Still

僕はここに立っている。I'm standing here.
塔はそこに建っている。Tower is built there.
血は傷に固まっている。Blood is solidified to scratch.
君はそこを動かない。You do not move there.
君の意志はとても堅い。Your will is very hard.
君は止まる場所から安定した目でじっと見るいつもの状態の塔を、そこにとどまるしっかり固定された不変の塔を組み立てる構造をした塔をたくさん建てた。
君と塔は静かな静止。You and tower quiet still.
スチール写真のように。As still photographs.
君と塔はじっとしたまま続いている。You and tower are followed while still.
君の不変はまだ続いている。Your invariant is still followed.
塔はまだ変化しない。Tower still does not change.
君はまだ静止している。You are still stationary.
塔はまだ動かない。Tower does not work still.
もう動いてもいいのに、今なお動いていない。And I wish even more moving, it is not still moving.
塔は止まる場所から安定した目でじっと見るいつもの状態の君を、そこにとどまるしっかり固定された静かな君を組み立てる構造をした君をたくさん作った。
変わったと思っていたのに、まだじっとしている。I would have thought that it has changed, still you are still.
塔はじっとしていることが得意だが、それでも僕のほうがもっと得意だ。Tower is good that you are still, but still much more good at better of me.
僕はまだ君が動いたときを見たことがない。I still have never seen a case where you moved.
君が動かない状態がまだ続いている。have state that you can not move is still followed.
あの塔はまだ動いている状態が続いているわけではない。That tower is not is followed by a state that is still running.
あの塔はまだ静穏が続いている。That tower is still followed by still.
あの塔はそれでももう動いていない。That tower is not moving anymore still.
That tower is still followed by still.あの塔は、まだ、まだ続いている。
That tower is still followed by still.あの塔は、静穏のあとにまだ続いている。
You're still.






Popnoname - Still

Spaces

宇宙人はいつも俺を見張っている。
世界の殲滅期にこいつは使えるかどうかを考えている。
宇宙人の舌はちょうど緑色のなめこに似ているが、その大きさは地球の二倍ほどの大きさがある。
だから緑色のなめこが俺を見ているのかなと思ったらそれは宇宙人の舌であったと最近知った。
宇宙人のなめこ状の舌がにょろにょろとよく見えるのは俺の位置から空を見上げたときちょうど宇宙人の口の辺りに来るんだと宇宙人から聞いたが、よく考えたらそれほど大きいのだから地球のどこから見てもあまり見える位置は変わらないのではないかと思い宇宙人にそれを問い質したら宇宙人に「それは地球人の典型的な概念ですよね」と言われて難しいことを言うなぁと俺は思った。
宇宙人は俺がとろろ昆布を食うときに決まっていつも瞬時に「なんだそれは、美味いのか」と訊いてくる。
すべてを知っていると宇宙人は言うが、とろろ昆布だけが唯一宇宙で謎でまだ解明できない存在のようだ。
宇宙人はだから眠りに就くと決まってとろろ昆布の夢を見ると言う。
どこかの星に住んでいる異星人とは違って星に住んでるわけではないので将来とろろ昆布星に住みたいと言っていた。
住む星がないというのはとても退屈で寂しくて、だから宇宙の中でも一番の馬鹿な生物である人間が暮らしている地球をよく観察していると言う。
「すべての人間はだいたい馬鹿だがおまえは賢いから観察している」と言われたが、その前に地球は馬鹿な人間しかいない星だから観察していると言われたので矛盾してるのではないかと問い質したら「それは地球人が妄信している典型的な認知パターンですよね」と言われた。
俺は返す言葉がなくとろろ昆布うどんを食っているとまた「なんだそれは、美味いのか」と訊いてきたがスルーを決めていると緑色のなめこ状の舌が下の方に下がっていき、あっ、目が見えるかな、と思ったら目の二つの位置にも同じ緑色のなめこ状の舌がにょろにょろと動いていた。
よくよく考えたらあれが舌であると思い込んでいただけで、どこの部位であるか本当のところわからない。
「あなたの目を見せてほしい」と俺は宇宙人に言った。
宇宙人はそれを聞いて後ろに下がり三つの舌をにょろにょろと見せた。
すると宇宙人は「だからなんで地球に住む生物と同じように宇宙人を考えるの」と言った。
「だったら目はないのか」と訊くと「あるけどないよ、だって飾りだもん」と応えた。
「じゃあ飾りでいいから目を見してよ」と俺が言うと「だからこのにょろにょろしたやつ三つとも目です」と言われて、ふ~ん!と俺は納得した。
「でも飾りだから、そこから見ているわけではないよ」と言われて言い終わる前に即座に「それはわかってます」と応えた。
三つの目はイソギンチャクの触手のような形になり伸びていって地球を抱きすくめるように地球を取り囲んだように見えた。
「何してるんですかね」と伺うと「別に何もしていません」と言う。
「いや、なんかしてるでしょそれ」と言うと「今、妊娠しているようだから力になりたいと思っているんです」と応える。
「あなたは父親代わりなんですか」と訊くと「そうじゃないけど、もうすぐ産みの苦しみがやってくるから」と言う。
「あなたに、あなたに、何ができるんですか」と言うと宇宙人は触手を引っ込めて左に眼の形に開き瞳孔が月になって右に開いた目の中には太陽が出来た。
その二つの目で俺を見る。
瞬きをして何か考えているようだ。
「あなたは何者なんですか」と訊くと「宇宙人です」と応えた。
「実はわたしの子供を孕ませたんです」と宇宙人は言った。
「そしておまえは育ての親だ」そう言って宇宙人は縮んで透き通っていき俺の腹に宿った。
宇宙人はいつも俺を見張っている。
世界の殲滅期にこいつは使えるかどうかを腹の中で考えている。

