児童連続殺人者Wesの最も切実な切望———被害者意識と犠牲者意識———

Wes(WestleyAllanDodd) ウェストリー・アラン・ドッド Wes 自己犠牲 犠牲者意識 被害者意識

Wesの少年時代

Westley Allan Dodd(ウェストリー・アラン・ドッド)の少年時代



 

WesWestley Allan Dodd)が子どもたちを殺してしまった最大要因の一つが、またわかった。

 

 

Wes

Wes(ウェス)

 

 

我が同志よ、もし良かったら、この話を進める前に、僕が2015年6月に書いた

ベンジャミンと先生 - sirosorajpnonikki’s blog

という物語を読んでみてほしい。

僕はWesを知ったのは2022年の6月だったけれど、約7年前に、僕はWesを表現できていたんだ。

この物語を何一つ意図せず(何者かの力によって)書き上げた瞬間、僕の心は震え上がるほど感動したんだけど、それはずっと僕でさえ知らなかった知らない僕の本質(最も深い潜在願望)を表現できたと感じたからだった。

でもこの物語の主人公であるベンジャミンという少年は、どうも僕自身ではない。

僕はベンジャミンほど純粋な人間ではないんだ。

もう一人の主人公である先生も僕にとって憧れの存在だけれど、ベンジャミンも僕の理想的な男の子だ。

Wesの本質だ。ベンジャミンは、Wesの本質を表現しているんだ。そう僕は今朝にやっと気づけた。

それはその数時間前に僕は起きて、『ラムサ 愛という名のエリクサー 改訂版』

を読んでいて、ラムサのこんな言葉を読んだからだ。

 

『性欲、犠牲者意識、病気、権力欲、暴君的態度、被害者意識といったものを彼は持っていなかった。彼にはそういったものがまったくなかった。あなた方はそれらを持っている。あなた方はそれらに基づいて機能している。』

 

ぼくはラムサの言う犠牲者意識とは被害者意識のことだと勘違いしてしてしまっていたが、それらは別の意識だった。

深く愛されたくとも、愛されない(愛されてはいない)というWesの潜在意識にある凄まじい被害者意識は生きる程にどんどん巨大化して行き、もう手に負えなくなった。

Wesが子どもたちを殺害するに至った最大要因の一つはその被害者意識であると僕は確信している。

そしてもう一つ、今日確信できた。

犠牲者意識』というものだ。

犠牲者意識とは、みずから自分が犠牲となりながら(自分自身で自己犠牲を選択しておきながら)、その犠牲に対して最高の報いを求める意識だ。

僕は、それで気づいたんだ。

Wesが求めていたものとは、ただただ、普遍的な愛で深く愛されることではなかったのだと。

Wesが本当に本当に求めていたものは、もっともっと特別なものだったんだ。

それは、神の愛と呼ぶに相応しい。つまり、堕落した我々は到底与えることもできないようなもの、真の無条件の愛であり、それだけではなく、「自分だけに特別に与えられるもの」であって、Wesは心の奥深くで、自分ではまったく気づかない場所で、Wesは本当の特別な愛を強く強く求めつづけ、何よりも、切実に切望していたんだ。

だからこそ、Wesはあのとき、自殺するわけにはいかなかった。

最初に子どもたちを殺したあの日の数日前に、Wesは本気で自殺しようと考えたが、考えを変えた。

自殺したところで、自分が最も求めているものは手に入らないとWesは覚ったのだ。

この時点で、Wesの人格は凄まじい程に崩壊している。

Wesは、此処で死ぬわけには行かないんだと想った。

そのとき、Wesのなかにある闇の底に、確かに何かが降りて来たんだ。

そしてその時に降りて来たアイデア、まさしく悪魔(Satan)からの贈り物と言えるその一つのアイデアを、Wesは絶対に、実行させなくてはならなかった。

それが「子どもたちをでき得る限り残酷に殺す」というアイデアだった。

そのたった一つのアイデアは、Wesにとっての最後の砦でもあった。

つまり、自分にある特別な神聖さ(神聖な潜在願望)を、護り通す為にも必要だったんだ。

ただ此処で自殺してしまえば、自分は無価値な存在だとこの世に知らしめて終る。

でも僕は、こんな馬鹿げた人生で終わるべきではない特別な人間なんだ。Wesはそう確信し、ベッドに深く沈み込むように横たわらせていたその身体を立ち上がらせた。

Wesは心の底から信じた。

僕にこのアイデアが降りて来たのは、僕が本当に特別な存在だからだ。

そして僕ならば、これを遣り通すことができるし、死が訪れるまで遣り続けられる。

Wesは実際にこれまでにオカルトを研究していた為に、殺す子どもたちを上手く捕まえられないことに苦悩し、最終的に(ルシファーとも呼んでいる)サタンと契約を交わし、そしてサタンとの契約書に、子どもたちを殺させてくれるならば僕の魂をくれてやると書いてサタンに誓った。

Wesは逮捕されたあと、『I don't understand how I can love kids so much and yet do all that I've done.僕はどうしてこんなに子供を愛しながら、僕がしたことのすべて実行できたのか(何故、あんなことができたのか)、理解できない。』と素直に述べているので、Wesは自分の潜在願望に何も気づいていない。

でもWesの潜在意識は、Wesが本当に求めているものがなんなのか、ちゃんとわかっていたんだ。

だからこの時点で人格を完全に崩壊させることに成功できたWesは、"それ"を叶える為に、突き進むしかなかった。

何よりも、他の何よりも、Wesはそれが必要だった。

それを叶えたかった。

Wesは、此の世に存在するだれよりも、自分こそが真の特別な愛によって愛される人間であるということを信じて疑わなかった。

疑うならば、Wesは(完全に無価値な存在として)自殺する以外、道はなかったからだ。

Wesは、Wesには、それは堪えられなかった。

Wesは、神を信じてはいなかったし、サタンも信じて崇拝はしていなかった。Wesはただ自分の最も大きな潜在願望を叶える為にサタンの力を借りただけだった。

僕はWesほど、自分の良い部分を何から何まですべて裏目にした人間を知らない。

Wesの純粋性、純真さ、無邪気さ、男の子たちに性的虐待をしたいが為に真剣に平然と「このゲームの優勝者はパンツを下ろさなければならない」と言える稀有な天然さ、綺麗で(子どもたちから信用される)幼い顔立ち、嘘をついているとは信じられない透き通った感情深い優しく美しい眼、独特な面白いユーモアの才能、聡明な知能。

子どもたちが純粋な自分自身を投影できる存在として関心を深く抱き、素直に惹かれ着いていきたくなる本当に素晴らしい嘘偽りのないものがWesのなかには確かにあった。

Wesはいつでも純粋な切実さのなかで生きていた。だから子どもたちは、Wesを信用し、Wesに着いて行ってしまったんだ。

それは子どもたちがWesの邪悪さ、暗黒性を見抜けなかったからではない。

Wesの本質は、Wesが本当に深く求めていたものが、"特別な愛によって自分だけが愛される"という純真無垢なものだったからなんだ。

Wesにそれを叶えられる日は来るのか?

