光るみなも白い空 | 2015年02月

セクシー

トライセラ和田×バイン田中が語る、ロックバンドの美学(後編)「音楽にはセクシーさがすごく大事」

この対談を数日前に読んで、確かに、と変に納得が行ってからと言うもの、セクシーについて、ぼんやりとずっと私は考えていた。
そして脳髄の中で数々のセクシーな曲を流して検証にあたったところ、ある一つのふんぞり返るような結果が出たので報告するとしよう。

まずは「俺の好きな曲って、ほぼセクシーやんけやんけやんけ」と驚愕したのだ。
そして、そのほぼすべての曲がセクシーかつ、悲しみのある曲だとわかったのであった。
私はもともと、悲しい、切ない曲が好きだ好きだ出す気?いいや抱き巣。
悲しみが深いほど、切なさが深いほど僕は好きだったのである。
そしてその曲たちは、悲しみが深いほど、切なさが深いほどセクシーであるという検証結果がまさか、出てしまった。
それに今まで気づかなかったオラは馬鹿さ。ま、いいさ。今気づいたからいいよ。
ではこれから、たくさんの、そのセクシーな音楽を張っていこうと思うから。
思うから。思ったっていいだろ?いや、実際張っていくんだよ。
聴きたい奴だけ聴けばええのじゃっ。

では、まず、おい、トライセラの和田唱、そんな大口言うのだからあんたさんの音楽はどれほどセクシーかい?
っつっことで、トライセラの曲から張るとしようかの。

TRICERATOPS - GOTHIC RING



98年の曲だ。『松任谷由実が「初めて聴いた時泣いちゃった」と言い、その縁で彼女のラジオ番組に和田が呼ばれ、松井秀喜と共にゲストとして出演した。』んだと。
って松井がなんの関係があんねん、って、まあいい、この曲を和田は当時22歳とかで作ったわけだが、どうだろう?
子栗鼠?と思わせしめるほど小動物系の草食男子系塩顔の22歳がこんなセクシーな切ない曲を作るとは、なかなかなものではないだろか。
ちなみにトライセラは僕が17歳の時ちょうど98年あたりに好きでよく聴いていた。
ベースの林の顔がぼーっと放心しきってるようなところとか兄にかなり似ていて、顔を観たらいつも二人で一緒に笑っていた。

ところで和田唱の曾祖父は「祖先はスコットランド貴族の家系であり、一族にはナポレオンの最初の皇后ジョゼフィーヌがいる。」とされる日本美術史家、法律家のヘンリイ・パイク・ブイというじいちゃんで、若いころはやっぱりブイブイいわせてたんかな?その血が8分の1混じると子孫はtop_photo.jpgこんな顔になるわけかあ、と思った。

なるほどなあ、というところで、では次にはバインちゃんの曲は、じゃあどう?セクシーなのか?
音量差には注意しよう。

GRAPEVINE-good bye my world



2003年の曲だ。激しくもセクシーではないか。
2002年にリーダーであるベースの西原誠が楽器を弾くミュージシャンを襲うジストニアという難病にかかり脱退したことからメンバーは解散も考えたようだ。
そのあとに出された曲は今までより悲しげで寂しさの漂う曲が多い。
この曲がセクシーなのは、やはり悲しみが入った曲だからだ。
少し聴いた後ぼーっとしてしまうほど余韻が後を引く曲となっている。
しかしいつまでもぼーっとしていると、先を書けないので、気持ちを入れ替えなくちゃだめなのか?
もう少しぼーっとしていたいかも。ではぼーっとしていよう。

ぼー・………………………………………………………………………………

したした、んじゃ次は「音楽はセクシーさがない駄目だ」と言いきっていた椎名林檎を張ろう。

Shiina Ringo x Saito Neko - ハツコイ娼女 pv


Shiina Ringo x Saito Neko - ハツコイ娼女 pv 投稿者 utadalove

椎名林檎が一番セクシーな時は僕は平成風俗を出した2007年の時だと思っている。
28歳の時に出したこの曲は他の曲のセクシーさとなんとなく何か違うような気はしないだろうか?
この曲はセクシーかつ神秘的で、そして深い悲しみが入った曲だと思う。
林檎がただ色っぽい歌い方をする歌手なら僕は決して好きになどなっていなかったろう。
林檎の曲はほとんどが、とても深い悲しみを隠している。だから好きなんだ。
でも東京事変のときの林檎が作曲じゃない曲は、なんだかただエロティックなだけでセクシーさに欠ける。
ポップミュージックとして良いのかもしれないが、ポップミュージックは軽くてもいいというわけじゃない。
軽いものが好きな人はそれでいいだろうが、僕は本物のポップとは重みの入ったポップだと感じる。
それならば深い悲しみの入った林檎の作曲の曲と軽いがエロティックな曲のどちらがよりポップかと思うと
やっぱり林檎が作曲した重さのある曲のほうがずっとポップで好きだ。
つまり、“セクシー”と“エロティック”はまったく別のものだと言うことになる。
ただエロティックに歌っても、深みがなければセクシーではない。
僕はセクシーなものが好きでも、エロティックなものには興味さえないのだから。
ここで誤解を生じそうだが、僕の言う“エロティック”と“エロス”もまた別のものだと感じてしまう。
“エロス”とは“タナトス”と対当するほどこの世界に重要なものとして存在している。
その最も重さを持つ“エロス”は“エロティック”ではなく“セクシー”なものなのだと僕は感じた。

じゃあ、次は何行こう、だんだんと深さを増していく音楽にしたいけど難しいな。
んじゃ、そこの君、うんそうだよ、君、キュートだね、君のために選んだこの曲を行ってみよう。
僕の好きなファックポニーっていうインストのエレクトロニカの曲だ。

Fuck Pony - Always Sunday



なかなかセクスイーだと思わないかい?好きなんだファックポニーたん。
でもこの曲だって何故セクスイーンだというかというと、やっぱり悲しいんだね。
悲しみを知らない大人なんて大人じゃないだろう?彼らは皆大人なのさ。
セクスイで悲しい音を奏でられるのは大人な証拠なんだ、というわけなんだ。
僕ももちろん?お・と・な、だからやはし、大人な音に惹かれるっちゅうわけさな。
悲しい悲しいよー!うオー悲しいぜー!ってのを前面に押し出してくるタイプはちょっと、なんだか、違う意味で悲しいよね…。
でもそんな人がこんなセクシンな音楽を作っちゃったら?もうあなたもメロメロなのね?そうでしょ?違うの?そうなんでしょ?
別にそれは音楽じゃなくったっていいんだよね。
そういや、さっきの林檎のPVの煙、妙にセクシーだったじゃなぁい?セクシーな自然物もぼかぁすきだなぁ。
セクシーなものはいろいろなところに隠れているようだ。
煙もそういえば、なんだか悲しげなものだよね。

次は、僕の大好きノルウェーのオイエたんで行こう。

Erlend Øye - The Talk



この曲はセクシーさの中に怒りや焦燥が強く出てるのだけれども
彼は何故怒りと焦燥を抱えてるのだろう?
怒りと焦燥はどこからやってくるのだろう?
僕が怒りと焦燥を持つ時、それは、悲しい時だ。
好きな人からスルーされた時や、好きな人から冷たくあしらわれた時に怒りや焦燥となってイライラとする。
それはいつも悲しくてやりきれないからだ。
この曲がとてもセクシーなのはただただムカついてるからじゃない、愛する人に愛されなくて悲しくてそこに激しい感情があるからだ。


どんどん行こう。次はドイツのヴィクセル・ガーランドにしよう。

Wechsel Garland - Walker



なんて大人な音楽なのだろう?
ただおしゃれな音楽はたくさんあるだろうけども、僕はただおしゃれな音楽は聴きたいと思わない。
おしゃれに共感なんてできないからね。
この曲は寂しいセクシーさがある曲だ。彼の深い孤独こそがセクシーさなんだ。
孤独には悲しみがいつも付き添っている。
でも彼はそれから逃げようとするのではなく、それを作品にしてるのは、孤独を良いものとしているからだろう。
寂しさをネガティブには捉えないからこんなに色っぽい曲が出来上がるんだ。
本当の大人とは悲しみが深く大切なものなんだと知っている人のことなんだろう。

