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ミヒャエル・ハネケ監督の2001年の映画「ピアニスト」を観た。
幼少の頃から母親の厳格な教育と過干渉を受けて育ったエリカは母親の望むピアニストにはなれなかったもののウィーンの名門音楽院でピアノ教師として働くようになったが、40歳を過ぎても一緒に暮らしている母親の執拗なまでの干渉に嫌気が差しながらも共依存の関係に陥って抜け出せないでいる。
エリカはこの年になってまだ男を知らず、仕事の帰りに男が日常的にストレス発散や性欲処理をするかのようにポルノショップへ赴き、性的倒錯的なちょめちょめなことをしては何かを発散している、または自己をギリギリのところで保っているように見える。
そんなある日、地味でシャレオツの「シャ」の字も知らないような地味な中年女エリカの前に、若く厭味たらしいまでの爽やかフェイスと健康的なガタイを持ち合わせた美青年学生ワルターが現れて。
教師で年長者であるエリカに対しての敬意が足らんという風な生意気かつ執着的かつ純真的な求愛をして来られ、エリカは最初冷たく拒絶を続けようとするんだけれどもエリカの抑えていたものが徐々に華を開きだしてゆかんとする。
これで腐った女子いわゆる腐女子的な妄想の末あんなことやこんなこともして妄想のあまりの軽薄さに自己嫌悪に陥り浅ましい欲望だけの作品に終わる、ということをしないのはハネケ監督が異常なほどひねくれているから。
ではなく現実をありのまま表現しようとしているからなんだろうけれども、私も観ていて、何度か「そうそう、わかる、わかるよ、あー来た来た、男は怖いねえ、男は怒らせるとこうなるからねえ、いやあー自分のことを見ているようで非常になんとも言えないなあ」と思ったと思っているところだ。
私と彼女の共通点をではまた挙げてみることにしよう。
・親と共依存に陥っている。(私の場合は父親です)
・異常な性癖、有り。(私の場合はスカトロジー性癖です。嘘です。ではなく末広丸尾の童貞厠之介<厠の中から現れる糞尿まみれの少年>に恋焦がれていた)
・執着的依存的恋愛を繰り広げる。嫉妬心もッパネエ。
・親に口答えすることはままあったが、逆らい切ることが出来なかった。
・親との間に激しい愛憎が結構いつもあった。
・自傷行為、有り。(私の場合は親に隠れてアムカ<腕の部分をカッターやかみそりで切る行為>を毎日やっていた)
・マゾヒズムな欲望を隠している。(私の場合、自分を見下しきった相手に手篭めにされたいという欲望がある)
・キレた男から連続で暴力を振るわれたこと、有り。(私の場合も自分の我侭に耐え切れて相手がブチギレた)
・結局のところ、男に醜悪的にも縋る恋愛しか出来ない。まともな恋愛をすることが不可能。
・男に縋るくせに、男がその気になるとこんだ嫌悪感が漲ってくる。
・男に対する依存と拒絶が同時に起きている。(肉体的なところでも起きている)
・片親の不在。(私の場合は母である)
・実のところ相手から痛めつけられたいという願望は痛めつけられることを先に自ら望むことで相手より自分が優位に立って支配したいというサディズムの倒錯したものであって、それは男性性の強い男性的な女の潜在心理である。
・しかし実際に痛めつけられたときに拒絶反応が出るのは男から出る暴力に太刀打ちできないことで否応にも自分が弱い女でしかないことを悟らされるからである。
・女はどうしたって男にはなれないのだと見せ付けられることによって男より優位に立つには男に依存的に愛される以外にないと知るからである。
・故に、女が男に依存する深層心理とは自分を優位に立たせられる男の存在がどうしても自分に必要なものだと知っているからである。
・しかしそんな歪みきった醜い感情は女が親から受け続けた愛憎の連鎖反応であり、親の愛は子の愛に受け継がれてゆくのであった。
・依存とは支配することであり、共依存は互いに支配しあうことになり、共依存で育った者は依存だけが愛であると認識しており、よって女が望むこととは、本来、男と共依存という愛の形成を行いたかっただけなのであったと思われる。
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