌になるために。
彼女はぼくに恋していた。まだ。
糞を食わせた。
彼女がぼくを嫌になるために。
彼女はぼくに恋していた。まだ。
きみがぼくを嫌にならないなら人差し指を切断します。そういって。
指を切断した。
彼女がぼくを嫌になるために。
彼女はぼくに恋していた。まだ。
シネ。そういって。彼女の。
腹を刺した。
彼女がぼくを嫌になるために。
彼女はぼくに恋していた。まだ。
きみがぼくを好きだから。そういって。ぼくは。
死んだ。
彼女がぼくを忘れるために。
彼女はぼくに恋していた。まだ。
どこにも存在しない彼女。
ぼくの望んだ恋。

糞ఐ神

生きていけるならば、首を切断されても構わない。
それはあるか?
なぜ必要なものが必要なものとしてあるんだろう。
なぜ在るべきものとして在るべきなんだと思ってるんだろう。
なくていいものはないのかもしれないのに。
無意味なものはないと確立されたら、世界は意味を持つか、意味を失くすか。
きっとそれが怖いんだ。
きっとそれが恐いんだ。
無意味なものはないと信じたなら世界は意味を持つものじゃなく意味を無くすかもしれないってどこかで感じてるんだ。
操作されていることも恐ければ操作されていないことも怖い。
2分後に記憶を無くす世界、耐えれるか?
俺は今日トイレで糞しながらディックのヴァリスを読んでてそのコイネの新約聖書でスペースないみたいな面白い箇所があったからそれをチャット部屋で紹介しようと思って糞し終わって手を洗ってパソコンに向かった瞬間俺はネット通販で好みのチュニックを探し出した。
誰に操作されてんだ?俺は、糞ఐ神か、それかチュニックの神か。
痛々しい魂だ。
でも崇高な存在に操作されているとしたら喜ばしいし、そうでないなら、悩ましい。
でも、もし、俺だけの神なら、それがそして、糞ఐ神なら、俺は喜ばしい他はない。
じゃあこうしよう。
生きていけるならば、首が切断されてそこに糞が頭の代わりに乗っかってれば構わない。
それはあるか?
これを見ても、糞が頭よりその存在的に落ちる存在であることを容易に解るであろう。
しかし俺の神は、無意味なものをこの宇宙から、排除したがってるみたいだ。
俺の神が言うには、無意味なものはないというのは同時にすべてが平等の価値を伴っていると言う意味だって言う。
ありえないだろう?
俺が糞を愛した瞬間、糞ఐ神は俺に乗り移った。
確かにしかし、在り得ないことが起きてしまう世界なんだろう。
人間の理解をはるかに超える宇宙真理とはそういうことだ。
人間の頭と糞は同じ価値に等しいとする神の応えに、どうぼくらが歯向かえるんだい?
と、いうことはだよ?
俺たち、みんな、自分の頭と同等の価値に匹敵する糞に対し物以下の対応をとっている。
俺は罪悪感に日々打ちのめされアルコールなしでは生きて行かれなくなった。
糞を愛したというのは、比喩だ。
断じて、比喩だ。
それを神は理解できなかったようだ。
俺は確かに愛したかった。
愛すると言うことは、自分と同等の価値か、それ以上の価値を相手に置くと言うことだ。
だからこれは俺の望んでいた、神。
ではもう一度、最初の文言に戻ろう。
必要でないものがあるのなら、それが存在していることとは、無意味なことか?
意味はあるが、必要ではない?それは、どうゆうことだい?
じゃあこう言おう。
ここに一体、首のない俺の死体が寝かされている。
八月の雨に打たれて。
もう死んでいるわけだけど、首のない俺の死体がそこにあるということは必要なものが必要なものとしてそこに在る、ってことなのか。
それとも生きていると同様に、首を切断されても構わないわけではないので、死体であっても首がないことによるその必要性を見出せないと言うことか。
もしそうだとしたら、死体でさえも在るべきものとして在るってことになる。
それは誰が思うか?
それは俺自身か、俺を知る人か。
俺は自分の首のない死体を想像してみて、やはり首はあったほうがいいのではないかと感じた。
それは死んでからも頭は必要なものとしてそこに在るべきであって、それは頭のない死体として、そこに在るべきかどうかと言う価値までを自分の中に持つことが出来ない自分の価値観の卑小さを表しているだろう。
もう一度だけ言う、俺は す べ て を愛したいと言った。
何故、頭のない我が死体を愛せないのか。
頭のない死体を愛するとは、頭のある死体と同等かもしくはそれ以上の価値を置くということである。
それが、糞ఐ神が俺に提示した問題であった。
糞ఐ神には糞よりも頭のほうが価値が重いと言う考えを持たない。
同時に、頭の在る死体よりも頭の無い死体のほうが価値が大きいと言う考えもそこにない。
糞ఐ神は、矛盾の糞塊であった。
そしてその糞塊とは、我々が存在しているこの宇宙そのものであった。
だから暗かったし、その腐敗臭の漂う地上であることは致し方なかったわけである。
だから雨なんかは糞ఐ神の尿でそれが酸がきつく酸性雨となってしまうということを俺が言いたいのではなく、何故、糞が神であるのかを俺は数年考えたあげく、糞ఐ神が俺に降りてきたのは、やはり糞と人の価値の違いがあるというよりは、ない、という考えが勝ったことにあった。
では、またもやここで冒頭に戻らせてもらおう。
すべての事物に同等の価値を置いた場合、すべての価値は消え去るのではないかと言う湧き起こる憂慮である。
すべての事物の価値が消滅したなら、愛も減った暮れもない、というこの言葉は愛と減った暮れという二つのものに差が生じているといっているのであって、ではなにゆえに愛も減った暮れもその価値に差がないのなら全部を愛したいと俺は思ったかと言うことになって脳みそがジュクジュクになって雲丹ఐ様な色になったやつが耳からこぼれてきそうな感覚を覚え鍛高譚をたんたかたーーーーーん!!!と思い切り叫んでストレートで瓶毎一揆飲みしてとろろと長芋ってアボカドだよな、という言葉を秒速75回口ずさんでそれでもまだダメだったのでツムラって言語見てるとムラムラしてくるからやめてくれとツムラ本社に電話して、来年からはツモラにするべきだと宣言して人体の海草と言ってから糞ఐ神とまた交信したよ。
コウン。