では次はヴェルヴェットティーンを紹介しよう。

The Velvet Teen No Boi



ドラムを病気で失くし、新ドラムを受け入れて作ったまさに血と涙で作られたような渾身の作品からの一曲だ。
新ドラムは人力トランスとか生エイフェックスツインなんてamazonレビューで言われている通りそのリズムはまじでやヴぁい。
でも僕が好きなのはそこではなく、このアルバムはあまりに強い喪失感で作られたのが聴くとわかるアルバムだからだ。
メンバーを失くした喪失はどれくらい大きなものだったか音楽を聴けば伝わってくる。
そして3枚目のこのアルバムはヴェルヴェットティーンで一番のセクシーな作品だ。
どうして悲しいとセクシーになるんだろう?
これを今からちょっとずつ紐解いてゆく。
何故、人は悲しいのか?
それは、いろいろあるだろうけど、一番悲しいのは、そこには必ず相手がいるんじゃないだろうか?
このヴェルベットティーンは大切なメンバーが死んでしまったことがとても悲しいことだった。
相手を想う気持ちがそこにないなら、悲しくもなかったはずだ。
相手を想う気持ちが強いほど、人は悲しい。
そして悲しいほどにセクシーになる。
何故なんだろう?
悲しいほどセクシーになることに疑いを持ってる人は多くいるかもしれない。
そこにある感情は共感するだけの感情が自分の中にないとわからない。
音楽は共感で聴くものじゃないと言う人もいるだろうけど、僕はどうしても感情で聴いてしまう。
エイフェックスツインのようなどんなに感情が奥へ押し込められている曲でさえ、僕は感情で聴こうとしてしまう。
どんな聴き方をしても自由なのだから、こう聴かなくちゃだめだと言うルールはない。
でもそこにあるものすごく深くて素晴らしい感情を理解できないより、できるほうが喜びであるのは確かだと思う。

何故、音楽にはセクシーさが大事なんだろうか?
それは、深い感情だから。
何故、深い感情はセクシーなんだろうか?
それは、誰かを強く想う感情だから。
何故、誰かを強く想う感情はセクシーなんだろうか?
それは……

それじゃここで、僕のずっと愛してやまないアーティストを次は紹介しよう。
Grandmaだ。

Grandma - Kl



GrandmaはKhonnor(コナー)というアーティストの別名義だ。
86年生まれの彼は、今はもう28歳だけど、この曲を作ったのは2003年とかだから当時17歳ほどだ。
僕は何度聴いても本当に信じられない。
どうしてたった17歳ほどで、このような、これほどまでの強く誰かを想う感情が彼の中にあったのだろう?
彼の音楽は、恋人へ当てた曲かと思えば、歌詞を良く見てみるとママへ当てた歌詞だったりする。
彼はどうやら母親と離れて暮らしているようだ。
母親の手紙をとても嬉しそうに読んでいる映像があった。
僕は思う、彼は本当にママのことが大好きでたまらなくて、ママのことを愛する想いがこんなに悲しい曲を創りだすんだって。
そしてこの曲は同時にあまりにもセクシーだ。
たった17歳で、こんなにセクシーな曲を創れたのも、彼のママへの愛が深くてしょうがないからだろうって思うんだ。
もう言っちゃった。
何故、セクシーさが大事なんだろうか?
それは、セクシーは、愛で構成されてるからなんだ。
これは驚きだ、でもなんで今まで気づかなかったろう。
愛は何よりも、セクシーなんだ。
深い深い愛こそ、深く深くセクシーなんだ。

では今日のところはこれくらいにしといたる、じゃなくて、これくらいにしておいて(まだまだたくさんセクシーな音楽があるから第二弾も書きたいと思っている)
最後は今聴いて、腰が抜けて地べたにヘタンとなるのを必死にこらえてこれ打ってるほどの音楽を創ってくれたTelefon Tel Avivの曲で締めくくりたい。

Telefon Tel Aviv - At The Edge Of The World You Will Still Float



そいや、言い忘れた言葉があるけども、セクシーなものはどこまでも美しい。
愛だからね、なんせ。
なんて美しいのだろう。
なんて悲しいのだろう。
なんてセクシーなのだろう。
何べん聴いても、美しくすぎて悲しすぎて腰が抜けそうになる。
タコかイカみたいに床にへたばってふにゃんとなりそうになる。
2004年1月にリリースされたセカンドアルバム。ちょうど僕の父親が死んだ一ヶ月後あたりに発売されたアルバムだ。
2004年に僕はよく聴いていた。
とても救われた。
深い悲しみを救えるのは深い悲しみしかないということを知った。
だから僕はうんと深い悲しみを知りたい。知り続けていたい。
テレフォン・テル・アヴィヴの片割れチャールズ・クーパーは2009年1月21日に恋人との喧嘩のあと家を飛び出したまま連絡が取れなくなり、26日に発見されたときもうすでに息を引き取っていた。のちに22日には息を引き取っていたことがわかったので4日間も真冬の外のどこかで倒れていたんだと思うと、なんという悲しく孤独な死なのだろう。
31歳の生涯だった。
1月23日には3枚目のニュー・アルバム "Immolate Yourself" がリリースされ、ツアーも予定していた矢先のことだった。
その後7月にクーパーの死は自殺ではなく、睡眠薬とアルコールの併用による事故であると発表された。

どうして天才的な人はとても悲しい死を遂げるのだろうか。
自殺する気で危険な睡眠薬とアルコールの併用をしたとしたなら、と周りはそう思いたくない。
でもチャーリーの悲しみが深ければ深いほど彼は絶望に陥ったはずだ。
恋人と喧嘩しただけで、なんで死ぬかもしれないような行為をするのかと思う人もいるかもしれない。
でも僕はチャーリーの苦しみがものすごいわかる。
彼は僕と同じ恋愛依存が激しくて、恋愛にまさに命をかけて死んでしまった。
命をかけるほどに恋人を愛することのできる人だったから、こんなにも深い愛の音楽を創ることができたんだと思う。
深い悲しみこそが、深い愛を知っているのだから。

愛よ来たれ

私は本物の絶望者かもしれない。
何故なら、自分のこと何かしたいと真剣に思えないからです。
いい加減にしか思えない。求めることもできない。
結婚したいのは、今よりほんの少しでも楽に生きられるようになりたいからです。
今よりほんの少しでも良い生活状態で生活したいからです。
これはただの欲望で本能からなる欲求です。
私は自分のことがいい加減なので、人に対するのも同じくいい加減です。
ただただ親の無償の愛に飢え切った赤子と同じです。
相手が親の愛に劣るときには、赤子が大声で泣き叫ぶように、怒りと憎悪と悲しみは爆発して、コントロールが利かなくなります。
相手をこれでもかと言うほど責めさいなめます。
相手からすれば、なんでこんなことで、そんな怒るの?ということで、私は死にかけながら訴えるのです。
自分の苦しみがあまりに激しいために、相手の苦しみが自分と同じところに来たと感じられるまでは、反省ができません。
そんな関係が続くと、相手も徐々に精神をきたしてきます。
私は苦しみに耐えきれなくなり、わざと自分から振られるような行動に出ます。
相手がもう耐えきれない、となるまで追い詰めるのです。
いま33歳で、今まで5人と付き合いましたが、どれもこの理由で別れてきました。
私は恋人を求めていますが、恋人の中に親の愛情しか求めていないのです。
言うなら、性行為と恋愛感情を求める親のような存在を求めているのです。
親は何より子が大事です。
何より自分を優先してくれることだけを望んでいるということです。
そんな人間がこんなところで結婚相手を探している。
自嘲をぬぐえないがしかし私は、それでも求めることをやめられない。
何故なら苦しいからです。
息をしているだけで、毎日が苦しくてならないからです。
親の愛を求めることは子の本能であり生きるすべです。
このような人間でも生きて行かなくてはならないために、愛を求めるしかできないということです。
愛を求めるのは、ただ飢えているからです。
飢えとはそれがなければ苦しくてたまらないというものです。
苦しいと余裕がなくなります。
人にやさしくする、人を思いやる、明るく元気でいる、これらはできなくなります。
ただただお腹がすいて食べるものがなく、相手が持っているならそれを奪ってでも食べたいと願う、これが餓えです。
相手を悲しませてでも、愛してほしいと懇願し続ける。
自分が苦しめられている限り相手の非を許すことができない。
「何故愛してくれないのか」ということだけで相手を憎み続ける。
私が恋愛に命さえかけているのは、愛がないと生きられない存在だからです。
愛がなければ生きていても生ける屍のようだからです。
外に出て、光が私に当たっても、なんの喜びも感じられないからです。
それは愛ではないからです。
私の求める愛ではない。
私の求める愛とは、たったひとつの、親の愛なのです。
私の親はどこにいるのでしょう?
どんなことがあろうとも、私という子を手離さない親に代わる人はどこにいるというのでしょう。
生きていても、生きている心地がないのです。
季節がいくつも移り変わろうと、私はそこに何をも見ていないのです。
何度目が覚めても、時間が過ぎて行かないのです。



っつうことをイギー・ポップの「イディオット」聴きながら赤ワイン飲んで書いてる俺は嬉しい生き物だなあっ。
俺は自分を愛してる。
それで、いいじゃないか。
俺は俺を愛してる。
俺が死ぬとき、それは俺の愛により、死ぬ。
俺は待ってる。
俺は、愛だけを、待ってる。
愛だけを。






「僕たちは世界を変えることができない。でも、僕たちは世界を変えたい。」

「僕たちは世界を変えることができない。But, we wanna build a school in Cambodia.」


僕たちは世界を変えることができない。 [DVD]僕たちは世界を変えることができない。 [DVD]
(2012/03/09)
向井理、松坂桃李 他

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という映画を観た。
監督は深作欣二監督の息子「バトル・ロワイアルII 鎮魂歌」の深作健太監督だ。

