透明な世界

絶望 酒鬼薔薇 透明な世界 離人症 絶歌

酒鬼薔薇が「透明な存在であり続けるボク」と言ったあの言葉の意味のはじまりは社会全体のことというより、たった一人、母親に自分の苦しみをわかってもらえなかったことだったんじゃないか。
彼は母親にだけ自分の苦しみをわかってもらいたかったんじゃないか。
母親にわかってもらえないという絶望が祖母を失う前からもあって、祖母の死によって〈仮の〉愛情さえも失ったことから、その愛憎と性的な強力なエネルギーが結びついて命を破壊することで自分を破壊していくことで、母親に愛されない自分と自分を映すすべてのものに報復したかったのではないか。
自分を愛してくれない母親への愛憎が、愛されないのは自分がだめだからだという自分自身への愛憎となり、そしてその愛憎が自分が映した鏡であるすべてに向かわれたのではないか。
母親に愛されない自分は価値がない、そう思う彼の心は自分自身で自分は透明であると感じることによって、自分以外のすべてが透明に見えて、自分以外の価値さえ自分と同じように価値を感じられなくなっていったのではないか。
「透明な存在であり続けるボク」という感覚は同時に「透明な世界に透明な存在であるボクがい続ける」という感覚だったのだと感じる。
自分は透明なのに自分以外は透明ではないという感覚はあり得ないからだ。
だから「透明な存在であり続けるボク」は「透明な存在であり続ける世界」と書き換えてもまったく同じ意味を伴っているだろう。
彼は当時と鑑定時に離人症状があったと言われている。これは私が11年前に父を喪ってからずっとある症状で、現実感の欠如、まるで夢の中にいるようにふわふわと浮いているような感覚、もう一人の自分が自分を見ているという感覚、生きているという心地がないという感覚、自分が今ここにいないという感覚などがあって、これが著しい精神的ストレスなどにより酷くなると、おかしな行動に出ることもある。
私の場合は25歳のときに恋人との喧嘩で深夜2時ごろに家を裸足で飛び出し、道路の脇にずっと蹲っていたことがある。いつも以上に現実離れした感覚があり、もうすぐ待っていたら死んだおとうさんが迎えに来てくれると信じてずっと一人で人も通る場所で蹲っていた。普通の感覚だとこんな場所で蹲っていたら恥ずかしい、人を驚かせてしまうと思いやめるのだがそういった現実的な感覚をすべてなくしてしまう状態で、彼も犯行時は同じような〈人間を自分が離れる〉というような感覚に襲われていたのだと感じる。
そしてこの離人症の感覚を知る人なら「透明な存在であり続けるボク」という表現がどれだけこの感覚の的を射た表現であるかわかるのではないだろうか。
まさにそのような感覚だからだ。そして透明なのは自分だけではなく、自分以外のすべてとこの世界に感じる「透明な世界」でしか生きていけなくなった透明な人間の悲しく切実な叫びだったのである。
しかし私が意識的に離人症の感覚に生きていると感じたのは父を喪った22歳のときからだと思っていたが、「透明な存在であり続けるボク」に深く共感したのは15歳のときなので、私はその頃から既に今と比べると浅いものの離人症的な感覚にいたということになる。
絶歌」では彼は自分がどれほどクラスの中で目立たない存在だったかを書いていたが、わたしが思うには彼は誰よりその異質さで目立っていた生徒だったのではないかと思っている。彼が自分は誰にもわかってもらえないと感じるのは、彼が一番にわかってもらいたい母親にわかってもらえないことによる自己喪失感を常に持って生きていたからだろうと感じる。そしてその自己喪失の自分の目に映った者たち全員にも自分に自分が見えないように見えてないんだと感じていたのだろう。自分自身が自分を見えないのに、他者は自分を見えていると感じることはないからだ。
自分を自分の目が追っているという夢を見たことがある人にはわかりやすいだろう。自分が道を歩いている、その自分の姿を少し離れたところから自分の目が見て観察している。この感覚が離人症によく似ている。幽体離脱しているわけではないので自分の意識だけが自分から離れたところにいつもあって、常に他人を観察しているような感じで自分を見ているという感覚だ。
そしてこの離れたところにある意識が同じように他者をも見ているわけだ。見るのはいつでも自分から離れた意識になる。そんな意識が自分も他者も同じように他人のような感覚で見つめている。だから自分が怒っていたら、他人が怒っているのを見るように、ああまた怒っているな。とまるで他人事のように見たりするわけだ。確かに怒っているのは自分であるのには違わないが、自分の意識が離れたところにあるため、言わば自分の感情をいつも冷めた目で自分の意識が見ているということになる。だからこのような人間はどんなに感情的な人間であっても常に冷め切っている。情熱的な感情さえもいつも冷めた目に見られているために、心の底から喜ぶということができない。どんなにいい笑顔を向けてありがとうと人に感謝を述べても離れたところでもう一人の自分が冷めた目で無言で見ている。これは天使と悪魔みたいな両方が自分というものではなく、表れる感情というものを自分が一切認めないというどこまでも冷静な本当の自分の意識を常に自分が感じているという感覚だ。
熟睡して夢も見ていないとき以外この感覚から逃れられないというのは結構たまらなく苦しいものだったりする。
私は今でも彼がこのような感覚に在るような気がする。
もしそのような症状が当時より少し抜けているのだとしたら、彼は夢の中で行った殺人を、朝目覚めて、現実の世界で自分の夢の中で犯した殺人の罪を償い続けている感覚に近いだろうと思っている。
しかし抜けていなければ、彼は夢の中で行った殺人の罪を夢の中で今でも償い続けているのだろう。
そして私も、夢の中を抜け出ることができない。
春には桜が咲き、夏には蝉が鳴き、秋には銀杏の葉を踏み、冬には一年の終わりがやってくる、私はそのことになんの感情も持たない、時間が流れているという感覚がないからだ。
自分の中は時間が止まっているので、季節の移り変わりがただ意味もなく季節の本のページをペラペラめくっている感覚にしかならない。
夢の中では時間の感覚を持てないのと同じだ。
春の桜の色、夏の鮮やかな緑、秋の紅葉の橙、冬の真っ白な雪、それを見てもすべてが透明にしか見えない人間がいる。
自分が透明になってしまった人間はどんな色を見ることも叶わない。
色を映すことのできる自分の目を喪ってしまったからだ。
彼の「絶歌」の風景描写から、そういえば私はなんの色も感じなかった。なんの色彩も思い出すことが出来ない。
でも彼が見た風景は何より美しいと感じた。
それは、光そのものだと思った。
それはそこにある悲しみが、すべての色を喪うほどの悲しみだと感じたからだった。
彼は私よりずっと悲しんでいるとそう感じる証だった。
彼の描く風景描写はそのすべてを物語っていた。
まだ彼は「透明な世界」にいる。そう深く確信できた。
それが私の「絶歌」に対する一番の賛美だ。

