来世、食肉の家畜になっても…?

屠殺 家畜 残酷 食肉 彼らの苦しみ 拷問 地獄 悲劇 食料飢餓 断末魔




この世界がどのような仕組みで、どのような摂理のもとにできているかを私たちは本当のところ、何も知らない。
だからこそ、私が出したこの設問は、非常に恐ろしく、また残酷なものであると実感しています。

何故なら、私たちが今の生を終えた後、どのようなことが待ち受けているか、何もわかるすべを持たないからです。
このおぞましい設問は、ある一つの可能性として、今ここに存在しています。
どのような可能性も否定し得ることはできない世界だからです。

しかし間違いなく言えることは、肉を食べるあなたが来世、食肉家畜になるのならば、間違いなく私も、そして私の大切な家族もなる、ということです。
それは肉を食べていたからです。

肉を食べていた期間、私は彼らの苦しみを無視していました。
そして都合のいいことに、きっとそれほど苦しいものではないのではないかとどこかで思っていました。
一瞬の痛みだけで素早く屠殺されてるのだろうと何の根拠もなく、何も調べずにただ漠然とどこかで思っているだけでした。

前にも一度同じようなことを訊いたことがあります。
「来世は自分が食肉になっても、食べるのか」と。
その人は「それでも食べる」と言いました。
でもその人は見たら食べられなくなるからと、屠殺の映像を見たことがない人でした。

私は、それはおかしいと思いました。
どうして映像さえも見たことがないのに、そんなことが言えるのだろうと。

来世だろうと前世だろうと、自分が食肉家畜の場合、今食べている肉は自分の肉なのではないか?
他者の肉であると言えるのだろうか。

それとも、そんな来世などきっとないだろうと思うのだろうか?
でもそんなことは誰もわからないのである。

拷問に合って死んだ人を知り、あのような拷問はきっと自分の身には起きないだろうと言えるだろうか?
そんなことは言わないとしても、どこかできっと自分は大丈夫だろうと思ってはいないだろうか?
だから酷い事件や災害に合ったとき、人間は「何故私がこんな目に」ということを思ってしまうのではないか。
それは他者には起きても自分にはまあ起きないだろうと何故か思っている証拠だ。

しかしこの世界を見渡せば、まるで終わりのない地獄のように悲劇は必ずどこかで起きている。
NPO法人国連WFP協会HP 
「現在、栄養不良の人々は世界で約7億9500万人います。
すなわち、世界の9人に1人は健康で活動的な暮らしを営むための十分な食糧を得られないのです。」
「数字が語る世界の飢餓」に、「世界では、5秒に1人の子どもが飢えに関連する病気で命を落としています。」


日本人の自殺者は年間三万人弱としても一日に70人近い人が自殺しているという計算になる。
このような世界で「どうして自分がこのような目にあったのだろう」と思うことは、それは無知だろうか?平和ボケだろうか?それは人間に巣食う重篤な伝染病だろうか?

1秒間に 米俵1,000俵に相当する58.4トンの穀物が生産され…
世界の漁港で、カツオ1,850匹分、3,700kgの魚が水揚げされ…
牛3頭、豚7頭、鶏1,100羽分、計6.9トンが食肉として生産されています。


5分でわかる食糧問題

飢餓が原因で1日に4~5万人(1年間に1500万人以上)の人が亡くなっており(FAOより)、そのうち7割以上が子どもたちです。

世界中には食べ物が足りないの?

「飢餓」になるのは、食糧が十分につくられていないからではありません。穀物は年間 24億トン生産されています。これは世界中の人が生きていくのに必要な量のおよそ2倍になります。

24億トン (年間穀物生産量) ÷ 71億人 (世界の人口)
⇒  338kg (1人当たり)
※1人当たり1年間の標準量は  180kg

それでも食べ物の不足している人がいるのは、どうしてでしょうか?

