昨今、私はある一つの現象を人間の内部に目の当たりにして酷く嘆き悲しんでいる。
それはどのような現象化というと、簡単に言うと春の嵐は桜を吹き散らすけど、桜吹雪って綺麗だよね、こうぐっとくる何かがあるよね、そうだよね、それはなんてゆうのかなあ、ずっと桜が花をつかせている状態が長く続くより自然の激しさがより桜という木を美しく際立たせていることに成功してる、だからこの自然の中ではむしろ荒らしの来ない春のほうが不自然で桜街道をゆく人々の心の底にぬめぬめとした汚泥の如くの闇が沈溺して黒い疣蛙のような蟠りが世界中に放流されて顔面にいつも疣蛙を乗せて歩いてるような気持を払拭できない心弱さを抱えながらも今日も強く生きていかなくちゃと疣蛙にしか聴こえない声でゆぶやいて艱難辛苦をも約束された桜並木道を君と一緒に歩いていこうと誰かが泣き叫ぶ、みたいな現象なのである。
つまり、対立することを出来うる限り避ける、という人間の深層心理である。
これは実に多くの人間の心を蝕んでいると言えよう。
何故なら本来人と言う生き物は人と対立することが避けられない生き物であるからである。
それはなぜかと言うと、人はみんな違う嗜好と思考と自分なりの信念や存念または夢や目標を持って生きる生き物であり、みんな言うことも考えてることも同じと言うのは在り得ないことであり、また在っては面白くないからである。
みんなが違う考えというものを持って生きているのに、対立することを避けようとすると、一体どのようなことになるだろうか。
それは自分の考えを相手に申さないという関係を築くということである。
自分が思うことは別にあるのだけれども、言わない、何故なら人と対立してしまうから。
対立するのは、嫌だから。傷つくから、傷つけるから。議論したい相手じゃないから。議論してもしょうがない、または議論したいだけの相手を尊敬する心が自分にないから。
そうして人は人と表面的な関係を築き、それで満足をし得ようとするのである。
例えばある友人が「俺はもっと戦争が起こればいいのになって思うんだ」と真剣に言うと
「へーそっかーなるほどね」と返して、本当は自分は『なんでやねん、おまえはあほか、頭おかしいんとちゃうぅ?精神科行ってこいよ』と心の中で思っていてもこれを言わないで話をまんべんなくスルーして流すということが得意なのである。
そして「何故、戦争がもっと起こればいいと思うんだ?」とその理由すら訊かないで、『はっ、こいつは何言ってもダメダ、着いていけない』と自分の中で相手とまともに話す、向き合う姿勢をことごとく潰してしまうのである。
そうすると、もっと真剣に自分を曝け出して話したい人間にとっては『なんやこいつ、いっつもいい加減にしか話を聴かない、こいつぁだめだ、上辺だけの関係を俺と築こうとしてるんやろ、腹立つわほんま、もーいーもーいーもっと真剣に議論できるやつを俺は探す』と言ってどこかへピッと行ってしまうのであるが、逆に、相手も同じように対立することを恐れ避けている人間であった場合はこれは気の合う良い相手であり、こいつとなら俺、傷つかなくても済むかも?んなぁあんてっ思うなっいい関係を築けそうだわ、よしこいつと仲良くなりたいなってんでそこに友人友情を築いていると思っているのである。
まあそうなれる相手ならそれでいいけどおぉ?
恋人がそういう人間だった場合、これは「あ、そう」っつって他にさっさと相手を変えるなんてできることではない。
じゃあどうすればいいのかというとどうにもできないのである。
どっちかが我慢して相手と話すしかできないのである。
俺が我慢する場合、俺は自分の意見をいつでも率直に言いたくて、意見を何でも言ってもらいたい人間なのだけれども自分の意見を言った場合相手と対立する場合があり、相手は対立することが嫌なので、俺は自分の意見を言うことができなくなる。
相手が我慢する場合、相手は別に自分の意見を本当は言っても俺は構わないのだけれども相手は対立することが嫌なので自分の意見を言いたくない、俺の意見を唇噛み締めながら根気よく最後まで聴きとおさなければならない。
しかし互いにすごく嫌でしんどいことなので、互いにこれをやりたくない。互いに譲りたくない。
なので、一昨日の会話は相手が「昨日どこどこへ友達と一緒に遊びに行ってきたのです」と言って私が「そか」と言って、相手が「うん」と言ってそれからうんともすんとも互いにしゃべらずに会話が終わったのである。
それはしょうがない。私は言いたいことは山ほどあるのだが、これを言えないのだから、言ったらまた対立は避けられず、対立するのは嫌いだとぶちギレられて結局関係がますます破綻してくること請け合いなのである。
なので私はもうこれから相手には表面的かつ上辺だけの会話しかせず、本音はいつでもここ、自ブログ内で暴露せぬわけにゆかぬことになってしまったのであった。そうしないと本音をどこにも出せないで僕のぼくが体内から蛸のような軟体動物と化し、リターンマッチを後生に右翼団体と共に街宣運動に出かけなければならず千代の神がこれを制して人力とうもろこしを街角で売り捌いて鯖の味噌煮を作る日が続き軍事疎外タウンに赴けば朝鮮人とウガンダ人がきりたんぽを分けてくれるからこれを三つに割ってとんびと鷹と回虫にやらなければならず、アナスタシアの空が俺を呼んでいることに変わりはないよねと言ってオホーツク海でカンカラ踊りを踊って生を遂げなくちゃならないからな。
じつにむなしい小春日よの。
でも私は当分それでなんとかやって彼と善き関係を築いていかなくては僕の体が持ちそうにないので僕は頑張ろうと思うからみなさん見ていてください。
僕がどのように壊れていくかを見ていてくだしあ。
どこかに行きたいけどどこへも行けないっすよね。
だからこうやって自分の本心をちまちまとここに書いていくことしか僕はできないな。
彼らはいったい何処に本心を出しているのだろう。
どこにも出さないで夢精のように夢を見ながら知らず知らずに出しているのだろうか。
僕はそんな彼らにセイグッドバイと言おう。
夢で会おう。
だってまるでそんな彼らとしゃべったら僕の心は余計虚しいんだからね。
厭さ、そんな虚しいこと、ぼかぁ厭だ厭だ厭だ、人間じゃぁない、あいつらは。
あいつらは、う、宇宙人だ。
そうだうつうじん、ぅぅちゅぅじんだ。
俺は人間だから、ぁ、あいつらとは、こ、心が通じないのさ。
そういうことにしておこう。そうしておかなければ折れはじぶんをたもちことができない。
俺は自分をたもちことができないんだよ!
取り乱してすまない。
まあみんな年をとればわかることだろうからこれ以上は言わないでおこう。
人と真剣に向き合わないではいられない時代と言うもんがやってくるだろうから。
まあその面白さをわからない人は可哀相だなあと思うけども。
他にもっと楽しいことがあるみたいな顔してさ、あるわけねえのに。
分かり合おうとすることを諦めた関係は、もう終わってるんだよ。
どんな喜びもそこにない。今ここにない。
君と話したって僕は苦しいばかりだ。
笑ったって嘘の笑顔だ優しくしたって嘘の優しさだ。
君が望んだ嘘の僕だ。
嘘の僕で満足すればいい。
どうぞお好きなだけ喜んでいればいい。
僕はまるで君と話すとき、死体を生きているようだ。
桜が花を散らさないわけは下に死体が眠っているからさ。