今日は実に温かく心地の良い春日和である
しかし何もする気あらず
芸術家の最期は哀しい最期が似合うものだな、と
こんな清々しい午後に一人思ふ
あらゆる病苦や生活苦は動機ではなく、動機までの道程であり
僕の場合はただのぼんやりとした将来への不安である、と言って
死んだ芥川龍之介のこの映像を撮った日も、こんな清々しい日であったのだろう
芥川龍之介 菊池 寛
僕の場合はただのぼんやりとした将来への不安である、と言って
死んだ芥川龍之介のこの映像を撮った日も、こんな清々しい日であったのだろう
芥川龍之介 菊池 寛
哀しくなくては芸術家ではないよ
その人生そのものがあまりにも哀しすぎるものだ
その人生そのものがあまりにも哀しすぎるものだ
初めて知ることがたくさん書かれていた
とくに、
病気で倒れる前、数ヶ月このかたの中原中也君は、明るく希望に満ちてゐたやうに私にはながめられた。私と同氏との日の浅い交友は、今年のはじめ、私が鎌倉に引き移つて以来のことである。私は氏の過去については殆ど知らぬのだけれども。この春以来の氏は氏の今までのうちでも、格別にわるい状態ではあるまい、むしろいい方ではないのか、とひそかに思つてゐた。最近の時からもうかがはれた、子供さんを失つた大きな痛手からもやうやく回復し、新しい希望に向つて心を燃してゐるといふふうに見えた。最近詩作は少なかつたけれども、そこからわるい状態を推測しなければならぬやうなものではないと思つた。むしろ反対で新しい発足の前の休息のやうに思へたのであつた。
この秋には大体一年位滞在の予定で帰郷することになつてゐて、帰郷後の生活や、仕事についてもいろいろ楽しい予想を持つてゐたのである。夏頃から私と逢ふとその話があつた。「中学生のやうな気持で」と云つて、若々しく前をのぞんでゐる自分の気持を語つたこともあつた。(中略)
そしてさういふ此頃の氏であつただけに、氏の思ひがけない卒然の死といふものが、ひとしほいたましくてならぬのである。
島木健作「追悼」
昭和12年12月
これを読んで、中也が文也を亡くし、その絶望のさ中に死んだとばかり思っていたが
そうではなく、希望を持ち始めていたことが、知った瞬間哀しくなったが
絶望の中死んだわけじゃないんだ、そう思って、とても、よかった、と思った
そうではなく、希望を持ち始めていたことが、知った瞬間哀しくなったが
絶望の中死んだわけじゃないんだ、そう思って、とても、よかった、と思った
好きな詩人もミュージシャンも30代で死んでいる
だから自分も30代で死ぬんじゃないか、いや、死んでもいいんじゃないか
だから自分も30代で死ぬんじゃないか、いや、死んでもいいんじゃないか
つづく…
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