何を言っても正しくなってしまう、のは俺が何言っても俺は間違ってると思って言ってるからだ。でも俺は正しい人間に死んでもなりたくはない、だから俺は何を言ってもやはり俺が絶対的に正しいという顔ですべての発言をする必要があるわけだが、しかし俺という人間はどうしたって正しい人間にはならないと信じて正しい人間に結果的なってしまう人間で、俺はだから正しくなければならない、宇宙で一番間違った存在になりたいがために宇宙で一番正しい人間にならなければならない、誰ひとりとも何一つをも共有してはならない、それを信じてはならない、俺は普遍的な言葉を放って俺が間違っているというような顔をしてはならない、俺は誰もが到達しえない場所に行って俺が一番に間違っている事を信じなければならない、俺が誰より間違った人間になるためには俺が超人になるしかない、俺は人々がこれが正しいかもということを行ってはならない、俺は絶対的に正しいことだけをやって俺が絶対的に間違っている事を俺に向けて証明せねばならない、俺は人々がこれは間違ってるかもということを行ってはならない、普遍的な価値観で自分を間違ってると思ってはならない、超人とはすなわち、誰よりも間違っていたいと願う人間が到達し得るところである、そしてそれは誰よりも神に愛されたいという想いの裏返しである、何故なら神は間違ったところで一人迷子になった子羊を、間違ってはいないところにいる子羊たちよりも気にかけるからである。
マタイ福音書
18:11 人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。
18:12 あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。
18:13 もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。
18:14 そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。
つまり俺は神の愛を誰より受けたいがために、誰よりも迷い子羊でありたいと願っているのである。
誰よりも神に愛を恵んでもらおうとする者、神の愛を独り占めしようとする者、まさしく彼は、誰よりも間違っていることにより誰より正しいと信じてやまない。
彼は本当に正しさを追い求め、たった一人で誰より迷うことを信じている。