人間が生きる人生

ふうーふうーふうー。
腹がいてぇ。
ひーひーふうーひーひーふうー。
ガスを妊娠してしまったようだ。
ビール飲みすぎて腹が妊娠6ヶ月くらいになってる。
ふー苦しいふー苦しいふーひーひーふー苦しい。
早く出産したい。
男の子なら屁太郎。
女の子なら屁子。
可愛い我が子に早く会いたいのだ。
ふー会いたい、ふー会いたい。
可愛そうな子供だ。
せっかく生まれて来てもどこにいるのかわからないし見えない音も生まれたときしか聞こえない、いや、生まれるときも聞こえない可能性もある、その場合は男の子は透かし太郎(おめえ、今、透かしたろう?と死ぬまでからかわれることだらう)、女の子は可愛く透子(すこ)と名付けてもいいだろう。
とにかく会いたい、早く会いたい。
いや、出てきてほしい、とにかく早く俺の中から外に出てきてほしい。
苦しいから。
この際、早産でも仕方なかろうもん?もんもんももんが?もんもん悶悶な日はゆうたら毎日かもしれません。
でも今日はいつにもまして悶々な日だったかもしれないよ。
スカイプで通話はよっぽどでないと苦手な俺があんなにだれかれ構わずスカイプせえへんかせえへんかせえへんかって誘いまくる日もあまりない、今日はそう、珍しい日と名付けよう。
略して珍日(ちんび)
おっ、う、産まれた・・・・。
若干生まれた、音を出して。
しかし生まれたけど、いったい男の子なのか女の子なのか見えないから解らないし、どこにいるんやろう。
なんて悲しいのかしら。
生まれてきた可愛いわが子の顔を拝むことも叶わない。
ああ、でも双子かしらこれ・・・。
まだ陣痛が激しい。
はぁ・・・二人目産まれた・・・今度は音がしなかった。
匂いもしないのが不気味である。
うわ・・・三つ子だな、これは・・・。
まだ腹が痛い。
うーん痛いうーん痛いうーん痛い。
出ました三人目の子。
まだおる・・・いっったい、何人おんねん俺の腹ん中。
もういやだ、こんな日はこりごりだ。
何が珍日だ、こんな愚かなことはもうやめよう。
何か神経を張らせてビールを飲んでいたからに違いない。
だからこんなにガスが溜まって抜けてないんだ、ばかめ。
ガスは体に悪いとゆうけど、地球にも悪いらしい。
みんながみんな毎日屁ェこきまくってたら、地球はあっとゆうまに温暖化で滅亡するらしい。
みんなの屁で滅亡、こんなに笑えて笑えない話はない。
わははははははははははははっ、と笑った後に、え・・・うそ・・・やろ・・・と青い顔をしなくちゃならない。
でもこれは良かったら誰かが落ち込んでるときにそっと耳元に囁いてあげてください。
誰かがしくしくと泣いていたら、そっと近寄って耳元に口をつけ「みんな屁で滅亡」とウィスパー声でゆうてあげてください。
そのあとの責任は一切僕は取りません。
はぁ、随分楽になった、もうみんな出たかな?