in the saucer

今日も尿意を限界まで我慢して頑張って膀胱の限界を試して生きて欲しいと思います。
ABP109ってなんぼほど広告出しとんねんYoutubeは。
愛があるならいいと思います。
でも愛がないならだめだと思います。
僕に愛があるのかって?
それはボカアが決めるこったあじゃあないのだ。
それは僕に聞くことではなく自分の胸に聞いてな?
それは僕が決めることではないからな?
便秘にスピルリナはいいけどそれは僕が決めることではないからな?
『毎日が日曜日っていうのは毎日が地獄だということだ』とジョージ・バーナード・ショーのおいちゃんは言っておったがまさしくその通りであってこんなに楽園の仮面を被った地獄と言う生活はない。
まさしくその、というところを、まさし糞の、と書き換えても別段問題はなかろう。
別に便意があるのに糞便が出ないから「くそ」という字の連なりに過敏になっているわけではない。
みちたがあざらしちゃんのような顔と格好で眠ってるぅ。
お、俺の中に、あ、愛が、溢れてくるんや。
ど、どないしたら、え、えええんやろうなあああ、ああっ。
あ、そこの君、受ける皿持ってんの?
何って俺の愛ですがな、受け皿がないと、君に受け皿がないと、その胸の受け皿。
あれ?君の受け皿、穴開いたぁるやんかぁ。
俺の愛、何こぼしてんねん。
僕は僕の受け皿の補修に行ってくる。
とにかく頑丈にこしらえてください。
愛の受け皿を補修してきてもらった、これで僕は君の愛を受け入れられると思うんだ。
しかし人によっては愛の代わりに糞を入れられることもある。
胸の受け皿に糞を入れられると言葉通り胸糞悪い。
愛だと思ってたらその実、糞だった、ということもよくある。
こんなに僕は愛を受け入れる皿があるんだ、と思ってたら胸の辺りが何か臭い。
胸の中を覗いてみるとそこに居座っていたのは愛ではなく糞だったと言うわけだ。
「おまえ、なに愛みたいな顔しておんねん」と言うが糞は黙りこくっている。
ウンともスンともフンとも言わない、ただ糞は何か言いたげな上目遣いでこっちを見てすぐ横を向いて溜め息をつくのだ。
愛だと思っていたのに、愛だと思っていたのに、でもそれは向こうが悪いのではなくこちらが糞の受け皿しか用意できなかったからだから人を責めるなんてナンセンスじゃないか。
相手は愛を注いでくれたのに僕には愛の受け皿がなかった。
そうなのです、愛が欲しいといくら言っても自分に愛の受け皿がなければ愛を受け入れることができない。
もうおわかりですね、そうです、誰かを愛したらもれなく自分も確実に愛を受け入れることができよう。
つまり完結に言うと愛されて初めて愛することが出来るのでなくて愛すると初めて愛されることが出来る。
つまりこの宇宙のはじまりは、愛されて生まれたのではなく、愛することで生まれた世界なのだ。
宇宙の形は実は受け皿の形をしておると君は知らんかっただろうね。僕も知らなかったよ。
今初めて考えたからね。僕の今生まれたアイディーアだから。
「皿」という字の上にちょぼを載せると「血」になるだろう、なぜか解るかね。
実はそのちょぼは人間を表している、つまり愛の受け皿という宇宙の上に乗っかってちょっと倒れそうになりながらも頑張っている姿は人間そのものであって、それが死んで宇宙の面にバタンと倒れると人は宇宙の皿と一体になり人は「血」から「皿」に帰るというわけだ。
愛の受け皿という宇宙の上に立っている人間は宇宙に愛されている存在なのだけれども人間はなかなかそれに気付くことができない。