Wesは絶対に取り戻せない、その子どもたちがあのときに味わった苦痛の全てに、宇宙で最も深い闇の底でたった独りで永久に後悔し続けているに違いないのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Little God's Answer

以前に、イルミナティと呼ばれている人たちが会議を行っていて、彼らがとても冷静にこう話している映像を観た。
「まず、今回の人口削減を、アフリカから始めよう。彼らは惨めだし、愚かだし、生きている価値のない人たちだ。」
これがフェイクかどうか、僕にはわからない。
人々は、信じられないだろうか?
でも彼らは、僕達にとても理解できることを冷静に話している。
「とにかく安くて美味い肉があれば一番だ。彼らがその為にどう扱われていようとも私達には知ったこっちゃない。彼らは私達に比べて知能が低いし、生きて行く価値はない者たちだ。」
だが、この私達の極秘の会議を、盗撮して観察している者達がいるのだ。
彼らは集まり、地下室の会議室でこう話し合っている。
「アフリカの次は勿論、日本だ。彼らは本当にお子ちゃまだ。惨めを通り越し、悲惨極まりない低能国である。生きて行く価値のある人は、殆どいない。とにかく長期間にわたって彼らを働かせて子孫(家畜)を増やさせて死ぬだけのゴイムにさせる計画から、早々に死滅させていく計画へと移行させる。異論はあるだろうか?」
だれも、異論を述べなかった。
俺はこれを監視していながら、むっさ、キツかった。
だからもう家に帰って、ドラッグをキメながら神に祈ったんだ。
どないすればええのんか。
すると神は即答した。
「う~ん、あれ?なんだぁ、もう朝かぁ…。ぽくはよく眠ったものだ。もうだって朝なんだもの。朝はやっぱり明るいなぁ。ぽくは朝はまあ、結構好きだよ!君は?」
俺は答えた。
「そうですね。まあわたしも朝は好きです。清々しい感じがします。」
神は返答した。
「ぽくも同感なんだ。ぽんぽんがさ、清々しいよね。だってぽくたちのお腹のなかに、ぽくたちのぽんぽんのなかに入っとったナッツやらが綺麗に消化されてるんでしょ?そうだよね?そうだから、ぽくたちの朝はいつも清々しいってなわけだ。巣的なことだよ。これってさ、素敵なことだよね。」
「そうですね。そうわたしも想います。それで神よ…わたしの祈りをお聴きになられたのでしょうか?」
神はおおきな欠伸をしたのちに答えた。
「ふわわわわぁ~。うんうん、ぽくは聴いた気がするよ。なんだっけ?」
俺は溜息を吐いた後に言った。
「ええっと…確かわたしはこんなことを祈ったのです。この構造を、どうすればいいのかと。つまり…因果律の法則を、どうすればいいのですか。」
神は小鳥たちの声に耳を済ませたあとに答えた。
「そうさねぇ。ぽくたちはぽくたちだけれども、ぽくたちは一体どこから来たんだろう?」
「神よ。あなたにもわからないのですか。」
神は大きな木の樹皮を、夢中になって齧ったあと、答えた。
「ぽくはお母さんに毛繕いされてるとき、あったかくてすごく嬉しいよ。でもわけのわからない感情に支配されて、大好きなお母さんに吠えてるとき、とても悲しいよ。ぽくたちは同じだよ。ぽくたちは同じだけど、ぽくたちを違うと考えて、ぽくたちを狩って食用にしたりしている人達は、ぽくたちが同じだということをわかってないし、忘れてるよ。イルミナティの人達も、君達も、忘れてるよ。本当に大事で大切なことを忘れてるよ。ぽくたちはなにひとつ、退屈で空しいことをする必要はないよ。だからどうしてそれをする必要があるのか、ぽくたちにはわからないな。これがぽくの答えだよ。それじゃ、ぽくはお腹が空いたから、木の実を探しに行くんだ。」
そう言って、ちいさな神は外気温6℃の朝の重く垂れ込んだ雲の下、枯れ枝から枯れ枝へと、光り輝きながら渡って駆け抜けて行き、今日の一日が始まった。
















お姉ちゃんからの電話

お姉ちゃん

わたしは美術館にいる。
もう多分、すべての絵を観終わった。だからわたしは気に入った絵が描かれたタペストリーが入った袋を手に提げて、そしてパンフレットや本が並んだ場所の前にある椅子に一人で座り、本を読んでいる。
だれか知っているような男性が少し向こうにいるが、だれだか良く知らない。
わたしは突然、呼び掛けられる。
美術館の従業員の男性が、わたしに電話だと言う。
わたしは急いで、公衆電話の場所に駆けつける。
そして受話器を取る。受話器の向こうから、懐かしい、とても懐かしい声が、元気なその声が聞こえる。
「こず恵?!」
「うん!」
「うわぁ、ひさしぶりに声聞いたなあ~!!」
目が醒めると、この世界にはもうお姉ちゃんはいない。
2021年10月27日に、お姉ちゃんは55歳で此の世を旅立った。
でもわたしは、もっと前から、お姉ちゃんの声を聞けなかった。
2020年の夏から、もうずっとお姉ちゃんに会えなかったんだ。
最悪な爆弾発言を互いに言い合ったあの夏から、わたしはずっとお姉ちゃんに会えない。
こんな現実を受け容れられる方法はあるだろうか?
もしあるとしたら、それはきっとたったひとつだ。
の中で、赦し合えるなら。
どうかつづきを見れますように。
わたしは寝つづけてひどく疲れた身体を寝返りさせ、また眼を閉じた。
物がとても少ないさっぱりとした家のなかにわたしはいる。
引っ越しする前か、もしくは引っ越してきたばかりだ。
わたしは想像し、嘆いている。
この先、お兄ちゃんに何かあったとき、お姉ちゃんが傍にいてくれないのだと。
子どもの頃から、わたしもお兄ちゃんもあんまりにもお姉ちゃんを頼り過ぎて来た。
だからお姉ちゃんは疲れ果ててしまったんだ。
わたしはそう途方に暮れている。
場面は変わる。
待ち合わせをした初めての喫茶店で、わたしとお姉ちゃんは、向かい合わせに座って何かを話している。
わたしは美術館にいたときに、突然、お姉ちゃんから電話がかかってきたあの日のことをお姉ちゃんに話す。
確か、あの従業員は、誰からの電話か言わなかった。
「こず恵が、受話器を取ると…、……お姉ちゃんが……」
わたしは突如感極まって、声が出ない。
お姉ちゃんもそれを聞いて、そのときのことを憶いだしている。
「お姉ちゃんが……、お姉ちゃんの声が……」
わたしはまだ感極まりつづけて、次の言葉を出せない。
人はあまりにも感動すると声が出ないのだ。
お姉ちゃんも感極まり、愛情深い眼でわたしを見つめ、次の言葉を待っている。
魂が震える感動をふたりで経験したあと、やっとわたしは次の言葉を発する。
「お姉ちゃん……、お姉ちゃんの声が…こず恵?!…うわぁ、久しぶりに…声聞いたなあ~!!…って…」
この瞬間の前に、つまりあの声が出ない時間、あのときに、わたしとお姉ちゃんは確かに共に深いカタルシスを経験したんだ。
だから目が醒めてわたしは想う。
あの時間、あの声もでないほどの感動のカタルシスの時間、あの時間がもっともっと永く、そして深い時間を、わたしもお姉ちゃんも、きっと求めているのだろうと。
















子どもたちを愛さない世界

いじめ 嫌がらせ 子どもたち 中学生

旭川女子中学生いじめ凍死事件 の詳細を知り、彼女が母親に対して言った『どこからがいじめっていうか分からない』という言葉がずっと頭に引っ掛かっている。




第三者委の報告によると、7人はいずれも上級生で、同じ北星中学に通っていた男子生徒(A、B、C)と女子生徒(D)、別の中学に通っていた男子生徒(E)と女子生徒(F、G)。
 6項目は下記の通りだ。