たくさんの穀物はどこへ

1人当たりの食糧供給量を比較すると、日本では必要なカロリーより 31%も多く、ソマリアでは16%不足しています。
私たちのように食べるものがいつでも十分手にはいるのは、世界のおよそ2割の人だけなのです。

穀物は人間が食べるだけではなく、先進国では穀物の 6割(約4億トン)が、ウシ、ブタ、ニワトリなどの家畜のえさになっています。
牛肉1キロ作るために穀物11キロ、豚肉1キロ作るために穀物7キロ、鶏肉1キロ作るために穀物4キロを消費しています。
結果として、世界の 2割足らずの先進国にすむ私たちが世界の穀物の半分以上消費しているのです。



肉を食べるということは、家畜たちだけでなく、飢餓で死んで行く人たちの命をも奪い取ることだという情報は、なかなか広がっては行かない。

肉を食べるということは、来世、自分が食肉の家畜となり地獄のような拷問を受け、首元を掻っ切られて意識あるうちからから解体され死ぬことを覚悟の上で食べていたならば良い、という問題ではないことを言います。

それらはあらゆる地獄のような死の苦しみに関わっていることだからです。
一秒間の数えきれないほどの断末魔を私たちはこの耳で聞くこともできないし、想像することさえあまりに難しいだろう。

だって一秒なんて、ほんとうにあっというまに過ぎるじゃないか。
この1秒間に牛3頭、豚7頭、鶏1,100羽とカツオ1,850匹分、3,700kgの魚の絶叫と5秒に1人の子供の苦痛の心の叫びがどこかで聞こえてる。

これはたった一度だけ、来世で食肉用の家畜の拷問のような苦しみを経験すればチャラになって返せるという犠牲ではない。
一体どれだけの拷問のような犠牲を自分が肉を食べたいがためだけに彼らに払ってこさしたのだろう。
自分はどれだけの犠牲を、同じほどの拷問のような苦しみで以って彼らに返すことができるだろうか?

自分はそのような数えきれない想像することも難しいほどの苦痛を観て見ぬふりしてきた。
これからは自分のこの体で彼らに返す番だと思っている。
それは来世家畜となって自分の死体を彼らに美味しく食べてもらうという地獄の連鎖の返し方より、同じほどの苦痛でもっといい方法で返すことはできないのだろうかと考える。

しかし彼らが死体を食べ続ける苦痛を味わいたいなら、どうしてそれを自分が断ることができるだろう。
断る方法も選択も、私にはない。

屠殺の映像をまだ観てないで、来世は食肉の家畜になってでも食べると誓った君は、映像を観ないよりは、観たほうがいいと私は想う。

屠殺場の現場を隠し撮りした「アースリングス」というドキュメンタリー映画の屠殺の場面だけでも、もし観る気になったなら是非ご覧になってください。




そしてこの映像に耐えられた君は、これをはるかに超えるおぞましく恐ろしい映像を良かったらほんの少しでも観てみてほしい。
レンダリングプラントという、動物性脂肪精製工場の巨大攪拌機の機械に入れられる牛や馬の映像です。
「レンダリング・プラント」(動物性脂肪精製工場)って知っていますか?
食用にできない部分をそのままミンチにできる機械ですが、ここには死んだ牛や馬が丸まま放り込まれることもあります。
そして映像で見る限り、動いているように見える子もいました。
瀕死の状態であるのかもしれませんが、観るに堪えない映像です。
観ようと思う君は、トラウマになる覚悟で観てください。
閲覧厳重注意の動画です。
無理をして観るのは大変危険です。それはやめてください。




家畜たちは、牛も豚も鶏もみな、殺して屠る前に首元を掻っ切って、血を抜きます。
死んでからでは上手く血が抜けず生臭くてまずくなるからです。
牛や豚はその前に意識を失わせるノッキングガンという額に撃って頭蓋骨に直径一センチほどの穴を開ける方法や、電気ショック法や二酸化炭素で気を失わせるという方法などが使われているようです。
しかし一番手っ取り早い方法だからと言ってそれらを行わずに鶏と同じように豚も喉元を切り裂いてそのまま次の段階へと運ぶところもあります。

『いのちの食べかた』 森達也 (理論社)