酒鬼薔薇聖斗と私

酒鬼薔薇聖斗と私の共通点はどれくらいあるのだろうか。
まず最初に知った酷い共感を覚えたものは彼が声明文に書いた、
「透明な存在であり続けるボク」という言葉だった。
この言葉が何の違和感もなく自分の腹の底にすんと居座り、以後疑う瞬間は来なかった。
私が15歳のときの6月、彼が14歳のときの6月のことだった。
彼は私より一つ下の子で、私は誕生日が8月4日で彼が7月7日だったので、彼が15歳になって同じ歳に並ぶそのひと月の間を惜しむように過ごした。
私は彼に、それから5年間もの月日を彼への大変な片想いに胸を焦がし続ける日が始まった。
私はその5年間、彼の顔も知らなかった。
聡明でほんの少しつりあがった細めの目、それくらいしか知らなかった。
名前も知らなかった。
彼が医療少年院へ移動になったときに彼の青いサンダルを履いたその足が車から降りる瞬間を捉えたニュース映像を録画したのを、家で独りのときになんべんも、なんべんも、繰り返し見ては、切なくため息を吐いていた。
ゆうたら彼の肉体で知ったものはその足先しかなかったのである。
足先フェチであるために、足先さえ見れたらもうそれで十分だ、という意味の切なき溜め息という意味ではなくて、たった足先しか見ることが叶わないというつらさのという意味の溜め息だ。
あの頃、よくこんな幻想をしたものだ。
あれはそういえば一度夢に見たのだった。
彼は今から初めて人を殺すという一線を越えようとして、バス停の前のベンチに静かに座っていた。そこに私は近づいていって、泣きながらしがみついて懇願する。
『あの子を殺さないで!』と。
その夢を見たとき、遺族の方の手記を読んだ後だったか思い出せない。
彼の罪は、彼だけの罪ではないと感じた。
彼の根源的な要素である、「透明な存在であり続けるボク」に深く共感するしかなかった自分自身の罪でもあるような気がしてならなかった。
他人事にはとても思えなかった。自分に関係のない罪だとはどうしても思えなかった。
その頃は全世界的にシリアルキラーブームが巻き起こっていた時代で、兄がちょうど持っていた外国のシリアルキラーの事件を特集して書かれた本を、その後隠れて読み耽ったりしていたが、私は彼以上に魅力を感じる殺人者はいなかった。
またまた兄の持っていた死体写真の載っていた雑誌を隠れて見たとき、私は美しいと感じた写真を二枚覚えている。
一枚は、交通事故で手首の部分から切断されてアスファルトの上に転がっている綺麗な爪の女性の手首の写真だった。
綺麗なカラー写真なので切断面はとても生々しく、その写真を兄と一緒に見たわけではないが、兄はその後、鶏肉を見ると、どうも死体に見える、ということを言っていたのは、たぶんあの写真のその切断面がとても、鶏肉の肉の色と黄色い脂身の部分に酷似していたからだろうと思っている。
もう一枚は、確かにその椅子に座っているのは黒く長い髪の女性であるとはわかるのだが、その髪の部分以外は、もうなにがどうなっているのかわからないくらいに原形を留めていない、たぶん至近距離から威力の強い機関銃のようなもので何度も撃たれて殺害されたと思われる血と肉の色がとても鮮やかな、あまりに酷い写真だった。
その二枚の写真を見たとき、私は美しいと思った。それは今見ても、同じように思うと思う。
見たいとは思わない。でも見てしまったのなら、そう思うと思う。
不謹慎だという思いを、越えてしまう感情を人間は持っている。
それは、人間の闇なのだろうか。
「間」という字のその門の中にある日の上に、いったい、何が立ってなんの音がするのか。
日の上に立とうとするもの、それは自分しかいないんじゃないのか、そしてその音は、何かが砕かれる音なのではないか。
しかし、何が砕かれるのであろうか。
砕かれては為らないものが砕かれ、その音が闇になるのだろうか。

猫がまたさびしそうに鳴いている。
私はあの頃ほんとうに影響を受けて、私の精一杯の猟奇的な快楽が、夕食の支度をしているとき、買ってきた秋刀魚のはらわたを出すときのあの甘美で恍惚な感覚だった。
今思い出すと、あれにはぞっとする。今あれをしろと言われたら私は耐えられない。まな板に一滴の血がつくことも嫌で厭で堪らない。
それなのに、「絶歌」を読んで、恐怖を感じることがなかったのはどういうわけだろう。
彼が全くの愛のない状態で行っていたなら、私は間違いなくぞっとしたのではないか。
または、愛が浅いと感じるのなら、私は吐き気も催していたはずだ。
それは、私が彼を愛しているからなのだと、私は自分に言うことも出来る。
私の愛を彼が反射しているに過ぎないのであろうか。
とても眩しい愛だ。そして苦しくてならない愛であり、また歓喜に震え、しかしつらく悲しく虚脱を引き起こす愛でもある。
私はもう恋ではないと言ったが、どうやらまた恋のような想いがぶり返してしまったようだ。
もしかして恋人がいるのではないか、とか、彼に廻り合いたいという想いがふつふつ沸き起こって、もう嫌だなあという思いだ。もっと高潔な想いで想っていたいのに、世俗的な想いになってどうするんだろう。
しかし昔には確かなかった、肉体的に繋がろうとすると近親相姦のような気持になるということは、彼が自分自身により近づいたということになるであろうからこれは喜ばしいことない。
喜ばしいことこの上ないであろう。
もう離れないで欲しい。これが離れると、肉体的つながりばかり求めてしまうのではないか。
彼が味のしない冷凍ピラフを黙々とただ生きるためだけに立ち食いしているときに、海老を焼いて・・・あっにんにくも・・・あとピーマン、たまねぎ、にんじんもコロコロに切って入れたいな、って海老ピラフを作って食べている自分を想像してそれが今材料がないために作れないことに悲しんでいる自分が恥ずかしくてなりません。
しかし私は思うのだけれども、彼はいつかパパになるのではないのか。
私はママになりたい。彼と結婚したいという意味ではなくて、できるならしたいけれども、そういう意味ではなくて、彼がパパになれば、孤独に生き続けるよりも、いっそう苦しめるのではないのか。
彼は何より、子供を見るのが苦しいようだ、それは当然だ、自分が奪った命と重ねあわさずに見れるはずもない、そして家庭というもの、親と子の姿、これを見ることがつらくてならないのだから、彼はパパになったなら、毎日自分が奪ったすべてを見続けなくてはならなくなる。
耐えられるのだろうか。
私は、シングルマザーになりたい。わたしが苦しめた父親の苦しみと悲しみを私は追いたい。
彼に手紙を送るとする。「愛しているので、子種だけでももらえないか」と。
絶対に拒否されるだろう。私が彼ならば、自分の血を引いた子供が離れて暮らしているなど、狂わんばかりに錯綜して恐怖に打ち震え、恐ろしさのあまりに涙を流すだろう。
そういえば彼との共通点を書こうと思っていたのだった。
私は母方の祖母が奄美大島出身で奄美の血を引いているのだが、彼は父親が奄美の離島出身のようだ。
うちの祖母は若い頃に兵庫県の尼崎に出稼ぎに来てそこで結婚したので、こっちに来てなければ母も奄美大島で生まれたのだろう。というのはおかしくないか?父親が違えば母は生まれてないではないか。
奄美大島に私は一度も行ったことがない。父と母はみんなでいつか奄美大島に行きたいと言っていたようだが、それも叶わず母は44歳で癌で他界してしまった。
母親の喪失を私は四歳で体験し、彼は母親以上に母親の愛を感じていた祖母の喪失を小学五年に上がったばかりの十歳の頃に体験している。
そして祖母の可愛がっていた飼い犬のサスケも続けて喪っている。
私は動物を故意に殺したことなどはないのだが、小3のときには故意に友だちを傘立ての上で一緒に遊んでいたときに思い切り突き飛ばして転落させ、膝がぱっくりと割れるほどの大怪我をさせてしまったことがある。泣いている彼女を見てもヘラヘラと笑いを浮かべ、指を指して馬鹿にしていた。
そして小6のときに、以前仲良くしていた子の家が火事になって、それを友だちから教えてもらったときは涙が止め処もなくあふれたが、重態だと先生から朝に告げられたとき、心の中で私は何故か「死んで欲しい」と強く祈り続け、その日の午後に亡くなったことを先生から聞いた瞬間、心の底から歓喜を上げたことがある。その後罪悪感に駆られたが、葬式の日はまったく悲しくなく、泣かなくちゃいけないと無理に泣こうと必死だったのを覚えている。
小6の頃は彼はたくさんの猫を殺していたが、私は友人の死を心から祈っていたのである。それからのちは、そのようなことはない。しかし彼は、止めることができなかった。
止める事の出来た私はそれからも楽しいことはたくさんあったけれども、止める事のできなかった彼はその頃からもう心の底から笑うこともできず真っ暗で寂しい地獄道を突き進むしかなかった。
たったひとりで、11歳の子供がおそろしくさびしい、さびしく苦しい道を歩いてゆくことしかできなかった。多くの子供達が、純粋な笑顔、わんぱくな笑顔、ごく子供らしい純真さで遊び疲れていたその毎日を、彼は両のまだちいさいおててを真っ赤な血で濡らして、激痛をもたらすほどの罪悪感の中で、性を抑える方法もわからずひとりで抱えて泣くこともできないまま生きていた。誰にも気付かれずに、暗黒の世界でしか生きる方法を見つけられずに人間というものを封じ込めて人間ではないもののように暮らしながら、それでも人間でいることしかできなかった。
人間をやめることなど、できるはずがなかった。人間は何をしても人間でしかいられないのだと彼は気付きながら人間のやってはならないことをやることでしか道を歩いてゆくことができなかった。
彼はたくさんの自分を殺すことでしか生きていくことが出来なかった。
彼は自分をなんども、なんども殺すことでしか生きていくことが出来なかった。
自分を何度も殺しても、自分を生かすことができるか、自分を赦すことができるのか、自分を愛することが出来るのか、そう神に挑戦状を彼は何度も送りつけた。
自分の一番大切なものを奪った神に対し、自分が苦しむことによって、自分を苦しめることによって、神に後悔させようとした。
自分自身を何度も殺すということが、一番神を苦しめる方法だとわかっていた。
自分を一番苦しめる方法を、彼は何度も、何度も行った。
自分を一番苦しめる方法が、神を一番苦しめる方法だと知っていた。
神を心から後悔させること、それしか愛を感じる方法は見当たらなかった。
彼は自分を苦しめる方法しか探していなかった。
自分を苦しめることでしか、愛を感じることができなかった。
だから彼は多くの自分を、殺すことしかできなかった。
そして、今心から後悔している者は、彼自身である。