(1)A、B、Cは2019年4月、広瀬さんも含めたLINEのグループ通話で性的なやりとりを繰り返し、Aは性的な意味で広瀬さんの体を触った。
(2)3人は同4~5月、深夜や未明に公園に集まろうと連絡したが、自分たちは行くつもりがなかったのに広瀬さんには伝えなかった。
(3)Dは同5~6月、お菓子などの代金を負担させる行為を繰り返した。
(4)Eは同6月3日、性的な話題を長時間にわたって続け、性的な動画の送信を繰り返し求めた。
(5)C、D、E、F、Gは同6月15日、広瀬さんに性的行為に関する会話をした上、性的な行為をするよう要求、あるいは静観していた。いずれも広瀬さんが性的行為をする状況を見ていた。
(6)Eは同22日、広瀬さんをからかい、嫌がる反応をした後も繰り返した。広瀬さんがパニック状態になった後も、Dは突き放すような発言をした――などとしている。
 全国紙社会部デスクによると、(2)では午前4時に公園に呼び出され、母親が止めても「行かなきゃ」とパニックになったこともあった。(3)では、別の友人に負担させられた具体的な金額を挙げて相談していた。
(4)では「裸の画像を送って」「(送らないと)ゴムなしでやる」などとしつこく要求され、恐怖のあまり送ってしまったらしい。
(5)では公園に居合わせた小学生らに「裸の画像を送らされたり、わいせつなやりとりをしたりしていた」と教え、さらに「いま、ここでやってよ」と強要。取り囲まれた広瀬さんは逃げることもできなかった。
(6)はウッペツ川の土手で「画像を流す」とからかい、広瀬さんは「死ぬから画像を消して」と懇願。2人は「死ぬ気もないのに死ぬとか言うな」とさらに詰め寄り、広瀬さんはパニックになって川に飛び込んだとされる。
 6項目は「確認された」だけだが、ほかにも表面化していない事案があっただろうことは想像に難くない。