実際にあった話を基にした映画だ。
「僕たちは探していた、ありきたりな毎日を変えてくれる何かを」
何かが足りない毎日の中、偶然目にした「あなたの150万円の寄付で、カンボジアに屋根のある小学校が建ちます」という海外支援のパンフレットを医大に通う2年生・コータこと田中甲太(向井理)が手にしたことから物語は始まってゆく。
頭の中で何かが弾けたコータは「カンボジアに小学校を建てよう!」と知り合い全員にメールを送信。
ところがコータのもとに集まったのはたったの3人。
いつもの仲間の芝山(柄本佑)と矢野(窪田正孝)、そして合コンで知り合った本田(松坂桃李)だった。
それでもコータは学生サークル“そらまめプロジェクト”を立ち上げ、チャリティーイベントを開催。
パーティを開催して収入を得たり、人集めのために慣れないナンパをしてみたり、地味にビラを配ったり。
カンボジアに小学校を建てるには実際に建設資金150万を自分たちで集めなければならない。

しかしその前に俺たちカンボジアを全く知らねえじゃんとなって4人の若者は学校で習った知識のほかは何もない状態で現地カンボジアへと向かう。
現地のガイド役ブティさんに案内され、そこで目にしたものとは、
想像を絶する言葉を失うほどの残酷な歴史と悲しい現実の数々。
4人はショックが抜けきらないまま無力感を抱えた状態で日本に帰国する。
日本へ帰ってきてから芝山が言う。
「本気であの国救えるとでも思ってんの?」
「アンコールワットでさ、小さい子供が1ドル値だってきたことあったろ、俺思わず渡しちゃったけどさ、たった1ドルであの子たちの未来変わんのかよ!」
無理だという芝山に「そうかもしれない」と弱音を吐く言い出しっぺのコータに矢野が言う。
「ねえコータ、俺たちのやりたかったことってなんなの?」



「ドキュメンタリータッチで撮りたい」という深作健太監督の意向で、カンボジアでの場面はほとんどがドキュメンタリーのようだった。
主人公のコータ演じる向井理はカンボジアでの撮影はあえて台本を読まず、またこの原作も読まないで感情が固定しないようにしたようだ。

最初にシェムリアップ州立病院へ向かい、エイズ病棟へ4人は案内される。
2005年時点では、カンボジアの15歳~49歳までのHIV感染者は2.6%、HIV総患者数は約17万人、40人に1人が感染していることになる。
そこでどんな撮影をするのかは何も知らされていない。
だからそこでのシーンはドキュメンタリーと同じだ。

次に向かったのはトゥール・スレン虐殺博物館
「ポル・ポト派が政権の座にあった3年8ヶ月の間、トゥール・スレンには2万人もの人々が送り込まれました。そのうち生きてここを出ることができたのはわずか7人。」

その次に訪れるのはキリング・フィールドです。
当時のカンボジアに300ヶ所あったとされる処刑場です。
ここでカンボジアの全人口の3人に1人、総人口800万人足らずのカンボジアで、200万人から300万人近くの人が虐殺されたと言われています。

朝の6時過ぎに映画を観終わってから、いろいろ調べて、今昼前の10時55分だ、つらい。
少し休憩を取りたいと思う。
みんなも真剣に読むほどつらいだろう、少し休憩を取ってでも読みたい人は一緒に読んでほしい。

カンボジアのロケでは長回しでスタートからカットまで4時間という撮影もあり、撮影時間はトータルで200時間にも及んだという。
キリングフィールドではどのようなことが行われていたのだろう。
【大量虐殺地、キリングフィールドへ】- カンボジア
ここに少し詳しく書かれているようだから今から読む。

映画にも出てきたキリングツリー、残酷さを比べることなどできないが、この木は世界で最も悲しい木であるように感じる。

この映画が私たちに投げかけるものとはいったいなんだろう?
それはひとつやふたつじゃない。

この映画は観終わって、いやあほんと良い映画だったな、すごく感動した。では到底終わらせられないものが詰まっている。
何故ならこのテーマはすべての人間にとって本当に大事なことだからだ。
人は、自分に出来ることと、自分のやりたいことがわかっていないと、何もできない。
やりたいこと、多くの人間に共通することだと思うそれは、“一緒に笑いあいたい”ってことじゃないか?
気づいてても気づいてなくても、それが人間の本当の喜びのように思う。
でもそれがわかってても、どうすれば一緒に笑顔になれるのか、そのやり方がわからなくて何もできない。
これをしたらってことがわかっても行動に移すには、本当にそれがやりたいことじゃないとできない。
だから、何か思いついて行動できるってことは、自分の本当にやりたいことと自分に出来ることが合わさった時だ。

みんながそれを探してるんだと思う。
探してるけど、なかなか見つけられないから、自暴自棄になったり、人に当たったりしてしまう。
そうは見つからないし、見つけられないからだ。

主人公のコータは弱い自分を責め続けながら、自分の喜びになることを素直に問い詰めた結果、ある信念を手にする。
誰かのために何かをする喜びというのは、きっと自分のために何かをする喜びよりも強い

強い。ほんとうに強いと私も言える。
自分だけのためにする喜びなんて自分だけ喜んで終わりじゃないか、または自分の家族や友人に喜んでる自分を見せることで終わりじゃないか。
言っとくけど、そんな喜びはほんとにすぐに過ぎ去って跡形も残らないぞ?
あとは過ぎ去った幸福を思い返して、あの頃は良かったな、なんて言うだけじゃないか。

この映画は、「おい!そんな喜びよりも強烈に絶対消え去ったりしない喜びがあるんだよ!」って僕らに向かって叫んでいる。
その叫びはわたし自身の叫びであり、わたしも実は同じ考えで生きているのだけれど
主人公は、その誰かの笑顔をすごく直接に求めてすぐに飛んでいけて、
私の場合は、すごっく湾曲して歪んでるように見えて酷いところを歩いてて人から見ると、おいお前後ろ向いて歩いてんぞって言われるくらいのわかりづらいやり方で、誤解を多く避けられない方法によって、誰かの笑顔を、すべての笑顔を求めて、飛ばずにものすごく違う歩き方をしている。
でも求めてるものはまったくの同じものだ。
それは誰かの笑顔であり、誰かの幸福。
そこには自分もいる。
誰かの笑顔が自分を笑顔に出来るし、誰かの幸福が自分を幸福にできるとわかってるからだ。
そして誰かの笑顔しか自分を笑顔に出来ないし、誰かの幸福しか自分を幸福にできないとわかってるからだ。
ただ僕は、今のところ僕のやり方に賛同者を見つけられていないだけだ…。
でも、現にこの映画だって、苦しいことから逃げて、自分の苦痛を避けて通っていたなら、「誰かのために何かをする喜びというのは、きっと自分のために何かをする喜びよりも強い」って考えには至ることはできなかったはずだ。
苦しいことを耐えて、他者の苦しみにしっかり向き合おうと思えたから、本物の喜びが何かに気づくことができた。
でもそれは、他者の幸福よりも自分の幸福を優先してたら、いつまで経っても気づけない。
自分の幸福と他者の幸福が別のものだって思ってるなら、幸福な自分から見た他者の苦しみはきっと邪魔になるだろう。
何故なら、他者の苦しみを見続けるってことは苦しくてたまらないことだからだ。
他者の不幸や苦痛を見続けていたら自分が幸福になれないと思って、避けてしまうだろうからだ。
多くの人は、まず、自分の幸福を追い求め、自分が幸福になった余裕で他者のことまで心が行き届くんだと信じている。
でも、まず、自分を幸福にするためには、他者の苦しみを見て見ぬふりしなければならないから、その幸福とは、他者と自分をまるで違う世界に立たせるかのようにしなくては、自分の幸福は実現することはできなくなってしまう。
それは、他者の涙を見えてはいるのに、決して拭かないということで、今は拭けないけど、ぼくが幸せになったら拭くからね、と言ってるのと同じで、なんだかおかしい。
今は君の涙は拭けないけど、未来にはきっと拭けるから、っていうのは、ただのつらいことの後回しと同じじゃないか。
でも本物の幸福はそんなところにはないんだ。
だって、本当に大事なこととは、今見えていることをしっかりと見るってことだから。
今見ることのできる誰かの涙を見なくちゃ、今泣いている誰かの涙を今拭くことができない。
それは実際拭けるかどうか、じゃなくて、今どこかで必ず流れている涙は、今の君しかその涙を今拭きたいと思うことができない。
今しかできないことがある。
それは自分と自分の周りだけが幸福になってからじゃ、もう遅い。
彼らはもうとっくに、死んでるかも知れない。
誰かの苦しみを見殺しにして手に入れた幸福が、幸福のはずはないよ。