私は兄と姉から「おまえのせいでお父さんは死んだんや」と何度も言われてきた。
11年半が過ぎたが、今でもそう思われていると思っている。
彼と私の共通点は、本当に多い。
彼が命を殺すようになったことに性というものが大きく関係していることは前々からわかってはいた。しかし「絶歌」を読んで、より共感を覚えたのは、彼が自分の性欲に対してものすごい罪悪感を持っていたことを知り、私は酷く喜んだ。
私がマスターベーションを覚えたのは彼より2年早い小3のときだった。
しかし私が自分の性欲に対してのた打ち回って苦しむほど罪悪感を覚えだしたのはもっとあとの中学に入ってからくらいではなかっただろうかと思っているが、よく思い出すことができない。
性欲というものがとてつもなく穢れているものだという感覚は、それを知りだした頃からあった。
中学時代だろうか。よくこんなことがあった。お父さんと楽しく話していて、ああ楽しいなあ、と幸せを感じた瞬間決まって、私が最も汚らわしいと思っている醜いエロマンガのレイプシーンの描写が脳内に浮かんで、絶望する、ということがよくあった。
すべての幸福感を一瞬にして絶望へ変貌させられるほどにそれは汚らわしく醜い自分の欲望だった。私はそんな絶望的なものに何より興奮していた。
自分だけの性欲に絶望的なだけではなかった。
私は父親が失楽園のドラマを見ているだけで気が狂いそうなほど苦しみ、気を落ち着かせるために腕の部分にカミソリで傷をつけたりしていた。
彼は小学六年の頃から自傷行為をしだしたが私はだいぶと遅れて19歳から自傷行為をしだした。
そして極めつけの絶望を私に与えたのは、皮肉にも父が私の欝が治るようにと買ってくれたパソコンだった。
父は驚くほどに私の苦しみに無知で、私に隠れて見ていたことは確かだが、デスクトップ画面に堂々とアダルト動画のアイコンが出ているときもあった。
もしかしたら消す方法もわからなかったのかもしれない。
Windows Media Playerの履歴を偶然見てしまい、そこに自分と年が変わらないくらいの女性が自慰をしている動画を観てしまったこともあった。
私はその頃から、重い鬱で寝たきりになり、60歳で自分から退職した父は釣りに行く以外はいつも家にいたので、家事のひとつもせず起きてこない私と一緒にいることで、父もだんだんと元気を失っていった。
そしてそんな状態のまま、父は62歳で死ぬことはないと医者に言われた肺炎であっけなく死んでしまった。
性欲の嫌悪というもので私は最愛の父を死なせてしまった。
性欲への憎悪さえなければ、私は鬱にならず、父も弱って肺炎で死ぬこともなかったのだと思う。
私のせいで父は死んだ、私が父を殺したようなものだ、それは本当なので、誰が何を言ったとしても、自分は自分をずっと赦すことはできないし、一瞬でも赦すつもりもない。
自分が一番嫌悪するもので、自分が一番興奮してしまうという事実、そして一番興奮してしまう性欲というもので愛する者たちを死ぬまで苦しめ続けるという自分の存在を私と彼は何より憎悪して何より穢い存在だと思っている。
だからすべての者が彼をどんなに非難しようとも彼はむしろそれを喜ぶだろう。彼は自分を苦しめることでしか喜ぶことが最早できない。
彼は自分が最も苦しむ方法しか、探していない、求めていない、望んでいない。
私も同じだから彼がやっていることが何一つ矛盾していないのだということがわかる。
彼が誰一人に非難されなくなっても彼の根源的な苦しみは軽くはならない。
私が兄に赦されても、私が姉に赦されても、私の苦しみは小さくはならない。
ただ今以上に苦しめることしか、望んでいない。彼も私も。
性と死の繋がりが、私にも彼にも在る。それは、自分の死だ。
自分のせいで誰かが死ぬということは、自分の死でしかない。
そのような死はどうやって生きることができるか、もう生き地獄以外を一瞬たりとも望むのはやめようと誓うこと、彼はようやく生きようと思い、生きたいと願うようになった。
そんな彼を知って、私もようやく、「もう一度生きようと思った。」と思った。
今思えば、18年前にこの誓いは既に私と彼の間で交わされていたように感じる。
「生き地獄以外を一瞬たりとも望むのはやめようと誓う」人生を生き抜こうと互いに誓い合ったような気がする。
そのような道しか僕らにはないんだよ、そう彼が心の中からコンタクトを送ってくれたように感じる。
私は君を苦しめられるならどんなことをしてでも苦しめたいが、今こうして肯定の言葉ばかり書いている。
彼の苦しみを信じるのは自分の苦しみを信じたいことに他ならないのだろう。
苦しみに縋るようにしてしか生きていけなくなったのだろう。
いつでもそれが、依存という形であった。
母に依存し、性に依存し、父に依存し、絶望に依存し、苦しみと悲しみに依存することしかできなかった。
命に依存し、死に依存し、美しいものに依存した。この世界のすべてである神に依存し続けた。
私は心から依存を愛する。愛とは依存そのものであると感じている。
彼は自分のやったことを肯定する日は一生来ないだろう。私にも一生来ない。
自分を肯定することをしないのに、自分を映したすべてのものを肯定していくとは、なんという作業だろう、どれほど混乱という苦しみを彼に与えるだろう。
光を感じるほど、彼は苦しみを覚えることができるのだろう。
だから私は彼に光を与えたいと思う。
私も彼も光を求め続けるだろう。
必要なすべてを求め続けるだろう。