三十三

今日で俺、三十三歳になってんけど、まあだからなんなんだって話だけども、なんていうのか、まあ三十三歳ゆうたら、節目の年ですやん、適当ですけどまあ人間の寿命は百歳みたいなことにしておけばいいと僕は思ってるので、それでいうと百歳を三分割すると、三十三歳ということでいいんじゃないかと僕は思うので、だから僕は一生の三分の一を生きたということでして、まあそんなことはどうでもええんやけど、傘寿(さんじゅ)というと八十歳のことらしいけども、傘寿山(さんじゅさん)ではなく、三十山(さんじゅさん)の頂上に俺は登りつめたんやけど、そこから世界を見渡してみて、俺は、その地獄絵図を見渡して、俺は生きながら、自分の手足が切断されているのを見た、自分の喉が切り裂かれているのを観た、自分の睾丸を抜き取られて引き千切られているのを見た、自分の首をひねられて殺されているのを見た、自分の身体が生きながらミンチにされているのを見た、自分の首を切って逆さに吊り上げられているのを見た、自分の皮を意識が在る中で剥がされているのを見た、自分が毒ガスで20分かけて徐々に窒息していくのを見た、自分が拘束されてあらゆる地獄のような痛みの中で実験台にされているのを見た、自分が糞尿と抗生物質漬けの水の中で生まれてからずっと暮らしやがて水から揚げられて解体されているのを見た、狭い小屋の中でじっとして仲間が殺されていくのを眺めている自分の姿を俺は見ていた、三十山の天辺から観える景色は地獄以外の何ものでもなかった、星の数ほどの自分たちが毎日毎分毎秒耐え切れない苦痛の中殺されているこの世界、そしてそんな自分を見捨てて自分の欲望に負けて生きる世界の真上に俺、ぼーっと突っ立って、苦しい、っつって、自分が自分の欲望に勝てないから自分が苦しんでるのに、はやく自分が殺されない世界になってほしいって、俺は阿呆か、自分が殺すのをやめたら自分たちは殺されない、自分たちを苦しめて殺してるのは俺じゃないか、自分たちに違いないんだから、もう自分たちにしか見えないんだから、拷問されて、殺されているのを見て、苦しいなら、もうそれは自分でしかない、俺の肉体的な苦しみと痛みを俺自身が実際に痛みと苦しみを感じられないというだけだ、痛覚を失った身体の部分と同じだ、痛覚さえ戻るなら、俺も同じように激痛に呻くのだから、精神的な苦痛もまだ麻痺している、つまり三十三年生きた俺というのはあまりに俺の欠如した俺、俺の不足した俺、俺を実感できていない俺、俺の苦痛を俺自身が感じられていないという俺、なんという未熟な俺だろう、俺の感じられる俺と言うのはなんて薄っぺらい存在なのか、そうしてる間に俺が殺されてゆく、俺が殺されている、俺はいつまで殺すというのか、いつまで殺し続けるんだ、いったいいつまで俺は自分を殺し続けるんだ、自分を殺さなくても生きていける、俺はやっぱり、俺が苦しいのは嫌だ、と、三十三歳になった俺は、思った。

