今日でお父さんが死んで11年目になる。
生きてたら73歳。いまでも一緒に暮らしていたはずだ。
私の鬱はお父さんが生きててもなおってなかったろうから、今と変わらず働いていなかったかもしれない。
定年退職した年老いたお父さんと働けない鬱の33歳の娘がどのように暮らしていたのか。
想像しても苦しい暮らしだ。
それでもお父さんとずっと一緒にいられたらよかったと今でも思う。
お父さんもそれを願っていた。
私のことが可愛過ぎて、一人置いて逝くのは心配だから、一緒に連れていきたいと言っていた。
一緒に行きそうになった11年前の今日の夜、一緒に行かなくてやっぱり良かったと今年も思う。
あの時は死んだほうがよっぽど楽だと思ったが、今は生きてるほうがやっぱり楽だと思える。
全部を失ってしまったんだけど、逆に全部を失ったから生きてこられたのかもしれない。
他人として生きてるわけではないが、あの日から離れてゆくほど、どうも他人に近付いているような気がしてならない。
自分というものを構成していると思っていた大切なすべてからつまらないものまで全部少しずつ離れて行って、はなれたところから他人のような目で見つめられているのだろうか。
その上で思う。生きてるほうがやっぱり楽だと。
それでも死にたくなかったと。
どこに向かうかわからないのじゃなく、だんだんと向かいたい場所が定まってきた。
私はこれからほんとうに苦しいところへ向かいたいと思っている。
今までは、生きてるほうが、楽だった。
お父さんを、悲しませたくない。
もう二度と悲しませないために、私は向かいたい場所へ向かっていこうと思う。