2019年6月、川に飛び込む事件の前に、母親は彼女にいじめられてるのかと訊ねると彼女は『どこからがいじめっていうか分からない』と答えた。
だれがどう観ても、これはいじめ以上の陰惨な犯罪である。
ここまで凄惨な事件は珍しいかもしれないが、一人の女子生徒を複数の男子グループによって毎日のように精神的にじりじりと限界まで追い詰めてゆくという行為は世界中で頻繁に起きているだろう。
でもわたしの場合は、確かにそういった悪質な行為を中学二年生時に受け続け、果ては不登校になり、結局それが原因かはまあわからないことだけれども、一年生のときはあんなにバスケ部とかをがんばっていたのに、その後、無気力な状態がずっと続いて高校に進学することもできなかったのだが、わたしはそれを「いじめ」とは呼ばず、これまでずっと「嫌がらせ」だと呼んできた。
何故か?
それは事の発端が、特定の男子グループから嫌がらせを受けるきっかけとなったことが、こういったことだったからだ。
それはおそらく、わたしがまだ中学二年生に上がって、すぐくらいの時だったかもしれない。
学校から帰ったあとだっただろうか、うちの電話が鳴ったのでわたしは受話器を取った。
驚いたことに、意外な人物がわたしに電話を掛けて来たのだ。
それは同じクラスの男子生徒キラハカ(仮名)であった。
わたしがびっくりしていると、彼は恥ずかし気に、こう受話器の向こうで言ったのである。
「…あんなぁ…えっとぉ…今度、〇〇らとかと一緒に、グループデートせーへん?」
わたしは心の中で叫んだ!「マジか!!!」
あまりにも、嬉しかったからである。
わたしは特に当時キラハカのことを気にしていたかどうかもよく憶えていないのだが、まあキラハカはわたしのなかのイメージでなかなかの好青年であり、ちゃらちゃらもしておらず、真面目な感じだがちょっと陰のある、もっと言うとなかなかの闇が深そうなものを腹の底に仕舞いこんでるような、それでいて、彼は元気なまともで今どき風の男の子であって、普通を装ってがんばってまあ僕は生きているんだよねって感じのなかなかカッコいい感じのboyだったのであって、わたしはそのような雰囲気のキラハカのことを、なかなかいい感じそうだなぁという風に多分感じていたであろうと憶いだす…。
だからまさかの、そのキラハカから、わたしはグループデートを誘われたのだ!わたしは其の時点で、有頂天になっていただろう。
ははは、やっぱりそうかーおまえ、やっぱりわたしのこの凄い魅力をおまえは見抜いたか―。おまえが最初に見抜いたか―。おまえはやっぱり良いやつだなあ。
わたしはまだ中二だったが、心のなかで「おほほほほほほほほほほ」という貴婦人のような笑い方で一瞬で自分は格上げされたみたいな気持ちだった。
それで、その「おほほほほほほほほほほ」という笑いのなかで、わたしは心臓がどきどきしながら、興奮を隠しながら、キラハカに、訊ねたのである。
「…どこ、行くん?」
すると、キラハカはどうやら彼の後ろにいる男子たちと相談している様子で、その遠くに声がしていた。
そしてキラハカは受話器に戻って来て、また恥ずかしそうな言い方でこう言った。
「ぼ、ボーリングとか…」
わたしは確かにボーリングは別に好きではなかった。でも心の底で、「oh、ボーリングか、なかなかええんちゃうか。」と想った。
しかし、あろうことか、わたしのこの口は、この卑しい口は、彼に対して、こう応えたのである。
「えええええええええぇぇぇぇ、ぼーりんぐぅぅぅぅぅ???」
ものすごく、イヤらしく、わたしは「えーなにそれ」みたいな相手を馬鹿にして、相手を侮辱するように、確かにわたしはそんな言い方で言ったのだ。
何故か。
わたしはただ、自分が「おほほほほほほほほほほ」という女王でもなった気分で、この貧しき格の低い家来に対して、そんなことであたくしを喜ばせられるとでも想ってるのかしらぁ。という真に卑しき本性が出てきて、どうしても自分のこの興奮,高揚,深い感動と喜びを絶対に隠さなければならないと想ったからであった。
つまり、つまるところ、わたしがどあほだったからである。
それでわたしは真正のどあほだったので、キラハカから、「えっと、そ、それじゃ、〇〇はどこがええん?」みたいな返事が来るだろうと予想していた。
すると、返事が何一つ来ず、なんとも、異常な、異様な長い沈黙が、受話器の向こうで起こり、わたしは酷く狼狽えた。
そしてその不可解なおそろしい沈黙のなか、わたしは脂汗を垂らして返事を待ったが、どんなに待っても返事がなかったので、確か「もしもし?」と訊ねたかもしれない。
するとその瞬間、無言の沈黙のあとに「ガチャっ」といって電話は切れたのだった。
わたしは待った。電話の前で、「ごめんごめん、さっきちょっと切れちゃって。」というキラハカからの電話が掛かってくるのを。
だが一向に、どんなに待とうとも、もう二度とキラハカから電話が掛かってくることはなかった。
わたしは、それがショックであり、多分ひどく後悔したとは想うのだけれども、どこまで後悔したのか、あまり憶えていない。
何故なら、わたしは当時、まだ本当の本気で男の子を好きになったことがなかったからだった。
だからその証拠に、わたしは翌年くらいに読んだちびまる子ちゃんのまる子のお姉ちゃんが失恋して湯船のなかで涙を流すという名シーンが、理解できず、「なんでたかが惚れた男の為に涙を流すのか。」と本当に想ったのだ。
でも男の子と触れ合ったこともなかったわたしは、男の子とデートするといったことがとても素晴らしい夢に想えていたことは確かだった。
でもわたしはこの高慢さによって、キラハカを一瞬のうちに失ったのだ。
だが、事はそれで、終わらなかった。
わたしは制服のスカートをそんな短くしたりもしない、とても真面目な女子生徒であった。
しかし当時から、わたしは学校のなかで結構浮いていただろう。
その雰囲気が、近寄りがたいオーラを発していたからだろう。わたしは当時から変わり者であった。
それは、ある日突然、起こった。
教室で視線を感じ、振り向くと、必ずそこにニヤニヤと笑うキラハカと、そしてもう二人の男子生徒も同じようにわたしを観ながらニヤニヤと笑い、三人はコソコソとわたしについて話して嗤っている。
わたしはこんなにばかばかしいことはすぐに終るだろうと想った。
しかし次の日も、次の日も、一週間後も、一ヶ月後も、それは毎日続いた。
特にわたしが動いたり、何か仕草をしたりするときに必ず彼らは、こちらに聴こえるようなクスクスとした嗤いでわたしを凝視しながら笑い、時にはその三人間でメモを渡し合ったりしているようだった。
ある日の授業で図画工作室にみんなで移動して、教室とは違う席に着かなければならないとき、たまたまキラハカたちと同じ机を共にしなければならなくなった。
わたしは図画工作の担任の男性の先生に彼らに嫌がらせをされつづけているから、席を変わりたいと訴えた。
だがその先生は、たった一時間とかだから我慢しろと言った。
わたしは諦めて席へ戻った。
机の向こう側から、彼らはわたしを見つめて、嘲笑いつづけた。
わたしはずっとずっと、黙って堪えていた。
物凄い屈辱だった。自尊心が破壊された。自己肯定感がどこかへ行った。
わたしは、何より、自分自身が厭になった。
よく憶えていないが、わたしは担任の先生に一度だけ相談したことがあったのかもしれない。
昔の体育会系のムキムキな日焼けした眼がギラギラとした熊みたいなその先生は、おそらくわたしを一喝した。
「そんなことに拘るな。」
わたしはその担任がどうしても好きになれなかった。
とにかく暑苦しくて苦手なタイプだったし、何一つ理解されなかった。
お父さんには、話せなかった。当時に話した記憶はない。
お母さんが生きていたら、わたしは話せただろうか?
事の発端は、わたしだったのだ。わたしはそのことが、恥ずかしかった。
わたしは小学生の頃から、極度のあがり症(社交不安障害)だった。
みんなの前で本読みをするとき緊張のあまり声が震えたり、特に著しかったのがリコーダー(笛)のテストだった。
あまりにも指が震え、口も震えるため、わたしが奏でるメロディは祭囃子のように独特な高音と強弱があった。
そんなものを聴かせられてだれもが笑いをこらえていたはずだが、なかでも大袈裟に彼らは、必死に笑いを堪えており、本当に惨めで、わたしのこの高慢なプライドはけちょんけちょんにされたのだった。
最早、堪えられなかった。
わたしは限界だったので、もうがんばるのをやめた。
学校に行くのをやめた。
だが、学校に行ってないということがお父さんにバレた。
わたしはどうしても行きたくないと言ったが、お父さんは「行け。」としか言わなかった。
お父さんは怒るととても怖かった。
お父さんは仕事を出る時間を遅らせて、わたしと一緒に家を出た。
わたしは学校に行く方向の路へ歩いてゆく。
後ろを振り返る。
お父さんが、わたしをの眼差しで応援しながらがんばれとエールを送りながら、わたしがその角を曲がって観えなくなるまで、見送ってくれている。
そして角を曲がる。
わたしは学校へと向かう道とは違う道を歩く。
時間をつぶす。
早く家に帰りたいなあ。わたしの頭にはそれだけだ。
もう帰っても、お父さんにバレないよなあ。
よーし、もう帰ろう。
そんな日々が続いた。
お父さんに当然、またバレる。
騙しつづけていたことにもお父さんはすごく怒(いか)る。
嗚呼、どうすればいいのだ。
わたしはどうしても、学校に行きたくないのだ。
あいつらにもう馬鹿にされたくないのだ。
嗚呼、わたしは、わたしはそんなつもりではなかったのだ。
キラハカと楽しいデートがしたかったのだ。
でもキラハカは、キラハカはキラハカで、わたしと同じほどにプライドが高い人間だったが為に、わたしのあのたった一言で、わたしを自分のなかで「ビッチ(売春婦)」まで突き落したのだ。
わたしが苦しみつづけているのを、彼らは気づいていただろうが、彼らはそれがとても面白く、楽しかったのだ。
わたしは日々が本当に退屈で寂しくて、たまに友だちと話がしたくなって学校に行ったりしていた。
それであの日のできごとが二年生だったか三年生だったか憶いだせないのだけれども、こんなことがあった。
キラハカと、あとの二人の男子生徒、その一人はわたしのなかでとても眩しい子だった。
何かのイベントのときに、彼はのりのりな音楽に合わせてとても上手いダンスを踊ったのだ。
そのダイシン(仮名)は色白でとてもハンサムだった。
余裕たっぷりでこちらを見つめ、顔に掛かった綺麗な長い黒髪を掻き上げる仕草、少女漫画のきらめく星が似合う程、ダイシンは完璧な男子生徒だった。
わたしは多分、そのときダイシンに憧れを抱いたのだ。
こんな完璧な美少年がこのクラスにいるのかあ!と感動したのだった。
そのときのわたしは、まさかその何一つ、非もないようなダイシンが、わたしに嫌がらせをつづけるキラハカをリーダー格とするグループに入るとは夢にも想わなかった。
だが彼の闇もまた、深かったのである。
わたしはそれを、見抜けなかった。
性格は、その中身は、どんろどんろだったのである。
そう想いたいだろうか?
わたしはどうも、想えなかった。
ここまで悪質な嫌がらせをされつづけても、わたしは彼らが、どうも純粋に観えたのだった。
だったら、わたしだけが悪いのか。
だから、わたしの自己憎悪は酷いものだった。
同じクラスのヤンキーの女子グループからも何か笑われてるのではないかという被害妄想を抱くようにもなった。
だが彼女たちは、わからないが無実だったのかもしれない。
そんなある日のことだった。
わたしは其の日、学校に行って、無事に終了時間までがんばり、女の子の友達たちと登下校をしているときだった。
すると突然、男子ヤンキーグループがわたしたちを追いかけて来たのだ。
わたしはわけもわからず、必死に逃げた。
そのグループにはダイシンがいた。
わたしは必死に走って団地のなかを逃げるなか、友達とはぐれ、一人だけで追い回された。
彼らは三人以上は多分いた。
わたしは行き止まりの場所まで追い込まれた。
彼らはわたしを逃がすまいと、横に並んで通せん坊(とおせんぼう)をした。
嗚呼、まずい!わたしは恐ろしく、彼らがじりじりとニヤニヤしながら近づいてくるのを必死にこちらから向かって行き、彼らが何かをする前に、わたしは彼らの身体と身体の間を抉じ開けて脱出したのだ。
ダイシンは、あんなにも綺麗な顔立ちをしながら(想えばキラハカもダイシンもとても賢そうな顔立ちであった)、一体何がしたかったのかわからないが、彼らはそれでも、純真であり、何かしたかったのかもしれないがきっと気が引けたのだろう、彼らはわたしに触れて何かをすることはできなかった。
それらの行為は、すべて彼らの「ただの悪ふざけ」に過ぎなかっただろう。
ときに、こんなこともあった。
わたしは教室でキラハカの椅子を、キラハカが傍に立っているときに、思い切り蹴り倒してやったことがあった。
キラハカたちは、それでも変わらずクスクスと嗤った。
しかしただこちらを見つめて笑うだけで、それ以上に彼らはそのとき何もしなかった。
つまり彼らは、わたしに対して本当にそれ以上の何もできなかったのだ。
それほどにわたしには何か触れてはヤバいオーラがあったからなのかもしれない。
そして、こんなこともあった。
わたしは学校に行く日は良く授業の途中から学校に行っていた。
ちょうど昼の休み時間だった。
わたしは近道となるドアから校舎へ入ろうとした。するとガラスのドアが閉まってるではないか。
おいーなんなんだよ、だれが閉めたんだよー。とわたしはその場に立ち竦んでいた。
すると驚いたことに、息を切らして楽しく友人たちと面白い遊びをして子どものように遊んでいたいつもとは違うキラキラと輝いたキラハカが、そのドアの向こうから走ってきたのだ。
わたしはすぐに、彼らがその純粋な遊びのために、このドアの鍵を閉めたことがわかった。
わたしとキラハカはガラスドア越しに見つめ合った。
とてもドキドキしたが、そのときのキラハカは何か清らかだったのだ。
嗚呼、こんなに無邪気な表情をするんだな。とわたしは想いながらも緊張し、弱気を見せてたまるかといった戦闘的な目を作って、キラハカと妙な間、見つめ合っていた。
するとキラハカはその無邪気な顔のままで鍵を開け、何の罪もない子どものように、向こうへと駆けて行ったのだ。
嗚呼、わたしは彼らを責める資格はない。
それは何故かというと、わたしのほうが何百倍と、腹黒いように今でも想えるからだ。
彼らは責められるべきではない。
おそらく彼らは、イエスが十字架に磔にされながら人々に叫んだ「彼らは自分が何をしているのかがわからないのだ。」という言葉を、純粋に表現しただけだったのだ。
わたしは何を言わんとしているか、わかるだろうか。
イエスは、我々が「赦す」まで、我々に救いの道がないことを自分の命を犠牲にしてでもわたしたちに伝えた。
彼らもまた、大切な「子どもたち」だ。
だれもが、大切な大切な子どもたちだった。
子どもたちさない世界で、子どもたちは死に、子どもたちは殺されるということを、どうか忘れないでほしいのだ。
