宇宙の受け皿とはまさしくゆりかごの形をしているのである。
ゆりかごとはゆらゆらと揺れる籠で宇宙の皿も絶えず揺れ動き続けている。
じっと止まっているより心地がよいからだね。
宇宙はいつでも宇宙に存在するすべての存在のために揺り動き続けている。
愛の受け皿の中にはもちろん愛が入っている。
それがわれわれである。
われわれは愛の受け皿の中に暮らしている。
どんなに多く、どんなに重くなろうと、絶対に全部入るこの上なくでかい皿だ。
信じられるか?
すべてを受け入れる皿が存在していることをだよ。
こっちが糞の皿でこっちが愛の皿というふうに分かれていない。
だからあの人は天国であの人は地獄行きだということもない。
愛されていると気付くことは、もうすでに、愛しているからだよ。
君の愛が宇宙のゆりかごを揺らしてその皿を愛でみたしてゆくんだ。
しかし満ちる皿はない。
宇宙は愛を求めている。
いつまでもいつまでも求め続けている。
それはぼくらが宇宙に愛を求め続けるからだ。
求めれば求め返される。
愛すれば愛し返される。
そう思うと僕の胸はあたたかみを持つ。
だから地獄を夢見ている。
“ワレ”と宇宙は僕に今日も微笑む。
サラをワレと言って君はいつかさらわれる。








Popnoname - Wonder You

カッコーの巣の上で


カッコーの巣の上で [DVD]カッコーの巣の上で [DVD]
(2010/04/21)
ジャック・ニコルソン、ルイーズ・フレッチャー 他

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僕の大好きな映画「アマデウス」のミロス・フォアマン監督の1975年の映画
「カッコーの巣の上で」を観た。

浅野忠信が一番好きな映画だとなんかで書いてたから期待して観たが面白かった。
精神病棟に精神病のふりをして刑務所からやってきたマクマーフィー(ジャック・ニコルソン)が厳しい病院の制限に言いたいことも言えずおとなしくなっている入院患者たちに規則を怖れずに自由を求める姿を見せながら一緒に自由を取り戻そうとして生きる喜びを患者達が知り始めていくが話は思わぬ方向へと向かってしまう。

この精神病棟に拘束されている患者は数人しかおらず、それ以外は皆が自主性で入院していると知ってマクマーフィーは驚く。
好き好んで自由の利かないこの病棟に居るのかと思えばそうでもなく、患者はそれぞれしたいことを思うようにできないことで不満をつのらせているが、不満を叫ぶと激痛が走る電気ショック療法が待っているからしょうがなく我慢して面白みのない退屈な日々を暮らしている。
つまりここに居る患者達は精神病棟でしか暮らせない理由があるから仕方なく暮らしているのであって好き好んで不自由を楽しんでいるわけではないということだ。
マクマーフィー以外は犯罪者でもないのだからいつでも家に帰られるのにそれをしないのは家に帰るのは今以上に苦痛だからかもしれない。
そうでない人間なら誰があらゆる制限を我慢してまで病棟での暮らしを選ぶだろう。
飲みたくもない薬を毎日飲まされ夜は拘束具で縛られて眠る。
彼らはこの精神病棟でしか生きてはいけない人たちなのだ。
そんな彼らから安くもないお金を奪い彼らの望みを聴くこともせずに事務的に接して彼らから喜びを奪っている病院で監視する人間たちに何度も反抗を試みる自由が好きな子供のように純粋で優しいマクマーフィー。

