光るみなも白い空 | 人間の欲求

人間の欲求

「人が仕事をするのは、それが人の欲求だからだよ」
今日の夢の中で、いや今日のドリームの中で俺か誰かがそんなこと、言うとった、言っとった。
目を覚ました俺は、目を覚まして、なるほどなぁ、と思うた、思った、ったっ。
そうだよなあと俺は思った。ちなみに今こーひをー飲んでーツインのサイロを聴いているーが。ルーガ、ガルルル・
ほんとそうだよなっって。夢の中は時に馬鹿で時に賢い。きらめく西日がね。綺麗だよね。
仕事とは人間の喜びのはずなんだ本来はね。
仕事をするとゆうのは人間の本能であって、本能から来る欲望であったのだなっ。腹痛くなってきたわ。下痢みたい。慣れないこーひーをのんだから。
下痢にも負けず、腹痛にも負けず、俺は書くよ、それが俺の仕事だから、なんつうてなぁ。屁がとまらない。
まあ言い換えたら、なんで人は仕事をするのかといえば、それが人の欲求だからなんだ。同じことゆうてんのか?
俺が言いたいのは、人は仕事が生きてゆくために必要だから仕事をするのだけれども
それは飯を食うためじゃない、自立するためじゃない、それが、人間の潜在的な欲求だからなんだ、ってことだな。ぷぅ。
あ、屁ぇ出たけども、気にしないで読んでいただきたい。
欲望とは、本来、人間を生き物達を喜ばせる為にあるものでもあるのだな。スゥ。
あ、今のすかしっぺとちゃうよ?ちょっと息をついただぁけぇ。失敬だな。
人間の最大三大欲望とは、食欲、性欲、民欲、といわれていたっけの?
民欲とは、人々が自分たちは民であると誇りを持つことで喜びを感じる欲望のことだな。
国家と社会は俺たちが構成してるんだ!という信念を人間が持ちたがるのはこの民欲という本能があるからだな。
国家と社会を構成したいという欲望だ。
そしてここに、ぼくは今日人間の一大欲望として、働欲(どうよく)というのを入れようと思う。
働きたいという欲望があるから、人間は働くんだ、とゆうことだ。
欲望とは、人間を苦しめることもあるし、喜ばせることもある。
欲というものは人間が生まれたときから持ち合わせているもんで、これを完全になくすということは、なかなかできない。
なぜ人は働くのか、と考えたとき、働かなければ生きて行けないから、自分で稼いだ金で生きていかなくてはならないから、と人は漠然と思う。
それが人間として当たり前、当然だという考えを人は持っていると思う。
俺はもう27から働いたことがないので、6年近く働いてない人間だが、そんな俺もそういう精神の縛りのような考えから抜け出すことができないでいる。
漠然とした人間としての義務感から離れることはなかなかできない。
そんな義務感とは、先天的よりも後天的に社会によって作り出されているのではないかと考え続けてきた。
しかし今日のマイドリームの中でそんな観念を覆すことをさらっと言われた、または潜在意識の俺が自分でゆうた。
人間が働くことのは、社会に暮らす一員としての義務からではなく、ただ、欲求から来てるんだということは。
それは後天的ではなく、先天的にあるものってことだ。
人間は働かねばならないから働いているのではない、働きたいという欲求があるから働いてるんだ、とゆうわけだな。
だから人間は仕事から多くの喜びを感じながら生きることが多い。
しかし人間は仕事から多くの苦しみを感じながら生きることも多い。
欲望とは喜びだけが与えられないような仕組みとなっている。
食欲は食べ過ぎれば不快を催すし、性欲も精力を使いすぎると廃人のように虚脱に陥るし、眠欲も寝すぎたらかえって疲れて頭も痛くなる、そして何より欲求が満たされないという欲求不満から人は大いに苦しむ。
逆にゆうとその欲求不満の苦しみがあるからこそ、それが満たされたときに快楽を生じる。
欲望とは苦しみと喜びを行ったり来たりするものである。
コーヒーを飲みたいという欲望からコーヒーを飲んで美味しくてテンションも上がったが、それもつかの間、早くもカフェイン摂取による虚脱と胃のもたれによる不快感が押し寄せて、その上、下痢気味になって屁をたくさんこきながら文字を打ち込むという恥ずかしいことをしている自分を客観的に見て打ち込むという欲望を満たしたがゆえの苦しみを俺は私は今味わっていることから見てもよくお分かりかね。
早く続きを書きたいからトイレ行くのも我慢してるんよ。しとるんよ、わしはな。
これが、人間の欲望とゆうものである。人間の欲求である。
やはりわしはトイレに行ってくるぞ。しばし待たれ。よ。
ふぅ、約10分で帰ってこれた。あーびっくりした、下痢の痛みで駆け込めば便秘だった。
