濃い闇の中にいる。
右手に中が暗い車があって、運転席が二つあるのか、その向こうに止まった車の中が見えているのか、手前の運転席には人が吸う位置に煙草が宙に浮いて煙が立ち昇っている。その向こうで知らない男が煙草を吸っている。
わたしはそれを見て師匠に「煙草の火を消しましたか」と訊ねる。
師匠は驚いて「ちゃんと消したはずやで」と応えた。
ならよかったよかったとものすごい喜びの中わたしたちは師匠の運転する車に乗っている。
道ががたがただ。
師匠が「地震だ」と云うまで気づかなかった。
そして変なところに下りていく。
車の幅ほどしかない細い道は生きているようにうねっていて両端は深そうな池だ。
『こら、やばいど、こら、やばいど』という師匠の焦り感が我々にも嫌と言うほど伝わってくる。
しかしなんとか切り抜けて着いた場所は埠頭のようなところだった。
従業員らしからぬ人に訊くとここからは船でしか出られないと言われる。
戻るにはまたあの危険極まりない道を行くしかない。
いったいどうしたことやろうと我々は困窮困憊にこの意味不明な場所を恨んでいる。
わたしはなにもないところでわたしの思っていることを感じている。
わたしたちはみな、物質とそうではないもので出来ている。
それはどうも最初からそのようであるらしい。
なにもない空間に一つの変な字が現れる。
左側は液という字の右側だけの部分で右側は行という字の右側だけの部分、そのふたつを合わせた字だ。
液の右側と言うたが夜と言う字ではない。ではタみたいな叉みたいな部分かと言うとそうでもない。
言い表しにくいがその字はやはり液と言う字の右側であって、それに右に行というテみたいな字の右側だけ付いている。
『液』の右側の部分がどうやら『物質』を表していて、『行』の右側の部分は『物質ではないもの』を表している。
という夢を見た。
「行」という字は左側「彳」のぎょうにんべんは「テキ」と読んで左足、少しずつ歩く、佇むという意味がある。
右側「亍」は「チョク」と読み、とまる、少し歩く、右足という意味がある。「步して止まるなり」という意味がある。
夜 ヤ <日没を中心にして月のでる方>

金文が大の字に立った人の右に夕または月の形を描いていることで分かるように、「月(つき)+亦エキの略体」の会意。
亦(両わき)は大の字に立った人の両側にハの字をつけた形で、大を中心にして両側に同じものがある意。夜の字は、大の一方に月(夕)を描いた形で、両側の一方が月の出た夜であることを示す(もう一方は昼を暗示している)。
現代字は「夜」へと原形をとどめぬほど変化した。
なお、夜を音符に含む字は、ヤと発音する場合は「よる」の意。
エキと発音する場合は「亦(両わき)」の意味で用いられる。
「エキの音(=亦。両わき)」 (液・腋・掖)
「夜」は「夕(つき)」と「亦(わきの下)」から成る文字で、「昼をはさんで両脇にある時間」を表す。
ここから「間隔をおいて同じものが続く」という意味合いが生まれたようです。
私が夢に見た『液』の右側は物質で、その右の『行』の右側は物質ではないものを表した字は一体何を意味しているのだろう。
さっぱりわからん。
しかしどうやら物質と液体の液というものは密接に関わりを持っているものであり、物質でないものとは「行う」という意味と密接に関わりを持っており、また物質は左足の役目があれば物質ではないものは右足の役目を担っているであるのだろうということだ。
そしてどうやら物質は間隔を置いて同じものが続いているようだが、物質ではないものはその右足で以って少し止まっては歩いて、少し歩いては止まっているようだ。
そして物質は月の出た夜のようだ。
そういったものがどうやらわたしたちのようだ。