光るみなも白い空 | 見返るミカエル見に帰る身に変える

見返るミカエル見に帰る身に変える

マタイ6章の4節

あなたの憐れみの施しがひそかに[なされる]ためです。
そうすれば,ひそかに見ておられるあなたの父が報いてくださるでしょう。

とある、これを読んでとても心が幸せに満たされた(しかしまた不安が過ぎる)

14,15節

「あなた方が人の罪過を許すなら,あなた方の天の父もあなた方を許してくださるのです。 
けれども,あなた方が人の罪過を許さないなら,あなた方の父もあなた方の罪過を
許されないでしょう。

人の罪を許すものは許され、人の罪を許さない者は許されないのだな

これらの言葉すべてが神は己自身の中に存在することをイエスは言っているようだ

報いは人々から受けるものでなく、己によって受け与えるものである、それを言っているように思う

34節

それで,次の日のことを決して思い煩ってはなりません。
次の日には[次の日]の思い煩いがあるのです。一日の悪いことはその日だけで十分です。

イエスはこれらを神から教えられ言ったのではなく、イエス自身が正しいと
思ったことなんだろうな

7章1節から

「自分が裁かれないために,[人を]裁くのをやめなさい。
2 あなた方が裁いているその裁きであなた方も裁かれることになるからです。
そして,あなた方が量り出しているその量りで人はあなた方に量り出すでしょう。
3 では,なぜ兄弟の目の中にあるわらを見ながら,自分の目の中にある垂木のことを
考えないのですか。
4 また,どうして兄弟に,『あなたの目からわらを抜き取らせてください』と言えるのですか。
しかも,ご覧なさい,自分の目の中には垂木があるのです。
5 偽善者よ! まず自分の目から垂木を抜き取りなさい。そうすれば,
兄弟の目からわらを抜き取る方法がはっきり分かるでしょう。

他人を裁くのではなく、あなたはあなた自身を裁きなさい、と言っておるのだね

昨日ある知り合いから、君の死に様を見てみたい、生きていると採点がつけられないが
死ぬと採点できるからである、と、こう言われ、僕は大層ショックを受けた
君が幸福だったのか不幸だったのか、この目で見たいと言われ、哀しかった

人の心を量るどころか、人生さえも量ろうとする、そんな心を何故持つのか、と
あまりに哀しく、それでは君も同じくただそうやって量られるだけの人生であるのか、と
それが哀しいだけで、一体何を言えば、愛に近づけるのだろうか、と思った

イエスが、偽善者よ!と、ここでつい感情を露わにしておるのは
きっとイエス自身、自分の中にある偽善と感じるそれに向かって
叱っているようだな、と思った、イエスは誰よりも己に厳しい人間だったのだろう
決して神の子ではなく人間であったイエスが如何に己の中の悪と闘って来たか

己に向けて説いている、のだな

12節

「それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません。

反対に自分がされて嫌なことは人にもするな、と言います
それじゃ自分がされてもいいことなら相手にしてもいいはずだ、これはどうですか?
自分が責め嘲笑われてもいいから、人を責め嘲笑っていい、どんな捻くれた考えだよ、と思うが
自分は殺されてもいいから人を殺してもいいのだ
自分がされてもいいことだから人にしてもいいんだ!
己は気づいているはずだ、それは違う、と

何かふっと思い出すんだ、お父さんに言ったんだ、ある日
「こず恵は間違って生まれてきてん」と
お父さんはとても悲しそうな顔をして、ただ「ううん」と言い首を横に振った
本当に哀しそうだった
軽はずみに言ってはいけない言葉だった
親には絶対に言ってはいけない言葉だった
そこで思うんだ、親が子に言ってはいけない言葉はないが
子が親に言ってはいけない言葉がある、と

少し脱線したか…
だから、そうだ、私は親に言われて、されて嫌なことはなかったが
私は親に言ってはいけない、してはいけないことをした、そのとてつもない深い後悔が
ずっとずっと私をいだいているわけなんだ

