人生という責任

責任とゆうのはなんやろね。
人間としての責任、社会人としての責任、親としての責任、子としての責任、成人としての責任、性交渉を行った男としての責任、いろんな責任感というのが気づけば芽生えていてそれに毎日苦しめられて生きている人間は多いだろう。
「子供ができたときに結婚をして育てるという責任を取れないならセックスをするな」という考えの人は多いのか少ないのか俺はよくわからないが、俺はその責任を相手に持たせようとする人間だと思う。
その責任があるから子供ができたとき、たいして好きではない人とでも夫婦となり、子供は育てられて、堕胎で殺される子供はまだ減っているのではないか。
責任、というものがなかったら、この世界はどうなるんだろう。そして責任と、理性、というものの関係性について誰か一緒に考えてください。
もし、人間に理性というものがなかったら?よく引き合いに出されるのは人間とサル、人間と犬、といった人間とほかの生物の違いについてである。
理性がある生物、これが人間である。または責任のある生物、これが人間である。
すっぽんぽんで路上で居酒屋のゴミ箱に顔を突っ込んで、ゴミ箱を倒し、そのゴミを漁って食い散らかしている人間がいたら人は思うだろう、嗚呼あいつは理性をなくしちまった、あれじゃ犬や猿と変わらねえなァ。
付き合ってる女が妊娠した、俺は育てる自信もないし、第一おれはもっと自分の好きなことをやりたいから子供なんて育てたくないと即、中絶するように言って彼女は堕胎した。それを聞くとこう思う人もいるだろう。お前は責任というものがないのか?WHY?
それじゃあ交尾だけしてすぐにほかの雌のところに行って子供を育てることのない動物と同じだ。お前は動物だ、いいか、お前は理性も責任も失った動物だ、鬼畜だ、ファッキュー、ファックオフ、クレイジー、クソバカやろう。と言われて、その男が発した言葉とはこうだった。
「おれには何ひとつ責任は負わされておらず、おれ自身がその責任そのものにほかならぬ」
さて、これはいったい誰の言葉でしょう?
はい、そこの涎と鼻水と涙を同時に垂れ流した君、うん、そう君よく知ってるね、アホみたいな顔して。
そうです、これはあの二十世紀最大の作家といわれたフランツ・カフカが生前に書き残した言葉でした。
まあ死後に書くのは難しそうだから生前なのは当たり前だよね、細かいところつっこむな君、アホみたいな顔して。
あ、ごめんごめん言い過ぎたね先生、帰りにチョコミントアイス買ってあげるから黙っとけ。
カフカが女を妊娠させてすぐに堕胎させたと言う話はないけれどもカフカは生前、八つ折り判ノートにこう記しました。




一切の責任を負わされると、
お前はすかさずその機会を利用して、
責任の重さのせいでつぶれたということにしてやろうと思うかもしれない。
しかし、いざそうしてみると、気づくだろう。
おまえには何ひとつ負わされておらず、
お前自身がその責任そのものにほかならぬことに。





俺はこれを読んでぐっと来ました。
カフカは責任というものは自分が負うものではなく、また誰かに負わされるものでもなく、自分を生きるということそのものが責任なんだ、と言ったのです。
これはつまり、責任を負う以前負わされる以前にもうすでに絶対に逃れることのできない責任そのものとして自分が生きている、ということでカフカはそうして絶大で重苦しい責任を誰以上に自分が自分に与えているということだろう。
それは自分の価値観や概念やおよそ自分の理解できる範囲のところに責任があるのではなく、責任とはそれ以上のもっともっと重く大きなものとして自分のわからないところに生まれたときから存在していて死ぬまで自分に付随して離れることはないのだということです。
これはおれ自身を俺が知らない以上、俺の責任というものは俺の想像しているよりずっと大きいだろうというものすごい責任を自分に科しているということだと思ったのです。
そこに在る責任とは愚かな人間の理解する責任というものを遥かに超えた、あまりに苦しい責任であるだろう。
そのあまりに苦しい責任を自ら自分に与えたカフカという人間がいます。
責任というのは決して誰かが自分に与えるものではない。
存在しているというだけで、それが責任というものだと僕も思うのです。
そうすると、彼女の子供を堕胎させた男は確かに酷い行動をしたが、その行動の責任というのを彼自身がしっかりと負っているということになるわけさね。
すでにその責任を背負って生きている人間に対して、どう他人が責めても責めなくても彼のその人生自体が責任を取る人生であるのである。
自分だけが自分を責めることを自分に任せる、これが責任である。
なので俺が嫌なことをして生きていないといって僕を責めるのはやめてください。
僕は僕の嫌なことをしていない人生の責任の人生を歩んでいるのです。
僕には希望はありません。
これは死ぬまでです。
絶望的な人生を歩む人生という責任が、僕自身だからなのです。
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