中也


録画しておいたこの間NHKでやってた

「大東京の真中で、一人 ~詩人・中原中也を歩く」

を見ました

昨年4月29日で生誕百年を迎えたんですね

作家町田康が中也の育った場所へゆき

詩を朗読していました

中也に久しぶりに会ったような感覚でした

中也を初めて知ったのは中三の頃

私は生まれて初めて自分と似たような思いを

他者に感じたのかもしれない

中也の詩にあるものは、

底知れぬ悲しみと

解り合えない孤独

其処から沸きでた開き直る態度

世界を薄ら嘲笑うことで

自我を守っているようで

空虚に満ちた世界観の果ての姿

そのどれもが私の中にも在るように思えた


でもわかったかのような思いでいただけなのだろう

中也の悲しみはきっと想像も

つかないほどに、どうしようもないもので

あったのだろう


ノンフィクション作家の柳田邦男は中也と同じく

幼い頃に兄弟を亡くし、また息子を亡くして

中也の悲しみがよくわかったと言いました

幼い頃に身内を亡くした子供は無意識に

それをずっと閉じ込めて生きてゆくが

また大切な人を亡くした時に閉じ込めていた全ても

一緒になってやって来るのではないかと



閉じ込めているとゆう感覚は私の中にもある気がした

でも私は母を亡くし父を亡くし二人を亡くしたけれど

私は父を亡くす前に何か心の中だけで誰か二人目をも

亡くしたように生きていたような気がする

それが本当に父が死んでしまったものだから

私はもうこのままじゃ生きてゆけるはずもないと

開き直り余生ではあるがとにかく死ぬわけには

ゆかないのだから生きてゆくしかない

と、ただそこには希望も絶望もなくそうとする

自分がいたのかもしれない


中也は八歳の時可愛がっていた弟亜郎を亡くし

亜郎の死を歌ったのが試作の始まりでした

そこから中也の悲しみとゆうものは

悲しいまでに広がって行ったのだろう

弟亜郎の死、親友富永の死、父の死、弟恰三の死

大切な者を次々に亡くしていった中也は

もはや人生に期待することはやめかけていた頃かもしれない

しかしそんな頃、親の縁談で結婚をし

生まれた愛息子文也の存在は

きっと中也にとって初めての捨てがたい幸せだったのだろう

中也はまるで童心に帰ったかのように

文也といつも楽しそうに遊んでいた

本当に幸せな時だったのだろう

その幸せがあまりに早く奪われてしまうことを

中也はそっと感じていたのだろうか

わずか二歳で死んでしまった文也を

中也は抱きしめてずっと離さなかったようです

翌月には次男愛雅が誕生しましたが

中也は幻聴が聞こえるなどの神経衰弱に陥り

入院しますがすぐに退院します

故郷に帰りたいと願い

第二の詩集「在りし日の歌」を編集し終え

友である小林秀雄に託しますが

結核性脳膜炎にかかり入院します

刊行されるのを待たずに

昭和12年10月22日、永眠

享年三十歳でした

翌年一月には次男愛雅も病気で短い生涯を閉じました



下に載せた中也のこの詩の中にある「あれ」

とはきっと、、、でしょうね




在りし日の歌
亡き兒文也の靈に捧ぐ



「言葉なき歌」


あれはとほいい處にあるのだけれど

おれは此處に待つてゐなくてはならない

此處は空気もかすかで蒼く

葱の根のやうに仄かに淡い


決して急いではならない

此處で十分待つてゐなければならない

處女(むすめ)の眼のやうに遥かを見遣つてはならない

たしか此處で待つてゐればよい


それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた

號笛(フィトル)の音のやうに太くて繊弱だつた

けれどもその方へ駆け出してはならない

たしかに此處で待つてゐなければならない


さうすればそのうち喘ぎも平静に復し

たしかにあすこまでゆけるに違ひない

しかしあれは煙突の煙のやうに

とほくとほく いつまでも茜の空にたなびいてゐた





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