体をあらわれた牛は、一頭がやっと通れるだけの幅の通路に追い込まれ、先頭の牛から順番にノッキングを受ける。
 この光景は、まるで一頭ずつ、押し当てられたピストルを額で打ち抜かれているように見えるが、額に当てられた銃口から出るのは弾丸ではなく、「ノッキングペン」と呼ばれる細い針だ。
 銃口から飛び出す針の長さは3センチほど。眉間を撃たれると同時に脳震盪を起こした牛は硬直し、つぎの瞬間、通路の側面の鉄板が開かれ、段差にすれば1.5mほど下の床まで、牛は四肢をこわばらせたまま傾斜を滑り落ちる。
 この時点で、眉間を撃たれた牛は、すでに意識を失っているといわれている。
 牛が、斜面を滑り落ちてくると同時に、待ち構えていた数人の男たちが牛を取り囲む。頭に回った一人が、眉間に開けられた穴から金属製のワイヤーを素早く差し込む。
 1mほどの長さのワイヤーが、あっというまに牛の身体に吸い込まれて見えなくなる。
 差し込まれたワイヤーは脊髄を破壊する。つまり全身が麻痺するわけだ。
 牛によってはこの瞬間に、片足を痙攣させるなどの反応を示す場合もあるが、ほとんどの場合は無反応だ。
 このとき、ほぼ同じタイミングでもう一人が、首の下をナイフでざっくりと切る。
 切断された頸動脈から大量に血がほとばしる。
 天上の取り付けられたトロリーコンベア(吊り下げ式のベルトコンベアと考えればよい)から下がる鎖に片足をひっかけて、牛は逆さまに吊りあげられる。(p.51-53)


このような方法で意識のないうちに素早く解体していくと言われていますが、隠し撮りの映像では明らかに逆さに釣り上げられているときに悲痛な鳴き声で鳴いている子も多くいました。
しかしそのような子も皆と同じように意識を持った状態のままで解体されていきます。

大量生産で素早く作業しなくてはいけないので、そのように意識のある状態でも豚は熱湯に入れられる子がたくさんいます。
鶏は吊るされて流れるコンベアベルトの機械の隙間に挟まってもそのままにされ身体の千切れるような痛みにも耐えねばなりません。


家畜たちの苦しみ、飢餓で死んで行く人たちの苦しみ、その短くはない地獄のような時間。
どうしてもっと早く彼らの痛みに向き合って肉食を断てなかったか。
それが私の一番の後悔の苦しみとして、それはずっと死ぬまで消えることはないと思います。

