08/21のツイートまとめ

yuzae1981

でもそのときに知った真実は、「人間の快楽の為だけに、家畜は皆、生きている内に(心臓の止まらぬ内に)解体されている」ということだった。それを”放血処理”と呼ぶ。血を抜くのは、人間が「美味しい肉を味わいたい」からだ。そしてそれを知らない人たち全てが、Wesに対して、”Monster”と叫ぶ。
08-21 13:39

”此処まで”、【地獄】なのだと、僕は此の世界に対して、想像もできなかったんだ。2012年に、屠殺場の映像を観るまでは。僕は全身が震えるなか、涙が止まらず、血の気は一斉に引いて「これじゃまるで、”拷問処刑”だ…。」そう思った。僕は「都合の良い想像」しかしてなかったからなんだ。
08-21 13:39

を本当に持つ者しか〖快楽殺人者〗になることはないし、”拷問されたい願望”を持つ者だけが相手に拷問を与えながら真の快楽を感じることができるだろう。Wesのなかで、ずっとずっとずっと、あたためつづけてきた”真の願望”が、ついに、目覚めてしまう。最も悪く、最も苦しく、最も恍惚な痛みが。
08-21 07:17

多くの場合、それが倒錯していて、自分は相手(潜在的な自分)の願望を満たす存在であって、自分の最も強い願望を満たす為、他者を利用しているに過ぎない。それは無論、すべてが”自分自身の投影(鏡)”だからなんだけどね。だが当人が、それに気づくことができているのか。つまり”殺されたい願望”
08-21 07:17

”完全な服従を誓う行為”であるんだ。女性に限らず、”レイプされたい願望”を持っている人は少なくないだろう。これは自分が相手にレイプされることは、相手を完全に服従させ、”相手を縛り付けることのできるもの”であることを潜在的に知っているからだ。人々は真逆に考えているが、人間の心理とは
08-21 07:17

いないが、僕はこれを初めてレイプだと想った。』Wesのこの時点で言っている”レイプ”は、まだ本当のレイプとは言えない。つまり、「本当のレイプ」とは、もっともっと残酷なものであるんだ。その「真のレイプ」について、僕は確信を持っている。”rape”とは、それは”する側”が、相手に対して、
08-21 07:17

ベッドに寝かせ、バスローブのベルトの端を彼の手首に巻き付けた。彼は戸惑っていたが、抵抗はしなかった。縛り上げた後、僕は下着を脱いだ。彼は再びもがいたが、コントロールするのはずっと簡単だった。僕は今、男の子に3回も肉体的な力を使って痴漢をし、最後に彼の手を縛った。 全く挿入して
08-21 07:17

1986年12月31日、Wesが25歳の時、性的行為を激しく抵抗する2歳のDとの格闘をしたとき、彼はとても興奮した。『僕は今までで一番強く勃起していた。』彼は「だめ、嫌でもやるんだ。」と言って数秒の格闘の後、『僕が彼の股間にペニスを入れる頃には、僕は絶頂を迎えていた。』そして『僕は彼を
08-21 07:17

それだけでは満足できず、僕が「 “get more” (もっと手に入れる)」唯一の方法はレイプと殺人しかなかったんだ。』”史上最も残虐な殺人鬼の一人と呼ばれる”Westley Allan Dodd(ウェストリー・アラン・ドッド)の手紙よりhttps://t.co/t62aqbJONN https://t.co/QKkO35h1or
08-21 03:10

その子をレイプして(肛門性交を含む)殺してしまうんだ。僕はD-を傷つけたくなかったが、彼はもう僕の心を他の考えにさまよわせないほど十分ではなかった。トレーラーに移ってからは、僕は2、3週間に一度しかD-に痴漢できない。
08-21 03:10

僕は2年半の間、Dを「セックスのパートナー」として、積極的に他の子供を探そうとはしなかった。でも最後の3ヶ月、森の中のトレーラーコートに引っ越したとき、僕は森に迷い込むかもしれない子供たちに目を光らせていたんだ。もし僕が一人で森に入るのを見かけて、人知れず後を追えると思ったら、
08-21 03:10

まで行けば、僕がその子をさらった本当の理由がわかる)。(男の子が「迷子」になった場所に着いたら、僕が連れて行った本当の理由が分かるだろう)』『僕がDを初めてレイプしたのは、彼が2歳になったばかりの頃で、最後にセックスしたのは1989年7月(殺人を実行する約2カ月前)、彼は4歳半だった。
08-21 03:10

する必要がある。(通報できないようにする必要がある)僕は初めて、殺人を考えた。1987年6月13日、26歳の誕生日を3週間後に控えた僕は、その計画を実行に移すだけの "度胸 "を身につけた。僕は6歳の男の子を見つけ、「迷子の男の子を探すのを手伝ってくれないか」と頼んだ(迷子の男の子がいるところ
08-21 03:10