その豪快な奔放さは規則を作ることで平穏に暮らすことを望む大人の社会には迷惑に映ることだろう。
しかしここは患者を治療するためにある精神病棟であり、患者から生きる楽しみを奪うためにある社会ではない。
自由奔放なマクマーフィーの姿はここの誰より人間としての生きる喜びを生きているように見える。
規則や制限は作るほうの人間の心をも蝕んでいくものなのだと改めて感じたのである。
世の中からキチガイと呼ばれる人も世の中からまともと言われる人も元は同じ人間同士である。
自分の嫌な規則を設けられたら嫌であるし自分の思い通りの規則が設けられれば嬉しい。
ここでは病院側だけの規則を守らねばならず、患者側の意見が通らないで患者が我慢し続けなければいけないことを病院側が問題としていないことが問題だと思われる。
何故ならどんな対人関係でも片方だけが我慢を強いられる関係は片方の重荷が重すぎていつかガタが来てもおかしくない危ない状態のまま繋げている関係だからだ。
これはどこにでも言える事であって上司と部下でも言えるし親と子でも言えるし病院と患者でも言えるのである。
つまり我慢と辛抱とは互いに分け合ってしていかなくては持たない、壊れるときを待っているような関係性の上に成り立っており、それをそのまま放っておくのでは患者は一向に快復できずむしろこれまで以上のトラウマを抱えて外に出て行くのかもしれない。
だからマクマーフィーがやらかした数々の荒い行為は病院いじめではなく素直にこのままじゃダメやんけと思ってしたことであり真剣に元気を失い果てた患者達に元気を取り戻そうと必死にやっていたことで、そんな彼らを責める病院側は自分たちの心無い厳しい制限が患者の心をどれだけ閉ざせて未来を奪おうとしてきたかを考えていけたらええなと思う。

自由とは、一方だけのものではなく、不自由もまた一方だけのものであってはならない。
自由より不自由を愛する人があるが、それは権限を持つ人間が愛するものではなく、むしろ不自由を望む者は自ら自由を奪われる者が望むものだ。
相手に不自由を与えて自分は相手を不自由にする自由を手にしながら「不自由を愛する」などと言ってはなるまい。
不自由を望むならば、相手を自由にして自分が不自由の身を選んでこそ望めるものではないのか。
自分は暴力を望むと言いながら相手に暴力を振るってはならないのと同じである。
暴力を望むと言うならば自分は暴力を振るわずに相手から暴力を振るわれることを望まなければいけない。

読んでるか知らないが、上の言葉はやまちゃんに、そしてこの映画をふりょもん部屋の権限を持つ人たちに私は観てもらいたいと思う。
自由を奪われた患者達が最後どのような行為に出たか。
自由を無理矢理に奪われる者がいなければ反乱は起きないのだ。

私はもう不良悶絶閉鎖病棟には二度と戻るつもりはない。
私をマクマーフィーのような最期にあの部屋は送らせようとしているのだ。
薄汚く醜い権限と言う極悪な権力で人々の自由を奪い取り自由発言の出来ない大人しい人間にさせようとしている社会の病巣に気付かずに今日も明日も病巣での馴れ合いをし続けていくのだろうか。
私はもうその巣を巣立つときがきたのだ。
私はもうカッコーの巣を巣立ったのである。
ちなみにカッコーとは精神に異常をきたした人間のことでカッコーの巣とは精神病棟のことだが
不良悶絶病棟はまさしくそのような巣である。
人の自由を奪い自分たちだけのユートピアを作り上げようとする精神こそが異常そのものだからである。
電気ショック療法に怯えて誰も言いたいことを言えない狭い世界。
そんな彼らも自由の部屋に居座って病棟のほうで部屋の人間の陰口をみんなで叩き合っているのだから寒気がする。
早く異常さに気づいてカッコーの病巣を巣立つ人間が増えていくことを私は望む。

