光るみなも白い空 | 怪優 岸田森

怪優 岸田森

最近、私は一人の俳優を知って、彼を心から愛するようになった。
それは岸田森(きしだしん)という俳優である。
彼の初めてのレギュラー作品ドラマ「怪奇大作戦」のマニアの間で傑作と言われている
「25話 京都買います」をhttp://www.tudou.com/programs/view/mRo1vGFb1UQ/でご覧になることができる。
本当に好きになってしまったので、食費を削って「不死蝶 岸田森」という本が在庫一冊となっていたので慌てて買った。
今見たら、在庫2冊てなってた、増えてる。
そんなことは別にいいとして、僕はこれを昨日読み始めて、
冒頭の岸田森の従姉妹にあたる詩人・童話作家の岸田衿子の詩を読んで号泣した。
岸田森は私が1歳の年、1982年12月28日に43歳で亡くなってしまった。
1年と4ヶ月と24日だけ同じ世界で暮らしていたということになる。


ゴジラ対メカゴジラ(1974年、東宝) - 南原役
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哥(うた)(1972年、ATG) - 森山康役
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この哥のこの下の写真のシーンの演技には震える、たぶんアドリブであろう。


まだ少ししか彼の出演した映画やドラマは観れていないが、どれを観ても思うのは存在自体がとても異様だ。
演技が細かくて表情、動作に惹きつけられるのもあるが、異質な存在感自体に魅入ってしまう。
なにか恐ろしい俳優、まさしく怪優であるのだが、しかしその怪優を平凡なちょい役に使う監督に腹立たしさを感じる映画もままある。そうゆうことに悲しんでいたのは誰よりも岸田森本人であった。
出たい映画に出られなくて、退屈だったから脚本を書いたと彼は話している。
限られた時間の中でそのような思いや孤独の中で生きていた岸田森を思うと切なくてならない。
彼はその研ぎ澄まされた感性のあまり本当に孤独だったろうと思う言葉が今日読んだ箇所に書いてあった。
チェーホフが書いた戯曲「かもめ」をチェーホフは喜劇だと言った話の中で。

題「僕は五十になったらトレープレフを演りたい」

岸田「僕は、喜劇と言うものは、一生懸命に生きている人間の姿が、本当に一生懸命になったときに生まれると思っている。だから、僕の感じている喜劇と言うものは涙が出てくるものだと思う。それが、チェーホフが発見したかもめの目の位置でとらえた悲劇的な人間たちがおりなす喜劇なんだ。」

聞き手の寺田兼久氏「かもめの登場人物は、一人一人心の中で「わかってくれない、誰もわかろうとしないんだ」と言う叫びがあるからこそ一生懸命に生きているような気がします。」

岸田「僕は、人それぞれがそれぞれに対してそう思っているものだと思う。わかろうとしないものだ。それをわかってくれたんだと思うこと自体が、喜劇だよ。わかるわけがない。僕は、僕のことを「おう、岸田、よくわかるよ」と言う人がいたら質問したいね。「えっ!本当にわかるんですか」とね。きっとその成り立ちが喜劇だよ。だから、トリゴーリンの台詞で「わかってくれない、てんでわかろうとしないんだ」ということは当たり前のことで、それをあえて言うことの喜劇さ、それが喜劇なんだと僕は思う。それから稽古しながら思ったことなんだが、人間が無理することなく人間の生涯を演じたらコメディともエレジーとも名づけられるドラマができるんじゃないだろうか。それは、どこに目の位置を置いてみるかということでどちらにでもなる。」

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わたしはこれを読んで、町田康が言っていたことと同じじゃないかと思った。
町田康は本気になるほどギャグになるとゆうことはどうゆうことかとゆうと、
「あなたの小説は面白いですねとよく言われるが、別にふざけているわけじゃない、なんか面白いことをやろうと思ってやっているんじゃなくて、こうゆうことを書いたら人は笑うだろうなとか、面白いだろうなとか別に思ってなくて、人間はこうゆうことするだろうな、とか順々に自然に書いていくと、面白くなっちゃうんですよ」と話してたんだよね。

自然に無理することなくそのままの人間を描くと、滑稽になる、そうだよなぁ、と思った。演じるのも、小説を書くのも、生身の人間を演じたいのであって、書きたいのであって、そこから滑稽さを抜き取るというのは不自然になって面白くなくなってしまうのがよくわかる。
それを演じる面白みを知っている俳優が岸田森で、それを書き続ける作家は町田康だから、私はこの二人が好きなんだろうなあと思った。




そしてここでもうひとつ、太田光の話した印象に残った話を載せる。

「人生で一番悲しかった記憶は、子どもの頃に飼っていた犬が死んじゃった時のもの。ポコという名前の犬だったんだけど、ポコは俺が殺したようなもんだから。殺したというか、ある時、俺が作っていた学校に提出しなきゃいけない凧の上にポコがションベンを漏らしちゃったのね。俺はしつけをしようと思ってポコをパコンと叩いた。で、その夜にコタツのなかに入ってたポコが痙攣し始めて、そのまま死んじゃったっていう。あれは、本当に悲しい出来事だった。パコンと殴った記憶が鮮明な分、「僕がポコを殺しちゃったんだ」という思いが幼い俺にのしかかってきたから。たぶん、7歳か8歳の頃の記憶だと思う。

ただ、その時、悲しいと同時に「笑い」と「怒り」の感情を抱いたことも鮮明に覚えている。ポコが痙攣を始めた。おふくろがポコの体をさすって「がんばってポコ!」なんて懸命に呼びかける。その甲斐もなくポコが事切れる。と、その瞬間のおふくろが「あ、死んだ」って淡々とした口調でつぶやいて(笑)。その言い方が死の瞬間とは不似合いだったのがおもしろくて、俺は思わず笑ってしまったっていうね。同時に愛犬が死んでしまったというのに、「なに笑ってんだよ?」という自分に対する怒りがあったことも、その夜の記憶には焼き付いている。」

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私にもこれと少し似ている記憶がある。
それは姉が長年飼っていた猫が死んでしまってその時に姉の家に行って帰ってきた兄から、死んでいる猫に布団をかぶせるようにしてまるで人間のようにした写真を見せられた時に、私が何故かついおかしくて軽く笑った、すると兄がものすごい怖い顔で「おまえはこれ見て笑うんか」とひどく私を非難した時のことだ。私は自分とはなんなんだろうと思ったが、しかし悪気を持って笑ったつもりでは一切なく、ついその人間のように猫に布団をかぶせていることと、またその写真を深刻な顔で私に見せる兄の、その行為がおかしくなってつい笑ってしまったのだろう。深刻すぎると人は笑ってしまうことが人間にはあるのではないかと、そのことにとても興味があるし、だから人間の普通に起こってしまう出来事や感情はとても面白くそれはある意味では悲劇であるし、ある意味では喜劇になるということだろうと私は思うのである。
必ずしもどちらかに傾くものではなく喜劇と悲劇がごたごたに折り重なっているからこそ、そこに喜劇があって、悲劇が存在するはずだ。

それに気づいている人間はやはり深みがあってとても面白い。
私はまだまだだ、人間の本当を描くのがこんなに難しいとは、長編を書くまでは知らなかった。
死ぬまでに私は長編を書き続けたい。人間を書き続けたい。


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ナレーション:ホアキン・フェニックス

音楽:Moby

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