彼が救われなければ、殺された子たちも、たくさんの生き物たちも救われることは決してないだろう。
殺された子供達の冥福を祈ることは同時に殺した彼の幸福を祈るということだ。
そして彼の幸福とは、彼が何よりも苦しんで罪を償って行きたいと誓うその愛にしかないのだろう。
殺された子供達の冥福は、自分を殺した彼がその愛によって生きることができることにしかないのだろうと私は思う。
だから彼が耐えられ得る限りの苦しみを苦しみ続けられるように私は祈り続ける。
私が彼に似ていると思うところは、元々、彼も私も苦しみでしか生きられなかった人間だったのではないかというところで、何よりそれに私は心の奥底で共感し続けていた気がする。
苦しみを言い換えれば、悲しみという言い方になる。
彼の好きだったユーミンの「砂の惑星」という曲も、あれは悲しい音階の曲だ。
私もそういえば小さい頃から教育テレビで流れていたみんなの歌の谷山浩子が歌う「まっくら森の歌」というとても悲しくて寂しい歌が好きだった。
14歳で生まれて初めて夢中になったゲーム「クロノ・トリガー」というRPGゲームの音楽で一番好きだったのは「風の憧憬」という寂しく悲しげな曲だ。
クロノ・トリガーは95年にリリースされ爆発的な人気を博したゲームだと思っているのだが、彼はクロノ・トリガーをやったりはしていなかったのだろうか。
クロノ・トリガーは世界で一番素晴らしいRPGゲームだと私は思っている。
しかし私はそのあとくらいから不登校になりだし、中三では滅多に行かなくなり、たまに午後から行っては休憩時間に一人で中原中也や宮沢賢治の生涯の本を読んだりしていた。
私が人生で一番最初に深い共感を覚えたのは中三のときに中原中也を知ったときだった。
中也が十五歳の頃に地方新聞に送って入選した八十四首の短歌のなかで、一番印象的な歌がある。

「人をみな殺してみたき我が心 その心我に神を示せり」

私がこの歌に彼を見るのは、前半の部分ではなく、後半の「その心我に神を示せり」という部分だ。
神聖かまってちゃんのアルバム「みんな死ね」が多くの者の共感を呼び馬鹿売れしたように、全員を殺してみたい、全員死んで欲しいと思うことは多くの人があるが、そう思う自分は神を示している。神を示した。と思う人はあんまりいないのかもしれない。
彼は最初に猫を殺したときに、死を自分でコントロールできたことで、僕は死に勝利したのだ。と胸を震わせた。死とは、言い換えれば神である。神に勝利し、自分が神であるのだと神に向かってそれを示したということになる。
中也はしかしのちには二十一歳の頃に「寒い夜の自我像」という詩で


神よ私をお憐(あわ)れみ下さい!

 私は弱いので、
 悲しみに出遇(であ)うごとに自分が支えきれずに、
 生活を言葉に換えてしまいます。
 そして堅くなりすぎるか
 自堕落になりすぎるかしなければ、
 自分を保つすべがないような破目(はめ)になります。



と深く神に赦しを乞うように書いている。
自分の罪の重さを知る者ほど、神に赦しを求めずにはおられない。
自分の愚かさを知る者ほど、この世界において、自分がちっぽけな存在であることを覚えずにはおられない。
彼と中也は似ているように思う。
高慢であるがゆえの愚かさを二人ともよく自分でわかっている人間に思う。
そんな自分に苦しみ、そんな自分がいかにちっぽけであるかをよく知っているのだと思う。
だからどんなにナルシストであれ、自己陶酔的な言葉を書くであれ、そこに書かれた言葉たちは子供のように無垢で純粋で、美しさが止まることのない水滴のように滴りすべてのページを潤わせている。


イエス・キリストは道行く野で死んで腐り果てていた大きな動物の剥き出した歯を見て、使徒たちが怪訝そうな顔をしている中、一人でそれを見た瞬間にこう言ったという。
「なんという白さだろう」
イエスは漂う腐敗臭にもおぞましき姿にも心をゆがめることなく、その歯の白さのあまりの白さに感激したという。
イエスは死を悪いものとして見ないので、その無残な死体を見ても、子供以上に純粋な心で感激したのだろう。
だから私は思ったのだが、これは下手したら、イエスは残虐に殺された人間のその姿を目にしても、同じように「なんという鮮やかな赤さだろう」というように感激するのではないのか、と思い、神は、死さえ美しいと感じるものなのかもしれない、と思うと彼が自分で殺めた子の変わり果てた姿を見て、「美しいと感じた。」のは、あの瞬間人間に理解し得ない神という真理がその時彼の内に降りたのかもしれない。

すべての者に役割があるのだと思うと、彼を非難している者たちは非難する役割を持っているのだと思える。
誰も自分のために非難しているとは思えない。非難することはとても苦しいことだからだ。
自分のためだけに人を憎悪し、人を嫌悪する者もいると思えない。
今どうしているだろうか、WIMAXが料金未払いで利用停止中なので、二日間ずっとこれを書いている。ネットが使えないと、とても静かな日々だ。ゴミ屋敷となっていた部屋を片付け、溜まった洗い物を洗った。随分すっきりとした。
私はなぜか、彼は少年医療院を出てからもずっと厚い保護のうちできっと楽目な仕事をして自由のほぼ利かない生活をしているのではないかと勝手に推測していた。
だからネットも使えないだろうし、隔離された生活の中、人々とよき交流を持って、ささやかな生きる喜びを私以上に感じているような気がしていた。
だから「絶歌」を読んで、彼のその後を垣間知ったとき、自分が恥ずかしかったし、また驚いた。
私がごろごろしたりチャットに時間を費やしている間、彼は孤独に暮らしながら肉体労働で汗を流していた。
本当に尊敬するし、感服する。
私が何度もの恋愛をしては恋愛を終わらせているあいだ、彼は誰一人も好きにならないようにと自分を制し続けていた。のだと思っている。
ストイックなのではなく、ストイックならざるを得ない彼の苦しみに憧れている。
空(くう)というこの世界の真理を開いた竜樹という賢者が、もともとはとても残忍非道でまた自分勝手な外道な人であって、しかし愛する友を何人も喪ったことによりそれはそれは苦しみ抜き、えらく悔悟し、そしてやがて真理に目覚めたという話が私は大好きだ。
聖書にもマタイ21章31節の

