07/19のツイートまとめ

yuzae1981

「次の犠牲者」は、あなたの愛する子どもかも知れないのに。Wesは父親から精神的、肉体的虐待を受けて育った。警察という”権力者”に対して、子どもは本能的に父性愛を求めている。しかしそんな彼らから、彼は子どもを殺害せねば生きてゆけないほどの、”第二”の絶望を与えられたんだ。
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子どもに対しても使うことがよくわかる。15歳という年は、まだまだ全然子どもなんだ。一体、どのような脅しによって彼が”nice kid(いい子)”にさせられて何度も刑法を逃れて解放させられ続け、真のシリアルキラーへと育て上げられたかを、人々は何故、深く考察しないのだろうか?
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引用符を付けてまで日記に記した "nice kid."という言葉がどうしても引っ掛かって仕方ない。”彼ら”にとっての”nice kid(いい子)”とは、ただただ「もうしないよ」と大人しく受け応える子供なのだろうか。子どものそんな言葉を警察が信用し、すんなりと解放するのか。もっとも、警察とは”脅し”を
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たかもしれないということだ。」と語っていた。彼は子どもたちに性的行為を続ける自分を何度と見離してきた警察や犯罪者予備軍の少年を更生させるための組織の人間たちにある種の深い恨みを抱き続けていた。人々は彼の言葉が勝手な責任転換の言葉だと受け止めるだろうか。しかし僕は彼がいちいち、
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、それ以来何もしなくなったんだ。(僕は「いい子」だったから、告訴はされなかった。2ヶ月ほどセラピーに通ったけど、その後やめた。)』Wesは1989年9月23日、二人の男の子を殺害した19日後に、このような日記を思い返して書いている。彼はインタビュアーに、最初に「最も重要なのは、これらは防げ
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2年生の始めのバンド旅行に行くのを逃した。I didn't do anything more until about January of 1977, at age 15, because of my police scare. (No charges were filed,because I was a "nice kid." I did go to therapy for about two months, then quit.)1977年1月頃、15歳の時、警察に脅されて
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は彼がどんな感じなのか知りたかったんだ。彼は僕に止めさせた。さもないと彼は「話す」と言った。僕は止めた。この頃、街中で起きた事件(フラッシュをたいたり、2、3人の子供にズボンを下ろすように頼んだがダメだった)について、警察から質問を受けた。これが15歳の誕生日の頃だった。このせいで、
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or three kids to pull down pants with no luck) by the police. This was around my 15th birthday. I missed a band trip the beginning of my sophomore year because of this.その後、マイクと二人きりになった僕は、後ろから彼の肩にもたれかかるようにして、彼のズボンの前を手で押さえた。僕
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『Later, alone with Mike, I put a hand down the front of his pants as I leaned over his shoulder from behind. I wanted to know what he felt like. He made me stop or he'd "tell." I stopped. About this time I was questioned about some incidents around town (flashing, and asking two
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