病巣の側で自分が笑われてるのかもしれないことに耐えられなくなって私は遠くの誰とも喋らないこの故郷に帰ってきた。
とても苦痛な毎日だ。ニュースを見る気力も失せ社会からだんだんと孤立していくのを感じる。
しかしそれでもあの病巣に戻るほうが苦痛だから私は戻らない。
どれほど他の者にとって権限を振り回される居場所が苦痛かをあの人間たちは何も知らない。
言いたい言葉も制限されるのなら何のために真剣に人間と関わりに行くのか。
あいつらは言いたい放題で俺の胸をえぐる死ぬまで忘れない言葉を吐き続けながら何で俺だけ言いたい言葉を制限されるのか。
俺が出て行くのは当然だ。
俺が辛抱切れて巣立つのは、当然の結末だった。
おまえらにロボトミー手術をされる前にな。
俺ばっかりがあいつらを仲間だと思っててあいつらは俺を仲間だとは思ってなかったんだ。
仲間に制限を課したり、権限を振るったりしないからな。
どうしても同等にあいつらは人を置きたくないんだ。
でも一番大事なことじゃないか、自分と相手を同等に置くってことは。
一番人間として大事なことをあいつらは最初から放棄してるんだ。
どんな醜い顔で相手と向き合ってるかわかってないんだ。
どんなに卑劣な部屋か気付いてないんだ。
賢そうな文句をどれだけ並べてもあれじゃ意味がない。
自分がクソで餓鬼で頭が悪い人間だと周りに見せているようなものだ。
でも何言っても気付かないんだろう、自分らだけの居心地の良さを求めてる奴らには。
言っておくがそんな奴らはみんな大馬鹿野郎だ。
おまえはいつその病巣から巣立つんだ。
おまえだよ。
全体非公開性にしやがって。
おまえら全員、いったいいつその病巣から巣立ちするんだ。
それとももうロボトミーされちまってんのか、この病んだ社会の巣に。
何故全員の見ている場所で自分の言葉を発しないんだ。
何故隠れるんだその病巣に。
いいか、俺の日記を見に来るならおまえも俺におまえの日記を見せろ。
じゃないと不公平だ。
観に来ないなら別にいい、勝手にしたらいい。
自分は自分の本音を俺に見せもせずに俺にどうたらこうたら不満を抱くな。
同等が大事だ。
なんと言っても同等がこの世界では一番大事だ。
あ、膀胱が痛い。トイレにも行かずに俺は日記を真剣に書いてるのにおまえらは俺に何の真剣な言葉も見せようとしない。
なんでも対等にやれて一人前だ。
いつまで経っても子供でいいなら今のままで病巣にい続けたらいい。
巣立つ必要もない。
ヒナはぬくぬくな巣であったまってりゃあいい。
親と兄妹にしか聴こえない声でピイピイ鳴いてりゃあいい。
狭い世界で鳴いてるだけで安心しているんだろう。

何が「もう要らない」だ、俺はぽんちゃんの耳に心地いい鳴声を聞かせるために居る小鳥じゃねえぞ。
気に入らなければ捨てるおもちゃのように言いやがって。

どいつもこいつもなんなんだ、人をおもちゃのように扱いやがって。
俺はいつも泣き顔で絶叫してるのに何にも届かない。
俺を代わりの居ない存在のように思ってくれる人はいないってことだろう。
ことごとく社会との接点を失った俺を見て嘲笑っていればいい。
死人のように生きている。
ロボトミーされて生きるより死んだ方がいいな。
俺は死を選んだんだ。
でも望みを持って死んだ。
いつかみんなが真剣に相手と関われる日が来るという望みだ。
俺は落ちたんだ、カッコーの病巣から落ちて死んでしまった。
で、死んだから幽霊になって巣の上を漂ってるというわけだ。
っつうことで「カッコーの巣の上で」よろしく。
早くすべての病巣にカッコウ鳥の鳴く日が来ますように。

