渇愛

渇愛とは仏教の思想から生まれた概念で、人間が持つ根本的な欲望のこと

1. 欲愛(よくあい)・・・肉体の快楽を求める欲望
2. 有愛(うあい)・・・生きることへの執着
3. 無有愛(むうあい)・・・平穏に生きたいという欲望

何かを求める、または何かは要らないと思う心

http://www.j-theravada.net/pali/key-tanha.html

ここに書いてある文を読んで、その通りだと思った



“「渇いている」というと苦しいようですが、生命は何かを

探し求めていくことを気に入っていて、いくら苦しくても

そこから離れたいとは思いません。

決して自分の生き方を捨てたくはないのです。

幸福な人がその状態を楽しむのはわかりますが、

不幸な人でさえ、自分の状態に愛着しています。

すぐに怒って喧嘩をする人はそれがよくないとわかっていても、やめたくありません。

病気になったら、病気が生き甲斐のようになってしまいます。

そういうふうに生命のシステムができているのです。”





私は自分の悲しみがなくなることを異常に怖いと感じます

小さい頃からずっと悲しみでしか生きてこられなかったからです

だから幸せな自分は嫌いなんです

自分には不幸がとてもよく似合っているとさえ感じます


この前あんなに苦しくてしかたなかったODを、私はまたしたいという欲望に駆られています

自分を傷めつけないと、本当の安心を得られないのです

これはSM的なドMだからとかの次元とは全く関係ありません

メンタルの人には多い自傷行為そのものに依存してしまっているんです

自傷を求める、今以上に自分を苦しめて自分を傷めつけたことによって安心を得ます

愛に渇く、渇き切っているんです

こんなにも愛に乾いているのに愛を得られないことから、それが

自分を傷めつける方向へと向きます







『ブッダのことば――スッタニパータ』 から




死ぬよりも前に、渇愛を離れて
過去によって現在を言い訳しようともせず
目の前のことにたいしても準備せず
未来を思いわずらうこともない

そのような人は、怒らず、怖れず
誇らず、後悔するような悪行をなさず
よく思慮して語り、そわそわすることもなく
沈黙して暮らすことができる

いまだ来ないものを願い求めることもないし
すんでしまったことを憂えることもないし
すべての感覚対象から遠ざかり、離れるので
思考に支配されてしまうことがない

このように依りかかるもののない人は
ダルマ(法)を知っていて他に依存せず
有への渇愛も存在しなければ
無への渇愛も存在しない








全ての苦しみは渇愛から生じる

幸せも愛も何も望むことなく、何かが無くなればよいと望むこともなく

ただ誰かの為だけに生きれるなら

人間は欲望をなくしても愛することはできるはず

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