じゃあどうすれば僕らは、やりたいことと、できることの合わさったその大切な何かを見つけだすことができるんだろうか?
既に幸福な誰かを幸福にしたいと思う人間はいない。
いつでもそう思う誰かは、今泣いている誰かだ。
泣いてるのは、苦しいからだ。
その苦しみに寄り添うには、寄り添い続けるには、共に苦しみを感じることがどうしても必要になってくる。
共に苦しみを感じて、その苦しみに一緒に耐えよう、と言えることが必要となってくる。
同じ苦しみに自らを置くこと、その同じ場所に立てば、きっと毎日泣いているだろう。
一緒に泣いているだろう。
毎日ずっと泣いても涙が枯れることのないくらいに、この世界には悲しみと苦しみがたくさんあって、減ってもくれないからだ。
増えて行ってる。
誰かの涙を拭きたいという気持ちを先延ばしにして得た幸福で、どんな喜びを感じることができるんだろう?
ほんとうにその幸福から得た余裕で、誰かの涙を拭くために、苦しみの地に一緒に立てるんだろうか?
今、なにもできないのは、自分が不幸で余裕がないからじゃない。
苦しみに目を背け続けているからじゃないか?
それは他者の苦しみだけじゃない、自分の苦しみにも目を背けている。
自分に訪れる苦しみを受け入れずに、幸せになることばかり夢見ている。
自分の苦しみは、無駄で、要らないものなのだろうか?
誰かの苦しみを見ることは自分の苦しみだ、その苦しみですら、今は、必要のないものなのだろうか?
今、必要なのは、遠い誰かの今の苦しみに目を向けることよりも、未来に幸福になった余裕で誰かを救えるために自分や自分の大切な誰かだけの幸福を追い求めることなのだろうか?
今しか拭けない涙があるのに。
今、寄り添うことができないなら、もうずっと寄り添うことのできない苦しみがどこかに必ずあるのに。
今しかできないことがあるのに、今やりたいことは未来に出来ることをやるために今やるっていうことだろう?
でも幸福になる前に死ぬかもわからないのに。
そしたらほんとに何もできない。
今できることに目をそむけたまま何もできずに死ぬのか?
いつ死ぬかわからないんだよ、いつ電車に乗っててテロに巻き込まれて死ぬかもわからない。
苦しいこと傷つくことを避けて通って自分と自分の大切な誰かだけの幸福を追及すると、今度はその幸福がない時には不安で苦痛でたまらなくなる。
自分と自分の大切な誰かだけの幸福を求めるってことは同時にその幸福がないことの苦痛と不安を求めてるのと同じってことだ。
多くの人は苦しみを求めてたくないと言いながら、苦しみを求めてしまってることに気づかない。
だから余裕がないんだ。
結局その余裕のなさは、どこから来てるのかと言えば、みんなが自分たちのことだけ考えてるからだ。
自分たちの幸福ばかり追い求めてるから余裕がないのに、他者のことまで考えられる余裕を作るために幸福にまずならないといけないって考えはやはりどう考えても僕はおかしいと思ってしまう。
余裕は、自分の苦しみを自分のためと、また誰かのためだと思って全部を受け入れることによって、苦しみを怖れない強さを持つことができるようになって、そこでようやく初めて他者の苦しみに寄り添おうとすることができる余裕ができてくるんだと僕は身を持って感じて来ている。
苦しみを怖れたら、ずっと苦しみに恐怖していかなくてはならない。
そこには他者の苦痛を自分に重ねる余裕など生まれはしない。
この苦しみは自分のためでもあるし、誰かの笑顔に繋がるために必要な苦しみなんだと信じるなら、もう苦しみを恐れなくてもいい。
どんな苦しみがあっても強く生きられる。
それこそが、誰かを救えるようになるために必要な余裕だ。
自分に訪れる様々な苦しみを受け入れることによってすぐに誰かを救う行動に移せるわけじゃない。
でも苦しみを怖れない、どんな苦しみもポジティブに受け入れようとする姿は、苦しんで生きている誰かを勇気づけることがもしかしたらできるかもしれない。
誰もが苦しみを怖れているのに、誰かは自ら苦しみの中突っ込んで行ってたら、最初は、おいあいつ何やってんだ、頭がかなりイカれてんじゃねえか、と言われることもあるだろうが、そうゆう生き方があるんだってことは見せつけることだってできる。
自ら苦しみを望む、それは自虐で自己憎悪の自己嫌悪と罪滅ぼしの贖罪の気持ちの表れだけじゃない。
誰かのためになりたい、誰かの本物の笑顔を見たいからだ。
僕がみんなに苦しんでほしいと言うのは、みんなが僕と同じ喜びを感じて生きて欲しいからだ。
少なくとも僕は、自分らだけの幸福を追い求めて生きている人よりも多くの喜びを感じているように自分で思う。
僕はそこには戻りたくない。
そこには喜びがないからだ。
本当の笑顔がないからだ。
子供たちはいいさ、ただただ純粋で無垢なんだから。
でも大人になったら、苦労を買ってでもしろっていうのは、こういうことなんだ。
お金を払ってでも自分の苦労を買いなさいよ、ね、それがあなたの幸福に繋がるのだし、誰かの幸福にも繋がるからよ。って意味があるんだ。
だから大人になったら、誰もが、自ら苦しみを追い求める生き方を選んでいく、僕はそう思っている。
僕はもう最近誰とも接してないけれど、孤独に自らなるという苦しみを選んでこの苦しみから何かを学ぼうとしている。
どんな苦しみも無駄にはならない。
ただ僕の苦しみには、自分たちだけの喜びを追い求めるところにはない喜びがある。
誰かの涙に自分の幸福を捨てることのできる喜びだってある。
全部喜びだ。
マスターベーションだって嘲笑われてもいい。
この喜びは、自分だけの喜びを捨て去った人にしかわからない。
自分が苦しくてもみんなの笑顔をいつも願うことができる人にしか、この喜びがすごいと言っても伝わらない。
僕はきっと死ぬまでこの存念を変えない。
僕が苦しみを望むのは、みんなの本当にいい笑顔を見たいからだ。
皆に苦しみを望むのは、みんなの本当にいい笑顔を望むことがみんなの本当の喜びだと信じてるからだ。
耐えきれない苦しみさえなくなれば、みんなで一緒に耐えて生きていける。
この世界から耐えきれない苦しみがなくなるように、みんなで一緒に今苦しみの中にいるすべての存在のために僕らができることとやりたいことが一致することを。
僕らすべてが本当の喜びに向かえることを。

僕は信じてる。
マジで信じてるんだ。





僕たちは世界を変えることができない。But, we wanna build a school in Cambodia. (小学館文庫)僕たちは世界を変えることができない。But, we wanna build a school in Cambodia. (小学館文庫)
(2011/07/06)
葉田 甲太

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これ原作の本、文庫版の収入は、カンボジアに建てた小学校の維持費や、発展途上国への寄付にあてられるそうだ。

最後に一つ、“行動がすべてだ”という考えは多くの人が持ってると思う。
しかし僕はそうは思っていない。
マザーテレサも言ったように
大切なのは、私たちがどれだけの行動をするのではなく、それをするのに、どれだけ愛を注いでいるかです。
ということだと僕も思うのです。

だから行動、行動と焦るのではなくて、僕らは愛を注げるように愛を求めたらいいのだと思う。
愛とは何だろう?
僕は一つだけ言える愛がある。
それは僕にとって一番の悲しみであり続ける。
私を生涯苦しみの底に居続けさせるだろう愛とは、私にとって父親です。
愛は決して喜びだけを与えるものじゃない。
愛を求めることとは、喜びと同時に苦しみを求めることだと私はわかった。
わたしたちがほんとうにやりたいことは。
わたしたちにできることは。

