奇跡

どう転がっても地獄ですよ。ええ、地獄ですよ。断じて、地獄です。
俺は森林を下山した。新幹線で下山した。
東京へ、行きたかった。が、着いたら気付くと俺は千葉の錆びれた町にいた。街を歩いていたぼやぼやと。
そこは過去の恋人の町であった、彼が好きだった黄色い銭湯を俺は覚えていた。
何故ここに来たのか俺は知らないがどんなに歩けど灰色の空が一番印象的だった。
俺は疲れて駅を探していた、帰られる駅を。駅は容易にあった。
俺は何故宛てもなく東京へ行ったのだろうか。そこには誰もいなかったのである。
東京で待つ人、待ち人は存在していなかったのである。
俺はただ生きてる時間を潰すために東京に向かっただけであった。
千葉での思い出を少し思い出した。
俺は母親が欲しかった。
仮の母親、俺は自分の記憶の内に「お母さん」と呼んだ記憶がない。
その「お母さん」と初めて呼んだかのような人は千葉にいた。
そんなことをぼんやり思い出してはその仮の「お母さん」の胸に抱きつきたい思いに駆られたが。
実際は俺は抱きつくこともできなかったのである。
俺は母親に抱きついた記憶がない。
記憶がないからそれがなかったことではないのは知っているが、なにゆえにこうも俺は仮の母親を捜し求めずにはおれないのであろうか。
俺はもう戻れない。
どんな生き方をしようと、俺の母親のいた時間に戻れない。
俺は本当に母親がどのような存在であるのか忘れてしまった。
母親の愛はどのようなものであるのか全く思い出せない。
もうこの世にはいない俺を愛してくれる存在は。
なのに俺は何故生きているのだろうか?
愛された記憶もなく愛される未来はないこの世に何故俺は生きねばならないのか。
愛される、かもしれない、という愚かな幻想にすがりついて生きるだけである。
夢は確実に醒めるのに自分の思い描く幻想から醒めようとはしない厄介な魂だ。
醒めれば、もはや生きてはいけないからだ。
幻想が、どうしても、必要であった、人は。
しかしそれが死ぬまで叶えられないものだとわかっていた。
生き抜くために無理矢理に描いた幻なのだと、知ってはいたのに知らぬ振りを上手くやりこなせたのは、やはりそれも生き抜くためだったのだと俺は夢のように生きるこの世界の中に生きながらぼんやり認識して、一息を着いたりする。
俺は貴方が生きていることに奇跡に思う。
それは俺があなたの苦しみがどんなものか知らないからである。
ただその奇跡が失われることが惜しいと思うのである。
軌跡が失われることはないと俺は思ってるがその軌跡を続かせていることは確かに奇跡である。
俺はまだまだ生きていこうと思う。
俺は俺自身がこの世で苦しむことは良いことであると思えてきた。
苦しむためにしか生まれてこなかったと思えてきた。
では苦しくないほうが、ダメである。
俺は確かに、いいえ私は確かに、私の父は、私のせいで死にました。
我が半生の続きを、今から貴方のために、書こうと思います。
私を知ってください。
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