popnoname

「世界は終わらない」と言って泣いている男が、ここにいる。
ジンとテキーラのビンを片手に一本ずつ持ってライヴで踊っている夢を見た。
テキーラはゴールド色のだ。
家に帰って一人音楽を聴きながら観た視聴エフェクトは黒と白のスクエア立体が踊る未来にあった。
明日もジンとテキーラを持って同じライヴに行く。
恋人から連絡が来ない日だけ、男は昼から酒を飲む。
男は恋人しか喋る人がいないから恋人から連絡が来ない日は酷く孤独で宇宙で一人になった気持になりNOTEPCの液晶デスクトップ画面を何時間もずっと見つめてじっとしている日も多い。
そんな男のなぐさみとなるのは酒と音楽、この二つが男の空間を別次元へとチェンジさせる。
男の未来を見ている、そんな気分に男はなる。
この男の未来を今この男は見ている。
Popnonameは1978年生まれの3つ上の男で3年先の音楽を聴かせてくれる。
3年先の未来の音楽だ、まだこの男が知らない人生をこの男は知っている。
でも今聴いているのは彼の過去の音楽だ。
彼の未来が今現在の男の音に重なり非常に心地がよい。
男の知っているはずの音だからこんなに心地がよい。
しかし未来の音を聴くとき、きっともっと心地がよいはずだろう。
男の未来から音楽がやってくる。
未来の音を聴きたいと思う。
しかしこの男は3つしか上じゃないのでこの男がそれを聴くときちょうど3年後となってちょうど並んだ時に聴くことが多いため未来の音をなかなか聴けないということにならないために世の中にはシングルと言ってアルバムより先に未来の音楽を聴くことが出来るようにしている。
だからシングルを聴くことの大事さを男は生まれて初めて解ってその愛する曲たちがワールドを作り出したアルバムを近々聴けることのたまらない嬉しさと喜びに男は後悔をちょっとした。
何故ならそのアルバムは2013年に輸入版が既に発売されており、それを今になって知って初めて聴くと言うことは2年もの未来の時間をこの男は失ったということだから、男はショックでしかし届くことのわくわくさを胸に抱いて今息をしている。
でも今日夢の中でPOPNONAMEがかかってたので今日聴きたかったのに今日頼んでも今日届かない。
家の中にタワーレコードがあったら今すぐ買って聴けるのにもしくはタワーレコードの中に自分の家があるのでもよい。
壁はなくって毎日人々がCDやらDVDやらを買いに来るのを手に茶碗、手に酒を持ちながら観察している。
もしこの男が好きなCDを手に持ってレジに並ぶ人間がいたときはすぐさま走り酔って「おれ、おれ、おれも、こ、このアルバム、好き、ええよ、これ」と言いニヤリ気色の悪い笑顔を他人に向けてあとで思い出して自己憎悪の果てまた。
何かに泣くのだろう。
「恋人から連絡が来ない」と言って苦そうな顔で日記を書いてポエティックテクノサウンドポップを聴いて、酒。
「今日から自動書記を禁ずる」そう言ってイカナゴを、と書いて男は黙り込む。
なんでもない、気のせいだこの男はそんなワードをワールド創作に必要としたはずがないはず。
今日も暗くなってくる。朝からずっと雨で曇りでどちらかわからない窓を閉め切っているんだわかるはずがない磨りガラスは外の世界がこの男に見えないようにするため作られたことをこの男は今も知らないまま。
音楽を聴いているこの男の未来の音楽を待つ男は今と過去の音楽を聴いている。
未来の夢を見ていた。しかし目覚めるとそれは過去の音楽だった。
最近ずっと尿意と便意を限界まで我慢してしまうがなんでだろうと男は思っていた。
酒を注ぎに行くついでに用を足せばいいものをそれをせずにまた椅子に座る。
まだ我慢できる、とこの男は我慢して意味のないものを我慢して何かを成し遂げようと必死になる。
用を足してなんのいみがあるのかとこの男は思っている。
用を足すことに意味を見出せないから限界まで我慢して膀胱炎になりかけている。
生きることに意味を見出せなくなった者は限界が来るまで生きるための日常的な行為をやめてしまうことを男はまだ知らない。
膀胱が痛くなって重い腰をしぶしぶ上げるそれも酒を注ぎ足しにいくついでだから、ただのついでで行くだけだからと言い訳をぶつぶつ言いながら。
意味のないことを絶対したくないからでもただのついでにするだけだから意味がないとかあるとか関係ないはずだと男は納得するまで座っている。
膀胱が破裂しかけてるのにパスタを食べているのはこの男だ。
我慢している顔を誰もいない部屋で誰にもさとられないようにしてすっきりした顔でパスタを口に運んでいる。
やっと男は重苦しい腰を上げてドアを開ける。
スッキリした顔で酒のグラスを持って男は戻ってきて机に向かって椅子に座る。
さっきはゴールドテキーラにドライベルモットとライム果汁と水で割ったやつだったが今度はスカイウォッカとグレープフルーツ果汁と水で割ったものにしている洗ったマドラーを床に落として床に置いていた鍋の蓋に当たりチャラララァンと鳴ったので男は吃驚した顔をした。
男は食欲がない目の前を横切ってゆく埃を目で追っている。
何故炊いた米をジンとテキーラと一緒に冷蔵庫に入れておいて米が硬くなってしまうのかこの男は思い悩んだ。
硬くなった米をライブに持っていくと食べるとき硬いから柔らかい米のほうが男は持って行きたいと思っている。
電子レンジで温めて持っていくという手はあるけど足はない足で持っていくのはなかなか大変だ。
でも結局向こうに着けば冷めて硬くなるのだろうそんな未来が男に待ち受けていることをこの男はまだ知らない。
たくさん人が踊っているところで硬い米は食べたくないたくさんの人が踊っているところで柔らかい米を食べたほうがいい。
今日は2015年だが明日も2015年なのだろうかと男は思っている。
安い酒の悪い酔い方を楽しんでいるこの男は今がどこにあるかをまだ知らない。
未来の男はきっと知っているだろう未来の音楽を聴くのが楽しみだそこに今があるのを知るときが楽しみだ。
そのライヴでこの男は踊っている歌っている。
それ以外は何も覚えていない。
目が覚めると何の音楽が鳴っていたか思い出そうとしても思い出せない。
その音楽はその男の中で流れている。