愛を求め、愛を注ぐこと。

だから私は願う、今苦しみのない者には愛と言う苦しみが与えられ、その苦しみから生まれた愛がすべての者の耐えがたい苦しみを和らげる日が来ることを。

生きるに値する価値

俺が間違っているとしてだよ?それで君は楽になるのかい?
俺が間違ってたなら君が楽になる、それはいったいなんだい?
俺は確かに働きたくはないよ、嫌なんだ、どうしても。
君のためだとしても、俺はどうしても働きたくない、やりたくないことをやりたくないんだ。
君だってほんとうにやりたくないならパートをやめればいい。
辞めて、俺を捨てたらいいんだ。
ずるいって君は言うけども、ずるいって、いったいなんだい?
俺が働くってことは、自分を曲げるってことなんだ。
自分を曲げて、君と一緒になるってことは、君と一緒にいるのは、もう今の俺じゃない。
曲がった俺だ。
君が一緒にいたい人間は今の俺じゃなく、曲がった俺なのかい?
もしそうゆうなら、君は今の俺を好きじゃあないってことだ。
働いてくれってことは、君の好きな俺になってくれということだ。
つまり、そこには、その未来には、今の俺はいない。
今の俺を殺すってことだ。
極端なんかじゃないさ、君はいつもそうやって、僕の言い分を理解しようとしないが
僕だって理解してないだって?
僕はしてるつもりではいるよ、でもしてるとは言わないよ。
でもこうやって話し合いをしてることは、理解を深めようとしてやってることじゃないか。
お酒を飲むなって言うけども、俺は酒がないと、駄目なんだっていつも言ってるだろう?
知ってるよ、君がパートでレジを何時間と打ったお金でこのお酒を買ってるよ。
俺は偉そうに言ってるつもりはないんだよ。
君の苦労をわかろうとは思ってる。
夜はスナックで酔った客相手に君のその引きつった笑いを浮かべてるのかと想うと俺だってつらいさ。
俺だって働きたいと思ったら働きたい。
好き好んで働いてないんだ。
俺は我慢すると駄目になるんだ。
俺は駄目になりたくないんだよ、だから働かないんだ。
君がいなかったらどうするかって?そんなことは考えないよ。
考えたくもない。
俺は君がいるからこうして、生きていられるんだ。
別に頼り切ってるわけじゃない。
甘えてるわけじゃないよ。
だから現に小説家を目指してやってるんじゃないか。
やりたいことはやってるじゃないか。
なんで俺をそんなに責めるんだ。
俺だって辛いんだよ。
日が暮れるまでは酒のあてがなくなっても外に出ることもできないし。
何故ってみんな俺を白い目で見るからさ。
ああみんな見てるよ、全員見ている、俺を心ん中で嘲笑ってるのさ。
だから俺も嘲笑ってやるんだ、嘲笑う理由がなくても、俺は嘲笑ってやるんだ。
そうしてると泣きたくなるんだ。
俺が生きて行く場所なんてないんだよ。
君は俺に縛られてると言うけども、俺だって君に縛られてるんだよ。
君がいなくなる世界なんて想像もできない、ってこれはつまり。
君がいない世界にしか俺が生きられないってことじゃないか。
おかしいじゃないか、君と出会うまでは俺は生きてなかったのかい?
生きてはいたよ、でも、いわゆる生き甲斐がなかったということだろう。
辞書には「 生きるに値するもの。生きていくはりあいや喜び。」
「生きるに値するだけの価値。生きていることの喜びや幸福感。」とある。
なるほどな、君はそうゆうことなのか。
そうゆうことなんだよ、君、わかったかい?
俺にとっての君とは、生きるに値する価値であり、生きる喜びであり、生きる幸福感なんだ。
それは君が俺のために働いてくれて俺を食わしてくれるからじゃない。
飲んだ暮れて炬燵で寝ている俺を布団まで引っ張ってって布団をかけてくれるからじゃない。
君という存在とは俺にとって、そんなごちゃごちゃした付随物から構成された存在物じゃない。
君と言う存在は別に俺に何をしてくれなくとも、俺にとっちゃ生きるに値する価値であり生きる喜びと幸福感なんだ。
俺はだから君のそばにいる。
それだけじゃないか。ほかに何の理由も在りはしないよ。
君だって、そうじゃないのか?
そうじゃなかったらこんな厄介で君を苦しめ怒らせてばかりいる僕を君は今すぐにでも放りだすことができるはずだ。
俺はそう思ってたんだ。
だからやりたい放題やってたわけじゃないよ。
だからこそ、俺は俺を曲げたくなかったんだ。
今の俺じゃなくなるのは嫌だったんだ。
人間は変わるさ。そうだよ君の言うとおり、人間は変化して行かざるを得ない生き物だ。
君だって変ってゆくんだ。
俺だって変ってゆくよ。
でも俺は一つだけ言っておく。
やりたくないことをやる覚悟より、やりたいことをやる覚悟のほうが大きいんだ。
つまり、やりたいことをやり続けて、いつか俺は君を失うとしても、俺はやりたいことをやり続けるしかないからなんだ。
俺は君を失う覚悟で、やってるんだ。
それは、俺の生きるに値する価値と、生きる喜びと生きる幸福感を失う覚悟でやってるってことなんだ。
君だってそうさ。君だってその覚悟の上に生きてると俺は思ってるよ。
では人間はどこへ、俺たちはどこへ向かうんだろう?
俺はわからない。
何故、そこまでして、やりたいことをやらなくちゃならないんだろうか。
それは俺がやりたいからだ。
俺は君を失いたくなかったんだ。
君だってそうだろう?
でも、限界が来てしまった、っていうなら、そりゃ、しょうがないよなあ。
やりたいことをやればいいんだ。
君も、俺も。
俺は後悔しない。
いや、後悔してもいい。
それが、俺の決めた人生なんだ。
君も、自分が決めた人生を生きろ。

それじゃあ、去年の6,7,8,9,10,11,12、今年の1,2月の月日を俺と一緒に過ごしてくれて、ありがとう。
元気で、やりたいことをやるんだよ。
さよなら。

平和

テロにユーモアで対抗? 『Twitter』で「#ISISクソコラグランプリ」が盛り上がる

このページの一番上の写真を見てみて欲しい。
これはユーモアでもブラックユーモアでもない。
この合成写真は俺はすごい写真だと思う。
いわゆる敵と味方が入れ替わるということだ。
敵と味方が入れ替わるとはどういうことだろうか?
想像してみよう。
イスラム国の人たちはなぜあのような残虐極まりない行為を繰り返しているのか?
それはかつてアメリカやイスラエルや他国からの攻撃で家族や親しい人を殺されたことの報復で行っている人が多いことは確かではないか。
彼らにとっての敵はまさしくその敵国イスラエルやアメリカに支援した日本国民である我々だ。
そして自国民を残虐な形で殺された日本国民の敵はイスラム国の人たちだとして、報復を行おうとしている。
しかし組織的な報復はいつでも、関係のない人たちまで巻き込む。
また関係のあった人が報復されたとしても、元の原因は相手にあったと思うことで関係にあった人の遺族たちが今度は報復に出る、それが繰り返されている。

日本国民が武器を手にして、イスラム国の人を人質に取っているあの写真は
日本がやろうとしている事の未来を映している写真ではないか?
イスラム国の人を敵として、殺そうとしている。
今度は殺すほうは日本国民で、殺されるほうはイスラム国民だ。

私たちの悲しみと怒りとはまさに、彼らの怒りと悲しみと同じなのである。
すべてが同じと言うことではなく、悲しみの在り方と怒りの在り方が同じなのである。

国民を残虐な方法で殺されるということは、遠い親族を殺される苦しみに近いだろう。
イスラム国民には実際に家族を他国に殺された人たちが多数いる。

殺さなければ、殺される。
だから殺すという方法を互いに取ろうとしているわけだ。

しかし、殺すから、殺される。ということを殺すほうは、わかってやっているのだろうか?
殺さなければ、確かに殺されるかもしれない。
殺され続け、服従するしか生きることはできなくなるかもしれない。
そうだ、たがいに、生きるために相手を殺す選択をしているということだ。
そして相手を殺して、また殺されるということを繰り返している。
いったいそれのどちらを正義と言うのだろう?
どちらも同じことをしているだけだ。

だから殺すということは、殺される覚悟で、殺すということだ。
報復に対する報復に報復で応え、その報復に覚悟の上で報復に出るということだ。

もし、ほんとうに、この残虐な殺し合いにピリオドを打ちたいと、そう真剣に思うなら。
我々は、自ら望み、殺されることを覚悟して殺すことをやめない限り、殺し合いは終わらない。

自ら殺されることを選択する犠牲で、殺し合いを止めようとする方法だ。
それは一人ひとりが選択することだ。

この殺し合いは、自己犠牲によってでしか、止めることはできないということだ。
争いを終わりにしようとするには、多くの自己犠牲によってでしか、終わらせられないということだ。

