落語「死神」

「死神」 三遊亭圓生







ものすごい落語を観てしまった。
観ていると気が遠くなり魂が吸い取られるかのような感覚に陥るこの空気感は死を表現できている。
さびしさの果て、人間の存在がこのさびしさの果てのいつも含有物なのだと思うと人間はなんというさびしい生き物なのだろう。
今日はなんというさびしい日だろう。
人間はなんというさびしい物だろう。
「二人」と書いて「天」と「トミノの地獄」で言っていたものの、もう一人が死神だったらば、そらぁ、あんさん、それほんまもんの天国ですわなぁ。
まぁ「一大」と書いても「天」やけど、なにが一大なのかなぁ。
「一大組織」と言うやんか、天の政府と言うとキリストが言った神の国による支配をあらわしてるけど、死神はよく笑う。
死神は果たして天の組織の遣わし者なのか、はたまた他の組織に仕えし者なのか。
そこがわからなくってものすごくさびしい。
死神が天使の微笑みで笑うなんてことをあまり聞かない。
嗚呼一人はなんてさびしいのだろう、死神でも近くにいたなら話し相手くらいになるか知れない。
「一人」と書いて「大」って何が大きいんだよ、「大人」は「一人人」と書くから大人はさびしいわけだ。
確かに一人じゃ孤独は大だ、しかしもう一人が死神だとさらに孤独は大だ、「天」は結局「一」と「一」が「大」ということだ。
孤独と孤独が合わさり孤独が凄まじく大きくなると言うことじゃないか。
だって一人に付き一人死神が付いてくる。
やあみんな生まれた瞬間から「二人」じゃないか、ああそうだね君「天」から来たんだろう、そらぁ二人だ。
いやぁ二人だ、天だよ、天国だ、死神といつも二人、しかしあれだなぁ死神こいつぁ俺が死ぬときしか笑わねえとなるとこいつを笑わせるには俺は死ぬしかないってぇのかい、難儀なことやなぁ。
だって何言っても笑わない奴と四六時二六時五十三次一緒にいねえといけないのに面被りみたいに無表情だと参ってくるねえ。
なんとかして笑わせてやれねえかと考えるわけだ、こいつは一体何が面白くて生きてるんだって。
こいつは面白くねえのに俺が面白いとなるとこいつだって面白くねえだろう、余計に、ああ面白くねえああ面白くねえと思っている奴にこんな近くに居られちゃあ居心地が良くなることがない、俺はこいつを面白くさせねえと全く面白かねえなぁ。
しかしひょっとしたら俺が寝ているときこいつはずっと笑ってるかも知れねえなぁ、ただ俺のいる前では笑わないようにしてるんじゃあないか、もしそうだとすると、お、そうだ、今夜おれは薄眼を開けてこいつをじっと見ていてやろう。
さてどんな顔をするのか、面白いじゃあねえか、なあおいお前もそう思うだろう、お前もだから起きているんだ、わかったね、だって寝ていたらお前が笑ったところでただの夢を見ながら笑ってるだけじゃねえか、俺は起きてるんだからお前だって起きているんだ、俺の死神だろう、俺は寝ない、ああ寝ない、お前の笑顔を見るまで俺は寝るもんか、しかし本当に眠くなったら俺は寝るだろうから代わりにお前は起きてろ、だってお前まで寝ちゃったら何か起きた時俺はお前をまず起こさねえといけない、その数秒の差で俺は死ぬかもしれない、俺が死んだらところでお前はどうするんだ、俺が逆にお前の死神になってやってもいいが、お前はいつ死ぬんだ、お前はいつ俺を笑わせてくれるんだ、よし、契約をしよう、お前がいついつなん時なん分なん秒に俺を笑わせてくれるのか署名して判を押せ、うんそしたら俺が死んだらこんだ俺がお前の死神になってやっからお前は安心だ、俺の死を笑って見届けられるだろう、俺は死んだあと先々までお前のことを考えてやってるんだ、だから一度くらいは、一度くらい、おまえ、笑ったらどうなんだ、だって俺が死ぬ瞬間にお前笑っても俺は見れねえかもしれねえわけだ、お前は俺の死神だろう、俺は次お前の死神になると契約したがお前が死ぬとき俺が笑うのをお前は見ないで死んだら、お前を生き返らすぞ、俺はたった一人で笑うためにお前の死神って仕事を引き受けるわけじゃない、たった一人で笑って笑いが冷めた後に我に返った瞬間のあのすんげえ恥ずかしく侘しくさびしいものをお前も人間になって経験してみたほうがいいぞ、まあ次おれが経験さしてやってもいい、俺はお前を心の底から笑わせてやるよ、お前を俺に遣わしたのは、へっへっへっ、へへ、俺だよ。
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