「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。」

という言葉があるように、「罪人ほど神の国に近い。」「悔い改める者は幸いです。彼は神の国に入るだろう。」というような意味の言葉が何度もある。
重い罪を犯した者ほど深く苦しんで自分の愚かさを反省して聖者に近づくことができるというわけだ。
しかし浅い罪しか犯したことのない者は、浅い苦しみで浅く反省することしかできず、聖人にはまだまだ遠いという意味だ。
「何故、人を殺してはならないの?」という問いに、彼自身が自らの経験により導き出した答えに私はひどく感動を覚えた。
何故、人を殺してはならないか、自分は殺されたくないだろうという答えは最早効かない、自分が生きている意味が何も解らない人たちにはその答えが意味を成さない。
でも彼は、とても素直な答えを言ってくれた。経験者ゆえの重い言葉だ。初めて引用するから緊張してしまう。


大人になった今の僕が、もし十代の少年に「どうして人を殺してはいけないのですか?」と問われたら、ただこうとしか言えない。
「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」



誰かが、ではなく、「自分自身が想像以上に苦しむことになるから」と彼は言った。これ以上に説得力のある言葉はないだろう。自分がどれほどの苦しみに耐えられるかを誰も知らない以上。彼は経験者なので、彼は自分の苦しみを死ぬまでずっと言葉にして人々に知らせなくてはならないと感じる。
彼はそれをやりたいのだと思う。これ以上苦しめたくない人を苦しめてでも、それをやらなくてはならないのだという苦しみも含めて、彼はそのすべての苦しみを伝え聞かせていかなくてはならないのだと、これはまるで神の命令であるかのように、彼はわかっているし、私はそうとしか彼を見て思えない。
神の使命を感じとる者がどのようにそれを逆らうことができようか。
神の任務以外に、どのように私たちが生きることができるのだろう。
神の愛に、底がない。
私は今日、彼の本を後ろに立たせ、その前には彼によって天に召された猫たちに、彼の手の中でひとつの人生を終えたふたりの子どもたちが護られているという世界を創り上げた。
ずっと前にヤフオクで落札した可愛いふたりの子供の置物が、とてもふたりに見えて仕方なかったからだ。
この世界は、私の信じる「神はすべてを祝福している」という世界を象ったものだ。
「神はすべてを祝福している」という世界は、すべての者が、苦しみの分だけの喜びを与えられるという世界だ。
誰かは悪で誰かは善なのではなく、あらゆる者すべてに神の愛が均等に降り注がれているという世界だ。
苦しみが深まるほどに愛が深まってゆくのならば、私たちは深い愛の中に数え切れない苦しみが秘められているのをいつの日か知ることができるだろうか。
誰かを救うためにみずから死を選んだ者の犠牲の愛が、あまりに重い苦しみでできているということをこの目を疑うことなく目の当たりにすることが、喜びになる日を待ち望んでもいいだろうか。
神の夜半の暗闇から冷気を伴う手が、朝の光の中から差し延べられる手とまったく同じだろうか。
今日泣いている者が、明日には笑うことができて、今日笑っている者は、明日には泣くことができる、それを悲しみと呼んでも、喜びと呼んでもいい、悲しみの喜びと呼んでもいい、神はすべてを私たちに任せ、すべてを神の源から行っているのだと夢の中で告げてくれるだろうか。
せめて眠りの中では、母に抱かれて眠る幼子のように苦しみから解き放たれる時間が存在するものすべてに与えられんことを。
幾度、肉体を失おうとも、また生まれたい場所へ生まれてくるように。
またその喜びが、誰かに向けられんことを。
透明な息が、私たちの存在であるということを。
殺されないようにと祈っても、自分が殺しているなにかがあるということが、とても悲しい。
すべてを愛していても、すべてを殺さないことができないことが、とても悲しい。












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絶崖の道

サカキバラは、彼は絶対に赦されたくないと望んでいて、絶対に自分を赦さない、自分を赦すことができない、自分が赦されることとは、自分が赦されないことよりずっとつらいことで、彼はもうずっと、自分をすべてが赦さないように。すべてが自分を憎み続けてくれることを切望している。
だから彼は無意識だとしても、自分が絶対に赦されない存在で在り続ける為に、絶対に赦されないであろう事を自らしてしまうのだと、私はそんな気がする。
遺族に無断で本を出し、決して出版をやめない態度は、彼が一生懸けて絶対に赦されない苦しみを地獄の底で苦しみ続けると宣告したことに他ならないのではないか。
彼は赦されたいと望んでいない。誰からも受け容れてもらいたいとは望んでいない。それは「絶歌」を読めば十分伝わってくる。
彼は一番に苦しめる方法を探している。どうしたら自分が一番苦しむことになっているか、彼は無意識であってもそれをわかっているはずだ。
でもそれは、決して一人で叶えることができない。
それは、彼が人を苦しめること以外に自分を苦しめることはできないことを昔から知っているからだ。
愛してもいない人を苦しめて、地獄の底でのた打ち回り苦しみ続けられる人はいない。
彼は、愛してやまない自分と同じ人間という存在を苦しめることでしか自分が苦しんで、その苦しみだけでしか遺族の苦しみを癒すことは出来ないのだと、どこかでわかっているのではないか。
これは矛盾だから、やめろ、というのなら、それは同時に、もうこれ以上は苦しまなくて良いと、彼に言ってることになる。
彼が苦しみたいだけ苦しめないということは、彼も遺族も誰一人も一生報われないということになる。
彼が自ら苦しみを求め苦しみぬくことが、何より遺族の苦しみを癒せる方法だと彼はわかっている。
彼が一番嫌われる方法をとったのは、それでしか遺族が救われないことを、自分も救われないことを心のどこかでわかっているからではないか。
彼の言う自己救済とは、自分を最も苦しめることでの救済の仕方だったことになる。
彼の自己救済とは、自分を今よりも地獄に突き落として、より苦しむことによって遥かに重い慙愧の念に自ら打ち砕かれようとすることに他ならない。
無断で本を出せば今以上に遺族を苦しめ、自分の大切な家族全員をも苦しめ、それによって自分が一番苦しむということを彼は誰よりわかっていたからこそ、そうするしか、彼の道がどこにもなかった。
彼に選択の余地など、どこにも存在し得なかった。
道がたった一つしかなく、あとは下が全く見えないほどの絶崖であって、絶崖に身を投げたほうが遥かに楽かと思う時もあったものの、そうすると誰一人救われないことを知っている為、それが絶対にできない、たった一つの道を行くしかない、それは絶対に苦しめたくない人を苦しめなくてはならない道であり、苦しめることでしか救えない道であり、殺生極まりない道しか彼の前に用意されることはなかったし、今もない、ずっとないだろう、彼が自分を赦すことをしない限り、彼はその道を身を引き摺るようにして、もしくは立ち上がることもできずに這うようにして進んでいる、そんな彼を見ても、誰も彼の罪を軽くすることができない、彼が赦されるようにと祈る人が在っても、彼の赦しとは、彼がどこまでも苦しみ続けることにしか在らず、彼はこの宇宙に赦されているからこそ苦しむことができる、彼以外の者が彼を赦さないと憎むこと、それがそのまま彼を赦していることになっている、彼は人から赦されてしまうほうが、彼は救われないからだ、彼は自虐行為をやってるのではなくて、彼は一番に他者を救える方法を知っている、彼は一番に自分を救える方法を知っている、彼は自分を一番に縛り付ける方法を知っている、ますます暮らし辛くなることだろう、それを彼は望んでいた、ますます生きることが苦しくなってくるだろう、彼はそれだけを望み、求めていた、それでしか、誰一人報いを受けることをできないからだ、すべてが彼を救うために存在しているし、彼もすべてを救うために存在している、各々いろいろなやり方ですべてが彼の救いに一役買っている、彼が命を愛さなければ命を殺さなかっただろう、無関心があるばかりだっただろう、私ものろのろ歩いては蹲ったりしているが同じような道しかない。しかし、生きるほどに生きたいという気持が湧いてくる。生きるほどに絶崖の深さが深くなっているような気がする。生きるほどに険しい道になってるけれども、まだまだ、まだまだ険しくなってくるということを私はひしひし、ひしひしと、まるで胸の中にヒシガエルをずっと飼っている感覚に、と思ったらヒシガエルじゃなくて、キリガエルとギシガエルだったようだ。きりぎし、きりぎし、きりぎし、って鳴いている。大合唱している。

