「絶望を肯定する男」

絶望

多くの方は絶望的なもの、苦しみや悲しみ、不快なものをできれば避けたい、できればそうではないものを求め、それがないところが幸福だと思われてるかも知れません。

それは人間の本能的な欲求であるので、私にも備わっています。

しかしこの世界からそれらを一切消滅せしめることができて、幸福ばかりがある状態を想像してみてください。

愛されたい人に愛され、やりたい仕事ができて、何もかも思い通りにできるわけです。

願った瞬間にすべては叶えられるので、もう夢を見ることさえありません。


つまり人間は、願うことが叶えられること、これが人間の幸福ということになります。

叶えられたくないことを願う人はいません。

今、願いが叶えられていないと感じるから人は不幸を感じるということです。

しかしどんな絶望的に生きて苦しみや悲しみを感じている人でも、自分は不幸ではないと感じる人がいます。

その人を観た人は誰もが言います。あの人はなんて不幸なのだろうか、と。

しかし本人はちっとも自分が不幸だとは思っていないのです。

絶望や悲嘆や苦痛、人々が嫌うものすべてを持って生きているのに、彼は自分が不幸だとは思わないと言います。

何故かと訊くと、彼はこう応えます。

「何故って?そりゃあ、こういうことだよ。僕は僕の苦しみのすべてを僕自身が願い、望んで、そして叶えられた宝物だと感じているからさ」

彼はそう言いながらも、今にも泣きそうな悲しい顔をして言うのです。

私は彼に言います。

「それってぇ、おかしくはないかい?願いを叶えられたのなら、もっといい顔をしたらどうだい?なんで君はそんなに悲しい顔をいつもしているのだね?」

すると彼は泣き笑いの顔を浮かべてこう応えます。

「なにもおかしいことはないさ。よく考えてごらんよ。僕が望んで手に入れたのはこの絶望と悲嘆と苦痛なんだよ?僕が悲しい顔をしてないなら、そりゃぁ、まったく叶えられていないじゃないか。僕は本当に悲しいんだよ。苦しいんだ。息をしているだけでもね。僕の顔がいい顔と思わないのは君の願いと僕の願いは違うからさ。僕だって自分の顔がいい顔だなんて言わないよ?でもそれは否定してるんじゃなく、肯定した絶望感が僕の顔は醜いと判断するだけなんだ。でも全肯定しているんだから、本当のところは醜いとは思っちゃいない。難しい話だけれど、僕自身が苦しめば苦しむほど僕の願いは叶えられているんだと僕は感じるんだよ」

私はそれを聴きながら、彼の顔をじっと見ておりましたら、彼の塞ぎこんだ顔がいい顔に見えてくるのでした。
なるほど、彼は確かに変な話だが死にそうになりながら生きることを生き生きと生きておるように見える。

だとすれば、彼が不幸になるときとは、彼が周りから見て幸福に映るときであるのだろう。

最後に私は彼に今一番欲しいものはあるか?と訊ねたら彼は涙をうっすらと浮かべた目ではにかんでこう言った。

「生涯愛し合うたった一人の恋人」

私はそれってぇ、またおかしくはないかね、と言いそうになったが、彼の二つの眼差しがもうどこをも捉えていないのを見て、私は何も言うのをやめたのだった。

今になっても彼を思い出すときには私は、彼の幸福を想う時、いつでも彼の不幸を想っていたことをここに記し、筆を置くことにする。
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