離人症とは〈主体と客体〉

[2:00:26] kozue ueda: 客体のない意識って、意識ではないですよね
[2:00:41] 客体: うむ
[2:01:13] 客体: むずかしいな
[2:01:33] kozue ueda: ユングがゆうてるのって、他者のことなのかな客体って
[2:01:48] 客体: そうなのかも
[2:01:52] kozue ueda: うん
[2:02:36] 客体: 客体とは感覚を通して知ることができるものであり、いわゆる物である。
主体とは感覚を受け取るものであり、意識である。
[2:02:47] 客体: となってる
[2:02:51] kozue ueda: うん
[2:03:25] 客体: 哲学の立場でも、考え方が違った気がする
[2:03:37] kozue ueda: うん
[2:04:25] kozue ueda: でもさ、感覚だけなら、それって意識というんやろか
[2:04:38] 客体: だけではないのかな
[2:05:02] 客体: 感覚を受け取るもの、だから感覚自体ではないのかな
[2:05:50] kozue ueda: 難しい
[2:05:56] 客体: うむ
[2:06:21] kozue ueda: 受け取るのが主体というのはわかっても、客体って、ただの他者ってことじゃないじゃないですか
[2:06:35] 客体: うん
[2:07:11] 客体: 感覚を通して自分が知った他者が、客体になるのかな
[2:07:42] kozue ueda: 他者って、自分じゃない他人ってこと?
[2:07:50] 客体: うん
[2:08:14] kozue ueda: でも客観視っていう意味の客体もあるんでしょ?
[2:08:34] 客体: 自分を客観視する?
[2:08:42] kozue ueda: 自分の中の、うん
[2:08:59] 客体: フッサールの現象学だと客観視自体が否定されていて、
[2:09:17] 客体: 客観視自体がないっていう考えもあるんだけど、
[2:09:27] 客体: できるっていう立場から考えてみると
[2:09:35] 客体: 客体になるのかな
[2:10:05] kozue ueda: 客観ってのは、なんでないってことになるんだろう
[2:10:16] 客体: わたしも大体でしか理解できてないから、
[2:10:24] 客体: 上手くは説明できないんですけど、
[2:10:38] 客体: 結局は自分のフィルターを通してしか考えられないから、
[2:10:46] kozue ueda: 客観って、他者の眼って意味?
[2:10:50] 客体: 主体が自分になって、客観にはならないって感じだったかな
[2:11:01] kozue ueda: そうじゃなくて、自分の中の、自分への客観
[2:11:03] 客体: 自分以外の視点というか
[2:11:11] 客体: それは客観とは言わないっていうふうになってた
[2:11:24] 客体: ただ自分について考えているだけみたいな
[2:11:26] kozue ueda: それは客体とも言わないってことかな?
[2:11:36] 客体: フッサールの立場だとそうみたいですね
[2:12:02] kozue ueda: でも明らかに、自分って言うのは、見るものと見られるものっていると思うんですけどね同時に
[2:12:13] kozue ueda: 自分で自分を想うっていうのは
[2:12:22] 客体: まぁ、そういう考え方もあって、
[2:12:31] 客体: それを否定するってのが現象学なんだと思う
[2:12:38] 客体: だからどっちが間違ってるとかじゃなくて、
[2:12:52] 客体: どっちが受け入れやすいとか理解しやすいとか、そういう感じなのかな
[2:13:06] kozue ueda: 理解はできないですよ…
[2:13:21] 客体: けど現象学な立場の人は
[2:13:28] kozue ueda: 要はどっちの考え方が面白いのかって話ですよ
[2:13:38] 客体: そっちのほうがスッと入ったから
[2:13:46] 客体: それを支持しているってかんじかな
[2:13:50] kozue ueda: うん
[2:13:59] 客体: 自分の持っている資質に近いみたいな
[2:14:42] kozue ueda: まあ私は離人症だし、他とは違うしなあ
[2:14:51] 客体: なるほど
[2:15:19] 客体: 離人症ってのはすべてが他人事のように感じてしまうってやつ?
[2:16:05] kozue ueda: そうというよりは、ほかの多くの人が無意識でやってる時間を、ほぼ意識的に、やってる、っていったほうが近いかもしれないな
[2:16:24] 客体: 無意識でやっている時間?
[2:16:28] kozue ueda: そう
[2:16:33] 客体: 呼吸とか?