Echonomist - Lean on (feat. popnoname)

神戸オランダ祭

神戸の町をオランダの町にしよう。
っつうことで神戸は近々オランダになるらしい。
どうも神戸という土地の因果がそうならざるを得ない理由を伴って存在しているようで。
ニュータウンなんかもそれを計画的に行ったものであるようだ。
非常に深刻な問題というか、現実である。
神戸がオランダになるということは日本の一部が劇的に外国になるということで
それはオランダ村に日本人が住むと言う奇怪な自体が発生すると言うことであり
神戸にできるオランダ街を平穏に保つにはやはり外国的な武器が必要となるため
銃を大量に、既に輸出されていると私は知った。
日本の一部に銃が大量に運ばれている現在、それは何を意味するであろうか。
いつの世も画期的な文化の進化に犠牲になったものたちを忘れるな。
今回の神戸オランダ共和町政策で犠牲と為るのは神戸の町と、そして神戸に住む人たちすべてである。
確かに神戸には異人館と言うところがあり異国を愛している異国慣れの町でどこよりハイカラ的イメージを持つ日本離れした町である。
もっともっと異国的にしたら、もっと人が賑わう、そう踏んだ政治家達は「神戸をもうオランダにしてしまおうよ。そうしようよ」と言って決めたということかどうかを私うぁ妄想している。
とにかく、神戸はもうどうしたってオランダになるらしい。
私は政治家達を恨む。
神戸をオランダにした政治形ヲ許さない。
私は闘うつもりだ。
今、大量に輸出されている銃を手に持ち、見えない神戸の土地に向かって撃つ。
それはどうゆうことかとゆうと、神戸にまつわる因果そのものを私はアレしないとって思ってないけど、でも神戸がオランダになる神戸オランダ祭の日には私は、思う。
この世の終わりは、近いことを。
目が覚めて私は思った。
明日キューブボックスを4国見立てよう。
過負荷の城を組み立てるように。