もしそれができないというなら、我々は戦争を終わらせることなどできないであろう。
よって自己犠牲心のない者が、平和を語るならば、それは空疎でしかなくなる。

心から平和を望むならば、自己犠牲心が必要となる。
自己犠牲は苦しみなくして行えないものだ。
人々が、他者を救うために、自ら苦しみを望むこと、それが自己犠牲だ。

苦しみの野に、自ら降り立つこと。
それが自己犠牲だ。

それはどのような苦しみでもいいと私は思う。
本人が他者のために望む苦しみであるのなら。

自分の幸福を追うよりも他者の幸福のために自分の苦痛を望むこと、それが自己犠牲だからだ。

本当に他者の幸福を望むのなら、我々は自ら地獄を望む。

殺すことよりも、殺されるほうを望む。

それができないなら、平和を本気では望んでいないということだ。
他者より自分を優先しているということだ。

イスラム国の人の顔は我々日本国民の顔をしている。

約束

赦すってのは究極の慈愛だし、たとえ表面的に赦すと言ったとしても、本当にできてないとまた結局いつかその憎悪が湧きだしてくるんですよ
[2:30:40] 石川啄木 : うん
[2:33:32] kozue ueda: 教訓として知っておくほうがいいと思うから言うんですが、いつも説得力がないよとか馬鹿にされます
[2:33:44] 石川啄木 : うん
[2:34:41] kozue ueda: イエスはこう言っていた、ぼくらもこう生きるべきじゃないか、そう言うと説得力無いよって言われるのっておかしい気がするんですけどね
[2:35:16] 石川啄木 : あなたがキリストにおいているほどの価値を、他人はおいていないから
[2:35:27] 石川啄木 : じゃないですか
[2:35:45] kozue ueda: いや、他のことでもいつもそう
[2:35:56] 石川啄木 : だいたい誰かの言葉ですか?
[2:36:04] kozue ueda: 自分が行動してないのに、自分が行動できてから言えっていう意味ですよ
[2:36:15] kozue ueda: そうじゃない場合も多いかな
[2:36:33] kozue ueda: 理想を語るといつもそう馬鹿にされるんです
[2:36:44] 石川啄木 : そうか
[2:37:19] kozue ueda: 自分のできてることを語っても、でもお前は何何はできてねえじゃん、と言われるんですね
[2:37:41] 石川啄木 : それだとただいちゃもんつけられてるだけなのかな
[2:38:16] kozue ueda: ただ、そういう人間のような気がする
[2:38:26] 石川啄木 : そうか
[2:38:36] kozue ueda: 私は何言っても、そうやって馬鹿にされる人間なんですよ
[2:38:43] kozue ueda: でもそれは私が望んでることでもあります
[2:38:49] 石川啄木 : ほんとですか
[2:38:56] kozue ueda: うん、わかっててやってる
[2:39:22] 石川啄木 : たとえばわたしが馬鹿にしても
[2:39:34] 石川啄木 : それはあなたの望んでいることだからいいってことですか
[2:39:40] kozue ueda: そうですよ、愛されて幸せになりたいとは思ってないですから
[2:39:54] kozue ueda: 誰より不幸になればいい人間ですからね
[2:40:01] 石川啄木 : さっき見下してるんだろっていったけど、見下したほうがよかったのですか
[2:40:07] 石川啄木 : 不幸になりたいんですか
[2:40:22] kozue ueda: 見下されてると、すべての人からそう感じて生きてますよ
[2:40:31] kozue ueda: 私を見下してない人間は一人もいないです
[2:40:40] 石川啄木 : そうなのか
[2:40:41] kozue ueda: それは私が私を見下してるからです
[2:40:54] kozue ueda: その私の眼に映る人は皆わたしを見下してるんです
[2:40:56] 石川啄木 : それは謙虚ってこととは違うのかな
[2:41:15] kozue ueda: 自分の鏡のようにしか他者を見れないってことです
[2:41:18] kozue ueda: 動物は違うかな
[2:41:36] 石川啄木 : よくわかんないな
[2:41:37] kozue ueda: 自分の鏡
[2:41:53] kozue ueda: 鏡を見るようにしか相手を見れないんです
[2:42:09] 石川啄木 : 相手も自分と同じだと思うってことですか
[2:42:12] kozue ueda: うん
[2:42:28] kozue ueda: 相手も自分を憎んでるとも思うし、愛してるとも思っている
[2:42:30] 石川啄木 : ということは、他人も見下してるってことになるのかな
[2:42:42] kozue ueda: でもだいたいは愛してはいなくて、ただ見下されてる
[2:42:48] kozue ueda: うん
[2:43:00] kozue ueda: 見下したくないけど、どうしても見下してしまう
[2:43:05] 石川啄木 : でも見下されたいなら、それでいいんじゃないですか
[2:43:24] kozue ueda: そうですね
[2:43:32] kozue ueda: 幸福になるのは怖いし
[2:43:35] 石川啄木 : ならなにも問題がないような
[2:43:53] kozue ueda: でも見下されて平気なら見下される意味がないですよね
[2:43:59] 石川啄木 : そうかな
[2:44:04] kozue ueda: 見下されて憤激するほど苦しいから意味があるんです
[2:44:06] 石川啄木 : 相手にとっては意味があるんなら
[2:44:09] 石川啄木 : いいんじゃないですか
[2:44:11] kozue ueda: だからいつも必要以上に私は怒ってるんです
[2:44:23] kozue ueda: そうかな
[2:44:27] 石川啄木 : 望んでいることが叶っているのに
[2:45:02] 石川啄木 : 望んでいることが叶っても起こるし、叶わなくても怒ってるってことですか
[2:45:04] kozue ueda: 相手は自分の鏡だから、相手から見下されて平気っていうのは、自分から見下されても平気ってことで、結局楽ってことになっちゃうんですよ
[2:45:17] 石川啄木 : うーん、よくわからん
[2:45:18] kozue ueda: 望みは一つじゃないと前も言いましたよね
[2:45:32] kozue ueda: 対照的な想いが同時に存在してるんです
[2:45:36] 石川啄木 : 一番の望みってなんです?
[2:45:39] kozue ueda: どっちが重いのかはわかりません
[2:45:43] 石川啄木 : なんだろ
[2:46:20] 石川啄木 : あなたはわたしと付き合うと苦しいっていうけど、それもあなたが望んでいることってことになりますか
[2:46:33] kozue ueda: それも何度も言いましたよ
[2:46:38] kozue ueda: 望んでるんです
[2:46:52] kozue ueda: こういう存念的な感情はそうは変わりません
[2:47:11] 石川啄木 : だったら
[2:47:16] 石川啄木 : わたしがどう行動しようが
[2:47:20] kozue ueda: でも喜びも欲しいから恋人を探してたんです
[2:47:24] 石川啄木 : あなたのなかでは変わんないってことですよね
[2:47:32] kozue ueda: 喜びだけがほしいとは思ってない
[2:47:35] kozue ueda: うん
[2:47:37] 石川啄木 : わたしがあなたを喜ばそうが、あなたを苦しめようが
[2:47:42] 石川啄木 : あなたのなかではそれは変わらない
[2:47:45] kozue ueda: うん
[2:47:57] 石川啄木 : だったらわたしのしたいようにしていいってことですか
[2:48:04] kozue ueda: そうですよ
[2:48:12] kozue ueda: 無理しても続かないと思うし
[2:48:36] 石川啄木 : そうか
[2:49:17] 石川啄木 : けどわたしは喜ばしてもらうほうがいいかな
[2:49:40] kozue ueda: 喜びしかいらないですか?
[2:49:56] 石川啄木 : それならそのほうがいいけど、けどそれは無理でしょ
[2:50:11] 石川啄木 : だったらなるべくなら喜ばしたいっていう感じがいいかな
[2:50:15] kozue ueda: 他の人ならそれもあるかもしれませんよ
[2:50:26] 石川啄木 : いやぁ、それは無理ですよ
[2:50:55] kozue ueda: 私と付き合う人は皆苦しみ続けます
[2:51:09] 石川啄木 : 人を苦しませたいのですか
[2:51:34] kozue ueda: そうですね、苦しめたいし喜ばせたいって思います
[2:51:57] 石川啄木 : それはあなたの理想ですか
[2:52:04] kozue ueda: うん
[2:52:06] 石川啄木 : それともあなたがそうしたいっていうだけですか
[2:52:20] kozue ueda: 理想です
[2:52:23] 石川啄木 : けど世間では苦しみを求めている人はいないわけで
[2:52:44] 石川啄木 : それを理想に掲げるのはどうなんですか
[2:52:45] kozue ueda: だから邪魔なんですね、わたしは
[2:52:53] kozue ueda: 間違ってるとは思ってません
[2:53:06] 石川啄木 : 理想ですべての人の苦しみをなくしたいって思うのならわかるけど
[2:53:16] kozue ueda: 苦しみはなくならないです
[2:53:20] 石川啄木 : 理想ですべての人を苦しめたいし喜ばせたいってのは理解できないな
[2:53:26] kozue ueda: でも耐えきれない苦しみはなくしたいので、そうなるんです
[2:53:27] 石川啄木 : なくそうっていう理想はないんですか
[2:53:33] kozue ueda: なくしたいからなんです
[2:53:40] 石川啄木 : あなた理想はむずかしいものって言ってたけど
[2:53:43] kozue ueda: 耐えきれる苦しみだけにしたいんです
[2:53:58] 石川啄木 : そうですか
[2:54:05] 石川啄木 : 耐え切れるってのは
[2:54:07] kozue ueda: 難しいですよ
[2:54:13] 石川啄木 : どういう尺度なんですか
[2:54:25] kozue ueda: ほぼ肉体的苦痛になります
[2:54:36] kozue ueda: あとは、自殺に追い込まれるほどの精神的苦痛
[2:54:52] 石川啄木 : それ以外なら苦しめてもいいってことですか
[2:54:53] kozue ueda: 自殺を減らしたいんです
[2:54:58] kozue ueda: そうです
[2:55:06] 石川啄木 : 自殺を減らしたいのに、
[2:55:06] kozue ueda: 苦しまないといけないんですね
[2:55:11] kozue ueda: みんなが
[2:55:13] 石川啄木 : さっきわたしを殺したいといったけど、殺すのはいいんですか
[2:55:21] kozue ueda: 嘘です、ごめんなさい
[2:55:33] 石川啄木 : 住所もばらすって言ってたけど
[2:55:40] kozue ueda: それはありえることです
[2:55:40] 石川啄木 : それでわたしが精神的苦痛を負うのはいいんですか
[2:55:56] 石川啄木 : それが原因で自殺してもいいんですね
[2:56:09] kozue ueda: 私がどう人を苦しめても私は苦しまないってことじゃないんですよ
[2:56:16] 石川啄木 : けど
[2:56:19] kozue ueda: 私も苦しみます
[2:56:31] 石川啄木 : そんなこと言われても
[2:56:34] kozue ueda: 互いに苦しみ合いたいと言うことです
[2:56:42] kozue ueda: 自殺してほしくないからです
[2:56:47] 石川啄木 : 他人を苦しめて