セックスほど、虚しく、浅ましく、退屈なものはない。

ラムサ 後悔 セックス 悔恨

わたしは最近、ラムサ 愛という名のエリクサー 改訂版』を毎日読み進めている。
此処まで鬱が深い人間が、毎日読み進められる本とは、自分にとって偉大な本だけだ。
そんな本はこの世界にほぼ存在しない。
つまり、一か月以上お風呂に入ることさえできないので毎朝ごっそりと抜け毛が取れるほど鬱症状に苦しんでいるわたしのような人間が情熱的に毎日読み進められるほど面白い本はこの世界に本当にほぼ存在しないのだ。
だから偉大な本である。
わたしにとって、ラムサは偉大な人(存在)である。
この本に、多大な付箋を付けながら読んで来た。
そのすべてを人々に是非知らせたいのだが、ラムサの言葉は全部繋がっていてあまりにも複雑である為、全文記すことが困難だ。
だからといって、かいつまんで此処に載せて、理解できるだろうか。
わたしは「スピリチュアルはわかりやすい答えがある」といった酷い誤解がなくなってほしいと切に願う。
何故なら、ほんとうにほんとうに苦しみつづけた人だけがやっと辿り着けるたったひとつの聖地だからなんだ。
我々が本当の意味で救われることのできる知識が、確かに此処だけにあると言っていい。
素直に、ぼくは何度でも言う。
「ぼくたちは本当に虚しい生き物だ。」
それは我々が神(本当の自分)を忘却しつづけ、イエスが言うように、「屍」の状態で生きているからだ。
シルバーバーチもラムサも、ぼくたちが「死んでいる」状態にあるのだと何度も言ってきたが、それは死体と等しい程に虚しいモノと化しているという意味なんだ。
ぼくたちは生きている。確かにぼくたちは生きている。それは「肉体」としてぼくたちは生きている。
ぼくたちはただ、「肉」として生きて来た。
でもぼくたちの本質は「肉」ではない。
「肉」とは我々の食卓の上に上がり、それをたった数十分かそこら味わった後、消化し、排泄するものだ。
勿論、我々はその「肉」からたくさんの栄養を摂取して来た。
その「栄養」を言い換えるならば、「地獄へと続くカルマ」と言えるだろう。
だから肉とは、我々にとっての「肉」とはすなわち、本当に苦しく、また(まだ)虚しいものを手に入れる為の価値である。
ぼくたち自身が、まさにそれなのだ。
だからあなたは日々生きてゆくなかに「退屈」や「孤独」や「空しさ」といった感情に支配される。

あらゆる感情がいずれ終わる。なぜなら、感情は時間の中で生まれるからだ。
それらは時間の中での寿命を持っており、徐々にすり切れていく。
退屈さは、あなたがそれを体験し尽くしたときに生じる。(P143)

ぼくたちは、色んな場面で退屈さを感じるだろう。
たとえばぼくは外を歩いていてもほぼすべてが退屈なものであり、とにかく苦痛なものがほとんどだ。
だが、鳩や雀や鴉や、空を観るとき、わたしの心は決して退屈ではなく、喜びを感じる。
そして、「セックス」だ。
ラムサはずっとこの本でわたしたちのセックスの浅ましさ、虚しさを延々と説いている。
わたしはこの世界のほとんどは本当に退屈で虚しいが、そのなかでも何よりも虚しいのは、「セックス(すべての真の愛のない性行為)」である。
わたしはそれを、この人生でも嫌というほど経験してきた。
そしてそのすべてが、本当に虚しかった。
愛がなかったからである。
わたしにもなければ、相手にもなかったからである。
もう二度と、わたしは本当にだれひとりとも性行為をしたくはない。
だれとも、性的な関係を持ちたくはない。
たったひとりを除いて。
わたしはわたし(Wes)以外と、決してもうそんな虚しいことをしたくない。
わたしはわたしの中に生きているWes以外と、永久にセックスをしたくはない。
セックスこそが、わたしを地獄の底へと突き落してきてくれた。
セックスこそが、わたしの愛する父を地獄の底に突き落とした。
セックスこそが、わたしを立ち直れないような人間にしてくれた。
セックスこそが、わたしを狂人にしてくれた。
セックスこそが、未だにわたしに真の地獄を見せつけてくれている。
もうたくさんだ。

真実を言えば、あなたが同じ体験を繰り返すなら、その体験はどんどんすり切れていくことになる。
あなたはその体験を、「使い古す」のである。
(P142)

ぼくたちは延々と、*同じ(虚しさをもたらす)体験を使い古しつづけてきた。
(*ラムサは二度、まったく同じ体験をすることはできないと言っている。しかし同じ虚しさや退屈をもたらす我々にとって退行となる体験を我々は繰り返しつづけている。)
さて、あなたは、一体いつ、前へ進むのか?

我々は一体いつまで、この肉に、セックスに、支配され続けて虚しく生を終えることを繰り返すのだろう。
「もうたくさんだ。」
本当の本心でそう言うまで、ぼくたちはあらゆるすべての体験を使い古しつづけるだろう。
同じ処を、ただぐるぐるぐるぐると廻り続ける。
そしてその人生のなかでぼくたちは、真の後悔を経験することになる。
もし本当に、あなたに愛があるのであれば、この後悔の苦しみは、永遠にあなたを苦しめ続けるだろう。
あなたの涙はいつまでも流れつづける。
あなたは決して忘れることはできない。
愛する彼らは、本当に地獄の底で息絶えたのだ。
我々が、「退屈」な体験を何度も何度も使い古している間に。


















stuck(立ち往生)

愛と悪

私はただただ、たった自分一人だけで延々と苦しみ続けたかったのだ。
なのに私の神はそれを決して許してはくれなかった。
だから私の愛する小さなか弱い美しい存在達が地獄の底で私の愚かさの為に死んで行った。
私がWesに出逢ったからである。
Wesの小説を何者かが私に書かせたからだ。
私は「書きたくはなかった。」とは言うつもりはない。
我が神は書くべきものを私に書かせたかもしれないが、その結果、私は今此処にいる。
この真の悲劇について、だれがなにを言おうとも、私にとって真の答えではない。
「これは起きるべきではなかった。」
これが私の真の答えである。
でもこれを言い換えてみよう。
「私にとって堪えられないことが起きた為、私は何一つ前へは進めない状況に陥りつづけている。」
私は決して「多くの人に幸あれ。」などと祈ることはない。
それは私の幸福論がこういったものだからだ。