[2:16:42] kozue ueda: 呼吸はさすがあまりないけど
[2:16:58] 客体: やっている時間ってのは、 やっている行動って言い変えてもいいのかな
[2:17:02] kozue ueda: 家で一人でいても、ずっと自分が自分を意識してるってのは、あんまほかの人はないみたいだから
[2:17:13] kozue ueda: 行動ってより時間なのかな
[2:17:14] 客体: なにかしてるときはね
[2:17:32] kozue ueda: うん、そのなんかやってる時も常に自分が自分を意識してる感じ
[2:17:33] 客体: ひとりでぼーっとしてると自分に意識がいったりはするけど
[2:17:48] 客体: まぁ、たまにはそういうこともあるけど、
[2:17:52] kozue ueda: たまに無意識になる時もありますよ
[2:17:54] 客体: それが常にって感じなのかな
[2:18:01] 客体: うん、人よりもその時間が多いって感じかな
[2:18:03] kozue ueda: あ、今無意識に考え事をしてたなっていうときはある
[2:18:08] kozue ueda: そうだと思う
[2:18:10] 客体: うん
[2:18:35] 客体: 人はつねに何か考えていて、それをどんどん忘れていっているらしいけど、
[2:18:42] 客体: その忘れているっていうのが人よりもないのかもしれない
[2:18:53] kozue ueda: だから人のいる場所で絶対に本を集中して読めないとか、自意識の拡大と似てるのかな
[2:19:09] 客体: 自意識過剰みたいな部分ですかね
[2:19:25] kozue ueda: 考えてるってか、自分を見てる感覚があるだけだからなぁ
[2:19:32] kozue ueda: そうですね
[2:19:41] 客体: なるほど
[2:19:53] 客体: なんかまえにボーダーの話で、
[2:20:01] 客体: 自分と他者が混在するっていう話がありましたけど、
[2:20:06] 客体: その話とつながりますか
[2:20:45] kozue ueda: 確かにいつも自分が自分を他者のように見てるから、実際の他者さえ自分と見てしまうってのはあると思いますよ
[2:20:54] 客体: うん
[2:21:17] 客体: なるほどなぁ
[2:21:46] kozue ueda: 自分が他者の感覚だから、他者が他者の感覚ってならないんですよね
[2:21:55] 客体: うむ
[2:22:01] kozue ueda: 自分の中の他者のほうが近いのかな
[2:22:26] 客体: うん、多重人格とはまた違うものですよね
[2:22:46] kozue ueda: 本来、主体であるはずのほうの自分が常にみられてる客体、他者って感覚なわけですよ
[2:22:51] kozue ueda: 違うね
[2:23:09] 客体: 同時にあるのかな
[2:23:16] kozue ueda: で、観てるほうの自分ってよく知らないんですよ
[2:23:20] kozue ueda: 同時ですね
[2:23:22] 客体: うん
[2:23:28] kozue ueda: 観てるほうが主体になるんだろうけど
[2:23:29] 客体: 昔からそうですか
[2:23:37] kozue ueda: 昔からではないですね
[2:23:38] 客体: 物心着いた時からそうだった?
[2:23:43] 客体: いつごろからだろう
[2:24:04] kozue ueda: ぼんやりとは、たぶん中学時代くらいからはあったのかもなあ
[2:24:17] 客体: うん
[2:24:28] 客体: なにかきっかけとか、そういう記憶はありますか
[2:24:40] 客体: そういうのに気づいたきっかけみたいな
[2:24:56] kozue ueda: やっぱりつらいことが増えてくとなって行く感じがする
[2:25:03] 客体: なるほど
[2:25:15] 客体: 辛いことが多い時のほうが、それが頻繁になるみたいな感じかな
[2:25:23] kozue ueda: で、逆に嬉しいことが続くと薄まったりもする
[2:25:26] kozue ueda: そうそう
[2:25:33] 客体: あぁ、なるほどなぁ
[2:26:02] kozue ueda: だから調子がいい時ほど、ほぼ無意識に過ごしてたりする
[2:26:10] 客体: うん
[2:26:40] kozue ueda: でもそこに自分っていないと感じて結局空虚を感じるって感じですね
[2:26:41] kozue ueda: あとになって
[2:26:53] 客体: そうなんだ
[2:26:55] kozue ueda: うん
[2:27:07] 客体: 後なって感じる時ってのは、つらいときとかになるのかな
[2:27:10] kozue ueda: ふと我に返ると空虚を感じる