俺の体は、宇宙だよな。な?
排泄したいという欲求から排泄したけれども、糞が便器に落ちて跳ね返る水をケツに受けたときのあの苦しみ、ここにも欲求の相対性というものがあるというのをお分かりかね?
できれば快便を排泄したいという欲求が本能的に人間に潜在している。
それが人間の快楽であり、喜びであり、幸福であるからである。
快便を排泄できない事は不満であり、苦痛であり、不幸である。
これを仕事に置き換えれば快き仕事に就くことは人間の快楽であり喜びであり幸福である。
一方、快くない嫌な仕事、やりたくない仕事に就くことは不満であり苦痛であり不幸である。
人間は本能的に働きたいという欲求があるが、それはどんな仕事でもいいのではなく、やりたい仕事に就きたいという欲求があるとゆうわけだな。
しかし世界を見渡せば、ほんとうにやりたい仕事に就けてる人たちはどれほどいるのだろう。
仕事をすることに日々喜びを持って遣り甲斐を感じて輝きながら仕事をしている人たちはいかにも幸福そうに見える。
僕はそんな仕事をしたことがない。
それらの仕事はやりたい仕事ではなく、やらなければならないと思って無理にやっている仕事ばかりだった。
仕事中は地獄のようにしか思えなくて涙をぽたぽた垂れ流しながらしていたこともあった。
やりたくない仕事に喜びを見出すことは難しかった。
つらいことと同じ分だけ喜びを感じられることがあったなら、仕事はやっていけたかもしれない。
でもあのまま地獄のような仕事をどうしても続けなくてはならないのなら、僕に残された道は自殺しかなかったかもしれない。
それほどやりたくない仕事を続けることがどれほど苦しくて絶望的になるか僕はよくわかっている。
そして今の僕は、やりたくない仕事をやらなくても暮らして行けるから希望を持って生きているかといえば
そうではなく、やりたい仕事をやって生きて行けないという絶望を感じて生きている。
やりたい仕事をやって生きるというのは、人間にとって不可欠な生きるためにどうしても必要なことだからだ。必要な欲求だな。
人間は仕事をやるべきなのではなく、やりたい仕事をやるべきなんだと僕は思う。
一流大学を卒業して一流企業には入れても、それがやりたい仕事でなければ、空虚を感じるのは当然だろう。
一方、稼ぎが半分以下の肉体労働者の額に流れ落ちる汗がきらめいて見えるのは、彼らが仕事に遣り甲斐を感じて生きているからだろう。
人間の幸福とは、給与の量でも安定した暮らしにあるのでもない。やりたい仕事に就くことにあるのではないか。
それは稼ぎがある、ないというのではなく、やりたいことをやって生きていくことが人間の幸福なのではあるまいか。
遣り甲斐を感じられることをやって生きていくことを人間は欲求している。
何人もでやる仕事となると、もっとこれは重要になってくる。
遣り甲斐を感じて仕事をしている人間の中に、一人でも遣り甲斐を感じられずにいつも暗い顔をして仕事をしている人間がいれば、周りの人間もつらくなってくるだろう。
遣り甲斐を感じてするほうが仕事はうまくいくものだ。
嫌々やっているレジのねえちゃんやあんちゃんの冷めた接客で客は気分が落ち込んでしまったりするものだ。
遣り甲斐を感じずに無理に仕事をやっている人間は、人を幸福にするのはおろか、人を嫌な気持ちにさせたり悲しませることになる。
一方、遣り甲斐を感じてやってる人間の笑顔は本物だから、それを見て良い気分になるのが人間だろう。
やりたくない仕事を無理にやっていれば人間たちが幸福になると僕は思えない。
やりたくない仕事をやっている人間のおかげで誰かが幸福になるのだろうか?
たとえば、下水工事の仕事をやりたくないけどやっている人のおかげで僕らは快適に過ごせるのだろうか?
彼らの毎日が地獄でも?
人々の苦痛の上に人々の幸福が成り立つのだろうか。
僕はどうしてもそう感じられない。
下水工事が誰もがやりたくないのなら、人間は糞がしたくなればバケツに糞をして、それを毎日野原へ埋めに行けばいいのではないか?
誰かの幸福のために誰かが嫌々地獄を味わっているのはおかしい。
人間は確かに働くためにも生まれてきた。しかしそれは喜びを働くことから感じ取るためだ。
ただただ苦痛なだけの仕事をするために人は生まれてくるわけじゃない。
苦痛なだけであっても働けという世界は、やりたい仕事をやれている人の心にも影を落とす。
つまり、その考えがすべての希望を奪っているのだな。
何故ならやりたい仕事に就けている人も、多くのやりたい仕事に就けないで苦痛な毎日を過ごしている人を目にして、気分が落ち込んでつらくなるからだ。
