糞な夢

だってくさくさするもんね。
絶望と空虚の違いはなんやろうと思ってる。
イメージで言うと
絶望は、希望が絶たれた状態のことで
空虚は、心の中に虚しいものしかない状態のことかなって
思ったけど、実際のところそんなものは言葉では表せるものではない。
でもやっぱり絶望と空虚は違うものなのだろうかと最近俺は悩んでる。
別にいいじゃん、そんなもの、なんだってさ
なんだろうと、君は終わってるんだから、ははは。
見事に生きながら死を演出しているあの人を見ろよ。
なんか生きるほどに死んだフリが上手くなってる気がするよ。
「死んだフリ、なら死ねよ」って歌ったのは中村一義だったが
実際、死んだフリをして機用に楽に生きていこうとする人間は絶対自分からは死なない。
しんどいことをして生きようと思えない。
我慢してまで人と関わりたいと思えない。
誰を苦しめようと。
死ねばいいのになって人は生きるほど増えていくのかも知れないな。
今日ほんとうにつらい夢を見たんだ。
夢なんてただの糞な脳が作り出した幻影でしかないと思った。
俺の脳は糞だった。
糞が脳に詰まっててその糞が夢を見たんだ糞な夢を。
糞な脳はなんのためにあるんだろう。
脳がないと人は生きられないのだが俺の脳は俺を嘲笑ってるようだ。
俺の脳は俺がどれほどくだらない人間かを夢で表して冷笑しているようだ。
俺はやっぱり一人になったらひとりで山奥へ行って自分の顔を破裂させて死にたいのかもしれない。
俺の肉片はきっと夢を見ない。
そんな未来の現実も今日の夢よりはまだずっとマシだ。
そうは思わない?俺の脳。
とにかく俺はお前が愛おしくもあるから俺の手で破裂させてやるっつってんだ。
馬鹿な脳はやっぱり俺が育てたこの脳は俺の手で闇に葬って子宮の中に虫が静かに眠る。
でもなんで人は死んだら動かないんだろう。
自分の手で殺したわけじゃないけど何人もの人の死に自分が関わってるんだと思うと人の死の上にある自分の生は一体何を持って生と言うんだろう。
夢は正直だと思うよ。
やっぱりね。
だからほんと俺は糞だけど糞だから死ねないんだろな。
ごく小さな円の上をぐるぐると回ってるようだ。
死んで欲しいけど死ぬ資格が自分にない。
後どれくらい生きれるだろう。
どこからも声が聞こえなくなって、自分の声も聞こえない場所。
生きるほど人はひとりになってゆこうとする。
ほんとうのひとりって、いったいどうゆうものなんだ。
知らないくせに、知らないから。
俺ほんと知らないから。
なんも憶えてないから。
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