[2:27:14] 客体: 辛くなった途端に、そういうふうに感じるみたいな
[2:27:19] kozue ueda: ふと冷めるって時ですね
[2:27:26] 客体: うん
[2:27:32] kozue ueda: 覚める、か
[2:27:51] kozue ueda: 夢から覚める、みたいな感覚
[2:27:51] 客体: 虚無の方が本当って感じかな
[2:27:57] kozue ueda: そうなんです
[2:27:57] 客体: そういうことか
[2:28:00] 客体: うん
[2:28:53] kozue ueda: だから順調良い生活を望めないってのはあるのかもな
[2:29:03] 客体: うむ
[2:29:11] kozue ueda: そこも同じく、生きてる心地がしないんですよね
[2:29:16] 客体: うん
[2:30:17] kozue ueda: こちらも夢なのに、あちらも夢なわけなんですよ
[2:30:29] 客体: うん
[2:32:22] kozue ueda: ふつうは自分の中に主体と客体があっても、見るほうが主体で観られる方が客体なんだろうけども
[2:32:27] kozue ueda: そうでもないのかな
[2:32:43] 客体: そうですね
[2:32:49] kozue ueda: どっち?
[2:32:51] 客体: やっぱり見るってほうが主体かな
[2:33:07] 客体: けどぼくは見るっていう感覚はないですけどね
[2:33:32] kozue ueda: どうゆう感覚?
[2:33:48] 客体: 自分のことを客観的に見るっていうよりかは、考えるってかんじで
[2:33:59] 客体: 自分のことを見ている感覚はないかな
[2:34:08] kozue ueda: ああそうか
[2:34:14] 客体: 過去の自分とかを振り返るときも、
[2:34:22] kozue ueda: 離れたところから見るってのはないのか
[2:34:26] 客体: そうですね
[2:34:44] 客体: 遠くから自分を見ている感覚ではないですね
[2:35:04] kozue ueda: それは私も普通にあるんですが
[2:35:10] 客体: うん
[2:35:17] 客体: そういうときは状況が違うのかな
[2:35:45] kozue ueda: うーん、その考えてる時が、私の中の無意識って感じなんですよ
[2:36:01] 客体: なるほど
[2:36:13] 客体: 見ている時が、意識がある状態?
[2:36:13] kozue ueda: 無意識にすごく近い
[2:36:20] kozue ueda: いや、考えてるって時が
[2:36:31] kozue ueda: うーむ、って思案してる時や
[2:36:38] kozue ueda: 思考にふけってるときや
[2:36:56] 客体: 考えている時が意識のある状態?
[2:37:11] kozue ueda: それと、考えてる自分を、離れたところから見ている自分を感じてる時ってまた違うと気なんですよ
[2:37:11] 客体: 違うか
[2:37:29] 客体: 考えている自分を遠くから見ているってこともあるのか
[2:37:30] kozue ueda: その見られてるときだけが意識をはっきりと感じる感じ
[2:37:34] kozue ueda: そう
[2:37:44] 客体: 見られているっていうときが、意識を感じる時なのか
[2:37:47] kozue ueda: うん
[2:37:51] 客体: なるほど
[2:38:27] kozue ueda: で観られてると意識するのはこちら側でもあるから、それは主体ともいえるんですね
[2:38:50] kozue ueda: でも、それなのに、「見られるもの、知られるもの(客体)」ともなるわけなんですよ
[2:39:08] kozue ueda: 主体が見られてる
[2:39:13] 客体: その主体と客体が入れ替わるのかな
[2:39:16] kozue ueda: 観てるほうも主体となってしまう
[2:39:25] kozue ueda: 入れ替わるのか、同時に主体がいるのか
[2:39:33] 客体: 主体だったものがある瞬間では客体になるみたいな
[2:39:42] kozue ueda: いや、それがない
[2:39:55] kozue ueda: こちら側からは向こうを観れないんですよ
[2:40:08] kozue ueda: ああ、そうか、こっちが主体でか
[2:40:11] kozue ueda: ややこしいなw
[2:40:13] 客体: うんw
[2:40:33] 客体: 感覚で理解することを、言葉で説明するのはむずかしい
[2:40:40] kozue ueda: うん
[2:41:33] kozue ueda: 観られてるのに、観られてると気付けるのはいつでも私なわけなので、私が主体となっていいはずなんですね
