湖畔の教会にて、第一話

何故、彼女は突然あの場所へ行ったのかは

今となってもまだわからない

変な書置き一枚残して彼女は姿を消した

そこにはこう書かれていた

少し、遠出をします 探さなくても大丈夫 

ちょっと北のほうの湖のそばにある教会にいる羊飼いの少年に呼ばれたの 

それじゃ、いってきます

僕は探しはしなかったが、たまらなく心配で

怒りが込み上げてくる日もあったが、正直、寂しくてならなかった

ポストに彼女からの葉書が入っていたのは、二週間程経ってからだった

小さな古びた教会がどんよりとした曇り空の下に建ってあるポストカード

裏には、短い言葉で

Góðan dag.こんにちは。お元気ですか?私はとても元気にしています。

羊飼いの少年に本当に会えたの。故郷にでも戻ってきたように、

とても心が穏やかになるの、私ここに住んでもいいかしら?

またお手紙書きます。お元気で

僕はそれを読んで本当に言葉を失った

暫くの間ずっとその教会の写真と睨めっこする事しか出来なかった

どれくらいの時間そうしていたかはわからないが

最初に確信した思いは、僕はどうやら彼女の恋人といったものでは

全くなかったらしい、ということだった

余りに潔い彼女の別れのようなその態度に僕は、最早

憎しみなどは沸いて来ず、あるのは、自分でも言いようのない

変なすっきりとした気分と、その素早過ぎる行動力だった

僕は気付くとトランクに荷物を詰め込んで、パスポートの期限を

確かめて、夜行列車に飛び乗っていた


















やっとのことで、その場所に着いた、写真のままの小さな教会

側には大きな湖が写真と同じ曇った空の下に広がっていた

そして、話が違う、と僕は酷く項垂れた

羊飼いの少年は青年だった

彼女は飛んだ嘘をついた

青年だと知っていたなら僕はここには来なかっただろう

まだおぼこい、あどけなさの残る感じではあったが

立派な大人となんら変わりないじゃないか

彼女の写真をそこの教会の神父に見せ、話をした

神父は彼女を知っていた、そこに丁度来たその青年

がこちらをチラチラと見て神父の話を聞いていた

そしてようやく意味を知り、急に僕を見ながら眉をしかめたことで

僕は、ああ、やはりそうゆうわけか、と理解し

さて、どうしよう、と思ったが、帰りの金のことを考えていなかったのだ

遠目にまだ僕のことを睨み続けている子供染みたその青年の視線を

避けて湖のほうへと目を向けた

すると、なんて美しい景色なんだ!夕焼けが淡く紫色に広がった空と

それを映している静かな湖

僕は少しの間その景色に心を奪われていると

誰かが肩をポンと叩いた

振り向くと、その青年が打って変ったにこやかな表情で

何かわからない言葉で言った

どうやら神父が呼んでいるらしい

神父は片言の日本語が話せる、昔日本に住んでいたことがあったらしい

神父は私にこう言った「貴方はここで働きなさい」と

金がないことをまだ言ってもないのに、それを言われた

顔から金がないという不安が滲み出ていたのだろうか

僕はとにかく「Takk ! (タック)」

「takk fyrir(タック・フィーリル)ありがとう」と言った

そして、また視線を感じて見ると青年は僕を少し複雑な顔で見ていた






有難いことに神父が家に泊まるように言ってくれた

やはり青年は神父の息子であった

少し神経質で気難しそうな面立ちがよく似ている

夕食にも呼ばれ羊の肉を初めて食したが、意外と臭みもなく美味しかった

食べ終わった後に青年が「生後4ケ月の子羊だから美味かっただろう?」と

なんの嫌みもなく言われたことが(神父の訳を通して)

一瞬過った罪悪感のようなものを消し去った

Brenivin(ブレニヴィン)というきつい酒を飲まされ

酒の弱い僕はすぐに世界が揺れ始め、楽しそうに注いで来たそうにしている神父と息子が

鬼に思えた、Brenivinは英語ではBlack Death(黒死)と言うらしい

ここに長く居ると僕はこの酒で殺されるかもしれないと本気で思った

しかし肝心の彼女不在であるのに、この一時の楽しさは

旅やいろんなものの疲れが溜まった僕には完全な癒しだった

ようやく僕が彼女の事を聞き出せたのは二人とも後片付けをし始めた頃だった

二人とも陽気に、彼女がどこにいるのかは知らないんだ、と言った

ただ、毎日朝早くに神父か息子があの教会にいる彼女に会うらしい

「彼女は毎日あの教会で懺悔をしている、とても熱心に」









ここの家には母親はいないのだろうか

寝る前にベッドに横になり温かい毛布の中で

彼女は今どうしてるだろうと思った

深い懺悔、僕の知らない彼女が今この国のどこかにいる

ふと思い出した、生まれて4ヶ月やそこらで殺される羊の気持ちはどんなものだろう












夢を見ていた

彼女が教会の床に跪き小さなイエス・キリストの像に向かい

祈り続けている

僕はそこから少し離れ後ろのほうの椅子に座ってそれを静かに見ている

すると僕の足の間に小さな子羊が隠れていた

とても可愛らしいその子羊は見つかっては駄目なのだ

彼女に見つかってはきっと殺されてしまうだろう

キリストにさえ、これは見つかってはいけないのだ

僕は子羊が音を立てないように強く抱きしめた

すると子羊は体から血を流し始めた

僕が悲しみに暮れてその血を止めようとしたが

血は流れるばかり

僕は声のない叫びを上げた

声は出ていないのに、彼女に感づかれたと思った

すると本当に彼女はこっちを見ていた

何かにとても怯えたような顔だった

すると、聖壇の脇から青年が出てきて

私の方へ走り寄って来て笑ってこう言ったのだ

「この羊は今晩頂こう、美味しそうだね」

ふと彼女を見ると嬉しそうな笑みを浮かべていた
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