するつもりだった。それは、彼が騒ぎ立てるかもしれないということだ。僕は初めて “誘拐 "という言葉を使った。僕は少年を誘拐して山に連れて行き、そこで好きなだけレイプしようと思った。でも、そんなことをしたら、僕が通報されないようにしなければならない。いや、彼が僕を報告できないことを確認
08-21 03:10

を望むが、必要であれば強制的に連れて行く(強要する)。力ずくという発想は刺激的だった。考えれば考えるほど、僕はやりたくなった。6月1日頃、僕は計画を立てた。僕は少年を見つけ、彼が望むかどうかにかかわらず、彼をレイプするつもりだった。痛かろうがなんだろうが、僕は彼とアナルセックスを
08-21 03:10

1979年、1978年、1985年生まれ、として、43歳、44歳、37歳。かな。僕は当時8歳で今41歳。1993年1月5日、31歳の時に、Westley Allan Doddは処刑(殺害)された。”殺害の連鎖”は、一体、いつ終わるのだろう。『1987年の4月だった。1、子供を探しに行くことになる。 僕は子供が協力的であること
08-21 03:10

続けているだろう。そう、Wesの”被害者たち”は、ちょうど僕とそう変わらないほどの年齢の子たちだ。例えば1986年12月31日にWesはDを初めて痴漢したが、その頃、Dは2週間前に2歳になったばかりで、僕は当時5歳だ。彼は今、37歳。Wesに殺害された子ども達、1989年9月、10歳と11歳と4歳。
08-21 03:10

Dがその後、Hのように問題を抱えることになったかどうかはわからない。”彼ら”は、Wesが子どもを残虐に殺害して逮捕されたことをいつか知っただろうか。もし知ったなら、それは深いトラウマになっただろう。もしかしたら、「殺されていたのは」自分であったかもしれない。とも、ずっと考えて苦しみ
08-21 03:10

Wesも切実で、Dも切実なんだ。二人は互いに親の愛情に飢え渇いていて、たったひとつのこと、「愛」だけを相手を通して、それを必死に切実に得ようとしていたに過ぎない。俯瞰してみるならば、そこには”犯罪”も”汚れ”も”淫行”も”性的虐待”も”レイプ”もない。2人の”男の子”たちが、互いに真剣だった。
08-21 03:10

人生は何故こんなに残酷な方へと進んでゆくのだろう。Dの場合、父親の愛にも飢えていたし、母親もいなかった。最初の内はWesの要求を尽く拒み、格闘に疲れWesがギブアップしたりしていたが、のちに彼みずからWesを誘い、要求してくるようになった。僕はこの出来事に、感動せずにはおれない。
08-21 03:10

Wesが同居していることがばれて捕まった子供が一体、どういう経緯なのかずっと気になっていたが、それは”誘拐”などではなく、ルームメイトの息子、2歳のDだった。誘拐罪はかなり重いから、そんなすぐに出て来れるはずはないのだ。もし誘拐であったならば、Wesは殺人へ向かう道を免れた可能性もあるが
08-21 03:10

はできない。”そこに《利他愛》がないのならば、同じだ(いつか、どこかで、誰かの愛する子どもがレイプされ、拷問にかけられ、そして殺害され、さらに死姦されつづけるということだ)。”
08-21 01:18

何故なら彼のような人はいつの時代も、一定数、確かに”どこかで”普通の人のように暮らしているからだ。そしていざ、自分の愛する子どもが犠牲となってからでは、最早、手遅れなんだ。そうなってから、人々は”彼ら”に深く関心を持つつもりだろうか?もっとも、関心を深く持つだけでは、なくすること
08-21 01:18

で奏でていたのだろう?音楽と生き物を愛する彼が何故、子どもに対する「レイプと拷問と殺害」、またそれだけでなく、「性奴隷にする為の外科的手術(ロボトミー的手術)の妄想や死姦行為」をするまでに至ってしまったのか…。多くの人が、Wesに深く関心を持たないことはとても不思議で仕方ない。
08-21 01:18

かはわからないが、生き物を愛する気持ちがWesにはこの頃も(子どもを快楽目的に殺害する約4年前)ちゃんとあったのだと考えられる。子どもを釣る(家に誘い込む)為だけの道具であるとは考えにくい。それからWesは音楽の才能がとてもあって小さな和音オルガンを持っていた。どんな音楽をいつも一人
08-21 01:18

”快楽殺人者”は子どもの時からサイコパスで、動物を殺すことに快楽を感じていた例は多くある。だが、Wesは子どもの頃、動物が好きでたくさんのペットを飼っていた。(かたつむりを誤って踏んでしまったときは可哀想に感じた。)24歳の頃には引っ越し先にも水槽を持って行き、魚を飼っていた。何の魚
08-21 01:18

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