我々は、真の幸福を手に入れる日は、おそらく来ない。
つまり、いつまでもいつまでも、永久に我々は、何かに深く苦しんで、悲しみ続ける存在だということなんだ。
でもそうであっても、光を見失わずに、生きている(生かされている)ことに深い喜びのなか神に心から感謝できるならば、これこそ、我々にとって、真の救いである。
私は、ある意味堕落したこの地点から、すべてにこう祈りつづける。
「全宇宙のすべての存在に、真の救いあれ!」

















ラムサの教え『ライオンとワシ――動物界から学べること』

スピリチュアル ラムサ 性愛 動物の愛 セックス

ラムサ という名のエリクサー 改訂版
ラムサ 愛という名のエリクサー 改訂版





第1章 誰もがそれを欲しがり、渴望しているが、それは何なのか?(以下、P36~P43までの転載)


 どんな動物も、どんなバクテリアも、セックスをする。では、セックスは自然なことなのか?
その通り。セックスは悪いことではない。決して悪いことではない。
だが、あなた方は霊的な学校にやって来た。
あなた方が学校に来たのは、巷にいる普通の人々よりも偉大になるためだ。
それこそが、あなた方がこの時間と金、そして人生の一部をつぎ込み、ここで学んでいる理由である。
さて、この学校以外の場所で人々がやっているすべての事柄が真実だと私は言うのだろうか?
もちろん、私はそう言うだろう。というのも、それらは真実だからだ。それらは彼らの真実だ。
しかし、あなた方はここに来て言った。
「人々がこれを信じていることを私は知っている。しかし、私は満足していない。
私はこれらのことをやってきた。私は人々に『している」と言ってきたが、そのあと自分を笑い、
自分の言葉に疑問を抱き、後悔してきた。それでも、私は自分を抑えられなかった。
その人間に対して強い性欲を感じていたからだ。その人間こそが、私をいかせてくれたのだ」
「私はいった」、これよりも露骨な表現があるだろうか?
「私はいった」である。
「私はその人間とセックスがしたかったのだ。しかし、私はその人間とうまくやっていくことができなかった。その人間も私とうまくやっていくことができなかった」
これはもちろん、自然なことだ。つねに自然なことだった。
われわれは決して不自然に作られなかった。これは真実だ。

 セックスをするからといって、われわれが悪人であるわけではない。
セックスはわれわれを悪人にするわけではない。
だが、セックスはわれわれを、信用できない動物的な人間にし、動物界と同じような「優先順位をつけない存在」にしてしまう。
これはどういうことかと言えば、動物は交尾するということだ。
つまり、大きな雄ジカは複数の雌ジカと交尾する。それらの雌ジカは、「私以外の雌と交尾しないで」とは言わない。
それらの雌のすべてが、群れの中の一頭の「種ジカ」によって子供を得るのだ。
しかし、交尾の時期が終わると、雌ジカはみな一緒に住み、自分たちの子供を一緒に育てる。
それは雌ジカ達の群れである。そして、雄ジカはみな群れから去り、雄どうしで一緒に住むのだ。

あなた方の人生の中にも、これと同じような部分がある。それは、とても動物的なものだ。
ここで、あなた方は反論し、こう言う。「ラムサ、じゃあ、これが自然であるということが真実なら、結婚は不自然だということになる」と。
あなたの言う通りだ。つまり、結婚は不自然なものである。あなたの言うことは正しい。あなたは正しい。動物界には、生涯つがいでいるような種はいるのだろうか? 
もちろんいる。それは自然なことなのか? 自然なことだ。

 われわれは大きなワシをどのようにみなせばいいのか?
巨大で堂々とした翼を持つ、大きな捕食者だ。雄ワシが恋人を見つけると、彼はその恋人とセックスし、彼女を川のそばまで連れていく。
それは、彼が彼女を養い、彼女をし、彼女とともに巣を作ることができるようにするためだ。
そして、彼らは互いにし合うのだ。
雄ジカと雌ジカとは対照的に、なぜ彼らが愛し合うのかわかるだろうか? 
雄ジカは雌ジカとセックスするだけであって、雌ジカを愛するわけではない。
交尾の時期が終われば、雄ジカは雌ジカをどんな捕食者からも守らない。
雄ジカは雌ジカの命を救わないし、自分の子供の命も救わない。
ここで、雄ライオンと雌ライオンの話だ。雄ライオンはひとつの群れに属している。
地球上で最も偉大なハンターは、男ではなく、女である。
雌ライオンは、最も偉大で、最も獰猛で、最も凶悪で、最も賢いハンターである。
一頭の雄ライオンが雌ライオンの一団と交尾するわけだが、雄は雌たちが発情したときに雌と交尾する。
そして、雌たちが獲物を倒したとき、最初にご馳走を食べるのは雄である。
あなたはまだ、この雄ライオンのことを「百獣の王」などと呼びたいだろうか? 
彼の愛人たちのほうを「百獣の女王」と呼ぶべきだろう。
そして、雌ライオンが群れにやって来ると――ここで「義父症候群」が登場するわけだが――別の血統の子供を連れた雌が自分の群れにやって来ると、雄はそれらの子供を殺してしまう。
では、何人の子供たちが、義父によって虐待されてきただろうか? 
手を挙げなさい。手を挙げるのだ。あなた方の何人が、義父と一緒に住み、義父によって精神的または肉体的に虐待されてきただろうか?手を挙げなさい。
それは「動物界」と呼ばれている。
そして、その第一の目的は、義父が子供たちを殺すか、子供たちを追い払って母親から引き離すことである。
そして、彼女が発情している限り、彼は彼女のもとにとどまるが、彼女が発情しなくなったとたんに、彼は彼女から去って別の女のところに行くのだ。

 動物界では、動物たちは適応することを学んだ。
雌たちは、親友である自分の姉妹のところに戻り、そのまま一緒にとどまる。
年をとった雄たちも、雌をめぐって戦う必要がない限り、一緒にとどまる。
だが、同じ群れの中で、一頭の雌ライオンをめぐって雄ライオンどうしが戦うことがあるのだろうか? もちろんある。
なぜだろうか? なぜだろうか? それは、その雌が発情していて、その雄の子供を産む可能性があるからだ。
雄は、その雌が別の雄との間にもうけた子供を許容することができない。雄は別の雄の子供を殺してしまう。
これは完全な嫉妬心であり、プライドである。別の雄の子供がいることは、傲慢なプライドを傷つけることなのだ。
あなたの子供をあなた以上に愛してくれる人間は誰もいない。

 雄ライオンが自分の縄張りに印をつける方法を知っているだろうか?
雄はあらゆるものに小便をひっかける。だが、雌ライオンはそのようなことはしない。
これは興味深いことではないか?人間の男も(雄ライオンと)同じようにふるまっているし、人間の女も(雌ライオンと)同じように振る舞っている。さて、これが動物の性質である。
だが、大きなワシや、キジバトの仲間のいくつかの種や、もっと小さないくつかの鳥は、伴侶を見つけると、一生つがいでいる。
それらの鳥がひとたび特別な相手を見つけると……われわれはワシについてこのことを知っており、ここで、偉大ですばらしいワシのつがいの話をする。これはDDT(*農業用の化学殺虫剤。米国では1913年以来、使用が禁止されている。)による惨劇が起こっていたときのことだが、あれらの偉大ですばらしいワシのつがいは、小動物を餌にしており、それらの小動物は、DDTを散布された果物や野菜や小麦の類を餌にしていた。
このとき、ワシの卵はひとつも孵化しなかったのだ。
そして、来る年も来る年も、ワシのつがいは雛を育てることができなかった。
このとき、雄ワシは、卵が孵化しないのは雌ワシの責任だと思って雌ワシのもとを去っただろうか?
決して去らなかった。そして今日では、今日では、これはワシの叡智だ。
これはキジバトのいくつかの種の叡智である。これはいくつかの鳥の叡智である。
すべての鳥ではなく、一部の鳥だ。
われわれはそれらの「いくつかの種」を、彼らの遺伝系列の中で最高の種として位置づけるべきだ。
これらの鳥は生涯つがいでいる。雄鳥を殺しても、雌鳥は別の雄と絶対につがいにならない。絶対にだ。
雌鳥を殺しても、雄鳥は――雄は通常、性欲に駆り立てられているものだが――絶対に別の雌とつがいにならない。

 ここで、あなた方にたずねたい。われわれは人間として、自分を動物の仲間とみなすだろうか、それとも、人間の仲間とみなすだろうか? 
われわれは動物界の中を探し、本物の愛や忠誠心や信頼を見つけることができるだろうか、それとも、自分の動物的側面を見て「動物はみな同じだ」とすぐに結論を下してしまうだろうか?