生物の祈り

僕は今思い出しても、なんであんなことしたんかまったくわからんのやけれども、小3のとき同級生を傘立ての上に乗っかって一緒に遊んでいたときに、故意に突き飛ばし突き落として膝ぱっくり割れるくらいの大怪我をさせてしまったことがある。
まったくわからない、何を自分は考えてあんなことをしたのか。しかもそのあとまったく罪悪感のない様子でヘラヘラと笑っていてそれを他の子に指摘されて猛烈に否定して逆切れした。
なんであんなことしたんやろってことが誰でもあるとは思うのだけれども、思えば、あのとき打ち場所が悪かったら彼女は死んでしまってもおかしくなかったわけだ。
そうすると僕も間違いなくモンスターとかサイコパスとか呼ばれていたのではないか。
殺すつもりで突き落とした覚えはないけれども、何かあの瞬間を思い出すと、やはり恐ろしい。
サカキバラは怯えながら殺人を行った。と言っていた。
私はあの瞬間怯えがあっただろうかと思い出すのだけれども、ちょっとなかった気がする。
何か、ものすごい面白がって魔が差すとはああいう瞬間だとは思うが、悪魔が瞬間的に乗り移って楽しんで突き落としたような感覚を覚えている。
彼の場合は魔が差しながらも怯えを感じていたわけだ。
これは明白なる良心というものが当時からあったという証拠だ。
良心がありながら、それを止める術を一切持つことの出来なかった戦慄的な苦悩を、幼い彼はどうにか生きていくために必死に押さえ込み、心を死にすることでなんとか耐えようとしたのではないか。
最初に猫を殺したのは、彼が小5のときで、そのときも一番最初に殺めた猫に大きな怪我を負わせたことを知ったとき「なんてことをしてしまったんだ」という彼の良心が深く存在していたことのわかる感情が書かれている。
そのような良心は、私は意識しているか、していないか、だけですべての人に内在されているものだと思っている。
だから当時の私が本物のサイコパスであり、彼はサイコパスなどではなかったことを言いたいわけではなくて、サイコパスなどという存在はどこにもおらないということを私は言いたいのである。
良心を意識しながら殺すことをやめられない、これはとてつもない苦痛で、それに耐えることの出来る者にしか与えられない厳しくてならない試練に私は思った。
だから誰がなんと言おうと想像をはるかに超えるであろう彼の苦しみの深みが本物である限り、私は彼に対して頭を上げることができない。
彼の姿は、自分の未来の姿なのではないかと思える。
そのように、人は重苦しくてならない試練をひとつひとつ達成してゆく生き物としてこの明かされることのない世界にぽつんとひとり孤独に存在し続ける存在なのではないか。
誰一人、好きで人を苦しめていない、他者を苦しめていないのだということを私は「絶歌」を読んで深く確信に至った。
だから何をしても赦され、苦しまなくてもいいということを私は言ってるのではなくて、むしろその真反対の、だからこそ、人はどこまでも自ら苦しみ抜こうとする存在なのだということを言いたい。
私は彼がそれと同じようなことをを心のどこかで感じているような気がした。
多くの人に非難され続けるという苦しみが、試練でなくしてなんだろう。
世間が彼をモンスターにしたのではなく、彼は自分を止めることのできない耐え難い恐怖と苦しみに耐え続けることの出来るように、自らを彼自身がモンスターにしたのではないか。
自分は欠陥人間どころか、この世には存在してはならない人間なのだと信じることで彼が小さいころから血にまみれながら生き抜こうとしてきたのだと思うと、けなげでならず、どのように目を背けたくなる残虐な行為がそこに書かれてあっても、私は彼に恐怖を抱かなかった。
私は「絶歌」を読んで、心からあまりに深く感動したのである。
そしてとてつもなく、それからずっと悲しくて為らない。
彼は最近になってようやく命を愛でることを始めたのではない。
彼はいわば、幼い頃から命に取り憑かれていた。命を愛してやむことのできず、愛しいほどに知りたいという想いをやめられなかった。限りなく命を知ろうとした。
生命をあまりに真摯に、一途に愛するということが、それそのまま生命に優しくする、生命を殺さない、ということには繋がらないのだと知った。
蝶の美しさに取り憑かれた者が、蝶を捕まえて愛でたあとに殺して採集するのと同じなのだろう。
魚の魅力に取り憑かれた人が、魚を痛い針で釣り上げ、殺して食べることと同じなのだろう。
対象を愛し夢中になるほどハンターのように追い掛けて、その命を自分のものにしたくなる。
残酷に、殺してしまうことがあるのだろう。
彼の愛があまりに深いと証明できるひとつが、あの細密で全く完璧な風景描写を目にした瞬間の目を離せないほどの美しさだった。
私はこれまでほんの数回だけ、そのような神懸かった言葉に出会ったことがある。
町田康はなんべんもある、そしてウィリアム・バロウズの「裸のランチ」にもある。
何十分と眺めていてもまったく飽きの来ない文章に出会ったあの喜び、それがたった一行でもあるなら、わたしはものすごくその本を評価する、何故ならたった一行ですら、滅多に誰も書くことができないからだ。
物を書いたことのある人にはよくわかると思うが、風景描写も心理描写も、ものすごく、ものすごく難しい。
ほぼ大体の作家が、読んでいて早く終わらないかなっていう風景描写しか書けないし、またごく凡庸な心理描写しかできない。
そう思う私の心が凡庸だからだろうと言われたらそれまでだが、というか自分の小説自体が凡庸じゃねえのって言う人があるとは思うが、自分の小説すべてが凡庸だと感じていたなら小説など書けない、わたしが評価しなくて誰がする、だから私は本が好きなのに、だいたいの本が読んでいて苦痛な描写のだらだら続く本が多い。
だから何が言いたいかと言うと、彼は小説家にならなくちゃいけない人だと私は切に思う。
何故なら、小説で人の命を救うことも私は可能だと思っているからだ。
本当に感動した物語とは、人を生かし続けるくらいの力があると私は感じている。
命を奪った者が、小説でしか人の命を救えないのだとしたら、これは誰が何を言おうと書かなくてはならない。
そういう無意識の使命感が彼の中に在るように思う。
彼の生きる道とは、誰かの生きる道に他ならない。
私は彼の苦しみ、彼の悲しみが本物(愛)である限り、彼を全面的に全体的に頭の天辺四指の先端まで肯定し、擁護し続ける。
それが自己愛というものだ。
彼が決して赦されないことを、彼が決して己れを赦さないことを祈り続けること、それが自己愛というものだ。
私は彼を殺さないとは思うが、彼の生ある限りの地獄を望み続けることの自己愛を彼が持ち続けるように祈る。
私を映す彼を映した私を映し返す彼が持ち続けるように切に、切に、祈る。