よって、自分がされていいことも相手にしてはいけないことがあるのだ

なんかやっぱ逸れてる気がする…、ま、いいか…

それがとくに愛してもない人だから、僕はしてもいいんだ、やはりこれはおかしい
そんなことを思うよりも己は己の中に在る神を呼び起こすべきなのだ
何が本当に正しいのか、君はわかっているはずだ、本当は、僕はわかっているんだ

13,14節

「狭い門を通って入りなさい。滅びに至る道は広くて大きく,
それを通って入って行く人は多いからです。
14 一方,命に至る門は狭く,その道は狭められており,それを見いだす人は少ないのです。

狭い門は通りづらいし、よく服もひっかかれば、破かれる、皮膚さえも傷を負い、痛い
どっかに頭をぶつけて倒れるやもしれん
一方広くて大きな門はいかにも通りやすく、うわーいっと遊んでふざけてはしゃぎながらも通れる
さあ、君はどっちの門が好きかい?

一方は生の門であり、一方は死の門であるとも知らず、ふふふ、ふははははっと笑っているのは誰?
(はい、僕です←サタン)
それを見いだすのは、神の裁きによる恐れでもなく、己の罪による裁きでもなく
どちらが君にとって好ましいものか、どちらを好むのか
どちらを良いと見るか、だ、その直感で

君の直感で、さあ!選びたまえ!

聖書っておもしろいね、大好きだよ、お母さん、ありがとう
イエスもエホバも僕だあいすき

あ、それとね!イエスは元々は神に天から追放された堕天使のミカエルでありアバドンであるらしいよ!
アバドン(Abaddon)は『ヨハネの黙示録』に登場する奈落の王で、ヘブライ語で「破壊」「奈落の底」
「滅ぼす者」を意味する。日本語では「アバドーン」とも表記される。

5番目の天使がラッパを吹く時に、『馬に似て金の冠をかぶり、翼と蠍の尾を持つ』
蝗の群れを率いる天使として現れ、人々に死さえ許されない5ヶ月間の苦しみを与えるという。
蝗害が神格化されたものだと考えられている。 また奈落の主とも言われ、奈落の鍵を管理していて、
千年の間、サタンを閉じこめていた。 キリスト教などでは堕天使の一人とされ、
ルシファーと同一視されることもある。

一般的には悪魔としてのイメージが強くサタン、サマエルと同一視されることもある。
また悪魔の支配階級としてではなく、底なしの穴、深淵などの同義語として使用されることもある。

ギリシャ語では「破壊者」を意味するアポリュオン(Apollyon、アポリオンApollion)と呼ばれており、
一説ではギリシャ神話におけるアポロン(Apollon)が自ら打ち倒したピュートーンと
同一視されることによって零落した姿とも言われている。

ここで僕はまた思い付いた



イエスはサタンと変わらぬ悪の堕天使であったんだ(いやサタン自身であったかもしれない)
でも誰よりも神を愛してた、ここで悪=深い悲しみでもあると思った
だからイエスは神の側へまた就きたくて、地上に降り
そこで人々に良い教えを説き、最も苦しい刑を受け、神に許されようとしたんだ

しかしイエスは許されなかった、そこまでしても
イエスの罪は想像以上に深かった、それは神をそこまで悲しませるものであったからだ
神もまたイエスをあまりに深く愛していた
だからそれくらいで許すわけにはどうしてもいかなかった
イエスはそれでも己の中にいるサタンを千年閉じ込めた
しかし千年経っても神は許さなかった
そこでイエスは再び地上に降りて来た
イエスは悲しみの怒りに燃えていたんだ、その年に第一世界大戦が勃発したのはその為だ

イエスは今ちょっと疲れて眠っている
でも目を覚ますとまたこの地上に降りて来る、その日は近し
その時にイエスはどう来るか、だ
自棄になりまた滅ぼすのか、それとも、今度は違うやり方で地上を救い出そうとするか、だ
そして、イエスがどう出るかは、僕らの%によってであると、まだ誰も知らないのであった

終末

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白空

Author:白空
1981年8月4日生

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食肉、ペット、毛皮、動物実験の現場ドキュメンタリー映画EARTHLINGS
ナレーション:ホアキン・フェニックス

音楽:Moby

『アースリングス』

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