 動物界の中にさえ、愛があるのだ。
私が話している愛は、7つのシールで共鳴する愛だ。われわれはこれについて学ぶことになる。
ワシでさえ、極めて深い情熱的な愛を知っているのだ。
彼らは、絶対的な信頼や、絶対的な依存を知っている。
彼らは、自分の伴侶がかけがえのない存在であることを知っているのだ。
あなた方はワシよりもどれくらい偉大だろうか?
私は大して偉大だとは思わない。大して偉大だとは思わない。
というのも雄ワシは、卵の殻がとても弱くて子供をもうけることができなかったときでも、雌ワシを愛していたからだ。
ここでわれわれは、二人の存在が子供をもうけることができないという古典的症候群を見いだす。
だが、それでも彼らは一緒に住む。雄ワシが一羽だけで飛んでいるのを見るのは珍しいことではない。
彼らはすべて「男やもめ」だ。彼らは女を求めて走り回らない。これは、完全さを見つけた自然の存在であり、その完全さの中では、この存在は春先ごとに子供をつくることを必要とせず、その衝動さえ持っていないのである。
この存在はもはや、交尾したいという衝動さえ持っていないのだ。

 あなた方の多くが、自分の家のリビングルームやダイニングルームの外に出たことがない。
だが、思い切って外に出て、私がやったように自然を観察してみれば――この聴衆の中には既にそれをやった者もいるが――自然の中で最も偉大な性は雌であることに気づくだろう。
というのも、雌は子育ての責任を負っているからだ。雌は最も偉大な性である。
男たちがこの話を嫌っているのはわかっているが、ここでひとつ教えてあげよう。
自然界のすべての生き物は、交尾のあと、子供を育てる責任を負う必要がある。
あなた方はいまや、女がいかにパワフルであるか、そして雌がいかにパワフルであるかを理解できるだろう。
これには例外もある。男の中の女性エネルギーは、男の体を女の体にするためにあるわけではない。
男の中の女性エネルギーは、責任を負い続けるための強さである。責任を負い続けるということは、ほとんどの男が慣れていないことだ。これは真実である。

 では、移動性の動物(*移動性の動物…渡り鳥などを含む動物。)は愛を持っているのだろうか?
持っている。
彼らは「性的な愛」を持っている。
さて、あなた方の中の純粋主義者たちは、これを「人間的な行為」、「動物人間的な行為」、あるいは「動物的な行為」と呼び、単に「種の繁殖期」と呼ぶことだろう。
だが、実際には、あなた方を含めたどんな生き物も、ホルモンが溢れているときは、「あなたは特別だ」と言うどんな相手に対してもパンツを下ろすのだ。
大きいハンサムな雄ジカと一緒にいる雌ジカの場合、彼女がその日の女王でいられるのは約3日間だ。
雌ライオンが女王でいられるのは10日間くらいである。
雌犬の場合、彼女が発情している限り、彼女は女王だ。
これはまるであなた方の人生のようではないか?あなたが発情している限り、その関係は火がついていて、特別であり、あなたは唯一の存在であり、あなたはかけがえのない存在だった。
あなたは、あなたは、あなたは、あなたは――私は次の言葉を探している――あなたは、あなたは……あなたは何度も誰かと一緒になった。それから、熱が冷め始めると、いざこざが生じた。
これは本当のことだ。女を求めてうろうろしている男たちは動物である。男を求めて駆けずり回っている女たちは、大きな雄ジカを探しており、3日間、4日間、7日間、あるいは4日間の発情期間を求めているのだ。
それから彼女たちは、自分の男が別の女を求めてうろうろしているということを理由に、彼らに対してひどく腹を立てる。そう、彼女たちは動物と結婚してしまったのだ。
彼女たちは動物と寝たのである。あなたは動物に何を期待しているのか?

 一方、あれらの偉大なる特別な生き物たちもいる。私がこのことを話している理由は……私にはわかっている。
あなた方は、自分たちが地球上で最も偉大な知性を持っていると思い込んでいる。
だが、誰にもあなた方人間のことが理解できない。蝶でさえもあなた方のことが理解できない。
これは本当のことだ。私はこれらの事柄を教える必要はないだろう。あなた方はただ自然を観察すればいいだけだ。
そうすれば、動物界にも確実に愛が存在することに気づくだろう。それは、あのような情熱的な愛である。
ここで少し、偉大な猛禽類(*猛禽類……他の鳥類や小動物を捕食する大型の鳥類。ワシタカ類とフクロウ類を総称して猛禽類と呼ぶことが多い。)のことを考えてみてほしい。
ちなみに、このようにふるまうのは2つの猛禽類のうちのひとつであり、他のほとんどの猛禽類はこのようにふるまわない。
だが、偉大なワシの雄と雌は、単なる肉食動物ではない。
それらは雑食動物だが、ワシがベリー(*ベリー……ブラックベリー、ラズベリー、ブルーベリー、イチゴなど。)を摘んでそれを子供に与えるところを見る者はいない。
さて、偉大な雄ワシは、自分の妻が鉄砲で撃たれたり、電線に引っかかって死んだりするのを見ると、死ぬまで独りで生きるが、あなたはこれをどのように説明するだろうか?
ワシ達は何かすばらしいもの、何かすばらしいものを持っているのだ。
それは「愛」と呼ばれている。
片方を失ったそのつがいは、そのパートナーシップにおいて本当に完璧だったので、そのパートナーシップはかけがえのないものである。
これこそが、あなた方全員が探し求めているものだ。
あなた方は、自分の人生においてかけがえのない完璧な女、完璧な男を探しているのである。











光よ。

光よ。
光に閉ざされた光輝く羽根よ。
薔薇の花から落とされた金色の滴に満ちて、
満ち足りた死から、彼は死を亡くしたのだ。
光は産毛のように、その手から剝ぎ取られた。
その足の指は、強引に毟り取られたが、
彼女はリスクを問わなかった。
死が其処に満ちていたからである。
彼女は言った。
「今日、痛かったさかい、明日も痛いやろう。」
神は天から彼女に言った。
「違う。」
ふわっふわの毛玉が、天を見上げた。
何もなかったが、あたたかい光線が、
そのとき、彼女を見下ろしていたのである。
「死はまだか。」と、彼は言った。
ボケた老人のように。
「今、なんっつったんだ?」彼女は彼に向って言った。
彼女は彼を見つめたが、彼の眼には、ふわっふわな毛玉が、
蒼く透き通った空の果てで、揺れている金色の羽根の生えた
ちいさなちいさな毛を毟り取られた右手が、観えたのだが、
その正体は、わからなかったという。
だから、光よ。
天の光よ。
今、満ち足りた人が、死んだのだ。
こんなに悲しい夜の果てに。
ひとりぽっちで死んだあと、空を見上げたのだ。
「寒いけど、あったかい巣があるから、ぼくたちゃ安心だよね。」
「そうさ、あいつに奪われなきゃ。」
ふわっふわの毛玉たちが、そう言ったあと、
暴れる冷たく凍る風を切って、枝から枝へと、駆けてった。
「ぽんぽん、痛いけど、我慢だもんね。」
彼女は、我が子の背中を毛繕いして、そう言った。
でも、光よ。
こんなに満ち足りて、日の光のなか、彼は死んだのだ。
羽根が生えてるのに、まだ埋葬もされず。
ぼくたち、あのなかに、あの満ち足りた日のなかに。
いつか、行くのかなぁ。
その死が、ちいさなちいさな死が、
確かに夜の冷たい空を見上げ、そう言ったのだ。
そうだよ。ここから、まだ観えないけれど。
死んでしまったちいさな彼に、ふわっふわな毛玉だった彼らに、
ぼくはここからそう言った。
















