午後の昼下がりに起きて、何かふと鼻の穴からアメーバ状の白く綺麗な鼻糞が鼻毛を混じらせながら、いや、絡ませながら、否絡まりあいながら楽しそうに僕の手で引きずり出された。嬉しかった。僕はまさかそんな綺麗な鼻糞が僕の鼻の穴から出てくるとは夢にも思わなかった、いや夢にも思えなかったんです。綺麗だった。朝ごはんはバナナを食おうと思っている。信じられない日に僕は生きてるのかもしれない。でも牽牛(けんぎゅう)って牛引いてそう。いっつも牛引いてるからみんなから嫌われてた。なんであいついっつも牛引いてんねん頭おかしいんとちゃうか。此処で僕はコツ矢を飲む。間違えた紅茶を飲む。牽牛は何故自分でも牛をいつも引いているのか、わからなかった。そして僕は此処でバナナを食う。バナナはいいカニに違ういい感じに麒麟さんになってたよ。牽牛は思った。俺ひょっとしてもしかして約1%の可能性と評してまさかの阿呆なんですかね。そんなまさか。いや、まさか、でも僕俺は牛を引くことがやめられない。何故か。やっぱり何か楽しい、嬉しい、俺はだから無意識で牛引いててさ、無意識のこと意識でわかろうとした俺が阿呆やった。此処で僕はバナナの筋って渋いよなって思った。牽牛はそんなこと考えることが阿呆に決まってる。ここで僕はバナナの皮を大きなゴミ袋に入れて捨てると、あバナナ食うたんだって丸解りではずいよなって思った。牽牛はもうそんなこと考えるのよそうぜって自分に言い聞かせたその瞬間牛もモウと応えた。とにかく俺は牛を引きたいから引いてるんだそれの何悪いかユダヤのことわざに人の立場に立てない者は人を批判できないって言葉が在るのを知らんのか馬鹿め葛めそういや葛入りの素麺買ったないつ食べようかなまあなんでもいいなんでもよろしいけどさあ俺はしかしいつまで牛を引いてるのやろう。牽牛は牛の背を撫ぜながら遠くの灰がかった山を一望して股間の辺りが泣きそうになった。俺の目は股間にあるのかなって牽牛は思ってせつなく。
ちょうどその頃、津女(つめ)という棚機(たなばた)で織ることがやめられない女が機を織っていた。津女は真に夭鬼に憑かれたようにして何も考えず織り続けているのでそんな津女を知る者はみな心配が絶えなかった。津女が機を織り出したのは実に五才になった夜明けからで村の者はきっとその時何者かが津女に取り憑いたに違いないと考えた。津女は機を織ってないときもいつもボーっとした女で何度御祓いをしようとボーっとしたのが取れなかった。神主は何度やっても同じなのでとうとう「これたぶん性格やでー」と家の者に向かって言った。その時、津女がにわかに「ぽほ」と不気味に笑った顔が家族全員のトラウマでそれからそこの家のもん全員が医者に掛かっているという。そんなある日、津女は折り畳み持ち運び式の棚機を背にしょってどこか静かなところで織りたいと思って外へ出た。そうしてさっきまで快晴だったのにだいぶ歩いたらへんでなにやらぽつぽつ雨が降り出してきて津女はぼーっとしながらも棚機が濡れてカビ生えるのは避けたいと感じどこか雨をしのげるところはないかと見て探して走った。するといい塩梅に川がすこやかにザアザア流れたる側に牛小屋があるのを見つけた津女は「ぽほ」と不気味に笑うと中へ駆け込んだ。中には黒い牛が一頭「誰?」というような顔をして津女の顔を見た。津女は棚機を背から下ろすと蚊の鳴くような声で「あたいは津女だ、そうゆうおまえはなんと申す」と牛に向かって訊ねた。牛は津女を横目で見ながら「ンモー」と鳴いた。「ンモか、いい名だ」津女はそう言うと積み重ねておいてあったたくさんの藁を床に敷いてそこに座ると機を織り出した。雨の降りしきる音に機を織る音が心地良く交じり合いそれは大地が生まれる前の音楽を奏でてるようでいつしか私を夢の中へと誘う、と牛は牛なので思うこともなくただ干し藁をむしゃむしゃ食って屁をこいた。そうして一定の刻が過ぎたときである。津女は眠くなってしまいぱたと機織りをやめると藁布団をこさえ藁をかぶってすうすう寝だした。
