別世界
みんな、何が楽しくて、生きてんねやろ。俺はなんも楽しくない。なんも楽しくはない。俺はだから楽しいことを見つけたいと思っている。自分の力で見つけたいなって俺は思っている。じゃないとやっぱ楽しくないし、生きてても楽しくないからね。生きてても楽しくないってことは、それはつまりの結句、死んでても楽しくないことだと僕は思う。僕はやはり死んでも、楽しいほうがいいなって思うのだ。だから今のうちに、楽しいことは見つけておいたほうがよろしいかなって思うのかな、なんとなく、そんな気、するのかな、俺はだからパン、食ってみた、楽しくはなかった、ぼーっとしてみた、楽しくはなかった、自分の手をじっと見つめてみた、楽しくはなかった、なんか色々考えてみた、楽しくはなかった、パソコンでいろんなページを見てみた、楽しくはなかった、何も、何も、何も楽しくはなかった、しんどかった、全部しんどかった、俺は気付いた、俺は何やってもしんどいんやん、なぜ、こんなに、生きにくい、のか、俺はもう、こら僧侶になるしか、あらへんで、正味、って思た。そしたら少しは楽になれるんじゃないかって、楽になることが楽しいことかどうか、俺はちょっとよくわからない、俺はとにかくしんどいことはしんどいの、つらいのこわいのかなしいの、くっくるしいのっ、俺はしかし誰も信じないぜ、いや何も、俺はだって、何かを信じてるから苦しいわけじゃないさ、反対だ、俺は自由なんだ、本当に本当の自由なんだ、俺はなぜ苦しいか言ってやろう、俺は苦しいから、苦しいんだよ、これは別に苦しいことを信じてるから苦しいわけじゃないよ、何にも信じてなくとも、どうも苦しいらしい、俺は幻想を夢見てる、世の中にはそうゆう部族がいてね、幻想のさらに夢を見てるらしいんだ、もうそこは別世界だとゆう、すべての価値観概念観念なんでも意味を失くすんだって、例えばヤクチュウでふらふらなってゲロ吐いたり瞳孔開いて涎垂らしてる人を見たら、なんだか苦しそうにも見えるけど、当の本人はすごく心地良い境地に浸ってるかもしれないだろう、俺はそれってなんだろうって思うんだ、俺はいつも言ってるんだ、俺は苦しい俺は苦しい俺は苦しい、すると誰一人俺が苦しくないように見えるらしい、俺はそれがとてもむかつく、そしたらきっとこんだ、俺は楽しい俺は楽しい俺は楽しいと言っていると、あいつくるしそうやなって思われるってことだ、楽しいちゅてんのに、苦しそうやなぁてどないなっとんねん、楽しいから楽しいちゅてんねん、苦しいから苦しいちゅってんねん、なのに何故人は言葉通りに受け止めようとはしないのだろうか、だから俺は自棄なってヤクを打ち出してヤクチュウになった、そして瞳孔開ききって涎垂らしてる写真を全国ネットに貼りだしてみた。すると人々はこんだ、うっわー苦しそう、やばそう、いかれてる、とかコメントしやがった。どないなっとんねん、当の俺は気持がよいところの写真やっつうーのに、この世界はどないなっとんねん、俺はますます逃避するためにヤクを打って、そして辿り着いたんだ、幻想を夢見る世界へ、俺はそして、そのまま彼の世に逝った、俺は自分では究極に慈悲深く微笑みながら逝ったつもりだったけれども、俺の死に顔を見たやつらはみんな、なんて苦しそうな死に顔だと涙と鼻水を流して酒飲んだくれてゲロ吐いて屁ぇこいて寝たらしい。あんまりやろ。ぷぎゅん。