省察という生察

俺がまだおまえを赦してないのに、何でおまえは反省しているのか。
俺はおまえを赦してないんだから、おまえが反省しても、内省しても、ちっとも嬉しくない、むしろ腹が立つし、やめろ、つまらない、何故なら、おまえのその反省は俺のためにしているのではなく、おまえ自身のためだけにしているだけだからだ。
おまえが苦しむためにしているのだとしても、それはおまえだけのためにしているに過ぎないからだ。
おまえが反省したところで俺はおまえを赦せないのだから、一体何のためにおまえは反省しているのか。
違うか。
おまえは確かに俺をいまだ苦しめ続けているわけだが、おまえはおまえが反省さえすれば俺がおまえを赦すとでも思ったのか、おまえの罪を俺が赦し、おまえを俺が解放することが出来ると思ったのか。
もしそうだとすれば、全くの逆効果をおまえは生み出した。
俺はおまえが反省するたびにおまえをより許すことができなくなる。
憎いからだ、反省して苦しんでいるおまえが。
俺はおまえに言ってやろう、おまえに苦しめ続けられている俺がおまえに言ってやろう、おまえは苦しむ価値もないよ、と。
なぜか解るか、おまえのその苦しみ方は、俺がおまえに苦しめられた苦しみ方とは違う苦しみ方でしかないからだ。
違う苦しみでおまえは許して欲しいと思ってる?思ってない?
どっちにしろ、こんなに苦しんでるんだというおまえを俺になんで見せるの?
まるで俺の苦しみを、おまえのその苦しみで返せるものだと言われているように感じて、俺の苦しみをそんなに小さい苦しみと同じ程度だと思われてるみたいで、本当にあなたが憎い、より憎まずにおれません。
だから俺はおまえに頼みたい、おまえは苦しまなくていいよ、おまえは反省なんてしなくていいよ、おまえが俺の苦しみを本当の意味で理解できるまでは。
おまえは苦しむ価値もない、おまえは反省する価値も内省する価値もない。
おまえは俺の苦しみを想像することさえできてないんだ、だから反省できるし、内省できるんだ、だから俺がおまえに言ってやる。
おまえが反省すること、それが俺にとってまったくの無意味だ。
泣くな、落ち込むな、苦しむな、悲しむな、おまえはその価値もない。
おまえの浅い内省、聞きたくねえよ。
おまえがやることはそれじゃないだろう。
おまえがやることは、俺の苦しみを、おまえの苦しみにすることだろう、違うか。
内省したらおまえが赦されるわけではない、俺はおまえを赦せないんだよ、まだ。
おまえはそれだけのことを俺にしたんだ。
俺が望むこと、おまえに望むことはただの一つ、俺と全くの同じ苦しみをおまえがいつの日か苦しみなさい。
そしてそれとはまったく関係なく、俺がおまえを赦す日はくるんだよ、でもそれはおまえに関係していない。
おまえの態度や言葉や謝罪、なんにも関係していない。
俺がおまえを赦すことは、俺だけに関係しているんだ。
だからおまえは、おまえだけのために、反省するな、俺はそんなことを望んでない。
それよりも、どうすれば俺と全く同じ苦しみを苦しめるのか、考えて欲しいと思います。
おまえは俺の心を、戻れない苦しみのところに置き去りにして、俺が直接おまえに俺はおまえがやったことで俺が苦しいと訴えるまでおまえは俺の苦しみに気付けもしなかった。
俺はおまえに違う苦しみで苦しんで欲しいなんて思ってないよ。
おまえは俺と違う苦しみで苦しむ価値もないと思うほどおまえが憎いんだ。
おまえがどんなに苦しもうと、俺と違う苦しみで苦しんでるだけだから、憎しみは消えない。
どんなに難しいことか解るだろう。
ほんとうの反省というものがだよ。
ほんとうの反省というものは、苦しめた相手と同じ苦しみを経験できるまではでき得ないことなんだ。
だからおまえがどんなに反省しても、俺に届くことができない。
どんなに悲しいことか解るか。
人を一生苦しめるということがだよ。
おまえは確かに俺を一生苦しめると思う。
おまえが本当に反省したいというのなら、俺と同じ苦しみを経験したいと望むことだ。
何よりも、どの経験よりもだ。
それは、いつの日か俺がおまえを赦してもだ。
おまえ自身が俺の苦しみを苦しみたいということ、それにしか反省がないのだとおまえ自身が信じることができるまで、俺に何一つ届かないのだと俺はおまえに言う。
俺の言ってることはおかしい?
相手の苦しみを苦しみたいとも思わないでする反省に意味があるとおまえは思っている?
例えば人の子供を殺した人間が、その親の苦しみを苦しみたいと思わないでいるのに反省していることに意味はある?
相手の苦しみを苦しみたいとも思ってないのなら嘘っぱちの反省よりも前文自己弁護の言葉を読むほうがずっとマシだよ。
俺はだから自分が相手の苦しみを苦しみたいと思う気持が相手に伝わらないでいるのに反省や内省をしているのがすごく浅はかに思えて、そんな反省するくらいならまったく反省することなく死んでいくほうがええと思っている。
全く同じ苦しみを経験することができなくても、毎日想像することはできるが、想像していれば相手の苦しみが和らぐわけじゃない、譲れないものなんだよ、何が譲れないって、おまえが俺の苦しみを苦しみたいと思うほうへ行くか、おまえが俺の苦しみを苦しみたいとは思わないほうへ行くか、このどっちにおまえが行くか、それだけを俺はおまえに見ているんだよ。
どこでどう暮らしているかもわからないおまえに、俺は見ているんだよ。
おまえはいつも俺に見られているんだ。
俺がそれを、自分の死を引き換えにしても望んでいる以上。
関連記事