お父さんの最期(20年目の命日に想う。)

お父さんの想いで

2023年12月30日。今日はぼくのお父さんの20回目の命日だ。
お父さんは2003年12月30日の夕方4時半頃に62歳で旅立った。
一週間前から、麻酔で眠らされ、昏睡状態だった。



俺の父親は釣りが一番の趣味だった。
小学生の頃、父親と一緒に海や川や池や湖に行っては俺も釣りをしていた。
ゴカイという餌を、生きたままハサミでジョキジョキ小さく切っていたよ。
シラサエビも生きたまま針に打っ刺して、俺は当時それを残酷だと考えていたのかどうかも思い出せない。
でも中学生の頃から、俺は父親と一緒に釣りに行っても自分だけは釣りに参加しなくなった。
海釣りで防波堤からよくゴンズイが釣れることがあった。
ゴンズイは毒の刺があるから素手で触れない。
針から外すのもタオルで押し付けてペンチで引っこ抜くように乱暴に取り、父親はそのゴンズイを海に逃がすつもりが、よく防波堤の下の段になっているところに失敗して投げてしまい、そのままにしていた。
俺はゴンズイが哀れで下まで降りて海に逃がしてやったりしていた。
釣りが趣味だと言う人は、今から話す俺の父親の最期の状態の話を深刻に聴いて欲しい。
俺の父親は62歳で肺炎で呆気なく死んだ。
死ぬ3ヶ月半前くらいから、苦しそうに咳をし出して、痰が肺に大量に溜まってしょっちゅう痰を吐いていた。
俺は何度と病院に行こうと言ったが、病院が嫌いな父はそれをずっと拒んで行かなかった。
でもとうとう11月末頃には息をまともにできないほど悪化して、救急病棟で入院したいとみずから言った。
投薬治療は一向に良くなる気配もなく、父は約1ヶ月後に容態が急変し、このままでは窒息死すると俺は医者に言われ、父は麻酔を打たれて、その一週間後に目覚めないまま、意識を取り戻さないまま死んだ。
最期に会った父は、酸素マスクをつけてとても息苦しそうに、ゼエゼエと呼吸して、俺と自分の娘や息子たちが来るのを待つ為に耐えていた。
肺に、黴がびっしりと生えていたから、父は窒息するかもしれないほどの、息が苦しくてならない地獄の苦しみに何時間も苦しみ続けた。
それから、麻酔を打たれて眠らされた後も、肺に溜まった痰を取る為に鼻の穴の中から細いチューブを入れられて、その時、必ず苦しんで麻酔から覚めるように身体を動かして、その都度繋げている医療機器が軋んで恐ろしい悲鳴を上げるんだ。
地獄の底から響くような恐ろしい悲鳴だった。
父は意識が眠るなか、地獄の苦しみを経験して死んでいったのかも知れない。
俺は今になって想うんだ。
父のあの死に方はまるで、父に釣られた魚の拷問地獄と同じものだったんじゃないかって。
父は医師が口に上手く酸素チューブを取りつけられなくて、喉に穴を開けて、そこから太いチューブを差し込んで酸素を送られていた。
釣られた魚は喉に針が引っかかっていても、それを無理矢理取られる。
それも水から揚げられ息ができない地獄のなかで。
一体どれほどの苦しみなのか。(2019年6月25日記)



お父さんは、自分が苦しめた動物達と、同じような苦しみを味わった末に死んだかもしれないと、
今も想う。
ぼくが10,11歳(1991年)の頃、飼っていたゴールデンハムスターが子どもたちを産んだ。
すごく可愛かったけど、残念なことに彼らは頻繁に衣装ケースから脱走していた。
幼いぼくが良かれと想って彼らの巣箱にしていたマーガリンの空き箱の上に載って、彼らは容易に
脱走できる手段を覚えたんだ。
ハムスターは本当に利口だ。でもそれが裏目に出てしまった。
お父さんは、それが絶対的に許せなかった。脱走したハムスターたちが洗濯機の下の隅っこで
頬袋に溜めたヒマワリの種などを吐き出し、そこら中に糞やおしっこをしてしまった為だ。
お父さんはもともと、毛の生えた毛むくじゃら生物が好きではなかった。
ハムスターは家に帰って来てもひとりぽっちなのが寂しかったぼくが勝手にお小遣いを溜めて
無断で買ってきて、押入れのなかで飼っていた。
お父さんにバレたとき、「絶対に逃がさない」という約束で飼わせて貰えることになった。
ところが、当時のぼくはどうしたら彼らが脱走できなくなるか、わからなかった。
脱走したときは必死に探してお父さんが仕事から帰ってくるまでに見つけておうちへ戻していた。
それでも、何度と脱走しているハムスターをお父さんに目撃され、お父さんはいつも、
物凄い剣幕で言った。(お父さんの怒りは本当に凄まじくて恐ろしかった。)
「次に逃がしたら、ほんまに棄ててまうからな!」
でも毎度、お父さんは同じことを言うだけで、棄てられることはなかった。
ぼくは子ども心に想っていた。
お父さんはああは言ってるが、本当にハムスターを棄てたりはしないだろう…
だからぼくは、そのうち気を抜き始めていたんだと想う。
まあ、逃がしても、大丈夫やろう、お父さんはそこまで冷酷で冷血ではない。
ぼくが10歳の頃だと、お父さんはまだ50歳だった。まだ若く、エネルギーに満ちていた。
ある日の、外がもう暗い時間だった。その日、ぼくよりも先に、
お父さんが脱走したまだとても小さな子どものハムスターを見つけ、捕えてしまった。
何を言っていたか憶えていないが、物凄い大声でお父さんは怒鳴り散らして、吃驚してぼくが駆け寄ると
お父さんの右手に、むんずと力強く握り締められているハムスターの姿をぼくは観た。
ぼくは泣きながら必死に訴えた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!もうぜったい逃がさへんから!棄てんといて!」
でもお父さんは、今回ばかりは辛抱切れて、限界だったようで、本気だった。
お父さんは怒鳴りながら、窓を開け、ベランダに出た。
住んでるマンション二階のベランダの、すぐ下に観える狭い真っ暗な溝川に向かって、
お父さんは握り締めていたハムスターを、勢いよく放り投げた。
子どもの目にも、信じられない光景だった。
少し寒い時期だったと想う。
お兄ちゃんも側にいて、お兄ちゃん(当時16,7歳)もお父さんがしたことに青褪めて、怒っていた。
ぼくとお兄ちゃんは、それでもお父さんには歯向かえないことがわかっていたので、泣きながら懐中電灯を持ってマンションの下へ降りて、そこにハムスターが落ちてないか調べに行った。
探しても見つからなかった。
ハムスターが一体、どこに落ちたのか、わからなかった。
もしあの冷たい溝川に落ちていたなら、ハムスターはその凍るような水の真っ暗闇のなか、
ひとりで窒息して死んだだろう。
どんなに苦しかったのか。どんなに冷たく、凍える最期だったのか。
何も、何もわからなかった。
お父さんの最期も。