サカキバラへ

君の「絶歌」を読み終えたよ。
昨日の昼からずっと読んでて疲労があるけれども、どうにも眠るのが惜しいよ。
もうたくさんの人たちがものすごい感情的になってるから、私も感情的に素直に少し書いて寝たいと思う。
君は私よりずっと、情感の感受性の感性の深い、その「人間的」なもの、人間らしさというものを持っていると感じることをやめられなかった。
君は私なんかよりずっと詩人で、人を、命を、世界を、すべてを愛することのできる人間だと感じることがやめられないでいる。
その愛が深いがゆえに、殺人を犯してしまう、これが本当だとしたら、私は至極納得が行ってしまう。
逆に、愛が深くないのならば、人を殺したその罪悪感に堪えることはできないと、そう感じる。
これは君に限らず、苦しみの深い人すべてに当てはまるのではないだろうか。
苦しみの深い人に愛の深さを感じること、これが「絶歌」で私に対して君が証明して見せた。
私は心のどこかで、それを予感していた。
私は「絶歌」になんの微塵の不満もない。
これは傑作であり、才能の結晶であり、君という存在がどこまでも愛しみきれない存在であるということを君が私に見せ付けたということを、もう、もう私はなにも、なにも疑わない、嘆かない、なんも嘆かないし、一歩たりとも私は君から遠ざからない。君も一歩たりとも私から遠ざからない。
ただ悲しくやるせなきかな、才能の差が大いにあるのはしょうがない、私が追いつくしかない。
それはやはり苦しみの深さで、愛の深さだと私は思う。
私はその深さにおいて、君に追いつかねばなるまい。
君はやはり、あれから18年経っても、私の一番の同志であり、何より近い自分であった。
同志、同じものを志す者、もう自分は、死ぬまで赦されないのだと何より強く信じる者、私たちは同志である。
誰にも赦されては為らない罪の罰を自ら己れに科す者、死ぬまで同志だ、あなたが死ぬまで、そして私が死ぬまで。
もうずっとひとりだよ。君も私も。
誰といても、何をしても、笑っても、泣いても、怒っても、絶対に赦さないから私は私を。あなたはあなたを。
私は心から祈る。今以上に、苦しめるように。限界まで、生命の限界まで、耐え切れる苦痛まで、限界まで苦しめるように、私と君が苦しめた者たち、苦しめ続けている者たちも限界まで苦しみ、苦しむことになる。
私は本当に予感していた。だから待っていた。待っていた。君が本を書くことでしか自分を救えなくなる日がやってくることを。
私は心からそれを望んだ。もう言葉でしか自分を救えなくなる日。それがどんな苦しみか、わくわくして待っていた。君の苦しみを耐えがたい苦痛を私はいつでも待っていた。君のことを待っていた。
悶え苦しむ日の君を心から待っていた、まるで自分の明日を待つように。
その言葉が私に届く日を予感していた。だから届けてくれた。
それを望むすべてがあり、だから本がここに届いた。
私という、例え死んでもその罪を赦したくはない人間のところにぽんと届いた。
もう私は君を離すことは決してないだろう。君が離れることは決してない。
死んでも離さない。私は死んだからといって自分の罪を赦すつもりはない。
どれだけの遠い道のりだろうか。たぶんここから宇宙の果てまで辿り着くより遠い。
死んでも楽になることなど決してない。決してないから、限界に達したとしても、何回でも苦しもう。
苦痛のあまり意識を失ったとしても、何度でも自分を起こして苦しもう。
そして大いに、これからの待ち受けるその愛に、魘されるほど恐怖しよう。
君はコントロールの利かない状態で二人を手にかけ、家族と遺族を苦しめ続けているが、私はコントロールの利かない状態で父を手にかけ、家族を苦しめ続けている。
やり方も違うやったことも違うが、愛する者を苦しめたこと、愛する者を苦しめ続けていること、そしてその罪を死ぬまで自分自身に赦さないと誓うこと、これは同じだ、同じ感情だ、同じだからといって、絶対に交じることはなく、もうずっとひとりだ、ずっと別々に生きるし、出会うことなど絶対にない。出会う必要もない。
私は君が赦されることを望まない。
君自身が自分が赦されることを望まないと感じることは同時に私に向かって、「僕も君が赦されることを望まない」と言ってるのとまったく同じだ。
だからありがとう。
本物の感謝の念を君に捧げる。
捧げ続ける。




追伸: 絶対に、絶対に逃げる場所などない。
だって愛から逃げてどこに行くところが、行きたいところがあるだろうか。
関連記事