このままでは世界を覆う影は薄まらず、過労死や自殺がなくなることがない。
嫌な仕事をがんばることは、美徳でもなんでもない、僕は嫌なことを嫌々やっている人間を見ると落ち込んでしまうからだ。
無理をし続けて絶望して自殺してなんになるだろう?
とにかくなんでもいいから働けという考えは、自殺者を増やしていく考えなんだ。
みんな生きていくために嫌な仕事をやっているんだという考えが人を自殺に追い込んでる考えだと気づいてほしいんだ。
生きていくためにどうしても仕事をしなくてはならないという考えから自殺をしてしまう人が多いんだよ。
仕事をしていないだけで人間として見てもらえないことも多いからね。
仕事は義務ではない、人間を幸福にするものなんだ。
そこに遣り甲斐を少しも感じることができないのならそれは強制労働であり、強迫観念労働で、自ら入る家畜小屋のようであり、美徳を感じるのならいいが、感じられないなら、それは地獄以外の何ものでもない。
働かねばならない生き物ではなく、働きたい生き物が人間だ、自分に合った仕事をする、みんながそうなるまで個人の幸福はないぞ。マジで。
自分が嫌な仕事を無理にがんばってるからといって、働いてない人間を悪く言うのはやめなさい。
俺だって、働きたいんだよ、やりたい仕事をね。
本能に逆らうことはできないさ。
俺の喜びだって、働くことにあるんだ。働かずにぐうたらやってるこの生活にあるわけないだろう。
誰の幸せもないさ、働かない暮らしになんて。みんな働きたいんだ。生き生きと、輝いて。
誰かを喜ばしたいんだ。誰かのためになりたい、誰かの役に立ちたい、それが人間の生まれたときからの、いや生まれる前からの欲求だ。
母親のお腹で眠る胎児も母親を喜ばせていることを解るからあんなにすやすやと安心して眠れるんだ。
みんながやりたい仕事に就くという世界はみんなが幸福になる世界だ、君がほんとうに幸福になりたいとゆうなら仕事をしていない人間を受け入れないとな。な。
じゃないと君はいつまでたっても働いてない俺を見てイライラしてしまうんだからね。
今はみんな働くべきって世界だけど、俺はやりたい仕事をやってる人がやりたい仕事がまだ見つからない人たちを食わしていく世界になればいいなと思うよ。
それも嫌々じゃなく、自らそう思って、やりたい仕事の見つからない人たちを養ってゆくんだ。
僕がやりたい仕事ができたら喜んでやりたい仕事の見つからない人たちを養っていきたい。
みんな一緒に住めば家族なんだから一緒に暮らしたことのない家族を養ってるようなものさ。
生きてる人間全員に同じだけの十分な生活費が与えられる世界ならいいんだろうけど。
俺の鬱もこれは病気なんだと思うと暗く沈んでしまうけど、これは俺の仕事なんだと思えば俺の仕事をがんばってるとも思えるし、ぼくは嫌々鬱をやってはいないんだ、ぼくは鬱をやりたくてやってると感じるんだよ。
苦しいときも多いけど、欝のおかげで鬱じゃないとできない何かをやれる気がしてる。
鬱だって何かの役に立つんだ。
人工的な薬で鬱を抑えようとはしない、鬱をできるだけのびのびとさせてやりたい。
のびのびと鬱でいたいよ。
これは俺の生き方なんだ。それを否定されることはほんとうにつらい。
ぼくは確かに絶望的でもあるけど、同時にきっと普通に働ける人間であったら見えなかっただろう希望を世界に感じてるんだ。
ものすごく大きな希望を願うからこそ、同時にとてつもない底のない絶望を欲してしまうんだ。
これは「チベット永遠の書」を読んでもらえばわかると思うんだけど、世界のあまりのディープさに感動するんだ。
鬱はとても深い闇だ、深い闇の中にずっといるからこそ切実にこの世のほんとうの光を欲求するのさ。
君も鬱になってごらんよ、ゆっくりだけれど価値観は大きく変わってくるはずだ。
一緒に絶望しよう。
闇の中で待ってるよ。
アデュウ。
またね。

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白空

Author:白空
1981年8月4日生

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カウ(牛)にまつわるコンスピラシー(陰謀) ドキュメンタリー映画『カウスピラシー』
食肉、ペット、毛皮、動物実験の現場ドキュメンタリー映画EARTHLINGS
ナレーション:ホアキン・フェニックス

音楽:Moby

『アースリングス』

肉食と食料問題(飢餓問題)
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