生きていけるならば、首を切断されても構わない。
それはあるか?
なぜ必要なものが必要なものとしてあるんだろう。
なぜ在るべきものとして在るべきなんだと思ってるんだろう。
なくていいものはないのかもしれないのに。
無意味なものはないと確立されたら、世界は意味を持つか、意味を失くすか。
きっとそれが怖いんだ。
きっとそれが恐いんだ。
無意味なものはないと信じたなら世界は意味を持つものじゃなく意味を無くすかもしれないってどこかで感じてるんだ。
操作されていることも恐ければ操作されていないことも怖い。
2分後に記憶を無くす世界、耐えれるか?
俺は今日トイレで糞しながらディックのヴァリスを読んでてそのコイネの新約聖書でスペースないみたいな面白い箇所があったからそれをチャット部屋で紹介しようと思って糞し終わって手を洗ってパソコンに向かった瞬間俺はネット通販で好みのチュニックを探し出した。
誰に操作されてんだ?俺は、糞ఐ神か、それかチュニックの神か。
痛々しい魂だ。
でも崇高な存在に操作されているとしたら喜ばしいし、そうでないなら、悩ましい。
でも、もし、俺だけの神なら、それがそして、糞ఐ神なら、俺は喜ばしい他はない。
じゃあこうしよう。
生きていけるならば、首が切断されてそこに糞が頭の代わりに乗っかってれば構わない。
それはあるか?
これを見ても、糞が頭よりその存在的に落ちる存在であることを容易に解るであろう。
しかし俺の神は、無意味なものをこの宇宙から、排除したがってるみたいだ。
俺の神が言うには、無意味なものはないというのは同時にすべてが平等の価値を伴っていると言う意味だって言う。
ありえないだろう?
俺が糞を愛した瞬間、糞ఐ神は俺に乗り移った。
確かにしかし、在り得ないことが起きてしまう世界なんだろう。
人間の理解をはるかに超える宇宙真理とはそういうことだ。
人間の頭と糞は同じ価値に等しいとする神の応えに、どうぼくらが歯向かえるんだい?
と、いうことはだよ?
俺たち、みんな、自分の頭と同等の価値に匹敵する糞に対し物以下の対応をとっている。
俺は罪悪感に日々打ちのめされアルコールなしでは生きて行かれなくなった。
糞を愛したというのは、比喩だ。
断じて、比喩だ。
それを神は理解できなかったようだ。
俺は確かに愛したかった。
愛すると言うことは、自分と同等の価値か、それ以上の価値を相手に置くと言うことだ。
だからこれは俺の望んでいた、神。
ではもう一度、最初の文言に戻ろう。
必要でないものがあるのなら、それが存在していることとは、無意味なことか?
意味はあるが、必要ではない?それは、どうゆうことだい?
じゃあこう言おう。
ここに一体、首のない俺の死体が寝かされている。
八月の雨に打たれて。
もう死んでいるわけだけど、首のない俺の死体がそこにあるということは必要なものが必要なものとしてそこに在る、ってことなのか。
それとも生きていると同様に、首を切断されても構わないわけではないので、死体であっても首がないことによるその必要性を見出せないと言うことか。
もしそうだとしたら、死体でさえも在るべきものとして在るってことになる。
それは誰が思うか?
それは俺自身か、俺を知る人か。
俺は自分の首のない死体を想像してみて、やはり首はあったほうがいいのではないかと感じた。
それは死んでからも頭は必要なものとしてそこに在るべきであって、それは頭のない死体として、そこに在るべきかどうかと言う価値までを自分の中に持つことが出来ない自分の価値観の卑小さを表しているだろう。
もう一度だけ言う、俺は す べ て を愛したいと言った。
何故、頭のない我が死体を愛せないのか。
頭のない死体を愛するとは、頭のある死体と同等かもしくはそれ以上の価値を置くということである。
それが、糞ఐ神が俺に提示した問題であった。
糞ఐ神には糞よりも頭のほうが価値が重いと言う考えを持たない。
同時に、頭の在る死体よりも頭の無い死体のほうが価値が大きいと言う考えもそこにない。
糞ఐ神は、矛盾の糞塊であった。
そしてその糞塊とは、我々が存在しているこの宇宙そのものであった。
だから暗かったし、その腐敗臭の漂う地上であることは致し方なかったわけである。
だから雨なんかは糞ఐ神の尿でそれが酸がきつく酸性雨となってしまうということを俺が言いたいのではなく、何故、糞が神であるのかを俺は数年考えたあげく、糞ఐ神が俺に降りてきたのは、やはり糞と人の価値の違いがあるというよりは、ない、という考えが勝ったことにあった。
では、またもやここで冒頭に戻らせてもらおう。
すべての事物に同等の価値を置いた場合、すべての価値は消え去るのではないかと言う湧き起こる憂慮である。
すべての事物の価値が消滅したなら、愛も減った暮れもない、というこの言葉は愛と減った暮れという二つのものに差が生じているといっているのであって、ではなにゆえに愛も減った暮れもその価値に差がないのなら全部を愛したいと俺は思ったかと言うことになって脳みそがジュクジュクになって雲丹ఐ様な色になったやつが耳からこぼれてきそうな感覚を覚え鍛高譚をたんたかたーーーーーん!!!と思い切り叫んでストレートで瓶毎一揆飲みしてとろろと長芋ってアボカドだよな、という言葉を秒速75回口ずさんでそれでもまだダメだったのでツムラって言語見てるとムラムラしてくるからやめてくれとツムラ本社に電話して、来年からはツモラにするべきだと宣言して人体の海草と言ってから糞ఐ神とまた交信したよ。
コウン。