河内国石川郡赤坂村字水分

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明治二十六年、河内十人斬りが起きた舞台、金剛山の麓にある大阪で唯一の村、南河内郡千早赤阪村大字水分に昨日行った。のは何故か、無論、町田康の告白を読んだからにはかなり行きたいに決まってるからである。行ったは行ったけど、もうへとへと、いや、それより、悲しかった、哀しかった、虚しかった、昨日もそうだが帰ってからというもの相当虚しい、死にたい。いやね、昨日寝る前に印象に残った事と言いますとね、村や神社に実際行けた喜びでは全くなかったっちゅうことやった。印象に残ったことは二つあった。一つはね、ちょっとこれからどう行けば水分行けるやろねぇと連れの方と途方に暮れとる時、一匹の見たことない赤い甲殻な小さい虫が地面に降り立った、可愛いので僕は見ていたら、車の通る方へゆこうとするものだから、そっちへ行くなと手で遮った、虫の自由を僕は奪った、虫はなんやのよ、もう~ゆうて道路でない崖のほうへ進路を変えて、僕は、よかったあと思ってずっと見ていた、その前に連れの方に踏まれそうになりかけたが僕の叫びで危うく助かった。僕は思った、今日ここに来て一番のええ思い出はこの虫に出会えたということかも知れないな。枯れ葉の上を一生懸命に歩いてる虫のけなげな姿、愛しさは膨らんでゆく、元気でいろよ、そう心に思う。思いながら見ていると、お連れの方が、知らんと虫の上を踏んで歩いて行った。僕の叫びは間に合わなかった、遅すぎた、反射神経鈍過ぎる己、枯れ葉を掻き分けた、掻き分け、掻き分け、掻き分け、やっと見つけた、虫は息を絶やしていた、鬱になった、枯れ葉を上から乗せた。僕が今日ここに来んかったらこいつは生きていたかも知れないのに、僕のせいで死んだ。僕が殺した。神は何を考えているのだろうか、何故この罪なき虫に死を与えたのであろうか、何故私の目前で、私に罪を与える為であろうか、己のその行動は間違っている、だからこのようなことになった、その罪を知れ、そう言っているのだろうか、わからない、神は僕に苦しみだけを与えようとしているのか、もっと、もっと、ぎりぎりのところで生きなさい、とそう言っているのかも知れない、そうだと思う、そうしなければ己、愛を知れないぜ、そう言ってると思う。

二つ目の印象は、道路に轢かれて緑色の体液を飛び散らせていた大きな毛虫の姿である。何故虫は赤ではなく緑の血なのか?という疑問からではない。この世界の不条理をあの毛虫は訴えてはいなかった、不条理な死に見えるが、だけども訴えない誰にも、違うんだよ、と、僕はこれでいいんだよ、僕の死はこうやって訪れるとそう決まっていたんだよ、僕の死を悲しまないで、ううん、大いに悲しんでくれ、そしてこの世界の目的を知れ、そう言っている、と今思ってんねんけどね、寝る前はただただ不条理だ不条理だ不条理だ虚しい死とは何か、死の意味とは何か、と思って水分村がどっか飛んでってしもたやないですかあ、兄貴ぃ、てわいは弥五っす、へへへ、熊やんどこ行った~探そかな~
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