母の回想録、一

母の記憶がひとつもない私が母との思い出を回想することは

できないのだけれど、聞かされた母の話や写真を思い起こして

書けるだけ書いてみようと思います

(いざ書こうとすると、とても胸が苦しい、しかし私は書かねばならないだろう)




母は40歳という高齢で私を産みました

ひどい難産だったらしく、何度も分娩室に入っては、まだ出てこない

分娩室を出ては入っての繰り返しで

長い時間をかけ、ようやく私は産まれました

逆子で臍の緒が首に巻きついて瀕死の状態で産まれてきたそうです



育児日記に書かれていたので、忘れもしない言葉があります(育児日記が実家にあることがもどかしい)

母は、私の顔が姉兄の赤ちゃんの頃と比べぶちゃっとしていたので

「私たちの子だとは信じたくない」と書いてあったのです

それを初めて読んだ小学生の私は、とてもショックでしたが

母のそんな素直さがとても好きです

そのちょっと後の日記には「日が経つにつれてどんどん可愛くなってゆく」と

書いてあり、最後の子だというのもあって、とても可愛がられ育てられたようです



写真に写る母に抱かれている幼い私を思い出します

写真を思い出しても母のこと何も思い出せないことがとても寂しいです



母はエホバの証人だったので、幼い私を奉仕に毎日連れて行ったそうです

母の人柄は誰にでも愛されるものでした

明るく気さくでほがらか、子供のような純粋さ

でもそんな母は怒るととても怖かったと姉が言っていました

私も母に怒られ泣いたことがあるのだろうか



母は私が二歳のときにがんを発病し亡くなるまでの二年間入退院を繰り返していました

入院している母の前で、私はその頃好きだった松田聖子の

ちゅるりら~ちゅるりら~という歌を、何かにひもを巻きつけたものでマイクを作り

いつも楽しそうに歌っていたのを、母は嬉しそうに聞いていたそうです

母はその頃どのように私を見ていたのだろう

私たちが帰って一人になった瞬間きっと泣いていたに違いない

思い出せない、その頃の私が何を感じていたのか



それ以外の母との話を思い出せない、ほかにも聞いていただろうか

姉に今度聞かなければ



お母さんのことを「お母さん」と、そうもう一度呼んでみたい

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