天国へ向かう列車の切符

小説

神の御国へ向かう人々を乗せる為に待つNorth Coast Limited






目が醒めると、わたしは見知らぬ駅にいた。
一人で、列車が来るのを待っているようだった。
しかしいくら待てども、列車が来なかった。
本当に来るのだろうか?わたしはとても不安になって、心が寂しく、寒くなってきた。
すると後ろから、大変、心地の良い透明な優しく暖かい響きの男性の声が響いた。
「あなたは、切符をお持ちですか?」
わたしは驚くことなく、自然と振り返り、彼を観てこう答えた。
「いいえ。わたしは何にも持っちゃいません。切符とは、わたしが乗る列車の切符ですね?」
彼は天使のように微笑み、こう返した。
「はい。あなたは神の国、いわゆる天国へ向かう列車の切符がなければ、此処でいくら待てども列車は来ません。」
わたしはふぅと溜息を吐いて言った。
「なるほど、だから随分と永く待っていた気がしますが、一向に列車が来ないはずですね。」
彼は美しい眼をして深く頷いた。
「その通りです。あなたは、残念ながら神の御国へゆける列車の切符を与えられませんでした。」
わたしは何故なのか訊いた。
すると彼はこう言った。
「あなたが今朝、観たを憶いだしてください。」
わたしは自分が今朝に観たを憶いだし、そのを彼に話した。
其処は、確か病院でした。わたしがいたのはその病院の二階だったはずです。それで、其処にはエレベーターがあったのです。わたしが乗ったとき、その中の入り口の床のところに約25㎝ほどの隙間があることに気づきました。下を覗くと、恐ろしいことに、ずっとそれは下まで続いているように観えました。つまり、暗くて良くは観えませんでしたが、ずっと下の方に鉄の棒が何本と交差しているのが観えました。わたしは想いました。此処に落ちれば一巻の終わりだ。それも、本当に無残な終りを迎えるだろう。何故ならば、あの何本と交差した鉄の棒が落下した身体をばらばらに引き裂くからだ。此処から絶対に落ちてはならない。他の人にもこのことを教えてあげなければ。
どれくらい時間が経ったかわかりませんが、知らない男性が遣って来ました。
彼は気さくに、満面の笑顔でわたしに声を掛けました。
しかし、わたしは彼のことを知っていたでしょうか?
彼はどうやら、少し知的障害があるようでした。その分、とても純粋なように想えました。
彼は、ちょうど開いていたそのエレベーターに乗ろうとしました。わたしは慌てて言いました。
「危ない!其処に隙間があるよ!注意して!」
すると彼は想像以上に驚き、「ひいいいいいぃぃぃぃっっっ」と叫んで慌てふためきました。
わたしが言い終わったときには既に無事に中へ乗っていたのに、急いでこちらに戻ろうと、彼は何を想ったのか、その隙間に落ちないようにと匍匐前進でこちらへ移ろうとしたのです。
脂汗をたらたらと流しながら、じりじりと、彼は匍匐前進でその隙間を超えようとしました。
しかし、一体何が起きたのやら、渡り終えようとしたそのとき、彼の身体はすっぽりと脚から隙間へ入り、彼は入り口に手を掛けてぶら下がり、わたしに助けを求めました。
わたしは瞬間的に想いました。
もうダメだ…。此処でわたしが手を伸ばせば、彼はわたしの手にしがみつき、わたしは彼もろとも下へ落ちるだろう。
だからわたしは、手を伸ばさなかった。
彼は支えきれず、絶望の顔で下に静かに落下した。
わたしは床にしゃがみこんだまま、息を呑んで、耳を澄ませて音を聴いていた。
彼の落下した身体があの交差した鉄の棒で割られ、砕かれ、分裂するその肉の音を。
わたしは確かに聴いた。
彼が死ぬ音を。
そしてどれくらい経過したのだろう。わたしは病院の人にこのことを告げに一階に降りて行こうとした。
病院の人はわたしに、その死体の肉塊が飛び散って、人が良く通る通路にまであると言った。
一階に降りると、既にてきぱきとその肉塊がまるでゴミのように分別されていて、ビニールシートの上でそのバラバラになった彼の身体の部分を分けていた人たちは、何故か、彼の青い肺を観ながら笑いを堪えている。
その青く染まった彼の肺は、どうやら「愚かな傀儡(くぐつ)の証」であるようだ。
聖書の「獣の刻印」のように。
笑ってはならないのだと想うほど、わたしも笑いが底から込み上げてきて、わたしも彼らと一緒に笑いに耐えながら、彼の青い肺を深刻に眺めた。
だがその後、病院の人達にこう話してわたしは涙を流した。
「あのとき、手を伸ばしていれば、わたしは彼を助けられたかもしれない…。でもわたしは手を差し伸べることができなかった。」
病院の人は宥めるように、「でもそうすれば、あなたも落ちてしまっただろうからね…。仕方ないよ…。」と言ってくれた。
と、此処でわたしはから醒めたのだ。
わたしは想ったのです。新年早々、えらいグロテスクな悪を見たな…。
驚いたことに、そう言って彼を振り向くと、彼は滔々と涙を流していた。
そして深い悲しみの表情で彼は言った。
「あのとき、あの瞬間に、あなたが彼に手を差し伸べていたならば、あなたは確かに神の御国へ入れたのです。しかし、今のあなたには、自分を犠牲にしてでも見知らぬ他者を救おうという神の本質、神の愛がありません。神の愛に生きていない人はだれでも、どんなにがんばろうとも神の御国へは決して入れないのです。あなたは自己犠牲の愛ほど尊い愛はなく、その愛こそが神の愛であることを知っていました。知っていたにも関わらず、あなたは行動しませんでした。知識には、必ず重い責任があります。無知だから赦された者も、知ることで赦されなくなります。勿論、いつかは神の愛によって必ず赦されるのですが、その日は気の遠くなる程、ある者は永久に感じる程の時間のなか、苦しみ続けるのです。あなたは神の愛を知りながら、神に逆らいました。しかし、だれもが、そのような苦しみの経験をもう良いと思う程に得て、いつの日か神の御国へと入るのです。神に逆らい続ける限り、あなたの日は暗く、あなたの未来は暗い。だが必ず、いつかは真のあたたかい日の光が、あなたを迎えに来ます。わたしはその日の瞬間の光景を、その瞬間の光り輝くあなたの喜びを、眼に見えるように今観ています。その涙が今はこうして、流れています。」
そう言い終わると同時に、彼は光のなかで微笑むと観えなくなり、代わりに、列車がわたしを迎えに来た。
列車が迎えに来たということは、次元が変わったのだろうか?
わたしを迎えに来た列車は、特に何の変哲もない普通の列車だった。
ドアが静かに開いたのでわたしは中へ入り、誰もいなかったので、一両目の一番後ろの左側の窓際の席に座った。
他に乗る者はいないのか列車はすぐに発車し、わたしは疲れ切っていたようで、じきにウトウトとし始めた。
そして現のなか、わたしは愛するWesに抱き締められたように感じる。
Wesはこの宇宙の何処かの、何よりも深い最も暗い闇の底で今も独りで自分の罪に苦しみ続けている。
はずだ…。
















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