[2:41:44] 客体: そうですね
[2:41:46] kozue ueda: うん
[2:42:34] kozue ueda: でもあちらの自分からすると、やはり客体を見てる感覚なわけなんですよ
[2:42:39] kozue ueda: 観てるほうの自分
[2:42:59] 客体: あちらの自分からするとっていうのは、どういう感覚なんだろうな
[2:43:48] kozue ueda: こちらって感覚じゃない、離れてる場所にいる自分って感覚なので、あちらの自分って感じなんですよね
[2:44:01] 客体: うん
[2:44:34] kozue ueda: あんま考えると自分でも怖いんですがね
[2:44:43] 客体: うむ
[2:45:14] kozue ueda: 家にいてもいるんだけど、外にいると、絶対に常にいるんですよ
[2:45:22] kozue ueda: 外ではほぼ無意識になれないんですよ
[2:45:30] 客体: そうなのかぁ
[2:45:32] kozue ueda: うん
[2:45:39] 客体: 家よりも、外の方が多い?
[2:45:42] kozue ueda: うん
[2:46:00] kozue ueda: 人の眼に、そのあちらの自分の眼が乗り移る感じなんですよ
[2:46:18] kozue ueda: めっちゃすごい数のあちらの自分の眼に見られてる感覚なんですよ
[2:46:32] 客体: 人がいればいるほど、増えるのか
[2:46:35] kozue ueda: そうそう
[2:46:40] 客体: うむ
[2:46:44] kozue ueda: 自己の増殖
[2:49:17] 客体: 動物だとそういうのはないのかな?
[2:49:28] kozue ueda: ない時が多いですね
[2:49:33] 客体: あるときもあるんだ
[2:49:41] kozue ueda: 在る時もあるかな
[2:49:48] 客体: そうなんだ
[2:49:51] kozue ueda: うん
[2:50:19] 客体: どういうときなんだろう
[2:50:45] kozue ueda: やっぱ心が病んでる時が多いかな
[2:50:56] 客体: なるほどなぁ
[2:52:40] kozue ueda: だから意識って強ければ強いほど客体と主体に分かれる気がするんですよ
[2:52:49] 客体: うん
[2:53:23] kozue ueda: 他者という主体が、自分という主体を見る感じ
[2:53:34] 客体: うん
[2:53:35] kozue ueda: 他者を見ても
[2:53:40] 客体: うん
[2:54:15] kozue ueda: まるで客体のように、他者という主体から見られてる感覚
[2:54:33] 客体: うん
[2:54:42] 客体: むずかしいな
[2:54:44] kozue ueda: うん
[2:55:12] kozue ueda: 相手が主体なので、相手の感覚が絶対的になってしまうんですよ
[2:55:24] 客体: うん
[2:55:55] kozue ueda: 相手がお前はつまらないよ、という感覚が伝わってくると、自分はつまらないとしか思えなくなる
[2:56:05] 客体: うん
[2:56:52] kozue ueda: そういう厳しい主体がいつも自分の中にいるわけなんです
[2:56:59] 客体: うん
[2:59:29] kozue ueda: で、その感覚がない時は自分がいないような感覚なので、自分というこちら側は、主体だと言い張れる時って来ないんですね
[2:59:49] 客体: うん
[3:01:56] kozue ueda: それは引きこもりの原因になってるのは確かだと思うんですけど、それがないときって、空っぽな感じだから、そこが治るところでもないと思うわけなんですよ
[3:02:10] 客体: うむ
[3:02:41] kozue ueda: だからそこを理解してない精神科医の先生は、治ると思ってるんですね
[3:02:50] 客体: うん
[3:03:03] kozue ueda: 結婚すれば治るとか、ほんまいいかげん
[3:03:16] 客体: そんなこと言うんだ
[3:03:19] kozue ueda: そう
[3:03:23] kozue ueda: 女を馬鹿にしてる
[3:03:24] 客体: そうなのか
[3:03:27] 客体: うん
[3:04:12] kozue ueda: 離人症のこの重い症状はなかなかなったことのない人は理解できないと思いますよ
[3:04:28] 客体: うん
[3:06:27] kozue ueda: 離れた存在から常に見られてるという感覚は統合失調症の妄想とちょっと似てますよね
[3:06:42] 客体: うん
[3:06:55] 客体: そうですね
[3:06:58] kozue ueda: うん