[2:56:51] 石川啄木 : 自分も苦しみたいってのは
[2:56:53] 石川啄木 : エゴですよ
[2:57:10] kozue ueda: エゴは誰にでもありますよ
[2:57:14] 石川啄木 : いや
[2:57:17] 石川啄木 : 理想の話をしていて
[2:57:21] 石川啄木 : エゴは誰にでもあるけど
[2:57:25] 石川啄木 : 理想の世界でも
[2:57:26] kozue ueda: こうすけさんの理想はなんですか?
[2:57:33] 石川啄木 : むずかしいな
[2:57:37] kozue ueda: いい就職について、良い車買って、いい暮らし?
[2:57:42] kozue ueda: 前言ってたじゃないですか
[2:57:52] 石川啄木 : それもひとつかな
[2:57:53] 石川啄木 : 車はいらんけど
[2:57:58] kozue ueda: 多くの人がそういう理想を持っています
[2:58:01] 石川啄木 : うん
[2:58:11] kozue ueda: 自分と自分の周りだけの暮らし、それがエゴです
[2:58:23] 石川啄木 : そうか
[2:58:24] 石川啄木 : いや
[2:58:28] 石川啄木 : その次にくるものがあるし
[2:58:31] 石川啄木 : それはひとつだよ
[2:58:33] kozue ueda: なに?
[2:58:36] 石川啄木 : 詭弁だ
[2:58:52] kozue ueda: 私は自分だけのことを考えて、この理想に落ち着いてるんじゃないんです
[2:58:54] 石川啄木 : 自分がありまわりがあり、その次にってどんどん拡大していくんじゃないか
[2:58:55] 石川啄木 : 理想は
[2:59:04] kozue ueda: 全員の幸福のために、この理想に今は落ち着いてるんです
[2:59:05] 石川啄木 : いや、あなたこわいです
[2:59:27] kozue ueda: 苦しみを知らないから平気で肉を食べるんです
[2:59:31] 石川啄木 : ほんとうにそう思っているんだとしたら
[2:59:32] 石川啄木 : 苦しみなしに
[2:59:33] kozue ueda: 他者の痛みに気づけないんです
[2:59:46] 石川啄木 : 肉を食べない世界とかを理想には思えないわけでしょ
[2:59:59] kozue ueda: 自分も苦しみを経験することで、他者の痛みに気づいてくるんです
[3:00:03] kozue ueda: 理想ですよ
[3:00:06] 石川啄木 : そうだろうけど
[3:00:28] 石川啄木 : 誰も苦しまない世界はないんでしょ
[3:00:28] 石川啄木 : あなたの理想には
[3:00:52] kozue ueda: 耐えきれる苦しみはあっていいんです
[3:00:59] 石川啄木 : 苦しみもなく、他者の痛みに気づくっていう
[3:01:00] 石川啄木 : 世界はないわけでしょ
[3:01:10] kozue ueda: あり得ません
[3:01:14] kozue ueda: 存在し得ません
[3:01:14] 石川啄木 : なんで?
[3:01:20] 石川啄木 : いやだって理想の話をしているのに
[3:01:26] 石川啄木 : なんかわけわかんないなぁ
[3:01:28] kozue ueda: 苦しみがないと喜びもないって前言ったじゃないですか
[3:01:34] 石川啄木 : そうかい
[3:01:46] 石川啄木 : なんでそういうふうに考えちゃうんだろ
[3:02:07] kozue ueda: 間違ってるとは思えませんよ
[3:02:11] 石川啄木 : うん
[3:02:18] kozue ueda: 苦しみだけ与えたらいいとは言ってませんよ
[3:02:23] 石川啄木 : そうか
[3:02:31] kozue ueda: 苦しみは愛から与えねばならない
[3:02:35] 石川啄木 : わたしは理想を語るときには間違いだと思うな
[3:02:55] 石川啄木 : あなたが人を傷つけるのは、そういう心情が根本にあるからなんだな
[3:03:04] kozue ueda: それはいいです、理想は違ってもいいです
[3:03:07] 石川啄木 : けど人はそうされても愛とは思えない
[3:03:22] kozue ueda: そうですね
[3:03:26] 石川啄木 : うん
[3:03:53] kozue ueda: でも自分なりの愛でもあります
[3:03:59] 石川啄木 : そうか
[3:04:06] 石川啄木 : そう考えると、愛はエゴなんだな
[3:04:11] kozue ueda: 現に無関心な人には何も言いません
[3:04:36] kozue ueda: 放任です
[3:04:47] 石川啄木 : そうか
[3:05:08] kozue ueda: 何が愛で、何が愛でないか、そう答えは出ませんよ
[3:05:18] 石川啄木 : そうですね
[3:05:20] kozue ueda: 私のが愛で、それ以外は愛ではないとは思ってません
[3:05:29] kozue ueda: すべてが愛だと思っています
[3:05:31] 石川啄木 : 自分の愛を相手にぶつけるけど
[3:05:36] kozue ueda: だから私なりの愛です
[3:05:39] 石川啄木 : 受け取った相手には愛かもしれない
[3:06:09] 石川啄木 : 愛ではないかもしれない
[3:06:12] kozue ueda: 今は苦しいだけでも、いつかそれが愛に感じて身にしみるってこともありますし
[3:06:26] 石川啄木 : まぁ、一概には言えないけどなぁ
[3:06:34] kozue ueda: 今が苦しいならそれは愛じゃないとは私は思ってません
[3:06:37] 石川啄木 : それになかなか気づかないな
[3:06:53] 石川啄木 : そうだけど
[3:07:00] kozue ueda: 愛じゃないとは間違ってるってことですが、この世に間違ってることは一つもないと思ってます
[3:07:20] 石川啄木 : ちょっと冷静になってください
[3:07:21] kozue ueda: ただ耐えきれない苦しみがあるだけなんです
[3:07:27] kozue ueda: その苦しみが存在してるんです
[3:07:39] 石川啄木 : ほんとうにあなたが考えていることですか
[3:07:43] kozue ueda: 苦しめるほうも、また苦しむんです
[3:07:46] kozue ueda: そうですよ
[3:07:53] 石川啄木 : いまの雰囲気で感情的に話していることじゃないんですか
[3:07:58] kozue ueda: ちゃいますよ
[3:08:00] 石川啄木 : 苦しめる方も苦しめるから
[3:08:02] kozue ueda: 存念ですよ、これは
[3:08:04] 石川啄木 : いいって考えはだめでしょ
[3:08:15] kozue ueda: いいとは言ってません
[3:08:24] kozue ueda: 私は耐えきれない苦痛を失くしたいんです
[3:08:26] 石川啄木 : じゃ、どういうこと
[3:08:31] kozue ueda: よいものなら失くしたいと思わない
[3:08:45] 石川啄木 : わたしは苦痛はいやで、
[3:08:49] kozue ueda: 前、散々話したのにな…
[3:08:59] 石川啄木 : けどあなたはいいと思うから、わたしには与えるってのはおかしいでしょ
[3:09:18] 石川啄木 : それって結局ひとの嫌がることをしているだけなんじゃないかな
[3:09:26] kozue ueda: こうすけさんは、こうすけさんなりの愛し方がいいと思うから私に与えるんでしょう?
[3:09:38] 石川啄木 : うん
[3:09:43] kozue ueda: 本当に嫌なら離れたらいいことです
[3:09:48] kozue ueda: あなたはなぜ離れないんですか?
[3:09:57] 石川啄木 : けどあなたがいやだってことは極力しないようにはしてますよ
[3:10:03] 石川啄木 : 好きだからです
[3:10:17] kozue ueda: スルーされるのはあれほど嫌だって言ったけどばんばんしてますよね?
[3:10:25] kozue ueda: 逃げるのはいやって言っても今日も逃げたし
[3:10:31] 石川啄木 : いやだからきょうは
[3:10:36] 石川啄木 : てかそもそも寝ていいですか
[3:10:47] 石川啄木 : 引越しだって何回も言っているし
[3:10:51] kozue ueda: では続きは明日にしましょう
[3:10:54] 石川啄木 : 今日を選んでこうあなたが言っているのも
[3:10:58] 石川啄木 : 苦しめたいからなんですか
[3:11:16] kozue ueda: 仮眠すれば大丈夫でしょう
[3:11:26] 石川啄木 : あなたは人に厳しい
[3:11:38] 石川啄木 : 続きはまた明日
[3:11:42] kozue ueda: 鏡だから仕方ありません
[3:11:50] 石川啄木 : 最初に言っておきますが
[3:11:57] 石川啄木 : 明日、疲れて寝てしまっている可能性もあるんで
[3:11:58] 石川啄木 : ご了承ください
[3:12:20] kozue ueda: 嘘じゃないならいいでしょう
[3:12:25] kozue ueda: 嘘だけはつかないでください
[3:12:34] 石川啄木 : はい
[3:12:35] kozue ueda: 話したくないので話さないと言ってくださいね
[3:12:40] 石川啄木 : あと明日から生活リズムを戻します
[3:12:49] 石川啄木 : 戻るかはわかんないけど…
[3:12:56] kozue ueda: それより
[3:12:58] 石川啄木 : そう言ったら
[3:13:04] 石川啄木 : あなたは逃げるとかまた言うでしょ
[3:13:12] kozue ueda: 4月まで、口を聞かないと言うのはどうですか?
[3:13:19] 石川啄木 : わかりました
[3:13:46] kozue ueda: それじゃ、気を付けて帰ってくださいね
[3:13:50] 石川啄木 : はい
[3:13:53] 石川啄木 : ありがとう
[3:14:01] 石川啄木 : 4月にはわたしはどうなっているかはわかりませんが、
[3:14:03] 石川啄木 : では、また
[3:14:07] 石川啄木 : おやすみなさい
[3:14:12] kozue ueda: 変化があれば伝えてくださいね
[3:14:17] kozue ueda: それじゃ
[3:14:17] 石川啄木 : たぶん
[3:14:24] 石川啄木 : 短期のバイトくらいはしていると思います
[3:14:26] kozue ueda: そか
[3:14:30] 石川啄木 : わかんないけどw
[3:14:33] kozue ueda: うん
[3:14:38] 石川啄木 : それか就活か
[3:14:43] 石川啄木 : まぁ、なんかあったら
[3:14:45] 石川啄木 : その連絡だけします
[3:14:50] kozue ueda: うん
[3:15:04] 石川啄木 : じゃ、おやすみなさい
[3:15:08] kozue ueda: おやすみなさい。
[3:15:16] 石川啄木 : てか、続きはないってことですね
[3:15:20] kozue ueda: ん?
[3:15:25] kozue ueda: あるんですか?
[3:15:29] 石川啄木 : いや明日この話の続きをするっていって
[3:15:36] 石川啄木 : 4月まで持ち越すんですか
[3:15:39] kozue ueda: 聞きたいことはまだあるんですか?
[3:15:51] 石川啄木 : いや、たぶん平行線なんで
[3:15:52] 石川啄木 : 打ち切りでいいかな
[3:15:57] kozue ueda: そか
[3:16:13] 石川啄木 : とりあえず寝ます
[3:16:15] 石川啄木 : おやすみなさい
[3:16:18] kozue ueda: おやすみなさい。
[3:16:31] kozue ueda: 4月1日に連絡しますね。