その頃、牽牛は自家の縁側に胡坐をかいてバサバサ降ってくる雨を見ながら牛のことで頭が一杯だった。俺の牛は今どうしてるんだろう。俺はずっと牛を引いていたかった、でも何故やろう今日に限っては牛と離れていたい感情が俺の中に現れて。俺とあいつは今、離れてる。離れたくなかった。でも、離れてる。これは一体どうゆうことなのやろう。日が暮れかけてきてる、あいつは黒い、夜になれば夜も黒い、あいつも夜も黒くて、まさか、あいつと夜は一体化しようとしないよな、一体化すると俺はこれからは夜を引いて歩かねばならん、そんなん、めんどくさい、俺が夜を引くと、俺から離れた場所は朝や昼になるから、ややこしいことすな、とみんなから怒られそうだ、怒られないためには俺は夜をちょうど夜明けの時刻に合わせて引いていくことをしなくてはならん、しかしそうはしても俺の周りは夜だから朝や昼の時間は俺はどこに行けばいいのだろう、人のいない山奥にでも行けばええやろうが、しかし夜はいったいどれほどの大きさなのか、夜を、牛になった夜を引き連れて歩くことが出来ないのなら俺はいっそのことおっちんじまいたい椿事舞いたい、つまり思いがけない重大な一大事の中、舞いたい。俺は牛となった夜の中、舞いたい。しかしもし夜が牛になったら、牛以外はずっと朝で昼だから、それもいろいろ文句言われるんやろな、夜が好きだった奴は俺の牛を盗もうとするかもしらん、あんなに俺と牛を馬鹿にしていたくせに、牛が夜になった途端きっと欲しくなる奴が出てくるやろう、俺はそうなったら一体どこへゆけば牛を盗られずに暮らせるのやろう、俺はいますぐ牛を連れて帰るべきかも知れん、しかしなんなんやろうなぜ離れたい衝動が俺の前に行く手の門を閉じるのやろう。牽牛は一升瓶の芋焼酎「牛魔」を瓶のまま呷ると縁側に仰向けになって胸に手を組み目を瞑った。
その宵の晩、牽牛と津女と牛は同じ場所にいた。それは牽牛と津女と牛の夢の中である。
天の川の真ん中で機を織っていた津女のもと、牽牛が牛を引いて側を通った。それを見た津女ははたと立ち上がると通り過ぎようとする牽牛に向かって「待て」と言った。振り向く牽牛が「はて、なんだ」と訊ねると津女は「それはあたいの牛のはずだ」と言う。牽牛はあまりに突然の悲しみに襲われ胃が急激に酷い下痢の痛みのようにぎゅるぎゅると言った。しかし野糞をしてる間に女に牛を連れて行かれては敵わん、ここはぐっとこらえ脂汗をたれたれ流しながら「そんな、あほな、まさか」と応えた。津女はそんな牽牛を見て「ぽほ」と笑いそれを見た牽牛はなんと不気味なおなごじゃろうと股間がぎゅっとした。
「ならこうしよう」と牽牛は震える声で言って「牛に聴けばわかることじゃ」と津女に向かって、どうじゃという顔をした。「それはどうゆうことや」と訊ねる津女に牽牛は牛の額をぽんぽん叩きながら震える口元で「ははは、こいつがどっちを選ぶか、っちゅうことやんけ」と応えた。津女はそれを聴いて悔しそうな顔をしたがすぐに「ではそうしよう」と言い牽牛と津女は真逆の方向へ牛から離れて歩いていった。牽牛は元来た道を後戻っていき、津女はその逆の方向へ進んだ。そして双方から「おーいあたいの牛」「おーい俺の牛」と呼ばわった。牛は目の前から呼ぶのは津女であり、後ろから呼ぶ者もいるがいちいち後ろを向いて歩くのも面倒に思ったか素直に津女のほうへ歩いていった。これを見て牽牛は開いた口が塞がらず脱糞しかけたがなんとかこらえた。牽牛はのそのそと津女と牛のほうへ歩いていき「やっぱり、やめよう」と言った。
「違う方法のほうがいいと思う」と牽牛は津女に向かって言い、「そうよ、ここはやはり神さんに決めてもらうのが一番いい思うんよ」と牽牛は夜空に埋め尽くす星を見上げて言った。そして天上を指差し、「な?」と津女に言うと、津女もきらきら瞬く星に圧倒され「じゃあそうする」と応えた。すると何を思ったか津女はつたたたたと元いた場所に走って行き、また機を織り出した。牽牛は神が降りてくるまですることがなく、仕方ないので天の川を牛を引いていったりきたりした。
そうした夜の晩、天の川に神は訪れた。津女は織りあがった織物を神に渡した。神はその場でそれを着て見せて、非常に喜び、御前は我が妻になるようにと命令した。津女は「あなたの妻になればあの牛はあたいの物になるか」と訊いた。神は「なんでも御前の欲しい物を御前にやろう」と言った。「ならばなる」と津女は言い、津女と神は契りを交わし、その瞬間に津女は神の子を身籠った。そんな様子をまるで悪い夢でも見ているかのようなぼんやりした思いで眺めていた牽牛は津女と契った瞬間に消え失せてしまった神に同じようにぼーっとして丸まって横になった津女の元に静かに歩き寄るとそこへ胡坐をかき「よかったら俺が神の子供を神の代わりに育ててやろう」と言った。
津女はこの世の何より美しい神と契った後に観る牽牛のなんという凡庸さに悲しみ以上の可笑しみを感じて不気味に「ぽほ」と笑うと起きて牽牛に抱きつき「うん」と言った。
こうして二人はめでたく夫婦となった。
この話を基にしたのが棚機伝説であり夫婦の深い愛の神話として今の世に言い伝えられている。