犠牲

イエス・キリストが多くの人を救うために犠牲になったことは
それは、イエスが生きて人を助けることよりも、大切な死だったからだ。
イエスの死と同じに、死を覚悟している人の死は
多くの苦しみの中にいる人々を救うために必要な死だったのだと私は思います。
私は死を覚悟している人が助かることを祈らなかった。
そして、助からなかった。
まるで自分が助かることを祈らなかったから殺されてしまったような感覚で悲しんでいる。
矛盾をしていて、とても複雑な人間の心だ。
それでも私は、これからも死を覚悟の上に生きる人の死を悪いものとは思わない。
これからもただ命が助かることを祈らないだろう。
ただ耐えきれないほどの肉体的苦痛だけは、すべてに与えられてほしくない。
生きてゆくことよりも、大事な死が、この世界にはある。
私はそれを信じている。
誰かの苦しみは、必ず誰かのためにあるんだと。
誰かの苦しみは、それはいつでも犠牲であるのだと。
人に殺される苦しみも、人を殺す苦しみも、それは私たちすべてのための
犠牲であるのだと。
私はそう信じている。
自分もいつか、自ら苦しみの地へ向かい、生きる以上の価値を信じて死を遂げたい。
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