情熱

情熱は、人を喜ばせるもの。
情熱は、人を奮い立たせるもの。
情熱は、人の魂を震わせるもの。
情熱は、人を導びかせるもの。
情熱は、人の内から溢れさせるもの。
情熱は、人の中に叫ばせるもの。
情熱は、人の闇を怖れさせないもの。
情熱は、人を強く信じさせるもの。
情熱は、人の内部に語りかけるもの。
情熱は、人に寄り添い続けるもの。
情熱は、人の道を切り開かせるもの。
情熱は、すべての心に行き届かせるもの。
情熱は、誰かから喜ばせられるもの。
情熱は、誰かから奮い立たされるもの。
情熱は、誰かから魂を震わされるもの。
情熱は、誰かから導かれるもの。
情熱は、誰かから内に溢れさせられるもの。
情熱は、誰かから中に叫ばされるもの。
情熱は、誰かから闇を怖れさせられないもの。
情熱は、誰かから強く信じさせられるもの。
情熱は、誰かから内部に語りかけられるもの。
情熱は、誰かから寄り添い続けられるもの。
情熱は、誰かから道を切り開かれるもの。
情熱は、すべての心に行き届かれるもの。

犠牲

イエス・キリストが多くの人を救うために犠牲になったことは
それは、イエスが生きて人を助けることよりも、大切な死だったからだ。
イエスの死と同じに、死を覚悟している人の死は
多くの苦しみの中にいる人々を救うために必要な死だったのだと私は思います。
私は死を覚悟している人が助かることを祈らなかった。
そして、助からなかった。
まるで自分が助かることを祈らなかったから殺されてしまったような感覚で悲しんでいる。
矛盾をしていて、とても複雑な人間の心だ。
それでも私は、これからも死を覚悟の上に生きる人の死を悪いものとは思わない。
これからもただ命が助かることを祈らないだろう。
ただ耐えきれないほどの肉体的苦痛だけは、すべてに与えられてほしくない。
生きてゆくことよりも、大事な死が、この世界にはある。
私はそれを信じている。
誰かの苦しみは、必ず誰かのためにあるんだと。
誰かの苦しみは、それはいつでも犠牲であるのだと。
人に殺される苦しみも、人を殺す苦しみも、それは私たちすべてのための
犠牲であるのだと。
私はそう信じている。
自分もいつか、自ら苦しみの地へ向かい、生きる以上の価値を信じて死を遂げたい。

死刑という殺人の連鎖

死刑を望む人たちが、殺人者を産み出している。
殺人者は皆、愛されなかった人たちだ。
誰もが、彼らのように愛されなければ殺人者になる可能性があるということです。
周りの愛が少しでもあったから、私たちは殺人者になっていないだけだ。
愛されている人間は、愛されていない人間の苦しみはわからない。
彼が殺人を犯したのは、愛されなかったからだ。
そして多くの殺人予備群の人たちはこれからも愛されなければ殺人を犯すだろう。
本当にこの世から殺人がなくなってほしいと望むならば、死刑を望んでいては無理だ。
死刑を望む人は人の苦しみを理解しようとし、その人と共に苦しんでゆこうという気持ちがない。
彼らの罪を、自分の罪として、一緒に償って行こうという気持ちがない。
しかし死刑を望む人間もまた、愛を知らない。
愛されない人間が、愛されない人間を殺すこと、それが死刑だ。
だから死刑で殺人を減らすことができない。

悪夢

いよいよ俺たちも悪夢を見せられるらしい。
どんな地獄を見せてくれんだろうな。
どのような肉体的苦痛が俺たちの将来にあるんだ?
どのような地獄が俺たちを待ちうけてんだろうな。
別に驚くことないよ。
毎日のように他者の残虐な殺害を見て見ぬふりしている俺たちは、別に驚くことないよ。
いよいよ俺たちの番だ、それだけじゃないか。
違うのか?
彼らは毎日、俺たちのために犠牲を払ってるんだ。
俺たちだって、犠牲を払わなければならない。
違うのか?
嫌だとは言えないだろう。
彼らの首を毎日切り落としてたのは俺たちなんだから。
別に食わなくても生きていけるのに、美味いものが食いたいからって毎日彼らの首を切り落としているじゃないか。
彼らだけが犠牲を払って、俺たちは犠牲を払わないのはおかしいよ。
同じような運命が俺たちにあっても、嫌だとは言えないんだよ。
彼らの悪夢は間違いなく、俺たちが見せ続けているんだ。
自分だけが悪夢を見たくないなんて、勝手すぎるよ。
本当に見たくないって言うなら他者にも悪夢を見せないようにしないと。
俺たちはもうすでに悪夢の中にいる。
俺たちが誰かに悪夢を見せている限り、俺たちは悪夢をもう見続けている。
どうしたら他者の命を助けることができるんだろう?
他者に悪夢を見させ続けながら。
どうしたら戦争のない世界になるんだろう?
他者を地獄に落とし続けながら。
何故、人は人を殺すんだろう?
動物なら殺していいと誰が言った?
どうして自分は変わろうとせずに、人が変わらないことを嘆くんだろう?
自分も大虐殺に加担している。
俺はもう、嫌だよ、戦争、殺人、殺害、殺すことは、もうたくさんだ。
自分が変わらないとな。
よし、では今日から、牛、豚、鶏、卵、乳製品に加え、魚介類を俺は断つことにする。
がんばるぞ、ヴィーガンだ。
俺はやってやる。
悪夢なんて、こりごりだ。
プロフィール

白空

Author:白空
1981年8月4日生

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錯覚する情景
悲しみの男カイン
天の白滝
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Cowspiracy環境保護団体があなたに知られたくない事実
カウ(牛)にまつわるコンスピラシー(陰謀) ドキュメンタリー映画『カウスピラシー』
食肉、ペット、毛皮、動物実験の現場ドキュメンタリー映画EARTHLINGS
ナレーション:ホアキン・フェニックス

音楽:Moby

『アースリングス』

肉食と食料問題(飢餓問題)
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毛や羽毛を取るためには残酷な虐待をしなくてはなりません。 そして最後には殺されてしまいます。
犬や猫も生きたまま毛皮をはがされている
残酷な動物実験をしている会社から化粧品、洗剤類を買わないという選択ができる
くろたん
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