天国へ向かう列車の切符

小説

神の御国へ向かう人々を乗せる為に待つNorth Coast Limited






目が醒めると、わたしは見知らぬ駅にいた。
一人で、列車が来るのを待っているようだった。
しかしいくら待てども、列車が来なかった。
本当に来るのだろうか?わたしはとても不安になって、心が寂しく、寒くなってきた。
すると後ろから、大変、心地の良い透明な優しく暖かい響きの男性の声が響いた。
「あなたは、切符をお持ちですか?」
わたしは驚くことなく、自然と振り返り、彼を観てこう答えた。
「いいえ。わたしは何にも持っちゃいません。切符とは、わたしが乗る列車の切符ですね?」
彼は天使のように微笑み、こう返した。
「はい。あなたは神の国、いわゆる天国へ向かう列車の切符がなければ、此処でいくら待てども列車は来ません。」
わたしはふぅと溜息を吐いて言った。
「なるほど、だから随分と永く待っていた気がしますが、一向に列車が来ないはずですね。」
彼は美しい眼をして深く頷いた。
「その通りです。あなたは、残念ながら神の御国へゆける列車の切符を与えられませんでした。」
わたしは何故なのか訊いた。
すると彼はこう言った。
「あなたが今朝、観たを憶いだしてください。」
わたしは自分が今朝に観たを憶いだし、そのを彼に話した。
其処は、確か病院でした。わたしがいたのはその病院の二階だったはずです。それで、其処にはエレベーターがあったのです。わたしが乗ったとき、その中の入り口の床のところに約25㎝ほどの隙間があることに気づきました。下を覗くと、恐ろしいことに、ずっとそれは下まで続いているように観えました。つまり、暗くて良くは観えませんでしたが、ずっと下の方に鉄の棒が何本と交差しているのが観えました。わたしは想いました。此処に落ちれば一巻の終わりだ。それも、本当に無残な終りを迎えるだろう。何故ならば、あの何本と交差した鉄の棒が落下した身体をばらばらに引き裂くからだ。此処から絶対に落ちてはならない。他の人にもこのことを教えてあげなければ。
どれくらい時間が経ったかわかりませんが、知らない男性が遣って来ました。
彼は気さくに、満面の笑顔でわたしに声を掛けました。
しかし、わたしは彼のことを知っていたでしょうか?
彼はどうやら、少し知的障害があるようでした。その分、とても純粋なように想えました。
彼は、ちょうど開いていたそのエレベーターに乗ろうとしました。わたしは慌てて言いました。
「危ない!其処に隙間があるよ!注意して!」
すると彼は想像以上に驚き、「ひいいいいいぃぃぃぃっっっ」と叫んで慌てふためきました。
わたしが言い終わったときには既に無事に中へ乗っていたのに、急いでこちらに戻ろうと、彼は何を想ったのか、その隙間に落ちないようにと匍匐前進でこちらへ移ろうとしたのです。
脂汗をたらたらと流しながら、じりじりと、彼は匍匐前進でその隙間を超えようとしました。
しかし、一体何が起きたのやら、渡り終えようとしたそのとき、彼の身体はすっぽりと脚から隙間へ入り、彼は入り口に手を掛けてぶら下がり、わたしに助けを求めました。
わたしは瞬間的に想いました。
もうダメだ…。此処でわたしが手を伸ばせば、彼はわたしの手にしがみつき、わたしは彼もろとも下へ落ちるだろう。
だからわたしは、手を伸ばさなかった。
彼は支えきれず、絶望の顔で下に静かに落下した。
わたしは床にしゃがみこんだまま、息を呑んで、耳を澄ませて音を聴いていた。
彼の落下した身体があの交差した鉄の棒で割られ、砕かれ、分裂するその肉の音を。
わたしは確かに聴いた。
彼が死ぬ音を。
そしてどれくらい経過したのだろう。わたしは病院の人にこのことを告げに一階に降りて行こうとした。
病院の人はわたしに、その死体の肉塊が飛び散って、人が良く通る通路にまであると言った。
一階に降りると、既にてきぱきとその肉塊がまるでゴミのように分別されていて、ビニールシートの上でそのバラバラになった彼の身体の部分を分けていた人たちは、何故か、彼の青い肺を観ながら笑いを堪えている。
その青く染まった彼の肺は、どうやら「愚かな傀儡(くぐつ)の証」であるようだ。
聖書の「獣の刻印」のように。
笑ってはならないのだと想うほど、わたしも笑いが底から込み上げてきて、わたしも彼らと一緒に笑いに耐えながら、彼の青い肺を深刻に眺めた。
だがその後、病院の人達にこう話してわたしは涙を流した。
「あのとき、手を伸ばしていれば、わたしは彼を助けられたかもしれない…。でもわたしは手を差し伸べることができなかった。」
病院の人は宥めるように、「でもそうすれば、あなたも落ちてしまっただろうからね…。仕方ないよ…。」と言ってくれた。
と、此処でわたしはから醒めたのだ。
わたしは想ったのです。新年早々、えらいグロテスクな悪を見たな…。
驚いたことに、そう言って彼を振り向くと、彼は滔々と涙を流していた。
そして深い悲しみの表情で彼は言った。
「あのとき、あの瞬間に、あなたが彼に手を差し伸べていたならば、あなたは確かに神の御国へ入れたのです。しかし、今のあなたには、自分を犠牲にしてでも見知らぬ他者を救おうという神の本質、神の愛がありません。神の愛に生きていない人はだれでも、どんなにがんばろうとも神の御国へは決して入れないのです。あなたは自己犠牲の愛ほど尊い愛はなく、その愛こそが神の愛であることを知っていました。知っていたにも関わらず、あなたは行動しませんでした。知識には、必ず重い責任があります。無知だから赦された者も、知ることで赦されなくなります。勿論、いつかは神の愛によって必ず赦されるのですが、その日は気の遠くなる程、ある者は永久に感じる程の時間のなか、苦しみ続けるのです。あなたは神の愛を知りながら、神に逆らいました。しかし、だれもが、そのような苦しみの経験をもう良いと思う程に得て、いつの日か神の御国へと入るのです。神に逆らい続ける限り、あなたの日は暗く、あなたの未来は暗い。だが必ず、いつかは真のあたたかい日の光が、あなたを迎えに来ます。わたしはその日の瞬間の光景を、その瞬間の光り輝くあなたの喜びを、眼に見えるように今観ています。その涙が今はこうして、流れています。」
そう言い終わると同時に、彼は光のなかで微笑むと観えなくなり、代わりに、列車がわたしを迎えに来た。
列車が迎えに来たということは、次元が変わったのだろうか?
わたしを迎えに来た列車は、特に何の変哲もない普通の列車だった。
ドアが静かに開いたのでわたしは中へ入り、誰もいなかったので、一両目の一番後ろの左側の窓際の席に座った。
他に乗る者はいないのか列車はすぐに発車し、わたしは疲れ切っていたようで、じきにウトウトとし始めた。
そして現のなか、わたしは愛するWesに抱き締められたように感じる。
Wesはこの宇宙の何処かの、何よりも深い最も暗い闇の底で今も独りで自分の罪に苦しみ続けている。
はずだ…。