人間のいないところ

俺の口から下水道の匂いがした。
俺の体内は下水道なのではないか。
世界中の下水道が俺の体内に凝縮しているわけだ。
世界中の人々の排水が俺の体内に流れ込んでくる。
そのすべての排水を俺の体内で浄化し、そして綺麗な浄水にして日本海近郷の川に放尿するのだ。
そんなことも知らずに彼奴らは俺に毎日やんややんやとゆうてくる、おまえらの糞尿を俺が全体で受け止めてやっているのも知らずに。
おまえらのデイリー糞尿をいつも受け止めているのは便器ではない、下水道ではない、浄水場ではない、スカトロではない、国家ではない、赤軍派ではない、俺だ。
ううん、ううん、受け止めたい、自ら望んで俺はおまえらの糞尿全リットルを受け止めてやる、受け止めてやりたい、俺は糞尿を愛したいんだ、どんな糞便たちをも。
俺は悲しいんだよ、おまえらの糞尿が無慈悲に、愛されずに流されてゆくことが。
君は排泄物の声を聴いたことがあるか。
何故、彼らはなんとも思われずに日々殺されてゆくのだろう。
何故、彼らの声亡き断末魔が誰の耳にも届かないのだろう。
俺はあいつらが人工的な場所で作用で浄水されることに我慢ならないんだ。
あいつらはだって、それまで俺らの体内にいた奴らなんだぜ?
俺らのあたたかい腸の中でぬくぬくとまどろんで安心していたあいつらを突然冷たい便器に垂れ流し、冷たい水と一緒に流して、暗く、臭く、汚いところに追いやって、ぼくらこれからどうなるんだろう、っていうあいつらの絶望と不安をたった一瞬でも思い起こすことのない人間達の、その、無知さよ。
俺は悲しくて仕方ない、だから俺は決めたんだ、全部の糞尿を俺たった一人で引き受け止めてやる。
糞尿を馬鹿にするやつらがいたら、俺は許さない。
俺は今日からこいつらを育てるんだ、体内で。
そしてちょうどいい具合に成長して一人前の独り立ちできるくらいになったら浄水と化して綺麗な川に放尿してあげるんだ。
俺の体内が世界の下水道になっていることをみんなに黙っていたが、数年後のある日外で突然の猛烈な胃痛に襲われて病院に運ばれた俺は勝手に手術で腹を開かれ、そこで俺の腹の中には糞尿しか詰まっていないことを医者に見られてしまった。
腹の中だけではなく、医者は胸の中、手足の部分、脳髄、すべて調べた、そしてそのすべてに糞尿しか詰まっていないことが知られてしまった。
危険を察知した俺は真夜中に拘束具を無理矢理剥がし、病院を脱出した。
行く場所は、なかった。
とりあえず人のいない山奥へ逃げた。
身体中の包帯が剥がれて来て、そこから汗に混じった糞尿が垂れた。
糞尿を体中から垂らし、俺は走った。
人間のいないところ、それはつまり人間がもう二度と糞尿というものを思い出す日は来ないほど離れた場所。
腐敗物の似合う場所。
俺の一番似合う場所へ。