みんな生まれきったかもしれない。
ははは、これでまた酒が飲める。
辺りは屁の馨りでかぐわしい、いい馨りだ。
それはつまり、僕の子供達。
僕が産んだ子供達の馨り。
臭いわけがない。
僕のこの我が腹長い時間痛めて産んだんやさかい、臭いわけなかろうももんが。
そういや子を産む、という話題で思い出したが。
俺が産まれたのはお母はんが前の日の夕方に分娩室に入って、で生まれたのは次の日が変わった朝方だったと聞いたと思ってたけど、いい加減な記憶である、つい最近姉から聞いたら、「おまえが生まれたのは、ええっと、確か朝早くに産まれるゆうてみんな急いで病院行ったんや、でもなかなか生まれんで分娩室からお母さん出てきて、また部屋に戻って、でまた生まれそうゆうて入ってって、なかなか出てこーへんかって、うちら(お父さんとお姉ちゃんとお兄ちゃん)外に出て待ってて、もうみんなそわそわそわそわしてて、でやっと産まれたのが確か夕方くらいやったかなぁ、もう暗くなって来てて、おまえ逆子で臍の緒が首に巻きついてて、頭がな、いがんどって目ェは片目つぶってるし、ぶってぶてで目も当てられんような顔で、ははは、みんなでうわあ・・・って思ったけど、その顔が日に日にめっちゃ可愛くなってったからな」てなことを言ってたので、あれ、夕方に入って生まれたのは朝方じゃなく、朝方に入って生まれたのは夕方だったのかもしれん。お姉ちゃんの記憶が正しければの話。

しかし、その生まれてきた顔がおもくそ潰れてたってゆうのはショックな話ですよね。
だから僕のその時期の写真がめっさ少ないんですよ、不細工でしかたなかたっからでしょうね。
しかもお母さんの育児日記にも書いてるんですよ。
「私たちの子とは信じられない・・・」とかね。
でも「日に日に可愛くなってくる、嬉しい」みたいなことも書いてましたね。
母親の記憶が一つもないんで、生きてるときのね。
だから小さい僕を抱いてる母親の写真を見ても、この人がお母さんなんやって思う感じで。
さみしいですよね、自分を産んでくれた母親との思い出がひとつもないなんて。
かろうじてあるのは、母親が死んだ日の記憶で、家で棺の中で寝かされてる母親を観てる記憶なんですよね。
4歳と9ヶ月くらいのときだったんですけどね。
何で一つも覚えてないのかってゆうてもどうしようもないんですけど。
だから羨ましかったですよね、小さいころは、母親のいる子が。
昔は、人の家に灯るあのオレンジ色の明りが、こう外から見えるその温かい明かりが母親のいるおうちの象徴として僕の中であったみたいで、あの明りがすごく羨ましかったんですよね。
別にお父さんとお兄ちゃんと暮らす日常がつらいとかゆうのじゃなく。
ただ母親のいるうちの、あの温かい感じが妙に羨ましかった。
死ぬまで、せめて何か一個でもお母さんとの思い出が蘇えればいいんですけどね。
じゃないと、僕の為にきっと泣いたであろうお母さんに申し訳ないっていうか、虚しいというか。
僕はこの性格とあの環境じゃなかったらこの生き方になってないと思うのですが。
この性格もあの環境も、ゆうたらあの家に産まれたからなんですよね。
親から受け継いだ性格と、異常なほど親や姉兄を想ってた、今でも想ってるからなんですよね。
だからあの暮らしに戻れないということが僕の今のこの生き方に繋がってるんです。
それをダメだと言われると、じゃあどんな生き方がいいんだと反抗したくもなります。
僕はそれを親はわかってくれるとどこかで思っています。
ほかの誰がそれをわからなくても、きっと親はわかってくれるんじゃないかって気持ちにもなります。
この暮らしでないと経験できない感情があるから。
それはあまりにみじめで自責のもたらす絶望感とかから一切離れられない暮らしになってるけど、それだけではなく関わる多くの人に消えない傷のようなものを植え付けているのかもしれない、生きることに意味があると思うから生きてきたんですけど。
僕はこの生き方が良い生き方だと言われた覚えが無い。
いつもいつもそのままじゃダメだ、その生き方はダメだと言われてきた。
つまり僕のこの生き方ってのは多くの人にとってだめな生き方なわけです。
誰からも否定される生き方なわけです。
でも僕は生きてくるほどに、この生き方は自分で選んだ生き方なんだろうってすごく思えて来てるんですよね。
この生き方って自分を絶対に肯定できない生き方なんです。
矛盾してるでしょう、自分を絶対に肯定しない生き方を選んで生きてるんだと僕はこの生き方を肯定してるんです。
自分と、その、自分という人間が生きる人生って、まるで別物なんだと言ってるみたいじゃないですか。
僕は死ぬまで自分を赦したくないし、肯定したくないんです。
でもこの僕の生きる人生は否定したくないんです。
僕が生きなくても、もしかしたら誰かが生きる人生だったのかもしれない。
この役は、つまり、あらかじめ絶対的に必要な役なんだと決まっていた、どこかで。
この人生は、誰かが生きるべき人生で、僕が、それを自ら選んだように。
だってこの世界みんな同じように生きていたらいいわけじゃないでしょう。
だから僕の人生はことごとく否定されまくる人生だが、僕は誰一人の人生も否定しない。
全部肯定したい、その人生は、必要だったから、必ず要る人生だから。
っつーことで、今日の僕の最終的自己弁護日記に筆をおきたいと思いまふぅ~ぽらぽらりんぽららららん。
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