Parts of Machine

今、彼は、被害者の方たちは、どのような思いでいるのだろう。
彼は遺族の方をさらに苦しめることになろうとも、「絶歌」を出さなければならなかった理由が、彼の限界に近い苦しみからの行為で、彼がどうしても生きて償い続けたいという気持の強さを、受け容れてはもらえないということの苦しみが、一番わかってもらいたい人に届かないということの苦しみが彼の限界に近い命に今、降りかかっているのだろうと、私が願っているかのように、彼が苦しんでいるんだろうと思うと、母親のように抱き締めてやりたい気持ちにもなる、でもそれが許されなくて、その幻想を抱くことはいいけれども、実際に抱き締めることはどうしてもできない、たった一瞬でも、そういえば思い出すなあ、泣きながら父に抱き締められたあの時、あの頃から私は父に抱き締められる資格などないと感じて、素直に喜ぶことは到底できなかった、むしろ抱き締められて、その愛情を強く感じて悲しくて悲しくてならなかった、ただ抱き締める父と抱き締められる娘が二人で泣くことしかできなかった、「育ててくれてありがとう」の最初の「そ」の字も言えなかった、何一つ感謝の気持を伝えられないまま、父を死なせてしまった。
思えば私は22歳で親を失ったが、彼は14歳でもう二度と親や家族と一緒に暮らすことの出来る日々を失ったのだな。
どんな寂しさなんだろう。
私は22歳でまったく時間が止まったが、彼は14歳のときから時間が止まっていると言った。
言葉以外で生きる術を失ったのに、言葉すら奪われたら、彼はどうやって生きて償っていけばいいのか。
たった一人で、90歳とかまで生きる可能性もあるわけだから、そうすると、あと60年近くたった一人で地獄の日々を彼は送る。
彼の喜びとはまさに、苦しみ続けることにしかなく、自分の身体に鞭を打ち続けることでしか生きていくことができない。
「絶歌」の風景描写は、ほんとうに美しいと感じた。まさに神が宿った言葉のように、その言葉自体がものすごい光を放っていたから、私は何分もその文章を見つめ続けていても飽きることがなかった。彼の文章は、まるで絵画のようだ。
「もうね、かなわないって感じ?」って私もほんとうに思ってしまったん。
何故あのような、子が子を殺すという悲劇が起きてしまったのか、誰も、誰も、誰もわからない。
苦しみが苦しみを連鎖させている。その連鎖を、肯定することが出来ない。
人はどうしても、他者を苦しめることを、心の奥深くで肯定することが出来ない。
他者を苦しめて、心の奥深くでも苦しまない人はどこにもおらない。
どんなに残虐なことをした人でも、その残虐なことをした人を苦しめる人が苦しまないことはない。
だから死刑を賛成する人が苦しまないこともない。
みんなが苦しみを求めている世界だから、人は人を憎み、人を嫌い、人を見下し、人を馬鹿にし、人を嘲笑い、人を虐め、人を苦しめ、人を傷つけ、人を非難する、このどれをも、その人を必ず苦しめる。
大なり小なり、全員誰かが誰かを苦しめ、自分自身を苦しめている世界だ。
大なり小なり、全員がサディストであり、全員がマゾヒストだ。
大なり小なり、全員が同志だ。だれ一人除け者にはできない。
大なり小なり、全員がどこか絶対におかしい。完璧と為ると天に昇って地上で生きられなくなってしまう。
大なり小なり、全員トイレで大か小を足し、小を足した者が大を足した者を非難してしまうことをやめられない、誰も止められない。
誰も、誰も、誰も止められない。誰も止まることができない。
その涙が、枯れる日が来ない。
でもハンカチィフを投げることはできる。そっと渡すことは出来る。塵紙を配ることはできる。
涙で濡れたハンカチィフは色が濃くなり、柔らかくなる。塵紙で鼻をかむと、鼻糞も取れる場合がある。
何が言いたいかと言うと、とにかく、なんらかの変化がそこに生ずる。ということを俺は言いたい。
変化するとは、それが止まってないということであって、だれ一人、変化しない者はいない世界だということであり、俺も変化して、君も変化してゆくんだな、って思って、せつなくも為れば嬉しくも為る。
そういえば彼は太宰治のことをちょっとアレしてたけど、食物を食いたいという欲望がないってところ太宰治そっくりじゃないか。
ものを食べる苦しみや、性欲の苦しみなどは煩悩の苦しみだけれども、それのない人というのはさらに苦しい苦しみを苦しんでいるのだと思う。
だから太宰も煩悩を超えたところにあるさらなる苦しみを苦しんでいた。
だから太宰を嫌わないで欲しい。って俺は太宰が嫌いだった頃の過去の俺に向かって今言っているところ。
おかしいよね。未来の俺が過去の俺に向かって何かを言うなんてさ。
今ここにいる俺は過去の俺なのか。
彼はそういえば、過去の記憶がものすごいはっきりとした今目の前で見ているかのように視覚的に鮮明にその瞬間を記憶する能力を持っているようだ。
だからこそ彼の記憶は彼を存分に苦しめることが出来る。
その能力さえもが、彼を苦しめるために絶対的に必要だった能力だった。
だから絶対に、彼はこれからもたくさんの本を出して欲しい。
彼を最期まで生かすことは彼だけの責任ではなく、すべての責任ではないか。
生き続けることによってでしか償えない罪がある。
彼の本が世に出ることを許すということは、彼が十分に償えることを望むということになる。
彼の生きる道を閉ざすことで救われる者はいるのか。
たとえば僕も彼と同じで人に優しくされたり、人に笑顔を向けられることがとんでもなく苦しいことで、人と会うことがつらくてならないから働いてないけど、僕が働かずに生きるという僕の生きる道を閉ざして救われる者はいるのだろうか。
僕ははっきりと、僕の生きる道を閉ざすことで誰かが、僕の救いたい者が救われることを知るなら、僕は死ぬことを選ぶこともできると思う。
それは彼も同じだと思う。
もし彼の愛する者すべてが彼に向かって死んで欲しいという気持を伝えたなら彼は生きることをやめて死ぬんじゃないだろうか。
彼が何のために生きてるのか、なんで彼は生きたいと願うのか、彼が生き続けることでしか救えない人たちがいるからじゃないだろうか。
例えば僕は家畜が殺されて欲しくないから家畜を救いたいから家畜を愛しているから肉を食べないけれども、いざ殺さないと生きていけなくなれば何十頭でも殺してでも生きる。ものすごい苦しみに死ぬまでのたうち苦しむことになるだろう。そうしてでも自分は生きて苦しまなくてはならないのは、そうすることでしか救えない人たちがいると感じるからだと思う。
それと同じようなことで、彼は決して遺族の方たちをこれ以上苦しめたくはない、という気持が強くあるけれども、極限の状況に今あって、生きていくために、どうしても苦しませなければならなくなってしまい、無断で本を出すしかなかった。
生きることでしか救えないのだと思う人がいると彼も感じているからじゃないだろうか。
彼の生きる道を閉ざすことは、同時に彼が生きることでしか救えなかった人たちの生きる道をも閉ざすことなんじゃないか。
たった一つのパーツを抜き取るだけで、まったく機能しなくなる物が僕の周りにもたくさんある。
どうしても必要なパーツだから彼は生きている、生かされているのではないだろうか。
それは死んでしまった人が不必要になったわけではなくて、考えると泣きたくなるけれど、抜き取らなければ機能することのできない一つの重要なパーツだったのかもしれない。
なんという凄まじいマシーンなのだろう・・・・・・。
私はどんな残酷なことをした人でもその人の苦しみが凄まじいものなのなら頭が上がらない。
だからどんな人でもその苦しみの深さに尊敬して賛美したい。
彼の苦しみに、私は到底頭を上げることなどできない。
かつては俗々とした少女の片想いであったが、今はもう恋ではない。会ってどうだらこうたらとかまったく必要もない。望まない。
彼への想いは遥かに大きくなった自己愛と敬愛であり宇宙の隅からずっと見護っていたいけなげで傷ましい天使のような存在だ。
尊敬しているのに上から見守るのか、ということだが、人間の心は複雑だ・・・・・・。
ナルシスの苦しみが深いのがだんだんわかってくるなぁ・・・・・・。
深い自己愛とは、それそのまま深い利他愛になっているようだ。
そして深い自己愛だからこそ自分と自分を映す他者に向ける愛憎もものすごく深くなってしまう。
自分を深く愛する者は、決して自分だけを深く愛することは出来ない。
ナルシスは自分を深く愛すれば愛するほど自分に憎しみを覚え、自分を映した他者である湖を見て、愛しむほどに憎くなり、ついには他者という湖の中で死ぬことを決意する。
他者という自分の湖の中で死ぬことを、決意する。