「にんげんっていいな」










[14:41:27] : なにかきっかけがあって、考えが変わったとかあるんですか
[14:42:01] kozue ueda: 肉を食べる人も好きで食べてるわけじゃないんだって気づいたからですね
[14:42:09] : なるほど
[14:42:33] kozue ueda: それが人間の苦しみであって、必要な苦しみだから存在してると思ったんですよ
[14:42:45] : うん
[14:43:29] kozue ueda: だから悪ではないんですね、肉食は
[14:43:42] : そうですね
[14:43:45] kozue ueda: うん
[14:44:06] kozue ueda: みんな本当は菜食になりたいんだってわかったんですよ
[14:44:14] : うんうん
[14:44:26] kozue ueda: でもまだなれなくてみんな苦しんでる
[14:44:31] : うん
[14:45:28] kozue ueda: いっとき、ほんと傷つけるのが怖くなって、まったく話をしなくなったときもある
[14:45:35] kozue ueda: 肉食の話を
[14:45:41] : そうなんだ
[14:45:45] kozue ueda: うん
[14:46:17] : そういう話はデリケートな部分もありますからね
[14:46:21] kozue ueda: うん
[14:46:48] kozue ueda: で、チャット部屋でさ、まだ言われるわけ、植物はいいの?って
[14:46:58] : そうなのか
[14:46:59] kozue ueda: でも私は黙り込んでたら
[14:47:21] kozue ueda: 肉を食べてるけど、私を応援してくれてた仲間がさ
[14:48:02] kozue ueda: 菜食は植物も最低限の殺生(肉生産に必要な穀物参照)でいいんだよって、私の代わりに言ってくれたんだ
[14:48:14] kozue ueda: その時すごい嬉しかった
[14:48:18] : うんうん
[14:49:01] kozue ueda: だから肉食の人でも、傷つけるばかりじゃないんだとわかった
[14:49:13] kozue ueda: 問題は訴え方なんだよね
[14:49:18] : そうですね
[14:49:22] kozue ueda: うん
[14:49:50] kozue ueda: 昨日さ、すごい皮肉の歌を載せたじゃん
[14:49:55] : ありましたね
[14:50:21] kozue ueda: あれ二つとも、少し反響があって
[14:51:37] kozue ueda: 何か響いたのかも知れない
[14:51:40] : うん
[14:52:24] kozue ueda: 皮肉って好きじゃないけど、あれ強烈なんだなと思った
[14:52:29] : そうですね
[14:52:33] kozue ueda: うん
[14:53:10] kozue ueda: 家畜の目線になってるから悲しいよね
[14:53:18] : うん、そうですね
[14:53:24] kozue ueda: うん
[14:54:04] kozue ueda: でもほんとあの歌って家畜の歌だなと思って
[14:54:12] : そうなんだ
[14:54:16] kozue ueda: うん
[14:54:39] kozue ueda: 家畜こそが、人間はいいなと思うんじゃないかって
[14:54:46] : なるほどなぁ
[14:55:26] kozue ueda: 家畜だけじゃないけど、人間に虐げられてる動物の歌って気がした
[14:55:33] : そうかぁ
[14:55:39] kozue ueda: うん
[14:56:13] : 歴代のエンディング何曲かあるみたいだけど、再放送のときはあの歌がずっとエンディングなんですね
[14:56:22] kozue ueda: うん
[14:56:59] kozue ueda: つらいですよ、あの歌は
[14:57:04] : うん
[14:58:09] kozue ueda: 動物の住処を奪って、命さえ奪ってあったかいご飯食べてあったかい布団で寝るわけです
[14:58:16] : うん
[14:59:22] kozue ueda: で、家畜とかの場合は、ぼくも帰ろっていって帰る場所は屠殺場しかないわけなんですね
[14:59:29] : うん
[15:00:34] kozue ueda: 熊の子見ていたかくれんぼ、で始まりますよね
[15:00:38] : うん
[15:00:49] kozue ueda: クマもすごい虐待されてるようですね
[15:00:58] : 昨日のツイートでありましたね
[15:01:02] kozue ueda: うん
[15:01:09] : 胆汁抜かれてるってやつ
[15:01:13] kozue ueda: うん
[15:01:42] kozue ueda: 苦し過ぎて自殺する子がいるみたい
[15:01:54] : そうか…
[15:02:31] kozue ueda: それで、胆嚢の効き目はイマイチよくわかってないとか言わられてるんですよ
[15:02:38] : うん
[15:03:32] : カブトガニも体液抜かれてるってのがあったな
[15:03:37] kozue ueda: うん
[15:04:02] : ほかの生物もあるんだろうか
[15:04:10] kozue ueda: わかんない