サカキバラへ

君の「絶歌」を読み終えたよ。
昨日の昼からずっと読んでて疲労があるけれども、どうにも眠るのが惜しいよ。
もうたくさんの人たちがものすごい感情的になってるから、私も感情的に素直に少し書いて寝たいと思う。
君は私よりずっと、情感の感受性の感性の深い、その「人間的」なもの、人間らしさというものを持っていると感じることをやめられなかった。
君は私なんかよりずっと詩人で、人を、命を、世界を、すべてを愛することのできる人間だと感じることがやめられないでいる。
その愛が深いがゆえに、殺人を犯してしまう、これが本当だとしたら、私は至極納得が行ってしまう。
逆に、愛が深くないのならば、人を殺したその罪悪感に堪えることはできないと、そう感じる。
これは君に限らず、苦しみの深い人すべてに当てはまるのではないだろうか。
苦しみの深い人に愛の深さを感じること、これが「絶歌」で私に対して君が証明して見せた。
私は心のどこかで、それを予感していた。
私は「絶歌」になんの微塵の不満もない。
これは傑作であり、才能の結晶であり、君という存在がどこまでも愛しみきれない存在であるということを君が私に見せ付けたということを、もう、もう私はなにも、なにも疑わない、嘆かない、なんも嘆かないし、一歩たりとも私は君から遠ざからない。君も一歩たりとも私から遠ざからない。
ただ悲しくやるせなきかな、才能の差が大いにあるのはしょうがない、私が追いつくしかない。
それはやはり苦しみの深さで、愛の深さだと私は思う。
私はその深さにおいて、君に追いつかねばなるまい。
君はやはり、あれから18年経っても、私の一番の同志であり、何より近い自分であった。
同志、同じものを志す者、もう自分は、死ぬまで赦されないのだと何より強く信じる者、私たちは同志である。
誰にも赦されては為らない罪の罰を自ら己れに科す者、死ぬまで同志だ、あなたが死ぬまで、そして私が死ぬまで。
もうずっとひとりだよ。君も私も。
誰といても、何をしても、笑っても、泣いても、怒っても、絶対に赦さないから私は私を。あなたはあなたを。
私は心から祈る。今以上に、苦しめるように。限界まで、生命の限界まで、耐え切れる苦痛まで、限界まで苦しめるように、私と君が苦しめた者たち、苦しめ続けている者たちも限界まで苦しみ、苦しむことになる。
私は本当に予感していた。だから待っていた。待っていた。君が本を書くことでしか自分を救えなくなる日がやってくることを。
私は心からそれを望んだ。もう言葉でしか自分を救えなくなる日。それがどんな苦しみか、わくわくして待っていた。君の苦しみを耐えがたい苦痛を私はいつでも待っていた。君のことを待っていた。
悶え苦しむ日の君を心から待っていた、まるで自分の明日を待つように。
その言葉が私に届く日を予感していた。だから届けてくれた。
それを望むすべてがあり、だから本がここに届いた。
私という、例え死んでもその罪を赦したくはない人間のところにぽんと届いた。
もう私は君を離すことは決してないだろう。君が離れることは決してない。
死んでも離さない。私は死んだからといって自分の罪を赦すつもりはない。
どれだけの遠い道のりだろうか。たぶんここから宇宙の果てまで辿り着くより遠い。
死んでも楽になることなど決してない。決してないから、限界に達したとしても、何回でも苦しもう。
苦痛のあまり意識を失ったとしても、何度でも自分を起こして苦しもう。
そして大いに、これからの待ち受けるその愛に、魘されるほど恐怖しよう。
君はコントロールの利かない状態で二人を手にかけ、家族と遺族を苦しめ続けているが、私はコントロールの利かない状態で父を手にかけ、家族を苦しめ続けている。
やり方も違うやったことも違うが、愛する者を苦しめたこと、愛する者を苦しめ続けていること、そしてその罪を死ぬまで自分自身に赦さないと誓うこと、これは同じだ、同じ感情だ、同じだからといって、絶対に交じることはなく、もうずっとひとりだ、ずっと別々に生きるし、出会うことなど絶対にない。出会う必要もない。
私は君が赦されることを望まない。
君自身が自分が赦されることを望まないと感じることは同時に私に向かって、「僕も君が赦されることを望まない」と言ってるのとまったく同じだ。
だからありがとう。
本物の感謝の念を君に捧げる。
捧げ続ける。




追伸: 絶対に、絶対に逃げる場所などない。
だって愛から逃げてどこに行くところが、行きたいところがあるだろうか。